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泥だらけの案内人

 王都南西へ続く村道は、夕暮れになると途端に人の気配が薄くなる。昼間なら、荷馬車が通る。商人が通る。近くの村から王都へ向かう者、王都から村へ戻る者、畑仕事を終えた者達の声が、細い道にぽつぽつと落ちている。だが、日が傾けば違う。森が近い。旧材木道《きゅうざいもくどう》へ続く脇道がある。


 夜骸《やがい》がよく出る区域が近い。村の者達は、夕方以降にこの道を使うことを嫌う。どうしても通らなければならない時は、複数人でまとまり、荷馬車の車輪を急がせる。その日もそうだった。村へ戻る荷馬車は二台。王都で売れ残った野菜と、買い足した薬、布、鉄釘、そして少しの酒を積んでいた。


「急げよ。暗くなる前に戻りたい」


 御者台に座る中年の男が、手綱を握り直して言った。隣に座る青年が、夕暮れの森を見て頷く。


「分かってるよ、叔父さん。馬も急いでくれてる」


「馬だけじゃなくて、お前も周りを見ろ。ロアン」


「見てるって」


 ロアンと呼ばれた青年は、少しだけ笑った。歳は二十代前半。日に焼けた肌と、よく動く目。村の若者らしく身体は締まっているが、兵士のような鋭さはない。腰に下げているのも立派な剣ではなく、山仕事や獣避けに使う短い鉈だった。後ろの荷馬車から、別の村人が声をかける。


「ロアン、酒瓶割るなよ! お前、前に一箱やったからな!」


「あれは道が悪かったんだって!」


「道のせいにすんな!」


 笑い声が起きる。疲れた帰り道にしては、空気は悪くなかった。最初に異変に気づいたのは、馬だった。耳が跳ねる。


 蹄の音が乱れる。御者の男が眉をひそめた瞬間、道の脇の茂みから何かが飛んだ。石だった。馬の脚元に当たり、乾いた音を立てる。馬がいなないた。


「何だ!?」


 男が叫ぶより早く、森の影から人影が飛び出した。一人ではない。五人。いや、奥にまだいる。顔を布で隠した男達が、道を塞ぐように現れた。手には短剣、棍棒、錆びた剣。身なりは野盗に近い。だが、動きはただの行き当たりばったりではなかった。


 前を塞ぐ者。後ろの荷馬車を狙う者。馬を怯えさせる者。逃げ道を潰す者。役割が分かれていた。


「荷を置いていけ」


 低い声がした。顔を隠した男の腰で、短い赤い鎖が揺れていた。ロアンはそれを見た。赤い鎖。奇妙に目に残る色だった。


「冗談じゃない……!」


 叔父が手綱を握ったまま身を乗り出す。その瞬間、横から棍棒が振るわれた。鈍い音。叔父の身体が御者台から転げ落ちる。


「叔父さん!」


 ロアンが叫んだ。次の瞬間には、荷馬車の周囲が騒乱に包まれていた。村人たちは抵抗した。農具を掴む者。積み荷を守ろうとする者。


 怪我人を抱えて逃がそうとする者。だが、盗賊たちは慣れていた。殺しはしない。けれど、躊躇なく骨を折り、肩を斬り、足を払う。悲鳴が上がる。荷が落ちる。酒瓶が割れ、薬箱が踏み潰される。


 ロアンは倒れた叔父に駆け寄った。


「叔父さん! しっかりして!」


「ロアン……逃げ……」


 言葉の途中で、叔父が咳き込んだ。額から血が流れている。ロアンは歯を食いしばった。目の前で、盗賊の一人が薬箱を担ぎ上げる。


「それは村の薬だ!」


 ロアンは飛び出した。短い鉈を抜き、薬箱を持つ男に体当たりする。男はよろめいたが、すぐに肘でロアンの顔を打った。視界が揺れる。頬に熱い痛みが走る。


「邪魔だ、村犬が」


 盗賊が吐き捨てる。その腰にも、赤い短鎖があった。ロアンは地面に膝をつきながら、その鎖を見た。見失ってはいけない。そう思った。


 盗賊たちは荷を奪うだけ奪うと、森へ消えていった。村人たちは追えなかった。怪我人が多すぎた。御者の叔父は頭を押さえたまま動けない。後ろの馬車の若者は足を斬られ、立てない。年配の女は肩を強く打ち、呼吸を詰まらせていた。それでも死者はいなかった。


