棺の短剣
赤鎖の町を出てから七日目の昼、一行は林の奥に残る集落跡へ辿り着いた。崩れかけた家々と草に埋もれた道、使われなくなった井戸。以前来た時からほとんど変わっていない景色を見回し、アルドは足を止めた。
「ここだ」
レイスも留帳の記録と周囲を見比べる。
「間違いない」
ゼラは朽ちた家々を眺めた。
「なんだここ。不自然な場所だな」
「隠す気ないのか」
「昔は人も住んでて、外から見れば普通の小さな集落だったんだろうな」
アルドが答えると、ケインが背負っていた荷を下ろした。
「今は普通に怪しいけどな」
レイスは留帳を閉じる。ゼラは地面へ膝をつき、片手を土に触れさせた。しばらくそのまま周囲を確かめ、低く呟く。
「……下か」
「よく分かったな」
「ここに隠されてるなら、下しかねぇだろ」
「確かに」
ノルが頷く。ゼラは朽ちた家々の中から、一つの小屋へ目を向けた。
「あそこか」
「だから、なんで分かるんだよ……」
アルドは諦めて頷いた。
「入口は中だ」
一行は小屋へ入った。古びた机と傾いた椅子、壁際の食器棚まで以前のまま残っている。レイスとセレスが食器棚の両側へ回り、床を軋ませながら横へずらした。
奥から現れた引き戸は、枠ごと壊れている。ゼラは眉を寄せたが、そのまま先へ進んだ。
壊れた引き戸の奥は、小さな隠し部屋になっている。ゼラが中へ入るなり壁と天井を見回した。
「せめぇな」
「ここを見つけた時点で、探した奴は満足しそうだな」
ゾルクが本棚へ目を向ける。
「本命はさらに下だ」
レイスが示した本棚をどかすと、その下から床下扉が現れた。こちらも留め具は砕け、扉の木も大きく傷んでいる。
「こっちも壊れてんじゃねぇか」
ゼラが振り返った。エディンがまた咳払いする。
「……あんたか」
「仕方なかったのよぉ。あの時は急いでいたの」
ゾルクは砕けた留め具を見下ろした。
「侵入した痕跡はかなり残ってるな」
「痛いところを突くわねぇ」
「大剣の女って、やっぱ物の扱い雑なの?」
本棚の横から覗き込んだケインへ、エディンがにっこり笑う。
「ケイン。雑に扱われたいのかしらぁ?」
「すみませんでした」
ケインは即座に頭を下げた。ゼラが床下扉を指す。
「壊れてんなら好都合だ。開けろ」
扉をどかすと、暗い縦穴と梯子が現れた。下から上がってくる冷えた空気に触れ、アルドはケインから灯りを受け取る。
「行くぞ」
アルドを先頭に、レイス、セレス、ノル、エディンが梯子を降りる。その後をゼラ、ゾルク、ケインが続いた。地下へ足を着けたアルドが灯りを掲げる。
壁に沿って棺が並んでいた。光の届く先まで、何列も。ゼラもゾルクも足を止め、最後に降りてきたケインは梯子へ手を掛けたまま辺りを見回した。
「……これ全部か」
「棺だ。前に来た時も数え切れてない」
レイスが答える。ゼラは一つへ近づき、蓋の継ぎ目と木目を指先で確かめた。
「古いな」
「ああ。だいぶ昔のものだと思う」
「それでも形が残ってる。何百年って代物じゃねぇ」
ゼラは振り返らずに言った。
「ケイン。棺桶、引っ張り出せ」
「待て」
アルドが止める。
「死者の眠りを荒らすつもりか」
「ここまで来て眺めて帰る気か? 普通の棺と何が違うか調べる」
「月酔い患者と決まったわけじゃない」
「だから開けんだろ」
ゼラは棺から手を離した。
「やるぞ」
ノルが棺へ目を落とす。
「……死者の棺を開けるんだよね」
「ああ」
アルドもすぐには動けなかった。並ぶ棺の一つへ目を落とし、短く息を吐く。
「やるしかない」
「判断がおせぇ。ケイン」
「はいよ」
