獣章会議
アルドは笑いながら、剣を鞘に納めた。夜骸は倒した。村人は無事。畑は少し荒れたが、命は失われていない。なら、今日は勝ちでいい。
月明かりの下、ポテチ村の芋畑で、第一部隊は夜明けまで芋を拾った。バルトは誰よりも真剣だった。そして翌朝。村人が感謝として出した山盛りの揚げ芋を、誰よりも嬉しそうに食べた。
第11話 獣章会議
ポテチ村から戻った翌朝。王都討祓軍本部の総隊長室には、揚げ芋の匂いはなかった。代わりに、紙と墨と、少し冷えた雨上がりの石の匂いがある。アルドは、机の前で腕を組んでいた。隣ではレイスが留帳を開き、昨夜の記録を正式報告書に転記している。
ローグレスはその向かいで、二枚の報告書を並べて読んでいた。一枚は、カワ村墓地異常。もう一枚は、ポテチ村芋畑の雑級夜骸討祓報告。まったく違う村。まったく違う現場。
墓地と畑。棺と芋。柳の根と泥。だが、二つの報告書を並べると、嫌な線が一本引けてしまう。土の下。
古いもの。骨や棺材。夜骸が、ただ人を襲うのではなく、何かを探すように土を掘っていたこと。
「……偶然、と言い切るには気持ちが悪いな」
ローグレスが低く言った。
「俺も同感です」
レイスは筆を置いた。
「ただし、関連ありと断定するには材料が弱いです。カワ村は墓地、ポテチ村は畑。片方は根状異常体、片方は泥状の雑級。発生条件も違う。共通点だけを拾えば似て見えますが、無理に結びつけると判断を誤ります」
「でも、どっちも土の下だろ」
アルドが言う。
「それはそうだ」
「どっちも、何か古いものに反応してた」
「それもそうだ」
「じゃあ気持ち悪いな」
「だから気持ち悪いと言っている」
レイスは短く返した。その顔には疲れが残っていたが、目は冴えている。ポテチ村の後、夜明けまで芋拾いに付き合わされたにもかかわらず、戻ってすぐに報告書をまとめている。アルドはそれを止めようとしたが、レイスは「今回の件は遅らせるべきではない」と言って聞かなかった。ローグレスは二人を見比べる。
「第一部隊だけで抱える話ではないな」
「各隊長へ共有しますか」
「ああ」
ローグレスは机の上に置かれた別の報告書へ視線を移した。それは、第四部隊から上がってきた調査報告だった。カワ村から回収された淡青棺の破片と、根状異常体の残骸。それらは、カワ村任務の後、ローグレスの判断で第四部隊へ提出されている。フィオナの部隊による一次調査も、すでに終わっていた。つまり、今日は相談の場ではない。
報告が揃った場だ。
「カワ村の件は、第二部隊が先に動いた案件でもある」
ローグレスが言った。アルドは少しだけ顔を引き締める。第二部隊は、カワ村で二晩張った。だが、何も掴めなかった。その後、第一部隊が出て、根状異常体と棺材の破片を見つけた。
結果だけ見れば、第一部隊が第二部隊の取りこぼしを拾った形になる。助けた、と言えば聞こえはいい。だが、隊の面子というものがある。第二部隊の者たちが、それを簡単に飲み込めるはずもない。
「揉めそうですね」
アルドが言った。
「揉めるだろうな」
ローグレスはあっさり返した。
「だが、揉める価値はある」
ローグレスは机の脇に置かれた呼び鈴を鳴らした。部屋の隅に控えていたジークが、静かに顔を上げる。
「ジーク」
「はい、ローグレス様」
「各隊長、副隊長を集める。獣章会議だ。議題は、カワ村およびポテチ村における異常報告の共有。第四部隊調査結果も含めて扱う」
「承知しました」
ジークは穏やかに一礼した。その声はいつも通り静かだった。アルドは肩を回す。
「……獣章会議か」
「お前、会議嫌いだよな」
レイスが言う。
「好きなやついるのか?」
「必要な会議なら嫌いではない」
「お前はそうだろうな」
「今回は必要だ」
「分かってる」
