ミリナの病室
グミ村から戻った日の夜。煤鳩亭には、いつもより少し甘酸っぱい匂いが漂っていた。理由は、言うまでもない。グミ村から持たされた、山ほどのクミ菓子である。
「おお、これうめぇな!」
バルトは大皿に盛られたクミ菓子を、もう三つ目まで食べていた。薄い焼き生地の中に、クミの実を煮詰めた餡が入っている。噛めば、ぷに、とした弾力がある。甘酸っぱさが口の中に広がり、茶にも酒にも合う。ミナは目を輝かせていた。
「これ、お店でも出せるかも。お父さん、どう思う?」
厨房の方から、ドランが腕を組んで覗き込む。
「悪くねぇな。だが、仕入れがいる。グミ村と話をつけねぇと無理だ」
「じゃあ今度お願いしに行こうかな」
「お前一人じゃ行かせねぇぞ」
「分かってるって」
ミナは笑って、皿にもう一つクミ菓子を足した。
「レイスさんは食べないんですか?」
その一言に、レイスの肩がわずかに動いた。彼は茶を飲みながら、極めて平静な顔をしていた。だが、目だけは皿のクミ菓子を見ないようにしている。
「俺は村でいただきましたので」
「え、もう食べたんですか?」
「礼儀ですから」
ノルが小さく言う。
「今日一番頑張った」
「まだ言っているのか、ノル」
「うん」
「やめろ」
アルドは笑いを堪えきれず、肩を震わせた。
「レイス、あれは偉かったぞ。ちゃんと二口食ってたしな」
「褒め方が不愉快だ」
「じゃあもう一個食うか?」
「食べない」
即答だった。バルトが大げさに驚く。
「なんだよレイス! こんなにうまいのに!」
「バルトさんは大抵の食べ物をうまいと言うでしょう」
「うまいもんはうまいからな!」
「燃費悪すぎ」
ノルがクミ菓子を口に入れながら呟く。
「それ俺様に言ってんのか?」
「うん」
「認める!」
「認めるんですね」
ルカが笑った。グミ村で負った肩の傷は、ルシアンの手当てのおかげで大事には至っていない。包帯は巻かれているが、本人は平然としていた。
「ルカ、痛くない?」
ルシアンが心配そうに覗き込む。
「大丈夫です。動かすと少し痛いくらいで」
「動かさないでね」
「はい」
「銃の手入れも今日は駄目」
「……それは」
「駄目」
「はい」
ルカは少しだけ残念そうに頷いた。セレスがそれを見て、面白そうに笑う。
「ルシアンに言われると、みんな大人しくなるわよね」
「セレスは大人しくならないだろ」
アルドが言う。
「私は言うことを聞くわよ。納得すれば」
「納得しなかったら?」
「聞かないわね」
「最悪だ」
「あなたに言われたくない」
ゴードは黙ってクミ菓子を食べていた。大きな手で小さな菓子を持つ姿は、少し妙に見える。
「ゴードさんはどうです?」
アルドが聞く。
「悪くない」
「ゴードさんの『悪くない』も、気に入ってる時ですよね」
「そうかもしれん」
エディンは杯を揺らしながら、ふわりと笑った。
「今日の黒豹ちゃんたちは、甘酸っぱい匂いがするわねぇ」
「やめてください。任務の記録まで甘酸っぱくなりそうです」
レイスがうんざりした声で言った。
「でも、レイスちゃん。少し分けておくって言ってなかった?」
エディンの一言に、レイスの手が止まる。アルドとルシアンは、ほとんど同時に視線を交わした。レイスは咳払いをした。
「……ミリナに、少し持っていこうかと」
その名が出た瞬間、バルトが目を丸くした。
「ミリナ?」
レイスは露骨に嫌な顔をした。
「聞き返さなくていいです」
「誰だ?」
「俺の妹です」
「妹!?」
バルトの声が店の奥まで響いた。レイスのこめかみが動く。
「声が大きい」
「レイスに妹がいるのか!?」
「います」
「なんで言わねぇんだよ!」
「言う必要がありませんでした」
「あるだろ! 家族だぞ!」
「バルトさんに報告する義務はありません」
バルトは衝撃を受けた顔をした。
「俺様、そんな他人行儀な扱いなのか……」
「今さらですか」
