↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/162

緋色の相棒

アルドは、目を開けた。朝だった。正確には、朝になる少し前だった。


 窓の外はまだ青暗く、鳥の声もまばらだ。隊舎の中も静かで、廊下を歩く足音すら聞こえない。寝台の上で、アルドは仰向けのまま天井を見ていた。


 目は、バキバキに冴えていた。


「……寝れなかった」


 ぽつりと呟く。昨日、寝台に入った。目も閉じた。疲れていた。


 森で野営し、廃村で戦い、王都へ戻って報告もした。普通なら泥のように眠るはずだった。なのに、眠れなかった。


 理由は一つしかない。新しい剣が完成した。明日、受け取れる。


 そのことを考え始めた瞬間、胸の奥がずっと鳴り続けた。目を閉じれば鍛冶屋の炉が浮かび、緋灼鉱石《ひしゃくこうせき》の赤が浮かび、まだ見ぬ剣の形が勝手に頭の中で何度も組み上がった。刃はどんな色だろう。


 重さはどうだろう。炎を通した時、どんな音がするのだろう。握った瞬間、手に馴染むだろうか。


 馴染むに決まっている。いや、でも、初めて握る剣だ。少し違和感があるかもしれない。


 でも、それもいい。


 馴染ませていけばいい。これから一緒に戦うのだから。そこまで考えて、アルドは勢いよく上体を起こした。


「よし!」


 声が大きかった。隣室から壁を叩く音がした。


「うるさい!」


 ノルの声だった。


「悪い!」


 アルドは反射的に謝った。


 だが、顔は笑っていた。


 笑うなと言われても無理だった。今日、剣を迎えに行く。それだけで、体の奥から火がついたようだった。


         ◇


 食堂へ降りる頃には、アルドは完全に仕上がっていた。寝不足のはずなのに、足取りは軽い。目は妙に輝いている。


 髪は少し跳ねていたが、本人は気づいていない。食堂にはすでに何人か集まっていた。ルシアン、セレス、ノル、ゴード、ルカ。


 少し遅れてバルトが大あくびをしながら入ってくる。エディンは窓際の席で、いつの間にか茶を飲んでいた。レイスは最後に入ってきた。


 アルドを見るなり、足を止める。


「寝てないな」


「心は寝た」


「意味が分からん」


 レイスは呆れた顔で席についた。ルカが首を傾げる。


「アルドさん、何かいいことあったんですか?」


 アルドは待ってましたと言わんばかりに振り返った。


「聞いてくれ」


「聞かなくても分かるけどね」


 ノルが茶を啜りながら言う。


「新しい剣でしょ」


「そうだ!」


 アルドの声が食堂に響いた。


「今日、受け取りに行く!」


 ルシアンの表情がぱっと明るくなる。


「完成したんだ! おめでとう、アルド」


「おめでとう」


 セレスも笑った。ゴードが静かに頷く。


「よかったな」


「ありがとうございます!」


 ルカも嬉しそうに身を乗り出した。


「どんな剣なんですか?」


「まだ見てない!」


「見てないのにそんなに嬉しいんですか?」


「完成したんだぞ!」


「なるほど!」


 ルカは妙に納得した。バルトがどかっと椅子に座る。


「ついにカシラの新武器か! そりゃめでてぇな!」


「ありがとう、バルト」


「俺様も新しい拳帯でも作るか!」


「それは自分で勝手にやって」


 ノルが雑に返す。エディンは頬杖をつきながら笑っていた。レイスは呆れた顔のまま、けれどほんの少しだけ口元を緩めていた。


「浮かれすぎて転ぶなよ」


「転ばない」


「店まで走るなよ」


「走らない」


「嘘だな」


「少しだけなら」


「走る気だろ」


 食堂に小さな笑いが広がった。その時、奥から香ばしい匂いが流れてきた。甘い。


 けれど甘いだけではない。焦げた醤のような香りに、肉の脂が溶けた匂いが重なる。鼻先を撫でた瞬間、全員の視線が厨房の方へ向いた。


 料理番が大皿を持って出てくる。白い飯の上に、艶のある肉がたっぷり乗っていた。薄く切られたメルティファングの肉。


