第一部隊の六人
「今夜は、俺たち六人で仕留める」
レイスの声は静かだった。ルシアンは合図用の魔法具から手を離し、横目でその顔を見る。表情も声音も普段と大きく変わらない。それでも長く一緒にいる者には、その静けさだけで十分だった。三つ首の虎が低く身を沈める。六つの目は、町に残った六人を見ていた。
「レイスさん」
屋根の上で双銃を握り直したルカへ、レイスは視線を向けない。
「言った通りだ。合図はまだ出すな」
「……はい」
目の前の夜骸は、大きさも魔力の濁りも中級のものだった。ただ、これまで見てきた中級に多かった、複数の獣を無理に継ぎ合わせたような歪みが薄い。異様な巨体に三つの頭、背から突き出す白い骨と骨鎖のような尾。それだけ異形でありながら、姿の芯はあまりにも虎に近かった。
「中級……だよね」
セレスが短剣を抜く。
「大きさ、圧、魔力の濁り。低級じゃない。だが、普通の中級とも違う」
「知性があるってことですか?」
「少なくとも、選んでいる」
レイスは三つの頭を順に見た。
「俺たちが来てから、こいつは出なかった。アルドとエディンが町を離れた今夜だけ、こうして姿を見せた」
夜骸が低く喉を鳴らした。その音を聞いたレイスの目が細くなる。
「二人がいなければ勝てるとでも思ったか」
三つの頭が、湖の向こうから六人へ向き直る。
「馬鹿が」
レイスの低い一言と同時に、全員の重心が僅かに落ちた。
「ルカ、町側へ抜かせるな。ただし深追いするな」
「了解です」
「ノル。頭は三つだ。どれが本命か分からない。急所を決め打ちするな」
「分かってる」
「ゴード」
「止める」
「正面、頼む。ただ、受け続けるな。まず力を見たい」
「分かった」
「セレスは足場と側面。こいつは速い」
「うん」
「ルシアンは防御と治療。合図はまだ出すな」
「分かった」
レイスが右手を上げると、足元から細い水筋が石畳の隙間を這い、町の入口へ薄く広がっていった。
「ここで止める。ここで削る。ここで倒す」
三つ首の虎が吠え、町の窓がかすかに震える。
「俺たちを舐めるなよ」
直後、夜骸が地を蹴った。巨体に似合わない速度でゴードへ迫りながら、正面の頭は盾を、右の頭はルカを、左の頭は屋根の上のノルを捉えている。
「三方向を見るな。気色悪い」
ノルが引き金を引いた。翠穿から放たれた三発が夜を裂き、一度散った軌道を風で曲げながら左の頭へ寄っていく。だが夜骸が首を僅かに引いたことで、一発は頬の骨を掠め、もう一発は耳を削り、最後の一発も背の骨を砕くだけに終わった。
「避けた」
その声とほとんど同時に、正面では爪がゴードの大盾へ叩きつけられた。重い衝撃に靴底が石畳を削り、ゴードの巨体が半歩押される。それでも盾は傾かない。
「重い」
「分かりやすく言うなら?」
屋根から飛び降りたルカが着地しながら訊く。
「かなり重い」
「十分です!」
双銃が続けて火を噴いた。右の頭がルカを追ったところで、セレスが地面へ魔力を流す。
「水地弐式 泥衣!」
町外れの土が湿り、踏み込んだ前脚へ薄い泥がまとわりついた。速度の落ちた一瞬にルカが懐へ滑り込み、短剣で腱を裂いてすぐに離れる。三つ首の虎が唸った。正面の頭が盾を押し込み、右の頭がルカへ牙を向ける一方で、左の頭の口内には白い骨片が浮かんでいた。
「ルカ、下がって!」
ルシアンの前へ水が立ち上がる。
「水流参式 護水壁!」
矢のように飛んだ骨片が水壁へ次々と沈み、勢いを失っていく。数本だけが壁を抜け、ルカは身体を捻って避けたが、そのうち一本が肩を浅く裂いた。
「ルカ!」
「浅いです! ……でも痛いです!」
「喋れるなら動け」
ノルは翠穿の側面を叩いて空のケースを落とし、次を滑り込ませる。銃身へ風が巻き、その内側で雷が弾けた。三発の雷弾が正面の頭へ走る。夜骸はまた首を逸らし、耳の付け根と骨の突起、首の外皮へ傷を残しながらも致命部だけは外した。
