グミ村のクミの実
獣章会議の翌日。第一部隊は、王都北東の街道を馬で進んでいた。空はよく晴れている。昨日の白塔議室に差し込んでいた冷たい光とは違い、今日は柔らかい日差しだった。王都から離れるほど、石畳の道は土の道に変わり、馬の蹄が立てる音も乾いたものになっていく。アルドは馬上で大きく伸びをした。
「あー……やっぱり外の方がいいな」
「会議の翌日に言う言葉としては分かりやすいですね」
ルカが隣で笑った。
「白塔議室、肩凝るんだよ。椅子は柔らかいのに、座ってると疲れる」
「あれは座り心地より、座る人間の重さを示すための椅子だ」
レイスが留帳を閉じながら言った。
「お前の場合、座っている間に落ち着きがなさすぎるのも原因だ」
「そんなに動いてたか?」
「足を組み替え、背もたれに寄りかかり、また戻り、白祈塔の像を見て、ヴァルム隊長を見て、ロザリア隊長を見て、また像を見ていた」
「よく見てるな」
「目に入る」
アルドは少し肩をすくめた。
「だって疲れるだろ。獣章会議」
「その疲れを癒やすために、今日は軽めの巡回任務だ」
レイスが言う。
「王都近郊、グミ村。昨夜、村外れの果樹林で夜骸らしき影が目撃された。人的被害なし。果樹の枝が数本折られた程度」
「雑級か?」
「村人の証言ではそう見える。だが、夜間の目撃で、距離もある。断定はしない」
「まあ、見てからだな」
「そういうことだ」
バルトが前方で振り返った。
「で、グミ村ってどんな村だ?」
「クミの実の産地です」
レイスが少し嫌そうに答えた。その変化を、アルドは見逃さなかった。
「お前、今ちょっと嫌な顔したな」
「していない」
「した」
「していない」
「クミの実、嫌いなのか?」
レイスは黙った。沈黙は肯定だった。バルトの顔が輝く。
「おお! レイスにも苦手な食い物があるのか!」
「誰にでもあります」
「どんな実なんだ?」
ルシアンが少し懐かしそうに笑った。
「外は薄い皮で、中がもちもちしてるの。噛むと、ぷにってする感じ」
「ぷに?」
ルカが首を傾げる。
「甘酸っぱくて、お菓子にもよく使われるよ。私はけっこう好き」
「私は普通」
ノルが言った。
「甘すぎなければ食べられる」
「セレスは?」
アルドが聞く。
「嫌いじゃないわ。食感が面白いし」
セレスはそう言ってから、レイスを見る。
「レイスは、その食感が嫌なの?」
「……あの、歯にまとわりつくような弾力が不快です」
「細かいな」
アルドが笑った。
「味は?」
「酸味が中途半端だ」
「さらに細かい」
「皮と中身の食感差も納得できない」
「恨みでもあるのか?」
「子供の頃、アルドが大量に口へ放り込んできた」
「そんなことしたっけ?」
「した」
ルシアンがくすくす笑った。
「したね。レイス、泣きはしなかったけど、すごく怒ってた」
「ほら見ろ」
レイスがアルドを見る。
「お前のせいで嫌いになった可能性が高い」
「いや、元から嫌いだったんじゃないか?」
「お前のせいだ」
「断定するなよ」
ゴードが馬上でぽつりと言った。
「食べ物の恨みは深い」
「ゴードさんが言うと重いですね」
アルドは笑った。エディンが後ろで楽しそうに目を細める。
「今日はレイスちゃんにとって試練の村ねぇ」
「任務に私情は持ち込みません」
「じゃあ、村でクミ菓子を出されたら?」
「礼儀として食べます」
「えらい」
ノルが言った。
「顔、死にそう」
「食べる前から勝手に殺すな」
レイスが低く返す。そのやり取りに、馬上の空気が少し軽くなった。昨日の獣章会議で残った重さも、一時だけ遠くなる。アルドはその空気を悪くないと思った。
◇
グミ村は、小さな谷間にあった。村の周囲には低い果樹が並んでいる。枝には丸い実がいくつもぶら下がり、赤紫から薄橙まで、熟し具合によって色が違っていた。近づくと、甘酸っぱい匂いが風に乗ってくる。レイスの眉間に、わずかな皺が寄った。
「レイス」
アルドが言う。
「何だ」
「顔」
「普通だ」
