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ミリナの病室

 グミ村から戻った日の夜。煤鳩亭《すすばとてい》には、いつもより少し甘酸っぱい匂いが漂っていた。理由は、言うまでもない。グミ村から持たされた、山ほどのクミ菓子である。


「おお、これうめぇな!」


 バルトは大皿に盛られたクミ菓子を、もう三つ目まで食べていた。薄い焼き生地の中に、クミの実を煮詰めた餡が入っている。噛めば、ぷに、とした弾力がある。甘酸っぱさが口の中に広がり、茶にも酒にも合う。ミナは目を輝かせていた。


「これ、お店でも出せるかも。お父さん、どう思う?」


 厨房の方から、ドランが腕を組んで覗き込む。


「悪くねぇな。だが、仕入れがいる。グミ村と話をつけねぇと無理だ」


「じゃあ今度お願いしに行こうかな」


「お前一人じゃ行かせねぇぞ」


「分かってるって」


 ミナは笑って、皿にもう一つクミ菓子を足した。


「レイスさんは食べないんですか?」


 その一言に、レイスの肩がわずかに動いた。彼は茶を飲みながら、極めて平静な顔をしていた。だが、目だけは皿のクミ菓子を見ないようにしている。


「俺は村でいただきましたので」


「え、もう食べたんですか?」


「礼儀ですから」


 ノルが小さく言う。


「今日一番頑張った」


「まだ言っているのか、ノル」


「うん」


「やめろ」


 アルドは笑いを堪えきれず、肩を震わせた。


「レイス、あれは偉かったぞ。ちゃんと二口食ってたしな」


「褒め方が不愉快だ」


「じゃあもう一個食うか?」


「食べない」


 即答だった。バルトが大げさに驚く。


「なんだよレイス! こんなにうまいのに!」


「バルトさんは大抵の食べ物をうまいと言うでしょう」


「うまいもんはうまいからな!」


「燃費悪すぎ」


 ノルがクミ菓子を口に入れながら呟く。


「それ俺様に言ってんのか?」


「うん」


「認める!」


「認めるんですね」


 ルカが笑った。グミ村で負った肩の傷は、ルシアンの手当てのおかげで大事には至っていない。包帯は巻かれているが、本人は平然としていた。


「ルカ、痛くない?」


 ルシアンが心配そうに覗き込む。


「大丈夫です。動かすと少し痛いくらいで」


「動かさないでね」


「はい」


「銃の手入れも今日は駄目」


「……それは」


「駄目」


「はい」


 ルカは少しだけ残念そうに頷いた。セレスがそれを見て、面白そうに笑う。


「ルシアンに言われると、みんな大人しくなるわよね」


「セレスは大人しくならないだろ」


 アルドが言う。


「私は言うことを聞くわよ。納得すれば」


「納得しなかったら?」


「聞かないわね」


「最悪だ」


「あなたに言われたくない」


 ゴードは黙ってクミ菓子を食べていた。大きな手で小さな菓子を持つ姿は、少し妙に見える。


「ゴードさんはどうです?」


 アルドが聞く。


「悪くない」


「ゴードさんの『悪くない』も、気に入ってる時ですよね」


「そうかもしれん」


 エディンは杯を揺らしながら、ふわりと笑った。


「今日の黒豹ちゃんたちは、甘酸っぱい匂いがするわねぇ」


「やめてください。任務の記録まで甘酸っぱくなりそうです」


 レイスがうんざりした声で言った。


「でも、レイスちゃん。少し分けておくって言ってなかった?」


 エディンの一言に、レイスの手が止まる。アルドとルシアンは、ほとんど同時に視線を交わした。レイスは咳払いをした。


「……ミリナに、少し持っていこうかと」


 その名が出た瞬間、バルトが目を丸くした。


「ミリナ?」


 レイスは露骨に嫌な顔をした。


「聞き返さなくていいです」


「誰だ?」


「俺の妹です」


「妹!?」


 バルトの声が店の奥まで響いた。レイスのこめかみが動く。


「声が大きい」


「レイスに妹がいるのか!?」


「います」


「なんで言わねぇんだよ!」


「言う必要がありませんでした」


「あるだろ! 家族だぞ!」


「バルトさんに報告する義務はありません」


 バルトは衝撃を受けた顔をした。


「俺様、そんな他人行儀な扱いなのか……」


「今さらですか」


 ルカが笑う。ノルは珍しく、少しだけ前のめりになっていた。


「どんな子?」


「お前まで食いつくのか」


「気になる」


 セレスも頬杖をつく。


「私も気になるわ。レイスの妹でしょう? 絶対かわいいじゃない」


「なぜそうなる」


「あなたに似ていたら、顔は整ってるでしょ」


「言い方」


 ルシアンは柔らかく笑っていた。アルドはその横顔を見て、昔を少し思い出す。ミリナは、レイスの妹だ。幼い頃から体が弱く、レイスの入隊をきっかけに王都の療養院にいる。最近のレイスの給金の半分はこの治療費に充てられている。アルドは昔から知っている。


 ルシアンも、以前に何度か会っている。だが、他の第一部隊の面々は、まだミリナを知らない。レイスがあまり話さなかったからだ。隠していたわけではない。ただ、レイスは自分の大切なものを、無闇に人前へ出す性格ではなかった。