「効きが悪い」
「毒は?」
「まだ」
「試せ」
「言われなくても」
レイスが水筋を夜骸の前脚へ絡ませ、そこへ雷を落とす。
「雷流弐式 絡縛!」
雷を帯びた水糸が締まった瞬間、背の骨突起が逆立った。夜骸が身体を捻るのに合わせて風が渦を巻き、水糸を雷ごと引き千切る。
「風も使うのか」
拘束を抜けた夜骸はそのままゴードの盾を押し、町側へ身体を滑り込ませようとした。
「抜かせない」
ゴードが大盾を立て直す。その脇をセレスが抜け、短剣で夜骸の脇腹を続けて裂いた。深手を狙う攻撃ではなく、注意を正面から剥がすための一手だった。左の頭がセレスへ向いたところへ、ルシアンの風が集まる。
「旋風弐式 風槍!」
風槍は目元を狙い、夜骸は首を引いてそれを避けた。だが回避に合わせて踏み込みが乱れたところへ、セレスが足元の水と土を一気に混ぜる。
「水地参式 泥蓮陣!」
四肢の下へ泥が広がり、巨体が深く沈んだ。三つの頭が揃って吠える。レイスはその怒声を聞きながら、僅かに口元を上げた。
「だから言っただろ。第一部隊を舐めるな」
◇
湖の向こう側では、小さな焚き火が揺れていた。対岸の町の灯りは遠く、湖面に映った月は風が吹くたび細く崩れている。アルドは火の前に座っていたが、視線は何度も町へ向かっていた。その隣で、エディンは串に刺した魚を火へかざしている。どこで用意したのか香草まで振ってあり、焦げた皮から香ばしい匂いが上がっていた。
「アルドちゃん、見すぎよぉ」
「見てません」
「町の方、穴が空いちゃうわぁ」
アルドはまた対岸へ目を向け、自分で気づいて小さく息を吐いた。
「……見てますね」
「素直でよろしい」
「そりゃ心配はするだろ」
「レイスちゃんがいるわよぉ」
「だから任せてます」
「任せてる顔じゃないわねぇ」
町にはレイスがいる。ルシアンも、ルカも、ノルも、セレスも、ゴードもいる。何も起きなければ、それでいい。何か起きても合図が上がればすぐ戻れるように、ここで待つのが今の役目だった。
「食べる?」
差し出された串を、アルドは受け取った。
「ありがとう」
焼けた白身を一口食べると、香草の匂いの後から淡い甘みが広がる。
「美味いですね」
「でしょぉ。町に戻ったら、ルシアンちゃんにも食べさせてあげなさいな」
「なんでそこでルシアンなんです?」
「あらぁ。おねぇさん、何か変なこと言った?」
「言ってるでしょ」
「最近、どうなの?」
「何の話です?」
「ルシアンちゃんと」
アルドは露骨に嫌そうな顔をした。
「任務中にする話ですか、それ」
「今は湖畔キャンプ中よぉ」
「レイスに聞かれたら怒られますよ」
「レイスちゃんは町でお仕事中。ここにはいないわぁ」
「そういう問題じゃないですけどね」
エディンは楽しそうに魚を口へ運んだ。
「でも、前より落ち着いた顔をするようになったわねぇ。ルシアンちゃんも、アルドちゃんの隣にいる時は前より柔らかい顔をするし」
「見すぎじゃないですか?」
「おねぇさん、みんなのこと見てるもの」
アルドは湖へ目を戻した。
「……最近は普通ですよ」
「普通?」
「飯食って、任務して、怪我して怒られて、帰って、また飯食って。たまに二人で出かけるくらいです」
「いいじゃない」
「いいのかなって思う時はありますけど」
「あら。悪いことなの?」
アルドは魚を持ったまま、しばらく火を見ていた。
「悪くはないです。でも、たまに思うんですよ。俺たちだけ普通に笑ってていいのかなって」
誰のことを指しているのかまでは言わなかった。エディンも聞かなかった。
「笑える時に笑うのも、役目よぉ」
「役目、ですか?」
「そう。誰かが笑ってないと、戻ってきた人が困るもの」
アルドは隣を見る。エディンはいつものように笑いながら、遠い町の灯りへ目を向けていた。