ケインは荷を下ろし、棺の側面や留め具を一つずつ確かめた。木へ耳を寄せ、継ぎ目を指でなぞってから顔を上げる。
「団長。少なくとも外から見える範囲じゃ、普通の白天還教の棺桶だね。変わった細工も見当たらない」
「分かった。開けろ」
「了解」
棺は古いわりにしっかり閉じられていた。ケインは蓋の隙間に詰められたものを取り除き、道具を差し込んで留め具を少しずつ外していく。金具が鳴り、乾いた木が低く軋んだ。
ノルがアルドを見る。
「アルド。本当にやるの?」
「ああ」
アルドは棺の前で目を伏せた。
「せめて祈ろう」
レイス、セレス、ノル、エディンもそれぞれ手を止める。ゼラとゾルクも黙って棺へ目を伏せた。やがてケインが顔を上げる。
「団長、いけるぞ」
「開けろ」
蓋が重い音を立てて持ち上がった。中には骨だけになった遺体が納められていた。崩れた布がわずかに残り、乾いた骨の間へ黒いものが横たわっている。
「……思ってたよりは臭くないな」
ケインが鼻を押さえかけた手を下ろす。
「もっとやばいかと思ってた」
アルドも棺の中を覗き込む。セレスは表情を硬くしたまま目を逸らさず、ノルだけが半歩後ろへ下がった。ゼラは布を片手へ巻き、棺の中へ手を伸ばす。
取り出したのは一本の短剣だった。刃も柄も黒い。
「なんだこれ」
アルドが眉を寄せる。
「何かの儀式に使うものか?」
レイスの言葉に、ゼラは短剣を見ながら首を横に振った。
「少なくとも白天還教に、こんな短剣を遺体と一緒に納める葬送はねぇ」
「儀式まで詳しいのか」
「教会は国と繋がってる。敵を知るなら、その辺まで調べるのは当たり前だ。覚えとけ、ひよっこ」
アルドはセレスへ少しだけ顔を寄せた。
「言い返せねぇ」
「今のは団長さんが正しいね」
「だよな」
ゼラは短剣の柄と刃を順に確かめた。
「刃こぼれはねぇ。ただ武器にしちゃ出来が悪い。刃も鈍いし、戦うためのもんじゃなさそうだな」
「見せてくれ」
「ほらよ」
レイスへ投げると、細い指が柄を受け止めた。
「確かに、なまくらだな」
「儀式用の飾りか?」
アルドが聞く。レイスは首を横に振った。
「飾りなら、短剣である必要はない」
ゼラは手に巻いていた布をケインへ放った。
「役割があるかもしれねぇ。こいつも調べるぞ」
「ああ」
レイスが頷き、短剣を布の上へ置いた。ゼラは梯子の方へ向かいながら言う。
「ケイン。棺桶を二つ外へ出せ。開けるな、そのまま持ってこい」
「分かった」
「私、手伝う」
ノルが一歩出る。ケインは少しだけ目を丸くしたあと、丁寧に頭を下げた。
「ありがとう、お嬢さん」
「うん」
ゾルクは並ぶ棺へ視線を移す。
「レイス。俺たちは他も何個か見るぞ」
「同じものが入っているか確認するんだな」
「ああ」
アルドはエディンを見る。
「俺らは?」
「ここは向いてる人に任せましょ。人が増えても邪魔になるわぁ」
「そうだね。アルド、私たちは出よう」
セレスにも促され、アルドは頷いた。ノルとケインは二つの棺を風で支え、傾けないよう位置を合わせながら梯子の下まで運ぶ。ゾルクとレイスを地下へ残し、他の者たちは先に地上へ戻った。
◇
地下から出る頃には、林の向こうへ夕暮れが落ち始めていた。運び出した二つの棺は小屋の前に並べられ、どちらも蓋を閉じたまま置かれている。
アルドが外へ出ると、ゼラは木々の隙間から見える月を眺めていた。
「どうしたんだ、団長」
「ゼラでいい」
アルドは少し目を開く。
「隠してるんじゃないのか」
「今は周りに気配がねぇ」
「光栄だ」
「茶化すな」
ゼラはようやくアルドを見る。
「……聞いていいか」
