奪われた毛布
林の中は、昼を過ぎているというのに薄暗かった。頭上では枝葉が重なり、街道から差し込む陽を細く削っている。湿った土には折れた枝と草の擦れ跡が残り、朝方に奪われた荷がここを通ったことを示していた。先頭を歩くロザリアは裾が汚れることも気にせず、白い手袋で枝を払いながら痕跡を拾っていく。その後ろではクライスが簡易の記録板へ、見つけたものを淡々と書き留めていた。
第一部隊は二人に続く形で進んでいる。アルドは周囲を警戒し、レイスは足跡と荷車の跡を追う。ルカは双銃へ手を添え、ノルは翠穿を肩に掛けたまま歩き、セレスは足元の泥と周囲を交互に見ていた。ルシアンが気にしているのは、同行しているハインの顔色だった。ゴードは無言で後方を押さえ、エディンは少し遅れた位置から全体を見ている。
馬車を襲われたばかりの商人を連れていくことには、アルドも一度反対した。それでもハインは同行を望んだ。荷の印も箱の癖も分かる。積み替えられていても、自分の商会が扱ったものなら見分けられる。
「無理はするな」
「はい。走れと言われても、たぶん足はもつれます。でも、荷を見ることはできます」
ロザリアが振り返らずに笑う。
「自分の使い道を分かっているのは良いことね」
ハインは返さなかった。さらに進むと、一本だった荷車の跡が二手へ分かれていた。一方は左の細道へ伸び、もう一方は少し開けた低地へ続いている。
「分けたわね」
ロザリアが足を止める。クライスはしゃがみ込み、泥へ刻まれた二本の轍を見比べた。
「片方は軽くなっています。もう片方は深い。重い荷は右へ運んだようです」
レイスも轍の深さと足跡を追う。
「俺も同じ考えです。右は油の樽か、保存食の箱を多く積んだ跡に見えます」
「あの……右側は、たぶん油と保存食です」
ハインが一歩前へ出た。
「根拠は?」
「車輪の幅と、沈み方です。うちの荷は小型の荷車に積み替えるなら、箱の置き方に癖が出ます。薬草や包帯は軽いので、上に積みやすい。でも油と保存食は、下に置くしかない。右の跡は、重心が低いです」
クライスがもう一度土を見る。
「確かに、横揺れが少ない。重い荷を下に置いた時の跡です」
「左は毛布や薬草、包帯、軽い保存食かもしれません。軽い荷だけなら、あの細道でも運べます」
ロザリアは楽しそうに目を細めた。
「弱い商人にしては、目は使えるのね」
「弱いので、目くらい使えないと商売になりません」
「あら」
ルカが小声でノルへ寄る。
「今の、ちょっと勝ちました?」
「勝ってない」
「でも、負けてない」
セレスが真面目に加わった。
「商人としての観察力は、確かだと思います」
ハインは困ったように三人を見る。
「ありがとうございます……で、いいんでしょうか」
「いいと思いますよ」
ルシアンが柔らかく答えると、ロザリアは肩をすくめた。
「お優しい部隊だこと」
明らかな棘があったが、アルドは拾わなかった。
「どちらを追いますか」
「左」
ロザリアは迷わず答えた。
「なぜです」
「軽い荷は、人に配りやすい。毛布や薬草は、見せればすぐに意味が分かる。油や保存食より、先に人目に触れさせるなら左よ」
クライスが記録板を確認する。
「左の先には、小さな外縁集落があります。昨夜、避難指示が出た地域の一つです」
「そこに持ち込まれた可能性があると?」
「可能性ではなく、そう見るべきね」
ロザリアは左の細道へ足を向けた。
「金ではなく救援物資を盗んだのなら、隠すより見せる方が使えるもの」
一行も後に続いた。道は狭く、ぬかるんでいる。荷車を通すには無理があるように見えたが、轍は確かに奥まで続いていた。途中で荷を一度下ろした跡があり、別の場所では車輪についた泥を払っている。枝の折れ方や足跡の乱れまで、ロザリアは歩みを止めるたびに拾い、クライスが記録していった。
レイスも確認を重ねる。いつもなら自分が先に口にしそうなことを、今日はロザリアが先に見つけていく。嫌な女だとルカは思っていた。それでも、見えているものの多さまで否定する気にはなれなかった。やがて木々の隙間が広がり、林の先に小さな集落が見えた。
