赤鎖の町
アルドは緋喰刃を地面へ突き、どうにか身体を支えていた。炎装はすでに消え、息を吸うたび脇腹が痛む。肩と腕も重く、踏ん張っていなければ膝まで折れそうだった。
「意地っ張りねぇ」
エディンが背へ手を添える。
「倒れてもいいのよぉ。今なら誰も笑わないわぁ」
「笑うやつ、いるだろ」
アルドが目だけを向けると、少し離れた場所で団長が刀を肩に担ぎ、こちらを見ていた。あれだけ暴れた後なのに息一つ乱れていない。
「俺は笑うぞ」
「ほらな」
「でも倒れていいわよぉ」
「余計に倒れにくくなったわ」
エディンが小さく笑った。その腕や頬にも細い傷はあるが、アルドほど深くない。レイスも頬や腕、脚を浅く裂かれた程度で立っており、ノルとセレスに傷はなかった。
ただ、ノルは翠穿を抱えたまま膝へ手をつき、肩で息をしている。セレスも流涙と地咬を握る指がまだ震えていた。そして、そのセレスの前ではケリーが片膝をついていた。
肩、腕、脇腹、背中。服のあちこちが裂け、血が染み込んでいる。団長は泉の周囲へ一度目を走らせた。
「治療班。陽剣旅団もまとめて見ろ。浅い傷から塞げ。深いのは歩けるところまででいい」
「了解」
「ゾルク」
「ああ。後ろは締める。灰冠と夜骸、両方見るぞ。動ける奴は三組に分かれろ。死体は後だ」
ゾルクの声に、赤鎖の団員たちがすぐ散った。団長が鼻を鳴らす。
「分かってんじゃねぇか」
「姉貴が雑に言う前にやっただけだ」
「口が減らねぇな」
武器を置いた数人が、布や薬瓶を抱えて負傷者のもとへ走ってくる。その一人がアルドの前へ膝をついた。
「動くなよ」
「……赤鎖にそう言われる日が来るとはな」
「動かれると治しにくいんだよ。文句は後にしろ」
掌に淡い水色の魔力が灯り、脇腹へ触れる。焼けるようだった痛みが引き、開いていた傷が少しずつ閉じていった。深いところに鈍い痛みは残ったが、呼吸はずっと楽になった。
「……腕、いいな」
「褒めてんのか?」
「驚いてる」
「なら褒めてんだろ」
「そういうことにしとく」
男は鼻で笑い、次の傷へ手を移した。すぐ近くでは、別の治療役がレイスとケインを並べていた。
「お前ら、思ったより死なねぇな」
「死ぬ予定はない」
「そちらこそ、軽口の割にはよく動いていた」
ケインが口元を上げる。
「惚れた?」
「黙れ」
治療役が肩へ触れると、今度はケインが顔をしかめた。そのゾルクは、指示を終えるとノルのところへ戻ってきた。ノルはまだ荒い息を整えながら、ほとんど疲れを見せていないゾルクを横目で見る。
「そっち、疲れてない」
「少しはな」
ゾルクが翠穿へ目を落とす。
「お前は撃ち過ぎだ」
「撃たないと死ぬ」
「俺がいた」
「だから撃てた」
ゾルクが一瞬黙り、口元を緩めた。
「そうか」
「全部止めるって言ったの、本当に止めた」
「言ったからな」
「ありがとう」
ノルは素直に言ってから、少し遅れて眉を寄せた。
「今の、誘導された」
「知らねぇよ」
治療役がノルの前まで来て、身体を見回す。
「怪我は?」
「ない」
「……本当にねぇな」
今度はゾルクを見た。ゾルクは肩をすくめるだけだった。少し離れたところでは、ケリーの背中を治療役が塞いでいた。
痛みに眉を寄せながらも、視線だけは何度もセレスへ向いている。
「……痛い?」
「痛いよ。でも、セレスが心配してくれたから少し治った」
「治癒魔法のおかげよ」
「戻ってきた」
ノルが呟く。
「いつもの気持ち悪さ」
セレスはため息をついた。団長の声が飛んだ。
「ケイン。笑ってる暇があるなら人数確認しろ」
「もう終わってる」
ケインは懐から小さな札束を出した。
「動ける奴、負傷者、運搬、先行。振り分け済み。治療が終わったら南側から引き上げる。灰冠の死体は持てる分だけ持つ」
団長が目を細める。
「ムカつく野郎だ」
「褒め言葉として受け取っとく」
アルドは治療を受けながら周囲を見た。
負傷者を治す者。倒れた仲間を運ぶ者。武器を拾い、森へ散って見張りに入る者。
「……あんたら、本当に盗賊団かよ」
治療していた男が笑う。
「盗賊団だよ。少なくとも王国じゃそう呼ばれてる」
「自分では?」
「さあな。俺は飯が食えて、仲間が死ににくい場所なら名前は何でもいい」