「普通の顔で村に喧嘩売るなよ」
「売っていない」
村の入り口では、村長と数人の村人が待っていた。村長は小柄な老婆だった。背は曲がっているが、目はよく光っている。手には籠を持っており、中には色とりどりのクミの実が山盛りになっていた。
「黒豹さん方、よう来てくださいました」
村長は深く頭を下げた。
「第一部隊隊長、アルドです。夜骸が出たと聞きました」
「はい。昨夜、北の果樹林でございます。木が数本折られましてな。見回りの若い者が、黒いものを見たと」
「黒いもの?」
「はい。大きな影が二つ、木の間を走ったようにも見えたそうで……ただ、月明かりだけでしたので、はっきりとは」
レイスの表情が少し変わった。
「二つ?」
「ええ。ただ、驚いて逃げ帰った者の話ですからな。枝の影かもしれませぬ」
「折れた枝の位置は?」
「北の果樹林の奥です。案内いたします」
村長は籠を差し出した。
「その前に、これを。うちのクミの実でございます」
「ありがとうございます」
ルシアンが笑顔で受け取る。バルトもすぐに一つ取った。
「おお、これがクミの実か」
口に入れた瞬間、バルトの目が丸くなる。
「なんだこれ! ぷにぷにしてるぞ!」
「だから言ったでしょ」
ルシアンが笑う。
「うまい!」
「それはよろしゅうございました」
村長が嬉しそうに笑う。ノルも一つ食べる。
「……悪くない」
「ノルの悪くないは気に入った時だな」
アルドが言う。
「普通」
「普通の顔で二つ目取るなよ」
「軽いから」
「ポテチ村でも言ってたぞ、それ」
セレスも一つ食べて、面白そうに噛んだ。
「なるほど。中が本当にもちもちぷにぷにしてる」
ルカは少し警戒しながら口に入れた。
「不思議ですね。食べ物というより、噛む遊びみたいです」
「分かります」
レイスが低く言った。
「食べ物に必要のない弾力です」
その場が一瞬、静かになる。村長がレイスを見た。アルドは慌ててレイスの肩を掴んだ。
「すみません。こいつ、褒め方が下手なんです」
「今のは褒めていない」
「黙ってろ」
ルシアンがにっこり笑って、クミの実を一つレイスの手に乗せる。
「レイス」
「……何だ」
「礼儀」
レイスは少しだけ黙った。それから、覚悟を決めたようにクミの実を口に入れた。噛む。眉間が寄る。飲み込む。
「……甘酸っぱいですね」
精一杯の感想だった。村長はにこにこしている。
「そうでしょう。うちのは酸味が立ちすぎず、甘みが残るのが自慢でしてな」
「ええ」
レイスは微妙な顔で頷いた。ノルがぼそりと言う。
「頑張った」
「黙ってろ」
◇
問題の果樹林は、村の北側にあった。低い木々が整然と並び、枝にはクミの実が鈴なりになっている。土は柔らかく、ところどころに落ちた実が潰れて、赤紫の染みを作っていた。奥へ進むほど、空気は少し重くなる。甘酸っぱい匂いに、獣の臭いが混じっていた。折れた枝は、一箇所ではなかった。
低い位置の枝がへし折られ、幹には黒い爪痕のようなものが残っている。別の木の上には、何かが重く乗った跡があり、枝が不自然に沈んでいた。ルカが木を見上げる。
「枝の折れ方、雑級っぽくないですね」
「そうだな」
レイスは膝をつき、地面の跡を見る。土には浅い足跡が残っていた。いや、足跡というには形が崩れている。四つの深い爪跡。その周囲に、腐った果汁のような黒い染み。
「足がある」
ノルが言った。
「雑級じゃない?」
「少なくとも、ただの泥や粘液の塊ではありません」
レイスは布越しに土を採取した。
「低級の可能性があります」
バルトが拳を鳴らす。
「お、少し歯応えありそうだな」
「油断しないでください」
レイスの声が少し鋭くなる。
「目撃数は二。足跡も一種類ではない。もし低級二体なら、村人が見た『黒いもの二つ』は見間違いではないかもしれません」
「低級二体か」
アルドは剣の柄に手を添えた。
「冗談みたいな村名なのに、急に締まるな」
「村名で危険度は変わりません」
