神出鬼没
大級夜骸の雄叫びが夜を揺らした。畑の向こうで巨大な四肢が土を踏み潰し、いくつもの獣面が別々の方向へ裂けた口を開く。背から突き出した骨腕が蠢くたび、村の柵近くにいた者たちの悲鳴が重なった。
アルドは緋喰刃を抜く。
「レイス! セレス! 村人をここから離せ!」
「了解!」
「分かった!」
二人が迷わず村側へ走った。柵の近くでは、逃げる者に混じって何人もの村人が腰を抜かしている。畑へ転んだ者もおり、柔らかい土に足を取られて立てない。
セレスは地咬へ魔力を流した。
「大地弐式 岩路!」
畑の土が締まり、村の奥へ一本の足場が伸びる。
「走れる人は村の奥へ! 動けない人はこっちで支えるから、慌てないで!」
その横ではレイスが夜骸と村人の間へ立った。
「水流参式 護水壁!」
厚い水壁が立ち上がった直後、大級夜骸の身体から骨片が飛ぶ。水面が激しく弾けたものの、村人までは届かない。
「広場へ下がれ! 家には入るな! 潰されたら逃げられなくなる!」
恐怖で止まっていた人々がようやく動き出す。それを背後に、アルドは夜骸へ向き直った。
「エディン! こいつを村から離すぞ!」
「ええ!」
「ノルは援護!」
「了解」
ノルは二人と射線が重ならない位置へ横へ走り、片膝をついて翠穿を構えた。その間にも大級夜骸が一歩進み、踏み潰された畑の土が沈む。
「アルドちゃん、雷墜は使える?」
「いや、雷虎が最大だ!」
「旋爆は?」
「使える!」
「それで十分よぉ。まず止めるわ」
「ああ!」
アルドが両手を構えると、掌の間で黄色い雷が弾けた。エディンも右手を天へ掲げる。こちらは地を走ろうとするアルドの雷とは違い、頭上へ膨れ上がった黄光が夜空を照らしていく。
「雷荷参式 雷虎!」
「雷荷肆式 雷墜!」
虎の形を取った黄色い雷が地を駆け、大級夜骸の胴へ食らいついた。牙と爪の輪郭が肉へ沈み、雷が骨の隙間を駆け抜ける。ほぼ同時に、頭上から巨大な雷柱が落ちた。
轟音とともに黄光が夜骸を呑み込み、巨体が痙攣する。振り上げかけた骨腕も、地面を叩こうとしていた尾も半端な位置で止まった。痺れた前脚が柔らかい畑土へ沈み、巨体が村とは反対側へ僅かに傾く。
「エディン!」
「合わせるわよぉ!」
二人は傾いた側へ半歩回り、同時に踏み込む。硬直しているうちに、アルドとエディンの右手へ圧縮された風が集まった。
「旋風肆式 旋爆!」
二人の掌打が大級夜骸の顔面へ重なる。圧縮された風が内側から爆ぜ、肉と骨をまとめて砕いた。巨体が畑を抉りながら後方へ吹き飛び、木々を何本もへし折って村から遠ざかる。
「すご……」
翠穿を構えていたノルの口から漏れた。
だが、すぐに立ち上がる。
吹き飛ばされた先から、まだ濁った魔力が消えていない。アルドとエディンはすでに追っていた。
「ノルも行く」
翠穿を抱え、二人の後を追った。
◇
吹き飛ばされた大級夜骸は森の手前でようやく止まった。顔面の半分以上が失われている。それでも傷口では黒い肉が泡立つように盛り上がり、砕けた骨の隙間から新しい口が形を作り始めていた。
「やっぱ大級はしぶといな!」
「この程度で終わってくれたら苦労しないわねぇ!」
再生した口から黒い液体が吐き出される。
「横!」
アルドとエディンが左右へ散ると、二人の間を抜けた液体が地面へ落ちた。土が崩れるように沈み、白い湯気が立ち昇る。
エディンは避けた勢いのまま大剣を右前脚へ叩き込んだ。肉を裂き、骨を軋ませるが切断までは届かない。逆側へ回ったアルドも緋喰刃を振るう。
「蒼炎参式 蒼火閃!」
蒼炎を圧縮した斬撃が左前脚を深く裂き、骨まで届く。
「硬ぇ!」