アルドは息を吐いた。
「ただ、あそこは毎回疲れるんだよ」
ローグレスがわずかに笑う。
「疲れる程度で済めばいい」
「済まないんですか」
「第二と第三が同じ部屋に来る。静かに終わると思うか」
「思わないですね」
アルドは即答した。
◇
白塔議室は、王都討祓軍本部の奥にある。普段、第一部隊が任務報告で出入りする執務室とはまるで違う。白い石で造られた円形の議室は、必要以上に広かった。声を張らずとも響くほど天井は高く、壁には細く縦長の窓がいくつも並んでいる。差し込む昼の光は白く、床の磨かれた石を淡く照らしていた。その中央に、巨大な円卓が置かれている。無駄に大きい、とアルドは来るたびに思う。
人が座るためというより、国の重さを置くために作られたような卓だった。磨き上げられた黒褐色の木肌は鈍く光り、卓の中央には、王都の象徴である白祈塔を模した小さな塔の像が鎮座している。本物よりはるかに小さい。だが、ただの飾りではない。その白い塔の模型があるだけで、この場に集う者たちが何を守るために座るのかを、嫌でも思い出させられる。円卓の中心上座には、王都討祓軍総隊長ローグレスの席がある。
そこから時計回りに、第一部隊、第二部隊、第三部隊、第四部隊、第五部隊の席が並ぶ。それぞれの隊長席には、背もたれの高い木製の椅子が据えられていた。艶のある木材で作られ、細部には獣章を思わせる彫刻が施されている。座面は厚く、柔らかい。長時間の会議に耐えるためというより、隊長という立場の重さを形にした椅子だった。座るのは隊長だけだ。各隊の副隊長は、隊長の左後方に立つ。発言権はあるが、卓に座る権限はない。会議の主役はあくまで隊長であり、副隊長はその補佐であり、隊の記録と判断を支える者だった。
各隊長席の後ろの壁には、黒地の獣章旗が掲げられている。第一部隊、黒豹。第二部隊、巨象。第三部隊、梟。第四部隊、白鹿。
第五部隊、鉄狼。黒い布地に、それぞれの獣が白で描かれている。窓から差し込む日光を受け、白い獣たちは静かに浮かび上がっていた。まるで、壁の上から会議を見下ろしているかのようだった。ローグレスの席の背後には、獣章旗ではなく王国旗が掲げられている。白と深紅を基調としたその旗は、五つの獣章旗よりも高い位置にあった。王都討祓軍が王家の軍であり、そしてこの会議が単なる現場相談ではないことを示すように。各副隊長が隊長の後ろに控えるのと同じように、ジークもローグレスの後方で書類を整えていた。
アルドとレイスが白塔議室に入った時、すでに第二部隊隊長ヴァルムは席についていた。巨象の隊長、ヴァルム。灰色の短髪をきっちり撫でつけた、四十代の男だ。体は大きいが、動きに無駄がない。軍服の皺ひとつ許さないような堅さがあり、座っているだけで規律という言葉が服を着ているようだった。その後ろには、第二部隊副隊長のエルヴィナが立っている。薄い金茶の髪をきっちりまとめた女性で、ヴァルムほど硬くはない。だが、目に隙はない。手元には報告書の束があり、その端には細かい付箋がいくつも挟まれている。
実務家の顔だった。
「第一部隊隊長、遅い」
ヴァルムは低く言った。
「開始時間前ですよ」
アルドが答える。
「会議は開始時間に始めるものではない。開始時間には全員が準備を終えているものだ」
「はいはい」
「アルド」
レイスが小声で制した。
「揉めるな」
「まだ揉めてない」
「揉める前の声だった」
ヴァルムはレイスに目を向けた。
「副隊長は相変わらずまともだな」
「ありがとうございます」
「隊長にも少し分けてやれ」
「努力しています」
「レイス、お前どっちの味方だ」
「正しい方だ」
