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煤鳩亭の夜明け酒

 煤鳩亭《すすばとてい》の丸テーブルは第一部隊のためにある。少なくともバルトはそう信じていた。


「ミナ! 肉追加だ! あと芋! 山盛りで!」


「バルトさん、さっき山盛り出しました!」


「あれは山じゃねぇ。丘だ」


「丘でも十分です!」


 看板娘のミナが両手に皿を抱えたまま頬を膨らませる。


 昼前の煤鳩亭はすでに騒がしかった。


 扉を開ければ焼きたてのパンの匂いと煮込み料理の湯気が麦酒の苦みを含んだ空気とともに押し寄せてくる。


 低い天井の梁には古い煤が染みついている。


 丸い鳩の看板と同じように店内もどこか丸く温かく、少しだけ煙たいのもこの店らしかった。


 奥の大きな丸テーブルには第一部隊がすっかり馴染んでいた。


 アルドの隣ではルシアンが野菜を小皿へ取り分け、向かいのレイスは茶を飲みながら早くも会計を始めている。


 三皿目の肉へ手を伸ばすバルトの横ではルカがいちいち皿を数えていた。


 壁際ではノルが長銃を立てかけて麦酒の泡を眺め、セレスはルシアンと村で会った子供の話をしている。


 黙々とパンを食べるゴードは誰かの杯が空きそうになると何も言わず水差しを寄せた。


 エディンだけはいつの間にか店の人間のように厨房側へ回り込んで店主と話していた。


「ドランちゃん、今日の煮込み、ちょっと香草変えたぁ?」


「分かるのか、エディン」


 煤鳩亭の店主ドランは太い腕を組んで笑った。


 大きな顔には古い傷があり初見では無愛想に見えるが、第一部隊の前ではずいぶん表情が柔らかい。


 煤鳩亭の主人らしく体のどこかにはいつも小麦粉か煤がついていた。


「分かるわよぉ。おねえさん、舌はいいもの」


「酒の味だけじゃなくてか」


「やぁねぇ、ドランちゃん。お酒の味が分かる人は、料理の味も分かるのよぉ」


「その割に、酔うと何でもうまいって言うじゃねぇか」


「それは全部おいしく感じられる幸せな状態なの」


「便利な舌だな」


 笑うドランの横をミナがすり抜ける。


「お父さん、笑ってないで手伝って! 黒豹さんが来ると皿が足りないんだから!」


「主にバルトのせいだな」


「俺様は店に貢献してるんだよ!」


 バルトが誇らしげに胸を張る。


「財布に貢献しているのはローグ様です」


 レイスが冷静に言った。


「細かいなぁ、レイス!」


「バルトさんが大雑把すぎるんです」


「飯の時くらい細かいこと言うなよ!」


「飯の時こそ言うべきです。あなたは放っておくと本当に全部食べる」


「全部食えるなら幸せだろ」


「他の人の分まで食べなければ、ですね」


 レイスの言葉にルカがすっと自分の皿を遠ざけた。


「僕の分は守ります」


「ルカぁ、信用ねぇなぁ」


「ありますよ。食べ物に関してだけないです」


「限定的すぎるだろ!」


 ノルが杯を置いて低く呟く。


「十分でしょ」


「ノル、今日はやっぱり俺様に冷たくないか?」


「いつも通り」


「いつも冷たいってことじゃねぇか!」


「気づくの遅い」


 セレスが噴き出すとルシアンも口元に手を当てて笑った。


 アルドはその光景を眺めながら水を飲んだ。


 焼いた肉の匂いと湯気、杯の触れ合う音やバルトの大声が夜明けまで冷えた身体へ熱を戻していく。


 任務明けに全員で飯を食える機会は思うほど多くない。


 誰かが皿を奪い誰かが文句を言い、くだらないことで笑える時くらいはアルドも素直に席へ身を沈めていた。


「アルド」


 隣からルシアンが小さく呼んだ。


「ん?」


「ちゃんと食べてる?」


「食べてる」


「それ、水しか飲んでない」


「今から食うって」


 アルドが皿へ手を伸ばす前にルシアンが焼いた肉と野菜を乗せた皿を差し出した。


「はい」


「ありがと」


「野菜も食べてね」


「分かってる」


「この前、肉だけ食べようとしてレイスに怒られてた」


「覚えてなくていいことを覚えてるな」


