溢れる商館
旅支度のまま荷を背負った者、護衛を連れた商人、書類を抱えた若者。何かを頼みたいらしい旅人まで門前へ集まり、列は通りの端まで伸びている。その内側では、たまとまるが完全に客の波へ呑まれていた。
たまが一人を受付へ案内して戻れば、今度は別の客から声が飛ぶ。まるも短い腕をぱたぱた動かして順番を示そうとしているが、その横からまた別の客が話しかけてきた。
「コォ……」
「……何が起きてるの?」
セレスが呆然と呟いた。
「俺に聞くな」
アルドも門の前で止まったままだった。レイスは中を覗く。
「どうする。明らかに忙しいぞ」
「忙しいっつっても、こっちも話すことだらけだからな」
「だからって今突っ込むの?」
セレスが客の列を指した。
「キュリンの件もあるし、赤鎖の件もあるし……」
「報酬も」
ノルが付け足す。
「そう。報酬も大事だ」
「そこだけ反応早い」
「金がないと飯が食えないだろ」
「必要経費」
「お前、それ本当に気に入ったな」
話している間にも、商館の扉が開いた。職員が書類を抱えて飛び出してきたかと思えば、外で待っていた男へ何か確認し、そのまま別の書類を受け取って中へ引き返す。
扉が閉まる直前には、本館の中をリリンが飛び回っている姿まで見えた。
「忙しそう」
ノルが言った。
「忙しいな」
「今入ったら邪魔だよ」
セレスの言葉に、アルドもようやく頷いた。
「……だな」
レイスがオルセア商会の方角を見る。
「先にオラリクさんへ報告しよう。依頼主はあちらだ」
「ああ。それがいいな」
アルドはもう一度門の向こうを見る。たまとまるがこちらへ気づいた。二体とも短い腕を上げる。
「ただいま」
セレスが手を振り返す。たまが一歩こちらへ来ようとした瞬間、背後から客に呼ばれた。
「コォ!」
慌てて戻る。まるも別の客へ連れていかれた。
「……頑張ってるね」
「帰ってきた挨拶すらできねぇな」
「夜に来ればいい」
レイスが歩き出す。アルドも続いた。
「ハインが死んでなきゃいいけどな」
「縁起でもないこと言わない」
ノルに即座に切られた。
◇
オルセア商会へ入ると、受付嬢がこちらを振り向いた。
「あのぉ――」
アルドが声を掛けきる前に、受付嬢の目が大きく開く。
「陽剣旅団の皆さん!」
「お、おう」
「やっと来ましたか! こちらです!」
「待ってくれ、まだ何も言って――」
「オラリクさんがお待ちです!」
「聞いてねぇな」
「行くぞ、アルド」
「はいはい」
受付嬢に急かされるまま奥へ通され、応接室へ入る。腰を下ろす暇もなく、扉が開いた。
「お久しぶりです、オラリ――」
アルドの右手を、オラリクが両手で握った。
「ありがとうございます!」
「……え?」
「まさか、こんなに早く解決していただけるとは!」
普段の落ち着いた姿からは想像しにくい勢いだった。アルドは握られた手とオラリクの顔を交互に見る。
「行方不明者の件ですか?」
「もちろんです!」
「もう知ってるんですか?」
「三日前には報告が届いていますよ」
「三日前?」
アルドがレイスを見る。
「俺たちより早くねぇか?」
「歩いて戻ってきた俺たちと情報を比べるな。町長、警備隊、国軍、商人の伝手がある」
「ああ……そりゃそうか」
「さあ、まず座ってください」
今度こそ五人が椅子へ腰を下ろす。オラリクも向かいへ座った。
「三日前、キュリン町の事件が解決したという報告が届きました。そこから早かったですよ」
「何がです?」
セレスが聞く。
「噂です」
オラリクは少し笑った。
「国軍が三か月調べても解決できなかった事件を、陽剣旅団が二週間ほどで解決した。しかも行方不明者を救出し、犯人まで捕らえた」
「二週間……」
アルドが首を傾げる。
「そんな短かったか?」
「移動も含めてその程度だ」
レイスが答える。
「中身が濃すぎたんだな」
「ノルが死にかけたしね」
セレスの一言で、アルドの顔から笑みが消えた。
「……そうだな」
オラリクも空気の変化を察し、声を落とした。
「お怪我をされた方がいたとは伺っていました。もう大丈夫なのですか?」