アルドが顔をしかめたところで、扉が開いた。次に入ってきたのは、第三部隊隊長だった。梟の隊長、ロザリア。黒紫の髪を肩で切り揃えた女で、細い目に笑みを浮かべている。笑っているのに、目の奥は冷たい。隊服の着こなしも整っているが、どこか軍人というより夜会に出る貴婦人のような、嫌な優雅さがあった。後ろを歩くのは、第三部隊副隊長のクライス。
痩身の男で、表情は薄い。ロザリアよりもはるかに感情を出さないが、何も考えていない顔ではない。むしろ、常に隊長の一言一言を冷静に測っているように見えた。
「あら、もう空気が硬いわね。巨象が座っていると、部屋まで重くなるのかしら」
ロザリアが言う。ヴァルムは眉一つ動かさない。
「第三部隊隊長。会議前の無駄口は控えろ」
「無駄かどうかは、聞く側の器量にもよるわ」
「不要だと言っている」
「はいはい。相変わらず象の耳は飾りなのね」
クライスが静かに口を開いた。
「隊長。議事前です」
「あら、クライス。私、まだ挨拶しかしていないわ」
「その挨拶で余計な火種が増えます」
「つまらない男」
アルドは小声でレイスに言った。
「もう疲れた」
「まだ始まってもいない」
続いて入ってきたのは、第四部隊隊長だった。白鹿の隊長、フィオナ。薄茶の髪を後ろでまとめた、落ち着いた雰囲気の女性だ。医療部隊の長らしく、腰には薬草袋と小型の治療具を下げている。目元は柔らかいが、表情の奥には、何人もの死と怪我を見てきた者の静かな重さがある。その後ろにいるのが、副隊長のマリエルだった。柔らかい栗色の髪を耳の下で結んだ、少し気弱そうな女性だ。資料箱を抱える手には力が入っており、白塔議室の空気に気圧されているようにも見える。
けれど、抱えている資料には乱れがない。紙の順番も、封の位置も、提出用の印も、すべて整っていた。おろおろした目をしていても、仕事の手は確かだった。
「会議室の外まで声が聞こえていましたよ」
フィオナは穏やかに言った。
「始まる前から患者を増やさないでくださいね」
「私は何もしていない」
ヴァルムが言う。
「私は楽しく挨拶しただけよ」
ロザリアが笑う。
「その挨拶で胃が痛くなる人間もいます」
フィオナはそう言って、アルドへ目を向けた。
「第一部隊隊長、顔色は悪くありませんね」
「今のところは」
「レイスさんは?」
「睡眠不足です」
レイスが自分で答える。
「自覚があるなら寝てください」
「努力します」
「努力ではなく実行してください」
その言い方はルシアンに少し似ていた。レイスは一瞬だけ黙った。マリエルが少し慌てたようにフィオナの横へ寄る。
「あ、あの、隊長。第一部隊の健康診断を始める場では……」
「分かっています。でも、こういう時に言わないと、この方々は聞かないので」
「それは、はい、そうなのですが……」
マリエルは困ったように眉を下げた。声は弱い。だが、止めるべきところで隊長に声をかけるだけの芯はある。最後に入ってきたのは、第五部隊隊長だった。鉄狼の隊長、ベルン。
日に焼けた肌に、短く刈った黒髪。顔には古い傷があり、片目の下に深い皺が刻まれている。派手さはない。だが、部屋に入った瞬間、空気が少し重くなる。第五部隊は秩序の部隊。現場封鎖、護送、収容、民間統制。感謝よりも恨みを買う任務が多い。ベルンの顔には、それを背負い続けた者の疲れがあった。
その後ろに立つのは、副隊長のラウラ。冷静な目をした女性だった。ベルンの厳しさを補うように、立ち姿には硬さと柔らかさの両方がある。書類ではなく、現場で人の声を聞いてきた者の目だった。
「揃っているな」
ベルンは短く言い、自分の席に腰を下ろした。すべての隊長が席に着き、副隊長たちがその後ろに控えた時、白塔議室の扉がもう一度開いた。ローグレスが入ってきた。その後ろに、ジークが続く。瞬間、座っていた隊長たちが一斉に立ち上がった。