 死者がいないからこそ、残された者達は全員、目の前の怪我人から離れられなかった。


「王都へ走れ!」


 誰かが叫んだ。


「助けを呼べ! 国軍でも討祓軍でも、誰でもいい!」


「でも、盗賊は……」


「追うな! 殺されるぞ!」


 その声を聞きながら、ロアンは森を見た。盗賊たちの足跡がある。折れた枝がある。荷を抱えて走った跡がある。まだ追える。


 今なら、まだ。


「ロアン!」


 叔父の声が飛んだ。ロアンは振り返る。


「行くな」


「でも」


「行くな!」


 血の滲んだ顔で、叔父が叫んだ。


「お前一人で何ができる! 戻れ!」


 ロアンは答えなかった。答えれば、止まってしまう気がした。盗賊たちを逃がしたら、また来る。薬を奪われたままなら、村の病人が困る。場所が分からなければ、助けが来ても追えない。


 誰かが見つけなければならない。ロアンは鉈を握り直した。


「ごめん」


 短く言って、森へ走った。


「ロアン! おい、ロアン!!」


 背後で誰かが叫んでいた。足が震えている。怖くないわけではなかった。盗賊の顔を思い出す。冷たい目。慣れた手つき。腰の赤い鎖。追いつかれたら殺される。


 見つかったら終わりだ。それでも、ロアンは走った。夕暮れの森に、泥を跳ね上げながら。王都討祓軍第一部隊が招集されたのは、その夜だった。隊舎の廊下に足音が響く。


 アルドは代わりに預かった鉄剣を腰に差し、外套を羽織りながら広間へ入った。そこにはすでに、呼ばれた面々が集まり始めていた。レイスは報告書を受け取り、内容を確認している。ルシアンは治療道具を肩に掛け、表情を引き締めていた。ノルは銃の弾倉を確認し、ルカは双銃を腰に収めながら小さく息を吐く。ゴードは盾を背負い、セレスは短剣の刃を確認していた。


 バルトは脇腹に軽く手を当てながらも、いつも通り拳を鳴らす。エディンは薄く笑いながら、長い髪をいじっていた。


「夜に盗賊か。物好きな連中だな」


 バルトが言った。


「盗賊そのものは国軍案件だ」


 レイスが報告書から目を離さずに言う。


「ただし、現場は旧材木道方面に近い。夜骸の危険区域にかかっている。国軍到着を待つより、俺たちが先行して負傷者確認と周辺警戒をする方が早い」


「盗賊と夜骸、両方警戒ってことか」


「そうだ」


 アルドは頷いた。


「報告では死者なし、負傷者多数。荷の一部が奪われた。盗賊は森へ逃走。あと、村の青年が一人、盗賊を追って行方不明らしい」


 ルシアンが息を呑む。


「一人で?」


「ああ」


「危ないよ……」


 ノルが弾を込めながら言う。


「無茶」


「無茶だが、追わなきゃ拠点が分からないと思ったんだろう」


 ゴードが低く言った。


「気持ちは分かる」


「気持ちで死なれたら困るけどな」


 レイスが静かに返す。エディンが肩をすくめる。


「若い子の無茶は嫌いじゃないけれど、死なれたらおねぇさん達が困るのよねぇ」


「その通りです」


 アルドは扉へ向かった。


「行くぞ。まずは村で状況を聞く。盗賊の追跡は、青年が戻っているかどうか次第だ」


「了解!」


 返事が揃う。夜の王都を抜け、第一部隊は南西の村へ急いだ。村へ着いた時、広場には松明の火がいくつも揺れていた。泣き声。呻き声。


 怒号。薬草を煮出す匂い。土と血の匂い。村人たちは広場に負傷者を集め、応急手当をしていた。布を裂いて包帯にしている者、井戸水を運ぶ者、震える子供を抱く者。アルドたちが到着すると、村人たちの視線が一斉に向いた。