「分かってる」
ゴードが周囲を見る。
「木が多い。視界が悪い」
「ああ。炎を大きく使えば果樹林ごと焼く」
アルドは眉を寄せた。
「やりづらいな」
「樹上から来る可能性もあります」
ルカが言った。
「折れた枝の高さが、地上型だけでは説明しづらい」
ノルは長銃の照準を、果樹林の奥から上へ流した。
「上、見とく」
「頼む」
ルシアンは村人たちの方を見た。
「夜になる前に、果樹林から離れてもらった方がいいね」
「そうだな」
アルドは村長へ向き直った。
「今夜、果樹林には誰も近づけないでください。実が落ちても、枝が折れてもです」
「ですが、収穫前の実が……」
「命より大事な実はありません」
レイスが言った。村長は言葉を詰まらせる。それでも、クミの実の木を見た。この村にとって、果樹林はただの畑ではない。暮らしそのものだ。
アルドは少し声を和らげた。
「守るために来ました。だから、俺たちが動けるようにしてほしいんです」
村長はしばらく黙っていた。やがて、深く頭を下げる。
「……分かりました。村の者には、わしから言い聞かせます」
◇
夜までの間、第一部隊は村で待機した。村人たちは、第一部隊が来たことで少し安心しているようだった。だが、果樹林に被害が出たことへの不安は消えていない。特に、収穫前の実を気にする者が多かった。
「黒豹さん、夜が明けたら収穫してもよろしいので?」
「安全確認が済んでからです」
レイスが答える。
「では、落ちた実は?」
「夜間は近づかないでください」
「けれど、落ちた実はすぐ傷みますでな」
「命の方が傷みます」
レイスが真顔で言った。村人は黙った。アルドは横で小さく笑いそうになったが、我慢した。言い方はきつい。だが、正しい。
ルシアンは村の子供たちと話していた。子供たちは第一部隊に興味津々で、とくにバルトとゴードの大きさを見て目を輝かせている。
「おじさん、でかい!」
「おじっ……!」
バルトが衝撃を受けた顔をする。
「俺様はまだおじさんじゃねぇ!」
「じゃあ、でかい兄ちゃん!」
「よし!」
「立ち直り早すぎ」
ノルが言う。子供の一人がゴードを見上げた。
「盾、重い?」
「ああ」
「持てる?」
「無理だ」
「おじさんは持てるの?」
「持てる」
「すげぇ!」
ゴードは少し困ったような顔をした。ルカはその様子を見て笑っていたが、子供たちに銃を見せてほしいと言われると即座に首を振った。
「これは駄目」
「なんで?」
「危ないから」
「ちょっとだけ」
「駄目」
「けちー」
「けちだもん」
ルカが真面目に断る横で、セレスが子供に小さな木の実を投げて見せた。空中で水の膜がふわりと受け止める。子供たちが歓声を上げた。
「魔法だ!」
「すげぇ!」
「もっと!」
「一回だけよ」
そう言いながら、セレスはもう一回見せた。アルドはその光景を少し離れて眺めていた。こういう時間があるから、村任務は悪くない。夜が来る前に、守るものの顔が見える。それは時に辛いが、時に力になる。
◇
日が落ちる頃、果樹林は別の顔になった。昼間は柔らかく見えた木々が、夜の影をまとって黒く沈む。枝に下がったクミの実は、月明かりの中で鈍く光っていた。甘酸っぱい匂いは、夜になると少し濃くなる。熟した実の匂い。落ちた実が潰れ、発酵しかけた匂い。
そこへ、獣の臭いが混じる。アルドは剣を抜いた。
「来るな」
「ああ」
レイスも留帳を閉じる。
「全員、雑級想定は捨ててください。低級二体の可能性が高い」
「了解」
ルカが低く返す。ノルは果樹林の外側、高い岩の上で長銃を構えていた。
「奥。木の上、動いた」
次の瞬間、枝がしなった。ばさり、と葉が散る。黒い影が木から木へ滑るように移動した。翼に見えるものがあった。だが、鳥ではない。
折れ枝と薄い皮膜が無理やり広げられたような輪郭。羽ばたくたびに、腐った果汁のような黒い雫が散る。首は短く、顔は潰れた果実を獣の嘴で裂いたように歪んでいた。大型猛禽の姿を思わせる。けれど、自然の生き物では絶対にない。
