サンドイッチと緋色の鉱石
朝の隊舎は、まだ静かだった。廊下の窓から差し込む光は薄く、食堂の方からも、鍋の音や誰かの笑い声は聞こえてこない。夜明けから少し経ったばかりの時間。第一部隊の面々も、まだ完全には動き出していなかった。その静けさの中で、バルトは自室にいた。寝台にも腰掛けず、机の前にも座らず、ただ窓際に立っている。手には、一枚の報告紙があった。
折り目のついた、簡素な紙。そこには、短い文章と、ひとつの名前が記されていた。バルトは何度もその名前を目でなぞった。何度読んでも、文字は変わらなかった。死んだ。
その事実だけが、紙の上で冷たく乾いている。バルトの背中は、いつもよりひどく小さく見えた。肩幅は変わらない。体の大きさも、腕の太さも、何ひとつ変わっていないはずだった。それなのに、その背は、まるで強い風に押されて少しずつ縮んでいるようだった。
指先が、かすかに震えている。紙を握る手に力が入り、端が潰れた。けれど、次の瞬間。
「……っし」
バルトは息を吐き、報告紙を机の引き出しに押し込んだ。乱暴に閉める。大きな音が部屋に響いた。それでも、誰も来ない。バルトは一度だけ額を押さえた。
それから、無理やり顔を上げる。鏡に映った自分の顔を見て、口角を上げた。
「俺様は、いつも通りだ」
そう言い聞かせるように呟いて、バルトは部屋を出た。
◇
その日の午前、アルドとレイスは王都の鍛冶屋を訪れていた。店は王都南区の一角にある、古い鍛冶工房だった。表の看板には剣と槌が交差した印が刻まれている。中へ入ると、熱された鉄の匂いと、油と炭の匂いが鼻をついた。炉の奥では赤い火が燃えている。壁には剣、短剣、斧、槍の穂先、鎧の部品が並んでいた。どれも飾りではない。実際に使われ、直され、また戦場へ戻るための道具だ。鍛冶師は、アルドの剣をしばらく黙って見ていた。
五十を越えた頃の、腕の太い男だった。顔は煤で汚れ、眉間には深い皺が刻まれている。無口そうな男だったが、刃を見る目は鋭い。彼は剣の根元を指で弾いた。きん、と鈍い音が鳴る。アルドはその音に顔をしかめた。
「やっぱり変か?」
鍛冶師は答えず、今度は刃の腹を光にかざした。しばらくして、短く息を吐く。
「欠けは直せる」
「本当か!」
「最後まで聞け」
アルドが身を乗り出したところで、レイスが横から言った。
「落ち着け」
「いや、直せるって」
「最後まで聞けと言われただろ」
鍛冶師は顎で剣を示した。
「欠けは埋められる。歪みも多少なら戻せる。だが、根本は無理だ」
「根本?」
「金属が疲れてる」
アルドは眉を寄せた。
「疲れてる?」
「火を通しすぎだ」
鍛冶師は剣を作業台に置いた。
「普通の鉄剣に、ここまで火炎魔法を纏わせ続けたんだろう。しかも、ただ纏わせるだけじゃない。刃の奥まで魔力を通して、瞬間的に熱を上げてる。外から見える欠けより、中が悪い」
アルドは言葉に詰まった。心当たりしかなかった。何度も炎を流した。夜骸を斬るために。仲間を守るために。
当然のように。
「つまり、俺の使い方が悪い?」
「半分はな」
「半分も?」
「残り半分は、お前さんの火が強すぎる」
鍛冶師は淡々と言った。
「剣が悪いわけじゃない。むしろよく持ってる。だが、このまま同じ使い方を続けりゃ、いずれ折れる」
「いつ?」
「それが分かりゃ苦労しねぇ」
鍛冶師は剣をアルドへ返した。
「明日かもしれん。半年後かもしれん。だが、弐式以上を何度も通すな。特に一点に熱を集める技はやめとけ」