石造りの家が数軒並び、その間を細い水路が走っている。昨夜急に灯りを落としたのだろう。窓辺には途中まで溶けた蝋燭がそのまま残っていた。広場の片隅には人が集まっている。子どもを抱えた女、杖をついた老人、疲れた顔の男たち。
その足元には毛布の束があり、すでに開けられた保存食の袋と薬草を包んだ布も置かれていた。ハインが息を呑む。
「あれは……」
ロザリアが目を細めた。
「あなたの荷?」
「はい。うちが運んでいたものです。あの紐の結び方は、うちの者がやったものです」
こちらに気づいた集落の者たちへ、最初に警戒が走った。だが王都討祓軍の制服を認めると、その表情が少しだけ変わる。集落長らしい老人が前へ出た。
「王都討祓軍の方々ですか」
「第一部隊隊長、アルドです」
「第三部隊隊長、ロザリアよ」
老人は深く頭を下げる。
「昨夜は、ありがとうございました。外縁で夜骸の群れが出たと聞いて、皆、生きた心地がしませんでした」
「それで、その毛布と薬草は、どこから?」
ロザリアは挨拶をそこで切った。老人の顔が強張り、周囲の者も足元の物資を見る。
「昼を少し過ぎた頃、集落の入口に置かれていました」
「誰が」
「分かりません」
「置いた者の顔を見た者は?」
「顔までは、誰も」
「都合のいい話ね」
「ロザリア隊長」
アルドが呼ぶ。
「何かしら」
「まずは確認を」
「確認しているわ」
ロザリアは老人から視線を外さなかった。
「あなたたちは、誰の物か分からない荷を使ったのね」
「……子どもが震えていました」
「理由は聞いていないわ」
老人は一度唇を結んだ。それでも逃げずに言葉を続ける。
「夜中に灯りを消せと言われ、外に出るなと言われました。討祓軍の方々が守ってくださったことは分かっております。けれど、国からの支援がいつ届くのかも分からず、皆、怖がっていたのです」
足元では、幼い子どもが毛布を握ったまま母親へ身体を寄せている。
「昼を過ぎて、毛布と薬草が置かれていました。国からの支援が早く届いたのかと……そう思った者もいます」
「国からの支援なら、黙って置いて行かないでしょう」
老人は何も返せなかった。ハインが毛布の束へ近づき、紐と布地を一つずつ確かめる。
「……うちの荷です」
顔を上げ、集落の者たちにも聞こえるよう続けた。
「国に買い上げてもらい、外縁の集落へ回す予定だったものです。ただ、この集落に直接届ける手順ではありませんでした」
「盗まれた荷なのですか」
老人の問いに、ハインの返事が一拍遅れた。そう言えば、目の前で使われている毛布は盗品になる。
「……私の馬車から奪われた荷です」
周囲がざわめく。子どもへ毛布を掛けていた女が慌ててそれを外そうとした時、ハインが手を上げた。
「待ってください。もう開けた分、使った分は、そのままで構いません」
「あら」
ロザリアがゆっくりハインを見る。
「この分は、現地引き渡し分として帳簿に残します。王都に戻ってから、買い上げ先と処理を調整します」
「勝手に?」
ロザリアの声が甘くなる。
「あなたの商会、そんな余裕があるの?」
「ありません」
返事は即座だった。
「余裕はありません。ですが、ここで毛布を取り上げる方が損です」
「損?」
「はい」
ハインは集落の者たちを見た。
「この人たちから毛布を奪い返した商人から、次に誰が荷を買いますか。盗まれた荷だから返せ。それは正しいかもしれません。ですが、正しいだけでは商売になりません」
ロザリアの口元が僅かに上がった。
「弱いくせに、帳尻を合わせるのは上手いのね」
「弱いので、帳尻を合わせられなければ、とっくに潰れています」
「合理的です」
レイスが毛布と村人たちを見回す。
「ここで全てを回収すれば、民の不満は我々にも向きます。ハインさんの処理であれば、少なくともこの場の混乱は抑えられます」
「俺も同じ考えです」
アルドも頷いた。張り詰めていたセレスの肩から少しだけ力が抜け、ルシアンもハインを見る目を柔らかくする。
「商人っぽい」
ノルが言った。
「商人です。今は弱小ですが」
「自覚あるんだ」
「あります。痛いほど」
ルカが少しだけ笑ったことで、集落に張っていた空気も僅かに緩んだ。だが、ロザリアは毛布の束から目を離さない。