「上、一体」
ノルが言った。
「もう一体は?」
アルドが問う。返事より早く、果樹林の奥から低い唸りが響いた。木々の間を、黒い獣が走った。狼にも、山猫にも見えるしなやかな四肢。だが背中には枯れ枝のような棘が並び、肩から先は影を固めたように黒い。顔には目らしいものがなく、裂けた口だけが横へ広がっていた。
地を這う肉食獣の形。夜骸が、形を持っている。
「低級二体!」
レイスが叫んだ。
「地上型と樹上型です! まとめて相手にしないでください!」
地上型が先に動いた。低い姿勢から、一気にバルトへ飛びかかる。
「来いや!」
バルトが拳を構える。だが、夜骸は直前で体を捻り、バルトの横をすり抜けた。
「速い!」
ルカの銃声が響く。弾丸が地上型の肩を削ったが、夜骸は止まらない。狙いは後方。村人の避難路だった。
「ルシアン!」
アルドが叫ぶ。
「大丈夫!」
ルシアンは村人たちの前に立ち、水の防壁を張った。地上型の爪が、防壁にぶつかる。ぎし、と嫌な音がした。防壁が割れかける。そこへゴードが入った。
大盾が夜骸の爪を受け止める。重い衝撃。ゴードの足が土を抉った。
「下がれ」
ゴードが低く言う。ルシアンは村人たちをさらに後ろへ下げた。
「皆さん、走らないで! ゆっくり後ろへ!」
その声に、村人たちは震えながら従った。一方、樹上型が上から急降下した。狙いはルカ。ルカは屋根代わりに使っていた低い物見台から跳んだ。双銃を連射するが樹上型夜骸は見た目に似つかわしくない速度で銃弾を避ける。「ノルさんみたいにはいかないなぁ」
ルカは空中で右手の銃を口へくわえ、腰の短剣を引き抜く。黒い翼爪が、さっきまでルカのいた場所を裂いた。
「危なっ」
着地したルカが笑う。だが、余裕はない。樹上型は枝に脚をかけ、逆さにぶら下がるようにしてルカを見下ろした。ノルの弾丸が飛ぶ。風を纏った弾丸が、樹上型の翼膜を裂いた。
夜骸が耳障りな声を上げる。
「ぎ、あ」
だが落ちない。翼膜が裂けても、枝と枝の間を滑るように移動する。
「飛ぶっていうより、木を使って滑ってる」
ノルが言った。
「落とすには、移動先を塞ぐ必要がある」
「セレス!」
レイスが叫ぶ。
「上の動きを絞れますか!」
「やってみる!」
セレスは両手を広げた。水の膜が、木々の間に薄く張られる。網ではない。ただ、進路を嫌がらせるだけの薄い膜。樹上型がそれを避け、左へ回る。
その先にノルの照準があった。
「そこ」
弾丸が翼膜の付け根を撃ち抜いた。樹上型が体勢を崩し、枝を折って落ちかける。だが、完全には落ちない。折れた枝を脚で掴み、逆にそれを投げるように振るった。枝が槍のように飛ぶ。
「まずい!」
ルカが身を捻る。枝は彼の肩を掠めた。血が散る。
「ルカ!」
ルシアンの声。
「浅いです!」
ルカは叫び返したが、表情は少し硬い。雑級とは違う。低級は形を持つ。形を持つということは、速さも、狙いも、殺すための動きも明確になるということだった。地上型が再び跳ぶ。
今度はゴードの盾を避け、横からアルドへ向かった。アルドは剣に炎を宿す。
「火炎壱式 炎刃」
炎の刃が地上型の前脚を斬る。夜骸は体を捻り、致命傷を避けた。速い。雑級のように、ただ潰せばいい相手ではない。
「果樹林が邪魔だな」
アルドは舌打ちした。大きく炎を広げれば木が焼ける。木が焼ければ村の生活が死ぬ。
「アルド、右へ誘導!」
レイスの声が飛ぶ。
「バルトさん、地面を割らずに壁だけ!」
「細けぇ注文だな!」
「果樹林ごと潰す気ですか!」
「分かってる!」
バルトは両拳を地面へ叩きつけた。
「大地弐式 岩囲!」
地上型の進路に、低い石壁がせり上がる。夜骸は跳び越えようとした。その瞬間、アルドが踏み込む。
「逃がさねぇ」
炎の刃が、地上型の腹を裂いた。黒い体液が飛ぶ。夜骸が低く吠える。まだ倒れない。裂けた腹から、枝のような肋が覗く。そこに、黒く硬い核のようなものがあった。
