まだ形のない剣
翌朝の隊舎は、いつもより少しだけ騒がしかった。鉱山任務から戻ったのは夜更けだった。報告も、治療も、打ち上げも、全部が遅くまでずれ込んだせいで、食堂に集まった隊員達の顔にはそれぞれ眠気が残っている。ゴードは大きな欠伸を噛み殺しながら、皿の上の焼き肉を黙々と口へ運んでいた。ノルは湯気の立つ茶を両手で包み、目を半分閉じたまま座っている。セレスは焼き野菜を綺麗に切り分けながら、向かいに座るルシアンの髪先についた小さな埃を取ってやっていた。
ルカは果実水を飲みながら、どこか落ち着かない顔で食堂の入口を何度も見ている。バルトは脇腹に巻かれた布を気にしながら、それでもいつも通り皿を山にしていた。そして、アルドだけが異様に元気だった。
「おかわり!」
「朝からよく食べるわねぇ、アルドちゃん」
食堂の端で果物をつまんでいたエディンが、頬杖をつきながら笑った。藤色の髪が肩口で柔らかく揺れる。眠そうにも見えるのに、目だけは楽しそうに細められていた。
「おねぇさん、見てるだけでお腹いっぱいになりそうよぉ」
「今日はいくらでも食えそうなんです」
アルドは空になった皿を掲げた。隣で茶を飲んでいたレイスが、冷めた目を向ける。
「昨日もそう言っていたな」
「昨日とは違う」
「何が違う」
「今日は新しい剣のために動く日だ」
「昨日もほとんどその話しかしていなかった」
「今日は実際に動く」
「寝たのか?」
「寝た」
「何時間」
「……そこそこ」
レイスは無言で茶を飲んだ。その沈黙がすべてを物語っていた。ノルがぼそりと言う。
「寝てない顔」
「寝たって」
「目だけ元気」
「一番危ないやつだな」
ゴードが低く笑う。アルドは反論しようとしたが、その前にバルトが肉を頬張りながら身を乗り出した。
「で、カシラ。今日は鍛冶屋行くんだろ? 俺様も行く」
「バルトは駄目」
ルシアンが即答した。
「まだ何も言ってねぇだろ」
「言ったよ。行くって」
「言ったけどよ」
「だから駄目」
「昨日治しただろ」
「治したけど、無理していいとは言ってない」
ルシアンの声は優しい。けれど、逃げ道はなかった。バルトは助けを求めるようにアルドを見た。
「カシラ」
「俺を見るな。ルシアンが正しい」
「またそっち側かよ!」
バルトが声を上げると、脇腹に響いたのか、わずかに顔をしかめた。その一瞬をルシアンは見逃さなかった。
「ほら」
「今のは違う」
「何が違うの?」
「ちょっと……飯が詰まっただけだ」
「脇腹に?」
「細けぇなぁ!」
ノルが茶を飲みながら短く言った。
「苦しい言い訳」
「ノルまで!」
バルトが騒ぐと、セレスが軽く眉を寄せた。
「バルト、静かに。朝から響くのよ」
「俺様の扱い、最近雑じゃねぇか?」
「最近?」
セレスの返しに、エディンがくすくす笑う。
「みんなに構われてるうちが花よぉ、バルトちゃん」
「姐さん、それ慰めてる?」
「もちろん」
「絶対面白がってるだろ」
「少しだけね」
「認めるのかよ」
食堂に小さな笑いが広がった。その中で、ルカだけが少し遅れて笑った。アルドはそれに気づき、声をかける。
「ルカ」
「はい」
「今日、第二部隊に行くんだよな」
ルカは杯を両手で包んだまま頷いた。
「うん。昨日の件、ちゃんと話してくる。謝るだけじゃなくて、次どう動くか」
「おう」
アルドは笑った。
「行ってこい」
「はい」
「大丈夫。お前ならできる」
ルカは一瞬だけ目を丸くし、それから少し照れたように笑った。
「……ありがとう、アルドさん」
ノルが横から茶を置く。
「でも、無理に全部背負わないこと」
「はい、ノルさん」
「あと、変に格好つけない」
「それは……努力します」
「すでに怪しい」
「まだ何もしてないのに」
ルカが困ったように笑う。その顔は昨夜より少しだけ軽く見えた。アルドは満足げに頷くと、最後のパンを口に放り込んだ。