「その上、治るのも早いわぁ!」
裂いたそばから黒い肉が寄り始める。背中では骨腕が一斉に持ち上がった。
三本、四本と別々の角度から振り下ろされ、アルドは踏風で間を抜ける。直後、背後の地面が連続して砕けた。エディンは一本を大剣で受けたが、衝撃を殺しきれず砕けた骨片が肩を裂く。
「っ……!」
血が落ちても足は退かない。
「このくらいで止まらないわよぉ」
押し返した大剣で骨腕を弾き、その隙間へアルドが片手を向けた。
「蒼炎参式 蒼炎砲!」
蒼炎の砲撃が胸へ炸裂する。黒い肉が焼け落ち、その奥で鈍い光が一瞬だけ覗いた。
「核――」
踏み込もうとしたアルドの前で、腹に新しい口が開いた。吐き出された黒い風が無数の刃へ変わる。
「アルドちゃん!」
エディンの大剣が風刃をまとめて叩き落とした。しかし全てまでは止められず、抜けた刃がアルドの腕、太腿、肩を裂く。
「ぐっ……!」
血が飛ぶ。それでもアルドは足を止めず、夜骸の懐へ入った。
「蒼炎壱式 乱火!」
不規則に弾ける蒼炎が口や脚、骨腕の付け根へ散り、夜骸の動きが一瞬だけ乱れる。そこへ三発の銃声が重なった。
一発が腹の口へ入り、二発目がアルドへ伸びていた骨腕の関節を叩く。三発目は焼けた胸部を抜き、先ほど見えた奥へ食い込んだ。骨腕がアルドの頭上を空振った。
「助かった!」
「追いついた」
少し離れた位置で、ノルが翠穿を構えていた。
「遅いぞ!」
「二人が飛ばしすぎ」
「それはそう!」
ノルはもう胸部へ照準を戻している。
「胸、見えた。浅いけど届く」
「なら開ける!」
アルドとエディンが左右から斬り込む。大級夜骸が咆哮すると、背から新たな骨腕が伸びた。
「増えるなよ!」
何本もの骨腕が二人へ振り下ろされる中、ノルは狙いを絞る。
「旋風参式 三牙穿!」
三発の弾丸が風で噛み合い、一本の牙となって胸へ突き刺さった。肉が大きく抉れる。
それでも核には届かない。
「硬い」
「もう一回頼む!」
「装填する」
翠穿へ次を送った時、大級夜骸の尾が地面を叩いた。アルドの感知に、足元を走る魔力が触れる。
「下だ!」
地面を突き破って骨槍が立ち上がった。三人が散る。
アルドの脇腹を骨先が掠め、エディンの左腕にも裂傷が走る。ノルは足元へ風を爆ぜさせて退いたが、外套の裾を大きく裂かれた。
「ノル、無事か!」
「無事」
答えた直後、追撃の風刃が三人へ迫る。その間へ水壁が割り込んだ。
「水流参式 護水壁!」
風刃が水面を抉り、砕けて消える。振り向けば、村側から戻ってきたレイスとセレスが走っていた。セレスは地咬を地面へ突き立てる。
「水地参式 泥蓮陣!」
夜骸の足元が一気に泥へ変わり、巨体が沈んだ。
「避難は!」
「広場まで下げた! しばらくは大丈夫!」
「なら、ここで潰すぞ!」
「もちろん!」
レイスも泥へ手を向ける。
「雷流参式 縛陣!」
黄色い雷が湿った足場を走り、四肢へ食い込む。泥に取られた脚がさらに痺れ、大級夜骸の巨体が沈んだ。
「今だ!」
アルドが正面、エディンが右、セレスが左へ散り、ノルは後方で射線を通す。
「蒼炎参式 蒼火閃!」
アルドが正面の胸を裂く。同時にエディンの大剣が右脚へ食い込み、骨を砕いた。
「水流弐式 断波!」
セレスの水刃が左脚の裂け目へ滑り込み、肉を深く切り開く。そこへノルの三牙穿が飛び込んだ。四人が開いた胸の奥で肉が弾け、鈍く光る核がさらに近づく。
「入った」
ノルが呟く。
「まだだ!」
レイスの声と同時に、大級夜骸の全身が膨れ上がった。肉の筋が浮き、頭と口が増える。背の骨腕が地面を掻き、そこかしこから濁った魔力が噴き出した。
「村側を守れ!」
