相棒を待つ夜
「迷った……」
アルドは、森の中でぽつりと呟いた。空はすでに暗くなり始めている。
頭上では枝葉が重なり合い、細い月明かりさえほとんど地面まで届いていなかった。湿った土の匂い。木々の間を抜ける冷たい風。どこか遠くで、夜鳥の声がした。
第一部隊の面々は、森の中で足を止めていた。
誰もが疲れた顔をしている。
任務帰りである。廃村での夜骸討伐を終え、夜明けまで警戒し、昼頃に帰路についた。その時点では、何も問題はなかった。
問題は、その後だった。レイスが冷たい目でアルドを見ている。
「迷ったな」
「うん」
「なぜ迷った」
「それは……」
アルドは視線を逸らした。その横で、バルトが胸を張る。
「メルティファングがいたからだ!」
「お前は黙っていろ」
レイスの声が一段冷えた。バルトは肩を跳ねさせたが、すぐに開き直ったように笑う。
「いや、でもよぉ! メルティファングだぞ!? あの、溶けるような肉質! 甘い脂! 噛んだ瞬間に旨味が押し寄せるっていう、幻の猪!」
「肉の説明は聞いていない」
「聞けよ! 大事だろ!」
ルカが小さく手を挙げた。
「あの、僕も追いました」
「知っている」
レイスがルカを見る。
「お前も同罪だ」
「はい……」
ルカは素直に項垂れた。ノルが腕を組んでため息をつく。
「だから言ったじゃん。あの猪、絶対面倒な方向に逃げてるって」
「でもノルも途中から撃ってたよな」
アルドが言う。
「足止めようとしただけ。誰かさんたちが山の奥まで突っ込むから」
「俺様は肉を逃がさない主義だ」
「そんなもん捨てろ」
セレスが呆れたように言った。ルシアンは苦笑しながら、荷袋を見た。その中には、解体されたメルティファングの肉がしっかりと包まれている。
肉は手に入った。それだけは事実だった。ただし、代償として第一部隊は森で迷った。
正確には、帰り道の目処は立っている。ゴードとノルが方角を確認し、レイスも地形を見て、おおよその位置は把握した。明るければ王都方面へ戻れる。
だが、じき夜だ。
任務帰りの疲労もある。夜骸が出る可能性もある。無理に森を抜けるには危険だった。
「今日はここで野営する」
レイスが言った。
「異論は?」
「ありません」
ルシアンが答える。
「ないわ」
セレスも頷く。
「腹は減った」
バルトが言う。
「異論ではないな」
「肉焼こうぜ!」
「焼かない」
「なんでだよ!」
「匂いで余計なものを呼ぶからだ」
バルトは本気で残念そうな顔をした。ルカも少しだけ肩を落とす。
「ちょっと食べたかったです」
「ルカ、お前まで……」
レイスは額を押さえた。アルドは咳払いをする。
「まあ、その、肉は明日ちゃんと持って帰ろう。ドランさんにも少し渡せるし、ローグさんにも……」
「話を逸らすな」
「すいません」
アルドは素直に黙った。野営の準備は早かった。
ゴードが風を避けられる場所を見つけ、ノルとルシアンが簡易の寝床を整える。セレスは周囲に細い糸と小さな鳴子を仕掛け、ルカは手際よく荷を下ろした。
バルトは薪になりそうな枝を集めていたが、途中で大きすぎる倒木を抱えて戻ってきたため、ノルに「焚き火じゃなくて家でも建てる気?」と言われていた。エディンは、少し離れた木にもたれてその様子を眺めていた。
相変わらず、働いているのか見守っているのか分からない顔で笑っている。やがて、小さな火が灯った。
夜骸を警戒して大きくは燃やさない。光も熱も最低限。闇の中に、橙色の小さな息が揺れる。
「見張りは俺とレイスでやる」
アルドが言った。
「豪華な警備」
ノルが皮肉っぽく言う。
「元はと言えば誰のせいだと思ってるの」
「アルド、バルト、ルカ」
セレスが即答した。
「俺様だけじゃないからな!」
「そこは誇るところじゃないです」
ルカが小さく言う。
「お前も入ってるぞ、ルカ」
「はい……」
ルシアンが笑った。弱い笑みではあったが、昨日より自然だった。アルドはそれを見て、ほんの少し胸が軽くなる。
すると、エディンが手をひらりと上げた。
「じゃあ、おねぇさんも見張りに入ろうかしら」
全員がそちらを見た。レイスが眉を上げる。
「珍しいですね」
「あらぁ、レイスちゃん。おねぇさんだって、たまには役に立ちたいのよぉ」