「よし。俺はローグさんのところに行ってくる」
「一人で行くの?」
ルシアンが尋ねる。
「いや、その後第四部隊にも行くから、ルシアンも来てくれ」
「私?」
「ああ。補修材とか、医療器具の素材にも関係あるらしいんだよ。俺だけで行くと、たぶん何言ってるか分かんねぇ」
「それは自信満々に言うことじゃないわね」
セレスが呆れたように言う。アルドは胸を張った。
「分からないことを分かってるのは偉いだろ」
「開き直りとしては立派ね」
「褒めてる?」
「褒めてない」
ルシアンは小さく笑った。
「いいよ。一緒に行く」
「助かる」
「その代わり、素材の話で勝手に暴走しないでね」
「……努力する」
「アルド、それは怪しい時の返事だよ」
「ルシアンまで」
レイスが茶碗を置いた。
「申請なら、鍛冶師から渡された紙を忘れるなよ」
「分かってる」
アルドは懐から、折り畳まれた紙を取り出した。昨夜、鍛冶師から押しつけられたものだ。紙面には、必要素材の名前と量が殴り書きで並んでいる。字は荒い。ところどころ煤がついている。線も斜めに走っている。正直、アルドには半分くらいしか読めなかった。レイスはその紙を一瞥し、眉を寄せた。
「……よくこれを読めたな」
「読めてない」
「だろうな」
「ローグさんに見せれば何とかなる」
「最初から他力本願か」
「適材適所、な」
「便利な言葉だな」
レイスは呆れたように息を吐いた。
「俺は今日は別件がある。ついてはいかないからな」
「え、来ないのか?」
「行く必要がない。ローグ様とジーク殿に見せれば、申請用の形に直してくれるだろう。第四部隊対応にはルシアンがいる。鍛冶屋にはお前が行けばいい」
「薄情者」
「合理的判断だ」
「言い方」
「それと」
レイスはアルドの顔を見た。
「浮かれて妙な約束を増やすなよ」
「増やさねぇよ」
「本当に?」
「たぶん」
「ほらな」
「まだ何もしてねぇだろ」
ルシアンがくすくす笑った。
「レイス、ちゃんと見送ってくれてるんだね」
「監視できない分、釘を刺しているだけだ」
「そういうことにしておくね」
「……ルシアンまで妙な言い方をするな」
珍しく少しだけ不満そうなレイスを見て、アルドは笑った。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい」
セレスが手を振る。
「ルシアン、アルドが変な方向へ走り出したら止めなさい」
「うん。任せて」
「俺、馬か何かか?」
「今朝のアルドは近いわね」
「セレスまでひどい」
エディンがひらひらと手を振った。
「行ってらっしゃい、アルドちゃん、ルシアンちゃん。変なものまで貰って帰ってこないようにねぇ」
「変なものって何ですか」
「勢いで増える借金とか」
「増やしません!」
「本当かしらねぇ」
エディンは楽しそうに笑った。アルドとルシアンは、並んで食堂を出た。隊舎の廊下には朝の光が差し込んでいる。昨夜の疲れを残した空気の中で、アルドだけがやはり少し足早だった。
「アルド、歩くの早いよ」
「あ、悪い」
アルドはすぐに歩幅を緩めた。ルシアンは少しだけ笑う。
「そんなに楽しみ?」
「楽しみだな」
「顔に出てる」
「みんなに言われる」
「うん、出てる」
「そんなにか」
「うん」
ルシアンは横顔を見上げた。
「でも、いいと思う」
「何が?」
「アルドが嬉しそうだと、私もちょっと嬉しい」
何気ない一言だった。ルシアンは本当にただ、思ったことを口にしただけだったのだろう。それなのにアルドは、一瞬だけ言葉に詰まった。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、完成したら最初に見せる」
「本当?」
「ああ。ローグさんの次くらいに」
「そこは最初じゃないんだ」