 甘辛いタレが絡み、表面は照り照りと輝いている。熱で溶けた脂が飯へ染み込み、湯気と一緒に濃い香りを立てていた。


「昨日のメルティファングだ」


 料理番が得意げに言う。


「朝から重いかとは思ったが、肉が良すぎる。新鮮なうちに甘辛く炒めて飯に乗せた」


 バルトが立ち上がった。


「神か?」


「座れ」


 レイスが言う。だが、レイスの目も皿から離れていなかった。全員の前に椀が置かれる。


 メルティファングの甘辛肉飯。箸を入れた瞬間、肉がほろりと沈んだ。アルドは一口食べた。その瞬間、止まった。肉が、舌の上でほどけた。


 噛んだというより、触れた瞬間に溶けた。脂は甘い。


 だがしつこくない。


 甘辛いタレの香ばしさが脂を包み、飯の熱が旨味をふわりと持ち上げる。噛むたびに肉の奥から濃い汁が染み出し、飯粒一つ一つに絡んでいく。飲み込むのが惜しい。


 けれど、飲み込むと次の一口が欲しくなる。


「……うま」


 アルドの声は震えていた。バルトはすでに泣きそうな顔をしている。


「俺様、迷ってよかった」


「よくない」


 レイスが言った。


 だが、レイスも二口目に入っていた。


 ルカは目を丸くして、椀を見つめている。


「これ、肉なんですか?」


「肉以外に何だと思ったの」


 ノルが言う。


「幸せです」


「感想がでかいね」


 ルシアンは小さく口に入れ、すぐに両手で頬を押さえた。


「ん……!」


 目がきらきらしている。


「おいしい……すごい。脂が甘いのに、全然重くない」


 セレスも一口食べて、しばらく無言になった。


「これは……だめね」


「何が?」


「朝から食べたら、一日これのこと考える」


 ゴードは黙って食べていた。


 だが、いつもより箸の進みが明らかに早い。


 エディンは上品に口元を押さえながら、目を細めた。


「んふふ。これは罪な味ねぇ」


 ノルは椀を持ったまま、しばらく固まっていた。


「ノル?」


 ルシアンが声をかける。


「……悔しい」


「何が?」


「昨日の馬鹿どもを責めたいのに、肉がうますぎる」


 馬鹿どもが同時に胸を張った。


「俺たちの勝利だな」


「カシラ、分かってるじゃねぇか!」


「はい!」


「調子に乗るな」


 レイスが冷たく言った。しかし、椀は空になりかけている。


 誰も止まらなかった。


 甘辛い肉。脂の染みた飯。焼けた香ばしさ。噛むたびに広がる旨味。食堂の空気が、幸せで満たされていく。


 昨日の森の疲れも、廃村の灰も、一瞬だけ遠くなった。完食した後、誰もすぐには動かなかった。全員が椅子に座ったまま、ぼんやりしている。


 バルトは天井を見上げていた。


「俺様、もう一回迷ってもいい」


「よくない」


 レイスの声に力がない。ルカは両手を合わせている。


「ごちそうさまでした……」


 ルシアンは幸せそうに息を吐いた。


「本当においしかったね」


「うん」


 アルドも椅子にもたれていた。体の奥まで満たされている。メルティファング。恐ろしい肉だった。


 あまりの旨さに、頭の中が一度空になる。空になって。数秒後。


 アルドは椅子から跳ね上がった。


「剣!!」


 食堂中がびくっとした。ノルが耳を押さえる。


「急に叫ぶな!」


「忘れてた!」


「忘れてたのかよ」


 バルトが笑う。


「メルティファングが強すぎた!」


「それは分かる」


 レイスが立ち上がる。


「行くなら準備しろ。走るな。店に迷惑をかけるな。受け取ったら振り回すな」


「分かってる!」


「絶対分かってない顔だな」


 アルドはすでに食堂を出ようとしていた。ルシアンが少し遅れて立ち上がる。その表情に、ほんの小さな迷いがあった。


         ◇


 アルドの部屋は、いつもより少し散らかっていた。


 昨夜、疲れて帰ってきたまま寝台に倒れ込んだせいだ。壁際には鍛冶屋から借りた代わりの剣が立てかけられている。机の上には手袋や整備布が置かれたままだった。


