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風切りの谷

「みんな、本当にごめんなさい」


 翌朝。第一部隊隊舎の食堂で、ルシアンは机に額がつきそうなほど深く頭を下げていた。声は震えている。


 肩も震えている。目の前には、いつもの第一部隊の面々がいた。エディンは窓際の席で、いつも通りに果実酒を飲んでいた。


 ルカもその隣で、果実水の入った杯を持っていた。ゴードは水を飲んでいた。アルドとノルは、一枚のメモ用紙を真剣な顔で覗き込んでいた。


 レイスとバルトは、机に沈んでいた。正確には、バルトは腕を組んで俯き、レイスは顔色を悪くして水の入った杯を握っていた。レイスの目は死んでいた。


 吐きそうな顔だった。ルシアンはもう一度、震える声で言った。


「本当に、ごめんなさい……」


 事の始まりは昨夜だった。煤鳩亭で指輪の話をしていたところまでは、ルシアンもうっすら覚えている。アルドが買ってくれた指輪。


 高台で、ちゃんと渡してとお願いしたこと。アルドが片膝をついて、左手の薬指にはめてくれたこと。任務中、その指輪が思った以上に力を貸してくれたこと。


 そこまでは覚えている。その後が、ほとんどない。目が覚めた時、ルシアンは自室の寝台にいた。


 頭が重かった。喉が乾いていた。そして、胸の奥にだけ、何かとんでもないことをしたような感覚が残っていた。


 怖くなったルシアンは、すぐにセレスの部屋へ向かった。セレスは最初、苦笑いを浮かべて言った。


「何もなかったわよ。楽しく飲んでただけ」


 その笑顔は優しかった。


 だが、ルシアンの直感が叫んでいた。


 それは嘘だ、と。問いただした。セレスは目を逸らした。さらに問いただした。セレスは水を差し出した。


 もっと問いただした。そしてついに、セレスは昨夜起きた世にも恐ろしい真実を口にした。指輪の話を十数回したこと。


 ミナに同じ説明をし続けたこと。バルトにヘッドロックをかけたこと。レイスを逃がさず捕まえたこと。


 バルトとレイスに果実酒を無理やり飲ませたこと。しかも、かなりしつこく飲ませたこと。最後は寝落ちし、やつれたバルトに担がれて帰ってきたこと。


 ルシアンは、気が遠くなった。セレスは最後まで苦笑いだった。その後、ルシアンはセレスに付き添われ、ふらふらの足取りで食堂へ来た。


 そして今に至る。


「私は……私は、なんてことを……」


 ルシアンは机に伏したまま呟いた。バルトが片手を上げた。


「気にすんな、ルシアン。俺様は別に怒ってねぇ」


 声はいつもより少し小さい。


「むしろ、いい酒だった」


 セレスが冷たい目で見る。


「そのわりに朝から静かだけど」


「それは……まあ、酒が強かっただけだ」


「ルシアンに無理やり飲まされたからでしょ」


「いや、俺様は自分の意思で……途中までは」


 バルトは視線を逸らした。レイスは水を一口飲み、顔を青くした。


「問題ない」


 声がかすれている。


「本当にごめん、レイス……!」


「問題ない」