椅子を引く音が、白い石壁に鋭く響く。副隊長たちも、姿勢を正した。くだけた空気は消えた。第二部隊の硬さも、第三部隊の嫌味も、第四部隊の柔らかさも、第五部隊の重さも、その一瞬だけ同じ形に揃う。王都討祓軍総隊長、ローグレス。
この場にいる全ての隊長たちの上に立つ男だ。ローグレスは無言で中心上座へ進んだ。その背後には王国旗がある。ジークは当然のように、その旗の下、ローグレスの後ろに立った。各副隊長がそれぞれの隊長を支えるように、彼もまた総隊長の後ろに控える。だが、彼の立つ位置だけは、獣章旗ではなく王国旗の前だった。
ローグレスが椅子に手をかける。そして、座った。その瞬間、隊長たちも一斉に着席する。高い背もたれの椅子が、静かに軋んだ。アルドも座る。
座面は柔らかい。柔らかすぎて、逆に落ち着かない。こんな椅子に座っているのに、楽になった気がしない。むしろ、背筋を伸ばされる。そういう椅子だった。ローグレスは円卓の中央、白祈塔の像を一度見た。それから、各隊長の顔を順に見渡す。
ヴァルム。ロザリア。フィオナ。ベルン。最後に、アルド。
白塔議室の空気が締まる。
「始める」
「議題は、カワ村墓地異常およびポテチ村芋畑の泥状雑級に関する報告共有。加えて、第四部隊によるカワ村回収物の一次調査報告だ」
ヴァルムの表情がわずかに硬くなった。アルドはそれを見逃さなかった。怒りというほど露骨ではない。だが、平静でもない。第二部隊はカワ村に先に入っていた。
それでも掴めなかった。その案件を、第一部隊が掴んだ。ヴァルムはその事実から逃げないだろう。だが、飲み込めるかどうかは別だった。
「確認します」
ヴァルムが言った。
「カワ村の件について、第二部隊の調査不足を問う会議ですか」
白塔議室の空気が少し重くなる。エルヴィナの指が、抱えた書類の端を押さえた。ローグレスはヴァルムを見る。
「違う」
「では」
「だが、第二部隊が見つけられなかったものを、第一部隊が見つけた。その事実は扱う」
ヴァルムは表情を変えなかった。だが、その無表情がかえって固く見えた。
「承知しました」
彼は短く言った。
「第二部隊隊長として、その点から逃げるつもりはありません」
エルヴィナが一歩だけ前に出る。
「補足します。カワ村調査時、第二部隊は墓地周辺、川沿い、地下水路、森の入口まで確認しています。ただし、柳の根元を掘る判断はしていません。墓地を荒らすことへの配慮と、当時は異常が顕在化していなかったことが理由です」
レイスが静かに頷いた。
「その判断は理解できます。俺たちも、葬儀前には掘っていません」
ヴァルムの目がレイスへ向く。
「慰めはいらん」
「慰めではありません。事実です」
「結果として、お前たちは見つけた」
「顕在化した後です」
「それでもだ」
ヴァルムの声は低かった。
「第二部隊は見つけられず、第一部隊は見つけた。村人たちから見れば、それがすべてだ」
アルドは黙った。いつものように軽口を挟む気にはならなかった。これは、ただの意地ではない。隊を預かる者の重さだった。
「第二部隊に助けられた面もあります」
レイスが言った。ヴァルムの眉が動く。
「何?」
「国軍と第二部隊の事前調査がなければ、俺たちはもっと広い範囲を調べる必要がありました。第二部隊が除外した可能性があったから、俺たちは墓地の柳周辺へ集中できた」
「それでも最後に拾ったのは第一部隊だ」
「はい」
レイスは逃げなかった。
「だからこそ、今回の会議が必要です。第二部隊の失敗として終わらせれば、次も同じことが起きる。第一部隊の成果として終わらせても、次に似た案件を見落とします」
エルヴィナがわずかに目を伏せた。ヴァルムはしばらく黙っていた。
「……続けろ」
その一言で、会議はようやく本題へ進んだ。レイスは卓上に二枚の報告書を広げる。
