天祈像の町
王都討祓軍本部の執務室には、朝の光が斜めに差し込んでいた。机の上には数枚の報告書が重ねられている。その一番上に記された地名を見て、アルドは眉を動かした。
「キレイナ町?」
聞き慣れない名ではない。王都から馬で半日ほど。大きな湖を抱え、魚や野鳥、果実、香草に恵まれた町で、湖畔料理を目当てに王都から足を運ぶ者も多い。その名が、夜骸の報告書に載っていた。
「昨夜、キレイナ町の外れで夜骸らしき影が確認された」
ローグレスの言葉に、レイスが報告書の写しへ目を落とす。
「らしき、ですか」
「ああ。確認したのは町の住民が数名。夜間、町の北東にある林付近で虎に似た影を見たと報告している。頭が三つあったそうだ」
「虎で、三つ首」
アルドが小さく呟いた。
「低級か中級かは現時点で断定できない。ただ、報告内容だけで見れば中級の可能性が高い」
「キレイナ町で、ですか」
レイスの声が僅かに低くなる。
「そこが問題だ」
ローグレスは報告書の端を指で押さえた。
「キレイナ町には天祈像がある。少なくとも記録上、あの町では長く大きな夜骸被害が出ていない」
「夜骸を寄せ付けにくい町、でしたね」
「そう言われている」
ローグレスは断言しなかった。天祈像へ祈れば夜の災いから守られる。キレイナ町では長くそう信じられており、実際に大きな被害が少なかったという記録も残っている。だが討祓軍にとって、信じられていることと確認された事実は同じではない。
「第一部隊を出す。現地で町長から詳しい話を聞け。夜骸が確認できれば討伐、確認できなければ数日警戒して周辺の痕跡を調べろ」
「了解しました」
アルドが頷くと、レイスは報告書を閉じた。
「国軍は?」
「昼のうちに周辺確認と避難経路の整備を行う。ただ、町そのものを空にする段階ではない。観光客は一時的に町外へ出しているが、住民全員の避難は町長が渋っている」
「観光地ですからね」
「それもある。だが、天祈像のある町で大きく騒ぎすぎれば、周辺の信仰にも影響が出る」
祈る場所があることで夜を越えてきた者もいる。その支えまで不用意に崩すわけにはいかない。
「アルド」
「はい」
「町を楽しみにするのは構わない」
「まだ何も言ってませんけど」
「顔に出ている」
「出てます?」
アルドがレイスを見る。
「出ている」
「お前まで即答するなよ」
ローグレスの目元が僅かに緩んだ。
「だが任務だ。油断はするな」
アルドも表情を戻す。
「分かってます」
「レイス」
「はい」
「違和感があれば、すぐに報告しろ。今回の件は単なる夜骸出現で済ませない方がいい」
「承知しました」
「行け」
二人は揃って頭を下げ、執務室を出た。
◇
隊舎へ戻ると、第一部隊の面々はすでに食堂へ集まっていた。ルカは椅子の背へ腕を乗せ、ノルは卓の端で銃を手入れしている。セレスは短剣を磨き、ゴードは荷袋の中身を黙々と確かめていた。ルシアンは救急用の布と薬瓶を並べ、エディンだけは少し離れた席で優雅に茶を飲んでいる。
「任務ですか?」
ルカが顔を上げた。
「ああ。キレイナ町だ」
その瞬間、ルカの目が明るくなる。
「キレイナ町って、湖の町ですよね?」
「観光地」
ノルが銃身を拭きながら言った。
「魚が美味しいところだよね。湖畔の焼き魚と香草煮込みが有名だったはず」
ルシアンも少し声を弾ませる。
「ルシアンさん、詳しいですね」
「前にミナが話してたの。いつか行ってみたいねって」
「おねぇさんも聞いたことあるわぁ。湖面に映る夕日が綺麗なんですって」
エディンが頬へ手を添えると、セレスも短剣を鞘へ収めた。
「市場も有名だよ。湖で採れる貝とか干し魚とか、果物もあるって」
「え、詳しいですね、セレスさん」
「料理に使えそうなものは覚えてる」
「さすがです」
ルカが素直に感心する。夜骸がいるなら、着いたその夜から戦うことになる。それでも行ってみたかった町の名前を聞けば、多少声が弾むくらいはいい。
「うしっ、行くか」
◇
王都を出てしばらくすると、街道は緩やかに下り始めた。両側には畑と低い林が続き、木々の切れ間から時折、水面らしき光が覗く。王都から近いだけあって道はよく整えられ、行き交う荷馬車の轍も多かった。
「観光地ってことは、宿も多いんですかね」
ルカが馬上から尋ねる。
「多いだろうな。宿場町でもある」
