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赤鎖の団長

 オルセアを発って、五日が経っていた。陽剣旅団はすでに目的の森林地帯へ入っている。背の高い木々が月明かりを細く裂き、足元には枝葉の影が幾重にも重なっていた。


 夜になれば、当然ながら夜骸が出る。普段なら足を止めてやり過ごす時間だが、今回は別の目的があった。夜幻鳥《やげんちょう》。


 夜にのみ姿を現す珍しい鳥。一羽二十万セリオ。


「いねぇな」


 アルドがぼそりと呟いた。


「うん」


 ノルも短く答える。ここまで一羽も見つかっていない。


 遭遇したのは低級夜骸が数体。感知を広げても鳥らしい反応すらなく、昼間の移動に加えて夜まで歩き続けた疲労だけが着実に溜まっていた。


「受ける依頼、間違えたかこれ」


「無駄に体力を消費している気はするな」


 レイスの声にも疲れが滲んでいる。


「アルド、喜んでたクセに」


 セレスが言う。


「ここまで見つからないとは思わないだろ」


「だから一羽二十万」


「そうだな」


 アルドは素直に認めた。


「二十万の鳥、強いな」


「強いわけではない」


「見つからない強さ」


「意味が分からん」


 少し後ろを歩いていたエディンが、くすりと笑った。


「みんな、だいぶ疲れてきたわねぇ」


「昼も夜も歩いてりゃな」


 レイスは地図を開き、月明かりの下で現在地を確かめる。


「レイス、目的地まであとどれくらいだ?」


「明日には着く」


「予定より早いな」


「早く着いたら休めばいい。ついでに夜幻鳥も探せる」


「まだ探すのかよ」


「受けた以上はな」


「真面目」


 ノルが言う。


「依頼だ」


 セレスは木々の隙間から月を見上げた。


「時間に余裕があるなら、今日はもう捜索やめない?」


「賛成」


 ノルの返事は早い。


「おねぇさんも賛成よぉ。鳥さんも今日は会う気がないみたいだし」


「鳥の気分に振り回されてるな、俺たち」


「そういう依頼だったんだろう」


 レイスが地図を畳んだ。


「今日は休む。見張りは交代。夜骸だけ警戒するぞ」


「ようやく休める……」


 セレスが息を吐いた。


         ◇


 その夜、陽剣旅団は木々に囲まれた場所へ小さな野営地を作った。火は最低限。


 セレスが見張り用の岩儡を作り、ノルも感知で周囲を確認する。レイスは翌日の道順を確かめ、アルドは緋喰刃《ひくいじん》を抱えるようにして座った。エディンは木へ背を預けていた。