 レイスはもう一度言った。しかし、その直後に口元を押さえた。ルシアンの顔が真っ赤になる。


「本当にごめんなさい!」


 エディンが肩を震わせていた。


「んふふ……ルシアンちゃん、昨日はすごかったみたいね」


「エディンさん、笑わないでください……!」


「無理よぉ。話を聞くだけで面白いもの、惜しいことをしたわ」


 ノルも笑いを堪えていたが、堪えきれなかった。


「いや、ほんと面白かった。帰ってきた時のレイスの顔、見たことないくらい絶望してた」


「やめて……」


 ルシアンはさらに机へ沈む。ルカは少し困った顔で言った。


「でも、皆さん楽しそうでしたよ。途中までは」


「途中までは!?」


 ルシアンが顔を上げる。ゴードが静かに水を置いた。


「悪意はなかった」


「悪意がないのに被害が出てるの、一番つらい……」


 セレスが優しく肩を叩いた。


「もう反省してるんだから、いいわよ。ね、みんな」


「いいよ」


 ノルが笑いながら言う。


「次から酒の量だけ気をつけて」


「はい……」


 バルトも頷いた。


「俺様は許す!」


「ありがとう、バルト……」


「ただ、次はヘッドロックなしで頼む」


「本当にごめん……」


 レイスは静かに杯を置いた。


「俺も気にしていない」


 ルシアンは涙目でレイスを見る。


「レイス……」


「ただし、今日は大声を出すな」


「はい……!」


「その声も少し響く」


「ごめんなさい……」


 アルドは、メモ用紙を見ているふりをしていた。完全に聞こえないふりだった。耳が赤い。


 ルシアンがちらりと見る。


「アルド……」


「何も聞いてない」


「まだ何も言ってないよ」


「何も聞いてない」


 ノルが吹き出した。


「アルドも相当恥ずかしいんだね」


「うるさい」


「片膝の話、昨日何回も聞いたよ」


「聞こえない」


「指輪、ちゃんとはめてくれてかっこよかったんだって」


「聞こえない」


 アルドは真顔でメモを見続けた。ルシアンは両手で顔を覆った。


「私、しばらく果実酒やめる……」


「それがいいわ」


 セレスが即答した。


         ◇


 反省の弁が一通り終わると、朝食になった。焼いたパン、薄い肉と野菜のスープ、卵、果物。胃の調子が悪い者にも優しい朝食だった。


 レイスはほとんどスープだけを口にしている。バルトもいつもより静かに食べていた。ルシアンは水を多めに飲みながら、小さくパンをかじっている。


 その横で、アルドとノルは再びメモを広げた。鍛冶屋の親父から渡されたものだ。ノル用の新しい長銃。


 百万セリオ。必要素材。その文字を見るたび、ノルは嬉しそうな顔と青ざめた顔を交互にしていた。


「で」


 アルドがパンを置く。


「昨日、親父さんに必要素材を書いてもらった」


 全員の視線が集まる。レイスも顔色の悪いまま、少しだけ目を向けた。


「耐久銃身材、精密機構用の小型歯車、風導石、衝撃吸収材、魔力を弾道に乗せるための細工材。この辺は、その手の店に行けば揃う。多少時間はかかるかもしれないが、金さえ出せばどうにかなる」