 レイスが茶の杯を置いた。


「覚えておくべきことだ。隊長の健康管理は部隊運営に関わる」


「野菜食わないだけで部隊運営まで行くのかよ」


「行く。お前は放置すると三日連続で肉とパンだけ食べる」


「それはバルトだろ」


「カシラ、そこで俺様に流れ弾はひどくねぇか?」


「事実だろ」


「野菜も食ってるぞ。芋」


「芋だけで野菜を食べた気になるな」


 セレスが言う。


「芋は野菜だろ!」


「その言い方、嫌な予感しかしない」


 ノルが小声で言うとルカも頷いた。


「バルトさん、芋を食べてるから健康って言い出しそうです」


「もう言う寸前だった」


「危なかったな」


 アルドが笑う一方でバルトは不満げに肉を口へ放り込んだ。そこへミナが空いた皿を下げながら口を挟む。


「でも、黒豹さん達が食べてくれると作り甲斐ありますよ。お父さん、朝から張り切ってましたし」


「張り切ってねぇ」


 厨房からドランの声が飛ぶ。


「張り切ってたよ。昨日の夜、黒豹さん達がナカ村に行ったって聞いてから、帰ってきたら何を出すかずっと考えてたじゃん」


「ミナ」


「何?」


「余計なことを言うな」


「事実でしょ?」


「事実でも言うな」


 ドランの顔が少しだけ赤い。アルドは笑って厨房の方へ杯を掲げた。


「ありがとな、ドラン。うまい」


「……食ってから言え」


「食ってる」


「なら黙って食え」


 ぶっきらぼうな声とは裏腹に、厨房の奥で鍋をかき混ぜる手つきは少し嬉しそうだった。


 その様子を見てルシアンが小声で言う。


「ドランさん、優しいよね」


「顔は怖いけどな」


 アルドが言う。


「アルドも初対面の子供には怖がられる時あるよ」


「嘘だろ」


「夜骸を斬った直後は、けっこう怖い顔してる」


「そうか?」


「うん。でも、すぐ笑うから大丈夫」


 何でもないことのように言うルシアンの隣でアルドは少しだけ黙った。


 夜骸を斬った直後の自分の顔など見たことがない。


 剣を振る時はあまり考えない。考えすぎれば遅れ、遅れれば守れるものまで守れなくなる。


 だから炎を纏わせて踏み込み断つ。


 そんな時の顔をルシアンは見ている。それでも怖いだけでは終わらせずにいてくれる。


「……そっか」


「うん」


 ルシアンは微笑んだ。


「だから、ちゃんと笑ってね。子供が見てる時は」


「努力する」


「してね」


「笑顔指導まで始まった」


 ルカが横から言った。


「ルカ、お前よく聞いてるな」


「バルトさんの声が大きすぎるので、逆に他の会話を拾う練習になるんです」


「どういう理屈だ!」


「雑音下訓練」


 ノルが言う。


「私もたまにやる」


「俺様を訓練器具扱いするな!」


 バルトがテーブルを叩くと皿が跳ね、倒れかけた杯をゴードがすぐに手で押さえた。無言で支えた杯からは一滴もこぼれない。


 全員が一瞬目を向けた先でゴードは何事もなかったようにパンを食べた。


「……さすがゴードさん」


 ルカが呟く。


「反応速度おかしいでしょ」


 ノルも感心したように言うとバルトは悔しそうに腕を組んだ。


「今のは俺様でも止められた」


「バルトさんが倒しかけたんです」


 レイスが言う。


「はい」


 ルカが頷く。


「原因側が何を言ってもね」


 ノルが続ける。


「三対一は卑怯だぞ!」


「事実が三つあるだけです」


 レイスは冷たく返した。そのやり取りに周囲の客たちがまた笑う。


 煤鳩亭には近くの職人や商人だけでなく国軍兵や白天還教の従還師、王都討祓軍の別部隊員までやって来る。


 第一部隊を遠巻きに眺めては時々小声で噂をしていた。


 黒豹は怖くて強く、そして騒がしい。店に来れば酒もよく出る。


 それでも誰も嫌な顔はしなかった。


 第一部隊がこうして騒いでいる間は王都のどこかで大きな夜骸騒ぎが起きていないということでもあるからだ。


「おうおう、そこの親父!」


 バルトが唐突に隣の卓へ身を乗り出した。