「ミリナは、療養院にいる」


 レイスが静かに言った。騒がしかった空気が、少しだけ落ち着く。


「今夜、少し顔を見に行く予定です。クミ菓子も、療養院の許可が出れば渡します」


 バルトが眉を下げた。


「そうか……体、悪いのか」


「悪くなければ療養院にはいません」


「そりゃそうだけどよ」


「心配そうな顔をしないでください。ミリナはそういう顔を嫌がります」


 レイスの声は、いつもより少し柔らかかった。アルドはそれに気づく。ルシアンも気づいていた。


「今日はもう行くの?」


 ルシアンが聞いた。


「ああ。あまり遅くなると面会時間に間に合わない」


「そっか。ミリナちゃんによろしくね」


「伝えておく」


 レイスは立ち上がった。そして、別に分けていたクミ菓子の包みを手に取る。


「ルカ。肩を動かしすぎるな。バルトさん、食べ過ぎないでください。アルド、お前は会計を忘れるな」


「俺だけ雑じゃない?」


「いつものことだ」


 レイスはそう言って、煤鳩亭を出ていった。扉が閉まる。しばらく、全員が無言だった。


 そして。


「カシラ」


 バルトが真剣な顔で言った。


「行くぞ」


「どこにだよ」


「ミリナちゃん?の見舞いだ!」


 アルドは予想通りすぎて、思わず笑った。


「お前、そう言うと思った」


「だってよ、妹だぞ! レイスの妹だぞ! 気になるだろ!」


「気になる」


 ノルが即答した。全員の視線がノルに集まる。


「ノルさんが乗り気なの珍しいですね」


 ルカが言う。


「レイスが妹の前でどうなるか、気になる」


「目的が僕と同じですね」


「一緒にしないで」


「ひどいですね」


 セレスも笑った。


「でも、行くなら手ぶらは駄目ね」


「そうだね」


 ルシアンが頷いた。


「療養院だから、騒ぎすぎないこと。あと、食べ物は許可を取らないと渡せないよ」


「俺様、静かにする!」


「それが一番信用できないのよ」


 セレスが即座に言った。


「ミリナちゃんに会ったことあるのは、私とアルドだけだよね」


 ルシアンが確認する。アルドは頷いた。


「ああ。他のみんなは初対面だ」


「なら、ちゃんと挨拶しないと」


「よし!」


 バルトは立ち上がった。


「お土産買うぞ!」


「今から?」


 ルカが目を丸くする。


「今からだ!」


「療養院の面会時間、間に合います?」


「急げば間に合う」


 アルドが言った。


「ただし、道中レイスに見つからないようにな」


 その一言で、全員の顔が少し悪くなった。エディンが楽しそうに笑う。


「あらあら。秘密の見舞い作戦ね」


「エディンさんも来ますよね?」


 アルドが聞く。


「ふふっ、もちろん。レイスちゃんが怒る顔、見たいもの」


「目的がどいつもこいつも不純だな」


 ゴードが静かに言った。ルシアンが苦笑する。


「でも、ミリナちゃんはきっと喜ぶよ」


 その言葉で、皆の顔が少し優しくなった。


         ◇


 見舞い品を選ぶのは、思ったより大変だった。バルトは最初、肉を買おうとした。


「元気出るだろ!」


「療養院に肉塊を持ち込むな」


 アルドが止めた。次に、巨大な果物を選ぼうとした。


「これならでけぇし、喜ぶだろ!」


「食べきれないし、切るのが大変です」


 ルカが止めた。最終的にバルトが選んだのは、小さな瓶に入った蜂蜜だった。喉にもよく、茶に少し入れられる。店の主人に勧められたものだった。


「これならいいだろ!」


「いいと思う」


 ルシアンが笑う。バルトは満足げに頷いた。アルドは、煤鳩亭で焼いてもらった小さな焼き菓子を包んでもらった。甘さ控えめで、食べやすいものだ。ルシアンは、淡い色の小さな花飾りを選んだ。生花ではなく、布で丁寧に作られたものだ。病室に置いても枯れない。セレスは薄い本を選んだ。


 短い物語がいくつか入っている本で、重すぎず、読み疲れないものだった。


「病室で暇な時に読めるでしょ」


 ノルは、しばらく迷った末、小さな絵葉書の束を買った。王都の外の風景が描かれている。遠い湖、麦畑、丘、朝焼けの街道。


「外、見たいかもしれないから」


 その一言に、ルシアンが少しだけ目を細めた。


「いいね、ノル」


「普通」


 ノルはそっぽを向いた。ルカは、小さな木製の鳥の置物を選んだ。手のひらに乗るほどの大きさで、翼が少し動く仕掛けになっている。


「銃型の玩具は?」


 アルドが冗談で聞く。


「療養院で怒られそうなので」


「分かってるじゃねぇか」


「僕は常識ありますから」


 セレスが笑った。


「それ、自分で言う?」


 ゴードは柔らかい膝掛けを選んだ。何も言わず、ただ店の棚から手触りの良いものを取った。


「ゴードさんらしいですね」


 ルシアンが言うと、ゴードは少しだけ頷いた。エディンは、きれいな瓶に入った淡い藤色の砂糖菓子を選んだ。


「見ているだけでも楽しいでしょう?」


「エディンさんっぽいですね」


 ルカが言う。


「あら、ありがとう」


 最後に、全員分の品を抱えたバルトが胸を張った。


「完璧だな!」


「問題は、レイスに見つからず療養院へ入れるかだ」


 アルドが言う。


「裏口から行く?」


 ノルが言った。


「なぜ自然に裏口が出る」


「見つかりにくい」


「見舞いで潜入するな」


 セレスが笑う。


「でも、正面からぞろぞろ行ったら目立つわよ」


「既に目立つ面子だ」


 ゴードが言った。全員が黙った。確かに、その通りだった。


         ◇


 王都東区の療養院は、白い石壁と淡い青の屋根を持つ静かな建物だった。白天還教《はくてんかんきょう》の祈り場に隣接しており、庭には月を模した丸い池がある。夜になると、水面に灯りが映り、病室の窓からも見えるようになっていた。アルドたちは、療養院の門の前で一度足を止めた。