「核、腹の奥!」
レイスが叫ぶ。
「見えた!」
アルドが追撃しようとした瞬間、上から樹上型が急降下した。地上型を助けるような動きだった。
「連携してる?」
セレスが驚く。
「低級二体が偶然同時にいるだけじゃない」
レイスの声がさらに硬くなる。
「互いの動きに反応している」
「面倒だな!」
アルドは樹上型の爪を剣で受けた。火花と黒い体液が散る。そこへルカが横から入った。右手の刃で翼膜を裂きながら、左手の銃で至近距離から撃つ。弾丸が樹上型の胸部を抉った。
「ノルさん!」
「見えてる」
ノルの弾丸が、抉れた胸の奥へ吸い込まれる。樹上型の体が大きく揺れた。落ちる。だが、そのまま地面に落ちる前に、夜骸は折れた翼を広げた。最後の滑空。
狙いは、ルシアンの背後にいる村人。
「させるか!」
ゴードが走った。大盾を構え、滑空する夜骸の進路に入る。衝突。重い音が響いた。ゴードの体が後ろへ押される。
それでも、盾は抜かせない。
「アルド!」
ゴードが叫ぶ。アルドはすでに走っていた。剣に炎が収束する。大きく広げない。細く、鋭く、核だけを焼き断つ。
炎が刃に沿って細く伸びた。
「火炎弐式 炎牙」
突き出された炎の刃が、樹上型の胸奥を貫いた。夜骸が短く鳴いた。
「ぎ、あ……」
黒い翼が崩れる。樹上型はゴードの盾の前で崩れ落ち、腐った果汁のような臭いを残して動かなくなった。
「一体!」
レイスが叫ぶ。
「地上型がまだです!」
地上型は、傷ついた腹を引きずりながら、アルドの背後へ回っていた。爪が振り上がる。だが、バルトが間に入った。
「俺様を忘れんな!」
拳に大地の魔力が集まる。レイスの声が飛んだ。
「参式は使わないでください!」
「使わねぇよ!」
バルトは低く踏み込む。
「大地弐式 砕岩拳!」
拳が地上型の横腹を打ち抜いた。核が露出する。すかさずルカが銃を向ける。だが、地上型はルカを見た。目はない。
それでも、見たように感じた。ルカの指が一瞬だけ止まる。速い爪が迫る。
「ルカ!」
レイスの声。弾丸が飛んだ。ルカではない。ノルの弾丸だった。旋風をまとった弾が、地上型の爪を弾く。
「止まらない」
ノルが言った。その声は少し荒い。
「撃てる時に撃って」
「はい!」
ルカは今度こそ引き金を引いた。弾丸が露出した核を撃ち砕く。地上型の体が硬直した。最後にアルドが剣を振るう。炎の刃が、核ごと夜骸を断った。
黒い獣の体が崩れる。低い唸りが途切れた。果樹林に、静けさが戻る。誰もすぐには動かなかった。甘酸っぱい匂い。
焼けた臭い。獣の腐臭。折れた枝と、落ちたクミの実。月明かりの下に、低級二体の残骸が広がっている。
「……終わったか」
アルドが息を吐いた。
「はい」
レイスは頷いた。
「低級二体。地上型と樹上型。軽度の連携反応あり。村人に被害なし」
「ルカ」
ルシアンが駆け寄る。
「肩、見せて」
「浅いですって」
「いいから」
「はい」
ルカは素直に従った。ルシアンが傷を見て、少しだけ眉を寄せる。
「本当に浅いけど、ちゃんと手当てするからね」
「お願いします」
バルトは地面に座り込んだ。
「雑級だと思ってたら、なかなかやるじゃねぇか」
「最初から低級の可能性は言っただろ」
レイスが言う。
「聞いてた!」
「聞いていた顔ではありませんでした」
「レイス、お前そういうところ細かいぞ!」
「命に関わるので」
ノルが長銃を下ろした。
「低級二体、面倒」
「それだけかよ」
アルドが笑う。
「うん」
ノルは短く答えた。
「燃費悪い」
「誰の?」
「全員」
アルドは声を出して笑いそうになった。だが、すぐに果樹林を見た。枝は折れている。実も落ちている。だが、村人は生きている。
木も全部は失われていない。なら、今日も勝ちでいい。そう思えた。
◇
夜明け前。グミ村の果樹林は、第一部隊と村人たちの手で片づけられた。折れた枝を運び、使える実と傷んだ実を分ける。バルトは大きな籠を二つ抱え、子供たちに「でかい兄ちゃんすげぇ」と言われて機嫌を直していた。ゴードは無言で重い枝を運ぶ。