次の瞬間、黒い液体と風刃、骨片、土槍が一斉に放たれた。その中に濁った雷まで混じり、攻撃の一部は村へ向かっている。
「水流参式 護水壁!」
「大地参式 岩壁!」
レイスの水壁とセレスの岩壁が村側へ重なる。黒い液体が岩を削り、風刃が水を裂く。骨片が二つの壁へ食い込んだ。
それでも全ては止めきれない。
抜けた骨片がレイスの肩を裂き、黒い液体の飛沫がセレスの腕を抉った。アルドの脇腹を土槍が掠め、エディンの腿には風刃が走る。逸風幕で軌道をずらしたノルも、一本を捌ききれず頬を裂かれた。
全員から血が落ちる。魔力も削られ、呼吸が重くなった。
「大級ってやつは、本当に面倒だな……!」
アルドが緋喰刃を構え直す。
「同感だ」
肩の傷を押さえる暇もなく、レイスは夜骸を見る。
「でも今ので村への攻撃は止めた。次はこっちだ」
「早く終わらせよう。これ以上暴れられたら村が危ない」
セレスも痛む腕を下げず地咬を握る。エディンは腿から流れる血をそのままに、大剣を肩へ戻した。
「核はもう見えてるわぁ。あとは割るだけねぇ」
「弾、十分」
ノルも翠穿を構える。大級夜骸は再生を続けていた。
だが最初より遅い。
焼かれた胸。砕かれた脚。泥へ取られた足元。雷で硬直した四肢。
ノルの弾丸が穿った傷も閉じきっていない。
「合わせるぞ」
アルドの声に全員が応じる。最初にレイスが雷を流した。
「雷流参式 鳴瀑!」
黄色い雷が水と泥を伝って脚元で激しく爆ぜ、大級夜骸の動きが止まる。セレスがさらに泥蓮陣へ魔力を送り、踏ん張ろうとした四肢を沈ませた。
右からエディンが入る。迎撃する骨腕を大剣で真正面から受け、押し返したところへノルの三発が関節を叩いた。骨が折れる。
正面が開いた。
「蒼炎弐式 蒼炎蛇!」
アルドの足元から蒼い炎蛇が走り、胸へ巻きついた。黒い肉を焼きながら締め上げると、傷の奥で核が露出する。
「見えた!」
「撃つ」
ノルが翠穿を構えた。三つの銃口が、露出した一点を捉える。
「旋風参式――」
その時だった。大級夜骸の尾の陰で、何かが動いた。太い骨腕ではない。
黒い肉を細く絞り、先端だけを骨で覆った槍のようなものが地面すれすれを走る。アルドの横を抜けた。エディンの大剣の下を潜り、レイスの水の筋とセレスの泥陣の間を裂いていく。
向かった先には、翠穿を構えたノルがいた。
「え――」
細い骨先が脇腹へ入った。ノルの身体が僅かに浮く。翠穿が手から外れ、地面へ落ちた。
「ノル!」
セレスの叫びが響く。骨槍は脇腹を貫いたまま、夜骸の身体へ戻ろうとしていた。
「まずい!」
レイスが動く。アルドもノルへ走ろうとした。その前で、大級夜骸の骨腕が再び持ち上がる。
「クソッ!」
「アルドちゃん! まずこいつを!」
エディンの声で、足が止まった。ノルのところへ行きたい。
だが大級夜骸はまだ生きている。
ここで背を向ければ、ノルだけでは済まない。全員が死ぬ。村にも戻られる。
アルドは奥歯を噛み締め、夜骸へ向き直った。
「分かってる!」
エディンが正面から踏み込む。振り下ろされた骨腕を大剣で受け、傷ついた脚で地面を踏み抜く。押し込まれても退かず、無理やり骨腕を持ち上げた。
「アルドちゃん!」
「ああ!」
踏風で跳び上がったアルドの緋喰刃へ、蒼炎が集まる。
「蒼炎参式 蒼火閃!」
胸へ蒼い斬撃が走り、同時にエディンの大剣が横から肉を切り開いた。核が露出する。
「雷流参式 雷鎖!」
レイスの水の筋が鎖状に伸び、黄色い雷を纏って核の周囲へ絡みつく。セレスも流涙へ魔力を集めた。
「水流弐式 断波!」
水刃が残った肉を剥ぎ取る。核が完全に露出した。アルドはもう一度踏み込んだ。