「断りから入るなんて、ゼラらしくないな」
「うるせぇ」
低く返してから、ゼラは少し間を置いた。
「お前の仲間が、どういう順番で夜骸になったのか知りたい。細かく教えろ」
アルドは黙った。
「気を使ってくれたのか」
「当たり前だ。俺にも一応心はある」
「会うまでは情も何もねぇクソ野郎だと思ってたよ」
「手段を選んでねぇだけだ」
ゼラは月へ目を戻す。
「思い出させるのは悪いが、必要なんだ」
アルドも木々の隙間を見上げた。
「最初は、気分が落ちてた」
言葉を探しながら続ける。
「いつもより元気がなくて、考え込むことが増えた。それから戦闘中の動きがおかしくなった。集中が切れる。反応が遅れる。今までならしない動きをする」
ゼラは口を挟まない。
「その後は、気分の変わり方が激しくなった。沈んでたと思ったら急に明るくなって、また沈む。最後は……微笑みながら月を眺めるだけになった」
アルドの声が止まった。
「何を言っても、ほとんど反応しなかった。ただ月を見てた。それで――突然叫んで、夜骸になった」
ゼラはしばらく月を見上げたまま動かなかった。
「……そうか」
「参考になったか?」
「ああ。かなりな」
ゼラは頷く。
「俺は今まで、月酔い患者を見たことがねぇ。先代も、先々代も、そのずっと前も月酔いとは無縁だった」
「国の秘密を知ろうとは思わなかったのか?」
ゼラは少し黙った。
「代を重ねるごとに、国への攻撃そのものが目的になってたのかもしれねぇ。大事なもんを見落としてた」
ゼラは月を見上げる。
「盗賊になったのだって、組織をデカくするための手段だった。それがいつの間にか生業になってた」
「何百年も続けば、どんな組織だってそうなる」
「そうだな。だが、俺らはそうなっちゃいけなかったんだよ」
アルドは少しだけ笑った。
「じゃあ、思い出せたならよかったな」
「……礼を言う」
「どうも」
そこへケインの声が飛んだ。
「団長、棺はどうする?」
ノルとケインが二つの棺を並べ終えている。どちらの蓋もまだ閉じたままだ。ゼラは月から目を外した。
「片方だけ開けろ。そのまま夜明けまで置く」
「了解」
アルドがゼラを見る。
「何を確かめる?」
「お前の仲間が夜骸になった時は、生きてたんだろ」
「ああ」
「だが王国は月酔い患者をわざわざ殺して、棺へ入れて、こんな場所に隠してる」
ゼラは並んだ二つの棺へ顎を向けた。
「死ねばそれで終わるなら、ここまでする理由が分からねぇ。外へ出して様子を見る」
アルドの目が棺へ向く。
「……死んでも夜骸になるかもしれないってことか」
「それを確かめる」
「大級にならないだろうな」
「全部が大級になるなら、とっくに国中が夜骸だらけだ」
「それ、前にレイスも似たようなこと言ってたな」
「なら話が早ぇ」
ケインが片方の棺へ手を掛けた、その時だった。
「アルドちゃん!」
少し離れた場所からエディンの声が飛んだ。抑えた声にも勢いが滲む。アルドが振り返る。
「何があった、エディン!」
エディンは木々の奥を指した。
「夜幻鳥よ!」
「やげ……え?」
「夜幻鳥! 忘れたの!? 五時の方向に二羽いるわ!」
「マジか! 四十万!」
「行くわよ!」
「おう!」
「私も行く!」
セレスまで飛び出し、三人はそのまま木々の奥へ走っていった。ゼラは棺の前に残されたまま、その背中を見送る。隣ではケインも口を開け、ノルは少しだけ肩を落としていた。
「……なにしてんだ、あいつら」
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