ルカは肩に包帯を巻かれたまま残骸を拾おうとして、ルシアンに止められた。
「ルカは座ってて」
「でも」
「座ってて」
「はい」
ノルは高い枝に残った危険な実を風で落とした。セレスは水で汚れを流し、ルシアンは村人と一緒に傷んでいない実を布へ並べていた。レイスは記録を取りながら、村長から差し出されたクミ菓子を受け取っていた。
「ぜひ、黒豹さん方で」
「ありがとうございます」
レイスは礼儀正しく受け取る。アルドが横からにやにや見ていた。
「食うのか?」
「食べます」
「偉いな」
「任務です」
「それ任務か?」
「村との関係維持です」
レイスはクミ菓子を一口食べた。外側は薄い焼き生地。中に、クミの実を煮詰めた餡が入っている。もちっとした弾力が、やはり残っていた。レイスは飲み込む。
「……丁寧な味ですね」
村長は満面の笑みを浮かべた。
「そうでしょう、そうでしょう」
アルドは顔を背けて笑いを堪えた。ルシアンも肩を震わせている。ノルがぼそっと言った。
「今日一番頑張った」
「討祓よりですか」
「たぶん」
「不名誉です」
レイスはそう言いながら、もう一口だけ食べた。アルドは少し驚いた。
「お、二口目」
「出されたものを残すのは失礼だ」
「ほんと律儀だな」
「お前が雑すぎる」
「はいはい」
夜が明ける。果樹林に朝日が差し込み、黒く沈んでいた木々が少しずつ色を取り戻していく。村人たちは疲れていたが、誰も死んでいない。木は傷んだ。実も失われた。
だが、村は残った。それなら、今日も勝ちでいい。アルドはそう思った。
◇
王都へ戻る道中、第一部隊の荷にはクミの実で作られたお菓子が大量に積まれていた。村長が持たせてくれたのだ。レイスはその荷を見ないようにしていた。バルトは楽しそうだった。
「煤鳩亭で食おうぜ!」
「レイスの前で?」
セレスが聞く。
「もちろんだ!」
「鬼ね」
「みんなで食った方がうまいだろ!」
「それは正論」
ノルが言う。ルカが笑った。
「明日は休みでしたよね?」
「半休だ」
レイスが訂正する。
「午後は報告書」
「午前は?」
「自由」
「じゃあ、煤鳩亭で軽く打ち上げですね」
アルドが振り返った。
「いいな。ローグさんも誘うか?」
「昨日来たばかりだ」
レイスが言う。
「また誘えって言ってただろ」
「毎回誘うな、迷惑だ」
「でも、誘わないと来ないだろ」
「それはそうだが」
ルシアンがクミ菓子を見ながら言った。
「煤鳩亭に持っていったら、ミナちゃん喜びそう」
「ミナなら新メニューにしようとするかもな」
アルドが笑う。
「それなら、誰かにも持っていけるかな」
ルシアンが何気なく言った。レイスの視線がわずかに動く。
「誰かとは」
「ミリナちゃん」
ルシアンは自然に言った。
「甘すぎないものなら、少し食べられるかもしれないでしょ? もちろん、療養院の人に聞いてからだけど」
レイスは少し黙った。それから、クミ菓子の包みを見る。
「……あいつは、こういう食感を嫌がらないと思う」
「じゃあ、今度持っていこうよ」
「今度?」
アルドがその言葉に食いついた。ルシアンは微笑んだ。
「ミリナちゃん、きっと喜ぶよ」
馬蹄の音が、朝の街道に響く。王都はまだ遠い。けれど、第一部隊の会話はすでに打ち上げの話に移行していた。レイスは小さくため息をつき、留帳を開いた。短く書く。
グミ村。低級二体。地上型、樹上型。軽度の連携反応あり。クミ菓子、多数。
そして最後に一行足した。ミリナは、喜ぶかもしれない。最後の文字が留帳へ消えると、レイスは帳面を閉じた。ルシアンはクミ菓子の包みを大事そうに抱え、その様子を見ているゴードは少しだけ目元が柔らかかった。エディンはその光景を見て、ふわりと笑った。
朝の光の中、第一部隊は王都へ向かう。陽気な足音を、街道に連れて。
お読みいただきありがとうございます。
次回も明日20時頃更新予定です。