「王都討祓軍だ!」


「黒豹だ……!」


「助かった……!」


 安堵の声が上がる一方で、怪我人の呻きは止まらない。アルドはすぐに指示を出した。


「ルシアン、負傷者確認。セレスとエディンさんは補助。ゴードさん、広場の入口お願いします。ノルとルカは周辺警戒。バルトは俺と村長に話を聞く。レイス、報告整理を頼む」


「分かった」


 レイスが短く頷いた。


「了解!」


 ルシアンはすぐに負傷者のもとへ走った。セレスが薬箱を受け取り、エディンも穏やかな声で村人たちを落ち着かせながら布や水を集め始める。


「大丈夫よぉ。慌てなくていいわ。おねぇさん達に順番に見せてちょうだいね」


 その声は柔らかかったが、不思議と人を動かす力があった。ノルとルカは屋根の影と道の先へ散り、周辺の気配を探る。ゴードは広場の入口に立ち、大盾を地面に置いた。アルドは村長らしき老人と、頭に包帯を巻いた中年の男に向き直った。


「状況を教えてください」


 老人は震える声で説明を始めた。荷馬車二台。王都からの帰り道。森から現れた盗賊。死者はいないが、負傷者多数。


 荷の一部が奪われた。そして、青年ロアンが盗賊を追った。


「ロアンは、村でも足の速い若者で……責任感も強い子です。だが、一人で追うなど……」


 老人は言葉を詰まらせる。頭に包帯を巻いた男が、拳を震わせた。


「俺が止めたんだ……止めたのに、あいつ、行きやがって……!」


「ロアンさんは、盗賊の拠点を探そうとしたんですね」


 ルシアンが治療の手を止めずに尋ねる。男は歯を食いしばって頷いた。


「あいつはそういう奴だ。黙って見ていられない。馬鹿なんだ。優しい馬鹿野郎だ」


 その言葉に、ルシアンの表情が少し曇る。アルドは森の方を見た。夜は濃い。森の中は、松明の光も届かない。


「追跡に出るなら早い方がいい」


 バルトが低く言う。


「でも闇雲に入るのは危険だ」


 レイスが返した。


「盗賊、夜骸、地形。情報が少なすぎる」


「分かってる」


 アルドは考えた。その時だった。広場の外から、誰かの叫び声が上がった。


「誰か来る!」


 ノルが屋根の上から銃を構える。ルカも一瞬で双銃に手を伸ばした。村人たちがざわめく。暗い道の向こうから、ふらつく足音が近づいてくる。松明が向けられた。


 光の中に、一人の青年が現れた。泥だらけだった。顔にも服にも泥がこびりつき、髪には枯葉が絡んでいる。袖は破れ、膝から血が滲んでいた。息は荒く、片手で木の枝を杖代わりにしている。それでも、目は死んでいなかった。


「ロアン!」


 村人たちが叫んだ。頭に包帯を巻いた男が駆け寄る。


「馬鹿野郎! 何してやがった!」


 ロアンは怒鳴られて、少しだけ笑った。


「見つけた」


「何を……」


「あいつらの隠れ家」


 広場の空気が変わった。ロアンはふらつきながらも、アルドたちを見た。王都討祓軍の黒と赤の外套。第一部隊であることを表す白い差し色。黒豹。


 ロアンは泥に汚れた顔で、必死に言った。


「森の奥の、古い石切り場です。道が途中で崩れてて、普通に行くと迷う。目印も少ない。俺、案内できます」


「駄目だ」


 アルドは即答した。ロアンは目を見開く。


「でも」


「怪我してる。疲れてる。盗賊の拠点に村人を連れて行くわけにはいかない」


「場所だけ説明されても、たぶん分かりません」


 ロアンは食い下がった。


「木が三本倒れてる場所を曲がるんですけど、そこから獣道に入って、途中で沢を渡って、その先の岩場を回らないと見えない。口で言っても無理です。俺、途中に布を結んできたけど、暗いと俺ですら見落とすかもしれない」