「金さえ出せばって言葉、嫌い」


 ノルがぼそりと言う。


「俺も最近嫌いになってきた」


 アルドは真面目に頷いた。


「問題はこいつだ」


 アルドはメモの一番下を指差した。そこには、少し癖のある字でこう書かれていた。風鱗鉱石《ふうりんこうせき》。


「風鱗鉱石?」


 ルカが首を傾げる。ノルが少しだけ前のめりになった。


「旋風魔法の威力を上げる効果がある鉱石だって。切断系にすごく強くて、傷がつかないって言われてる」


 レイスが低い声で補足する。


「銃身や機構の一部に使えば、ノルの風魔法を弾道に乗せやすくなり威力も跳ね上がる。銃そのものの耐久性にも関わるだろうな」


「詳しいね」


 ノルが言う。


「昨日少し調べた」


「二日酔いなのに?」


「二日酔いではない」


 レイスはそう言って、また口元を押さえた。説得力はなかった。ルシアンが泣きそうな顔をしているアルドは続ける。


「風鱗鉱石は、強い風が常に吹いている谷の底で見つかることが多いらしい。王都近郊で条件に合う場所が一つある」


 ゴードが水を置く。


「風切りの谷か」


「知ってるんですか」


 ルカが聞く。


「タニ村の近くにある谷だ。王都の郊外だが、地形が悪い。風が強く、下りるのも上がるのも面倒だ」


 セレスが眉を寄せる。


「夜骸は?」


「発生報告は多い」


 俯きながらレイスが答えた。


「谷周辺は、人通りが少ない……獣、道も、多い……討祓軍、の……巡回、対象になることが、ある……」


 アルドはメモを畳んだ。


「せっかくだから、これからローグさんに確認しに行く。タニ村か風切りの谷周辺の任務が出てるなら、ついでに受けたい」


 ノルの肩が少し跳ねた。


「いや、それは」


 アルドが見る。


「何だ」


「私の個人的な理由で、みんなを危険な目に合わせるわけにはいかないでしょ」


 食堂の空気が、一瞬だけ止まった。それから、バルトが鼻で笑った。


「何言ってんだ、ノル」


「何って」


「お前の銃だろ。俺様たちが助かるやつだろ」


 セレスも頷く。


「普段どれだけノルに助けられてると思ってるの」


「でも」


「でもじゃない」


 ルシアンが穏やかに言った。


「ノルの長銃があるから、私たちが前に出られる場面もあるよ。昨日だってそうだった」


 ノルは言葉に詰まる。


「それを言うなら、私も同じだよ。みんなに助けられてる」


「だから、今度はこっちが助ける」


 アルドが言った。


「そういう話だろ」


「危険な任務かもしれない」


「いつも危険だ」


 バルトが笑う。


「夜骸討祓軍だからな!」


「王、都……討祓、軍だ」


 レイスが小さく訂正した。顔色は悪いままだった。ノルはまだ納得していない顔をしている。


「でも、素材集めのために任務を選ぶのは」


「任務があるなら、村や周辺に困ってる人がいるってことだ」


 アルドが言った。


「ついでに素材を探す。それだけだ」


 ゴードが静かに頷く。


「合理的だ」


 エディンが笑う。


「いいじゃない。おねぇさんも、ノルちゃんの新しい銃は見てみたいわぁ」


「エディンさんは野暮用じゃないの?」


「今日は暇よぉ」


「自由すぎる」


 ノルは小さく息を吐いた。


「本当にいいの?」


「もちろん」


 全員の返事がほとんど重なった。ノルは少しだけ目を伏せた。そして何かを言おうとした。その前に、アルドが椅子を引いた。


「もういいか?」


「え」


「早く行かないと、他に取られちまうからな」


 アルドは立ち上がった。


「ローグさんのところ行ってくる」


「あ、ちょっと」


 ノルは慌てて立ち上がる。そして一度、食堂にいる全員へ深く頭を下げた。


「……ありがとう」


 声は小さかった。けれど、ちゃんと届いた。ノルは顔を上げると、アルドを追いかけて食堂を出ていった。


 ルシアンはそれを見送ってから、レイスを見る。


「レイスは行かなくていいの?」


「いや、俺は……」


 レイスは言いかけた。そして、顔色をさらに悪くした。


「……ウッ」


 椅子が音を立てる。レイスは口元を押さえ、食堂を出ていった。方向は総隊長室ではない。


 明らかに、厠だった。ルシアンは真っ赤な顔で立ち上がる。