「いや、ローグさんには素材貰ったし……でも、最初に見せたい気持ちはある」
「ふふ、何それ」
ルシアンが笑う。アルドは少し照れくさくなって、視線を前へ戻した。
「まあ、とにかく。完成したら見せるよ」
「うん。楽しみにしてる」
二人の間に、少しだけ柔らかい沈黙が落ちた。二人の並んで歩く距離は自然に近く、歩幅を合わせることにどちらも違和感を覚えていなかった。ローグレスの執務室は、朝からすでに書類の山だった。昨日遅くまで明かりがついていたはずなのに、机の上には新しい書類が積まれている。王都討祓軍総隊長の仕事に、終わりというものはないらしい。
「入れ」
扉の向こうから声が返る。アルドが扉を開けると、ローグレスは書類に印を押しているところだった。その後ろではジークが淡々と別の束を整えている。
「朝から来るとは思っていたが、本当に朝一番で来たか」
ローグレスは顔を上げるなりそう言った。
「おはようございます、ローグさん」
「おはよう。用件は新しい剣だな」
「はい。鍛冶師から必要素材のメモをもらってきました」
アルドは懐から紙を取り出し、ローグレスに差し出した。ローグレスはそれを受け取った。目を落とす。眉間に皺が寄る。
「……これはまた、豪快な字だな」
「親父の字です」
「職人らしいと言えば聞こえはいいが」
ローグレスは紙を少し傾け、別の角度から眺めた。
「半分ほど暗号だな」
「ですよね」
「お前は読めたのか?」
「読めるところだけ」
「正直でよろしい」
ローグレスは苦笑し、紙をジークへ渡した。
「ジーク、申請用に清書できるか」
「拝見します」
ジークは紙を受け取り、表情一つ変えずに読み始めた。しばらく紙面を目で追い、机の端に新しい用紙を置く。
「耐久鋼材、熱導石、柄芯用の硬木、魔力伝導を受け流す細工材。数量は……この辺りでしょうか。職人特有の略称が混じっていますね」
「読めるんですか、それ」
アルドが驚くと、ジークは筆を取りながら答えた。
「何度か鍛冶師や職人からの申請書を扱ったことがありますので」
「すごいな……」
「慣れです」
慣れで読めるものなのか、とアルドは思った。ジークが清書を始める。その間、ローグレスはルシアンへ視線を向けた。
「そういえば、ルシアン」
「はい」
「お前はフィオナと親しかったな」
アルドは横を見た。
「え、そうなのか?」
「知らなかったの?」
ルシアンが少し驚いた顔をした。
「知らなかった」
「フィオナさんとは、たまに女子会してるんです。ミナちゃんとノルも一緒に」
「女子会?」
「うん。お茶したり、甘いもの食べたり、近況を話したり」
「ノルも?」
「来るよ。文句言いながら」
「想像できる」
アルドは頷いた。ローグレスは少しだけ楽しそうに目を細める。
「フィオナは仕事場ではあの調子だが、意外と面倒見がいい。ルシアンが頼めば、話は通しやすいかもしれん」
「俺が頼むより?」
「お前が頼むと勢いで押し切ろうとするだろう」
「しませんよ」
「するだろう」
「……少しは」
「だからルシアンを連れてきたのは正解だ」
ルシアンは小さく笑った。
「私もちゃんとお願いしてみます。素材、必要なんだよね?」
「ああ」
アルドは頷いた。
「こいつがないと、剣が中途半端になる」
「なら、頑張るね」
「頼りにしてる」
そう言うと、ルシアンは少しだけ照れたように目を伏せた。その隣で、ローグレスは何か言いかけたが、やめた。ジークの筆が止まる。
「清書できました」
差し出された紙は、先ほどの殴り書きとはまるで別物だった。素材名、用途、推定必要量、軍備倉庫で確認すべき分、第四部隊への確認が必要な分。すべてが整然と並んでいる。
「こちらが控えです。アルド隊長がお持ちください。こちらは軍備倉庫用。こちらは第四部隊へ提示する確認票です」
「ありがとうございます」