「だからといって」


「お願いします」


 ロアンは頭を下げた。泥が地面に落ちる。


「俺が勝手に追ったのは分かってます。馬鹿だったのも分かってます。でも、見つけたんです。ここで案内しなかったら、また逃げられる。そしたら、また誰かが襲われる」


 アルドは黙った。ロアンの声は震えていた。怖いのだ。当たり前だ。一人で森を走り、盗賊の拠点を見つけ、泥だらけで戻ってきた青年が、怖くないはずがない。


 それでも、彼は前に出ようとしている。ルシアンが近づき、ロアンの膝に手をかざした。


「先に治療させてください。これじゃ歩けません」


「あ……ありがとうございます」


「お礼は後で。今は座って」


「いや、座ったら立てなくなりそうなので」


「なら立ったままでいいです。でも動かないで」


「はい」


 ロアンは素直に頷いた。淡い水の光が、ロアンの膝と腕を包む。バルトが腕を組みながらロアンを見る。


「根性はあるな」


「根性だけで死なれたら困る」


 ノルが屋根から降りてきて言った。


「無茶なだけ」


「はい……すみません」


 ロアンは素直に頭を下げた。ルカが少し困ったように笑う。


「謝れる無茶な人だ」


 エディンがロアンの泥だらけの髪から枯葉を一つ摘まんだ。


「無茶する子は嫌いじゃないけど、死なれたら困るのよぉ、ロアンちゃん」


「す、すみません」


「次からは、せめて誰かに言ってから走りなさいな」


「次があったら、そうします」


「次は……ない方がいいわねぇ」


 エディンは小さく笑った。アルドはレイスを見る。


「どう思う」


「連れて行くのは危険だ」


「だよな」


「ただ、説明だけで辿り着ける可能性が低いなら、案内役としての価値はある」


「条件付きか」


「そうだ」


 レイスはロアンへ向き直った。


「同行するなら、こちらの指示に絶対従ってもらう。戦闘が始まったら伏せる。勝手に動かない。敵を見ても飛び出さない」


「はい」


「返事だけなら誰でもできる」


 ロアンは息を呑んだ。アルドが前に出る。


「ロアン」


「はい」


「英雄ごっこはするな」


「……はい」


「俺たちの指示から絶対に外れるな。少しでも危ないと思ったら下がれ。村を守りたいなら、まず自分が生きて戻れ」


 ロアンは強く頷いた。


「分かりました」


「よし。案内を頼む」


 村人たちがざわめく。包帯を巻いた男がロアンの肩を掴んだ。


「ロアン、本当に行くのか」


「行く」


「お前、さっき帰ってきたばかりだろうが」


「だから、道を覚えてるうちに行く」


「馬鹿野郎……」


 男は歯を食いしばった。ロアンは申し訳なさそうに笑った。


「帰ってくるよ」


「当たり前だ!」


 男の声は怒鳴り声だった。だが、その奥には震えがあった。ロアンは頷き、第一部隊の前に立った。


「案内します」


 森の中は、湿っていた。夜露を含んだ葉が服を濡らし、足元の土は柔らかい。松明の光は木々に遮られ、少し離れただけで人影が闇に溶ける。ロアンは時折立ち止まり、木の幹や石の形を確認した。


