指輪をはめた酔っ払い
サビレチャッタ村から王都へ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。王都の門をくぐると、いつもの喧騒が耳に戻ってくる。荷馬車の車輪の音。
商人の声。昼食を終えた人々の笑い声。サビレチャッタ村の古びた家並みと、夜の乱戦の匂いがまだ体に残っているせいか、王都の明るさは少しまぶしかった。
「帰ったら飯だな!」
バルトが真っ先に言った。
「傷の確認が先」
セレスが即座に返す。
「俺様の傷はもう傷じゃねぇ」
「意味が分からないわ」
バルトの脇には、まだ布が巻かれている。浅い傷だった。
だが傷は傷だ。
本人が気にしていないだけである。ノルは壊れた長銃を布に包んで抱えていた。左腕には包帯が巻かれている。
歩き方はいつも通り。表情もいつも通り。けれど、布に包まれた長銃を抱く手だけが、少し強かった。
アルドはそれを横目で見た。
「ノル」
「何」
「報告、一緒に来てくれ」
「銃の件?」
「ああ。ローグさんに相談する」
「ん」
ノルは短く頷いた。レイスも当然のように隣に立つ。
「任務報告は俺がする。銃の破損についてはノル本人から説明した方が早い」
「分かった」
ルシアンがノルを見た。
「あとで傷、もう一回見るからね」
「大丈夫だって」
「大丈夫じゃないって、さっきも言った」
「はいはい」
ノルは軽く返したが、少しだけ目を逸らした。ルシアンの左手には、淡い青の指輪が光っている。サビレチャッタ村での戦闘中、その指輪は確かに効果を見せた。
ルシアン本人も、それが嬉しくて仕方ないのだろう。帰り道でも何度か左手を見ていた。アルドがそれに気づくたび、少しだけ目を逸らしていた。
「じゃあ、俺たちは煤鳩亭か?」
バルトが言う。
「怪我してる人ほど真っ先に酒場に行きたがるの、何なの」
セレスが呆れる。
「飯だ、飯!」
「お酒も飲むでしょ」
「少しな!」
「絶対少しじゃない」
ルカは今日も第二部隊の応援任務で不在だった。エディンもまだ戻っていない。そのため煤鳩亭へ向かうのは、ルシアン、バルト、セレス、ゴード、そして途中で合流する予定の者たちだった。
「アルド、レイス、ノル」
ルシアンが振り返る。
「報告終わったら来る?」
「俺とレイスは行けたら行く。ノルは銃の件次第だな」
「うん。待ってるね」
ルシアンはそう言って笑った。その笑顔が、妙に明るい。指輪のせいか。それとも、昨日からずっとなのか。アルドは少しだけ嫌な予感がした。
だが、言葉にはしなかった。
◇
総隊長室では、ローグレスが書類の山を相手にしていた。ジークはその横で、いつものように静かに書類を整理している。アルド、レイス、ノルが入ると、ローグレスは顔を上げた。
「戻ったか」
「はい。ただいま戻りました」
レイスが一歩前へ出る。
「サビレチャッタ村での夜骸討伐任務、完了しました。雑級六体、低級五体。村人に被害はありません。北側の廃屋群に損傷は出ましたが、居住区域への被害は軽微です」
「そうか。よくやってくれた」
ローグレスは安堵したように息を吐いた。
「村長は?」
「何度も礼を言っていました」
アルドが答える。
「村は寂れてはいましたが、まだ暮らしている人たちがいます」
「そうだな」
ローグレスは静かに頷いた。
「地図の上では小さな村でも、そこに暮らす者にとっては世界そのものだ」
アルドはその言葉に頷いた。レイスは続けて、戦闘状況を簡潔に報告した。北側の廃屋群が狭く、乱戦になったこと。
アルドの新剣が実戦で問題なく機能したこと。ルシアンの指輪による支援強化が確認できたこと。バルトとノルが軽傷を負ったこと。
そして、ノルの長銃が暴発し、完全に破損したこと。報告が終わると、ローグレスはノルへ視線を向けた。
「ノル。腕は」
「大丈夫です。ルシアンが治療してくれたし、深くない」
「無理はするな」
「みんなそれ言う」
「言われるだけのことをしているからだ」
レイスが冷たく言う。ノルは軽く肩をすくめた。そして、布に包んでいた長銃を机の前に置いた。
布を開く。銃身は裂け、機構部は黒く焦げていた。照準も歪み、握りにも細かな亀裂が入っている。
ローグレスは表情を険しくした。