 何もしていないように見える。


 けれど時折、薄い紫の瞳だけが森の奥へ動いていた。夜幻鳥は結局、その夜も姿を見せなかった。


         ◇


 翌日の昼頃。一行は指定された場所へ辿り着いた。


「ここか」


 アルドが足を止める。森の中にぽっかりと開いた空間だった。


 周囲を囲む木々の間から柔らかな光が差し込み、中央には小さな泉がある。澄んだ水面には空と枝葉が映り、低い草がその周囲を囲んでいた。


「赤鎖の団長と会う場所には見えないね」


 セレスが周囲を見回す。


「そうだな」


 ノルは泉へ近づき、水面を覗いた。


「水、綺麗」


「飲むなよ」


「飲まない」


「本当に?」


「多分」


「俺の真似するな」


 エディンが小さく笑う。


「とりあえず休むか」


 アルドが泉の近くへ腰を下ろした。他の四人もそれぞれ休める場所を選ぶ。連日の移動で疲れているとはいえ、完全に気を抜く者はいなかった。


 セレスだけは座った途端、胸の前で両手を合わせる。


「ケリーが来ませんように……」


「そこまで祈るか」


「祈るよ。全力で祈る」


「誰が来るんだろうな」


 レイスは周囲へ視線を走らせる。


「ケインなら話が早いが」


「ケインも嫌」


「ケリーよりはましだろ」


「比べる対象が悪すぎるの」


 ノルが小さく頷く。


「ゾルクは?」


 エディンが聞くと、アルドの顔が曇った。


「それは俺が嫌だなぁ」


「どうして?」


「悔しさが蘇る……」


 赤い髪。黄色地に黒いまだら模様の鞘。居合。雷。


 剣だけでも押され、炎装を使ってようやく食らいついたと思えば、向こうも雷装を重ねてきた。あの戦いを思い返すだけで腹の奥がむず痒くなる。


「アルド」


 レイスの声で意識を戻す。


「感知は?」


「ああ」


 周囲へ意識を広げる。


 木々。草。岩。泉。


 仲間たち。近くに人はいない。


「問題な――」


 言葉が止まった。異変を拾った瞬間、アルドの呼吸が止まった。


「――っ!?」


 森の奥に、人がいる。それだけなら、感知で何度も拾ってきた。


 なのに今は、その輪郭へ意識を向けただけで喉の奥が塞がる。肺が縮み、胃の底が冷え、指先から力が抜けていった。何かに触れられたわけでもない。


 それでも身体だけが、先に答えを出している。


「な……」


 アルドの声が出ない。森の奥から、誰かが歩いてくる。アルドの右手が緋喰刃へ向かった。


 指先が柄へ届く。だが、握り込めない。刃を抜けば死ぬ。


 前へ出れば死ぬ。戦えば死ぬ。理屈より先に、腹の底から同じ答えだけが突き上がってくる。


 勝てない。全員で挑んでも。何をしても。絶対に。


「っ……」


 隣で音がした。セレスが地面へ座り込んでいた。


 腰の流涙《るるい》にも地咬《ちがみ》にも手が向かない。両腕で自分の身体を抱き、顔から血の気を失ったまま震えている。ノルも膝をついていた。


 翠穿《すいせん》へ手は添えられている。けれど持ち上げる気配がない。黒い瞳は森の奥へ向いたまま、瞬きすら忘れていた。


「……無理」


 唇から零れたのは、それだけだった。レイスはまだ立っている。


 だが脚ははっきり震えていた。


 細剣へ手を伸ばそうとして、途中で止まる。額から汗が流れ、眼鏡の奥の目が見開かれている。そして。


 木々の間から、女が現れた。背が高い。鮮烈な赤の長髪。同じ色の瞳。


 腰には真っ赤な鞘に収められた刀。その反対側には赤い短鎖が揺れている。整った顔立ちは、凄絶なほど目を引いた。


 女が一歩踏み出す。ただ草が靴の下で伏せただけだった。


 それなのに、その一歩へ合わせてアルドの身体は退けと訴える。近づかれるほど、首筋から背中へ冷たい汗が増えていった。その隣を、ゾルクが歩いている。


 黄色地に黒いまだら模様の鞘。赤い短髪。あれほどの圧のすぐ横にいるというのに、顔色一つ変わっていない。


 片手を刀の柄近くへ置き、いつも通りの落ち着いた顔で陽剣旅団を見ていた。さらに後ろにはケインとケリー。ケインの笑みは僅かに引きつり、ケリーの肩もいつもより硬い。


 その後ろに、赤い短鎖を腰へ下げた団員たちが続いていた。赤髪の女が、陽剣旅団の前で止まる。


「よぉ」


 低い声。口元が吊り上がる。


「テメェらか? 陽剣旅団ってのは」


 アルドは喉を無理やり開いた。


「ま、まさか……あんたが……」


「俺が団長だ」


 赤い髪が揺れる。


「ウチの雑魚どもが、随分世話になった様だな!」


 向けられていたものが、さらに重くなった。


「ぐっ……!」


 レイスの膝が落ちる。片膝を地面へつき、片手で身体を支えた。


「クソッ……ここまでか……ここまで差があるのか……」


 セレスとノルはもう顔を上げられない。団長の方を見ることすら身体が拒んでいる。アルドは歯を食いしばって緋喰刃の柄を握った。


 抜けない。そんな中で。一人だけ、立っている者がいた。エディン。藤色の長い髪が揺れている。


