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陽はまた昇る

 バルトの葬儀から、数日が経った。王都は、変わらなかった。


 朝になれば店が開き、昼になれば広場に人が集まり、夕方になれば仕事帰りの足音が石畳を鳴らす。夜が来れば窓に灯りがともり、どこかの酒場から笑い声が漏れる。王都は、いつも通りだった。


 バルトがいなくても。第一部隊の食堂に、あの大きな声が響かなくても。煤鳩亭で「肉が足りねぇ」と騒ぐ男が一人減っても。


 世界は、何事もなかったかのように朝を迎え続けた。第一部隊には、休養命令が出ていた。ローグレスが直接命じたものだった。


 しばらく任務は入れない。眠れるなら眠れ。食べられるなら食べろ。泣けるなら泣け。泣けないなら、それでもいい。


 立てるようになったら戻ってこい。その言葉は、隊舎の中にまだ残っていた。けれど、休めと言われても、休み方が分からなかった。


 ノルは窓際で長銃を磨いていた。


 磨く必要などないほど、銃身は綺麗だった。それでも、布を動かし続けていた。手を止めると、何かが追いついてくる気がした。


 ルカは訓練場へ出ては、すぐに戻ってきた。短剣を構える。足を運ぶ。


 踏み込む。そのたびに、どこかから「もっと派手に行けよ」と茶化す声が聞こえそうで、動きが止まる。セレスは料理を作った。


 けれど、量を減らせなかった。肉を切りすぎる。パンを焼きすぎる。スープを多く作りすぎる。そのたびに、鍋の前で立ち尽くした。


 ルシアンは治療鞄を整理していた。包帯を畳む。薬瓶を並べる。針を確認する。


 その手はいつも丁寧だったが、バルトに使えなかった包帯の前で、何度も止まった。ゴードは訓練場の端に立っていた。


 誰かと筋トレをするでもなく、ただ立っていた。隣に並ぶ大きな影がないことを、確かめるように。エディンは珍しく長く黙っていた。


 いつもの軽口も、甘い笑みも、少し薄かった。窓辺で外を眺める時間が増えた。何かを考えているようで、誰にも言わなかった。


 レイスは書類を整えた。休養中でも、彼は何かを整理していないと落ち着かなかった。けれど、紙の上の文字は何度も目を滑った。


 アルドは、剣に触れなかった。自室の壁に立てかけたままの剣。バルトを止めた剣。バルトの背に突き立てた剣。


 それを見るたびに、あの瞬間が戻ってきた。刃が肉を裂く感触。炎が消えた瞬間。


 硬化が解けた瞬間。腕の中で重くなっていくバルトの身体。カシラ、と呼んだ声。ありがとうの言葉。あの剣は、アルドのものだった。


 だが、もう自分の手に馴染む気がしなかった。手を伸ばそうとすると、指が止まる。握ろうとすると、喉が詰まる。


 剣を持てない隊長など、何の役に立つのか。そう思っても、触れなかった。


         ◇


 その日の昼過ぎ。ローグレスが隊舎を訪れた。ジークは連れていなかった。


 総隊長としての用件ではないのだと、誰もがすぐに分かった。食堂に集まった第一部隊を前に、ローグレスはしばらく何も言わなかった。


 視線は、バルトの席へ向いていた。空いた席。そこには、空の杯が置かれている。誰かが片づけようとしたことはない。そのままになっていた。


 ローグレスはその席を見たまま、静かに口を開いた。


「バルトの件だ」


 全員が顔を上げる。


「手続きは終わった」


 その言葉に、空気がわずかに強張った。手続き。それは必要な言葉だった。


 だが、どうしようもなく冷たく聞こえた。


 ローグレスも、それを分かっている顔をしていた。


「あいつは、月酔い発症者として処理されるだけの人間じゃない」


 ローグレスの声は低い。しかし、はっきりしていた。


「王都討祓軍第一部隊の隊員として、最後まで仲間を守ろうとした者として記録される」


 アルドの拳が震えた。ローグレスは続ける。


「バルトは、最後まで第一部隊の隊員だった」