「エディン」
「なぁに?」
「結局、何者なんだ?」
エディンは驚かず、小さく首を傾げた。
「あらぁ。おねぇさんはおねぇさんよ」
「そういう意味じゃないです」
「第一部隊のエディンちゃん」
「それも知ってます」
「美人で頼れるおねぇさん」
「それ、自分で言うことじゃないでしょ」
「じゃあ、何を聞きたいのかしらぁ」
アルドは食べ終えた串を火の脇へ置いた。
「白銀の時計で会食した日、エディンはいなかったよな」
「女の子には色々あるのよぉ」
「ごまかさないでくださいよ」
魚を返していたエディンの手が、一度だけ止まった。
「アルドちゃん。知らなくていいことって、あるのよ」
「俺たちに関係あるんです?」
「今は、ないわ」
「今は?」
「そう。今は」
アルドは少し目を細めた。
「それ、いつかは関係あるって意味に聞こえますけど」
「うふふ。アルドちゃん、鋭くなったわねぇ」
「笑いごとじゃないでしょ」
「笑ってないと、怖いでしょう?」
エディンは焼けた魚を火から外した。
「おねぇさんが何者でも、今ここにいるのは第一部隊のエディンよぉ」
「そこは信じていいんですよね」
「そこを疑われたら、少し傷ついちゃうわぁ」
アルドはしばらくエディンを見ていたが、それ以上は踏み込まなかった。
「……分かりました。今は聞きません」
「あら、引くの?」
「今は、です」
「今は、ねぇ」
「はい。今は」
エディンがくすりと笑う。
「アルドちゃんも、そういう言い方を覚えたのねぇ」
「副隊長がうるさいんですよ」
「レイスちゃん、いい先生だわぁ」
二人はまた対岸へ目を向けた。町の灯りは変わらず、まだ合図も上がっていない。
◇
三つ首の虎は、泥へ沈んだ脚を力任せに引き抜かなかった。一度重心をずらし、沈んでいない脚へ体重を逃がしてから一足ずつ抜いていく。
「学んでる」
セレスの声に、レイスもすぐ頷く。
「ああ」
正面の頭はゴードを、右はルカを、左は屋根の上のノルを追ったまま、背に並んだ骨の一本が乾いた音を立てて割れた。
「来る」
砕けた骨片が宙で止まり、一斉にノルへ向く。
「ちっ」
ノルが隣の屋根へ跳ぶと、直前まで伏せていた瓦へ骨片が降り注いだ。着地と同時にケースを交換し、今度は毒を込めた弾丸を脇腹の傷へ三方向から曲げていく。一発は届く寸前、骨鎖の尾に弾かれた。残る二発も外皮を浅く削るだけに終わる。
「は? 私の弾を弾いた?」
「見てから弾いた」
レイスが答えた時、左の頭の喉奥で黄色い光が膨らんだ。
「雷!」
地面を這った雷が折れ曲がりながらルカを追う。
「うわっ!」
ルカは跳んだが、雷も着地点へ向きを変えた。その間へセレスが土を盛り上げる。即席の泥壁へ雷が食い込み、弾けた泥がルカの頬まで飛んだ。
「助かりました!」
「どういたしまして!」
正面の頭では、今度は赤い光が口内へ膨らんでいる。
「火まで使うのか!」
「水流参式 護水壁!」
ルシアンの水壁へレイスも水を重ねた。吐き出された焔が水とぶつかり、白い蒸気が一気に視界を覆う。その白の中から夜骸が飛び出した。待ち構えていたゴードが大盾で突進を受ける。先ほど以上の衝撃に足が半歩、一歩と石畳を削ったが、二歩目へ入る前に踵を噛ませて止まった。
「ゴードさん!」
ルカの声が飛ぶ。
「まだだ」
正面の頭が盾の上から噛みつこうとし、右の頭が側面へ回る。左の口にはすでに次の雷が集まり始めていた。
「三つ同時は反則じゃないですか!」
ルカが双銃を撃ちながら右の頭の視界へ入り、注意を奪う。その瞬間に正面からの圧が弱まり、セレスが低く踏み込んだ。狙うのは先ほど傷を入れた前脚だった。足首を裂き、膝裏へ刃を入れ、さらに同じ傷へ短剣を滑らせる。
「水地弐式 泥衣!」
開いた傷へ泥が入り込み、脚が大きく沈んだ。
「セレス、深い!」
「分かってる!」