レイスが横目でアルドを見る。
「聞いたか」
「聞いた」
「本当に?」
「聞いたって」
「顔が聞いていない」
「顔で判断するなよ」
「お前は顔に出る」
鍛冶師は二人のやり取りを聞きながら、鼻で笑った。
「直しはしてやる。だが、これは延命だ。根本的には素材を変えろ。火を受ける剣なら、火に耐える素材で打たねぇと意味がない」
「火に耐える素材……」
アルドは剣を見下ろした。今まで、剣はただの剣だった。握れば戦える。炎を通せば斬れる。それで十分だと思っていた。
けれど、剣にも限界がある。自分の火が、武器を壊すことがある。それは、妙な気分だった。
「分かった。とりあえず直しは頼む」
「ああ。今日中には無理だ。代わりの剣を持っていけ」
「代わり?」
鍛冶師は壁に掛けられた鉄の長剣を一本外した。
「性能は落ちるが、ないよりマシだ」
アルドは受け取り、軽く振る。
「……軽いな」
「お前さんの剣が手に馴染みすぎてるだけだ」
レイスが言った。
「しばらくは無茶をするな」
「分かってる」
「その返事を信用するには実績が足りない」
「最近そればっかり言われる」
「言われる理由があるからだ」
アルドは何も言い返せなかった。
◇
鍛冶屋を出た後、二人は煤鳩亭に寄った。昼少し前の店内は、夜ほど騒がしくない。常連の客が数人、早めの食事を取っている。厨房からは焼いた肉と香草の匂いが漂っていた。
「剣が弱ってるなら、アルドも少しは大人しくなる?」
ミナが水を出しながら言った。
「俺がいつも大人しくないみたいに言うなよ」
「大人しくないでしょ、黒豹さん」
「否定できないのがつらい」
レイスは席につきながら言った。
「大人しいアルドなど、任務に支障が出る」
「お前、それ褒めてるのか?」
「事実を述べただけだ」
「便利な言葉だな」
二人は簡単に食事を済ませた。アルドはいつもより少しだけ静かだった。手元には、鍛冶屋から借りた代わりの剣がある。悪い剣ではない。だが、腰に下げていると違和感がある。自分の剣ではない。ただそれだけで、少し落ち着かなかった。
「ルシアンに土産、買っていくか」
食事を終えたアルドが言った。
「なぜ急に」
「剣のことで心配かけたし。あと、昨日からあいつ、ちょっと元気なかっただろ」
「それはそうだな」
レイスは頷いた。
「サンドイッチなら食べやすいだろ」
「じゃあそれで」
ミナが包みを用意してくれた。野菜と薄切り肉を挟んだもの、卵を使ったもの、甘い果実煮を少し入れたもの。ルシアンの好みに合わせて、重すぎないものを選んでくれた。
「はい、ルシアンさんによろしくね」
「ありがとう」
アルドは包みを受け取る。その時、ふと足を止めた。
「……そういやローグさん、昨日も顔死んでたな」
レイスが振り返る。
「お前が書類を増やすからだ」
「俺だけのせいじゃないだろ」
「半分はお前のせいだ」
「半分多くない?」
「残り半分は事件のせいだ」
「じゃあ差し入れくらい持ってくか」
アルドはミナに追加でサンドイッチを頼んだ。レイスは少し呆れたように見ていたが、止めなかった。
「ローグ様は喜ぶだろうな」
「だろ?」
「お前が食べ物を持っていく時、大抵何かが起きるが」
「嫌な言い方するなよ」
「事実だ」
アルドはサンドイッチの包みを二つ抱え、煤鳩亭を出た。
◇
総隊長室の扉を叩くと、中から少し遅れて返事があった。
「入れ」