 表情から、普段の柔らかな笑みは消えていた。身体は震えていない。膝も曲がらない。


 薄い紫の瞳が、張り詰めたまま赤鎖の団長を真っ直ぐ見ていた。エディンが一歩前へ出る。アルドたちと団長の間へ。


「あまり、私の子達を脅さないでもらえるかしら」


 静かな声だった。次の瞬間。


 アルドの身体を押し潰していたものが僅かに軽くなり、その重さがエディンへ絞られた。


「……っ!」


 アルドの肺へ空気が入る。そして同時に。エディンからも、同じような圧迫感が赤鎖側へ広がった。


 赤鎖の団員たちが一斉に崩れた。


「っ……!」


「ぐ……!」


 膝をつく者。両手を地面へつく者。腰の短鎖へ手を伸ばしたまま固まり、顔を上げられなくなる者。


 ケインは踏ん張った。


 だが、顔から軽さは完全に消えていた。


 双短剣へ手を伸ばすこともなく、奥歯を噛んでエディンを見ている。隣のケリーも立っている。鮮やかな青い目を大きく開き、額には汗が浮かんでいた。


 そのさらに前。ゾルクだけは、変わらず立っていた。姿勢は崩れない。目が僅かに細くなっただけだった。そして。


 赤鎖の団長も動かない。エディンも動かない。二人とも、相手へ何かを向けている。


 周囲では膝をつく者がいるのに、当の二人だけは呼吸一つ乱さなかった。


 何も壊れない。


 泉も、木々も、地面も静かなまま。だからこそ、アルドには目の前の二人だけがひどく異様に見えた。


 赤鎖の団長が歯を剥き出しにして笑う。獣じみた、盗賊の頭領らしい満面の笑みだった。エディンが潰れず真正面から受け続けるほど、その笑みが深くなる。


 団長の赤い瞳が細まり、エディンへ向けられた圧がさらに濃くなった。


 それでもエディンは退かなかった。


 薄紫の瞳がほんの少し和らぎ、静かに口元が持ち上がる。今度は団長の方が、僅かに目を細めた。


「お前……やるな」


 団長が笑ったまま言う。


「あなたもね」


 ゾルクの視線が二人の間を一度だけ動く。刀へ手を掛けることもない。ただ、その目だけが先ほどより僅かに鋭い。


 団長の笑みがさらに深くなった。


「俺に逆らえるとはな」


「まさか、うちの子達がここまで押し込まれるとは思わなかったわ」


「そうか」


 団長が楽しそうに鼻で笑う。


「お前が保護者か」


「似たようなものね」


 エディンの笑みが消える。薄紫の目が冷えた。


「だから、その不愉快なものを消してもらえるかしら」


 誰も動けない緊張の中で、二人の視線がぶつかる。数秒。団長が先に肩の力を抜いた。


「……いいだろう」


 圧が消えた。同時に、エディンも引く。アルドは肺いっぱいに空気を吸った。


「っ、はぁ……」


 手が震えている。レイスも片膝をついたまま呼吸を整えていた。


「化け物め……」


 セレスは自分の腕を抱きしめている。


「今の……何なの……」


「最悪の気分……」


 ノルもようやく顔を上げた。エディンが振り返る。


「みんな、大丈夫?」


「ああ……なんとか」


 アルドは額の汗を拭った。まだ右手は緋喰刃から離せない。


 赤鎖側でも団員たちがゆっくり身体を起こしている。ケインは深く息を吐き、ケリーは額の汗を乱暴に拭った。団長がアルドを見る。


「そこの黒髪。お前がアルドだな」


「ああ」


 身体はまだ重い。


 それでもアルドは立ち上がった。


「あんたと話がしたくて、会いに来た」


 団長がにやりと笑う。


「そっちのセレスってのと、ウチのケリーの婚約の話だったか?」


 後ろでケリーが勢いよく顔を上げた。


「そんな訳……!」


 セレスが叫びかける。団長の赤い目が向いた。ただ、それだけだった。


 さっき身体へ刻み込まれた恐怖が一瞬で蘇る。


「ない……でしょ……」


 声が萎んだ。ノルがすぐ隣へ寄り、セレスの肩を支える。団長はそれを見て大きく笑った。


「ハハハハッ! 分かってるよ、安心しろ。こっちもそのつもりで来てねぇよ」


 後ろでケリーが両手と膝を地面についた。


「そんな……団長……俺の純愛が……」


「残念だったな、ケリー」


 ゾルクが淡々と言う。


「助かる」


 アルドは心から答えた。


「おう」


 団長は陽剣旅団を一人ずつ見た。


「お前らの力は大体分かった。とりあえず、俺のアジトに――」


「誰?」


 エディンの声が重なった。同時だった。団長の右手が真っ赤な鞘の刀へ。エディンの手が大剣の柄へ。空気が変わった。


 アルドも遅れて緋喰刃へ手を掛ける。森の奥から、声がした。


「ほう。気づくか」


 一人。黒灰色の外套。その隣に、もう一人。さらに木々の影から人影が現れる。次々に。


 泉を囲むように、黒灰色の外套が広がっていく。感知には何もなかった。少なくとも、ついさっきまでは。


「ここは化け物揃いだな」


 先頭の男が淡々と言った。アルドの顔が強張る。


「灰冠か」


 レイスも立ち上がった。


「なぜここが……」


「おねぇさんと団長さんが、派手にやりすぎたかしらぁ」


 エディンが言う。ゾルクが肩を竦める。


「仕掛けた姉貴が悪い」