退こうとしたセレスへ、左の頭が向いた。雷が放たれるより早くゴードが大盾を差し入れ、黄色い光を受け止める。金属が甲高く鳴り、衝撃を受けた左腕が大きく跳ねた。
「ゴードさん!」
「問題ない」
いつもと変わらない声に反して、盾を支える腕は僅かに震えている。ルシアンが一歩寄る。
「腕、見せてください」
「後でいい」
「後じゃなくて今見せてください」
「戦闘中だ」
「だから今」
ゴードは左腕を一度曲げ伸ばしした。
「動く」
「無理はしないでください」
「分かった」
夜骸は追撃せず、いったん距離を取った。逃げたのではない。三つの頭が、改めて六人の配置を見ている。誰が止めるか。誰が撃つか。
誰が足を奪い、誰が傷を塞ぐか。
「ルシアン」
「うん」
「合図はまだだ」
魔法具へ触れかけていた指が止まる。
「……分かってる」
ここで二人を呼べば、あの夜骸は逃げるかもしれない。そして次は別の夜、別の場所を選ぶ可能性がある。分かっていても、傷ついた仲間を目の前にして待つのは気分のいいものではなかった。
「……嫌な作戦」
「俺もそう思う。だが、通す」
レイスは夜骸から目を離さない。屋根の上では、ノルも翠穿を構え直していた。
「毒、効いてない」
「全くか」
「掠ってはいる。でも鈍らない。雷も表面で弾けるだけ」
「なら物理で通すしかない」
「簡単に言う」
「簡単だとは言ってない」
レイスは夜骸の足元を見た。
「ノル。三牙穿は」
「威力が強すぎて導弾で制御できない。動かなければ当てる」
「動かさない」
「なら通す」
「セレス」
「私だね」
「完全に止める必要がある。三秒」
「長い」
「二秒でもいい」
「それでも長い」
「できるか」
セレスは夜骸の前脚と足元、それから町を走る水路へ目を向けた。
「やる」
ルカが傷ついた肩を押さえながら前へ出る。
「じゃあ、僕が走ります」
「深追いするなと言った」
「深追いじゃないです。誘導です」
「同じことを別名で呼ぶな」
「違いますよ。たぶん」
「たぶんで動くな」
ノルが屋根から言った。
「死ぬなら邪魔にならない場所で死んで」
「ノルさん、応援が独特すぎます」
「応援じゃない」
「じゃあ何ですか」
「命令」
「もっと嫌です」
三つ首の虎が再び身を沈めたところで、レイスが手を上げた。
「ルカ」
「はい!」
ルカが右へ走る。双銃を撃ちながら夜骸の視界の端を横切ると、右の頭がすぐに追った。牙を低く滑って避けた頭上を骨鎖が通過し、ルカはそのまま町から離れる方向へ駆ける。
「こっちですよ!」
レイスの水が夜骸の足元へ入り、セレスが魔力を重ねた。
「水地弐式 泥衣!」
脚へ絡んだ泥を見て、夜骸は先ほどと同じように重心を移そうとする。セレスはそれを待っていた。
「そっちに逃げると思った」
投げた短剣が、すでに裂いていた前脚の傷へ突き刺さる。
「水地参式 泥蓮陣!」
地面の泥と傷の内側へ入り込んでいた泥が同時に重くなり、逃がそうとした重心ごと前脚を引いた。三つ首の虎が吠え、正面の口から焔を吐く。
「ルシアン!」
「水流参式 護水壁!」
水壁が焔を受け止め、蒸気で視界が白く濁る。それでもセレスは下がらず、水路から引いた水を石畳の隙間へ通した。
「セレス、下がれ!」
「まだ!」
水と土が夜骸の四肢へ食い込む。
「水地参式 泥蓮陣!」
暴れる巨体の左から雷が吐き出されるが、ルシアンの風槍が口元を弾き、軌道を屋根の端へ逸らした。ノルはその間も動かない。三つの銃口を正面の頭へ合わせ、ただ待っている。
「まだ?」
「まだ!」
右脚が泥を破りかけたところへルカが飛び込み、短剣と蹴り、至近距離の銃撃を続けて右の頭を引きつける。正面ではゴードが大盾を押し込み、痺れの残る左腕まで添えた。
「止まれ」
最後にセレスが魔力を流し込んだ。
「今!」
巨体が止まる。ほんの一瞬だった。それで足りた。
「旋風参式 三牙穿」