ルカが笑う。ノルは珍しく、少しだけ前のめりになっていた。
「どんな子?」
「お前まで食いつくのか」
「気になる」
セレスも頬杖をつく。
「私も気になるわ。レイスの妹でしょう? 絶対かわいいじゃない」
「なぜそうなる」
「あなたに似ていたら、顔は整ってるでしょ」
「言い方」
ルシアンは柔らかく笑っていた。アルドはその横顔を見て、昔を少し思い出す。ミリナは、レイスの妹だ。幼い頃から体が弱く、レイスの入隊をきっかけに王都の療養院にいる。最近のレイスの給金の半分はこの治療費に充てられている。アルドは昔から知っている。
ルシアンも、以前に何度か会っている。だが、他の第一部隊の面々は、まだミリナを知らない。レイスがあまり話さなかったからだ。隠していたわけではない。ただ、レイスは自分の大切なものを、無闇に人前へ出す性格ではなかった。
「ミリナは、療養院にいる」
レイスが静かに言った。騒がしかった空気が、少しだけ落ち着く。
「今夜、少し顔を見に行く予定です。クミ菓子も、療養院の許可が出れば渡します」
バルトが眉を下げた。
「そうか……体、悪いのか」
「悪くなければ療養院にはいません」
「そりゃそうだけどよ」
「心配そうな顔をしないでください。ミリナはそういう顔を嫌がります」
レイスの声は、いつもより少し柔らかかった。アルドはそれに気づく。ルシアンも気づいていた。
「今日はもう行くの?」
ルシアンが聞いた。
「ああ。あまり遅くなると面会時間に間に合わない」
「そっか。ミリナちゃんによろしくね」
「伝えておく」
レイスは立ち上がった。そして、別に分けていたクミ菓子の包みを手に取る。
「ルカ。肩を動かしすぎるな。バルトさん、食べ過ぎないでください。アルド、お前は会計を忘れるな」
「俺だけ雑じゃない?」
「いつものことだ」
レイスはそう言って、煤鳩亭を出ていった。扉が閉まる。しばらく、全員が無言だった。
そして。
「カシラ」
バルトが真剣な顔で言った。
「行くぞ」
「どこにだよ」
「ミリナちゃん?の見舞いだ!」
アルドは予想通りすぎて、思わず笑った。
「お前、そう言うと思った」
「だってよ、妹だぞ! レイスの妹だぞ! 気になるだろ!」
「気になる」
ノルが即答した。全員の視線がノルに集まる。
「ノルさんが乗り気なの珍しいですね」
ルカが言う。
「レイスが妹の前でどうなるか、気になる」
「目的が僕と同じですね」
「一緒にしないで」
「ひどいですね」
セレスも笑った。
「でも、行くなら手ぶらは駄目ね」
「そうだね」
ルシアンが頷いた。
「療養院だから、騒ぎすぎないこと。あと、食べ物は許可を取らないと渡せないよ」
「俺様、静かにする!」
「それが一番信用できないのよ」
セレスが即座に言った。
「ミリナちゃんに会ったことあるのは、私とアルドだけだよね」
ルシアンが確認する。アルドは頷いた。
「ああ。他のみんなは初対面だ」
「なら、ちゃんと挨拶しないと」
「よし!」
バルトは立ち上がった。
「お土産買うぞ!」
「今から?」
ルカが目を丸くする。
「今からだ!」
「療養院の面会時間、間に合います?」
「急げば間に合う」
アルドが言った。
「ただし、道中レイスに見つからないようにな」
その一言で、全員の顔が少し悪くなった。エディンが楽しそうに笑う。
「あらあら。秘密の見舞い作戦ね」
「エディンさんも来ますよね?」
アルドが聞く。
「ふふっ、もちろん。レイスちゃんが怒る顔、見たいもの」
「目的がどいつもこいつも不純だな」
ゴードが静かに言った。ルシアンが苦笑する。
「でも、ミリナちゃんはきっと喜ぶよ」
その言葉で、皆の顔が少し優しくなった。
◇
見舞い品を選ぶのは、思ったより大変だった。バルトは最初、肉を買おうとした。
「元気出るだろ!」
「療養院に肉塊を持ち込むな」
アルドが止めた。次に、巨大な果物を選ぼうとした。
「これならでけぇし、喜ぶだろ!」