レイスが答えた。
「なら、ご飯も期待できますね」
「任務だぞ」
「分かってます。でも、夜骸が出るまで何も食べないわけじゃないじゃないですか」
「言い方」
ノルがぼそりと返す。
「ノルさんだって、名物料理が出たら食べますよね?」
「食べるけど、浮かれない」
「今ちょっと浮かれてません?」
「撃つよ」
「怖いです」
ルカが肩をすくめた横で、セレスは街道の先へ目を向けていた。
「湖の町なら、水路とか湿地とか、地面の柔らかい場所は見ておいた方がいいね。町の人の方が詳しいだろうけど」
「お前は本当に真面目だな」
アルドが笑う。
「任務で行くんだから当然でしょ」
「いや、いいことだ」
ルシアンも笑った。
「セレスが見てくれるなら安心だね」
「うん。あと、市場も見る」
「それも任務?」
「半分」
「半分なんだ」
ルシアンの笑い声へ、エディンが横から混ざる。
「湖畔の町ねぇ。夜じゃなければ、デートにも良さそうだわぁ」
アルドが咳払いした。
「任務中ですからね」
「あらぁ、アルドちゃん。おねぇさん、誰と誰がなんて言ってないわよぉ」
「今の流れで俺を見る必要ありました?」
「うふふ」
ルシアンが少しだけ頬を赤くして馬の首筋を撫でる。レイスは見なかったことにし、何か言おうとしたルカはセレスに肘で小突かれて口を閉じた。ノルだけは一部始終を見ていたが、珍しく何も言わない。
「何だよ、ノル」
「別に」
「その顔で別にはないだろ」
「前見たら?」
「はいはい」
ゴードはそんなやり取りには加わらず、時折後方へ目を向けながら馬を進めていた。夕方が近づいた頃、街道の先が大きく開ける。
「おお……」
ルカが思わず声を漏らした。西へ傾いた陽を受け、大きな湖が淡い金色に光っている。湖畔では葦が風に揺れ、白い鳥が水面すれすれを飛び、その向こうには宿屋の看板や料理店の煙突が並んでいた。町の入口に立つ案内板には、二つの言葉が刻まれている。キレイナ町。
湖と祈りの町。
「……綺麗」
ルシアンが呟いた。
「ああ」
アルドも湖を見た。聞いていた通りの町だった。その町の外れに、三つ首の影が出たという。
◇
町長は中央広場で第一部隊を迎えた。丸い体つきの初老の男で、額の汗を拭いながら何度も頭を下げている。
「黒豹の皆様、遠いところをよくお越しくださいました」
「第一部隊隊長のアルドです。こっちは副隊長のレイス。詳しい話を聞かせてください」
「はい、はい。もちろんです」
広場にはまだ住民の姿があった。店は半分ほど閉まっているものの、遠巻きに黒豹を見る者は多く、逆に観光客らしい姿だけがほとんど消えている。その広場の中央に、白に近い淡い石で造られた女性の像が立っていた。両手を胸の前で重ね、静かに湖の方角を向いている。足元には新しい花と萎れかけた花が混じって供えられ、通り過ぎる住民の中には像の前で胸元へ手を添える者もいた。
「これが天祈像か」
アルドが足を止める。
「はい。この町で昔から祈りを捧げてきた天祈像でございます」
町長は像を見上げた。先ほどまで不安に曇っていた顔に、一瞬だけ誇らしさが戻る。
「皆、この像に見守られて暮らしてきました。この町で長く大きな夜骸被害が出なかったのも、天祈像のお力だと信じております」
「そうか」
アルドも改めて像を見上げた。誰を象ったものなのか、なぜここに建っているのかまでは分からない。今は、それを確かめるために来たわけでもなかった。
「ですが……」
町長の声が沈む。
「出たんですね」
アルドが言うと、町長は頷いた。
「三日前の夜です。北東の林のそばで見回りをしていた者が見ました。虎のような姿だったと。ですが普通の獣ではありません。頭が三つあり、月明かりの下で骨のようなものが背に浮いていたと」
レイスがすぐに問いを重ねる。
「大きさは」
「人よりはるかに大きかったそうです。低級か中級か、私どもには分かりません。ただ、見た者は皆、あれは夜骸だと言っています」
「接触は?」
「ありません。近づく前に林の奥へ消えたと」
「被害は」
「今のところ、人も家畜も無事です。ただ……見た者が一人ではないのです。三人が別々の日に同じような影を見ています。皆、三つの頭の虎だったと」
レイスの目が細くなる。
「三日続けて目撃だけ。襲ってこない」
「……はい」