「あっちです」


「本当に道か、これ」


 バルトが低く呟く。


「道ではないですね」


 ロアンが正直に答える。


「昔は石切り場に続く作業道だったらしいんですけど、今はほとんど獣道です」


「足元、滑る」


 ノルが短く言う。ゴードが後ろを支えながら頷いた。


「無理に急ぐな」


「前方、気配あり」


 ルカが小声で言った。一同が足を止める。ノルが木の上へ上がり、闇の奥を見た。


「見張り二人」


 レイスが低く言う。


「盗賊か」


「たぶん。腰に何か赤いのが見える」


 赤い短鎖。アルドは代わりの鉄剣の柄に手をかけた。いつもの剣ではない。握り慣れない重さ。わずかに違う重心。


 それだけで、身体の動きが少しだけ慎重になる。鍛冶師の言葉が頭をよぎった。無茶をするな。


「セレス、ルカ。音を立てずに」


「了解」


「了解」


 二人は闇へ溶けるように動いた。短い呻き声が二つ。それだけで、見張りは沈黙した。ロアンは目を見開いた。


「すご……」


「声を出すな」


 レイスが静かに言う。ロアンは慌てて口を押さえた。その様子に、ルカが戻りながら小さく笑う。


「素直で助かるよ」


 さらに進むと、森が開けた。古い石切り場だった。崖を削った跡が半円のように残り、中央には崩れた石材と古い木組みが散らばっている。奥には洞穴のような横穴があり、そこに灯りが見えた。盗賊たちの拠点だった。人数は十数人。


 荷馬車から奪った木箱が積まれている。赤い短鎖を腰に下げた者が多い。ただの野盗の溜まり場にしては、見張りの位置が整いすぎていた。


「組織立ってる」


 セレスが低く呟く。


「普通の盗賊じゃないね」


 ルシアンも表情を硬くする。レイスは周囲を見た。


「正面から入ると奥へ逃げられる。ルカ、右の岩場。ノルは左上。退路を潰せ。ゴードさんは中央でお願いします。バルトは正面を崩せるか」


「任せろ」


「セレスは足場を。エディンさんは負傷者が出た時の補助をお願いします」


「了解よぉ」


 エディンは柔らかく笑った。アルドはロアンを見た。


「お前はここで伏せてろ」


「はい」


「絶対に動くな」


「はい」


 二度目の返事は、少しだけ固かった。アルドは頷き、剣を抜いた。


「行くぞ」


 戦闘は一瞬で始まった。ノルの銃声が夜を裂く。見張りの一人が肩を撃ち抜かれ、武器を落とした。ルカは岩場を蹴って跳び、右側へ逃げようとした盗賊の足元を撃ち抜く。セレスの魔法が地面を隆起させ、盗賊たちの足場を乱した。


「何だ!?」


「ありゃあ黒豹だ、逃げろ!」


 盗賊たちが叫ぶ。だが、逃げ道はすでに塞がれていた。ゴードが正面に立ち、大盾で棍棒を受け止める。重い音が響く。その横をバルトが踏み込み、拳を振り抜いた。


「どけぇ!!」


 岩を纏った拳が盗賊の腹を打ち、男が石材の山へ吹き飛ぶ。アルドは代わりの鉄剣を握り、盗賊の剣を弾いた。いつもの剣とは違う。炎を深く通しすぎない。刃に無理をさせない。


 それでも、動きは止めない。盗賊の剣を弾き、柄で顎を打ち、膝で腹を蹴る。倒れた男の腰で、赤い短鎖が揺れた。


「赤い鎖ばかりだな」


 アルドが呟く。レイスが横で別の盗賊を斬り伏せながら言った。


「後で回収する。今は制圧だ」


「分かってる」


 盗賊たちは弱くはなかった。少なくとも、ただ村を襲うだけの野盗ではない。互いに声をかけ、退路を作り、負傷した仲間を盾にしようとする。動きに慣れがあった。だが、第一部隊の相手ではなかった。ノルの弾丸が逃げ道を塞ぎ、ルカが死角を潰し、セレスが足場を奪う。ゴードとバルトが前を崩し、レイスとアルドが中心を裂く。