「本当にごめんなさいいい!!」


 食堂に謝罪の声が響いた。バルトが耳を押さえる。


「頭に響く……」


「ごめんなさい……」


         ◇


 幸い、任務はあった。タニ村近くの風切りの谷周辺で、夜間に低級らしき影が複数確認されている。谷へ続く道では荷運びの馬が怯え、村人が近づけなくなっていた。


 タニ村は谷から吹く風を利用した干し草と風車小屋で知られる小さな村だ。だが風切りの谷は足場が悪く、夜骸が出ると逃げ場も限られる。


 調査と討伐が必要だった。アルドはローグレスから任務許可を得た。ノルは何度も頭を下げた。


 ローグレスは苦笑しながら言った。


「任務だ。素材集めだけに行かせるわけではない」


「はい」


 ノルは頷いた。


「でも、助かります」


「ああ。気をつけて行ってこい」


 こうして、第一部隊はその日のうちにタニ村へ向かうことになった。レイスは出発前、しばらく無言だった。顔色はまだ悪い。


 アルドが少し心配そうに見る。


「大丈夫か?」


「問題ない」


「本当に?」


「少し楽になった」


 ルシアンが後ろから小さく言う。


「無理しないでね……」


 レイスは返事をしようとして、少しだけ固まった。


「……善処する」


 いつもの冷たさに比べると、明らかに弱い返事だった。


         ◇


 タニ村の村長、ヤムラは、丸い顔をした穏やかな男だった。風車小屋の前で、第一部隊を迎えた。


「ようこそ、タニ村へ。王都討祓軍の方々」


 ヤムラは深く頭を下げた。


「風切りの谷の件、よろしくお願いいたします」


「第一部隊隊長、アルドです」


 アルドが答える。


「夜骸の目撃場所を確認したい」


「はい。谷へ続く旧道です。最近は谷底から妙な声が聞こえると村の者が言っておりまして。昨日の夜には、低い獣の影も見えたそうです」


「谷底には下りられますか」


 レイスが問う。声はいつもより少し低い。


「道はあります。ただ、風が強い。足を取られます」


 ヤムラは心配そうに言った。


「それと、谷の底には光が届きにくい場所があります。夕方までに戻るならともかく、夜になると危険です」


「夜骸がいるなら、むしろ夜に動くことになる」


 アルドが言う。ヤムラは顔をこわばらせた。


「どうか、お気をつけて」


 ノルが谷の方を見た。遠くからでも、風の音が聞こえる。ひゅう、ではない。ひゅおう、と刃物のような音だった。


「風切りの谷、ね」


 ノルは呟く。


「名前は普通だ」


「そこ気にするのか」


 アルドが言う。


「昨日が昨日だったから」


 ノルは少しだけ笑った。


         ◇


 風切りの谷は、名の通りだった。谷の縁に立つだけで、風が頬を叩く。下から吹き上げる風と、上から落ちる風がぶつかり合い、岩肌の間で音を立てていた。


 細い道が谷底へ続いている。足場は狭い。ところどころ岩が崩れ、古い木杭と縄で補強されていた。


「これは落ちたら面倒だな」


 バルトが下を覗き込む。


「面倒で済めばいいけど」


 セレスが言う。


「風が強い。全員、間隔を空けすぎるな」


 レイスが指示を出す。そして一瞬だけ口元を押さえた。ルシアンがすぐに心配そうな顔をする。


「レイス」


「見るな」


「ごめん……」


「謝るな。響く」


「ごめ……あ、言わない」


 ノルが肩を震わせた。


「レイス、今日弱すぎ」


「黙れ」


 いつもより迫力がなかった。谷を下りる間、ノルは何度も岩肌を見ていた。風鱗鉱石。


 強い風の吹く谷底に見つかることが多い鉱石。旋風魔法の威力を上げ、切断系に強く、傷がつきにくい。それが手に入れば、ノルの新しい長銃に使える。


 長銃。昨日壊れた相棒。そして、これから作られる新しい相棒。ノルは無意識に、空の手を握った。長銃の重さがない。


 それが少し落ち着かなかった。


「ノル」


 ルシアンが隣に来る。


「大丈夫?」


「大丈夫。銃がないと手持ち無沙汰なだけ」


「今日は私が隣にいるよ」


「頼もしいね」


 ノルは笑った。ルシアンは左手の指輪を軽く触る。


「昨日より、ちゃんと使えるように頑張る」


「昨日もすごかったよ」


