舗装された道
翌朝。ハイン商会本部の厩舎には、今回の行商で使う三頭の馬が並んでいた。アルド、レイス、セレスが一頭ずつ乗り、ノルとエディンはニロとともに幌馬車で移動する。
アルドは一頭の前へ立ち、鼻先へゆっくり手を差し出した。
「よろしくな」
馬は匂いを嗅いだあと、アルドが首筋へ触れようとすると半歩だけ下がった。
「……なんでだよ」
「火の匂いがするんじゃない?」
隣で馬を撫でていたセレスが笑う。
「ちゃんと風呂には入ってる」
「そういう匂いじゃないでしょ」
レイスは雷澄を腰へ下げたまま、鞍帯の締まりを確かめていた。
「昔も避けられていたな」
「いつだよ」
「ナカ村から戻る時だ。ルシアンの馬へ触ろうとして一歩引かれていた」
「逃げられてねぇじゃねぇか」
「今と同じだな」
「お前ら朝から楽しそうだな」
もう一度手を伸ばすと、今度は触らせてくれた。首筋を撫でれば馬がぶるると鼻を鳴らす。
「ほら、懐いた」
少し離れた場所では、ノルが別の馬へ手を差し出していた。馬の鼻先は、その手ではなく焼き菓子へ向かっている。
「これは駄目」
背中へ隠す。馬が不満そうに鼻を鳴らした。
「食い物で釣ったのか?」
「向こうから来た」
「その手に持ってりゃ来るだろ」
エディンは長いたてがみを指先で整えている。
「いい子ねぇ。おねぇさん達をよろしくねぇ」
「二人も乗ればいいだろ」
「荷台が楽」
ノルが即答した。
「おねぇさんも後ろでゆっくりするわぁ」
「護衛なの忘れるなよ」
「分かってるわよぉ」
アルドは馬具へ手を戻した。鞍帯を締め、荷袋を括り、出発前に装備を確かめる。王都討祓軍にいた頃に何度も繰り返した手順が、考えるより先に指を動かしていく。
「……なんか変な感じだな」
「何が?」
「こうやって馬で任務に出るの、久しぶりだろ」
セレスの手が一度止まった。
「……うん」
レイスが最後の留め具を引いた。
「今回は商人の護衛だ」
「ああ」
アルドも馬の額を撫でる。
「行くか」
◇
隣の馬車庫では、ニロが職員たちと積荷を運び込んでいた。
「鉄具の箱は下! 左右へ分けてください。片側だけ重くしないように!」
荷台へ入って箱を開き、中身を数えて紙へ印を付ける。
「油は立てたまま固定! 麻布の下には置かないでください!」
荷縄を引き、木箱を揺らし、もう一度紙へ目を落とす。入口ではハインとミュレナがその様子を見ていた。
「あれ、三回目よね」
「慎重なのは良いことです」
「このままだと出発が昼になるけど?」
「その時は急がせます」
ニロは麻袋の束を積み終えると、また荷台の奥へ入った。
「これで最後です! 確認お願いします!」
「今行きます」
ハインは馬車庫へ入る前に、一度だけ積荷の奥へ目を向けた。そこには売り物とは別に、四十万セリオが用意されていた。
◇
昼前。商館の前には荷を満載した幌馬車と三頭の馬が並んでいた。
アルド、レイス、セレスは馬上。ニロは御者台で手綱を握り、ノルとエディンは幌馬車の後ろへ並んで腰掛けている。
「そこ、揺れるぞ」
「平気。アルドより落ちない」
「俺は落ちてねぇよ」
セレスが笑った。商館の入口ではハイン、ミュレナ、ベリタ、リリンと職員たちが見送っていた。たまとまるも並び、短い腕を振っている。
「コォォ!」
「コォォ!」
ハインは御者台の横へ立った。
「荷と商売の判断はニロさんが。危険がある場合はアルドさんたちに従ってください」
「はい」
「守ってもらえるからと無理な道は選ばないように」
「昨日から何回目ですか、それ」
「覚えているなら大丈夫ですね」
ミュレナもニロの腕を軽く叩く。
「帰りの荷も無理に買わないこと」
「はい」
「食事もちゃんと取る」
「それも商売ですか?」
「倒れたら売れないでしょ」
「はい」
ニロは笑い、改めて前を向いた。
「行ってきます」
手綱が鳴る。幌馬車が動き、三頭の馬もその周囲へついた。