 ルシアンは後方で、身を伏せたロアンの近くにいた。エディンはその傍らで、周囲の気配に目を光らせている。勝負は決まりかけていた。だからこそ、隙が生まれた。横穴の奥に隠れていた盗賊が一人、石材の影を這うように抜けた。


 ノルの視界から外れ、ルカの反対側を通り、倒れた仲間の陰に身を隠しながら、後方へ回る。狙いはルシアンだった。治療役。防御役。戦場でそこを崩せば、混乱を作れる。


 盗賊は短剣を逆手に握り、背後から飛び出した。


「ルシアン!」


 セレスの声が飛ぶ。ルシアンが振り返る。反応はした。だが、距離が近すぎた。防御の魔法を立ち上げるには、一瞬だけ足りない。


 短剣の刃が、月明かりを拾った。その瞬間、横から泥だらけの影が飛び込んだ。


「うわああああっ!!」


 ロアンだった。伏せていろと言われたはずの青年が、全身で盗賊にぶつかった。体当たりは綺麗ではなかった。訓練された動きでもない。ただ、必死だった。


 盗賊の短剣はルシアンの喉ではなく、ロアンの肩口を裂いた。ロアンと盗賊がもつれるように倒れる。


「ロアンさん!」


 ルシアンが叫んだ。盗賊はすぐに起き上がろうとした。だが、その前にルカの銃口が額へ向けられた。


「動くな」


 ルカの声は低かった。盗賊が止まる。次の瞬間、バルトが横から踏み込み、盗賊の腹を蹴り飛ばした。


「てめぇ、後ろ狙ってんじゃねぇぞ!」


 盗賊は石の上を転がり、そのまま動かなくなった。ルシアンはロアンの肩に手を当てた。血が流れている。深い。だが、命に届く傷ではない。


「どうして……! 動かないでって言われてたのに!」


 ルシアンの声が震えていた。ロアンは痛みに顔を歪めながら、それでも笑おうとした。


「すみません……でも、身体が勝手に……」


「勝手に動かないでください!」


「はい……」


「返事はいいです。今は喋らないで」


「でも……」


 ロアンは荒い息の中で、ルシアンを見た。


「間に合って、よかった」


 ルシアンは言葉を失った。治癒の光が、ロアンの肩を包む。その光の中で、ロアンは目を閉じた。


「本当に……よかった……」


 その声は、泥と血にまみれているのに、どこか安心しきっていた。戦闘は間もなく終わった。盗賊たちは全員制圧された。逃げた者はいない。奪われた荷の大半も回収できた。


 死者は出なかった。だが、ロアンの肩には深い傷が残った。ルシアンの治癒で出血は止まったが、完全に痛みが消えたわけではない。村へ戻る頃には、ロアンはゴードに支えられながら歩くことになった。村の広場に戻ると、待っていた村人たちが一斉に駆け寄った。