アルドは控えを受け取り、まじまじと眺めた。
「同じ内容とは思えない」
「元の紙もお返しします」
ジークは鍛冶師の殴り書きも差し出した。
「鍛冶師本人へ確認する際に必要になる可能性がありますので」
「助かります」
ローグレスは清書された申請書に印を押した。
「軍備倉庫分は許可する。ただし、量は必要最低限だ。第四部隊の分についてはフィオナの承認を取れ。あちらの補修材まで俺の一存で動かすわけにはいかん」
「はい」
「それと、アルド」
「はい」
「浮かれるのはいいが、今の剣を粗末にするなよ」
アルドは腰の剣に手を置いた。
「分かってます。こいつにも、最後までちゃんと付き合います」
「ならいい」
ローグレスは短く答えた。その声は、いつもの厳しさより少しだけ柔らかかった。執務室を出ると、アルドは清書された控えを両手で見下ろした。
「よし……一歩進んだ」
「よかったね」
ルシアンが隣で笑う。
「ああ。ジークさん、すごかったな。あの殴り書きからよくここまで」
「アルドは読めなかったもんね」
「半分くらいは読めた」
「本当?」
「……三分の一くらい」
「減った」
「正直に言った」
ルシアンは楽しそうに笑った。アルドはその笑顔を見て、ふっと肩の力を抜いた。
「ルシアンがいてくれて助かったよ」
「まだ第四部隊に行ってないよ」
「それでも助かってる」
「そう?」
「ああ。俺一人だったら、たぶんローグさんにもっと呆れられてた」
「それは……そうかも」
「否定してくれないのか」
「できないかな」
「ルシアンまで」
二人は笑いながら廊下を進んだ。向かう先は第四部隊の隊舎だった。第四部隊の隊舎は、第一部隊のそれとは空気が違っていた。廊下には薬草の匂いと、洗い立ての布の匂いが混ざっている。慌ただしさはあるが、怒鳴り声は少ない。部屋の扉には用途ごとに札が掛けられ、棚には整然と器具が並んでいた。アルドはその整い方に少し緊張した。
「何か、汚しちゃいけない感じがする」
「実際、汚さないでね」
ルシアンが笑顔で言う。
「俺、そんなに信用ないの?」
「今のアルドは浮かれてるから」
「なるほど」
納得しかけて、アルドは慌てて首を振った。
「いや、納得するところじゃなかった」
「自覚はあるんだね」
「あるけど、認めたくはない」
「難しいね」
「隊長の威厳の問題だからな」
「威厳……」
「何だよ」
「ううん。何でもない」
「今、絶対ちょっと笑っただろ」
「笑ってないよ」
「笑ってた」
「少しだけ」
「正直だな」
そんなやり取りをしているうちに、二人は第四部隊隊長室の前へ着いた。扉を叩くと、中から落ち着いた声が返る。
「どうぞ」
入室すると、フィオナが机の前で書類を読んでいた。その隣には、数冊の資料を抱えたマリエルが立っている。柔らかそうな雰囲気の女性で、二人の姿を見ると少し慌てたように背筋を伸ばした。
「あ、あの、お、お疲れ様です……!」
「マリエル、落ち着きなさい」
フィオナが書類から顔を上げずに言う。
「は、はい……!」
返事はしたが、マリエルの肩はまだ少し強張っていた。フィオナはそこで顔を上げ、アルドたちを見る。
「朝から珍しいわね。第一部隊の隊長とルシアンが揃って来るなんて」
「お疲れ様です。今日は素材の件で相談に来ました」
アルドが清書された控えを差し出す。
「昨日の鉱山任務で手に入った緋灼鉱石を使って、新しい剣を作ることになりまして。鍛冶師に必要素材を確認したら、第四部隊の補修材に該当するものがあるかもしれないと」
フィオナは紙を受け取り、目を通した。最初の表情は、少し硬かった。
「……熱導石と細工材ね。確かにこちらで管理しているものがあるわ。ただ、これは医療器具や防護具の補修にも使う。簡単には出せない」
「ですよね…」
アルドは素直に頷いた。