「食べきれないし、切るのが大変です」
ルカが止めた。最終的にバルトが選んだのは、小さな瓶に入った蜂蜜だった。喉にもよく、茶に少し入れられる。店の主人に勧められたものだった。
「これならいいだろ!」
「いいと思う」
ルシアンが笑う。バルトは満足げに頷いた。アルドは、煤鳩亭で焼いてもらった小さな焼き菓子を包んでもらった。甘さ控えめで、食べやすいものだ。ルシアンは、淡い色の小さな花飾りを選んだ。生花ではなく、布で丁寧に作られたものだ。病室に置いても枯れない。セレスは薄い本を選んだ。
短い物語がいくつか入っている本で、重すぎず、読み疲れないものだった。
「病室で暇な時に読めるでしょ」
ノルは、しばらく迷った末、小さな絵葉書の束を買った。王都の外の風景が描かれている。遠い湖、麦畑、丘、朝焼けの街道。
「外、見たいかもしれないから」
その一言に、ルシアンが少しだけ目を細めた。
「いいね、ノル」
「普通」
ノルはそっぽを向いた。ルカは、小さな木製の鳥の置物を選んだ。手のひらに乗るほどの大きさで、翼が少し動く仕掛けになっている。
「銃型の玩具は?」
アルドが冗談で聞く。
「療養院で怒られそうなので」
「分かってるじゃねぇか」
「僕は常識ありますから」
セレスが笑った。
「それ、自分で言う?」
ゴードは柔らかい膝掛けを選んだ。何も言わず、ただ店の棚から手触りの良いものを取った。
「ゴードさんらしいですね」
ルシアンが言うと、ゴードは少しだけ頷いた。エディンは、きれいな瓶に入った淡い藤色の砂糖菓子を選んだ。
「見ているだけでも楽しいでしょう?」
「エディンさんっぽいですね」
ルカが言う。
「あら、ありがとう」
最後に、全員分の品を抱えたバルトが胸を張った。
「完璧だな!」
「問題は、レイスに見つからず療養院へ入れるかだ」
アルドが言う。
「裏口から行く?」
ノルが言った。
「なぜ自然に裏口が出る」
「見つかりにくい」
「見舞いで潜入するな」
セレスが笑う。
「でも、正面からぞろぞろ行ったら目立つわよ」
「既に目立つ面子だ」
ゴードが言った。全員が黙った。確かに、その通りだった。
◇
王都東区の療養院は、白い石壁と淡い青の屋根を持つ静かな建物だった。白天還教の祈り場に隣接しており、庭には月を模した丸い池がある。夜になると、水面に灯りが映り、病室の窓からも見えるようになっていた。アルドたちは、療養院の門の前で一度足を止めた。
「いいか。静かにするぞ」
アルドが言う。
「分かってる」
バルトが小声で返す。小声のつもりだった。普通の人間の声量だった。セレスが額を押さえる。
「もう駄目そう」
「まだ入ってもいないですよ」
ルカが苦笑する。受付では、ルシアンが前に出た。
「こんばんは。ミリナちゃんのお見舞いに来ました。レイスさんはもう来ていますか?」
受付の女性は、ルシアンを見ると顔を和らげた。
「ああ、ルシアンさん。はい、レイスさんなら先ほど病室へ」
「大人数でごめんなさい。少しだけでも大丈夫ですか?」
「静かにしていただけるなら。ミリナさん、今日は調子が良いようですし」
そこで受付の視線が、バルトに向いた。バルトは真剣な顔で直立していた。
「静かにします」
「お願いしますね」
「はい」
なぜか面接のような空気になった。アルドは笑いを堪えながら、全員を連れて廊下を進んだ。療養院の中は静かだった。薬草の匂い。清潔な布の匂い。
遠くから聞こえる、小さな咳。バルトですら、歩幅を小さくしている。病室の前で、ルシアンが足を止めた。
「ここ」
扉の向こうから、レイスの声が聞こえた。
「……だから、無理に食べなくていい。療養院の先生に確認してからだ」
それに続いて、少女の声。
「でも、兄さんが持ってきてくれたんでしょう?」
柔らかく、少し弱い声だった。レイスが沈黙する気配がした。
「……少しだけならな。ミリナ」