「いつもサボっている自覚はあるんですね」
「あるわよぉ」
エディンは悪びれずに笑った。バルトがなぜか感動した顔になる。
「姐さんが働く……!」
「バルト、そんな珍獣を見る目で見ないの」
セレスが突っ込む。エディンは楽しそうに肩をすくめた。
「アルドちゃんとレイスちゃんだけに任せるのも悪いもの。おねぇさんも夜風に当たるわ」
「無理にとは言いませんが」
レイスが言う。
「無理じゃないわぁ」
エディンは焚き火の明かりを背にして笑った。
「それに、森の夜は嫌いじゃないの」
エディンはそれ以上説明せず、焚き火へ視線を戻した。誰も聞き返さなかった。皆、もう座っているだけで精一杯だった。
◇
夜が深くなる頃には、ほとんどの隊員が眠っていた。バルトは寝る直前までメルティファングの味を想像していたが、いざ横になるとすぐに寝息を立てた。
ルカも荷物を抱えるようにして眠っている。ノルは銃を手元に置いたまま、浅く眠っていた。
セレスとルシアンは隣同士で寝ている。ルシアンの顔にはまだ疲れが残っていたが、呼吸は落ち着いていた。
ゴードは木の根元に背を預け、目を閉じている。眠っているのかどうか分かりにくい。焚き火のそばには、アルド、レイス、エディンの三人が残った。
火は小さく揺れている。虫の声。木々の軋む音。遠くで何かが草を踏む音。
森の夜は、何もないようでいて、音に満ちていた。アルドは剣を膝に置いている。鍛冶屋に代わりとして借りた剣だ。
昨日の戦いで酷使したからか既に限界が近い。レイスが横目でそれを見た。
「気になるのか」
「まあな」
「鍛冶屋に預けている方か」
「ああ」
アルドは小さく笑った。
「今頃どこまで進んでるかなって」
「任務中に考えるな」
「考えてない」
「今考えていただろ」
「少しだけ」
レイスは呆れたように息を吐いた。エディンがくすくす笑う。
「男の子ねぇ」
「剣が気になるだけです」
「そういうところが男の子なのよぉ、アルドちゃん」
「ちゃん付けやめてくれません?」
「嫌よぉ」
アルドは諦めた。しばらく、静かな時間が流れた。その時だった。エディンが、ふと顔を上げた。笑みは消えていない。
けれど、目の奥だけが変わっていた。レイスもわずかに視線を動かす。
「……何か?」
アルドが問う。エディンはゆっくりと立ち上がった。
「少し行ってくるわぁ」
「どこ行くんです?」
アルドがすぐに聞く。エディンは人差し指を唇の前に立てた。
「レディにそんなこと聞くんじゃありません」
いつもの調子だった。
だが、その足取りはすでに闇へ向いている。
レイスが目を細めた。
「一人で大丈夫ですか」
「あらぁ、心配してくれるの?」
「確認です」
「可愛くないわねぇ」
エディンは小さく笑った。
「お花を摘んでくるだけよ」
そう言って、闇の中へ消えた。本当に、消えたように見えた。枝が揺れる音もほとんどない。足音もない。アルドは立ち上がりかけた。
だがレイスが片手で制した。
「待て」
「でも」
「騒げば寝ている連中が起きる」
「エディンさん一人で行かせるのか」
「本人がそうした」
「だからって」
レイスは闇の先を見ていた。その視線は鋭い。
「……少し待つ」
アルドは不満そうに眉を寄せたが、剣を握ったまま座り直した。焚き火が小さく爆ぜる。闇は何も返さない。
◇
エディンは森の奥を歩いていた。走ってはいない。急いでいるようにも見えない。
それなのに、木々の間を抜ける速度は速かった。足元の枯れ枝は折れない。低い枝は服を掠めない。
森そのものが、彼女の通り道を少しだけ空けているようだった。やがて、湿った空気の中に獣臭が混じった。夜骸の匂いだった。
黒い影が五つ、木々の間にいた。低級夜骸、五体。狼に似たものが二体。猪に似たものが一体。大きな猫科の獣のようなものが一体。
最後の一体は、鳥と獣を中途半端に混ぜたような歪な姿をしていた。いずれも、森の奥から野営地へ向かうように動いている。エディンは立ち止まった。
「だめよぉ」
声は柔らかかった。夜骸たちが、一斉に顔を向ける。
「そっちは、うちの子たちが寝てるの」
エディンの背から、大剣が滑るように抜かれた。金属が鞘を擦る音は、ぬらりとしていた。重いはずの剣を、彼女は軽く片手で持っている。