「いってらっしゃーーい!」
リリンの声を背に、一行はオルセアを出た。
◇
南東へ続く街道は穏やかだった。幌馬車の車輪と馬蹄が乾いた土を一定の調子で叩く。
「似合ってるじゃない」
セレスが御者台へ声を掛ける。
「何がです?」
「商人」
「まだ一つも売ってませんよ」
「でも楽しそう」
エディンが幌馬車の縁で脚を揺らす。
「商人に戻れてよかったわねぇ、ニロちゃん」
「はい」
ニロは前を見たまま笑った。
「売って、利益を出して、無事帰って、ようやく一回ですけどね」
「真面目になったな」
「借金で痛い目を見ましたから」
「その借金も今日で終わる」
レイスが幌馬車の横から言った。
「四十万を支払う。契約上の残額はそれで全てだ」
「受け取ってくれれば、ですけどね」
「まだ不安?」
セレスが聞く。
「顔を見れば嫌な感じはしますよ。商人をやろうとするたび、仕入れ先や取引相手まで潰されましたから」
「今回は一人じゃねぇよ」
アルドが言う。ニロは少し笑った。
「はい」
その直後だった。街道の前方へ五人の男が現れた。
腰には棍棒や短剣。道の中央へ横に広がり、こちらを待っている。ニロの指が手綱を強く握った。
「……やっぱ来ましたね」
幌馬車が止まる。アルドたちも馬を止めた。先頭の男が御者台を見上げ、口元を歪める。
「久しぶりだな、ニロ」
「どうも」
「随分立派になったじゃねぇか。また商人ごっこか?」
「仕事です。道を空けてください」
「借金も返せねぇ奴が偉そうだな」
男が一歩近づく。レイスが静かに馬を前へ出した。
「その借金について話をする」
「あ?」
「ニロの債務はハイン商会が引き継いだ。元金と利子を含めた残額は四十万セリオ。今ここで全額支払う」
男が鼻で笑った。
「勝手に決めんな。こいつがまた商人始めるなら話は別だ」
「別ではない。ニロが何を仕事に選ぶかと、既に成立している貸借は無関係だ」
レイスは男から目を逸らさない。
「それに、お前たちは仕入れ先や取引相手へ圧力を掛け、返済の邪魔までしている。四十万を受け取ったら、今後ニロへ一切関わるな」
「断ったら?」
街道脇の林から、ぞろぞろと男たちが姿を現した。棍棒、剣、斧、錆びた槍。二十人ほどが幌馬車を囲む。
「荷と金、全部置いていけ」
先頭の男が笑った。
「そうしたら、今まで通りニロには商売させてやるよ」
ニロの指が手綱を強く握る。レイスは男たちを一度見渡した。
「四十万を受け取り、今後一切関わらない。それを拒否するんだな」
「何回言わせんだよ。荷も金も置いてけ」
「分かった」
レイスは男たちを見回し、深く息を吐いた。
「アルド」
「ん?」
「こいつら話にならない。圧かけるやつやってくれ」
「ああ、分かった」
アルドは剣へ手を伸ばさず、馬上から男たちを見た。膨大な魔力へ殺意を混ぜ、正面の二十人へ叩きつける。笑い声が一斉に途切れた。
六人が膝から崩れ、持っていた武器と一緒に土へ倒れる。八人は武器を落として後ずさり、残る者も歯を鳴らしたまま動けない。先頭の男も、口を開いたまま声を出せずにいた。
アルドは何事もなかったように魔力を収める。
「こんなもんでいいか?」
「ああ」
レイスは馬から降り、幌馬車から革袋を持って戻ってきた。先頭の男の足元へ落とす。
「四十万セリオだ。確認しろ」
男は震える手で袋を開き、何度も頷いた。
「これで、お前たちとニロの縁は切れた」
レイスは男たちを見渡す。
「今後ニロへ関わるか、商売を妨害したら、俺たち陽剣旅団が必ず殺しに行く。納得できないなら前へ出ろ。相手をしてやる」
前へ出る者はいなかった。
「わ、分かった! もう関わらねぇ!」
「他の連中にも伝えろ」
「伝える! 絶対に!」
「なら消えろ」
男たちは倒れた仲間を担ぎ、四十万セリオの革袋を抱えたまま、何度も振り返って街道脇へ逃げていった。姿が見えなくなっても、ニロはしばらく動かなかった。