男はアルドの脇腹から手を離した。
「深いところは残ってる。走れはするが、無茶すんなよ」
「助かった」
「礼は団長に言え。俺は命令でやってる」
男は次の負傷者へ向かった。治療が一通り終わる頃には、浅い傷の出血はほとんど止まっていた。アルドやケリーにも傷は残ったが、自分の足で歩けるまでにはなった。
団長が刀の柄を叩く。
「よし。移動するぞ」
「どこへ?」
「俺らのアジトだ」
レイスが反応する。
「アジト?」
「見りゃ分かる」
「説明は?」
「ここで突っ立って聞きたい話でもねぇだろ」
団長は周囲へ指示を飛ばし、そのまま歩き出した。
陽剣旅団も隊列の中へ入る。前には団長とゾルク。ケインは後ろへ回り、荷と負傷者を見ながら歩いている。
ケリーは当然のようにセレスの斜め前へ入った。
「近い」
「ごめん」
半歩離れる。
「今は喋らないことで守って」
「分かった!」
ケリーは珍しく、そのまま口を閉じた。森を進むうちに、枝の隙間から見える空が赤から紫へ沈んでいった。夜が来る。
アルドは周囲へ意識を向け、ノルも翠穿を握り直した。レイスの指が細剣の柄へ触れる。先頭の団長は振り返らない。
「構えんな。さっさと歩け」
「夜だぞ」
「見りゃ分かる」
「夜骸が出る」
「知ってるよ。バカにしてんのか」
直後、前方の茂みが鳴った。地面を這う黒い泥の塊が姿を見せ、右手の木陰からは骨のような尾を引く夜骸が出てくる。ノルが翠穿を上げようとしたが、ゾルクが片手で制した。
「放っとけ」
「でも」
「こっちでやる」
赤鎖の団員が数人、列から外れる。
「低級一、雑級三」
「了解」
炎が灯り、土がせり上がった。雑級の身体が短剣で裂かれ、戻ろうとした泥を炎が焼く。低級が跳びかかったところへ一人が脚を刈り、崩れた首を別の刃が断った。
団長たちは歩みを止めていなかった。
「……待たないのかよ」
アルドが言う。
「あの程度でいちいち止まってたら、夜に拠点なんざ回せねぇ」
「赤鎖も夜骸と戦うの?」
セレスの問いに、ケインが振り返った。
「邪魔なら潰す。避けられるなら避ける。わざわざ英雄ごっこはしねぇ」
セレスの目が少し冷たくなる。
「英雄ごっこ……」
「怒るなって。お前らを馬鹿にしたわけじゃねぇよ」
ケインは肩をすくめた。
「俺らは夜骸を倒すための組織じゃねぇ。通るのに邪魔なら潰す。拠点に来るなら潰す。仲間を食いに来たら潰す。関係ないなら放っとく。それだけだ」
「討祓そのものを目的にしていないわけか」
レイスが言う。
「そういうこと」
さらに森を進む。何度か夜骸の気配が寄ってきたが、そのたび赤鎖の団員が列から抜け、片づけて戻ってくる。しばらくして、ケインが唐突に口を開いた。
「そういや、俺らから奪った荷と金、どうした?」
「今それ聞くのか」
アルドが顔をしかめる。
「荷は必要なものを使い、不要なものは換金した。金は路銀、武器整備、食料、宿、情報収集に回している」
「丁寧に使ってんなぁ。酒には?」
「少しは使った」
「必要経費の範囲内だ」
レイスが即座に補足した。
「俺も今度から酒代を必要経費で――」
「却下だ」
前を歩くゾルクが振り返りもせず答えた。団長も振り返らないまま言った。
「俺の荷で食った飯は美味かったか?」
アルドは少し考える。
「美味かった」
「正直だな、テメェ」
「返せって言われても返さないぞ」
「返せとは言わねぇよ」
団長が喉の奥で笑う。
「取られた荷を泣いて返せって言うくらいなら、最初から盗賊なんざやってねぇ」
「取られたことには怒ってる。だが、力で取られて取り返せなかった。それだけだ」
「取り返さないの?」
ノルが聞く。
「今日は灰冠に邪魔された。それに、テメェらはもう少し見てから決める」
「物扱い」
「嫌なら力で否定しろ」
「無理」
「素直だな」
「いつか否定する」
ゾルクが笑う。
「いいじゃねぇか」
「何が」
「そういうのは嫌いじゃない」
「そう」
ノルは翠穿の位置を直し、そのまま歩いた。夜の森をさらに進むと、やがて木々が途切れ始めた。その先に、黒い山が立っていた。
月明かりの下でも頂が見えにくいほど大きな岩山。その麓へ近づくと、獣の巣穴にも見える小さな横穴が口を開けている。団長は迷わずそこへ向かった。