「カワ村では、墓地の柳周辺から根状異常体が発生しました。異常体は古い棺の破片を巻き込んでおり、墓地全体へ微弱な干渉を示しました。新規埋葬墓にも振動が伝わりましたが、棺内部からの反応ではなく、墓地土壌を介した残響に近いと判断しています」
フィオナが頷く。
「第四部隊の一次調査結果を共有します」
マリエルがはっとしたように資料箱を開いた。
「あ、はい。配ります」
小さな声だったが、動きに迷いはない。彼女は薄い報告紙を取り出し、全員へ手早く配った。途中、ロザリアの前に置く時だけ一瞬肩が跳ねたが、それでも紙の向きは綺麗に揃っていた。フィオナは静かに続けた。
「提出された棺材片には、通常の劣化とは異なる圧痕がありました。木材内部に細い根が入り込み、内側から押し広げた痕跡です。ただし、その根が本来の柳の根だったのか、異常体化した後のものだったのかは断定できません」
「人体由来の反応は?」
ヴァルムが問う。
「調査範囲では断定不能です」
フィオナは迷わず答えた。
「第四部隊で扱ったのは、あくまで棺材片と根状残骸です。遺体そのものを掘り返したわけではありません」
マリエルが報告紙を胸元で抱え直し、少しだけ声を震わせながら補足する。
「薬液反応では、土壌由来の微弱魔力反応が確認されています。ただし、墓地であれば一定程度の残留反応は珍しくありません。これをもって異常の核とは言えない、というのが第四部隊の見解です」
「つまり、分からないことが分かっただけ?」
ロザリアが笑う。
「医療部隊にしては、随分控えめな成果ね」
マリエルの肩がびくりと揺れた。だが、下がらなかった。彼女は報告紙を抱える手に力を込め、小さく息を吸う。
「分からないことを、分かったように扱う方が危険です」
白塔議室が一瞬、静かになった。マリエル自身が、一番驚いた顔をしていた。フィオナは横で、ほんの少しだけ微笑んだ。ロザリアの笑みが深くなる。
「あら。白鹿の小鹿にも角があるのね」
「……小鹿ではありません。副隊長です」
声は弱い。それでも、言い返した。クライスが静かに口を開く。
「隊長。議題から逸れています」
「分かっているわ」
「逸らしたのは隊長です」
「本当に、あなたは面白くないわね」
アルドはニヤニヤしながら小声で言った。
「第三の副隊長、苦労してそうだな」
「あぁ、奴との酒はうまそうだ」
レイスが返す。アルドが真顔に戻り、レイスを詰める。
「おい、どういう意味だそりゃあ」
そんな会話をよそに、ベルンが資料をめくる。
「カワ村の封鎖については、第一部隊の判断で大きな問題はない。墓守と還師、遺族が墓地へ戻ろうとした状況で、入口を押さえたのは正しい」
ラウラが静かに補足した。
「ただし、次に同じことが起きるなら、村人への説明役を早めに立てるべきです。生者を守るために下がれ、と言われても、墓を前にした遺族は動けません。止める言葉にも順序が必要です」
「第五らしいな」
アルドが思わず言う。ベルンがアルドを見る。
「褒めているのか」
「はい。たぶん」
「たぶんをつけるな」
「すみません」
ラウラが少しだけ口元を緩めた。続いて、レイスはポテチ村の報告書を前へ出した。
「ポテチ村では、泥状雑級が芋畑の土を掘削。芋そのものへの食餌行動は確認されず、何に反応していたかは未確認です」
「それだけなら、珍しい報告ではない」
ヴァルムが言う。
「その通りです」
レイスは即答した。ヴァルムがわずかに眉を上げる。
「認めるのか」
「事実です。ポテチ村の件単体であれば、通常の雑級報告で処理できます。カワ村との直接関連は現時点で認められません」
「では、なぜ会議にかけた」
「切り捨てるためにも、記録が必要だからです」
レイスの声は淡々としていた。