「びっくりして笑っちゃっただけだから」


「それもルシアンっぽい」


 二人は少しだけ笑った。谷底へ着く頃には、空は細く切り取られたように見えていた。岩壁に挟まれ、風が絶えず吹き抜けている。


 足元には砂利と細かな石。ところどころに、淡い緑がかった鉱石が岩肌に埋まっていた。ノルが目を見開く。


「あれ」


 アルドが近づく。


「風鱗鉱石か?」


 ノルは膝をつき、岩肌を確認した。淡い緑の鱗のような層。風が当たるたび、表面がわずかに光る。


「たぶん、これ」


 声が弾んでいた。セレスが工具を取り出す。


「採取できそう?」


「慎重にやれば」


 ゴードが周囲を警戒する。


「急いだ方がいい。風が強くなっている」


 アルドは頷いた。


「全員、警戒。ノルとセレスで採取。ルシアンは補助。俺たちは周囲を見る」


 採取は思ったより時間がかかった。


 風鱗鉱石は、岩肌に薄く重なるように埋まっていた。無理に剥がすと割れる。だが、ある程度の大きさが必要だ。


 セレスが水流で細かな砂を洗い流し、ルシアンが指輪の力を借りて風を少しだけ整える。ノルは慎重に工具を入れた。やがて、手のひらほどの風鱗鉱石が岩肌から外れた。


 ノルはそれを両手で受け止めた。軽くはない。


 だが、見た目より滑らかだった。


 表面には細かな鱗状の模様があり、風が当たると淡く光る。


「……取れた」


 ノルの声が小さく震えた。アルドが笑う。


「よし」


 ルシアンも嬉しそうに手を合わせる。


「よかった」


 ノルは鉱石を布に包んだ。


「まだ油断するな」


 レイスが低く言った。


「上がるまでが任務だ」


「分かってる」


 ノルは頷いた。


         ◇


 谷から上がり、タニ村へ戻ろうとした時だった。風が、一瞬だけ止まった。谷の出口近く。


 岩陰の向こうから、低い唸り声が聞こえた。アルドが剣を抜く。


「来るぞ」


 現れたのは低級夜骸が三体。狼に似たものが一体。山羊のような角を持つものが一体。細長い体をした獣が一体。その後ろに、中級夜骸が三体いた。


 一体は、鳥の翼と獣の胴を持つもの。一体は、岩肌のような外皮をまとった四足のもの。もう一体は、細い首が二つに分かれ、それぞれに口がある歪な個体だった。


「低級三、中級三」


 レイスが言う。声は小さい。


 だが目は冷えていた。


「谷道でこの数は厄介だ」


 中級の一体が翼を広げた。風が巻く。谷の風と混ざり合い、刃のような流れとなって飛んでくる。


「防御!」


 ルシアンが前へ出た。


「水流弐式 流流盾《ながるたて》!」


 指輪が淡く光った。水の膜が厚く、強く広がる。風の刃を受け止め、弾き飛ばした。


「いける!」


 ルシアンが叫ぶ。ノルは長銃がない。指を銃の形に構える。


「旋風弐式 圧空弾《あっくうだん》!」


 風の弾丸が飛ぶ。


 だが、谷の強風に流される。


 中級には届かない。


「くっ……」


「無理に狙わないで」


 ルシアンが隣に立つ。


「私が風を押さえる」


「できる?」


「やる」


 ルシアンは指輪に魔力を流した。細く絞った旋風を谷風へぶつけ、ノルの前だけ流れを弱める。完全に止めることはできない。


 だが、ノルの弾道を少し整えることならできる。


「今!」


 ノルが撃つ。空弾が低級の前脚を掠めた。浅い。しかし、体勢は崩れた。


「十分!」


 アルドが踏み込む。新しい剣に炎を通した。緋色の筋が光り、炎が刃へ吸い込まれる。


「火炎参式 炎薙《ほむらなぎ》!」


 低級の胴を斬る。炎が傷口を走り、夜骸が崩れた。


 だが中級三体は連携していた。


 翼の中級が風刃を放つ。岩肌の中級が地面を踏み砕き、石礫を飛ばす。二つ首の中級が黒い音を吐き、足元から棘を生やす。


 低級二体が前へ出て、その攻撃の隙を埋める。


「また前衛と後衛かよ!」


 バルトが拳を鳴らす。


「昨日からこういうの多くない!?」


 セレスが水流で棘を逸らす。


「文句言ってる暇ないわよ!」


 バルトは山羊型の低級を受け止めた。大地魔法で拳を固め、角を弾く。


 だが横から石礫が飛び、肩に当たった。


「痛ってぇ!」


「軽傷で済ませろ」