 アルドは外出用の上着を羽織り、財布を確認し、代わりの剣を持つ。


「いくらだったっけ……? 確か高かったよな。金、先払いだったっけ? 一応ありったけ持ってくか……」


 完全に浮かれていた。そこへ、扉が控えめに叩かれる。


「ア、アルド」


「ん?」


 扉を開けると、ルシアンが立っていた。両手を前で軽く握っている。少し頬が赤い。


「あ、あのね」


「うん」


「鍛冶屋、私もついていっていい?」


「あぁ、いいぞ!」


 即答だった。アルドは財布の中身を確認しながら答えていた。ほとんど話を聞いていない。


「……本当に?」


「もちろん! なんで?」


「ううん、何でもない!」


 ルシアンはぱっと笑った。その笑顔は、さっきメルティファングを食べた時とは違う種類の明るさだった。


「じゃあ、準備してくるね!」


「おう!急げ!」


 アルドはまだ何か荷物を確認している。ルシアンは部屋を出ると、扉を閉めた。そして廊下で、そっと両手でガッツポーズをした。


 嬉しそうに、けれど声には出さずに笑う。


「よかったね」


 横から声がした。


「ひゃっ」


 ルシアンが肩を跳ねさせる。廊下の壁にもたれて、ノルがいた。


「ノル!?」


「盗み聞きじゃないよ。通りかかっただけ」


「今、絶対聞いてたよね?」


「通りかかっただけ」


 ノルはにやにやしている。ルシアンの顔がさらに赤くなった。


「べ、別にそういうのじゃ」


「鍛冶屋デート、楽しんできな」


「ノル!」


「はいはい」


 ノルは手をひらひら振って歩いていく。ルシアンはしばらくその場に立っていたが、やがて小さく笑った。そして、少し急いで自室へ戻った。


         ◇


 王都の朝は明るかった。前線の煙も、廃村の灰も、ここにはない。


 石畳の通りには露店が並び、パンの匂い、焼き菓子の匂い、果物の匂いが混ざっている。荷馬車が通り、子供たちが走り、店先では商人が声を張っていた。アルドは早足だった。


 ほとんど駆け出しそうな勢いである。ルシアンはその隣を歩きながら、楽しそうに見上げた。


「そんなに楽しみ?」


「楽しみ!」


 即答だった。


「どんな剣だと思う?」


「見てからのお楽しみじゃない?」


「分かってる。でも考えるだろ。親父さんが言ってたんだ。緋灼をただ混ぜるだけじゃ駄目だって。芯と刃の間に通り道を作って、炎を流して、余分な熱を逃がすって」


「うん」


「つまり、俺の炎をただ耐えるんじゃなくて、剣の力に変える剣なんだ」


 アルドの声が弾んでいる。ルシアンはその横顔を見て、自然と笑った。


「すごく嬉しそう」


「そりゃ嬉しいだろぉ!」


「うん。よかったね」


 その言葉に、アルドは少しだけ照れたように視線を前へ戻した。


「ああ」


 二人は鍛冶屋へ向かった。道中、アルドはほとんど剣の話をしていた。緋灼鉱石のこと。


 柄に入れる導線のこと。古い剣が限界だったこと。炎を通した時、刃が暴れないようにする工夫。


 ルシアンは一つ一つに楽しそうに相槌を打った。内容の全部が分かるわけではない。でも、アルドが嬉しそうに話していることが嬉しかった。


         ◇


 鍛冶屋の扉を開けた瞬間、熱が頬を撫でた。炉の奥では火が赤く燃えている。金属の匂い。


 炭の匂い。叩かれた鉄がまだ空気の中に残しているような、硬い熱。鍛冶師は作業台の奥にいた。


 アルドを見ると、にやりと笑う。


「来たか」


「来ました!」


「早ぇな」


「朝一で来るって決めてたので」


「顔見りゃ分かる。寝てねぇだろ」


「少し寝ました」


「嘘つけ」


 鍛冶師は鼻で笑い、奥へ歩いていく。


「待ってろ」


 アルドはその場で固まった。ルシアンは店内を見回す。


 壁には剣や短剣、槍の穂先、小型の斧、細身の刃物などが並んでいた。実用品が多いが、中には装飾の美しいものもある。アルドが鍛冶師の戻る方をじっと見ている間に、ルシアンはそっと棚へ近づいた。