「いいか。静かにするぞ」


 アルドが言う。


「分かってる」


 バルトが小声で返す。小声のつもりだった。普通の人間の声量だった。セレスが額を押さえる。


「もう駄目そう」


「まだ入ってもいないですよ」


 ルカが苦笑する。受付では、ルシアンが前に出た。


「こんばんは。ミリナちゃんのお見舞いに来ました。レイスさんはもう来ていますか?」


 受付の女性は、ルシアンを見ると顔を和らげた。


「ああ、ルシアンさん。はい、レイスさんなら先ほど病室へ」


「大人数でごめんなさい。少しだけでも大丈夫ですか?」


「静かにしていただけるなら。ミリナさん、今日は調子が良いようですし」


 そこで受付の視線が、バルトに向いた。バルトは真剣な顔で直立していた。


「静かにします」


「お願いしますね」


「はい」


 なぜか面接のような空気になった。アルドは笑いを堪えながら、全員を連れて廊下を進んだ。療養院の中は静かだった。薬草の匂い。清潔な布の匂い。


 遠くから聞こえる、小さな咳。バルトですら、歩幅を小さくしている。病室の前で、ルシアンが足を止めた。


「ここ」


 扉の向こうから、レイスの声が聞こえた。


「……だから、無理に食べなくていい。療養院の先生に確認してからだ」


 それに続いて、少女の声。


「でも、兄さんが持ってきてくれたんでしょう?」


 柔らかく、少し弱い声だった。レイスが沈黙する気配がした。


「……少しだけならな。ミリナ」


 アルドは、後ろの面々を見た。全員が、何とも言えない顔をしていた。普段のレイスからは想像しづらい声だったのだ。柔らかい。少し不器用で、優しい。


 アルドは小さく笑い、扉を叩いた。


「レイス」


「何だ?」


 中から返事が来る。アルドは迷わず扉を開けた。


「来たぞ」


 レイスがこちらを見た。手に茶碗を持ったまま、固まった。病室の寝台には、細い少女が座っていた。レイスとよく似た髪色。顔立ちもどこか似ている。だが、表情はレイスよりずっと柔らかい。少し痩せていて、肩に掛けた布が大きく見える。その少女――ミリナは、最初にアルドを見て、それからルシアンを見た。