声に疲れが滲んでいた。アルドが扉を開けると、ローグレスは机に向かっていた。書類の山が左右に積まれ、インク壺が二つ、空の茶器が一つ。目元には薄い影がある。ジークの姿はなかった。珍しく、ローグレス一人だった。
「ローグさん」
「アルドか。レイスも。どうした、剣の件か?」
「それも後で話しますけど、その前に」
アルドは包みを掲げた。
「飯、食ってます?」
ローグレスは一瞬だけ黙った。
「……食った」
「いつです?」
「朝だ」
「もう、昼ですよ」
「まだ昼だ」
「それ言う人、だいたい夜まで食わないんですよ」
ローグレスは少しだけ困った顔をした。アルドは遠慮なく机の空いた場所に包みを置く。
「煤鳩亭のサンドイッチです。ルシアンの土産ついでに買ってきました」
「俺にか」
「はい」
ローグレスは包みを見た。それから、ほんの少しだけ表情を和らげる。
「……ありがとう」
その声が、思ったより素直だったので、アルドは少し照れた。
「いや、ついでですけど」
「ついででも嬉しいよ」
ローグレスは書類を脇へ寄せ、サンドイッチを手に取った。ひと口食べる。表情がさらに少しだけ緩む。
「うまいな」
「ドランさんの飯は何でもうまいですよ」
「そうだな」
アルドも椅子に座り、余った包みから一つ食べた。レイスは壁際に立っていたが、ローグレスに促され、結局座った。
「レイスも食べろ」
「俺は昼食を済ませました」
「一つくらいなら入るだろう」
「……いただきます」
レイスもひとつ手に取る。総隊長室に、少しだけ煤鳩亭の匂いが混じった。書類、インク、硬い椅子、責任。その中に、焼いたパンと肉の香ばしい匂いがある。それだけで、部屋の空気が少し柔らかくなった。
「剣はどうだった」
ローグレスが聞いた。アルドは肩をすくめる。
「直しはできるけど、根本解決にはならないって言われました。火を通しすぎだって」
「やはりか」
「ローグさんも分かってたんですか」
「報告を聞けばな。中級相手に炎を一点集中させた。普通の鉄剣には厳しいかもな」
「素材を変えろって言われました」
「その必要はあるだろう」
アルドは少しだけ沈んだ顔でサンドイッチをかじった。その時だった。机の端に置かれた一枚の書類が、目に入った。アッチッチ鉱山。採掘停止。
低級夜骸の目撃。そして、赤い文字で囲まれた鉱石名。緋灼鉱石。アルドの目が止まった。
「……ローグさん」
「何だ」
「これ、何ですか」
アルドは書類を指差した。ローグレスは一瞬だけ視線を落とし、すぐに答える。
「ああ、これか。王都南西の鉱山の案件だ」
「鉱山?」
「小規模な採掘場だ。緋灼鉱石を少量産出する。最近、坑道周辺で低級夜骸らしき影が目撃されて、採掘が止まっている」
「緋灼鉱石……」
アルドの声が少し変わった。レイスがそれに気づいて、目を細める。ローグレスは気づかなかった。
「火炎魔法との相性がいい鉱石だ。魔力熱を保持しやすく、火属性の威力を増幅する。鍛冶素材としても希少だが、産出量は多くない」
アルドの背筋が伸びた。
「ローグさん」
「何だ」
「これ、俺たちに任せてください!」
ローグレスは瞬きをした。
「え?」
レイスは無言でサンドイッチを置いた。嫌な予感がしたからだ。ローグレスは書類を持ち上げる。
「いや、これはお前たちが出張るほどのものではない。夜骸も低級の可能性が高いし、鉱山周辺の安全確認が主だ。それにしては人手も必要だから、第二部隊に任せようと思っていた」
「第二部隊に?」