視線がノルへ向く。
「大丈夫」
ノルは自分の脇腹へ軽く触れた。
「治った」
「それは……本当によかった」
オラリクが胸を撫で下ろす。
「事件について、詳しく伺っても?」
「ああ」
そこから、必要なことを話した。赤鎖の拠点で行方不明者の遺体を見つけたこと。外套の男を追った先で、エレノアの地下実験場へ辿り着いたこと。
拘束された者を救出し、エレノアと協力者を警備隊へ引き渡したこと。すでに国軍と町が後処理へ入っていること。すべてを話し終えるまで、オラリクは口を挟まなかった。
「……医師が犯人だったのですか」
「俺たちも最後まで分かりませんでした」
セレスが答える。
「最初は、赤鎖が関係してると思ってたので」
「無関係ではなかったが、犯人ではなかった」
レイスが補足する。
「末端の一人が金を受け取って遺体処理を請け負っていただけです」
「なるほど……」
オラリクは深く息を吐いた。
「では、当初考えていた盗賊による人攫いでもなかった」
「違いました」
セレスの声が少し沈む。
「助けられなかった人の方が多かったですけどね」
オラリクの手が止まった。少しして頷く。
「……そうですね」
先ほどまでの喜びは抑えられていた。
「それでも、助け出せた方がいた。事件も止めていただいた。それは間違いありません」
オラリクが立ち上がる。
「依頼者として、改めて礼を言わせてください」
深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
アルドは少し困ったように頬を掻いた。
「俺たちだけで解決したわけじゃないですけどね」
「そうだとしてもです」
「……なら、受け取っときます」
「はい」
オラリクは座り直し、今度は横に置いてあった布袋を机へ載せた。どす、と重い音がする。ノルの目が袋へ動いた。
アルドも見る。
「後払い分です」
「三十万でしたっけ」
「五十万セリオです」
「五十万?」
アルドの身体が少し前へ出た。レイスが横から見る。
「早期解決なら増額と言われていただろ」
「……言ってたっけ?」
「言っていた」
「忘れてた」
「お前は金の話くらい覚えておけ」
「金が減った時は覚えてる」
「最悪だな」
オラリクが笑いながら布袋を押し出す。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
アルドが受け取った。ずしりと腕が沈む。
「重い」
「五十万だからね」
ノルが袋を見ている。
「触るか?」
「うん」
アルドが渡すと、ノルの腕も少し落ちた。
「重い」
「だろ」
「これで菓子いっぱい買える」
「全部菓子にするな」
アルドが袋を取り返す。
「ハインの取り分は、ここからですか?」
「いえ。そちらはすでにオルセア商会からお渡ししています」
「もう?」
「はい」
「じゃあ、これ全部俺たちの?」
今度はセレスが聞いた。
「すべて皆さんの分です」
「おお……」
オラリクが笑った。それから窓の外へ目をやる。
「ハインさんには、夜になってから会う方がいいでしょうね」
「やっぱり今は無理ですか」
「無理だと思います」
「言い切った」
「我々からも人を貸していますが、それでも足りません」
アルドが眉を寄せる。
「そんなに何が来てるんです?」
「依頼、商談、護衛の相談、紹介希望、情報提供……色々です」
「急に?」
「皆さんが原因ですよ」
「俺ら?」
「道中で人を助けて、ハイン商会の名前を広めたでしょう」
アルドとセレスが顔を見合わせる。
「……あれか」
「宣伝になればいいな、くらいだったよね」
「なりすぎたようですね」
オラリクは苦笑した。
「事件解決の噂へ、その話が重なりました。『陽剣旅団に助けられた』『金を取られなかった』『ハイン商会を頼れと言われた』。そういう話が何件も入っています」
「だから、あの人混みか」
レイスが言う。
「ええ」
◇
オルセア商会を出た五人は、本館へ寄らず別館へ向かった。人波から離れるにつれ、ようやく声が遠くなっていく。専用区画の扉を開け、二階へ上がったところでセレスが息を吐いた。