 少しだけ間を置いた。


「それだけは、俺が通した」


 ルシアンが目を伏せた。セレスの頬に涙が落ちる。ノルは唇を噛んだ。ルカは深く頭を下げた。ゴードは静かに目を閉じた。


 エディンはローグレスを見ていた。レイスは声を出さなかったが、肩の力が少しだけ抜けた。救われたわけではない。


 制度は変わらない。月酔いは治らない。第五部隊はこれからも必要で、バルトは戻ってこない。


 それでも、バルトがただの処理対象ではなかったこと。第一部隊のバルトとして記録されること。それだけは、残った。


「ありがとうございます」


 アルドが低く言った。ローグレスは頷く。


「礼はいい」


 そして、全員を見た。


「明日から、少しずつ身体を動かせ。任務はまだ入れない。だが、止まり続けるな」


 誰もすぐには返事をしなかった。


 ローグレスは厳しく言うでもなく、静かに続けた。


「バルトが守りたかった場所を、空のままにするな」


 その言葉が、食堂に落ちた。空の杯が、そこにある。空いた席が、そこにある。バルトはいない。


 だが、第一部隊は残っている。


 残されている。アルドは、ゆっくり顔を上げた。


「……はい」


 まだ弱い声だった。けれど、返事だった。ローグレスはそれ以上何も言わなかった。


 ただ、食堂を出る前に、バルトの席の前で足を止めた。空の杯を見る。そして、低く言った。


「ご苦労だった、バルト」


 それだけを残し、ローグレスは隊舎を出ていった。


         ◇


 その夜、アルドは自室に戻った。部屋は暗かった。窓から月明かりが入っている。壁際に、剣が立てかけられていた。ずっとそこにあった。


 葬儀の日も。部屋整理の日も。ローグレスが来た日も。剣はそこにあった。アルドはその前に立った。


 手を伸ばす。指が、途中で止まる。胸の奥で、あの日の音が蘇る。


 バルトォォォ!!自分の叫び。


 剣が突き立つ感触。血の熱。ありがとう、な。アルドは目を閉じた。呼吸が浅い。


 逃げたい。見たくない。触れたくない。


 でも、置いていくわけにはいかなかった。


 この剣は、バルトを殺した剣だ。そして、バルトを止めた剣でもある。父を殺させなかった剣。


 第一部隊のバルトを、最後に繋ぎ止めた剣。そのどれもが本当だった。アルドは歯を食いしばった。


 指を伸ばす。柄に触れる。冷たかった。手が震えた。


 それでも、握った。


 壁から剣を取る。重い。以前と同じ重さのはずなのに、まるで別のもののようだった。


 アルドは剣を抱えたまま、しばらく動かなかった。


「……行くぞ」


 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。剣にか。自分にか。


 バルトにか。アルドは剣を強く握りしめる。


         ◇


 翌朝。第一部隊は、バルトの墓へ向かった。誰が言い出したわけでもなかった。


 けれど、朝食のあと、全員が自然と支度を始めた。セレスは小さな包みを用意した。


 中には、焼いたパンと肉が少し入っている。今度は、食べやすいように小さく切ってあった。ルカは小さな水筒を持った。


「酒は駄目です」


 そう言ってから、自分で少しだけ苦笑した。ノルは「絶対文句言う」と呟いた。エディンは小さな花を持っていた。


 派手な花ではない。明るい色の、よく陽を受ける花だった。ゴードは何も持っていない。


 だが、その足取りはまっすぐだった。


 レイスは一枚の紙を持っていた。何かの書類ではなく、バルトの部屋で見つかった、あの雑な字の紙だった。俺様の隊。


 それを丁寧に畳んで持っている。ルシアンはアルドの隣を歩いた。アルドの腰には、剣があった。


 誰も、それには触れなかった。


 ただ、全員が気づいていた。アルドが剣を持ってきたことに。逃げなかったことに。