三つの銃口が同時に火を噴いた。放たれた三発は散らず、風によって互いへ寄りながら一本の軌跡となる。逃れようにも脚は泥に捕らわれ、右の頭はルカを追い、正面はゴードに押さえられていた。三牙穿が正面の頭の眉間を貫いた。骨が砕け、衝撃が奥へ抜ける。
正面の頭が弾けた。だが、夜骸は倒れない。残った二つの頭が咆哮し、四肢で泥を引き裂きながら骨鎖を振り回す。
「まだ倒れない!」
「核が別だ!」
三つの首が集まる胸の奥に、濁った魔力が残っていた。
「ノル、もう一度」
「無理。熱い」
翠穿の銃身から熱が立っている。
「ルカ」
「行きます!」
「待て!」
レイスが止めるより早く、ルカは夜骸の胸元へ走った。右の頭の牙を外し、左から走った雷はルシアンの水壁に任せる。双銃を手放して短剣を両手で握ったところへ、横から骨鎖が迫った。
「ルカ!」
セレスが間へ入った。短剣で受けた骨鎖の力に身体ごと弾き飛ばされる。それでも軌道はずれ、ルカの頭へ向かっていた一撃は肩口を裂くに留まった。
「セレスさん!」
「前見て!」
ルカは胸元の濁りへ短剣を突き立てる。
「固っ……!」
刃が外皮で止まった。そこへレイスの水と雷が走り、短剣を伝って傷を押し広げる。
「雷流参式 雷鎖!」
黒い濁りが僅かに覗いた。
「ルシアン!」
「旋風弐式 風槍!」
風が同じ場所を穿ち、倒れたセレスも手を伸ばす。
「水地弐式 泥衣!」
泥が開いた傷へ入り込み、胸の奥を押し広げる。黒い核が露出した。ノルは熱を持った翠穿を膝立ちで構えた。
「壊れたら親父さんに怒られる」
新しいケースを叩き込む。
「でも、今じゃないと無理」
今度は軌道を曲げる必要もない。狙いは近く、開いている。引き金を引いた。三発が黒い核へ食い込む。核が割れた。
残った二つの頭が空を仰ぎ、背の骨がぼろぼろと崩れていく。黒い肉も内側から形を失い、骨鎖の尾が地面へ落ちた。
「下がれ!」
六人が一斉に距離を取る。巨体は町の入口の手前へ崩れ、石畳と土を揺らした。しばらくして、ルカがその場へ座り込む。
「……倒しました?」
「倒した」
「痛いです」
「今さら?」
屋根から降りてきたノルが言った。
「今さらです。緊張してたんです」
「知ってる」
「知ってるなら優しくしてください」
「無理」
ルシアンはもうルカの前へしゃがみ込んでいた。
「肩、見せて」
「浅いです」
「浅くても見せて」
「はい」
傷は骨まで届いていないが、出血は多い。
「水流弐式 清癒膜」
薄い水の膜を重ねてから、すぐセレスへ向き直る。
「セレスも見せて」
「私は平気」
「平気じゃない」
セレスは口を閉じた。骨鎖を受けた腕と肩にはすでに痛みが出ている。脇腹にも傷が残っていた。
「ゴードも」
「動く」
「それは返事じゃない。腕見せて」
「……分かった」
素直に差し出された左腕を確認する横で、ノルは熱を持った翠穿を見下ろしていた。
「熱い」
「壊れたか」
「まだ分からない。親父さんに怒られるかも」
「命より安い」
「それはそう」
レイスは崩れていく夜骸へ目を戻す。三つの頭、複数の骸技、毒の効きにくさ、弾丸への反応。そしてアルドとエディンの不在を選んだこと。留帳へ「中級一体」と書いて終わらせられる相手ではない。
「レイス」
治療を続けながらルシアンが呼ぶ。
「何だ」
「合図、出すね」
「ああ。出せ」
ルシアンが魔法具を空へ向けた。淡い光が夜空へ昇り、湖の向こうへ細く伸びた。
◇
「あら」
先に光へ気づいたエディンが顔を上げた。アルドもすぐに立ち上がる。
「行く」
「ええ」
エディンが焚き火へ土をかける間に、アルドは剣を掴んだ。そのまま二人で湖畔の道を走る。分かっていた距離のはずなのに、合図が上がってからは妙に遠く感じた。
「アルドちゃん」
「何です?」
「焦ると転ぶわよぉ」
「焦ってません」