「必要最低限で構いません。使える分があるかだけでも確認してもらえれば」
フィオナは紙から目を離さない。
「第一部隊の隊長の剣が重要なのは分かる。でも、第四部隊の予備を削る以上、こちらにも理由が必要よ」
アルドは言葉を探した。無理に押し切るべきではない。ここで勢いだけで頼めば、ローグレスに言われた通りになる。隣で、ルシアンが一歩前に出た。
「フィオナさん」
フィオナの視線が、ルシアンへ向く。
「お願いします。アルドの剣、今かなり傷んでいて……でも、アルドはこれからも前に出て戦います。だから、ちゃんとアルドの炎に耐えられる剣が必要なんです」
ルシアンはまっすぐに言った。
「もちろん、第四部隊の分が足りなくなるほど欲しいわけじゃありません。余裕のある範囲で構いません。もし代わりになる素材があるなら、それでも大丈夫です」
フィオナはしばらく黙っていた。アルドは息を止める。マリエルも、資料を胸に抱えたまま固まっている。やがてフィオナは、ほんの小さく息を吐いた。
「……あなたにそう言われると、断りづらいわね」
「フィオナさん」
「マリエル」
「は、はい!」
「保管庫を確認しましょう。熱導石は医療器具用の予備を残す。細工材は古い規格のものが使えるかもしれない。代替候補も含めて確認するわ」
「は、はい。すぐに」
フィオナは立ち上がり、マリエルと共に部屋の奥の扉へ向かった。去り際に、アルドへ視線を向ける。
「まだ許可したわけではないわ。確認するだけよ」
「はい!」
「その顔はもう許可されたと思っている顔ね」
「してません!」
「しているわ」
フィオナは呆れたように言い、マリエルを連れて奥へ消えた。扉が閉まる。部屋には、アルドとルシアンだけが残った。数秒の沈黙。アルドは突然、ルシアンの方を向き手を握る。
「ルシアン」
「え?」
「ありがとう!」
「まだ決まったわけじゃないよ」
「それでも。めちゃくちゃ助かった!」
「そんな、大げさだよ」
「大げさじゃない。俺が頼んだら、たぶん勢いだけになってた。ルシアンが言ってくれたから、ちゃんと伝わった」
アルドの声はまっすぐだった。ルシアンは一瞬、返す言葉を失った。
「いや、本当に。ありがとう。俺の剣のことなのに、俺よりちゃんと説明してくれた」
「そ、そんなことないよ」
「ある」
「ないってば」
「あるって」
アルドがあまりにも真剣に言うものだから、ルシアンの頬が少しずつ赤くなっていく。
「アルド、褒めすぎ」
「褒めてるんじゃなくて、感謝してる」
「それが褒めすぎなの」
「そうか?」
「そうだよ……」
ルシアンは困ったように笑いながら、視線を逸らした。耳まで赤い。アルドはそこでようやく、自分が少し勢いよく言いすぎたことに気づいた。
「あ、悪い」
「悪くないけど……びっくりしただけ」
「そっか」
「うん」
短い会話だった。けれど、部屋の空気はさっきより少しだけ柔らかかった。アルドは照れくさくなって、わざとらしく咳払いをする。
「とにかく、助かった」
「うん」
「完成したら、やっぱり最初に見せるよ」
ルシアンは赤い顔のまま、少しだけ笑った。
「ローグさんの次じゃなかったの?」
「……同じくらい最初」
「何それ」
「難しいんだよ、順番が」
「ふふ、そっか」
二人がそんなやり取りをしていると、奥の扉が開いた。フィオナとマリエルが戻ってくる。マリエルの腕には、さらに数冊の資料が抱えられていた。
「確認したわ」
フィオナが席へ戻る。
「必要量すべては出せない。ただし、鍛冶師の指定量から見て、最低限の機能を満たす分は融通できる。足りない分は代替素材で補う形になる」
「ありがとうございます!」
アルドは勢いよく頭を下げた。マリエルが慌てて資料を机に広げる。