 声をかけられたのは昼間から麦酒を飲んでいた革職人らしき男で腕に古い火傷の跡があり腰には道具袋を下げている。


「昨日の夜、俺様がどんな夜骸をぶっ飛ばしたか聞きたいか!」


「いや、俺は別に――」


「聞きたいよな!」


「聞いてねぇな」


 アルドが呟いてもバルトは聞いていない。


「まずな、あいつは家よりデカかった!」


「違います」


 即座にルカが立ち上がった。


「すみません。家ほどはありません。せいぜい荷馬車より少し大きいくらいです」


 革職人の男は呆れたように笑った。


「黒豹の兄ちゃん達も大変だな」


「はい。主にこの人のせいで」


 バルトは気にせず次の卓へ向かった。今度は商人風の女二人が茶を飲んでいる。


「お姉さん方! 夜骸が怖かったら俺様を呼びな! 今なら特別に――」


「すみません」


 レイスはすぐに立ち上がってバルトの襟首を掴み女たちから半歩引き剥がした。


「任務依頼は正式な窓口を通してください。あと、この男の発言は九割が勢いです」


「一割は?」


 商人の女が笑いながら聞いた。


「声量です」


「レイス!?」


 女たちは声を上げて笑った。


 バルトはさらに店内を回り国軍兵には肩を組もうとして避けられ、職人には腕相撲を挑んだ。


 従還師らしき若者にまで「祈りも大事だが飯も食え!」と余計な説教を始め、そのたびにルカとレイスが後ろを追った。


「すみません、今のは酔っているわけではありません。素です」


「なお悪いだろそれ!」


「申し訳ありません。黒豹全体がこうではありません」


「レイス、それ俺様個人が悪いみたいじゃねぇか!」


「その通りです」


「バルトさん、せめて他の人の皿に手を伸ばさないでください」


「伸ばしてねぇ! 見ただけだ!」


「食べる前の目をしてました」


「どんな目だよ!」


 ルカが客に頭を下げレイスが淡々と説明する。その後ろではバルトが別の客へ手を振っていた。


 客たちは最初こそ驚いていたが、やがてその一連の流れまで含めて笑い始めた。


「黒豹さん、今日も元気だねぇ」


 ミナが苦笑する。


「元気っていうか、迷惑」


 ノルが言った。


「でも、ちょっと楽しそう」


 ルシアンが笑う。


「レイスとルカは大変そうだけど」


 セレスが頬杖をつきながら眺める。


「珍しい組み合わせよね。謝罪係としては」


「レイスは分かるけど、ルカも手慣れてるな」


 アルドが言う。


「バルトの後輩だからね」


 セレスが笑った。


「嫌な経験値ねぇ」


 エディンは杯を揺らしながらにこにことその光景を眺めていた。


「いいじゃない。ああいうのも、バルトちゃんの才能よぉ」


「迷惑を才能って言い換えるの、優しすぎません?」


 ノルが言う。


「人との壁をなくすのが上手なのよ」


「壁どころか扉も壊して入ってるけど」


「勢いがあるのねぇ」


「物は言いようだな」


 アルドが苦笑した。


 やがて店内のほぼ全ての卓へ絡み終えたバルトが満足げに中央へ戻ってきた。息を切らすどころかなぜか晴れやかな顔をしている。


「よし!」


 バルトは両腕を広げて店中へ響く声で宣言した。


「今日は俺様が全員に一杯奢る!」


 店内が一瞬静まり返ったあと歓声が上がった。


「おお、黒豹の兄ちゃん太っ腹!」


「本当にいいのか!」


「言ったな!」


「バルトさん最高!」


 ミナが目を丸くしドランも厨房から顔を出す中、アルドは杯を持ったまま固まった。


「……あいつ、言ったぞ」


 セレスが呟く。


「言ったね」


 ルシアンも少し困った顔で笑う。ノルは短く言った。


「馬鹿だ」


 謝罪回りの途中で動きが完全に止まったルカはゆっくりとレイスを見た。


 レイスは笑っていない。ひどく静かな顔でバルトを見ていた。


「バルトさん」


「あ?」


 振り返ったバルトを前にレイスは眼鏡の位置をやけにゆっくりと直した。


「今、何と言いましたか」


「全員に一杯奢るって言った!」