「……終わったんですか?」
「終わった」
レイスが馬へ戻る。
「金は支払った。次に何かしてくれば、今言った通りにする」
ニロは御者台で深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
「礼はハインに言え。金を出したのはハイン商会だ」
「ハインさんにも言います。でも、二人がいなければ、あの人たちは受け取らなかったと思います」
ニロはアルドを見る。
「あの……今、何をしたんですか?」
「魔力をぶつけて、殺すぞって脅しただけだ」
「それだけで人が気絶するんですか?」
幌馬車の後ろからエディンの声が飛んだ。
「その圧の正式名称は魔圧よぉ。覚えておきなさぁい」
アルドが振り返る。
「魔圧っていうのか、あれ」
「そうよぉ」
レイスも眼鏡を押し上げた。
「俺も知らなかった」
ニロは男たちが消えた先を一度見て、手綱を握り直した。幌馬車が再び進み始めた。
◇
日が沈み始めた頃、一行は街道から少し外れた平地で幌馬車を止めた。アルドは薪を集め、レイスは馬具を外して三頭を繋ぐ。セレスが石や枝をどかし、ニロは車輪へ木止めを入れて荷縄を確かめていた。
ノルは幌馬車の後ろに座ったまま、焼き菓子を食べている。その隣ではエディンが杯へ果実酒を注いでいた。
「その酒、いつ積んだんですか?」
ニロが聞く。
「出発前よぉ」
「僕、荷は全部確認したはずなんですけど」
「おねぇさんの荷物だから売り物じゃないわぁ」
「……次から私物も見ます」
林の奥で枝が折れた。三体の影が木々の間から現れる。
一体は狼に似た四肢と背中から伸びる骨の突起。もう一体は太い前脚に異様に長い首。最後は大型の鳥に似ているが、片翼が捻れた腕になっている。
低級夜骸が三体。
「夜骸です!」
ニロが声を上げる。アルドは抱えていた薪を地面へ置いた。
「ノル、頼む」
「うん」
レイスは馬具を外す手を止めない。セレスも野営場所から拾った石を外へ放った。
「皆さん、来てますよ!?」
「見えてる」
ノルは左手の焼き菓子を持ったまま、右腕だけで翠穿を持ち上げた。
「旋風壱式 導弾」
一度の銃声。三つの銃口から放たれた三発が夜空へ上がり、それぞれ別の方向へ折れる。
一発目が狼型の頭を上から撃ち抜き、二発目は長い首の頭頂から顎へ抜けた。最後の一発も跳び上がった鳥型の頭を貫く。三体がほとんど同時に崩れ落ちた。
ノルは翠穿を下ろし、残っていた焼き菓子を口へ入れる。
「終わり」
ニロは倒れた三体を見る。
「……今、一回しか撃ってませんよね?」
「一回で三発撃てるの」
「食べながら……」
「美味しいよ。食べる?」
「……大丈夫です……」
ノルは次の焼き菓子へ手を伸ばした。
「セレス、鍋出してくれ」
「もう出してる。水も入れたよ」
馬の横からレイスが口を挟む。
「アルド。薪が足りない」
「今拾ってきただろ」
「なら、もう少し拾ってこい」
「人使い荒いな」
ニロは何度か口を開き、結局エディンを見た。
「エディンさん」
「なぁに?」
「昨日ハインさんたちから、皆さんがどれくらい強いのか聞いたんです」
「そうなの?」
「少し大げさに言ってると思ってました」
ニロは倒れた夜骸へ目を向ける。
「僕が間違ってました」
エディンは果実酒を一口飲んだ。
◇
翌日の昼過ぎ。今度は街道の前方へ、十人ほどの盗賊が現れた。倒木で道を塞ぎ、左右の林から弓と刃物を持った男たちが出てくる。
「止まれ! 荷を――」
アルドがそちらを見た。昨日より弱い圧を向けただけで、盗賊たちは一斉に顔色を変え、武器を落とした。一人が慌てて倒木へ飛びつく。
「ど、どけ! 早くどけろ!」
「お前そっち持て!」
「はい!」
数人掛かりで倒木が街道の外へ転がされた。残りは道の両脇へ下がり、誰一人こちらを見ようとしない。
「通っていいみたいだぞ」
アルドが言う。