 細剣が一本、目に入る。細く、軽そうな剣だった。柄には控えめな銀の飾りがあり、刃はすらりと伸びている。


 ルシアンは少し迷って、それを手に取った。近くにあった鏡の前で、そっと構えてみる。


「……似合うかな」


 小さく呟く。その頃、鍛冶師は長い布に包まれたものを持って戻ってきた。アルドの喉が鳴る。


「落とすなよ」


「落としません」


「振り回すなよ」


「分かってます」


「今はな」


 鍛冶師は作業台の上に布包みを置いた。ゆっくりと布を開く。そこに、剣があった。長剣。形は奇をてらっていない。


 アルドが扱ってきたものと大きくは変わらない。


 だが、存在感が違った。


 刃は銀だけではない。光の角度によって、奥に緋色の筋が走る。表面に塗られた色ではなく、鋼の内側に火の道が眠っているようだった。


 鍔は黒みを帯びた鋼で、無駄な装飾はない。柄は手に馴染むよう細く絞られ、握りの奥には熱を逃がすための細い線が幾重にも刻まれていた。


 派手ではない。けれど、強い。アルドは息を忘れていた。


「持て」


 鍛冶師が言う。アルドは両手で柄を握った。持ち上げる。重い。


 だが、重すぎない。


 手の中に芯がある。剣がこちらを拒んでいない。むしろ、炎を待っているような感覚があった。


「……すごい」


 言葉が漏れた。鍛冶師は満足そうに腕を組む。


「芯には耐久鋼材を使った。外側は熱を逃がしすぎず、溜め込みすぎない層にしてある。緋灼は刃全体にばら撒いちゃいねぇ。芯と刃の間、魔力の通り道に沿わせた」


 アルドは剣から目を離せない。


「だから火を通しても暴れにくい。お前の炎を受け止めて、刃へ流す。余った熱は柄の導線から逃がす」


 鍛冶師は柄を指で叩いた。


「ここだ。握りの奥に細工を入れてある。手元に熱が返りすぎない。だが逃がしすぎもしない。刃に残す熱は残す」


「炎を、剣の力に変える」


 アルドが呟く。


「そうだ」


 鍛冶師は頷いた。


「ただ耐える剣じゃねぇ。お前の炎を喰ってさらに燃え、斬る力に変える剣だ」


 アルドは剣を軽く構えた。炉の赤が刃に映る。緋色の筋が、微かに光ったように見えた。


「火を通してみるか」


「ここでですか?」


「少しだけだ。暴れるかどうか見たい」


 アルドは頷いた。息を整える。手の中に魔力を流す。火炎。


 いつもよりも軽く剣の表面に薄く炎を纏わせる感覚だった。


 だが明らかに違う。


 炎が刃の上で暴れない。


 鋼の内側へ細く吸い込まれ、緋色の筋に沿って走る。刃が赤く光る。熱はある。だが手元へ嫌な返り方をしない。


 剣が震えない。炎が荒れない。なのに、前の剣の時より炎は強く、安定していた。


 アルドの魔力が、刃の奥で形を持つ。それはまるで、剣が呼吸したようだった。


「……最高じゃないですか」


 アルドは呟いた。鍛冶師が口の端を上げる。


「最高にしたんだよ。俺が」


 アルドは深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「礼は使いこなしてから言え」


「はい!」


「あと、最初から全力で燃やすな。馴染むまで様子を見ろ。お前は調子に乗る」


「乗りません」


「乗る顔だ」


 鍛冶師は呆れたように言った。その時、アルドの視界の端にルシアンが映った。鏡の前で、細剣を持っている。


 細身の刃を少し照れたように構えていた。アルドは思わずそちらを見た。


「ルシアン」


「えっ」


 ルシアンが慌てて細剣を下ろす。


「似合ってるな」


「そ、そう?」


「買うか?」


「え!?」


 ルシアンが大きく首を振る。


「いらないいらない! 私は身軽な方がいいし、武器を持って動くのは慣れてないから」


「でも似合ってたぞ」


「似合うだけで買わなくていいの!」


 ルシアンは顔を赤くして細剣を元の場所へ戻した。鍛冶師がそれを見て、少し笑った。


「買うなら安くしとくぞ」


「大丈夫です!」


 ルシアンはさらに慌てた。アルドは少し残念そうに首を傾げたが、新しい剣を手にした喜びの方が大きく、すぐにそちらへ意識が戻った。


         ◇