「これは……」
「完全に死んだ」
ノルは軽く言った。軽く言おうとしていた。けれど、その声にはほんの少しだけ重さが残っていた。
「修理は難しいと思う」
レイスが言う。
「機構部まで破損しています。応急処置で使える状態ではありません」
アルドはローグレスを見る。
「ローグさん、質のいい長銃を扱ってる店とか、知らないですか」
「長銃か……」
ローグレスは腕を組んだ。
「軍の補給経由で標準品を取り寄せることはできる。だが、ノルが使うとなると標準品では足りないだろうな」
「だよね」
ノルは壊れた銃を見る。
「私、結構無茶な撃ち方するし」
「自覚があるなら控えろ」
レイスが言う。
「戦闘中に言って」
「言っている」
「聞こえてない」
「聞け」
ローグレスは考え込んだ。アルドも腕を組む。
「王都の武器屋で、長銃に強いところってありましたっけ」
「数は少ないな。銃を扱う者自体、剣や槍ほど多くはない。しかも珍しい長銃、ましてノルの要求に耐えるものとなると……」
沈黙が落ちる。ノルは少しだけ天井を見上げた。
「高そう」
「それ以前に、物があるかどうか疑わしい」
レイスが言った。その時だった。部屋の端で書類を整えていたジークが、視線を紙に落としたまま、ぽつりと言った。
「アルドさんのように、オーダーメイドで作っていただけばよいのでは?」
全員の視線が、一斉にジークへ向いた。ジークの手が止まる。
「……何か?」
ローグレスが立ち上がった。
「それだ、ジーク!」
声が大きかった。ジークがわずかに目を見開く。
「え」
「なぜ気が付かなかった……!」
ローグレスは本気で悔しそうに机に手をついた。
「アルドの剣を打てた鍛冶師なら、ノル用の長銃についても相談できるかもしれない」
「確かに!」
アルドの顔が一気に明るくなる。
「親父さんに聞けばいいのか!」
アルドは勢いよくジークへ近づいた。そして、両手でジークの手を握った。
「ありがとうございます、ジークさん!」
ジークは硬直した。
「い、いえ、礼を言われるほどのことでは……」
「いや、助かりました!」
「アルドさん、近いです」
「あ、すみません!」
アルドはぱっと手を離した。ジークは少しだけ乱れた袖を直す。レイスは額に手を当てていた。
「見落としていた……」
「悔しそうだね」
ノルが言う。
「悔しい。アルドの剣の直後だったのに、なぜ先に思いつかなかった」
「レイスでもそういうことあるんだ」
「ある」
レイスは本当に悔しそうだった。ノルは壊れた長銃を見下ろす。
「でも、高いんじゃないの?」
その一言で、空気が少し止まった。アルドは力強く拳を握った。
「そんなことは親父さんに聞いてからだ!」
「いや、聞く前から高い予感しかしないんだけど」
「行くぞ、ノル!」
「え、今?」
「今だ!」
アルドはノルの手首を掴み、壊れた長銃を布ごと抱えさせる。
「ちょ、アルド、引っ張らないでよ」
「善は急げだ!」
「お金の話だよ! 急いでも安くならないよ!」
アルドは聞いていなかった。そのまま総隊長室を飛び出していく。ノルの声が廊下へ遠ざかる。
ローグレスはその背中を見送り、少しだけ笑った。
「まるで人攫いだな」
「勢いしかありません」
レイスが言う。
「俺は煤鳩亭へ行きます。残りの隊員の様子も見ておきたいので」
「ああ。頼む」
ジークは静かに書類へ視線を戻した。
だが、その口元はごくわずかに緩んでいた。
◇
煤鳩亭は、昼過ぎにしては賑やかだった。任務帰りの第一部隊が来ると、店の空気はいつも少しだけ明るくなる。
だが、今日の明るさは少し違った。
「それでね!」
ルシアンの声が店内に響いている。頬は赤い。目はきらきらしている。左手は高々と掲げられていた。
薬指には、淡い青の石がはめ込まれた指輪。その指輪を、ルシアンはもう何度目か分からないほど皆に見せていた。
「これ、十八万セリオもしたんだよ!」
ルシアンはくるりと回った。
「十八万! 私、値札見てびっくりして、絶対買えないって思ったの! そしたらアルドがね、何も言わないで買ってくれてて!」
ミナが向かいの席で苦笑している。最初は一緒に喜んでいた。かなり喜んでいた。
だが今は、完全に同じ話の十数回目だった。