「……そうですね」
ニロは手綱を動かした。幌馬車が盗賊たちの間を進む。昨日までなら、荷を奪われるか、金を払うか、逃げるか。
今は道を塞いだ側が、自分たちで障害物を片づけている。
「舗装された道かぁ……」
ニロが呟いた。
「確かに」
「何の話だ?」
アルドが聞く。
「ハインさんたちから聞いた話です」
「何て?」
「内緒です」
「気になるだろ」
「帰ったら直接聞いてください」
「教えろよ」
ニロは笑ったまま前を向いた。
◇
その夜。街道の先が暗闇へ沈み始めた頃、レイスが幌馬車へ馬を寄せた。
「ニロ。今日も野営するか?」
「いえ。この先に小さな村があります。以前泊めてもらったことがあるので、もう少し進みましょう」
「どれくらいだ」
「そう遠くありません」
レイスがアルドを見る。
「どうする」
「村まで行こう。屋根があるならその方がいい」
「私も賛成」
セレスも頷いた。一行は速度を落とし、暗くなった街道を進む。やがて前方から声が聞こえた。
悲鳴。怒号。家畜の鳴き声に、何かが壊れる音が重なる。
アルドが顔を上げた。
「止まれ」
ニロが手綱を引く。
「今の……」
「村の方です!」
アルドは緋喰刃の柄へ手を置いた。
「レイス、セレス。行くぞ!」
「ああ!」
「分かった!」
三頭の馬が同時に駆け出す。
「ニロ! ノルとエディンとそのまま来い!」
「分かりました!」
幌馬車も速度を上げるが、三頭には追いつけない。アルドたちは街道を外れ、そのまま林へ入った。低い枝を避け、馬が湿った土を蹴る。
悲鳴が近づく。夜骸の咆哮。その向こうに赤い光が見えた。
「家が燃えてる!」
三人はさらに馬を急がせた。林を抜ける。
小さな村の家々から炎が上がり、黒い煙が夜空へ伸びていた。柵は壊され、道には農具や荷物が散らばっている。村の中で夜骸の咆哮が一つ途切れた。
続けてもう一つ。怒号も悲鳴も減っていき、最後の咆哮が消える。
「急ぐぞ!」
村の入口で馬から飛び降りる。アルドは緋喰刃を抜き、レイスも雷澄を抜いた。セレスは流涙と地咬へ手を掛ける。
三人が燃える家々の間へ入ると、生き残った村人たちがいた。壊れた柵のそばで、折れた槍を握った男が腰を抜かしている。道の端では母親が子供を抱きしめ、倒れた荷車の陰にも何人もの村人が身を寄せていた。
誰もこちらを見ない。
全員が、村の中央を見ている。
「何があった?」
アルドが聞く。返事はない。一人が震える指で奥を示した。三人は先へ進む。
最初に見つけたのは低級夜骸の死体だった。獣に似た頭部は何度も硬い刃物で叩き割られている。さらに一体。
その先にも。首を裂かれ、胸を割られ、核を砕かれた夜骸が何体も転がっていた。
「村の人がやったのか?」
答えはない。さらに奥へ進む。広場の中央には、中級夜骸が倒れていた。
獅子に似た胴と鳥の脚、地面を這うほど長い尾。頭部は原形が分からないほど潰れ、首も深く裂かれている。
「中級まで……」
レイスが雷澄を構えたまま周囲を見る。
「戦ってた人は?」
セレスの声に、近くの村人が上を指した。
「う、上……」
三人が視線を上げる。中級夜骸の背中に、一人の少年が立っていた。まだ若い。
両手には、小さな手斧が一本ずつ握られている。服も腕も顔も、夜骸と人間の血に濡れていた。肩を大きく上下させ、手斧の刃から黒い血を滴らせている。
少年がゆっくり振り向いた。目は白く剥かれ、口元から涎が垂れていた。両手は手斧を握ったまま離れない。
村人たちが一斉に身を縮めた。少年は次に襲いかかるものを探すように顔を動かし――アルドたちを見た。
お読みいただきありがとうございます。
引き続き毎日20時頃更新です。
続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひ【★評価】や【ブックマーク】で応援をよろしくお願いします!