 ぱっと顔が明るくなる。


「アルド! ルシアンちゃん!」


「久しぶり、ミリナ」


 アルドが笑う。


「こんばんは、ミリナちゃん」


 ルシアンも優しく手を振った。ミリナは嬉しそうに笑った。だが、その後ろからぞろぞろと入ってくる面々を見て、目を丸くする。


「……え?」


 レイスも同じ顔をしていた。いや、正確には少し怒っていた。


「お前ら」


 声が低い。


「なぜいる」


 バルトが一歩前へ出た。


「見舞いだ!」


「声」


 レイスとアルドとセレスが同時に言った。バルトは慌てて口を押さえる。


「お見舞いです」


 小声にした。やはり少し大きかった。ミリナはしばらくぽかんとしていた。それから、ふふ、と笑った。


「兄さんの、お仲間さん?」


「仲間ではない」


 レイスが即答した。


「仲間だろ」


 アルドが言う。


「今は認めたくない」


「兄さん」


 ミリナの頬がぷくっと膨らむ。レイスは黙った。その反応だけで、バルトが小声で震えた。


「レイスが…黙った……」


「ミリナちゃん、強い」


 セレスが呟く。ルシアンは笑いながら、ミリナのそばへ寄った。


「ごめんね、急に大勢で。みんな、ミリナちゃんに会いたいって」


「私に?」


「うん」


 ミリナの頬が、少し赤くなる。


「うれしいです」


 その一言で、第一部隊の大半が落ちた。まずバルトが胸を押さえた。


「かわいい……」


「早い」


 ノルが言う。


「仕方ねぇだろ」


 ルカも柔らかく笑う。


「レイスさんの妹さんとは思えないくらい素直ですね」


「ルカ」


 レイスの声が冷える。


「褒めてます」


「俺を下げただろ」


「気のせいです」


 セレスはミリナに本を差し出した。


「これ、よかったら。短い話が多いから、疲れにくいと思う」


「ありがとうございます!」


 ノルは絵葉書を差し出す。


「外の景色。暇なら見て」


「わあ……きれい」


 ミリナは絵葉書を一枚ずつ見て、目を輝かせた。


「この湖、本当にあるんですか?」


「ある」


「行ったことありますか?」


「遠くから見ただけ」


「いいなぁ」


 ノルは少しだけ目を伏せた。


「いつか、見れるといいね」


「はい!」


 ゴードは膝掛けを差し出した。


「寒い時に」


「ありがとうございます。あったかそう」


 ゴードは頷いた。それだけだった。だが、ミリナは嬉しそうに膝掛けを撫でた。バルトは蜂蜜の瓶を差し出した。


「喉にいいらしい!」


「バルトさん」


 レイスが睨む。


「先生に確認してからです」


「分かってる! 確認してからだ!」


 ミリナはくすくす笑った。


「兄さん、お兄さんみたい」


「兄さんだ」


 レイスが言った。


「そうじゃなくて」


「どういう意味だ」


「ふふ」


 レイスは少し困った顔をした。アルドはそれを見て、口元を押さえる。ルシアンは布の花飾りをミリナの枕元に置いた。


「これは、枯れないお花。病室でも置けるかなって」


「かわいい……。ルシアンちゃん、ありがとう!」


「どういたしまして」


 エディンは藤色の砂糖菓子を見せた。


