墓地を背に
時間は、少しだけ遡る。遠く離れた戦場から、地鳴りのような轟音が響いていた。夜の空が、時折赤く染まる。
火炎魔法の爆ぜる光。雷荷魔法の黄色い閃き。大地を震わせる砲撃魔法の低い唸り。
そのすべてが、墓地の古い石壁を微かに震わせていた。アルドは、墓地の外周に立ったまま、遠い空を見ていた。戦場はここから見えない。
だが、音だけで分かる。
激しい。かなり激しい。
「……派手にやってんな」
アルドが呟く。隣でレイスが周囲を見渡したまま答えた。
「ああ」
「ルシアン達、大丈夫だと思うか」
「問題ない」
即答だった。アルドは少しだけ顔をしかめる。
「早いな」
「考えるまでもない。ノルはあの距離なら外さない。ルシアンは守りなら討祓軍でも上位だ。セレスも複合魔法を覚えた。国軍の後方支援地点に置くなら、あの三人で十分戦える」
「分かってる」
「なら心配するな」
「それとこれとは別だろ」
アルドは遠くの轟音へ視線を戻した。頭では分かっている。ノルは強い。
ルシアンも、セレスも、ただ守られるだけの隊員ではない。それでも、仲間が自分の目の届かない場所にいる。戦場にいる。
その事実だけで、胸の奥が落ち着かなかった。レイスは小さく息を吐いた。
「お前が今見るべきなのは前線じゃない。こっちだ」
「分かってるって」
「分かってる顔じゃない」
「またそれかよ」
アルドが軽く睨む。レイスは動じない。
「事実だ」
その少し後ろで、バルトが肩を回していた。
「なあ、敵来ねぇのか? さっきから音だけでつまんねぇぞ」
「来ない方がいいに決まってるだろ」
アルドが言うと、バルトは不満そうに鼻を鳴らした。
「分かってるっての。けどよ、あっちはドカンドカンやってんだろ? 俺様も少しは暴れとかねぇと、身体が鈍る」
「墓地の前で暴れるな」
レイスが冷たく言う。
「来たら暴れていいんだろ?」
「来たらな」
ゴードは黙って墓地門の前に立っていた。大盾を地面につけ、視線だけを暗闇へ向けている。余計なことは言わない。
だが、その立ち姿だけで、門の向こうには一歩も通さないという意思があった。ルカは崩れた石壁の上に腰を下ろし、暗闇を見ていた。その両手には小銃、腰にはエディンに買ってもらった短剣がある。
エディンは少し離れた場所で、古い墓標の影に立っていた。いつものように微笑んでいる。けれど、その目は笑っていなかった。
轟音が、また響く。遠い戦場で、大きな魔法が炸裂したのだろう。夜風が、焦げた土の匂いを微かに運んできた。
「……ん?」
最初に反応したのは、ルカだった。彼は石壁の上で体を低くし、耳を澄ませた。
「どうした」
アルドが聞く。
「足音」
ルカの声が少しだけ低くなる。
「一人二人じゃないです」
次の瞬間、ルカは石壁から跳んだ。地面に着地するより早く、近くの倉庫の壁を蹴り、屋根へ駆け上がる。身軽な獣のような動きだった。
屋根の上で片膝をつき、暗闇の奥へ目を凝らす。月はまだ高くない。
だが、夜目の利くルカには十分だった。
黒い影が見える。列。その後ろに、また列。槍と剣。魔導士らしき杖。
国軍のものではない軍装。共和国軍。ルカの顔から、いつもの軽さが消えた。
「敵部隊、見えます」
彼は屋根の上から声を落とした。
「ざっと二百はいますね」
その言葉に、全員の空気が変わる。
だが、すぐにエディンが口を開いた。
「いいえ」
柔らかな声だった。けれど、刃のように冷たい。
「三百はいるわねぇ」
ルカが屋根の上で一瞬だけ目を細める。
もう一度見る。
奥に、さらに影があった。
「……うわ、本当だ。嫌な見落とし」
「焦らなくていいわよぉ。暗いし、重なっているもの」
エディンは微笑む。
「でも、あれはこっちへ向かっているわ」
アルドは剣の柄へ手を置いた。レイスは即座に周囲を確認する。墓地を背にした開けた平地。隠れる場所は少ない。敵は正面から進軍してくる。
こちらの人数は少ない。
だが、守るべき場所ははっきりしている。
「アルド」