 レイスが横を抜ける。雷を纏った剣を振る。しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。


 レイスは左手を前へ出す。雷が指先で弾け、そこへ薄い水の膜が重なる。


「雷流弐式 絡縛《らくばく》」


 雷を帯びた水糸が、低級の脚へ巻きついた。水が動きを絡め取り、雷が筋肉を痺れさせる。低級が膝をついた。


 アルドが目を見開く。


「今の」


「見るな。前を見ろ」


 レイスの声は低い。まだ顔色は悪い。


 だが魔法は鋭かった。


 雷と水を重ねた拘束が、中級の動きを奪っている。中級が再び風刃を放つ。ルシアンが防ぐ。


 指輪が光り、流流盾が広がる。風刃を受け流した水が、そのまま旋回してノルの前へ流れる。


「ノル!」


「分かってる!」


 ノルが指を銃の形に構える。水流が風の乱れを一瞬だけ抑える。空弾がまっすぐ走り、二つ首の中級の片方の口を撃ち抜いた。


 中級が叫ぶ。


「当たった!」


 ルシアンの声が明るくなる。


「やった!」


「まだ一発!」


 ノルは笑った。長銃がない。だから大きな活躍はできない。


 でも、何もできないわけではない。


 隣にルシアンがいる。それが、今は心強かった。戦闘は苦しかった。谷道は狭く、風が強い。


 中級三体の連携は厄介で、低級が何度も間に割り込む。アルドは岩肌の中級へ斬り込んだが、硬い外皮に炎を受け流される。


「硬いな!」


「切断系に強い地形で育った個体かもしれない」


 レイスが言う。


「説明は後で!」


 セレスが低級の脚を水で滑らせ、短剣で腱を切る。ゴードが盾でその体を押さえた。バルトが拳に炎を乗せ、低級の頭を砕く。


 だが石礫が飛び、セレスの腕を掠めた。


 ゴードの肩にも風刃が浅く走る。ルシアンの頬にも細い傷ができた。ノルの包帯にも血が滲む。


「ルシアン、下がって!」


「下がらない!」


 ルシアンは声を張った。流流盾の水面を斜めに立て、風の刃を横へ滑らせる。指輪の青い石が、強く光った。


「私だって、助ける!」


 その水流が、アルドの足元を押した。アルドは風を切るように前へ出る。レイスの絡縛が岩肌の中級の脚を絡め取った。


「今だ」


「ああ!」


 アルドは剣に炎を通す。新しい剣が熱を受け、さらに強い炎へ変える。


「火炎参式 緋牙《ひが》!」


 炎が刃に集まる。炎の牙が、岩肌の外皮の隙間へ食い込んだ。斬る。


 割る。燃やす。中級の巨体が大きく崩れた。一体目。


 レイスは息を吐く間もなく、次へ向かった。翼の中級が上へ逃げる。ノルの空弾では届ききらない。


 だがルシアンが風を押さえ、セレスが水流で足場を作った。バルトがアルドを肩で押す。


「飛べ、カシラ!」


「押すな!」


「行け!」


 アルドは水流の足場を蹴った。空中で剣を振る。翼の中級が風刃を放つ。レイスの雷がその風を裂いた。雷だけではない。


 水を含んだ細い雷が風の流れに絡み、刃の方向を乱す。アルドの炎が届いた。翼が斬り落とされる。


 落ちた中級へ、ゴードとバルトが同時に押し込む。バルトの拳が頭を砕いた。二体目。


 残る二つ首の中級が、黒い音を放つ。足元から棘が何本も走った。ルシアンが防御膜を張る。しかし全ては防ぎきれない。棘がアルドの腕を掠める。


 セレスの脚に浅く刺さる。ノルが歯を食いしばる。


「こいつ、うるさい」


 ノルは指を構えた。ルシアンが隣で谷風の流れを読む。


「一緒に」


「うん」


 ノルの空弾が走る。ルシアンの旋風がそれを包み、横から叩く谷風を押し返す。風の弾丸は、今度こそ真っ直ぐ飛んだ。


 二つ首の残った口へ突き刺さる。中級の骸技が止まった。


「アルド!」


 ルシアンが叫ぶ。アルドとレイスが同時に動いた。レイスの雷水が中級の脚を縛る。アルドの炎が首へ走る。


 赤い炎と黄色い雷光が、谷の風の中で交差した。剣が振り抜かれる。中級の首が落ちた。


 戦闘が終わった。


         ◇


 誰も無傷ではなかった。


 だが、致命傷はない。


 ルシアンは息を切らしながら、すぐに治療へ回った。指輪の力を借りた治療は、以前より魔力の通りが良い。水流が傷口を包み、痛みを和らげていく。


「この指輪、本当にすごいね」


 ノルが言った。ルシアンは少しだけ照れたように笑う。