「帰ってきた……」
「ああ」
アルドは鞄を床へ置き、その場で肩を回す。
「生き返る」
「金でも生き返ってた」
ノルが言った。
「帰ってきても生き返る」
「何回死んでるの?」
「細かいこと気にすんな」
セレスは笑いながら食堂へ入った。そのまま保冷庫を開ける。
「わっ」
「何?」
ノルがすぐ隣へ来る。中には肉と野菜、卵、果物がきちんと入っていた。旅の途中で食べ続けた乾物や保存食とは違う。
「ちゃんとしたご飯作れる!」
「肉」
ノルの反応は早かった。
「あるよ」
「食べたい」
「今作るね」
セレスが腕まくりをする。
「手伝う」
「ノルは休んでていいよ」
「手伝う」
「本当に?」
「つまみ食いするから」
「それ、手伝う理由じゃないよね?」
ノルはもう野菜を一つ手に取っていた。
「これ洗う?」
「……うん。お願い」
「任せて」
素直に流しへ向かう。その横で、セレスが肉へ包丁を入れる。エディンは食堂の隅で果実酒の瓶を見つけていた。
「あら。いいものあるじゃない」
「今飲むの?」
「料理ができるまで暇でしょう?」
「手伝ってもいいんだよ?」
「ノルちゃんがいるから足りてるわぁ」
そのままノルが手を伸ばす。まな板の端に置かれた肉を一つ取った。
「ノル」
「確認」
「まだ焼いてない!」
「うん」
ノルは肉を戻した。セレスはため息を吐きつつも、口元は笑っていた。広間ではレイスが五十万セリオを机へ広げ、数を確認している。
「間違いない。五十万だ」
「全部数えたのか」
「ああ。確認は必要だ」
「商人みたい」
ノルが台所から言った。肉が焼け始めた。香ばしい匂いが広がり、鍋ではスープが煮える。
「まだ?」
アルドが聞く。
「今焼き始めたばっかり!」
「もう少し」
ノルが言った。久しぶりに、誰かに追われるでもなく、次の村へ急ぐでもなく食事を待つ時間だった。
◇
夕食を終え、客足が引いた頃。五人は改めて本館へ向かった。門では、たまとまるが二体揃って立っている。
昼間の慌ただしさはなくなっていたが、どちらも少し身体が沈んでいた。
「ただいま」
セレスが声を掛ける。
「コォ!」
「コォ!」
二体が今度こそ揃って腕を上げた。セレスがたまの頭を撫で、まるにも同じように触れる。
「今日は大変だった?」
「コォ……」
たまが沈む。まるまで真似するように沈んだ。
「相当だな」
アルドが笑う。本館へ入る。
「おかえりぃ……」
今度は上からリリンが降りてきた。飛んでいるというより、ゆっくり落ちてきているような速度だった。
「リリンまで死んでる」
「しんでないよぉ……」
「幽霊だけどね」
ノルが言った。
「それ今言う?」
セレスが小さく笑う。広間も似たような有様だった。椅子へ深く沈んだ職員。机へ突っ伏している者。書類を持ったままぼんやりしている者。
受付では、ベリタが額を台へつけていた。
「ベリタ」
アルドが声を掛ける。肩が動く。ゆっくり顔が上がった。
「……アルドさん」
疲れ切った目に少しだけ光が戻る。
「皆さん、お戻りだったのですね」
「ああ。昼過ぎにな」
「お帰りなさいませ」
ベリタが立とうとした。身体が僅かに揺れる。
「いやいやいや、座ってろ」
アルドがすぐ止めた。
「でも、受付として――」
「もう客いないだろ」
「皆様は――」
「仲間」
ノルが言った。ベリタが止まる。
「客じゃない」
「……そうですね」
少しだけ笑い、椅子へ戻った。セレスは受付台の上を見る。
「これ全部?」
「昨日からの分も混ざっております」
「多すぎない?」
「はい」
「まだ終わってないの?」
「はい」
ベリタの返事がだんだん短くなる。
「大丈夫?」
「……明日には」
「大丈夫じゃない人の答えだよ」
エディンが周囲を見回した。
「ハインちゃんは?」
「執務室です。ミュレナさんもご一緒です」
「まだ仕事してるのか」
「はい」
レイスが階段へ目を向ける。
「早く終わらせよう」
「だな」
ベリタがまた立とうとした。
「お通しします」
「場所は分かるって」