「ああ。ヴァルムには後で話を回す予定だ」
「ローグさん」
アルドは真剣な顔を作った。レイスはその顔を見て、額に手を当てた。
「これ、俺らに任せてください」
「いや、これはお前たちが出張るほどでは……」
「たまにはいいじゃないですか!」
アルドは身を乗り出す。ローグレスはアルドの熱に気圧されている。
「夜骸処理ばっかで飽きてきましたよ! いや、夜骸処理が嫌ってわけじゃないですよ? でも鉱山が止まって困ってる人がいるんですよね? 鉱夫とか、鍛冶師とか、そこから物を買ってる人たちとか」
「それは、そうだが」
「俺たちにやらせてください。たまには人助けさせてください!」
レイスは目を閉じた。言葉だけ聞けば立派だった。言葉だけ聞けば。ローグレスは、アルドをじっと見た。アルドの剣が傷んでいる。
それでも、彼は自分のことよりも鉱山で働く者や、鉱石を必要とする者たちのことを第一に考えている。そう、ローグレスには見えた。
「アルド……」
ローグレスの声が少し柔らかくなる。
「立派になったなぁ……」
「え」
アルドが一瞬素に戻る。レイスが小さく息を吐いた。ローグレスは満足そうな顔で深く頷いた。
「分かった。第一部隊に任せよう」
「本当ですか!」
「ああ。ヴァルムには俺から説明しておこう。今回はお前たちに任せる」
アルドは勢いよく立ち上がった。
「はっ! このアルド、完璧に任務を遂行してまいります!」
「頼んだぞ!」
「任せてください!」
ローグレスは珍しく晴れやかな笑顔で頷いた。レイスは黙ってサンドイッチを食べ終えた。
◇
隊舎へ戻るなり、アルドは食堂の扉を開け放った。
「ってことで! 鉱山に行くぞ!」
中にいた面々が一斉に振り向いた。ルシアンはちょうど茶を注いでいた。セレスは窓辺で本を開いている。ノルは銃の部品を磨き、ゴードは盾の革紐を確認していた。バルトは大皿の焼き肉を前にしていた。エディンは野暮用があると言い朝から出ていた。
「鉱山?」
ルシアンが首を傾げる。
「任務?」
「ああ! 王都南西の鉱山で低級夜骸らしき影が出た。採掘が止まってるらしい」
「それで第一部隊?」
セレスが目を細める。
「低級なら第二部隊でもよくない?」
「元は第二部隊の案件だった」
レイスが後ろから入ってきて、淡々と言った。
「アルドが横取りした」
「言い方!」
アルドが叫ぶ。
「緋灼鉱石が欲しいんだろ。俺は手伝わないからな」
レイスは容赦なく続けた。食堂が一瞬静かになった。次の瞬間、セレスが笑った。
「なるほどね」
ノルも短く言う。
「顔に出てる」
「出てない!」
「出てるよ、アルド」
ルシアンが少し困ったように笑う。
「緋灼鉱石って、確か火炎魔法と相性がいい鉱石だよね」
「そう! じゃなくて!」
アルドは慌てて両手を振った。
「俺は純粋に人助けをだなぁ!」
「鉱山が止まると困る人もいるものね」
セレスが頷く。
「建前としては完璧だわ」
「建前って言うな!」
バルトが大声で笑った。
「ハハッ! いいじゃねぇか! 俺様にも分けてくれるなら手伝ってやるぞ、カシラ!」
「ほんとか! バルト!」
アルドの顔が輝いた。そして、すぐに固まる。全員の視線が刺さっていた。セレスが楽しそうに言う。
「本性出たわね」
「……あ」
ノルがぽつり。
「早かった」
ルシアンも笑いを堪えきれずに肩を震わせている。ゴードは静かに言った。
「欲しいなら欲しいと言えばいい」
「いや、欲しいけど! 人助けも本当だからな!」