アルドは、後ろの面々を見た。全員が、何とも言えない顔をしていた。普段のレイスからは想像しづらい声だったのだ。柔らかい。少し不器用で、優しい。
アルドは小さく笑い、扉を叩いた。
「レイス」
「何だ?」
中から返事が来る。アルドは迷わず扉を開けた。
「来たぞ」
レイスがこちらを見た。手に茶碗を持ったまま、固まった。病室の寝台には、細い少女が座っていた。レイスとよく似た髪色。顔立ちもどこか似ている。だが、表情はレイスよりずっと柔らかい。少し痩せていて、肩に掛けた布が大きく見える。その少女――ミリナは、最初にアルドを見て、それからルシアンを見た。
ぱっと顔が明るくなる。
「アルド! ルシアンちゃん!」
「久しぶり、ミリナ」
アルドが笑う。
「こんばんは、ミリナちゃん」
ルシアンも優しく手を振った。ミリナは嬉しそうに笑った。だが、その後ろからぞろぞろと入ってくる面々を見て、目を丸くする。
「……え?」
レイスも同じ顔をしていた。いや、正確には少し怒っていた。
「お前ら」
声が低い。
「なぜいる」
バルトが一歩前へ出た。
「見舞いだ!」
「声」
レイスとアルドとセレスが同時に言った。バルトは慌てて口を押さえる。
「お見舞いです」
小声にした。やはり少し大きかった。ミリナはしばらくぽかんとしていた。それから、ふふ、と笑った。
「兄さんの、お仲間さん?」
「仲間ではない」
レイスが即答した。
「仲間だろ」
アルドが言う。
「今は認めたくない」
「兄さん」
ミリナの頬がぷくっと膨らむ。レイスは黙った。その反応だけで、バルトが小声で震えた。
「レイスが…黙った……」
「ミリナちゃん、強い」
セレスが呟く。ルシアンは笑いながら、ミリナのそばへ寄った。
「ごめんね、急に大勢で。みんな、ミリナちゃんに会いたいって」
「私に?」
「うん」
ミリナの頬が、少し赤くなる。
「うれしいです」
その一言で、第一部隊の大半が落ちた。まずバルトが胸を押さえた。
「かわいい……」
「早い」
ノルが言う。
「仕方ねぇだろ」
ルカも柔らかく笑う。
「レイスさんの妹さんとは思えないくらい素直ですね」
「ルカ」
レイスの声が冷える。
「褒めてます」
「俺を下げただろ」
「気のせいです」
セレスはミリナに本を差し出した。
「これ、よかったら。短い話が多いから、疲れにくいと思う」
「ありがとうございます!」
ノルは絵葉書を差し出す。
「外の景色。暇なら見て」
「わあ……きれい」
ミリナは絵葉書を一枚ずつ見て、目を輝かせた。
「この湖、本当にあるんですか?」
「ある」
「行ったことありますか?」
「遠くから見ただけ」
「いいなぁ」
ノルは少しだけ目を伏せた。
「いつか、見れるといいね」
「はい!」
ゴードは膝掛けを差し出した。
「寒い時に」
「ありがとうございます。あったかそう」
ゴードは頷いた。それだけだった。だが、ミリナは嬉しそうに膝掛けを撫でた。バルトは蜂蜜の瓶を差し出した。
「喉にいいらしい!」
「バルトさん」
レイスが睨む。
「先生に確認してからです」
「分かってる! 確認してからだ!」
ミリナはくすくす笑った。
「兄さん、お兄さんみたい」
「兄さんだ」
レイスが言った。
「そうじゃなくて」
「どういう意味だ」
「ふふ」
レイスは少し困った顔をした。アルドはそれを見て、口元を押さえる。ルシアンは布の花飾りをミリナの枕元に置いた。
「これは、枯れないお花。病室でも置けるかなって」
「かわいい……。ルシアンちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして」
エディンは藤色の砂糖菓子を見せた。
「これは見て楽しむ用でもいいわよ。瓶がかわいいでしょう?」
「すごくきれいです!」
「あなたに似合うと思って」
ミリナは照れたように笑った。最後に、アルドが焼き菓子を置いた。
「これは煤鳩亭の。先生に聞いて、食べられそうならな」