 鍛冶屋を出ると、王都の昼前の光が眩しかった。アルドは布に包んだ新しい剣を抱えている。抱えている、というより大事に持っている。


 ルシアンはその隣を歩いた。


「このあと、どうするの?」


「隊舎に戻って、少し振ってみて、レイスに見せて、バルトに自慢して、ノルにうるさいって言われて」


「忙しいね」


「忙しい」


 ルシアンは少し笑い、それから勇気を出すように口を開いた。


「その前にさ」


「うん」


「ご飯、食べに行かない?」


 アルドは足を止めた。


「飯?」


「うん。ミナが教えてくれたお店が近くにあるの。お昼、おいしいんだって」


「いいぞ」


 また即答だった。けれど、数歩歩いてからアルドは急に止まった。そして、ゆっくりルシアンを見る。


「……これ」


「うん?」


「もしかして、二人で飯食うやつか」


 ルシアンは目をぱちぱちさせた後、にこっと笑った。


「今気づいたの?」


 アルドの顔が少し赤くなる。


「いや、剣のことで頭が」


「知ってる」


「別に嫌とかじゃなくて」


「知ってる」


「その、急に」


「デートっぽいって思った?」


 ルシアンが楽しそうに言う。アルドは視線を逸らした。


「……まあ」


「ふふ」


「笑うなよ」


「かわいいなって思って」


「かわいくない」


 アルドは急によそよそしい歩き方になった。ルシアンはその横で笑っている。


 さっきまで剣の話で勢いよく歩いていたのに、今は妙に背筋が伸びている。手の置き場に困っているようにも見えた。


「アルド」


「何だ」


「普通にしていいよ」


「普通だよ」


「全然普通じゃないよ」


 ルシアンは楽しそうだった。


         ◇


 ミナが教えてくれた店は、広場から少し奥へ入った通りにあった。木の看板には、野菜と魚の絵が描かれている。


 中は明るく、窓から光が差し込んでいた。昼前ということもあり、席は半分ほど埋まっている。商人らしき客、買い物帰りの女性たち、若い兵士が何人か。


 アルドとルシアンは奥の席に案内された。


「ミナがね、ここの昼煮込みがおいしいって」


「昼煮込み?」


「魚と野菜を白い汁で煮たやつ。あと焼きたての丸パン」


「うまそうだな」


「でしょ」


 注文を終えると、二人は向かい合って座った。アルドは新しい剣を壁側に置いている。視線がちらちら剣へ行く。


 ルシアンはそれを見て笑った。


「剣、気になる?」


「気になる」


「正直」


「嘘ついてもバレるだろ」


「うん」


 料理が運ばれてくる。白い湯気を立てる煮込み。


 柔らかく煮えた野菜と、ほろりと崩れる白身魚。丸パンは外が少し硬く、中はふわふわだった。ルシアンが一口食べる。


「おいしい」


 アルドも食べた。


「うまい」


「よかった。ミナ、こういうお店詳しいんだ」


「女子会で?」


「うん。前に教えてくれたの。今度アルドと行ってみたらって」


 アルドがむせかけた。


「大丈夫?」


「大丈夫」


 ルシアンはにこにこしている。


「ミナ、そういうの好きだから」


「そういうのって」


「内緒」


 他愛のない話が続いた。最近の女子会の話。マリエルが思ったより甘いものを食べる話。


 フィオナが辛口のコーヒーを平然と飲む話。ルカがまた療養院で看護師に怒られそうだという話。バルトが完全復活を何回言うか予想する話。


 アルドは笑い、ルシアンも笑った。


         ◇


 食事を終えた二人は、露店の並ぶ通りへ出た。昼を過ぎ、通りはさらに賑やかになっている。果物。


 布飾り。焼き菓子。小さな魔具。旅人向けの護符。子供用の木剣。


 ルシアンは一つ一つ楽しそうに見ていた。アルドは新しい剣を抱えながらついていく。


「これ、かわいい」


 ルシアンが小さな髪飾りを手に取る。


「似合うな」


「まだ付けてないよ」


「似合うと思う」


「またすぐ買おうとする」


「駄目か?」


「駄目ではないけど、今日は見るだけ」


 ルシアンは笑って髪飾りを戻した。その少し先に、装飾品の露店があった。指輪や首飾り、耳飾りが並んでいる。ルシアンの足が、そこで止まった。見ていたのは、一つの指輪だった。