レイスは椅子に座り、冷めた目で言う。
「ローグ様は感動していた」
「言うな!」
「自分の剣が損傷している状況でも、鉱山の人々を案じるとは立派だ、と」
「やめろ!」
「目が潤んでいた」
「嘘だろ!?」
「少しだけな」
アルドは頭を抱えた。
「俺、最低じゃん」
「そこまでじゃないよ」
ルシアンが優しく言う。
「下心が分かりやすいだけで」
「それ優しさか?」
「うん」
「違う気がする」
バルトはまだ笑っていた。
「いいだろ、カシラ! 緋灼鉱石で新しい剣作ろうぜ!」
「ああ!」
アルドは思わず拳を握った。すぐにレイスの視線を感じて咳払いする。
「……ついでに鉱山の安全も守ろう」
「ついでが逆だ」
レイスが言った。
◇
出発は翌朝になった。アッチッチ鉱山は王都から馬で半日ほどの距離にある。小規模ではあるが、緋灼鉱石を産出する貴重な採掘場だという。ルカは第二部隊の任務から戻っていたが、肩の状態を見たルシアンとレイスの判断で、今回は隊舎待機となった。
「僕も行けますけど」
「行かない」
ルシアンが即答した。
「でも」
「行かない」
「はい」
ルカは大人しく引き下がった。ノルが横で呟く。
「珍しく聞き分けいい」
「ルシアンさんが怖いので」
「怖くないよ」
ルシアンが笑う。ルカは黙った。その沈黙が答えだった。レイスが馬に乗りながら言った。
「話を戻すぞ。今回は鉱山周辺の安全確認、低級夜骸の討祓、採掘再開可否の確認。緋灼鉱石の確保は任務ではない」
「分かってるって」
「顔が分かっていない」
「また顔かよ」
バルトは嬉しそうに拳を鳴らした。
「俺様にも少し分けろよ、カシラ」
「おう! 交渉してみる!」
「そこは任務後だ」
レイスが即座に言う。
「出発前から素材の分配を考えるな」
エディンはふわりと笑う。
「欲があるのは良いことよ。生きてる感じがするもの」
「エディンさんがそう言うと正当化された気がします」
「されてない」
ノルが言った。こうして、第一部隊は鉱山へ向かった。
◇
王都南西の鉱山は、赤茶けた岩肌の山裾にあった。入口周辺には木造の作業小屋が並び、鉱石を積む荷車が何台も置かれている。だが、普段なら響いているはずの槌音や掛け声は少ない。採掘は止まり、鉱夫たちの表情も重かった。出迎えたのは、髭の濃い鉱夫だった。年は五十前後。背は高くないが、岩のように分厚い体をしている。腕は太く、手のひらは傷だらけだった。
「おう、あんたらが黒豹か」
男は煙草をくわえたまま言った。
「俺はここの現場を見てるガンズだ」
「第一部隊隊長、アルドです」
「副隊長のレイスです」
レイスが丁寧に頭を下げる。
「状況を教えてください」
「二日前から坑道奥で妙な影が出る。最初は鉱夫の見間違いだと思ったが、昨日の夜、見張りが低級らしき唸りを聞いた。坑道近くに爪痕もある。採掘は止めた」
「正解です」
レイスが言った。
「無理に掘っていれば被害が出ていました」
「だろうな。俺も命あっての仕事だと思ってる」
ガンズはアルドの腰の代わりの剣を見る。
「隊長さん、剣が馴染んでねぇな」
「分かります?」
「分かるさ。鉱夫は道具を見る」
アルドは苦笑した。
「いつもの剣が修理中で」
「火使いか」
「はい」
「なら、緋灼が欲しい顔してるな」
アルドは固まった。レイスが横で小さく息を吐く。
「初対面でも分かるのか」
「おい!」
ガンズは豪快に笑った。
「火使いが緋灼鉱石の鉱山に来て、目が輝いてりゃ誰でも分かる!」