「ここか?」
「入口の一つだ」
「一つ?」
「山に穴が一個しかねぇと思うか?」
団長は身を屈め、横穴へ入っていく。ゾルクが続き、ケインも中へ入った。
「頭ぶつけんなよ」
「お前が一番ぶつけそうだ」
レイスの一言に、ケインが「ひどくない?」とだけ返した。横穴の中は、しばらく身体を屈めなければ進めなかった。
湿った岩肌がすぐ横にあり、足元には細かな石が転がっている。だが数十歩も進むと道幅が広がり、二人並んでも歩けるほどになった。壁には一定の間隔で橙色の灯りが吊られている。
「掘ったのか?」
アルドが聞く。
「元からあった洞穴を広げたんだよ。全部掘ると崩れるからな」
ケインが少し得意げに答えた。
「詳しいな」
「俺は幹部だからな」
前からゾルクが口を挟む。
「図面を引いたのは別の奴だ。こいつは資材と人員をまとめただけだ」
「それ言うと地味になるだろ」
道の先に、大きな木の扉が見えてきた。岩壁へ埋め込まれるように設けられ、その前には腰へ赤い短鎖を下げた二人が立っている。団長の姿を見た門番が姿勢を正した。
「団長」
「ああ」
団長が片手を上げる。ゾルクと門番が短く視線を交わし、すぐに重い扉が開かれた。向こうから光が差し込む。
アルドは一歩入ったところで止まった。
「……は?」
山の中に、家が並んでいた。遥か上まで続く岩の天井。壁際や段差に沿って木と石の建物が連なり、その間を荷車が通れるほどの道が伸びている。
鍛冶場から鉄を打つ音が響き、別の建物からは笑い声が漏れていた。細い水路が町を横切り、奥では煙が天井へ向かって昇っている。
「……冗談だろ」
ノルも目を丸くし、セレスは扉の内側で足を止めた。レイスはしばらく町を見渡した後、ケインを見る。
「これが、アジト?」
「ああ。赤鎖の拠点の一つだ」
ケインが胸を張った。
「言っとくが、本部じゃねぇぞ」
「これで?」
セレスが聞く。
「支部みたいなもんだ」
「支部という規模ではないな」
「よく言われる」
ケインは楽しそうに道の先を指した。
「団員の家、飯屋、酒場、鍛冶屋、倉庫、治療所。必要なもんは大体ある」
「もう町じゃない」
ノルが呟く。
「町だよ。赤鎖の町だ」
ケインの返事だけは、少し誇らしげだった。道を行き交う者は皆、腰に赤い短鎖を下げている。
鍛冶場で鉄を打つ者。木箱を運ぶ者。軒先へ布を干す者。大鍋をかき混ぜる者。壁際に座り、武器の手入れをする者。
団長が通ると、道が自然に空いた。頭を下げる者もいれば、片手を上げる者もいる。
「ここにいるのは本体の団員だけだ」
ケインが歩きながら言った。
「末端は入れねぇ。場所も教えない」
「森で襲ってきた連中とは別ということか」
「同じ赤鎖ではある。けど、本体に入れる奴は選んでる」
アルドの視線の先を、商人のような服を着た男が横切った。その腰にも赤い短鎖がある。
「ああいうのもいるぞ」
ケインが言う。
「攫った後で、俺らに同調した商人や貴族」
「攫った後で、を軽く言わないで」
セレスが冷たく返す。
「事実だからな」
「最低ね」
「否定はしねぇよ」
ケインは笑わなかった。
「俺らは人を攫うし、金も奪う。殺すこともある。そのまま敵になる奴もいれば、ここに残る奴もいる」
セレスはそれ以上返さず、町へ目を向けた。その横で怪我人を乗せた担架が運ばれていく。道を空けた男が担架の端を持ち、近くの女が治療所の扉を開けた。
アルドも黙ってそれを見送った。
「どうした、陽剣旅団」
団長が振り返る。
「口が開いてるぞ」
アルドは反射的に口を閉じた。
「開いてねぇ」
「開いてた」
ノルが言う。
「ノルまで言うな」
「本当だから」
団長が笑った。
「今日はもう寝ろ。話は明日だ」
「今じゃないのか」
レイスが聞く。
「テメェら、死にかけて山歩いて、その頭でまともに話せんのか?」
レイスは一拍置いた。
「……否定できないな」
「だろ」
団長が近くの団員へ顎を向ける。
「空いてる家に案内してやれ。見張りはいらねぇ」
「随分信用するんだな」
アルドが言う。
「してねぇよ」
即答だった。
「ただ、今殺す気も閉じ込める気もねぇ。それだけだ」
「分かりやすいな」
「だろ?」
