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雷閃

 ゾルクが腰を落とした。左手は鞘へ、右手は柄へ。上体を僅かに前へ傾けただけの構えで、刀はまだ鞘の中にある。


 それなのに、アルドは緋喰刃《ひくいじん》を下げられなかった。喉元へ細い刃先を置かれているような感覚が消えない。


 ゾルクの腰には、反りのある細身の剣。黄色を基調に黒いまだら模様が入った鞘は、王国で見慣れた長剣とも短剣とも違っていた。


「あの剣、見たことない形だ……」


 後方にいるエディンが目を細める。


「あれは刀よぉ」


「刀?」


「海の向こうの国にいる、戦闘狂の民族が使う武器らしいわぁ」


「戦闘狂の民族……」


 ゾルクが少し笑った。


「ひどい言われようだな」


「否定しないのか?」


「しない」


 返事は軽い。


 だが、構えは微塵も崩れなかった。


「構えも独特だな。アルド、気をつけろ」


「ああ」


 レイスの声を背中で聞きながら、アルドは剣先を向けたまま横へ動いた。


 正面から受けるのは危険だ。ゾルクは刀を抜いてすらいない。アルドが普段拾っている肩や腰の起こりまで、鞘と小さな構えの中へ隠れている。


 なら角度を変える。半歩ずつ横へずれ、間合いを探る。ゾルクは追わなかった。


 身体の向きも、視線も、柄へ添えた指も動かない。葉を揺らす風と遠くの鳥の声だけが耳へ残る。隙がない。


 前へ出るか。さらに横へ回るか。いったん下がるか。アルドが後ろへ重心を移した。ゾルクが消えた。


「一刀流」


 声に遅れて地面が爆ぜる。


「抜刀 一閃《いっせん》」


 銀の線が首へ走った。考えるより先に緋喰刃を上げると、刃同士がぶつかって甲高い音が林へ響いた。


「ぐっ……!」


 抜き放たれた一撃の重さに押し込まれ、アルドの両足が土を削る。踏ん張って緋喰刃を押し返した時には、ゾルクの刀はもう別の軌道へ入っていた。脇腹。


 いつ返したのか分からない刃が服のすぐ横へ潜り込んでいる。アルドは身体を捻った。服が裂け、肌を冷たい刃先が薄く掠める。


 浅い。あと僅かに遅ければ腹を開かれていた。緋喰刃を戻した視界の下から、今度は蹴りが飛んできた。


 左腕を差し込んで受けると骨の奥が軋み、そのまま身体ごと弾き飛ばされた。


「っ……!」


 空中で身体を捻り、片足を地面へ叩きつける。土を滑りながら止まったところへ、ゾルクはもう踏み込んでいた。刀が上から落ちる。


 受ければ横から返る。刃を弾けば拳が入り、それを逸らせば肘、肩を引けば蹴りが来る。アルドは緋喰刃で刀を弾きながら拳を腕で逸らし、蹴りから半歩外れた。


 攻めへ移れない。一手防げば、その姿勢を使って次が来る。かわしても終わらず、逃げた先へもう一つの攻撃が置かれている。


 ゾルクは必要なだけ踏み込み、必要な場所だけを狙ってくる。首。脇腹。


 太腿。手首。脚を止める場所、武器を鈍らせる場所まで混ぜられ、受けるほどアルドから次の選択肢が消えていく。


「くそっ……!」


 刀を弾いた瞬間、アルドは正面へ踏み込んだ。技量で追えば後手に回る。なら、力で押す。


 緋喰刃を振り抜くと、ゾルクが初めて大きく後ろへ跳んだ。刃が空を裂き、距離が開く。着地したゾルクの刀は、すでに鞘へ戻っていた。


 アルドには納刀の瞬間すら見えなかった。再び腰が落ちる。先ほどと同じ居合の構え。


 鞘口で黄色い稲妻が細く跳ね、柄の周囲へ黄の電光がまとわりついている。アルドの背筋を冷たいものが走った。


「一刀流」


 ゾルクの声が静かに落ちる。


「抜刀 雷閃《らいせん》」


 さっきより速い。踏み込みの音を認識した時には、黄色い雷を纏った刀が目の前まで届いていた。アルドは緋喰刃を上げる。


 間に合った。刃が噛み合った瞬間、衝撃と一緒に雷が腕へ流れ込んだ。


「がっ……!」


 指が強張る。握力が抜け、緋喰刃が僅かに沈んだ。その隙へゾルクの刀が滑り込む。


 アルドは歯を食いしばり、動かない手首を無理やり返した。火花を散らして刀を逸らすが、雷の痺れは腕から肩、背中へ残っている。足も遅れる。


 ゾルクの膝が腹へ突き刺さった。


「ぐっ……!」


 息が詰まった顔へ柄頭が飛ぶ。首を捻ってかわした直後には蹴り。さらに横から刀が返り、拳まで続いた。


 受けるたび身体が痺れ、次の防御が一瞬ずつ遅くなる。黄色い雷を纏った刀が走るたび、緋喰刃が弾かれていった。後方でレイスが一歩動く。


 その胸元へエディンが片手を出した。


「ダメよぉ」


「分かっている」


 レイスは止まった。視線だけはアルドから外さない。アルドはさらに後ろへ押し込まれた。踵が太い木の根へ掛かる。


 崩れかけた身体へ刀が迫り、緋喰刃を地面へ突き立てるようにして辛うじて支えた。このままでは駄目だ。剣だけですでに押されている。


 雷を混ぜられれば、受けること自体が次の不利になる。なら、同じ戦い方を続ける理由はない。アルドは短く息を吸った。


「蒼炎弐式 炎装《えんそう》!」


 蒼い炎が全身を包んだ。


 緋喰刃へ蒼炎が走り、肩から腕、背中から脚へ熱が巡る。痺れそのものは残っている。それでも炎装が鈍った踏み込みを上から補い、遅れていた足だけは前へ出せるようになった。