「分かってる」
アルドは前へ出た。背後には墓地。古い石壁。眠る死者達。その前に、第一部隊が立つ。
「ここから先には行かせねぇ」
アルドの声は低かった。レイスが隣に並ぶ。
「数が多い。温存は考えるな。初手で削る」
「ああ」
「バルトは突出しすぎないで。ゴードさん、門を。ルカは崩れた外壁側を見る。エディンさんは全体を」
「任せろ」
ゴードが短く答える。
「了解っす」
ルカは屋根から飛び降り、地面を滑るように走って崩落箇所へ向かった。バルトは拳を鳴らした。
「俺様は?」
「前に出すぎるな」
「へいへい」
返事だけは軽い。レイスはそれを信用しなかった。
「聞いてるのか」
「聞いてるって」
バルトは笑った。その笑みは、もう戦いに向かうものだった。暗闇の奥から、共和国軍の声が聞こえてくる。
「墓地側へ回れ!」
「王国軍より先に外壁を押さえろ!」
「崩れた場所から抜けるぞ!」
その言葉を聞いた瞬間、アルドの目に炎が灯った。レイスが横目で見る。
「乗るなよ」
「乗ってねぇ」
「もう乗ってる顔だ」
「うるせぇ」
アルドは剣を抜いた。刃が夜気を裂く。次の瞬間、炎が走った。
「火炎参式 炎薙!」
アルドが剣を横薙ぎに振る。飛翔する炎の斬撃が正面の敵列へ食らいついた。先頭を進んでいた共和国兵達が悲鳴を上げる。
炎はただ焼くだけではない。進路そのものを塞ぐように横へ広がり、敵の足を止めた。
「止まるな! 防御魔法を張れ!」
敵の魔導士が叫ぶ。前方に大地の壁が立つ。その瞬間、レイスが右手を上げた。
「雷流弐式 絡縛」
足元に薄い水が走った。炎の熱で蒸気が上がる中、青白い水流が敵陣の足元へ滑り込む。そこへ、雷が落ちた。
水を伝って、雷が走る。敵兵の足が硬直した。盾を構えていた兵士が痙攣し、膝から崩れる。
後続がぶつかり、隊列が詰まった。そこへ、アルドの炎が二撃目を叩き込む。
「火炎肆式 炎嵐!」
炎が渦を巻いた。夜の平地に、赤い嵐が生まれる。敵の盾が焼け、布が燃え、隊列が一気に崩れた。
普通の夜骸戦なら、ここまで広範囲の魔法を連発することは少ない。周囲の村や森を巻き込む危険がある。味方の位置取りもある。
だが、今は違う。
守るべき墓地は背後。敵は正面。平地を真っ直ぐ進んでくる。なら、遠慮はいらない。
アルドは前へ踏み込み、剣を振るたびに炎を放った。レイスはその後ろで、敵の足場と陣形を読みながら複合魔法を重ねていく。
「旋荷弐式 雷穿陣」
風が低く唸る。雷を含んだ旋風が、敵陣の側面から食い込んだ。黄色い雷を巻いた風の槍が、敵兵の列を斜めに貫く。
盾を構えた兵士達がまとめて弾き飛ばされ、後続の足が止まる。
「固まるな!」
「散開しろ!」
「相手は少数だ、押し潰せ!」
共和国兵達が叫ぶ。だが、散開しようとした瞬間、アルドの炎が進路を塞ぐ。固まれば、レイスの雷がまとめて絡め取る。
開けば焼かれ、固まれば痺れる。敵の数は多い。だが、多いからこそ、広範囲魔法の餌食になった。
「さすがに派手ですねぇ」
ルカが崩れた外壁付近で、接近してきた敵兵の足を撃ち抜きながら呟いた。倒れ込んだ敵の剣が地面を叩く。その横から別の兵士が飛び込んできた。
ルカは銃を撃つと同時に身を低くし、敵の剣をかわす。左手の短剣で手首を弾き、蹴りを腹へ叩き込む。敵兵が後ろへ吹き飛んだところへ、さらに銃声。
「こっちはこっちで忙しいんですけどね」
ぼやきながらも、動きは軽い。敵を墓地側へ抜かせない。それだけは絶対に守っていた。
ゴードの前にも、数人の敵兵が迫っていた。墓地門へ向かって走る共和国兵。その正面に、ゴードが立つ。
「どけ!」
敵兵が槍を突き出した。ゴードは大盾を半歩前へ出す。重い金属音。槍が盾に弾かれる。
次の瞬間、ゴードは盾ごと前へ押し出した。
「通さん」
短い一言。それだけだった。盾に押し潰された敵兵が地面へ倒れる。
別の敵が横から斬りかかるが、ゴードは体を捻って受ける。剣が盾の縁で滑り、火花が散った。ゴードは反撃に大きく動かない。