「これは見て楽しむ用でもいいわよ。瓶がかわいいでしょう?」


「すごくきれいです!」


「あなたに似合うと思って」


 ミリナは照れたように笑った。最後に、アルドが焼き菓子を置いた。


「これは煤鳩亭の。先生に聞いて、食べられそうならな」


「ありがとう、アルド」


「無理して食うなよ」


「うん!」


 レイスは腕を組んでいた。顔は明らかに不機嫌だ。だが、本気で追い返す様子はない。ミリナが嬉しそうだからだ。その事実を、第一部隊全員が理解した。


         ◇


 しばらく、病室は不思議なほど温かい空気に包まれた。バルトは最初こそ声量を間違えかけたが、ミリナが笑うたびに自分で口を押さえるようになった。セレスは本の中身を簡単に説明し、ノルは絵葉書の場所をぽつぽつ教えた。ゴードはほとんど喋らなかったが、ミリナが膝掛けを掛けるのを手伝った。エディンは病室の窓辺に砂糖菓子の瓶を置き、光に透ける藤色を見せた。


 ルシアンはミリナの隣に座り、最近の煤鳩亭の話をしていた。


「ミナちゃん、今度クミ菓子をお店で出したいって言ってたよ」


「食べてみたいです」


「先生に聞いて、大丈夫なら少しだけね」


「はい」


 ミリナはクミ菓子の包みを見る。


「兄さんが持ってきてくれたの、嬉しかったです」


 レイスは少しだけ目を逸らした。


「……村でもらっただけだ」


「でも、私にって思ってくれたんでしょう?」


「余ったからだ」


「兄さん」


「……少しは、思った」


 ミリナは満足そうに笑った。第一部隊の面々は、声を出さずに悶えた。レイスが鋭く振り返る。


「何だ」


「何でもない」


 アルドが言う。


「お前、顔がうるさい」


「顔!?」


 その時、ミリナの視線がルカの腰へ向いた。


「ルカさんは、銃を使うんですか?」


「あ、はい。使います」


「二つも?」


「二つも」


 ルカは少し得意そうに笑った。


「見てみたいです」


 病室の空気が止まった。レイスが即座に言う。


「駄目だ」


「兄さん」


「駄目だ」


「少しだけ」


「駄目だ」


 ルカは両手を上げた。


「撃ちませんよ。持ち替えだけです」


「療養院で何をするつもりだ」


「静かに、ゆっくり」


 ミリナが期待した目でルカを見る。ルカはその目に負けた。アルドは止めようか迷った。だが、ミリナがあまりにも楽しそうだった。


「……撃つなよ」


「もちろんです」


 ルカは立ち上がった。銃に弾が入っていないことを確認し、レイスにも見せる。


「空です」


「当然だ」


「では」


 ルカは両手に銃を持った。最初はゆっくり。右の銃を回し、左へ渡す。左の銃を指先で反転させ、空いた右手で腰の短剣の柄に触れる。次の瞬間、右の銃を口にくわえた。


 ミリナの目が輝く。


「すごい……!」


 ルカは少し調子に乗った。左手の銃を腰の後ろへ回し、右手で短剣を抜く。抜いた短剣を逆手に持ち替え、くるりと体を半回転させる。口にくわえた銃を右手に戻し、左手の銃も同時に前へ出す。抜いた短剣はいつの間にか腰に戻っていた。銃口は誰にも向けていない。だが、動きだけは戦場そのものだった。ミリナは小さく拍手した。