「へぇ……」


 ゾルクの目が僅かに動く。今度はアルドが地面を蹴った。


 炎装で引き上げた踏み込みから緋喰刃を横へ振る。ゾルクが半歩下がったところへ返し、さらに踏み込んで次を重ねる。蒼炎を引く刃が間を空けず走った。


 ゾルクは必要な分だけ身体を外し、避けきれない一撃を刀で流す。アルドの刃が届く。


 頬のすぐ横を蒼炎が通り、鞘の端を火が掠める。次の斬撃にゾルクが刀を合わせると、その足が初めて深く土へ沈んだ。


「やるな」


「まだ余裕なのかよ」


 アルドは止まらない。押した。なら、ここで離す必要はない。


 緋喰刃を振り下ろすと、ゾルクは刀で受けて刃を横へ流した。同時に左脚がアルドの膝へ入る。アルドは跳ねるように外し、そのまま空中から剣を返す。


 ゾルクが身を沈めた。蒼い刃が頭上を通り、赤い髪を数本焼く。


「いいね」


 ゾルクが笑った。


「真似しようかな」


「何?」


「雷荷弐式 雷装《らいそう》」


 黄色い雷がゾルクの全身を覆った。脚から腰、背中、肩、腕へ細い稲妻が走っては消える。次の瞬間、姿がぶれた。


 アルドが目で追った時には、ゾルクはすでに真横へいた。


「っ!」


 緋喰刃を返す。


 間に合わない。


 肩口へ刀の峰が叩き込まれ、身体が傾いたところへ腹を蹴られる。土を滑ったアルドがすぐ立ち上がると、頭上にはもう黄光を纏った刀が落ちていた。受ける。


 雷が腕を走る。足が沈む。アルドは炎装を燃え上がらせ、力任せに押し返した。


 流れた刀の柄頭が、そのまま顔へ飛ぶ。首を傾ければ頬を風だけが抜けた。近い。アルドも肘を返そうとする。


 だが、その懐でもゾルクが先だった。


 膝が腹へ深く入り、続く蹴りで身体が浮く。背中から木へ叩きつけられた。幹が大きく揺れ、肺から一気に空気が抜ける。


「っ、ぐ……!」


 倒れている暇はない。アルドはすぐ膝を立てた。その背後で低い唸り声が聞こえた。振り返る。


 林の影から、一体の低級夜骸が飛び出していた。獣に似た異形が骨の突き出た前脚を伸ばし、鎖のような尾を揺らしながらアルドの首へ食らいつこうとしている。


「アルド!」


 レイスの声が飛ぶ。アルドは緋喰刃を上げた。間に合う。受けられる。


 そう判断した直後、黄の閃光が横を抜けた。空中にいた夜骸の身体がずれる。頭。


 胴。前脚。尾。


 斬られた部位がばらばらに地面へ落ち、黒い体液が草を濡らした。その向こうにゾルクが立っている。刀を振り抜いていたのは一瞬だけだった。


 次にアルドが見た時には、もう黄色地に黒のまだら模様が入った鞘へ納まっている。


「お前……」


 アルドは荒れた呼吸を整えながら立ち上がった。ゾルクは軽く肩を竦める。


「危なかったな」


「なんで助けた」


「お前らが持ってる情報は、俺たちの役に立つんだろうな」


 アルドは黙った。レイスとエディンも近づいてくる。


 レイスは緋喰刃を握るアルドの手を一度見てから、ゾルクへ視線を移した。エディンも笑ってはいない。アルドは息を吐き、緋喰刃を鞘へ戻した。


「……お前らの情報も教えろ」


 ゾルクの眉が上がる。


「そしたら全部話す。交換だ」


「全部?」


「ああ」


 アルドは真っ直ぐゾルクを見る。


「俺たちが知ってること。俺たちが探してること。王国に追われてまで掴みに行ってるもの。全部話す」


 ゾルクはしばらく黙っていた。足元では、斬られた夜骸の残骸が少しずつ崩れていく。