「うん、聞いたよルシアン。すごく素敵だね」
「それでね! 高台でね!」
「うん、それも聞いたかな」
「ちゃんと渡してって言ったら、アルドが片膝ついてくれて!」
「そこも聞いたかな」
「かっこよかったの!」
「うん」
ミナの笑顔が引きつっている。セレスは少し離れた席で、頬杖をつきながら笑っていた。
「珍しいわね。ルシアンがここまで出来上がるの」
「果実酒、二杯でこれか」
ゴードが静かに言った。
「指輪の話だから余計に回ってるんでしょ」
セレスは肩をすくめた。バルトはルシアンに首を抱え込まれていた。いわゆる、ヘッドロックである。
「それでね、バルト! この指輪、今日の任務でもすごかったの!」
「お、おう」
バルトの声は小さい。
「水流の膜を張ったら、雑級が弾け飛んだの! びっくりした! 私、えっ、なにこれすごいって!」
「そ、そうか」
「アルドが買ってくれた指輪がだよ!」
「おう」
「すごいよね!」
「すごいです」
バルトは小さくなっていた。普段なら大声で騒ぐ男が、今は完全に受け身である。ルシアンの腕から逃げようとしていないあたり、優しさなのか、諦めなのかは分からなかった。
「バルト、声小さい!」
「すごいです!」
「でしょ!!!」
ルシアンは満足そうに笑う。ミナがそっと水を差し出した。
「ルシアン、お水飲もっか」
「飲む!」
ルシアンは水を一口飲んだ。そして、また左手を見た。
「綺麗……」
ミナは天井を見上げた。
「戻った」
その時、煤鳩亭の扉が開いた。レイスが入ってくる。店内を見た瞬間、足が止まった。
ルシアンがバルトにヘッドロックをかけている。ミナが苦笑している。セレスが面白そうに眺めている。
ゴードが静かに茶を飲んでいる。そしてルシアンが、左手の指輪を掲げながらくるくる回っている。レイスは無言だった。
見たことのない光景だった。近くにいたルカが、音を立てないように静かに近付いてきた。ルカは第二部隊応援を終えて、先に煤鳩亭で待っていたらしい。
「レイスさん」
「これは何だ」
「最初はみんなでお祝いしてたみたいなんです。指輪、すごく綺麗ですし、今日の任務でも効果があったそうで」
「それは分かる」
「でも、ルシアンさんが同じ話を何回も何回もして、果実酒でさらにテンションが上がって……」
ルカは店内を見た。
「結果、収拾がつかなくなりました」
「そうか」
レイスは一歩、後ろへ下がった。扉に手をかける。
「では俺は報告に戻る」
「報告、終わったんじゃないんですか?」
「追加報告を思い出した」
「何のですか」
「……国防上の何かだ」
レイスは扉を開けた。その瞬間。背後から、がしりと肩を掴まれた。
「レーイースー」
声がした。明るい。甘い。そして、逃がす気がない。
「どーこーいーくーのー?」
レイスの顔から、血の気が引いた。ゆっくり振り返る。ルシアンが、満面の笑みで立っていた。
左手の指輪が、店の灯りを受けてきらきら輝いている。レイスは絶望の顔を浮かべた。
「……水を」
「まず聞いて!」
「まず水を……」
「指輪の話!!」
「助けろ!ルカ!」
ルカは目を逸らした。
「すみません、無理です」
レイスは静かに目を閉じた。
◇
一方その頃。アルドとノルは、鍛冶屋にいた。炉の赤が作業場を照らしている。金属の匂いと、炭の匂い。
壁には剣、短剣、槍の穂先、工具、そしていくつかの銃の部品が並んでいた。鍛冶師は作業台の前で、ノルの壊れた長銃をじっと見ていた。
銃身を確認し、機構部を開き、焦げた部品を指先でつまむ。ノルは珍しく落ち着かない顔をしていた。
「……直る?」
だめもとの声だった。鍛冶師は少し間を置いた。そして、首を横に振る。
「直せねぇ」
はっきりした声だった。ノルの表情が、ほんの少し落ちた。鍛冶師は壊れた長銃を作業台に置く。
「悪いな。銃身も機構部も逝ってる。無理に直したところで、次に撃った時また暴発する。命を預けるもんにはならねぇ」
「そっか」
ノルは短く答えた。軽い声にしようとしていた。
でも、軽くはなかった。
アルドはそれを見て、すぐに前へ出た。
「新しく作るとしたら、どれくらいかかりますか」
鍛冶師は腕を組んだ。