「美談にするには早いわよ。盗まれた荷が、必要な場所に置かれていた。聞こえはいい。でも、それを置いた者は善人ではない」
「それは、どういう意味でしょう」
老人が尋ねる。
「あなたたちは助かった。少なくとも今はね。けれど同時に、こう思ったでしょう?」
ロザリアは集落を見渡した。
「国の支援は遅い。けれど、誰かは毛布を置いてくれた」
老人は答えなかった。ロザリアはそのまま続ける。
「善意に見えるものが、本当に善意とは限らない。盗まれた荷で恩を売ることもできる。盗まれた荷で、国への不満を育てることもできる」
「そんな……」
ルシアンが小さく漏らす。
「できるわ」
ロザリアは即座に返した。
「人は寒ければ毛布を受け取る。痛ければ薬草を使う。腹が減れば保存食を食べる。誰が盗んだものかなんて、その瞬間にはどうでもいい。だから使えるのよ」
毛布を抱く子どもに、それを受け取った責任などない。だからこそ厄介だった。
「……荷が盗まれただけじゃない」
ハインが呟いた。
「どういう意味だ」
アルドが振り向く。
「信用が奪われています」
ハインはもう毛布ではなく、集落の者たちを見ていた。
「この荷は本来、王都を通して配られるはずでした。誰が買い上げ、誰が運び、どこへ届けるか。それで責任の流れができる。けれど、盗まれて、勝手に置かれた。すると、受け取った人たちには、誰が助けたのか分からない」
言いながら自分の考えを確かめるように、一度間を置く。
「分からないまま、助かった感覚だけが残る。次にまた荷が置かれたら、受け取る人は増える。国の支援より早いと感じる人も出る。そうなると、荷だけじゃなく、信用の流れも奪われます」
「信用の流れ、か」
レイスが言った。
「はい。商売も支援も、最後は信用です。物が届くこと。誰が届けたか分かること。次も届くと思えること。それを崩されるのは、かなりまずい」
ロザリアはハインを見た。
「本当に、弱いくせに頭だけは回るのね」
「そこだけで食っていくつもりです」
「食えるといいわね」
「食います」
今度はハインも目を逸らさなかった。ロザリアの笑みがほんの僅かに変わる。
「この集落に置かれた分は、使ったものを記録します。未開封の箱は確認させてください」
ハインは老人へ向き直った。
「返せと言うつもりはありません。ただ、何がどれだけ置かれていたか、記録しないといけません。あとで正式に処理できなくなります」
「分かりました。こちらも、盗品とは知らなかったのです」
「はい。そう記録します」
「知らなかった、ね」
ロザリアの声に、老人の肩がまた強張る。
「本当に知らなかったのでしょうね。ただ、次からは気をつけなさい。誰が置いたか分からない荷は、誰かが何かを奪って持ってきた荷かもしれない」
「でも、緊急時に毛布や薬草が置かれていたら、使ってしまうのは当然ではありませんか」
セレスが一歩前へ出た。
「当然よ。だから厄介なの。責めきれない行動ほど、利用しやすいものはない」
セレスは返す言葉を探すように口を閉じた。そこでエディンが静かに笑う。
「ロザリアちゃんは、本当に嫌なところを見るのが上手ねぇ」
「あなたは、嫌なところを見ないふりをするのが上手ね」
「あらぁ、見てないわけじゃないのよ」
「でしょうね。だから余計に嫌い」
二人とも声を荒らげない。それでも空気だけが僅かに冷えた。アルドは二人を見たが、口を挟まなかった。踏み込むには、まだ何がそこにあるのか分からない。クライスが記録板を閉じる。
「隊長。未開封分の確認を行います。加えて、荷が置かれた時間帯を集落内で聞き取りましょう」
「ええ。お願い」
クライスは集落長へ丁寧に頭を下げた。
「ご協力をお願いします。昼前から昼過ぎにかけて、荷車の音、人影、声、何でも構いません。覚えていることを教えてください」
聞き取りが始まった。荷車らしい音を聞いた者。窓の隙間から人影を見た者。顔までは分からないが、二人組が集落の入口にいたと話す者。どれも決め手にはならない曖昧な証言だったが、若い男がためらいながら手を上げた。
「その、声が聞こえた気がします」