「あ、あの、こちらに該当素材の保管状況、使用可能量、代替候補、搬出時の注意事項をまとめました。熱導石はこの量まで、細工材は古い規格のものが二種類使える可能性があります。鍛冶師の方に確認していただく必要はありますが……」
その動きは少しおどおどしているのに、資料は驚くほど綺麗だった。素材名。保管棚。残量。過去半年の使用履歴。劣化の有無。搬出に必要な容器。鍛冶場へ運ぶ際の注意点。アルドは目を丸くした。
「すごい……」
「い、いえ、そんな、必要なことをまとめただけで……」
「いや、これめちゃくちゃ助かります」
「そ、そうですか……?」
マリエルは少しだけ頬を緩めた。ルシアンが優しく笑う。
「マリエルさん、すごく見やすいです。私でもすぐ分かります」
「ル、ルシアンさんにそう言っていただけると、安心します……」
フィオナがそのやり取りを見て、少しだけ表情を和らげた。そして、ふと思い出したように言う。
「そういえばルシアン」
「はい?」
「次の休み、空いている?」
アルドは瞬きをした。
「え?」
ルシアンは少し考える。
「たぶん空いています。まだ任務が入らなければ」
「なら、前に話していた女子会をそこで入れましょう」
「女子会?」
アルドが聞き返したが、誰も反応しなかった。フィオナは淡々と続ける。
「ミナも誘うのでしょう?」
「はい。ミナちゃんも行きたいって言ってました。ノルもたぶん来ます」
「ノルが来るなら、甘すぎない店にした方がいいわね」
「でもミナちゃんは甘いものが好きなので、両方あるお店がいいですね」
「王都広場の噴水前で待ち合わせにしましょう。あそこなら分かりやすい」
「いいですね!」
「マリエル」
「は、はい!」
突然呼ばれ、マリエルが肩を跳ねさせた。
「あなたも来なさい」
「えっ、わ、私ですか?」
「そうよ」
「あ、あの、でも、私、そういう場に慣れていなくて……それに、書類も……」
「書類は前日までに終わらせなさい」
「そ、それは、できますけど……」
ルシアンが一歩近づいた。
「マリエルさんも来てくれたら嬉しいです」
「ルシアンさん……」
「フィオナさんもいますし、ミナちゃんも優しいです。ノルは少し口は荒いですけど、怖くないですよ」
「それ、フォローになっているのかしら」
フィオナが静かに言う。ルシアンは少しだけ笑った。
「たぶん」
マリエルは資料を胸に抱き、視線を泳がせた。
「で、では……ご迷惑でなければ……」
「迷惑なら誘わないわ」
フィオナが即答する。
「は、はい……!」
その横で、アルドは完全に置いていかれていた。素材の相談に来たはずだった。新しい剣のために来たはずだった。昨日からずっと楽しみにしていた、重要な一歩のはずだった。なのに、目の前では女子会の日程が決まっている。
「……俺、何しに来たんだっけ」
アルドは部屋の隅で小さく呟いた。ルシアンが、はっと振り返る。
「あっ、ごめんねアルド。素材の話だったよね」
「思い出してくれてありがとう…」
「忘れてたわけじゃないよ」
「本当…?」
「少しだけ」
「少しかよ」
フィオナは何事もなかったように資料へ視線を戻した。
「素材の使用は許可するわ。ただし、第四部隊の予備をすべて持っていかれると困るので、マリエルが示した量まで。運搬時は指定容器を使うこと」
「ありがとうございます!」
アルドは一気に顔を明るくした。マリエルが追加の書類を差し出す。
「あ、あの、こちらが搬出許可書です。こちらは鍛冶師の方に渡す確認票で、こちらは返却不要の消耗素材一覧です。あと、素材ごとに保管状態が違うので、運ぶ順番はこの紙の通りにしていただけると……」
「完璧すぎる」
アルドは思わず言った。マリエルは慌てて首を振る。
「い、いえ、そんな……あの、間違いがあると大変なので……」
「マリエルは心配性だけれど、仕事は速いわ」
フィオナが淡々と評する。
「フィオナ隊長……!」
「褒めているのよ」
「は、はい……!」