湖から吹く風に、料理店の匂いが混じっていた。美しい町も、その端に夜骸がいるかもしれないというだけで日暮れを待つ顔は硬くなる。
「今夜から警戒します」
アルドが町長へ向き直った。
「町の人には、日没後は絶対に外へ出ないよう伝えてください。見回りもこっちでやります」
「お願いいたします」
町長は深く頭を下げ、そのまま天祈像の前へ進んだ。
「皆様も、よろしければ祈りを」
アルドがレイスを見ると、レイスは何も言わず頷いた。第一部隊も住民たちと並ぶ。町長が白き天への短い祈りを唱え、周囲の者がそれに続いた。ルシアンとセレスは静かに目を閉じ、ゴードも頭を下げる。ノルは翠穿を下ろし、少し居心地悪そうにしながらもその場を離れない。周囲を見ていたルカもやがて目を伏せ、エディンは穏やかに微笑んでいた。
アルドも湖へ一度だけ目を向けてから、皆と同じように頭を下げた。
◇
その夜、夜骸は現れなかった。第一部隊は町の北東にある林を中心に、町へ繋がる道や湖側の路地まで警戒した。アルドとレイスが林の奥を確認する間、ルカは屋根伝いに町外れを見回り、ノルは宿屋の屋根から林へ射線を通す。ルシアンとセレスは広場付近で住民の避難導線を確認し、ゴードは町外れの道を押さえた。エディンは湖側の細い路地を歩きながら、昼間には気づかなかった抜け道や建物の隙間まで見て回っている。
夜が深くなっても、林から聞こえるのは虫と獣の音だけだった。
「見間違い、ですかね」
夜明け前、戻ってきたルカが声を落とす。
「三人が同じものを見間違えるなら、それはそれで問題だ」
レイスが返した。
「ですよね」
「アルド、林の奥は」
「痕跡らしいものはない。普通の獣の足跡はいくつかあったが、夜骸のものとは言い切れない」
「ノル」
「見えない。少なくとも今夜は動いてない」
屋根の上からノルの声が落ちる。ルシアンは閉ざされた家々へ目を向けた。
「このまま何もなければ、それが一番なんだけどね」
「そうだな」
アルドは頷いた。レイスだけは、しばらく林から目を離さなかった。
◇
翌朝、町長は納得しなかった。
「そんなはずはありません。見た者は皆、確かに見たと言っております」
「否定はしていません」
レイスが落ち着いた声で返す。
「昨夜は現れなかったという報告です。今後も警戒は継続します」
「お願いいたします。どうか、どうかお願いします。あのようなものが町のそばにいると知れれば旅人は来なくなります。ですが、隠したまま被害が出れば、それこそ町は終わりです」
宿も市場も湖の仕事も、この町では一続きの暮らしだった。人が来なくなれば困る。だからといって危険を隠し、誰かが襲われれば、それまで築いてきた信用まで失う。
「数日、宿に泊まって警戒します」
アルドが言った。
「その間、町の人には夜間外出禁止を徹底してください。昼は普段通りで構いませんが、町外れには近づかないように」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
町長は何度も頭を下げた。こうして第一部隊は、キレイナ町へ留まることになった。
◇
昼のキレイナ町は、夜の緊張が嘘のように明るかった。観光客は減っていても、市場には魚が並び、料理店からは焼いた魚と香草の匂いが流れてくる。果実を煮る甘い匂いも湖から吹く風に混じっていた。警戒を続けるなら、町の地形を知っておく必要がある。第一部隊は三組に分かれた。
アルドとルシアンは湖畔。ルカ、ノル、エディンは市場。レイス、ゴード、セレスは水路と町外れを確認する。
「完全に観光では?」
ルカが言った。
「地形確認だ」
レイスが即答する。
「市場も?」
「人の流れを見る必要がある」
「湖畔の料理屋は?」
「避難時に人が集まりやすい場所の確認だ」
「じゃあ、食べても?」
「ほどほどにしろ」
「やった」
「今の許可なの?」
セレスが呆れたように見ると、エディンが楽しそうに笑った。
「レイスちゃんも、たまには素直に楽しめばいいのにねぇ」
「楽しんでますよ」
「あらぁ。顔が任務中よぉ」
「任務中ですからね」
「やっぱり楽しんでないじゃない」
「めんどくさい」
ノルが言った。
「ノルさん、誰に言ったんですか?」
「全員」
「雑ですね」