「この店にいる全員に?」


「おう!」


「自分の財布で?」


「……おう!」


 返事までのほんの一瞬の間をレイスは見逃さなかった。


「分かりました」


 レイスが静かに頷いて厨房へ歩くとバルトは胸を張った。


「見ろ! レイスも納得したぞ!」


「いや、あれ納得じゃないと思いますよ」


 ルカが小声で言う間にレイスはドランの前で足を止めた。バルトを睨みつけたまま淡々と口を開く。


「マスター」


「あいよ」


 ドランはすでに察した顔をしていた。


「あの分の会計はバルトさん個人に回してください、うちは関係ありません」


 ドランは呆れた顔で短く返した。


「あいよ」


「ドラン!?」


 バルトの叫びが店内に響いた。


「今の流れならローグレスの旦那の酒代から出るんじゃねぇのか!?」


「出ません」


 レイスが即答した。


「あれは隊への差し入れです。あなたが勝手に全員へ奢るための金ではありません」


「でも俺様、黒豹の名を上げるためにだな!」


「バルトさん個人の名を上げてください。支払いも個人で」


「冷たい!」


「当然です」


 ルカが横から客たちへ頭を下げる。


「皆さん、遠慮なく飲んでください。バルトさんが払いますので」


「ルカ!?」


「自分で言ったんですよね?」


「言ったけど!」


「なら責任を持ちましょう」


 レイスが冷たく締めると客たちは大笑いした。


「バルト、男前だぞ!」


「黒豹の旦那、ごちそうさん!」


「次も頼むぞ!」


「次はねぇよ!」


 バルトは叫んだが不思議と嫌そうな顔ではなかった。


 財布の心配は間違いなくしていても、店中が笑っていることにはどこか満足しているようだった。


 その顔にアルドは肩を揺らして笑った。


「何やってんだ、あいつ」


「バルトらしいね」


 ルシアンが言う。


「馬鹿だけど」


 ノルが言う。


「ええ」


 セレスが頷く。


「馬鹿だけど、嫌いじゃないわ」


 ゴードは無言でバルトの空いた席の前へ追加の芋を置いた。戻ってきたバルトはそれを見るなりぱっと顔を輝かせる。


「兄弟……! お前だけは俺様の味方だ!」


 ゴードが小さく頷くと戻ってきたレイスもその芋へ目を向けた。


「ゴードさん、甘やかしすぎです」


「いいだろ、今日の俺様は全員に奢った男だぞ!」


「正確には、これからツケを背負う男です」


「言い方!」


「事実です」


 夜骸を倒した翌朝も煤鳩亭の丸テーブルは騒がしい。村人の怯えや月の白さが胸に残っていても彼らは笑う。


 食べて馬鹿なことを言い周りの客に絡んでは謝る。


 奢ったつもりがツケにされてもまた笑う彼らを店の隅の客が微笑ましそうに見ていた。


「黒豹ってのは、もっと怖い連中かと思ってたよ」


 誰かが小さく言う。


「怖いさ」


 別の誰かが答える。


「夜に会えばな」


 昼の黒豹たちはただの騒がしい常連だった。


 アルドは杯を置いて仲間たちを見渡した。レイスがバルトへ小言を言えばルカが横から乗りノルがさらに雑な一言を刺している。


 その向こうではルシアンとセレスが肩を寄せて笑っていた。


 ゴードは黙って皿を支え、エディンの前にはいつの間にかまた杯が増えている。


「アルド?」


 ルシアンがこちらを見る。


「どうしたの?」


「いや」


 アルドは笑った。


「なんでもない」


「そう?」


「ああ」


 そう答えて皿の上の芋を一つ取る。


「バルトに取られる前に食っとこうと思って」


「カシラ!?」


「いい判断」


 ノルが言った。


「アルドさん、学習してますね」


 ルカも続く。


「お前らなぁ!」


 バルトが叫ぶとまた笑い声が弾けた。煤鳩亭の窓の外では昼の光が少しずつ傾いていく。打ち上げはまだ終わりそうになかった。

お読みいただきありがとうございます。

次回も明日20時頃更新予定です。

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