「俺のせいかよ」


 団長が不満そうに返す。外套の男は、陽剣旅団と赤鎖を順番に見た。


「黒豹……いや、陽剣旅団だけのつもりが、赤鎖の団長まで見つけられるとはな」


 声には喜びも焦りもない。


「まとめて潰すいい機会だ」


 アルドが舌打ちする。陽剣旅団と赤鎖の獅子団は、完全に包囲されていた。


「そういやぁ、お前ら国に追われてるんだったな」


 団長が横目でアルドを見る。


「そうだ」


「灰冠まで出てくるとは、余程の事をやらかしたんだなお前ら」


「灰冠を知ってるのか?」


「あたりめぇだろ」


 団長は刀の柄へ手を添えたまま、周囲の外套を見渡す。


「俺らの一番の障害は、こいつらと言っても過言じゃねぇ」


「お褒めに預かり光栄だ」


 先頭の男が僅かに首を傾ける。視線が団長へ移った。


「そろそろ貴様の名を教えてくれないか。赤鎖の団長」


 団長が鼻で笑う。


「じゃあ、お前らのカシラの名前教えろ。そうしたら教えてやるよ」


「交渉決裂だな」


「最初からしてねぇだろ」


 団長はアルドへ顔を向ける。


「おい、アルド」


「なんだ」


「手ェ貸してやる」


 団長が獲物を前にしたように笑った。


「まずはこいつらぶっ殺すぞ。話はそれからだ」


 アルドは包囲を見回した。人数も配置も、今まで戦ってきた灰冠とは明らかに質が違う。


「……分かった」


 アルドは頷いた。


「赤鎖と手を組むの?」


 セレスが不安そうに聞く。


「それはまずいんじゃ……」


 ノルも小さく続ける。


「選択肢はない」


 アルドは二人を見る。


「俺らが選んだ道は、そういう道だ」


 ノルが黒灰色の外套を見た。


「この灰冠、今までと違う」


「ああ」


 レイスが新しい細剣を抜く。


「俺たちだけでは無理だ」


 団長が後ろへ声を飛ばした。


「ゾルク、ケリー」


「はいよ」


「おう!」


「お前らは、あっちの銃の女とセレスを守れ」


 ゾルクがノルを見る。ケリーの視線は一瞬でセレスへ向いた。


「ケイン」


「分かった、団長」


「お前は金髪メガネのカバーだ」


 ケインがレイスの方へ歩いてくる。


「金髪メガネって呼び方、定着してるのか?」


 レイスが低く言った。


「俺はわりと好きだけどね」


「俺は嫌いだ」


「慣れるさ」


 配置が動く。ゾルクはノルのそばへ来た。ノルは翠穿を構えながら横目で見上げる。


「初めましてだな」


 ゾルクが言った。


「俺はゾルクだ」


「よろしく」


「よろしく」


 ノルは一度前を見てから聞いた。


「さっき、団長のこと姉貴って言ってた」


「ああ」


 ノルは一度、団長の赤い髪へ目をやった。


「髪色同じ」


「イカしてるだろ」


「うーん?」


「そうだね、でいいだろ」


「そうだね」


「まぁいい」


 ゾルクが刀を抜く。刃が陽光を冷たく返した。


「お前は俺が守ってやる。安心してその銃で灰冠をぶち抜け」


「間違えて背中当てたらごめん」


「当たらねぇから安心しろ」


 セレスの横にはケリーが立つ。


「セレス! 安心して! 俺が命に代えても守るから!」


 セレスは流涙と地咬を握ったまま複雑な顔をした。


「……その言葉を信用してる私がいるのが、すごく嫌」


「婚約の話は一旦なくなっちゃったけど、俺のカッコいいところを見せれば気が変わるかもしれないし!」


「まぁ、そういうことにしておくから」


 セレスは息を吐く。


「ちゃんと私を守りなさいよ、ケリー」


 ケリーの顔が輝いた。


「任せて!」


 レイスの横では、ケインが双短剣へ手を掛けている。


「久しぶりだな」


「ああ」


 レイスは電練鉱石《でんれんこうせき》の細剣を抜いた。刃の奥へ淡い光が走る。


「へぇ。武器、変えたのか」


「必要だったからな」


「お前は守られるってタイプでもないだろ」


「そうだな」


 レイスは灰冠の位置を見た。


「互いにフォローする形で動くぞ」


「いいだろう」


 ケインはアルドとエディンへ視線を移す。


「アルドと綺麗なおねぇさんは、好きに動いた方がいいだろ」


「ああ」


「そうねぇ」


 アルドは緋喰刃を抜ききる。エディンも背中から大剣を下ろした。団長は真っ赤な鞘から刀を僅かに抜く。


「俺も好きにやる」


「知ってる」


 ゾルクが淡々と返した。陽剣旅団と赤鎖の配置が変わる。灰冠も、それに合わせて静かに動いていた。


 泉を囲む円が広がる。退路を塞ぎながら互いの射線を重ね、こちらの組み合わせを見て配置まで変えている。先頭の灰冠が片手を上げた。


「陽剣旅団と赤鎖の団長は生け捕りだ」


 黒灰色の外套が揺れる。


「他は皆殺しで構わん」


 次の瞬間。黒灰色の波が、包囲を縮めながら一斉に踏み込んだ。

お読みいただきありがとうございます。

引き続き毎日20時頃更新です。

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