 細い銀色の輪。


 中央には淡い青色の小さな宝石がはめ込まれている。派手ではない。けれど、光を受けると内側から水面のように揺れる。


 露店の商人がすぐに声をかけた。


「お目が高いね、お嬢さん。それは魔力を増幅する細工が入ってる指輪だよ。派手な戦闘用じゃないけど、回復や支援を使う人には相性がいい」


 ルシアンの目がわずかに輝く。


「魔力を……」


「石の質もいい。銀細工も丈夫だ。普段使いにもできる」


 ルシアンは値札を見た。そして、固まった。


「十八万セリオ……」


 声が小さくなる。商人が苦笑した。


「安くはないね。でも品はいいよ」


「き、綺麗ですね」


 ルシアンは慌てて指輪から手を離した。


「見るだけで大丈夫です」


 そう言って、にこっと笑う。けれど、目は名残惜しそうだった。アルドはそれを見ていた。


「次、あっち見よう」


 ルシアンはすぐに別の露店へ向かった。焼き菓子を見て、布飾りを見て、子供用の小さな魔具に笑っている。アルドは少しだけ遅れて、さっきの露店を振り返った。


 淡い青の指輪が、光の中で静かに揺れていた。


         ◇


 その後、二人は広場の遊戯屋台へ寄った。的当ては、木製の小さな魔石玉を投げて、吊るされた的を落とす遊びだった。アルドは自信満々だった。


「任せろ」


「得意なの?」


「こういうのは力加減なんだ」


 一投目。魔石玉は的を大きく外れ、後ろの布に当たった。


「……滑った」


「うん」


 二投目。今度は力が強すぎて、的の横の支柱に当たり、店主が「あぶねぇ!」と声を上げた。


 ルシアンが慌てて頭を下げる。


「すみません!」


「アルド、力加減」


「分かってる」


 三投目。


 ようやく的の端に当たり、かすかに揺れた。


 落ちない。ルシアンがくすくす笑っている。


「笑うなよ」


「ごめん。かわいくて」


「かわいくない」


 次はルシアンが投げた。ふわりとした軌道で、魔石玉が的の真ん中に当たる。ころん、と的が落ちた。


「……」


 アルドが無言になる。店主が笑った。


「お嬢さんの勝ちだな」


 ルシアンは得意げに胸を張る。


「力加減だよ、アルド」


「覚えた」


「本当かな」


 次に投げ輪へ行った。輪は軽い木でできており、小さな景品の棒へ引っかける遊びだった。アルドは今度こそ慎重に投げた。


 慎重すぎて、手前に落ちた。ルシアンは口元を押さえて笑っている。


「笑ってるだろ」


「笑ってない」


「笑ってる」


「ちょっとだけ」


 結局、二人で何度も挑戦し、小さな青い布飾りを一つ取った。ルシアンはそれを大事そうに持った。


「今日の記念だね」


「それでいいのか?」


「うん」


 ルシアンは笑った。


「すごく楽しい」


 アルドはその笑顔を見て、少しだけ胸が詰まった。


         ◇


 夕方、二人は王都を一望できる高台へ向かった。石段を上がると、王都の屋根が広がって見える。赤く染まった空。