「拗ねてる時と焦ってる時、返事が似てるわぁ」
「今その話するんです?」
「するわよぉ。戻った時に怖い顔してたら、ルシアンちゃんが困っちゃうもの」
アルドは何も返さず、足だけを速めた。町の灯りが近づき、天祈像のある広場を抜けて北東へ向かう。町外れへ着いたところで、アルドの足が止まった。夜骸はもう倒れていた。崩れ始めた黒い巨体の周囲に、六人がいる。
ルカは肩へ布を巻かれて座り、セレスも片腕を押さえていた。ゴードの大盾は焦げて歪み、左腕には治療布が巻かれている。ノルは翠穿を抱え、ルシアンは傷を見て回っていた。レイスは夜骸の残骸の前に立っている。全員、傷を負っていた。
全員、生きていた。アルドは張っていた息を吐く。
「レイス」
「倒した」
「合図を出さなかったな」
「ああ」
「理由は?」
「こいつは俺たちが来てから一度も姿を見せなかった。だが、お前とエディンが離れた途端に出てきた。二人を呼べば逃げる可能性が高かった」
「だから六人でやったのか」
「そうだ」
アルドは傷だらけの仲間をもう一度見回した。
「無茶だ」
「無茶だった。だが、倒した」
座ったままルカが手を上げる。
「倒しました」
「お前、肩」
「浅いです」
「浅くない」
治療中のルシアンが即座に訂正した。
「浅くないそうです」
「馬鹿」
「誰にですか?」
「全員にだよ」
「ひどいです」
ノルが翠穿を抱えたまま、崩れる夜骸へ顎を向ける。
「馬鹿はこいつ。二人がいなければ私達に勝てると思ってた」
レイスも残骸を見た。
「だから倒した」
エディンは夜骸へ近づき、形の残る部分を見回した。
「……ずいぶん綺麗な形をしていたのねぇ」
「普通の中級とは違いましたよ」
セレスが答える。
「骨、雷、焔、風。複数の骸技を使ってた。毒も効きにくかった」
「こっちの動きも読んでた」
ルシアンが治療の手を止めずに続ける。
「誰が防いで、誰が動いて、誰が撃つのか。見てたと思う」
「知性があるってことか」
アルドの問いに、レイスが頷く。
「少なくとも、そう判断するべきだ。ローグ様に報告する」
◇
夜骸の処理と町長への説明を終える頃には、夜も深くなっていた。住民たちは家から恐る恐る外を覗き、天祈像の前へ祈りに来る者もいる。三つ首の夜骸は倒した。それでも、天祈像のある町に夜骸が現れた事実まで消えたわけではない。第一部隊は短く休んだあと、町長が用意してくれた馬車で王都へ戻ることにした。
帰路ではルカが肩を押さえながらうとうとし、セレスはその隣で腕を冷やしていた。ノルは翠穿を抱えたまま目を閉じ、ゴードは荷物が揺れないよう片手を添えている。ルシアンは時折仲間の傷を確かめ、レイスは揺れる馬車の中でも留帳へ記録を続けた。アルドは前を見ていた。エディンも今は何も言わなかった。
◇
朝日が王都の白い塔を照らす頃、第一部隊は本部へ戻った。ルシアン、ルカ、ノル、セレス、ゴード、エディンはそのまま医務室へ向かい、アルドとレイスだけが総隊長室へ進む。扉の前でアルドが一度息を吐くと、レイスは留帳を抱えたまま先に手を上げた。
「行くぞ」
「ああ」
扉を叩く。
「入れ」
総隊長室では、ローグレスがすでに机へ向かっていた。その脇ではジークが署名済みと未処理の書類を分け、必要な紙をすぐに渡せるよう整えている。
「戻ったか」
「はい、ローグさん」
レイスが一歩前へ出る。
「キレイナ町で確認された夜骸について、報告いたします。ローグ様」
「ああ。まず、負傷者は」
「命に関わる者はいません。ルカが肩に裂傷。セレスが打撲と擦過傷。ゴードが左腕に痺れ。ノルは大きな外傷なし。ただし、翠穿に負荷が出ています。ルシアンは軽傷です。エディンは問題ありません」
「アルド」
「俺も問題ありません」
ローグレスはアルドの顔を見た。
「顔は問題なさそうに見えないがな」
「怪我はしてません」