夜骸が唸る。一体が跳んだ。狼型だった。エディンは半歩だけ横へずれた。牙が空を噛む。
すれ違いざま、彼女の指先に水の薄膜が灯った。夜骸の前脚が濡れる。次の瞬間、その脚が地面を滑った。
体勢が崩れる。そこへ大剣が落ちた。振り下ろした、というほど大きな動きではなかった。
ただ、剣先が必要な場所を通っただけだった。狼型の胴が、静かに真っ二つに割れた。二体目が横から迫る。
エディンは剣を引き戻さない。そのまま柄を軽く回し、剣の腹で地面の土を叩いた。大地が小さく隆起する。
夜骸の前脚がそれに引っかかった。ほんの一瞬。それだけで十分だった。エディンの踵が夜骸の顎を押し上げる。
蹴りというより、置いた足に敵が勝手にぶつかったような動きだった。顎が上がる。首が伸びる。
大剣が横に流れた。首が落ちた。
「はい、二つ」
エディンは数えるように言った。猪型が突っ込んでくる。太い牙。低い重心。木の根を砕きながら迫る。
エディンは避けなかった。指先に淡い風が巻く。その風が大剣の刃に沿って薄く伸びた。
猪型が届く直前、エディンは一歩だけ前へ出る。相手の勢いに逆らわない。むしろ、その勢いが最大になる場所へ刃を置く。
大剣が斜めに入った。猪型の巨体が、エディンの横を通り過ぎる。三歩進んで、崩れた。
切断面から黒い液が土に落ちる。残る二体が同時に動いた。猫科型が木を蹴って上から。鳥獣型が地面すれすれから。挟む動きだった。
低級にしては悪くない。エディンは少しだけ目を細めた。
「あら、上手」
褒める声だった。
だが体は止まらない。
彼女は大剣を背に回すように持ち替え、空いた左手を軽く振った。水滴が散る。月明かりも届かない森の中で、その水滴だけが小さく光った。
次の瞬間、水滴が細い糸のように伸び、猫科型の視界を覆う。夜骸の爪が狙いを外した。エディンの肩のすぐ横を通る。
布は裂けない。同時に、彼女は鳥獣型の頭上へ足を置いた。踏んだ。
それだけだった。大地魔法で重さを増した一歩が、鳥獣型の頭を地面へ叩きつける。骨が砕けた。
その反動で体を浮かせ、エディンは空中で大剣を返す。猫科型が着地するより早く、刃が背骨を断った。四体目と五体目が、ほとんど同時に崩れた。
森が静かになる。エディンは大剣についた黒い液を軽く振り払った。息は乱れていない。
服も汚れていない。髪も乱れていない。ただ、足元に五つの夜骸の残骸があるだけだった。
「はい、おしまい」
エディンは大剣を肩に担いだ。その時、背後から声がした。
「流石ですね、エディンさん」
レイスだった。木の影から姿を現す。剣は抜いていない。
だが、いつでも動ける距離に立っていた。
エディンは振り返り、にこりと笑った。
「あら? レイスちゃんは覗きが趣味だったかしら?」
「途中から気付いていたくせに、よく言いますね」
「なんのことかしら?」
エディンはとぼけた。レイスは倒れた夜骸を一瞥する。
「低級五体を、一人でほとんど音も立てずに片づける。普通ではありませんね」
「おねぇさん、普通じゃないってよく言われるわぁ」
「褒めていません」
「あら、残念」
エディンは楽しそうに笑う。レイスは少しだけ沈黙した。
「なぜ一人で?」
「みんな疲れてたでしょう?」
「それだけですか」
「それだけよぉ」
答えは軽い。軽すぎる。レイスはそれ以上踏み込まなかった。
今ここで聞いても、エディンは笑ってかわすだけだ。
「戻りましょう」
レイスが言った。エディンは大剣を背に戻す。
「そうねぇ。アルドちゃんが寂しがってるわよ」
「それはないです」
「あら、そうかしら」
「心配はしているでしょうが」
「それを寂しがってるって言うのよぉ」
レイスは返事をしなかった。二人は野営地へ戻っていく。森の闇は、何もなかったように静かだった。
◇
アルドは焚き火の前で待っていた。レイスとエディンが戻ってくると、すぐに顔を上げる。
「遅いですよ」
「寂しかった?」
エディンが笑う。
「心配してたんです」
「ほら、レイスちゃん。やっぱり寂しがってたわぁ」
「違います」
レイスは短く否定した。アルドは二人を見る。
「何かあったんですか」
「少し夜風に当たってきただけよぉ」