「すごいです! もう一回見たいです!」


「もちろん――」


「何をしているんですか」


 扉の方から、冷たい声がした。看護師が立っていた。笑っていなかった。ルカは固まった。バルトも固まった。


 なぜか。


「療養院で武器の実演ですか?」


「いえ、あの、弾は入っていなくて」


「武器です」


「はい」


「正座」


「はい」


 ルカは即座に病室の端で正座した。看護師の視線がバルトへ向く。バルトは目を瞬かせた。


「え?」


「止めませんでしたね」


「はい……」


「正座」


「はい……」


 バルトも隣に正座した。あまりに大きい体がしょんぼりと畳まれるので、ミリナが吹き出した。


「ふふっ……」


 笑いすぎて、少し咳き込む。


「ミリナ」


 レイスがすぐに水を取る。ルシアンも背を支えた。


「大丈夫?」


「はい……ごめんなさい。面白くて」


 看護師はため息をついた。


「笑うのは良いことですが、笑わせ方を考えてください」


「すみません」


 ルカとバルトが揃って頭を下げる。その姿に、またミリナが笑いそうになった。レイスは水を渡しながら、二人を睨んだ。


「俺は忠告したぞ」


「すみません」


 ルカが言う。


「すみません……」


 バルトは完全にしょんぼりしていた。セレスは笑いを堪えるのに失敗して肩を震わせている。ノルは小さく呟いた。


「バルト、何もしてないのに」


「止めなかった罪ね」


 エディンが楽しそうに言った。ゴードは静かに言う。


「自業自得だ」


「俺様、本当に何もしてねぇのに……」


「声が大きい」


 看護師が言った。


「はい……」


 バルトはさらに小さくなった。


         ◇


 面会時間の終わりが近づいた。第一部隊は名残惜しそうに、ひとりずつミリナへ別れを告げた。


「また来てくださいね」


 ミリナが言う。その声は少し疲れていたが、とても明るかった。バルトが力強く頷く。


「来る!」


「声」


 レイスが言う。


「来ます」


「よろしい」


 ルカは正座の余韻で少し膝をさすりながら笑った。


「次は怒られないものを見せます」


「銃以外でお願いしますね」


 看護師が横から言う。


「はい」


 ノルは少し迷ってから言った。


「絵葉書、また持ってくる」


「楽しみにしています」


 セレスは本を指さす。


「読んだら感想聞かせて」


「はい」


 ゴードは短く頷いた。


「体を冷やすな」


「はい。ありがとうございます」


 エディンは手を振る。


「またね、ミリナちゃん」


「はい、エディンさん」


 ルシアンはミリナの手をそっと握った。


「また来るね」


「ルシアンちゃん、またお話聞かせてね」


「もちろん」


 アルドも笑った。


「じゃあな、ミリナ」


「ばいばい、アルド」


 最後に、レイスが全員を病室の外へ押し出すように立った。


「帰るぞ。面会時間だ」


「兄さん」


 ミリナが呼ぶ。レイスが振り返る。


「今日は、ありがとう」


 レイスは少しだけ黙った。それから、いつもの不器用な顔で言った。


「……疲れただろう。ちゃんと休め、ミリナ」


「はい」


「菓子は、先生に確認してからだ」


「はい」


「蜂蜜もだ」


「はい」


「本も、読みすぎるな」


「兄さん」


「何だ」


「心配しすぎ」


 レイスは言葉に詰まった。第一部隊の面々は、廊下でそれを聞いていた。聞いていないふりをしながら。ミリナは柔らかく笑った。


「でも、嬉しいです」


 レイスは目を逸らした。


「……そうか」


 扉が閉まる。廊下に出た瞬間、アルドはこらえきれずに笑った。


「レイス、お前やっぱ妹の前だと別人だな」


「黙れ」


「優しいお兄さんだったね」


 ルシアンが言う。


「ルシアンまで」


「本当のことだよ」


 レイスは耳のあたりを少し赤くした。バルトが真剣な顔で頷く。


「レイス。ミリナ、めちゃくちゃいい子だな」


「当然です」


 即答だった。全員が一瞬黙り、それから笑った。レイスはますます不機嫌そうな顔をした。


「何だ」


「いや、何でもない」


 アルドは笑いながら言った。


「また来ような」


「お前たちは来なくていい」


「ミリナは来てほしいって言ってたぞ」


「……」


 レイスは黙った。それが答えだった。


         ◇


 その日の夜。レイスは隊舎の自室で留帳を開いた。書かないつもりだった。だが、書かないわけにはいかなかった。あの騒がしさも。


 ミリナの笑顔も。ルカとバルトの正座も。全部、腹立たしいほど鮮明に残っている。レイスは筆を取った。第一部隊、ミリナを見舞う。


 事前申告なし。菓子、本、絵葉書、膝掛け、蜂蜜、花飾り、砂糖菓子等を持参。ルカ、療養院内で銃の持ち替えを実演。看護師より正座処分。バルトさんも正座。理由は、止めなかったため。


 ミリナは笑った。そこまで書いて、筆が止まる。しばらく、机の上の灯りを見つめた。それから、最後に一行だけ足す。悪くない日だった。


 最後の文字が留帳へ消えると、レイスは帳面を閉じた。窓の外には月が出ていた。レイスはカーテンを半分だけ閉める。病室で笑ったミリナの声が、まだ耳に残っていた。

お読みいただきありがとうございます。

次回も明日20時頃更新予定です。

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