団長はそれだけ言うと、ゾルクたちを連れて離れていった。案内されたのは、岩壁沿いに建つ小さな石造りの家だった。
中には寝台がいくつか並び、水瓶と灯りも置かれている。扉が閉まると、町の喧騒が少し遠くなった。アルドは寝台へ腰を下ろした。
「……すげぇな」
「想定以上だ。規模も、末端との差もな」
レイスは壁に背を預けた。
「思ってたよりちゃんとしてる」
ノルが翠穿を寝台へ立てかける。
「だからって、やったことが消えるわけじゃないけど」
セレスの言葉にアルドは頷いた。
「信用はしてねぇ。でも、話は聞く」
「今日は見張りを立てる」
レイスが眼鏡を戻す。
「交代にするか?」
「私が出すよ」
セレスは床へ片手をついた。
「大地参式 岩儡生成」
土と石が集まり、人の腰ほどの岩儡が立ち上がる。岩儡は扉の前まで歩くと、そこで動きを止めた。
「誰か近づいたら反応するようにした」
「魔力は大丈夫か?」
「このくらいなら平気。戦闘用じゃないから」
「助かる」
ノルはそのまま寝台へ倒れ込んだ。
「もう無理」
毛布を引き上げる。アルドも横になると、身体の重さが一気に寝台へ沈んだ。エディンが灯りを落とす。
「明日は何を話すことになるのかしらねぇ」
「さあな」
アルドは天井を見上げた。山の中では月も星も見えない。
「でも、話はしないとな」
壁の向こうから、遠い笑い声と誰かの足音が微かに届いていた。やがて、それも聞こえなくなった。
◇
扉を叩く音で、アルドは目を覚ました。
「起きてるー?」
向こうから聞こえた声に、セレスの目が一瞬で冷える。
「……あの声」
毛布から顔だけ出したノルが呟く。
「朝から濃い」
レイスはすでに起きていた。扉の前に立つ岩儡が拳を上げる。
「待って。殴らないで」
セレスが止め、扉を開けた。包帯の残るケリーが立っている。
「おはよう、セレス!」
「おはよう。近い」
ケリーが一歩下がる。
「これでどう?」
「気持ちが近い」
「迎えに来たんだよな?」
アルドが話を切った。
「ああ!」
ケリーはようやく全員を見る。
「団長が呼んでる」
外へ出ると、昨夜より町の輪郭がはっきり見えた。天井近くの裂け目から淡い光が落ち、鍛冶場ではもう火花が散っている。飯屋の前の大鍋から湯気が上がり、木箱を担いだ団員が道を急いでいた。
ケリーは町の中央にある大きな酒場へ入った。赤い短鎖を模した木彫りが入口に吊られ、中には朝食を取る者に混じって、すでに酒を飲んでいる者までいる。
奥の階段を降りる。その先にあった扉をケリーが開けた。
地下には、大きな机を中心にした広い部屋があった。壁には武器と地図が掛けられ、隅にはいくつもの木箱が積まれている。団長は奥の大きなソファーの肘掛けへ腰を預けていた。
横にはゾルク。ケインは木箱に座っている。
「来たか」
団長が言う。
「眠れたか?」
「敵の町にしてはな」
「上等だ」
レイスは壁の地図へ目を向けた。
「本部はどれほど大きいんだ」
「さあな」
ケインは笑った。
「それは教えられねぇ」
「だろうな」
レイスもそれ以上聞かなかった。団長が机を指先で叩く。
「ケイン、ケリー」
「はいよ」
「何だい、団長!」
「お前ら含めて、ゾルク以外は出ろ」
ケリーが目を瞬かせた。
「俺も?」
「お前もだ」
「セレスのそばに――」
「入口の見張り」
「……分かった」
ケリーがセレスを見る。
「見張り、頑張って」
「任せて!」
「行くぞ、恋愛災害」
ケインが肩を掴む。
「俺は災害じゃないよ」
「出ろ、ケリー」
「はい!」
ケリーは即座に背筋を伸ばした。他の団員たちも地下室から出ていく。最後にケインが扉の前で振り返った。
「殺し合いになりそうなら呼べよ」
「ならねぇようにしろ」
「努力する」
扉が閉まった。団長がソファーへ座り直す。ゾルクはその横へ立った。
向かいには人数分の椅子が並べられている。アルドがレイスを見ると、小さく頷きが返る。ノルとセレスも席につき、エディンは最後にゆっくり腰を下ろした。
アルドは団長の正面へ座る。赤い瞳が、五人を順に見た。
「さて」
団長が口元を吊り上げる。
「話をしようか」
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