ルシアンはにこにこしていた。
「女子会でも、いろいろお話ししましょうね」
「は、はい。よろしくお願いします……」
マリエルは小さく頭を下げた。アルドは大量の書類を受け取りながら、満足そうに頷いた。
「よし。これで鍛冶屋に行ける」
「その前に倉庫で素材確認ね」
ルシアンが言う。
「分かってるよ」
「本当に?」
「今日は分かってる」
「今日だけ?」
「ルシアン、最近レイスに似てきてないか?」
「えっ、そうかな」
「たまに鋭いところが」
「それは褒めてる?」
「褒めてる」
「ならいいかな」
フィオナが呆れたように二人を見る。
「第一部隊は相変わらずね」
「褒めてます?」
アルドが聞くと、フィオナは少し間を置いた。
「えぇ、もちろん」
明らかな皮肉に、アルドは苦笑した。必要な承認を揃えた後、二人は第四部隊を出た。廊下を歩きながら、アルドは書類を大事に抱える。
「すごいな、マリエルさん」
「うん。仕事、すごく丁寧だったね」
ルシアンが頷く。
「気弱そうに見えるけど、ちゃんと芯がある人だと思う」
「天下の王都討祓軍第四部隊副隊長だからな」
「うん。フィオナさんの隣にいる人って感じがした」
「それにしても、女子会か」
「楽しみ」
ルシアンが素直に言う。
「ミナちゃんにも伝えなきゃ。ノルにも」
「ノル、来るのか?」
「来るよ。たぶん文句言いながら来る」
「想像できる」
アルドは頷いた。そして少しだけ肩を落とす。
「俺の素材相談中に日程決めるとは思わなかったけどな」
ルシアンは申し訳なさそうに笑った。
「ごめんね」
「いいよ。素材も手に入ったし」
「アルド、部屋の隅で小さくなってたね」
「見てたのか」
「うん」
「忘れてくれ」
「無理かな」
「ルシアンまで」
二人は軍備倉庫へ向かい、必要素材の確認を済ませた。ローグレスの承認、第四部隊の許可、マリエルの用意した資料。すべてが揃っていたため、手続きは驚くほど早かった。素材は指定の容器へ収められ、鍛冶屋へ運ぶ準備が整えられた。必要量すべてではないが、代替素材を含めれば、鍛冶師に確認できるだけの量は揃っている。アルドはその一つ一つを見るたびに、胸の奥が熱くなるのを感じた。
まだ剣ではない。ただの鉱石。ただの鋼材。ただの木材。ただの細工材。
けれど、それらが一つに集まり始めている。ローグレスが渡した緋灼鉱石。軍備倉庫から許可された鋼材。第四部隊が融通してくれた補修材。マリエルが整えた書類。
ルシアンが繋いだ第四部隊との話。いろいろな人の手を通って、まだ形のない剣が、少しずつこの世界に近づいている。午後には、アルドとルシアンは再び職人通りの鍛冶屋に立っていた。炉は今日も赤く燃えている。鍛冶師は運び込まれた素材を一つずつ確認し、何も言わずに並べていった。
緋灼鉱石。耐久鋼材。熱導石。柄芯の硬木。細工材。
それらが作業台の上に揃うと、鍛冶師はようやく顔を上げた。
「揃えたか」
「揃えました」
アルドは胸を張った。
「正式な依頼書もあります」
鍛冶師はそれを受け取り、ざっと目を通した。
「珍しく手順が早いな」
「俺だけじゃないんで」
アルドは少し照れたように言った。
「ローグさんや、第四部隊や、いろんな人が手伝ってくれました」
「だろうな。お前一人でここまで揃えられるとは思ってねぇ」
「信用がない」
「信用してるから言ってる」
「どの辺が?」
「お前は剣を振る方が向いてる。書類を揃える方じゃねぇ」
「それは否定できない」
鍛冶師は鼻を鳴らし、緋灼鉱石を手に取った。炉の赤に照らされ、鉱石の内側が静かに光る。
「今日から火を入れる」
その一言で、アルドの背筋が伸びた。
「完成までは?」
「急かすな」
「まだ聞いただけです」
「顔が急かしてる」
「顔ってそんなに喋ります?」
「お前の顔はうるさい」
ルシアンが隣で小さく笑った。