 遠くに白祈塔《はっきとう》。街道を行き交う人々。商店街の明かりが一つ、また一つと灯っていく。


 風は少し冷たかった。ルシアンは手すりに近づき、王都を見下ろした。


「楽しかったね」


 声が柔らかい。


「うん」


「アルド、最初は剣のことしか考えてなかったけど」


「悪かった」


「怒ってないよ。楽しそうだったから」


 ルシアンは振り返って笑った。


「でも、途中からちゃんとデートだった」


 アルドは視線を逸らした。


「……そうだな」


「今日、すごく楽しかった」


 その言葉に、アルドはしばらく黙った。そして、懐に手を入れた。


「ルシアン」


「うん?」


 アルドは、さっきの指輪を取り出した。淡い青の石が、夕方の光を受けて小さく揺れる。ルシアンの目が大きく開いた。


「えっ」


「さっき見てただろ」


「え、でも、これ……十八万セリオ……」


「欲しそうだったし、今日のお礼」


「お礼で買う値段じゃないよ!?」


「魔力、増幅するって言ってた」


「そうだけど!」


 アルドは指輪をケースのまま差し出そうとした。


「ほら」


 ルシアンは受け取らなかった。頬を膨らませる。


「アルド」


「何だ」


「ちゃんと渡して」


「ちゃんと?」


「ちゃんと」


 アルドは数秒考えた。それから、ようやく意味に気づいたように顔を赤くした。


「……ここで?」


「ここで」


「人いるぞ」


「少しだけだよ」


「いや…」


「ちゃんと」


 ルシアンは頬を赤くしながらも、真っ直ぐ見ていた。アルドは観念したように息を吐いた。そして、ゆっくりと片膝をついた。


 周囲にいた何人かが、ちらりとこちらを見る。アルドの耳が赤くなる。


 それでも、ルシアンの左手を取った。


 ルシアンの指は少し震えていた。アルドは指輪を、左手の薬指へ通した。淡い青の石が、ルシアンの手の上で静かに光る。


 ルシアンはそれを見つめていた。顔は真っ赤だった。


 でも、笑っていた。


 泣きそうなくらい、嬉しそうに。


「……ありがとう」


 声は小さかった。


「大事にする」


 アルドは返事をしようとして、うまく言葉が出なかった。急に恥ずかしさが込み上げる。ゆっくり立ち上がると、そっぽを向いた。


「帰るぞ」


 ぶっきらぼうな声だった。ルシアンは、指輪をつけた左手を胸に寄せる。


「うん!」


 声は元気だった。アルドはつかつかと先に歩き出す。その背中を、ルシアンが小走りで追いかける。


「アルド、待って」


「待ってる」


「歩くの早いよ」


「早くない」


「照れてる?」


「照れてない!」


「ふふ」


「笑うな」


 二人の声が、高台の風に溶けていく。その背後で、夜の空が静かに広がっていた。王都の屋根の向こう。


 白祈塔のさらに上。綺麗な満月が、淡く輝いていた。

今回もお読みいただきありがとうございました。

引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。