「ロアン!」


「また怪我してるじゃないか!」


「だから言っただろうが、この馬鹿!」


 包帯を巻いた叔父が、ロアンの頭を軽く叩いた。ロアンは肩を押さえながら苦笑する。


「痛いって、叔父さん」


「痛くしてんだよ!」


「でも、荷は戻ったし、拠点も分かったし……」


「それで死んだら意味ねぇだろうが!」


 叔父の声が震えた。ロアンは黙った。そして、小さく頭を下げた。


「ごめん」


 叔父はそれ以上怒鳴れなかった。アルドはその様子を少し離れて見ていた。ロアンは無茶だ。命令を破った。戦闘中に勝手に動いた。


 本来なら叱るべきだ。実際、後で叱る。だが、ルシアンが無事だったのも事実だった。バルトがアルドの横に来る。


「いい根性してんな、あいつ」


「根性だけで戦場に出られたら困る」


「まあな」


 バルトは鼻を鳴らした。


「でも、嫌いじゃねぇ」


「ふっ……俺もだよ」


 アルドは短く言った。レイスが背後から静かに言う。


「命令違反は命令違反だ」


「分かってる」


「叱るのはお前の仕事だ」


「分かってるよ」


 アルドはロアンへ歩いた。ロアンはそれに気づくと、背筋を伸ばそうとして痛みに顔をしかめた。


「すみません!」


 先に謝った。アルドは眉を上げる。


「何に謝ってる」


「指示を破りました。伏せてろって言われたのに、動きました」


「分かってるならいい」


「よくはないですよね」


「よくはない」


 ロアンは肩を落とした。アルドは少しだけ声を落とした。


「でも、ルシアンを助けてくれた。そこは礼を言う」


 ロアンは顔を上げた。


「……いえ、そんな」


 アルドは深く頭を下げる。


「助かった。ありがとう」


 ロアンは一瞬だけ目を泳がせ、それから照れくさそうに笑った。


「やめてください! 頭なんて下げないでください!こちらこそ、村を助けていただいて……ありがとうございました」


 ルシアンが近づいてくる。治療道具を片付けた後だった。


「ロアンさん」


「はい」


「助けてくれて、ありがとうございました」


 ルシアンは深く頭を下げた。ロアンは慌てた。


「ルシアンさんまで!やめてください! 俺なんかに頭下げないでください! 俺、勝手に動いただけなので!」


「それでも、助けてもらいました」


「でも……」


「だから、今度お礼を持ってきます」


「お礼?」


「はい。私、アップルパイが得意なんです」


 ロアンは瞬きをした。


「アップルパイ?」


「お嫌いですか?」


「いえ、好きです」


 即答だった。その答え方があまりにも素直で、ルシアンは少し笑った。


「じゃあ、今度持ってきますね」


「本当にいいんですか?」


「もちろんです」


「じゃあ……楽しみにしてます!」


 ロアンは照れたように笑った。泥と血で汚れた顔だった。それでも、その笑顔は年相応で、どこにでもいる村の青年のものだった。セレスが横からルシアンを見る。


「ルシアンのアップルパイは本当に美味しいものね」


「セレスも今度味見してね」


「喜んで」


 ノルが少し離れた場所で呟く。


「甘そう」


 ルカが笑う。


「ノルさん、絶対食べるのに」


「少しだけなら」


「ほら」


 エディンが穏やかに肩を揺らした。


「お礼がアップルパイなんて、可愛いわねぇ。ロアンちゃん、ちゃんと治してから食べるのよぉ」


「はい、エディンさん!」


「いい返事ねぇ」


 ロアンは笑った。村人たちにも、ようやく少しだけ安堵が戻っていた。奪われた荷は戻った。死者はいない。怪我人は多いが、治療は進んでいる。


 盗賊たちは捕らえられ、国軍へ引き渡される。夜はまだ深い。けれど、その広場には確かに、助かった者達の息があった。盗賊たちは、村人たちから離れた広場の端に集められていた。手足を縛られ、武器を奪われ、地面に膝をつかされている。


 見張りについていたのはゴードだった。大盾を地面に置き、逃げ道を塞ぐように立っている。捕縛した盗賊たちは十数人。誰も騒がなかった。罵声もない。命乞いもない。ただ、布で隠された顔の奥から、じっとこちらを見ている。その静けさが、妙だった。少し離れた場所では、ロアンが村人たちに囲まれていた。ルシアンのアップルパイの話に、場はわずかに明るさを取り戻している。だが、こちら側だけは冷えていた。