そのやり取りを背に、アルドはルシアンと湖畔へ向かった。岸近くの水は底が見えるほど澄み、小さな魚の群れが足元から離れていく。少し沖では白い鳥が水面へ降り、羽を濡らしてから再び飛び立った。ルシアンが足を止める。
「綺麗だね」
「ああ」
「任務じゃなかったら、もっとよかったのに」
「終わったら、また来ればいい」
アルドが何気なく答えると、ルシアンは少しだけ目を丸くした。それから柔らかく笑う。
「うん。そうだね」
二人はそのまま湖畔を歩いた。市場では、ルカが早速串焼きを手にしている。
「ノルさん、これ美味しいですよ」
「食べながら喋るな」
「食べます?」
「食べる」
「素直」
「うるさい」
ノルは差し出された串を受け取り、一口齧った。
「……悪くない」
「かなり気に入ってる顔ですね」
「撃つよ」
「そればっかりじゃないですか」
その後ろでは、エディンが店主と楽しげに話していた。魚の干物や香草、湖で採れる貝の話を聞きながら、いつの間にか町外れへ続く道や夜の見回りについてまで話が移っている。店主自身も、どこから質問に変わったのか気づいていないようだった。
「いつかここにみんなで住めたらいいですね」
ルカが串を片手に言った。
「気が早い」
ノルはそう返したが、それ以上は否定しなかった。エディンも湖へ目を向ける。
「それも悪くないわねぇ」
一方、町の反対側ではセレスが水路へしゃがみ込んでいた。
「この水路、湖から引いてるんだね。流れが緩い。夜に足場を作るなら、こっち側は使えるかも」
「水地系の魔法は?」
レイスが訊く。
「使える。ただ、石畳が多いから畑みたいには沈ませにくいと思う。泥を作るなら湖畔側の土の方がいい」
「覚えておく」
ゴードは水ではなく道幅を見ていた。
「ここは狭い」
「盾で塞げます?」
「塞げる」
「なら避難路としては逆に危ないな。人が詰まる」
レイスが留帳へ書き込んでいると、セレスが顔を上げた。
「レイス」
「何だ」
「夜骸、本当にいると思う?」
手が一度止まる。
「いると思う」
「理由は?」
「見た者が複数いる。町長が隠すより先に討祓軍へ報せている。虚報にしては町に不利益が大きい」
「じゃあ、なんで出ないのかな」
レイスは水路の先へ目を向けた。
「それを考えている」
◇
二日目の夜も、夜骸は現れなかった。三日目も、四日目も同じだった。林の奥、湖の対岸、町外れの道、古い倉庫、葦の茂み。警戒範囲を広げ、昼には痕跡を探し、目撃者からも改めて話を聞いたが、三つ首の虎は見つからない。見た三人は、何度聞かれても同じことを答えた。
一方で姿を見ていない住民は、夜になるたび天祈像の前へ寄るようになった。宿屋の主人は客室をどこまで開けるか悩み、昼には湖へ行きたがる子供を親が止める。町長の顔色も、日ごとに悪くなっていった。五日目の昼。宿の一室でレイスが地図を広げると、全員がその周囲へ集まった。赤く印を付けた目撃地点は、すべて町の北東に偏っている。
「出ないな」
アルドが言った。
「出ない」
「見間違いの線は?」
「消していない。だが、可能性は低い」
「なら何だ」
レイスは目撃地点の一つへ指を置いた。
「俺たちが来てから、出ていない」
「そりゃ、俺たちが来たから警戒してるんだろ」
「夜骸が、か?」
アルドの口が止まった。ルカも眉を寄せる。
「夜骸が警戒してるってことですか?」
「仮定だ」
「夜骸にそんな判断ができますか?」
ルシアンが訊いた。
「変なことを言ってるのは分かっている。ただ、最近の中級は連携を取ってくる奴もいた。今回の個体が本当に俺たちを避けているなら、ただの反応ではない」
エディンが地図を覗き込む。
「それで、レイスちゃんはどうするつもり?」
レイスは地図から顔を上げた。
「アルドとエディンには、今夜、町から離れてもらう」
「は?」
「あら。おねぇさんも?」
「はい」
エディンは少し驚いたあと、すぐに楽しそうな笑みに戻った。
「仲間外れかしらぁ」
「作戦です」
「理由は?」
「今は言えません」
アルドの眉が寄る。
「俺にも?」
「今は言えない」
「お前、俺が隊長って忘れてないか」
「忘れていない。だから命令じゃなく、作戦として頼んでる」
「余計に腹立つな」
「腹を立ててもいい。町から離れろ」
声は静かだったが、引く気はなかった。ルシアンが二人の間を見る。