「お前らの情報は、俺らが食いつくほど価値があると思うか?」


「ああ」


 アルドは即答した。


「確実に飛びつく」


 ゾルクの笑みが深くなる。


「いいだろう」


 刀の柄を指先で軽く叩いた。


「団長に話を通してやる。最終試験合格だ」


「うるせぇよ」


 アルドが吐き捨てる。


「負けたくせに口は減らないな」


「負けてねぇ」


「おいおい。木に叩きつけられてただろ」


「あれはまだ途中だ」


「そういうことにしといてやるよ」


 ゾルクは楽しそうに笑うと、背を向けた。そのまま林の奥へ歩き、数歩進んだところで片手だけを上げる。


「じゃあな。しばらくしたら使いを出す。気をつけてキュリンに帰れよ」


 アルドの眉が跳ねた。


「なんで知ってんだよ」


 ゾルクは答えなかった。片手をひらひら振りながら進み、赤い髪が木々の向こうへ消えていく。やがて感知からも遠ざかった。


         ◇


 しばらく三人とも、その場を動かなかった。アルドが緋喰刃から手を離し、長く息を吐く。


 左腕にはまだ痺れが残り、肩も腹も重い。背中は木へ叩きつけられた痛みを主張している。


「生きてる?」


 近づいてきたエディンが顔を覗き込んだ。


「生きてる」


「かなり派手にやられたわねぇ」


「見れば分かる」


 レイスは最初の一閃で切られた外套の端へ触れた。


「最初の一撃でこれだ。手加減はしていたが、遊びではなかったな」


「ああ」


 アルドはゾルクが消えた方を見る。


「かなり強かった」


「でも、団長まで繋がった」


 エディンが言う。


「ああ。そこは収穫だ」


 レイスも頷いた。


「ただ、向こうは俺たちの動きを想像以上に把握している」


「キュリンって言ってたからな」


 アルドは顔をしかめた。


「気持ち悪いな」


「同感だ」


 レイスは短く返し、林の奥を見た。


「ここを離れよう。低級夜骸が出た以上、これ以上残る理由はない」


「ああ」


 陽もかなり傾いている。三人はキュリン町へ向けて歩き出した。


         ◇


 帰り道、アルドは何度か左手を開いては握った。雷の痺れは薄れているが、完全には消えていない。肩を回せば打たれた場所が痛み、息を深く吸えば腹にも鈍い重さが残っていた。


 それでも歩ける。


 エレノアから買った薬もある。


「ノルに怒られるかな」


 アルドが呟く。


「怒られるわねぇ」


 エディンの答えは早かった。


「やっぱりか」


「目を覚ましたばかりのノルちゃんに心配かけるなんて、悪い男ねぇ」


「俺のせいかよ」


「一騎打ちなんて受けるからだ」


「受けない選択肢なんかないだろ」


 アルドはため息を吐いた。後ろからレイスが淡々と返す。


「選択肢はあった」


「レイス、お前どっちの味方だよ」


「事実を言っただけだ」


「一番腹立つやつだな」


 エディンが小さく笑う。アルドもそれ以上は言わなかった。


 身体は痛み、ゾルクに押された悔しさも残っている。赤鎖はこちらの居場所まで掴んでいた。それでも、団長へ話を通すという約束は得た。


 木々の隙間から、キュリン町の灯りが見えた。三人はその灯りへ向かって歩き続けた。

お読みいただきありがとうございます。

引き続き毎日20時頃更新です。

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