 レイスが歩み寄る。ノルもその横に並んだ。手には銃。表情はいつも通りに見えるが、目だけが鋭い。


「聞きたいことがある」


 レイスは盗賊たちを見下ろした。


「お前達は、ただの野盗ではないな。腰に下げているその赤い短鎖。それは何の印だ」


 盗賊たちは答えなかった。誰一人、目を逸らさない。ノルが眉をひそめる。


「黙ってても無駄。国軍に身柄が渡れば、もっと時間をかけてじっくり聞かれる」


 それでも、返事はなかった。ゴードが低く言う。


「妙だな。怯えも、怒りも薄い」


「覚悟している顔だ」


 レイスが呟いた。その言葉が終わるか終わらないかのうちに、盗賊の一人が笑った。布の奥で、喉が小さく鳴る。次の瞬間だった。盗賊たちの肩が、ほとんど同時に震えた。


「な――」


 ゴードが動くより早く、一人の口元から黒い泡が溢れた。続いて、隣の男も。その隣も。十数人の盗賊たちが、まるで合図を受けたかのように一斉に身体を折った。


「毒か!」


 レイスが叫ぶ。ノルが即座に一人の顎を掴み、口を開かせようとした。だが、歯の奥から砕けた小さな何かが零れる。仕込んでいた。捕まった時点で、いつでも噛み砕けるように。盗賊たちは次々と地面に倒れていく。喉を掻く者もいない。助けを求める者もいない。苦しみながらも声を殺し、身体を丸めるようにして倒れていく。


 情報を渡さないためなのか。アルドには、まだ分からなかった。レイスが一人の胸元を掴み上げた。


「答えろ。お前達は何者だ」


 盗賊は黒ずんだ唇をわずかに歪めた。笑ったのかもしれない。それきり、動かなくなった。広場の端に、重い沈黙が落ちた。さっきまで聞こえていた村人たちの声が、急に遠くなる。


 レイスは盗賊の胸元を掴んだまま、しばらく動かなかった。


「……くそ」


 低く、吐き捨てる。その声には、珍しくはっきりとした悔しさが滲んでいた。


「情報を取られる前に死んだ。全員が、迷わずに」


 ノルは倒れた盗賊たちを見下ろしていた。その顔には嫌悪があった。苛立ちもあった。けれど、それだけではなかった。


「ムカつく」


 ノルは小さく言った。


「でも、覚悟は本物だった」


 言葉にするのも不快そうに、唇を歪める。


「ただの盗賊じゃない」


 ゴードは大盾の柄に手を置いたまま、倒れた者達を見ていた。強い男の顔に、少しだけ影が落ちる。


「命を粗末にした、とは言い切れんな」


 レイスが視線を向ける。ゴードは静かに続けた。


「こいつらには、こいつらの守るものがあったんだろう。何であれ、俺たちにはまだ分からんものが」


 ノルは答えなかった。レイスも何も言わなかった。ただ、赤い短鎖が墓標かのように地面に並んでいる。血と泥に汚れてなお、その色は妙にはっきりと赤かった。アルドは空を見上げた。


 月が出ていた。白い月だった。その下で、ロアンは村人たちに囲まれ、何度も怒られながら、何度も謝っていた。そのたびに、少し困ったように笑っていた。ロアンという青年は、無茶だ。


 危なっかしい。目を離すと、また勝手に走り出しそうだ。でも、誰かを守ろうとする時の目だけは、まっすぐだった。ルシアンはその背中を見て、もう一度小さく言った。


「アップルパイ、ちゃんと作らなきゃ」


 アルドは隣で笑う。


「気合い入ってるな」


「だって、助けてもらったから」


「そうだな」


 ルシアンはロアンの方を見て、柔らかく微笑んだ。


「喜んでくれるといいな」


 その言葉は、夜の広場に静かに溶けた。


「俺……食ったことないんだけど……」


「え?」


「ルシアンのアップルパイ……」


「あれ?そうだっけ?」


 口を尖らせるアルドの横で、ルシアンは微笑む。


「じゃあ、アルドのはまた今度ね」


 月光の下、アルドはまだ少し不満そうな顔で歩き、ルシアンは隣で笑っていた。

今回もお読みいただきありがとうございました。

引き続き毎日20時頃の更新になりますので、よろしくお願いします。

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