「うん。すごい」


 アルドは目を逸らした。レイスは岩に片手をつき、静かに呼吸を整えていた。


「レイス、大丈夫?」


 ルシアンが聞く。


「問題ない」


「顔色が」


「問題ない」


 その声は、昨日から何度目か分からないほど弱かった。ノルは布に包んだ風鱗鉱石をそっと抱えた。傷の痛みより、そちらの方が気になるようだった。


 淡い緑の鉱石。風を受けるたび、鱗のような模様がかすかに光る。


「これが、私の銃になるんだ」


 声は小さかった。


 でも、嬉しそうだった。


 アルドはその顔を見て笑う。


「楽しみだな」


「うん」


 ルシアンも頷く。


「絶対、すごい銃になるよ」


 ノルは少し照れたように顔を逸らした。


「まだ素材一つだけどね」


「一つ目が大事だろ」


 アルドが言う。


「俺の剣も、緋灼鉱石からだった」


 ノルは風鱗鉱石を見つめた。


「そっか」


 その目は、昨日壊れた長銃を見ていた時とは違っていた。寂しさはまだある。


 でも、その奥に新しい期待が生まれていた。


         ◇


 タニ村へ戻ると、村長のヤムラは何度も礼を言った。


「谷の夜骸を討っていただき、本当にありがとうございます。これでしばらくは、谷道も使えるでしょう」


「まだ周辺の警戒は必要です」


 レイスが言った。声は低い。


「国軍や討祓軍の巡回要請は続けてください」


「はい、もちろんです」


 ヤムラは深く頷いた。


「それと、これがお礼になるかは分かりませんが……感謝の気持ちです」


 ヤムラの手には、淡い緑の鱗を重ねたような鉱石があった。風鱗鉱石だ。


「あ」


 ノルは少し気まずそうに、自分たちが採掘した風鱗鉱石を取り出した。


「実は、もう一つ採ってる。新しい長銃に必要で……この任務を受けた理由の一つも、それだった」


 少し間を置き、付け足す。


「でも、村を助けたかったのも本当」


 ヤムラは二つの鉱石を見比べ、それから声を上げて笑った。


「はっはっはっ! なら、なおさら受け取ってください。皆さんが村を助けてくださった事実は、何も変わりません」


 持っていた風鱗鉱石を、ノルが広げた布の上へそっと並べる。


「立派な武器になることを、村人一同願っております」


 ヤムラの後ろに並ぶ村人たちも、穏やかに笑っていた。


「……ありがとう、ございます」


 ノルは目元を赤くし、深く頭を下げた。報告を終える頃には、日が傾き始めていた。第一部隊は王都へ帰ることになった。


 帰り道、ノルは何度も二つの風鱗鉱石を見ていた。ルシアンも、そのたびに嬉しそうに覗き込む。


「綺麗だね」


「うん」


「銃になったら、どんな感じになるんだろう」


「分からない。でも、たぶんすごい」


「楽しみだね」


「うん」


 アルドも二人の隣で笑っていた。


「親父さんなら、絶対いいものにする」


「アルドが言うと説得力あるね」


 ノルが言う。


「俺の剣、最高だからな」


「自慢だ」


「自慢だ」


 少しだけ笑いが起きた。その後ろで、レイスは口数少なく馬に乗っていた。いつもなら、アルドの自慢に一言くらい刺してくる。


 だが今日は静かだった。


 静かすぎた。ルシアンが不安そうに振り返る。


「レイス、本当に大丈夫?」


「問題――」


 言いかけて、レイスの顔が青くなった。馬を止める。


「……降りる」


 レイスは静かに馬から降りた。そして近くの木の裏へ向かった。数秒後。聞いてはいけない音がした。ルシアンの顔が真っ赤になる。


「本当に本当にごめんなさいいい!!」


 夕暮れの街道に、ルシアンの謝罪が響いた。バルトが腹を抱えて笑おうとして、自分も少し青ざめた。


「笑うと響く……」


 ノルは風鱗鉱石を抱えながら、肩を震わせていた。アルドは空を見上げた。任務は終わった。


 素材も手に入った。だが、今日一番の被害者は、間違いなくレイスだった。

今回もお読みいただきありがとうございました。

引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。

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