アルドが押し戻す。
「休んでろ」
「ですが……」
「明日もこれなんだろ?」
受付台の書類を指す。ベリタはその山を見て、ついに諦めた。
「……お願いいたします」
「任せろ」
◇
執務室へ入ると、机の上には依頼書や商談記録、護衛の相談、荷の予定、人員の割り振りまで積み上がっていた。その向こうからハインが顔を上げる。
「皆さん……!」
「ハイン」
アルドが片手を上げた。
「ただいま」
「お帰りなさい。本当にお疲れ様でした」
ハインが立とうとした。机の端に積まれていた紙が傾く。
「あっ」
両手で慌てて押さえる。ノルがじっと見た。
「忙しそう」
「忙しいです」
ハインは即答した。
「大変ありがたいことなのですが、少々……いえ、かなり忙しいです」
「顔がありがたい顔してない」
「気持ちはありがたいのです」
「身体が?」
「追いついていません」
その時、扉が開いた。
「ハイン、東方面の件だけど――」
書類を抱えたミュレナが入ってきて、五人を見て止まった。
「あら。戻ってたのね」
「ああ」
アルドが答える。
「ミュレナも顔やばいぞ」
「誰のせいだと思ってるの?」
「俺ら?」
「半分くらいは」
ミュレナは書類を机の隅へ置いた。
「商会に入った途端にこれよ。まさかここまで急に増えるなんて思わなかったわ」
「儲かってる?」
ノルが聞く。
「儲かる前に処理で潰れそう」
「駄目」
「だから頑張ってるのよ」
ハインが来客用の椅子を示した。
「ひとまず座ってください。皆さんからも、かなりお話があるのでしょう?」
「山ほどある」
「こちらもです」
「じゃあ、どっちから行く?」
アルドが聞く。ハインは少し考えた。
「皆さんからお願いします。キュリン町について、直接伺いたいです」
「ああ」
アルドたちが座る。
「つまり、赤鎖そのものが人を攫っていたわけではなかったのですね」
ハインが確認する。
「ああ」
レイスが答える。
「末端の一人が遺体処理を請け負った。それが接点だった」
「犯人は医師」
ミュレナが眉を寄せる。
「それで、実験のために人を攫ってた……」
「そういうことになる」
セレスの声は少し低かった。
「捕まってた人は助けられた。でも、それまでに亡くなった人もかなりいると思う」
ハインの手が書類の上で止まる。
「……分かりました」
「情報として使うのか?」
アルドが聞いた。
「使います。ただし、面白半分に広めるような話ではありません」
ハインは顔を上げる。
「どの地域で行方不明が起きていたのか。どういう手口だったのか。今後、同じような事件が起きた際に何へ注意するべきか。そこは整理します」
「商人なら知っといた方がいいもんな」
「はい。人と荷を動かす以上、危険の情報は必要です」
ミュレナが横から口を挟む。
「特に一人旅の商人にはね。何でもない道で消える可能性があるなんて、知らない方が危ないわ」
「じゃあ、その辺は任せる」
「任されたわ」
ハインが一つ息を吐いた。
「それと……皆さん」
「ん?」
「道中で、何をしてきたんですか?」
アルドが首を傾げる。
「何って?」
「人助けです」
「ああ」
「『ああ』ではありません」
珍しくハインの声が少し強くなった。
「皆さん、やりすぎです」
「やっぱり言われた」
セレスが笑う。
「いや、困ってる人がいたから手伝っただけだぞ」
「それはいいのです」
「じゃあ何が駄目なんだ?」
「そのたびにハイン商会の名前を置いてきたでしょう?」
「宣伝になるかなって」
「なりすぎました」
ハインが机の書類を一枚持ち上げる。
「これは護衛の相談」
もう一枚。
「こちらは商談」
さらにもう一枚。
「こちらは陽剣旅団への依頼です」
「全部?」
「ほんの一部です」
「……すご」
セレスが机の山を見る。ミュレナが横から別の束を指した。
「こっちは紹介希望。そっちは情報を買ってほしいって人。あと、お礼の手紙」
「手紙まで?」
「『陽剣旅団に助けられました』って」
アルドが少しだけ黙る。
「……ちゃんと広まってんだな」
「広まりすぎです」