エディンが言う。レイスは何も言わなかった。アルドは不審そうに眉を寄せたが、エディンがあまりにもいつも通りなので、それ以上聞けなかった。
「……無事ならいいです」
「ありがと、アルドちゃん」
「ちゃん付けやめてください」
「嫌よぉ」
いつものやり取りだった。夜はそのまま静かに過ぎた。
◇
夜が明けると、森は昨日のことが嘘のように明るかった。朝露が草に光り、鳥の声が木々の間を渡っていく。バルトは起きるなり肉の包みを確認した。
「無事だ!」
「まず仲間の無事を確認しろ」
ノルが言う。
「仲間は見れば分かるだろ!」
「肉も見れば分かるでしょ」
「分からん! 誰かが夜中に食ったかもしれん!」
ルカが真面目に首を振る。
「食べてません」
「ルカ、お前は疑ってねぇ!」
「僕以外は疑ってるんですか?」
「いや、レイスあたりが怒りながら食った可能性が」
「馬鹿にしてるんですか?」
レイスが即答した。朝から少しだけ騒がしい。
だが、それは悪くなかった。
道の目処は立っていたため、王都への帰還は順調だった。昼過ぎには森を抜け、夕方前には王都の門が見えた。門をくぐると、兵士が第一部隊の帰還に気づいて敬礼する。
アルドは軽く手を上げた。隊舎へ向かう道の途中、バルトが肉の包みを抱えているルカを見た。
「落とすなよ、ルカ」
「分かってます」
「それは俺様たちの勝利の証だ」
「勝手に迷った証でもあるけどね」
ノルが言う。
「ノル、言い方!」
セレスが笑い、ルシアンも少しだけ笑った。隊舎に着くと、ほとんどの隊員はそのまま休みに向かった。任務帰りで、野営明けだ。
疲労は溜まっている。
「アルド、レイス」
ルシアンが声をかける。
「報告、行くんだよね」
「ああ」
「無理しないでね」
「すぐ戻る」
アルドは答えた。レイスが荷から肉の包みを一つ取り出す。
「これはローグ様に持っていく」
「総隊長室に肉を持ち込む副隊長ってどうなの」
ノルが呆れる。
「原因は隊長だ」
「俺?」
「お前だ」
アルドは否定できなかった。
◇
総隊長室へ向かう廊下で、レイスが口を開いた。
「昨夜のことだが」
「昨夜?」
アルドは肉の包みを抱え直す。
「エディンさんが消えた後か」
「ああ」
「やっぱ何かあったのか」
「低級が五体いた」
アルドの足が止まりかけた。
「えっ五体も?」
「エディンさんが一人で片づけた」
「…………は?」
「音もほとんど立てずにあっという間にな」
アルドはしばらく黙った。廊下の窓から差し込む夕方の光が、床に長く伸びている。
「俺、全く気づかなかったぞ」
「距離があった。風向きも悪かった。お前だけじゃない」
「いや、それにしても……」
アルドは眉を寄せる。昨日、エディンはいつものように戻ってきた。何事もなかったように笑っていた。
服も汚れていなかった。息も乱れていなかった。その間に、低級五体を倒していた。
「実際あの人、どんくらい強いんだろうな」
アルドが呟く。レイスは少しだけ考えた。
「分からん」
「お前でも?」
「ああ」
レイスの声は真面目だった。
「だが、底が見えないのは分かる」
アルドはエディンの笑顔を思い出した。飄々としていて、軽くて、いつも少しだけ掴めない。それでいて、必要な時には誰よりも静かに敵を断つ。
「……逆らわないようにしような」
「……あぁ」
二人はしばらく無言で歩いた。その沈黙には、妙な真剣さがあった。
◇
総隊長室に入ると、ローグレスは書類に目を通していた。そばにはジークもいる。いつものように落ち着いた表情で、書類を整理していた。
「戻ったか」
ローグレスが顔を上げる。
「はい。ただいま戻りました」
アルドとレイスは報告を行った。廃村での夜骸討伐。低級三体、中級二体。周辺の確認。残留民なし。
帰還途中に森で野営したこと。ただし、メルティファングを追いかけて道を外れた件は、レイスが冷たい声で淡々と説明した。アルドは途中から視線を逸らした。
ローグレスは額に手を当てた。
「お前たちは……」
「申し訳ありません」
レイスが言う。
「主犯はこの馬鹿と、バルト、ルカです」
「レイス!」
「事実だ」
ローグレスはため息をついた。だが、机の前に置かれた包みに気づくと、表情が少し変わった。
「それは?」
アルドは待ってましたと言わんばかりに顔を上げた。