「そんなに?」
「そんなに」
ノルが頷いた。
「ノルまで」
ルシアンは困ったように笑った。セレスは周囲の鉱石置き場を見ている。
「緋灼鉱石って、赤いんですか?」
「ああ。赤っぽい光沢がある。火を近づけると、内側がじんわり明るくなる。綺麗だぞ」
「へぇ」
アルドの目がまた輝く。レイスが冷たく言った。
「任務を忘れるな」
「忘れてない」
その時、少し離れた場所で鉱夫が声を上げた。
「ガンズさん、また混じってます!」
ガンズは舌打ちした。
「チッ、またくろかすか。邪魔くせぇ……おい! そのゴミ、そこにまとめとけ! 選別の邪魔だ!」
若い鉱夫たちが、黒ずんだ石を雑に木箱へ放り込んでいく。アルドが首を傾げた。
「くろかす?」
「ああ?」
ガンズが振り返る。
「黒滓鉱石だ。知らねぇか」
「初めて聞きました」
レイスも視線を向ける。
「どのような鉱石ですか」
「どんなって、見ての通りのゴミだよ」
ガンズは木箱の中から一つ拾い上げ、アルドたちに見せた。それは、黒ずんで濁った鉱石だった。煤や滓が固まったような見栄えの悪い塊。表面はざらついていて、ところどころ灰色に曇っている。
「見た目も悪ぃ。脆ぇ。建材にもならねぇ。魔力の通りも悪い。混じってるだけで選別の手間が増える。鉱山じゃただの邪魔もんだ」
「使い道はまったくないんですか?」
ルシアンが聞く。
「ねぇな。少なくとも俺らにはない。でも、そこら辺に捨てる訳にもいかねぇからな、王都の回収業者に一山千セリオの処分費で持っていってもらうくらいだ」
「千セリオ……」
アルドは少しだけ考えた。それが高いのか安いのか、鉱山の規模までは分からない。だが、ガンズの顔を見る限り、良心的な価格なのだろう。ガンズは黒滓鉱石を木箱へ放り込んだ。からん、と鈍い音がした。
「さて、黒豹。先に低級の方を頼む。あいつがいると、うちの連中が坑道に入れねぇ」
「了解です」
アルドの意識はすぐ、任務へ戻った。
◇
夜骸は、坑道の奥ではなく、鉱山の裏手にある旧採掘口近くにいた。獣型の低級が一体。岩肌に身を伏せ、坑道から漏れる魔力残滓に反応しているようだった。体は大型の山猫に似ていたが、背には岩片のような突起が並び、尾は不自然に長い。口元からは黒い砂のようなものがこぼれている。
「低級一体。周囲に雑級反応なし」
レイスが言う。
「坑道に被害を出す前に仕留めるぞ」
「了解!」
アルドが代わりの剣を抜いた。慣れない重心。いつもの剣より軽く、炎の通り方も違う。だから、最初から大きく燃やさない。低級が跳んだ。
アルドは正面から受けず、横へ踏み込む。身体強化で岩肌を蹴り、斜め上へ跳ぶ。空中で剣を振るうが、低級は身を捻って避けた。
「やっぱ扱いづれぇ!」
「文句を言うな!」
レイスが風の刃で低級の逃げ道を塞ぐ。セレスが水を走らせ、岩肌の砂を湿らせて滑りにくくする。
「足場、作ったわ!」
「助かる!」
バルトが前へ出た。
「俺様の番だな!」
低級が横へ跳ぶ。バルトの拳が、わずかに遅れた。低級の爪が、バルトの脇腹を裂く。
「っ……!」
「バルト!?」
ルシアンが叫ぶ。バルトはすぐに低級を蹴り飛ばし、笑った。
「かすっただけだ!」
ノルが長銃を構える。
「止める」
一発目が岩に跳ね、低級の側面へ入る。二発目が旋風に乗り、背後から脚を撃ち抜く。低級が崩れた。アルドが踏み込む。
「火炎壱式 炎刃!」
炎を抑えた一撃が、低級の首元を裂く。バルトが大地の魔力を拳に込め直した。