 王都内の軍関係者の墓地は、朝の光の中にあった。空は晴れていた。雲は薄く、太陽が高く昇り始めている。


 墓地の石畳は明るく、墓標の影が短く伸びていた。バルトの墓は、まだ新しかった。刻まれた名前も、土の色も、置かれた花も、すべてが新しかった。


 だからこそ、現実味があった。昨日までそこにいなかったものが、今はある。バルトの名が、石に刻まれている。


 第一部隊は、墓の前に立った。しばらく、誰も話さなかった。風が吹く。草が揺れる。遠くで鳥が鳴く。


 セレスが最初に動いた。墓前に小さな包みを置く。


「今度は、ちゃんと食べてね」


 声は震えていた。


「一口だけでもいいから」


 ノルが隣で呟く。


「少ないって言う」


 ルカが水筒を置いた。


「今日は水です。飲みすぎは駄目ですから」


「絶対怒る」


 ノルが言う。


「怒りますね」


 ルカが答える。そのやり取りに、ほんの少しだけ、皆の表情が揺れた。笑いとは呼べない。


 けれど、バルトがいた頃の空気が、一瞬だけ戻った。エディンが花を置く。


「見てなさい、バルトちゃん」


 柔らかい声だった。


「あなたが好きだった場所、簡単には壊させないわぁ」


 ゴードは墓標の前に立った。長い沈黙のあと、短く言う。


「またな、兄弟」


 ルシアンは墓前に膝をつき、目を閉じた。


「行ってくるね、バルト」


 涙が落ちる。


「ちゃんと、戻ってくるから」


 レイスは持っていた紙を取り出した。俺様の隊。それを墓前に置くか、少し迷った。そして、置かなかった。懐に戻す。


「これは預かっておく」


 レイスは静かに言った。


「お前の隊なら、勝手に墓へ置くわけにはいかないからな」


 アルドが少しだけ視線を向ける。レイスは墓標を見る。


「戻ったら、食堂に飾る。文句があるなら、出てきて言え」


 返事はない。風だけが吹いた。最後に、アルドが前へ出た。腰の剣に手を置く。墓標の前で、しばらく立ち尽くす。


「バルト」


 声は低かった。


「俺、しばらくこれ持てなかった」


 剣の柄を握る。


「お前を止めた剣だ。お前を殺した剣だ。どっちも本当だ」


 言葉にするたび、胸が痛んだ。


 それでも、アルドは続けた。


「でも、置いてくわけにはいかねぇ」


 鞘から剣を抜いた。鋼が、朝の光を受けて鈍く光る。第一部隊の皆が、黙って見ていた。アルドの手は少し震えていた。


 だが、剣先は下がらなかった。


「お前が守りたかった場所を、俺が守る」


 アルドは剣を握り直した。指先はまだ震えている。


 それでも、柄から手を離さなかった。


 墓標の前で一度だけ深く息を吐き、刃を見下ろす。あの日から触れることさえできなかった剣だった。アルドはゆっくりと鞘へ収めた。


 小さな金属音が鳴る。


「バルト」


 アルドは墓標へ向き直った。泣き腫らした顔のまま、少しだけ笑う。


「行ってくる!」


 風が吹いた。墓前に置かれた水筒が、小さく鳴った。ノルが目元を拭い、ルカは鼻をすすった。


 セレスは泣きながら笑い、ルシアンはアルドの横へ立つ。ゴードは静かに頷いた。エディンは小さく息を吐き、レイスは懐の紙に手を当てる。


 第一部隊は墓地を離れた。八人分の足音が、王都へ続く道に重なっていった。

今回もお読みいただきありがとうございました。

第二章完結です、第三章から激しくなっていくので楽しみにしてもらえると嬉しいです。

皆さんに読んでいただけているおかげでとても楽しくストーリーを作れています!

なので第三章も引き続き毎日更新でいきたいと思います!

続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひ【★評価】や【ブックマーク】で応援をよろしくお願いします!

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