「メルティファングの肉です」
ローグレスの目が、分かりやすく輝いた。
「獲れたのか!?」
「はい。迷った原因でもありますけど……かなり良い肉です。ローグさんにもと思って」
「貰っていいのか!?」
ローグレスが身を乗り出した。その顔は、総隊長というより、珍しい土産を貰った父親のようだった。アルドは得意げに頷く。
「もちろんです」
レイスは冷たい目で見ていた。
「迷子の成果ですけどね」
「言い方」
ジークが静かに包みを見た。いつも落ち着いている彼の目にも、珍しく明るい色が浮かんだ。
「メルティファングでしたら、脂が落ちすぎないよう炙るのがよろしいかと」
ローグレスがジークを見る。
「流石詳しいな」
「少々」
ジークは淡々と答えたが、声がほんのわずかに弾んでいた。
「今日の夕食にいたしましょう。簡単な香草焼きなら、肉の味を邪魔せずむしろ引き立ててくれます」
ローグレスは味を確認するかのようにしばらく目を瞑ったのち見開く。
「うむ。是非そうしてくれ」
ローグレスは嬉しそうに頷いた。アルドはさらに得意げな顔になった。
「どうだ、レイス。迷った甲斐が」
「ない」
即答だった。
「肉があっても迷った事実は消えない」
「でもローグさん喜んでるぞ」
「それとこれとは別だ」
ローグレスは肉の包みを大事そうにジークへ渡した。ジークも丁寧に受け取る。総隊長室に、ほんの少しだけ柔らかい空気が流れた。
その後で、ローグレスは思い出したように机の引き出しを開けた。
「そうだ、アルド」
「はい?」
「鍛冶屋から連絡が来ている」
アルドの背筋が伸びた。
「鍛冶屋?」
「ああ。お前の新しい剣が完成したそうだ」
時間が止まった。少なくとも、アルドにはそう感じた。
「……完成?」
「完成だ」
ローグレスが頷く。
「緋灼鉱石を使った新しい剣。明日以降、受け取りに来てほしいとのことだ」
アルドの顔が一気に明るくなった。
「今から行ってきます!」
「店はもう閉まっている」
ローグレスが即座に止める。アルドの顔が分かりやすく落ちた。
「閉まってる……」
「明日行け」
「でも」
「閉まっている」
「少しだけ」
「閉まっている」
レイスが横から言った。
「諦めろ」
アルドは肩を落とした。
だが落ち込みきれてはいなかった。
口元が緩んでいる。目が輝いている。今にも走り出したいのを、必死に我慢している顔だった。
レイスはそれを横目で見た。呆れている。
だが、ほんの少しだけ口元が緩んでいた。
アルドの相棒になる剣。火に耐え、魔法を受け止め強化する、これから先も共に戦うための剣。それが完成した。
その事実は、レイスにとっても少しだけ嬉しかった。
「明日、朝一で行く」
アルドが宣言した。
「起きられたらな」
「起きる」
「任務明けだぞ」
「起きる」
「子供か」
「剣だぞ」
「答えになっていない」
ローグレスが笑った。
「今日は休め。報告も受けた。肉も貰った。剣は逃げない」
「はい」
アルドは渋々頷いた。
それでも、顔は嬉しそうだった。
◇
隊舎に戻る頃には、夜が深くなっていた。食堂からは、かすかに話し声が聞こえる。誰かがまだ起きているらしい。
だがアルドはまっすぐ自室へ向かった。
疲れている。体は重い。森での野営、廃村での戦闘、帰還報告。
本来なら、倒れるように眠るはずだった。けれど眠気よりも、胸の奥の熱の方が強かった。部屋に入ると、剣を壁際に立てかける。
アルドはしばらくそれを見ていた。
「……明日だってさ」
誰にともなく呟く。新しい剣ができた。明日、迎えに行く。
そのことが、子供じみていると分かっていても嬉しかった。アルドは寝台に倒れ込んだ。天井を見上げる。
明日の朝。鍛冶屋の扉。緋灼鉱石を使った新しい剣。どんな重さだろう。どんな刃だろう。
炎を通した時、どんな音がするのだろう。考えるだけで、胸が高鳴る。
「……早く明日になれ」
小さく呟いて、アルドは目を閉じた。疲れは確かにあった。それでもその夜、アルドは少しだけ笑ったまま眠りについた。
今回もお読みいただきありがとうございました。
引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。