「確かに、今日は少しうるさいかも」
「ルシアンまで言うのかよ」
「少しだけね」
鍛冶師は素材を一つずつ炉の近くへ移した。
「緋灼は扱いを間違えると、ただ火に強いだけの荒い剣になる。お前の炎は強いが、雑に通せば剣が先に負ける。だから、剣の方にもお前を覚えさせる」
「剣が、俺を?」
「そうだ。火の通り方、魔力の癖、振り方。全部見て打つ。今の剣も預かるぞ」
アルドは腰の剣に手を置いた。少しだけ迷う。何度も夜骸を斬った剣。炎を纏い、欠け、直し、また戦ってきた剣。限界に近いと分かっていても、手放すとなると妙に寂しかった。
ルシアンが隣で静かに見ていた。アルドはゆっくり剣を外し、鞘ごと鍛冶師へ差し出した。
「頼みます」
鍛冶師はそれを受け取った。
「任せろ」
短い言葉だった。だが、その重みで十分だった。鍛冶師は古い剣を作業台に置き、その隣に緋灼鉱石を並べた。まだ形のない剣。これまで共に戦ってきた剣。
二つが同じ台の上に並ぶ。アルドはそれをじっと見つめた。別れではない。終わりでもない。ただ、次へ進むための準備だった。
「完成したら、すぐ呼ぶ」
「はい」
鍛冶師は一振りの鉄剣を差し出す。
「代わりの剣だ、綺麗な状態で戻ってくるとは思ってねぇがあまり無茶をするな、無茶してこいつが壊れたらお前の命に関わる」
「……はい」
鍛冶師は満足したように頷いた。炉の火が、ぱちりと音を立てる。まだ何も打たれていない。まだ刃もない。まだ名もない。
それでもアルドには、その剣がもうどこかで息をし始めたように思えた。鍛冶屋を出る頃には、夕方が近づいていた。王都の通りには、人の流れが戻り始めている。仕事帰りの商人、買い物帰りの親子、屋台の仕込みをする店主。どこにでもある王都の日常だった。アルドは両手を頭の後ろで組み、大きく息を吐いた。
「始まったな」
「うん」
ルシアンが笑った。
「楽しみだね」
「ああ」
アルドは素直に頷いた。
「すげぇ楽しみだ」
「完成したら見せてね」
「もちろん」
アルドは少しだけ照れくさそうに笑った。
「約束したしな」
「うん。約束」
二人は並んで職人通りを歩いた。夕方の光が、石畳を淡く染めている。まだ剣は形になっていない。だが、その日アルドは、確かに新しい何かが始まったのだと思った。
◇
その夜、ローグレスの執務室には、再び明かりが灯っていた。日中に処理しきれなかった書類が、机の上に積まれている。ジークはその横で、封蝋のついた報告書を一本差し出した。
「王都南西の村道より急報です」
ローグレスは顔を上げた。
「夜骸か」
「いえ。盗賊です」
ジークの声は静かだった。
「村の馬車が襲撃されました。死者は確認されていませんが、負傷者多数。荷は一部奪われ、襲撃者は森の方角へ逃走」
「盗賊なら国軍案件だ」
「はい。ただし、襲撃現場は旧材木道方面に近く、夜間の夜骸出没危険区域にかかります。加えて、村人の証言が一つ」
ジークは報告書を開いた。
「襲撃した者達は、腰に同じ印を下げていたそうです」
「印?」
「短い赤い鎖です」
ローグレスの目が、わずかに細くなった。部屋の空気が変わる。ジークは続けた。
「さらに、襲撃後、村の青年が一人、制止を振り切って盗賊を追跡したとのこと。現在、行方不明です」
ローグレスはしばらく黙っていた。そして、深く息を吐く。
「第一部隊を呼べ」
「夜間ですが」
「分かっている。国軍にも連絡しろ。ただし、旧材木道にかかるなら、夜骸の危険もある。第一部隊を先行させる」
「承知しました」
ジークが静かに頭を下げる。ローグレスは報告書の一文を見つめた。赤い短鎖。旧材木道。行方不明の青年。
新しい剣は、まだ形もない。だが、夜は待ってくれない。
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