「今度は外さねぇ!」
拳が地面を叩く。跳ね上がった岩片が低級の体勢を崩し、ゴードの盾がそれを押さえ込む。
「終わりだ」
レイスの水風の刃が低級の胸を開き、アルドの剣が核を刺した。低級は黒く崩れ、動かなくなった。戦闘は終わった。低級一体。本来なら、第一部隊にとって苦戦する相手ではない。
「見せて」
ルシアンがすぐ駆け寄る。
「大丈夫だって」
「見せて」
バルトは観念して傷を見せた。浅くはない。だが、命に関わるほどではなかった。ルシアンが治癒魔法をかける。アルドは眉を上げた。
「バルト、どうした? いくら低級とはいえ油断しすぎだぜ?」
「……あぁ」
バルトが一瞬だけ遅れて反応した。アルドはにやりと笑う。
「さてはお前も緋灼鉱石に目がないな? あれが手に入ると思って浮かれてたんだろ」
バルトは一拍置いて、それから大きく笑った。
「そ、そうだな! あれが手に入ると思うと浮かれちまってな!」
「だよなー!」
アルドは完全に納得した顔で頷いた。
「俺も楽しみで仕方ねぇぜ! サクッと終わらせて新武器手に入れようぜ!」
「あぁ!」
バルトは拳を突き上げた。声は大きい。笑顔もいつも通り。少なくとも、そう見えた。レイスは低級の残骸を確認し、留帳を開いた。
鉱山裏手、低級一体討祓。バルトさん、軽傷。緋灼鉱石に浮かれていた?最後の文字が留帳へ消える。
◇
低級の討祓後、鉱山の安全確認は早く終わった。坑道内に夜骸の反応はない。旧採掘口周辺に雑級の残骸もない。採掘再開には、念のため一晩見張りを置く必要があるが、大きな問題はなさそうだった。ガンズは豪快に笑った。
「助かったぜ、黒豹!」
「任務ですから」
アルドはそう言いながら、視線は緋灼鉱石の置き場へ向いていた。
「隊長さん」
ガンズがにやりと笑う。
「緋灼、欲しいんだろ」
「え、いや、その」
「顔に書いてある」
「また顔かよ……」
レイスが横から言う。
「どこでも通用するほど分かりやすいんだな」
「やめろ」
ガンズは笑いながら、赤い鉱石の小片を一つ手に取った。
「正式な報酬は上から出る。だが、今回助けてもらった礼だ。小さい欠片くらいなら持っていけ」
アルドの顔が輝いた。
「いいんですか!」
「武器を打つには足りねぇぞ」
「それでも!」
「ただし、勝手に大きいの持ってくなよ。鉱山長に怒られる」
「しません!」
「怪しい」
ノルが言った。
「しないって!」
ルシアンは笑いながら、バルトの傷をもう一度確認していた。
「本当に痛くない?」
「痛くねぇって!」
「無理してない?」
「してねぇ!」
「ならいいけど」
バルトはその視線から逃げるように、アルドの方へ顔を向けた。
「カシラ! 俺様の分も忘れんなよ!」
「分かってる!」
アルドが小片を掲げる。
「まずはこれを見本にして、いつか俺の新武器をだな!」
「任務中に夢を広げるな」
レイスが言う。
「もう任務終わっただろ」
「帰還報告までが任務だ」
「遠足みたいに言うなよ」
「実際、浮かれている奴がいるからな」
「俺とバルトだな!」
「認めるな」
ガンズは腹を抱えて笑った。
「黒豹ってのは、思ってたより賑やかなんだな!」
「よく言われます」
ルシアンが苦笑する。
「さぁ、帰るか!」
アルドが笑う。懐の布越しに、緋灼鉱石の赤い光がかすかに滲んでいた。
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