「レイス、危険は?」
「ある。ただ、二人が町にいる限り何も分からない可能性が高い」
「合図は?」
アルドが訊いた。
「出す。必要になれば、ルシアンに上げてもらう」
「必要になればってことは、出さない可能性もあるな」
「ある」
しばらく二人は睨み合った。先に息を吐いたのはアルドだった。
「分かったよ」
ルカが目を丸くする。
「いいんですか?」
「レイスがここまで言う時は、だいたい何か掴んでる」
「だいたい?」
「たまに性格が悪いだけの時もある」
「否定はしない」
「しろよ」
「めんどくさ」
ノルが呟く。
「ノル、お前最近そればっかだな」
「便利だから」
セレスは地図を見たまま口を挟んだ。
「湖の向こう側なら、町から距離は取れるね。焚き火は?」
「目立ちすぎない範囲なら構わない」
エディンが頬へ手を添える。
「アルドちゃんと二人で湖畔キャンプねぇ。ルシアンちゃんに怒られないかしらぁ」
ルシアンは少し困ったように笑った。
「怒りませんよ。でも、二人とも怪我はしないでくださいね」
「あらぁ、ルシアンちゃんは可愛いわねぇ」
「特にエディン。無茶しないでね」
「はぁい」
アルドはまだ納得しきれていない顔でレイスを見る。
「合図があったらすぐ戻る」
「ああ」
「本当に危ないと思ったら、合図前でも戻るからな」
「それは困る」
「困ってろ」
「なら、合図があるまでは戻るな。いいな」
アルドは舌打ちした。
「副隊長様は命令が上手いな」
「隊長の扱いに慣れてる」
「慣れんな」
◇
夕方、アルドとエディンは湖の向こう側へ向かった。町から湖畔を大きく回った先にある小さな草地で、町の灯りは見えるが十分に距離がある。合図が上がれば気づける場所でもあった。歩きながら、アルドは何度も町を振り返る。
「まだ拗ねてるのぉ?」
「拗ねてません」
「拗ねてる子の返事ねぇ」
「エディンも仲間外れにされたって言ってただろ」
「あら、おねぇさんは楽しんでるわよぉ。レイスちゃんが何を考えてるのか、少し気になるもの」
「俺は普通に気になるんですけど」
「アルドちゃんは、分からないまま任せるのが苦手なのねぇ」
「……そうかもしれないですね」
草地へ着くと、二人は簡単な野営の支度を始めた。湖面へ小さく映る程度の火を起こし、荷を置く。アルドは腰を下ろしてからも、すぐに町の方へ目を向けた。その頃、残った六人はそれぞれの配置へ動いていた。レイスは天祈像のある広場から町の北東を見ている。ルシアンは合図用の魔法具を確認し、セレスは水路沿いの土を靴先で確かめた。
ルカは双銃を回しかけたところでルシアンに見られ、何事もなかったように止める。ノルは高所へ向かいながら弾を確認し、ゴードは盾を背負い直して町外れの道へ立った。日が落ちるにつれて家々の戸が閉まり、天祈像の前に供えられた花も月明かりの中へ沈んでいく。しばらく、何も起こらなかった。
「今夜も出ないのかな」
ルシアンが小さく息を吐く。
「いや」
レイスが答えた。町の北東、湖とは反対側の林で枝が低く鳴った。ルカが屋根の上で身を沈める。ノルの銃口が音もなく林へ向き、セレスは指先へ水の魔力を集めた。ゴードも大盾を構える。暗い木々の間から、大きな影が姿を現した。
虎だった。ただし、獣ではない。石畳を削るほど大きな爪。背には白く濁った骨のような突起が並び、裂けた骨を繋いだような尾が地面すれすれで揺れている。首から上には、三つの頭があった。一つは正面。
一つは町。最後の一つだけが、湖の向こうへ顔を向けていた。レイスの目が細くなる。
「……やはりな」
ルシアンが合図用の魔法具へ手を掛ける。
「合図を出す?」
「まだ出すな」
「でも、アルドとエディンが」
「出すな」
今度の声は鋭かった。三つ首の虎がゆっくりと身を沈め、六つの目を町に残った者たちへ向ける。
「こいつは、アルドとエディンがいない夜を待っていた」
夜骸が低く喉を鳴らした。
「つまり、こちらを見ている」
三つの口が開き、濁った息が夜へ漏れる。レイスは一歩前へ出た。
「全員、構えろ」
六人がそれぞれの武器を取る。
「今夜は、俺たち六人で仕留める」
今回もお読みいただきありがとうございました。
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