必要な分だけ殴る。必要な分だけ押し返す。門の前から、一歩も退かない。
その姿は、まるで墓地そのものに据えられた壁だった。
「っしゃあ! 俺様も行くぜ!」
バルトが拳を鳴らした。レイスがすぐに反応する。
「バルト、待て!」
「待てるかよ!」
バルトの両拳に炎が宿る。さらに足元の土が盛り上がり、踏み込みを支える。
「大炎弐式 熔拳!」
拳と足に、赤と土色の魔力が絡む。バルトは止まらなかった。正面から敵陣へ突っ込む。
「おい、バルト!」
アルドが叫ぶ。バルトは振り返らない。
「カシラ達ばっか派手にやってんじゃねぇよ!」
そのまま敵の先頭へ拳を叩き込んだ。炎をまとった拳が盾を砕く。大地魔法で強化された踏み込みが、敵兵ごと地面を陥没させる。
一人。二人。三人。
バルトは笑いながら、敵の群れの中へさらに深く踏み込んだ。
「馬鹿が」
レイスの声が鋭くなる。敵の数はまだ多い。バルトの火力は高い。
だが、一人で深く入りすぎれば囲まれる。
「ルカ!」
「はいはい、分かってますよ!」
「バルトさんの援護に行け!」
「なんで僕がお守りなんですかね!」
ルカは心底嫌そうに言った。
だが、動きは早かった。
崩れた石壁を蹴り、敵の肩を足場にして跳ぶ。空中で銃を抜く。二発。
バルトの背後から迫っていた敵兵の膝と肩を撃ち抜く。着地と同時に短剣を逆手に持ち替え、別の敵の剣を受け流す。
「バルトさん! 深く行きすぎです!」
「援護に来たなら文句言うな!」
「文句しかないですよ!」
バルトの拳が敵を吹き飛ばす。その隙間を、ルカが滑るように移動する。銃。
蹴り。短剣。銃。
バルトが作る破壊の穴を、ルカが細かく埋める。バルトは正面を砕く。ルカは側面と背後を潰す。
荒々しい炎の拳と、軽やかな黒い影。二人の動きは乱暴に見えて、噛み合っていた。
「俺様の後ろを取ろうなんざ、百年早ぇ!」
「今のは僕が撃ったんですけど!」
「細けぇな!」
「細かくないです!」
敵兵達が二人を囲もうとする。だが、そのさらに外側で、アルドの炎が走った。
「火炎参式 炎薙!」
炎の刃が横から敵列を薙ぐ。バルトとルカの周囲だけを避け、外側の敵を焼き払う。
「レイス!」
「分かってる」
レイスは左手を前へ出した。地面に水が走る。その水が、バルト達を避けるように敵の足元だけへ広がった。
「雷流参式 縛陣」
雷が走る。敵兵達の足が止まる。その中心で、バルトが拳を振り上げた。
「まとめて吹っ飛べ!」
大地が割れた。
「大地参式 爆砕拳!」
拳が地面へ叩き込まれる。岩が爆ぜ、周囲の敵兵をまとめて弾き飛ばした。ルカは爆風を読んで跳び上がり、空中で体を捻る。
「ほんと無茶苦茶!」
着地しながら、迫っていた敵へ銃を撃つ。その敵の背後で、別の兵士が魔法を構えた。ルカが気づくより早く、圧縮された風が夜を裂く。
敵兵の杖が、手元から弾け飛んだ。エディンだった。
「あらぁ、危ない」
声は穏やか。だが、視線はもう別の場所へ向いている。崩れた外壁へ回ろうとする小隊がいた。
「おねぇさんが暇だと思ったら、大間違いよぉ」
「旋風壱式 空弾」
指先から放たれた風弾が先頭の兵士の足元を打ち、踏み込みを崩す。兵士が転んだ。そこへルカの銃弾が飛び、動きを止めた。
「エディンさん、助かりました!」
「どういたしましてぇ、ルカちゃん。ちゃんと前見てねぇ」
「見てますって!」
「見えてなかったから助けたのよぉ」
「うっ」
軽いやり取り。
だが、戦場は軽くない。
敵はまだ迫る。アルドは大きく息を吸った。剣の炎が一段と強くなる。
「レイス、合わせろ!」
「言われなくても」
レイスの周囲に、水と風が立ち上がった。アルドの炎が前へ伸びる。レイスの風がそれを押し広げる。
ただの火炎ではない。風を得た炎が、横へ、上へ、敵陣の前面へ一気に広がっていく。
「火炎肆式 炎嵐!」
「旋風肆式 焦嵐!」
二人の声が重なった。大きな炎の嵐が、平地を呑んだ。墓地へ向かっていた共和国軍の前列が、まとめて飲み込まれる。