「そうか。続けろ」
レイスが留帳を開く。
「キレイナ町北東の林付近にて、報告通り三つ首の虎型夜骸を確認。大きさ、魔力濁度、骸技の使用から中級と判断しました。ただし通常の中級とは異なる点が複数あります」
「異なる点」
「まず形状です。複数の獣が継ぎ合わされたような歪みが薄く、虎型としての形が明確でした。さらに骨片の射出、雷、焔、風。少なくとも四種の骸技を使用しました」
ジークの手が一度だけ止まり、すぐに新しい記録用紙が机の端へ置かれる。
「四種だと」
「はい」
「見間違いではないな」
「ありません」
ローグレスの視線がアルドへ移った。
「お前は直接戦ったのか」
「いいえ。俺とエディンはレイスの作戦で町から離れていました。戦闘時はその場にいません」
「では戦ったのは」
「レイス、ルシアン、ルカ、ノル、セレス、ゴードの六人です」
「なぜ二人を離した」
レイスは留帳を閉じずに答える。
「俺たちがキレイナ町へ到着して以降、夜骸は一度も姿を見せませんでした。ですがアルドとエディンを町から離した夜にだけ現れました。そのため、二人を避けていた可能性が高いと判断しました」
「合図は」
「ルシアンが出すべきか確認しましたが、俺が止めました。二人を呼べば逃げる可能性があったためです」
「結果は」
「六人で討伐しました」
「無茶をしたな」
「しました。ですが、倒しました」
ローグレスは数秒レイスを見たあと、続きを促した。
「戦闘中の動きは」
「こちらの役割を読んでいました。防御役、誘導役、射撃位置、治療役。全てではありませんが、見分けていたと判断します」
「可能性ではなく、お前の判断を言え」
「読んでいました」
総隊長室の空気が重くなる。
「ノルの弾は」
「避けられました。毒は効きが悪く、雷荷も動きを止めるほどではありません。三発のうち一発を尾で弾かれた場面もあります」
「見てからか」
「はい」
ローグレスは机へ両手を置いた。
「もう一度確認する。その夜骸は、アルドとエディンが町を離れた夜にだけ出た。それ以前、第一部隊全員が町にいた間は一度も出ず、二人が離れた後に残った六人の前へ現れた。戦闘中はこちらの動きを読んでいた」
「はい」
「お前は、その夜骸に知性があったと判断するか」
レイスは迷わなかった。
「判断します」
「どの程度だ」
「人のように会話する知性ではありません。ただ、敵味方の戦力差を見て出るタイミングを選び、戦闘中にこちらの役割を把握する程度の判断力はありました」
「中級で、か」
「中級で、です」
ローグレスはすぐには答えなかった。アルドの脳裏には、キレイナ町の中央に立っていた白い天祈像と、その前で祈っていた住民たちが浮かぶ。
「天祈像のある町で、中級が出た」
ローグレスの声が低くなる。
「しかも、こちらを見て、選んで、避けて、戦った」
机の脇でジークは、すでに別の書類を用意していた。ローグレスがそれを取る。
「分かった。獣章会議を開く」
「この前、開いたばかりですよ」
「それでもだ。これは危険すぎる」
ローグレスは書類へ目を落とす。
「ジーク。各隊長への通達準備を」
「承知しました」
「第一部隊は医務室で処置を受けろ。その後、休め。レイスは報告書をまとめて提出。アルド」
「はい」
「お前も休め」
「俺は怪我してません」
「顔が休んでいない」
アルドが言葉に詰まったところへ、レイスが横から口を挟む。
「休め」
「お前まで」
「隊長の扱いに慣れている」
「それ、何回言うんだよ」
ローグレスの目元が僅かに緩んだ。
「ご苦労だった」
二人は頭を下げ、総隊長室を出る。扉が閉まる頃には、ローグレスはもう招集文書へ目を通し、ジークも次の書類を揃え始めていた。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。