ロザリアがすぐに向き直る。
「どんな?」
「低い男の声で……『国を待ってたら、夜になる』とか、そんなようなことを」
集落の空気が固まった。
「他には」
レイスが尋ねる。
「それだけです。すみません。はっきり聞いたわけじゃなくて」
「十分です」
ロザリアが薄く笑う。
「親切な盗賊ね。荷だけでなく、言葉まで置いていった」
「わざと……」
ルシアンが呟いた。
「でしょうね。盗んだ荷を置く。困っている人間に使わせる。国より早く届いたと思わせる。ついでに言葉も落とす」
足元には実際に人を温めた毛布がある。その上で聞けば、ただの悪口よりずっと残る。
「嫌がらせとしては、とても上品だわ」
「上品、ですか」
ルカが聞き返す。
「ええ。下品な盗賊なら、全部売るか、燃やすか、食い散らかす。でもこれは違う。使い道を考えている」
「救援物資を、宣伝に使っている」
ハインが低く言う。
「そう。あなたの商品は、盗賊の宣伝道具になったの」
ハインの顔が歪んだ。だが、目を伏せたのは一瞬だけだった。
「なら、記録します」
「何を?」
「この集落に何が届いて、何が使われて、誰が必要としていたか。盗賊が何を狙ったかを、商人の帳簿でも追います」
「討祓軍の記録ではなく?」
「討祓軍の記録は、討祓軍のものです。商人には商人の帳簿があります。物がどう動いたか、人が何を必要としたか。金にならない情報も、あとで金より重要になることがあります」
「商人、怖い」
ノルがぼそりと言う。
「褒め言葉として受け取ります」
「この人、意外と強いですね」
ルカが言うと、ハインは苦笑した。
「戦えませんけど」
「そこは分かってます」
襲撃直後の青ざめた顔はまだ残っている。それでも、自分にできることで追うべきものが見えたことで、ハインの目には少しずつ力が戻っていた。未開封の荷を確かめると、残っていたのは毛布の一部、薬草が数束、包帯が三箱、保存食が少しだけだった。油はない。やはり重い荷の大半は、分岐した右の道へ運ばれている。
「隊長。左へ運ばれた軽量物資の一部は、この集落で確認。未確認分あり。油と保存食の大半は右の経路と推定されます」
クライスの報告に、ロザリアが頷く。
「右を追いましょう」
アルドは集落を見た。
「この集落は」
「第三が一人残るわ。聞き取りと記録のためにね」
ロザリアは老人へ顔を向ける。
「怖がらなくていいわ。少なくとも今すぐ、あなたたちから毛布を奪うためではないから」
「ありがとうございます」
「礼を言う相手は選びなさい。今の毛布は、盗賊が置いたものよ」
老人は答えられなかった。出発前、ハインはその老人へ改めて頭を下げる。
「後日、正式な確認に伺います。その時、使った分を責めることはしません。約束します」
「助かります」
「助けたのは、私ではありません」
ハインは一度だけ毛布へ目を向けた。
「でも、次は私の商会から、ちゃんと届くようにします」
「大きく出たわね」
ロザリアが横から言う。
「小さく出ても、覚えてもらえませんので」
「商才だけは本当にあるのね」
「そこだけは、あります」
「言い切るところは嫌いじゃないわ」
「ありがとうございます」
「褒めていないわ」
「それでも、使えそうな言葉は拾います」
ロザリアは今度こそ少しだけ笑った。
「行くわよ。油と保存食の行方を追う」
一行が林へ戻り始める。アルドは最後に一度だけ集落を振り返った。毛布を握った子どもがいる。女は薬草を抱え、老人がこちらへ頭を下げている。盗まれた物資だったが、それでも確かに誰かを温めていた。だからこそ、使い方が悪質だった。
隣へ来たレイスが林の奥を見る。
「アルド」
「ああ」
「盗まれたのは荷だけではない」
「信用だな」
「そうだ。そして、信用は一度流れると、取り戻すのに時間がかかる」
二人の先では、右の道へ続く深い轍をロザリアとクライスが追い始めていた。残るのは、油と保存食の行方だった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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