熱風が吹き荒れ、敵の旗が燃え落ちる。悲鳴が上がる。指揮官の声が掻き消える。
それでも、炎の端から数十人が抜けようとした。レイスは即座に次の魔法へ移る。
「雷流参式 雷鎖」
水が地面を走り、炎を避けた敵兵達の足元へ絡む。水の筋が鎖のように立ち上がり、そこを雷が走った。敵兵達が一斉に崩れる。
そこへゴードが盾を構え直し、門へ近づいた最後の数人を押し返した。
「下がれ」
低い声。敵兵が怯んだ。ゴードは踏み込む。
盾の一撃が敵の胸を打ち、呼吸ごと地面へ叩き伏せた。バルトとルカも戻ってくる。バルトは肩で息をしていたが、まだ笑っていた。
「はっ、まだ来るか?」
「来なくていいですよ……」
ルカは少し疲れた顔で言った。アルドは前方を見る。炎と雷で崩れた敵陣。倒れた兵士達。逃げ腰になる後方。
共和国軍の勢いは、完全に折れていた。
「敵、後退します!」
ルカが叫ぶ。エディンが少しだけ目を細める。
「ええ。もう立て直せないわねぇ」
敵の後方で、撤退の合図が上がった。兵士達が引き始める。最初は秩序を保とうとしていたが、すぐにそれも崩れた。
我先にと下がる者。倒れた仲間を引きずる者。武器を落として走る者。
三百近い軍勢は、墓地へ到達することなく崩壊した。アルドは剣を下ろさなかった。レイスも魔力を解かない。
ゴードは門の前から動かず、ルカは周囲の影を確認し、バルトは拳の炎を残したまま敵の後退を睨んでいた。エディンだけが、静かに笑っていた。
やがて、敵影が完全に夜の向こうへ消える。轟音が、遠くからまた響いた。前線の戦いも、まだ続いている。
アルドはようやく息を吐いた。
「……守ったな」
「ああ」
レイスが短く答える。
「ただし、まだ終わってない。墓地に損傷がないか確認する。夜骸の兆候も見落とすな」
「分かってる」
アルドは墓地を振り返った。古い石壁。静かな墓標。眠る死者達。
そこには、敵兵の足跡ひとつ届いていなかった。ゴードが盾を担ぎ直し、低く言う。
「門は無事だ」
「助かりました」
アルドが言う。ゴードは短く頷くだけだった。バルトが拳を纏う岩を落としながら笑った。
「俺様の活躍もあったろ?」
レイスが冷たく見る。
「突出しすぎだ」
「勝ったんだからいいだろ」
「よくありません」
「固ぇなぁ」
「バルトが柔らかすぎるんです。頭が」
「おい」
ルカが横で小さく笑う。
「まあまあ、バルトさんのおかげで敵が混乱したのも事実ですよ」
「ほら見ろ!」
「でも援護する側は最悪だった」
「おい!」
ほんの少しだけ、空気が緩んだ。
だが、その緩みは長く続かなかった。
遠くの戦場から、これまでで一番大きな轟音が響いた。夜空が、白く光る。全員がそちらを見る。
アルドの顔から笑みが消えた。
「ルシアン達の方か」
レイスは目を細める。
「分からない。だが、前線が大きく動いたのは確かだ」
その時、墓地の方角とは反対側から、伝令兵が走ってくるのが見えた。息を切らし、泥にまみれ、肩で呼吸している。
「王都討祓軍、第一部隊!」
伝令兵は膝をつきそうになりながら叫んだ。
「前線、共和国軍が後退! 国軍優勢です!」
アルドはレイスを見る。レイスも、ほんのわずかに肩の力を抜いた。
「……そうか」
アルドは小さく呟いた。ノル。ルシアン。セレス。三人の顔が浮かぶ。
無事だと、まだ聞いたわけではない。
それでも、少しだけ息がしやすくなった。
レイスが横から言う。
「だから言っただろ。あの三人なら問題ない」
「まだ確認してねぇだろ」
「確認するまでもない」
「ほんと、お前は」
アルドは苦笑した。遠くの戦場では、まだ光が揺れている。墓地の周囲には、焼けた土と雷の匂いが残っていた。
死者の眠る場所の前で、生きている者達が敵を退けた。けれど、夜はまだ深い。勝利の声が届くには、もう少しだけ時間が必要だった。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。