「ありがとう、アルド」
「無理して食うなよ」
「うん!」
レイスは腕を組んでいた。顔は明らかに不機嫌だ。だが、本気で追い返す様子はない。ミリナが嬉しそうだからだ。その事実を、第一部隊全員が理解した。
◇
しばらく、病室は不思議なほど温かい空気に包まれた。バルトは最初こそ声量を間違えかけたが、ミリナが笑うたびに自分で口を押さえるようになった。セレスは本の中身を簡単に説明し、ノルは絵葉書の場所をぽつぽつ教えた。ゴードはほとんど喋らなかったが、ミリナが膝掛けを掛けるのを手伝った。エディンは病室の窓辺に砂糖菓子の瓶を置き、光に透ける藤色を見せた。
ルシアンはミリナの隣に座り、最近の煤鳩亭の話をしていた。
「ミナちゃん、今度クミ菓子をお店で出したいって言ってたよ」
「食べてみたいです」
「先生に聞いて、大丈夫なら少しだけね」
「はい」
ミリナはクミ菓子の包みを見る。
「兄さんが持ってきてくれたの、嬉しかったです」
レイスは少しだけ目を逸らした。
「……村でもらっただけだ」
「でも、私にって思ってくれたんでしょう?」
「余ったからだ」
「兄さん」
「……少しは、思った」
ミリナは満足そうに笑った。第一部隊の面々は、声を出さずに悶えた。レイスが鋭く振り返る。
「何だ」
「何でもない」
アルドが言う。
「お前、顔がうるさい」
「顔!?」
その時、ミリナの視線がルカの腰へ向いた。
「ルカさんは、銃を使うんですか?」
「あ、はい。使います」
「二つも?」
「二つも」
ルカは少し得意そうに笑った。
「見てみたいです」
病室の空気が止まった。レイスが即座に言う。
「駄目だ」
「兄さん」
「駄目だ」
「少しだけ」
「駄目だ」
ルカは両手を上げた。
「撃ちませんよ。持ち替えだけです」
「療養院で何をするつもりだ」
「静かに、ゆっくり」
ミリナが期待した目でルカを見る。ルカはその目に負けた。アルドは止めようか迷った。だが、ミリナがあまりにも楽しそうだった。
「……撃つなよ」
「もちろんです」
ルカは立ち上がった。銃に弾が入っていないことを確認し、レイスにも見せる。
「空です」
「当然だ」
「では」
ルカは両手に銃を持った。最初はゆっくり。右の銃を回し、左へ渡す。左の銃を指先で反転させ、空いた右手で腰の短剣の柄に触れる。次の瞬間、右の銃を口にくわえた。
ミリナの目が輝く。
「すごい……!」
ルカは少し調子に乗った。左手の銃を腰の後ろへ回し、右手で短剣を抜く。抜いた短剣を逆手に持ち替え、くるりと体を半回転させる。口にくわえた銃を右手に戻し、左手の銃も同時に前へ出す。抜いた短剣はいつの間にか腰に戻っていた。銃口は誰にも向けていない。だが、動きだけは戦場そのものだった。ミリナは小さく拍手した。
「すごいです! もう一回見たいです!」
「もちろん――」
「何をしているんですか」
扉の方から、冷たい声がした。看護師が立っていた。笑っていなかった。ルカは固まった。バルトも固まった。
なぜか。
「療養院で武器の実演ですか?」
「いえ、あの、弾は入っていなくて」
「武器です」
「はい」
「正座」
「はい」
ルカは即座に病室の端で正座した。看護師の視線がバルトへ向く。バルトは目を瞬かせた。
「え?」
「止めませんでしたね」
「はい……」
「正座」
「はい……」
バルトも隣に正座した。あまりに大きい体がしょんぼりと畳まれるので、ミリナが吹き出した。
「ふふっ……」
笑いすぎて、少し咳き込む。
「ミリナ」
レイスがすぐに水を取る。ルシアンも背を支えた。
「大丈夫?」
「はい……ごめんなさい。面白くて」
看護師はため息をついた。
「笑うのは良いことですが、笑わせ方を考えてください」
「すみません」
ルカとバルトが揃って頭を下げる。その姿に、またミリナが笑いそうになった。レイスは水を渡しながら、二人を睨んだ。
「俺は忠告したぞ」
「すみません」