ハインがまた言った。
「でも悪いことじゃないんだろ?」
「もちろん、悪いことではありません」
「じゃあいいじゃん」
「処理する側はよくありません」
ミュレナがすぐ返した。
「原因は帰ってくる前に作ってるでしょう」
「それ言われたら何も言えねぇな」
ノルが机の依頼書を一枚覗こうとする。
「触っていい?」
「それは駄目です」
ハインがすぐ止めた。
「依頼人の情報がありますから」
「分かった」
「素直」
アルドが言う。
「怒られたくない」
「賢い」
ハインは書類を戻した。
「陽剣旅団への依頼もかなり増えています。ただ、すべてを受けるのは不可能です」
「それは無理だな」
レイスも頷く。
「なので、報酬の下限を四十万セリオにしました」
アルドの顔が上がる。
「四十万?」
「はい」
「最低で?」
「最低で、です」
「……いいな」
「顔」
ノルが言う。
「出てる」
「今度は出てるね」
セレスも同意した。
「いいだろ、四十万だぞ!」
「皆さんの本来の目的を忘れないでくださいね」
ハインが釘を刺す。
「ああ。分かってる」
そこでアルドは鞄から折り畳んだ紙を取り出した。
「その本来の目的の方も進んだ」
ハインとミュレナの目が地図へ向く。
「赤鎖ですか?」
「ああ」
机へ広げる。
「団長と会えることになった。二週間後、ここだ」
ハインが身を乗り出す。
「本当に?」
「ああ」
「ついに、ですね……」
ミュレナも印を確認する。
「オルセアから南西。かなり森の奥ね」
「詳しい場所は書いてない」
レイスが言う。
「この辺りまで行けば、向こうから接触してくるはずだ」
「誰が知らせに?」
ハインが聞く。セレスの顔が一瞬で曇った。
「……ケリー」
「ああ……」
ハインがすぐ理解した顔をした。アルドは地図を指で叩いた。
「とにかく、二週間後はここへ行く。だから依頼を入れるなら、それに間に合うやつだけだ」
「分かりました」
ハインが地図の位置を手元の紙へ写す。
「依頼の候補はこちらでさらに絞ります。明日以降に見てください」
「今日は見なくていい?」
「むしろ今日は休んでください」
「助かる」
アルドが背もたれへ沈んだ。
「もう頭回らねぇ」
「いつもでは?」
ノルが言う。
「今日は特にだ」
ハインが少し笑った。
「では、こちらから残りを簡単に」
「まだあるのか」
「あります」
アルドは苦笑した。
「まず、鉄環護衛団は現在、大口の護衛依頼で出ています」
「ガルディンたちか」
「ええ」
ミュレナが答える。
「商隊護衛と荷の警備が一緒になった仕事よ。陽剣旅団を出すほどじゃないけど、そこらの護衛団には任せにくい」
「ちゃんと仕事来てるんだな」
「かなりね」
「顔見たかったけど、仕方ないか」
「戻ってくれば会えるわ」
ハインが続ける。
「それから、商館の設備が一通り整いました」
「設備?」
「裏庭、訓練場、倉庫、馬車庫、厩舎です。細かいところまで含めると、皆さんが出発した時よりかなり使いやすくなっています」
「明日、私が案内するわ」
ミュレナが言う。
「特に馬ね」
「馬?」
セレスが反応する。
「六頭入ったわ」
「六頭!」
「これから移動に使っていいわよ」
「歩かなくていい?」
「毎回歩く必要はなくなるわね」
「やった!」
セレスの顔が一気に明るくなる。ノルも少し身を乗り出した。
「馬、菓子食べる?」
「馬には馬の餌をやれ」
「分かった」
話が一段落したところで、ミュレナが机の書類を抱え直した。
「じゃあ、私はそろそろ戻るわ。東方面の返事、まだ出してないの」
アルドが顔を上げる。
「もう行くのか」
「あなたたちと違って仕事中なの」
「俺らも仕事帰りだぞ」
「なら休んでなさい」
「はいはい」
ミュレナは書類を抱え直し、扉へ向かった。ハインも立ち上がった。
「今日は本当に休んでください。明日からまた忙しくなりますから」
「ハインもな」
アルドが机の山を示す。
「ちゃんと寝ろよ」
「……努力します」
「そこは寝ますって言え」
◇