「長銃は剣より面倒だ。機構が複雑だし、銃身の精度もいる。ましてこの嬢ちゃんの使い方に耐えるものとなると、普通の作りじゃ話にならねぇ」
「値段は」
「お前の剣の倍はするな」
空気が止まった。アルドの顔から血の気が引く。
「ば、倍……」
ノルがゆっくりアルドを見る。
「アルド」
「ん?」
「アルドの剣、いくらだったの」
アルドはものすごく言いにくそうな顔をした。
「……聞く?」
「聞かないと計算できない」
「聞いたらたぶん嫌な気持ちになる」
「もうなってる」
アルドは目を逸らした。
「百二十万セリオ」
ノルは固まった。
「ひゃ……」
声が裏返る。
「百二十万セリオ……」
頭の中で、二倍にする。二百四十万セリオ。その瞬間、ノルは泡を吹いて倒れた。
「ノル!?」
アルドが慌てて抱き起こす。
「しっかりしろ、ノル!」
ノルは両手を胸の前で組み、祈るような形になっていた。目は静かに閉じられている。魂だけどこかへ行ったような顔だった。
アルドはノルを介抱しながら、天を仰いだ。
「この世に神はいないのかー!」
鍛冶師は作業台に頬杖をつき、その光景を眺めていた。しばらく黙っていたが、やがて口を開く。
「嬢ちゃん」
ノルが、祈りの姿勢のまま目だけを開けた。きょとんとした顔で鍛冶師を見る。
「長銃の性能に、こだわりはあるか?」
「……威力があって、射程が長くて、取り回ししやすければ別になんでも」
「注文が多いな」
「最低限だよ」
「まぁ、確かにな」
鍛冶師は鼻で笑った。それから、少しだけ考える。
「条件がある」
ノルが体勢を変えないまま聞いた。
「何」
「一つ。俺の作りてぇもんを作らせること」
「うん」
「二つ。俺の言った素材を持ってくること」
「うん」
「三つ。できたもんに文句を言わねぇこと」
「性能は?」
「今言った希望は叶える。威力、射程、取り回し。そこは保証する」
ノルの目が少しだけ開く。鍛冶師は腕を組み、少しだけ顔を逸らした。
「その条件を飲むなら、百万セリオで俺の思う最高の銃を作ってやる」
沈黙。次の瞬間、ノルはアルドの椅子を足で押しやった。
「ぐえっ」
不意を突かれたアルドが椅子ごと横へ転がる。ノルは包帯の巻かれた左腕を庇いながら勢いよく立ち上がり、右手で鍛冶師の手を掴んだ。
「本当に?」
鍛冶師は少し驚いたように目を瞬かせる。それから、恥ずかしそうに顔を逸らした。
「……二言はねぇよ」
ノルの顔が一気に明るくなった。
「作る! それでお願い!」
「素材は自分らで用意しろよ」
「する!」
「百万も安くねぇぞ」
「二百四十万より安い!」
「比べる相手がおかしい」
ノルは壊れた長銃を一度見た。少しだけ目を伏せる。そして、もう一度鍛冶師を見る。
「お願いします」
今度は、軽口ではなかった。鍛冶師もそれを分かったのか、静かに頷いた。
「ああ」
次の瞬間、ノルはくるりと回った。
「百万!」
もう一回回る。
「新しい長銃!」
小さく跳ねる。
「最高の銃!」
完全に小躍りだった。そのまま店の扉へ向かう。
「アルド、行くよ!」
床でぐったりしているアルドは返事をしなかった。ノルは気づいていない。
「素材集めないと!」
そのまま、くるくる回るように店を出ていった。扉の鈴が鳴る。鍛冶師はそれを見送り、ふっと笑った。
そして作業台に紙を置き、さらさらと必要素材と代金を書き始める。耐久銃身材。精密機構用の小型歯車。
風導石。衝撃吸収材。魔力を弾道に乗せるための細工材。そしてとある素材。前金。
残額。書き終えると、鍛冶師は紙を持って店の端へ歩いた。そこには、椅子ごと転がされたアルドがぐったりしている。
鍛冶師はアルドの胸元に、そっとメモを置いた。
「隊長ってのも大変だな」
それだけ言って、鍛冶師は炉の前へ戻った。槌を手に取る。赤く熱した鋼に向かい、腕を振り下ろす。
かん、と高い音が響いた。かん。かん。かん。
槌を打つ音が響く中、店の端でアルドはぐったりと横たわっていた。胸元には、百万セリオと必要素材のメモが静かに乗っていた。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひ【★評価】や【ブックマーク】で応援をよろしくお願いします!