ルカが言う。
「すみません……」
バルトは完全にしょんぼりしていた。セレスは笑いを堪えるのに失敗して肩を震わせている。ノルは小さく呟いた。
「バルト、何もしてないのに」
「止めなかった罪ね」
エディンが楽しそうに言った。ゴードは静かに言う。
「自業自得だ」
「俺様、本当に何もしてねぇのに……」
「声が大きい」
看護師が言った。
「はい……」
バルトはさらに小さくなった。
◇
面会時間の終わりが近づいた。第一部隊は名残惜しそうに、ひとりずつミリナへ別れを告げた。
「また来てくださいね」
ミリナが言う。その声は少し疲れていたが、とても明るかった。バルトが力強く頷く。
「来る!」
「声」
レイスが言う。
「来ます」
「よろしい」
ルカは正座の余韻で少し膝をさすりながら笑った。
「次は怒られないものを見せます」
「銃以外でお願いしますね」
看護師が横から言う。
「はい」
ノルは少し迷ってから言った。
「絵葉書、また持ってくる」
「楽しみにしています」
セレスは本を指さす。
「読んだら感想聞かせて」
「はい」
ゴードは短く頷いた。
「体を冷やすな」
「はい。ありがとうございます」
エディンは手を振る。
「またね、ミリナちゃん」
「はい、エディンさん」
ルシアンはミリナの手をそっと握った。
「また来るね」
「ルシアンちゃん、またお話聞かせてね」
「もちろん」
アルドも笑った。
「じゃあな、ミリナ」
「ばいばい、アルド」
最後に、レイスが全員を病室の外へ押し出すように立った。
「帰るぞ。面会時間だ」
「兄さん」
ミリナが呼ぶ。レイスが振り返る。
「今日は、ありがとう」
レイスは少しだけ黙った。それから、いつもの不器用な顔で言った。
「……疲れただろう。ちゃんと休め、ミリナ」
「はい」
「菓子は、先生に確認してからだ」
「はい」
「蜂蜜もだ」
「はい」
「本も、読みすぎるな」
「兄さん」
「何だ」
「心配しすぎ」
レイスは言葉に詰まった。第一部隊の面々は、廊下でそれを聞いていた。聞いていないふりをしながら。ミリナは柔らかく笑った。
「でも、嬉しいです」
レイスは目を逸らした。
「……そうか」
扉が閉まる。廊下に出た瞬間、アルドはこらえきれずに笑った。
「レイス、お前やっぱ妹の前だと別人だな」
「黙れ」
「優しいお兄さんだったね」
ルシアンが言う。
「ルシアンまで」
「本当のことだよ」
レイスは耳のあたりを少し赤くした。バルトが真剣な顔で頷く。
「レイス。ミリナ、めちゃくちゃいい子だな」
「当然です」
即答だった。全員が一瞬黙り、それから笑った。レイスはますます不機嫌そうな顔をした。
「何だ」
「いや、何でもない」
アルドは笑いながら言った。
「また来ような」
「お前たちは来なくていい」
「ミリナは来てほしいって言ってたぞ」
「……」
レイスは黙った。それが答えだった。
◇
その日の夜。レイスは隊舎の自室で留帳を開いた。書かないつもりだった。だが、書かないわけにはいかなかった。あの騒がしさも。
ミリナの笑顔も。ルカとバルトの正座も。全部、腹立たしいほど鮮明に残っている。レイスは筆を取った。第一部隊、ミリナを見舞う。
事前申告なし。菓子、本、絵葉書、膝掛け、蜂蜜、花飾り、砂糖菓子等を持参。ルカ、療養院内で銃の持ち替えを実演。看護師より正座処分。バルトさんも正座。理由は、止めなかったため。
ミリナは笑った。そこまで書いて、筆が止まる。しばらく、机の上の灯りを見つめた。それから、最後に一行だけ足す。悪くない日だった。
最後の文字が留帳へ消えると、レイスは帳面を閉じた。窓の外には月が出ていた。レイスはカーテンを半分だけ閉める。病室で笑ったミリナの声が、まだ耳に残っていた。
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次回も明日20時頃更新予定です。