話し合いの後、五人は本館の風呂へ向かった。旅帰りの身体を湯へ沈めた途端、アルドの肩から力が抜ける。
「……生き返る」
「また」
壁の向こうからノルの声がした。セレスの声も続く。
「お風呂、最高……」
レイスも湯の中で長く息を吐いた。それ以上、誰も大した話はしなかった。湯から上がり、別館へ戻る頃には瞼が重い。
五人はそれぞれの部屋へ入り、その夜は早々に眠った。
◇
翌朝。朝食を終えた頃、ミュレナが別館へやって来た。
「みんな、行くわよ」
「どこに?」
アルドが聞く。
「昨日言ったでしょう。商館の案内」
「ああ、そうだった」
「寝たら忘れた?」
「半分くらい」
「半分も?」
ノルが横から言う。
「アルドだから」
「納得すんな」
「行くわよ」
ミュレナに促され、五人は別館を出た。最初は本館裏の広い庭だった。
「ここは休憩にも使えるし、簡単な商談もできる。あとは訓練場ね」
地面はしっかり踏み固められている。アルドが足で確かめる。
「この前、少し使ったな」
「軽い手合わせなら好きに使っていいわ」
「本気は?」
「壊したら弁償」
「じゃあやらない」
「判断早い」
「金が減るからな」
「そこ?」
ノルが言う。
「大事だ」
次は馬車庫。荷車と馬車を収められるだけの広さがあり、壁には予備の車輪や縄、工具、油が整然と置かれていた。
「ここ、かなり広いね」
セレスが奥を見る。
「今後もっと馬車が増えることを見越してるの」
「増えるの?」
「増やすのよ」
「商会っぽい」
「だから商会なの」
セレスが笑った。倉庫ではレイスが足を止める。木箱や棚には布、乾物、野営道具、食器、薬草類が種類ごとに分けられていた。
「かなり整理されているな」
「ベリタが頑張ったのよ」
「納得」
ノルが即答する。
「私も手伝ったんだけど?」
「ミュレナも偉い」
「後付けみたいに言わないで」
最後に厩舎へ向かった。六頭の馬が並んでいる。こちらを気にして耳を動かす馬もいれば、我関せず干し草を噛んでいる馬もいた。
「馬!」
セレスが一番に近づく。
「急に行くと驚くわよ」
「あ、ごめん」
歩調を落とし、ゆっくり手を出す。一頭が鼻先を寄せてきた。
「かわいい……」
エディンも隣の馬へ手を伸ばす。
「あらぁ。こっちの子も可愛いわねぇ」
「エディン、似合う」
ノルが言う。
「そう?」
「うん。馬に好かれそう」
「おねぇさん、包容力があるものぉ」
「馬にも?」
「馬にもよぉ」
その横でアルドは腰の緋喰刃へ手を触れた。旅の間も自分で手入れはしていた。それでも戦闘を重ねた刃は、一度きちんと職人へ任せたい。
「そうだ、ミュレナ」
「何?」
「腕のいい鍛冶屋、知らないか?」
「武器?」
「ああ。自分での手入れもそろそろ限界だ。ちゃんと見てもらいたい」
レイスも自分の武器へ目を落とす。
「俺のも一度見てもらうか」
「なら、ちょうどいい店があるわ」
「近い?」
「オルセアの南側。商人や護衛団の武器をよく扱ってる鍛冶屋よ」
「評判は?」
「いいわ。私の名前を出せば話も早いと思う」
「じゃあ明日行くか」
アルドが四人を見る。
「俺は行く」
「私も」
セレスが答える。
「翠穿も」
ノルも続く。
「おねぇさんも見てもらおうかしらぁ」
レイスが頷いた。
「全員だな」
ミュレナが厩舎の扉を閉める。
「じゃあ、案内はこれで終わり。私は本館に戻るわ」
「まだ忙しい?」
セレスが聞く。
「見れば分かるでしょう?」
「うん……」
「でも、昨日よりはマシよ」
「本当に?」
「多分」
ノルがじっと見た。ミュレナは笑い、そのまま本館へ戻っていった。アルドたちも別館へ向かう。
途中でセレスが厩舎を振り返った。
「馬、楽しみだね」
「うん」
ノルが頷く。
「明日は鍛冶屋だぞ」
アルドが別館の扉へ手を掛ける。
「今日は休める時に休む」
「その前に昼ご飯」
ノルが言った。
「もう腹減ったのか?」
「朝は朝。昼は昼」
「正論」
セレスが笑った。五人はそのまま別館へ入っていった。
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