「終われ!」
緋喰刃が核を断つ。大級夜骸の咆哮が途切れた。
全身を支えていた力が抜け、骨腕が落ちる。巨体が前へ傾き、土を揺らして倒れた。
誰もそちらを見ていなかった。
「ノル!」
五人がいた戦場から、四人が同じ場所へ走った。
◇
ノルは仰向けに倒れていた。片手で脇腹を押さえているが、指の間から血が溢れている。貫通した傷の周囲は服まで赤く染まり、顔からはいつもの色が消えていた。
それでも目は開いている。
「ノル! ノル!」
セレスが膝をつく。
「大……丈夫……」
「喋らないで」
「急所は……外した……」
「分かった。分かったから、もう喋らないで」
セレスは傷口へ両手をかざした。脇腹を貫通している。
確かに急所は外れている。それでも流れた血が多すぎる。
「水流弐式 清癒膜」
淡い光を帯びた水膜が傷口を覆った。流れ続けていた血を押さえ、乱れた呼吸と脈、魔力を次の治療まで繋ぎ止める。ノルの眉が僅かに寄る。
「痛い?」
無言で頷いた。
「うん。痛いよね。でも止めるから。絶対止めるから」
セレスは傷口から目を離さない。レイスは一度だけ村の方角を見た。
「ここじゃ無理だ」
アルドが顔を上げる。
「何?」
「カッカ村には、この傷を治療できる設備がない。キュリン町なら治療師か魔法具がある可能性がある」
「どれくらいだ」
「普通に歩けば二日弱」
アルドはノルを見た。白い顔。浅く短い呼吸。迷う時間はなかった。
「エディン!」
「分かってるわぁ」
エディンが大剣を背へ戻し、ノルの身体を揺らさないよう抱き上げる。セレスは清癒膜を維持したまま立とうとしたが、このまま走ればノルとの距離が開く。
アルドが背を向けてしゃがんだ。
「乗れ」
「え?」
「俺が担ぐ。エディンの横から清癒膜を続けろ」
セレスは一瞬だけアルドを見た。すぐにその背へ身体を預ける。
「分かった。絶対離れないで」
「ああ」
アルドがセレスを担ぎ上げる。レイスは地面に落ちた翠穿を拾った。
「俺が前を走る。道を開けるから付いてこい!」
「頼む!」
全員が傷を負っている。
それでも止まる選択肢はなかった。
レイスが走り出し、ノルを抱いたエディンが続く。その横へ、セレスを担いだアルドが並んだ。
「セレス、届くか!」
「届いてる! もう少し近く!」
アルドが距離を詰める。エディンの腕の中で、ノルが薄く目を開いた。
「……重い?」
エディンの腕が僅かに強くなる。
「軽いわよぉ」
声だけはいつも通りだった。
「だから、ちゃんと起きてなさい」
「……うん」
小さくても返事はあった。アルドは前を見る。
◇
陽剣旅団が走り去った後。踏み荒らされた畑の先には、大級夜骸の崩れた残骸だけが残っていた。村ではまだ人々の声が飛び交っている。
そのどちらからも外れた木々の奥に、黒灰色の外套を纏った男が一人立っていた。男は陽剣旅団が消えた街道を見ていた。
「これで削りきれないのか」
視線が大級夜骸の残骸へ移る。村を襲わせ、陽剣旅団とぶつけた。
全員に傷を負わせるところまではいった。後方にいたノルへの一撃は、男にとっても想定以上だった。それでも四人は、重傷者を抱えてキュリン町へ走っていった。
「報告以上だな」
男の口元が僅かに上がる。しばらく残骸を眺めた後、外套の裾を翻した。
「死なないでくれよ」
一歩、木々の暗がりへ入る。
「死んだら、俺が責任を取らなきゃいけなくなる」
その姿は、夜の森へ紛れるように消えた。後に残ったのは、倒された大級夜骸と抉られた畑だけだった。
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