「似ている点だけを拾って関連ありと騒ぐのは危険です。しかし、似ている点を見なかったことにするのも危険です。墓地、畑、土の下。今後類似事例が出た時、比較できる形で残すべきです」
エルヴィナが小さく頷く。
「第二部隊としても、再調査基準の見直しには賛成です。特に、国軍調査後に第二部隊が入る案件で、異常が顕在化しない場合の判断基準が曖昧でした」
ヴァルムは横目でエルヴィナを見る。
「エルヴィナ」
「必要な整理です、隊長」
「……分かっている」
その声には、わずかな苦さがあった。アルドは、その苦さが少し分かる気がした。ヴァルムは正しい。正しすぎるほどに。だからこそ、自分たちが正しく動いた結果として見落としたものを、簡単に「仕方なかった」とは言えないのだろう。
「第二部隊が掴めなかったものを、第一部隊が掴んだ」
ヴァルムは低く言った。
「その事実は不快だ」
白塔議室が静まる。ヴァルムは続けた。
「だが、不快だからこそ、記録すべきだ。次に同じ不快を繰り返す必要はない」
エルヴィナの表情がわずかに緩んだ。アルドは少し驚いた。レイスは静かに頭を下げる。
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いはない」
ヴァルムは硬い声で返した。
「第一部隊に借りを作るのは好かん」
「借りではありません」
「こちらがそう感じるかどうかの話だ」
「……分かりました」
ロザリアが楽しそうに笑う。
「あら、巨象にも繊細な面子があるのね」
「第三部隊にはないのか」
ヴァルムが返す。
「私たちは面子より結果を選ぶわ」
クライスが低く言った。
「隊長。場合によります」
「クライス」
「第三部隊も面子で動くことはあります」
「あなた、今日よく喋るわね」
「必要なので」
フィオナが資料に目を落としながら言う。
「第三部隊には、周辺村落の噂を拾っていただきたいです。墓荒らし、遺体損壊、夜間の掘削音、不審者の出入り。村人が教会や軍へ届ける前の噂が重要になります」
「怪談集めね」
ロザリアが頬杖をつく。
「そう呼ぶなら、それでも構いません」
フィオナは静かだった。
「怪談で済むうちに拾えれば、患者は減ります」
その言葉に、ロザリアの笑みが少しだけ薄くなる。ベルンが卓に指を置いた。
「第五部隊は、村落封鎖手順を見直す。墓地と畑では動機が違う。墓地は祈りと家族、畑は生活と食料。止め方を間違えれば、次から報告が遅れる」
ラウラが続ける。
「特に、村長、還師、墓守、農地代表など、村内で言葉が届く者を先に押さえる必要があります。兵が怒鳴るより、その村の人間に言わせた方が下がります」
「悪意でない行動ほど厄介だ」
ベルンが言った。
「罰で止めにくい」
アルドはカワ村の墓守ダンを思い出した。墓を守りたい男。ポテチ村の村人たちを思い出した。芋を守りたい人々。だが、夜に戻れば死ぬ可能性があった。
「方針を決める」
ローグレスが言った。白塔議室の空気が締まる。
「第一に、墓地、畑、古井戸、廃屋、旧戦場跡など、土中に骨や棺材、古い死骸がある可能性の高い場所で夜骸が発生した場合、通常報告とは別に記録を残す」
ジークが筆を走らせる。
「第二に、第四部隊はカワ村回収物の調査を継続。棺材劣化、土中魔力、根状残骸の変質を中心にまとめろ。遺体に関わる調査は、現時点では行わない」
「承知しました」
フィオナが頷く。マリエルも慌てて資料を抱え直した。
「ひ、必要資材と人員は、後ほど申請します。隊長が抱え込みすぎないよう、こちらで整理します」
「ありがとう、マリエル」
「いえ、その……礼より休息を取ってください」
「それは皆に言われますね」
「言われる理由があります」
声は小さかった。けれど、言い切った。ローグレスは続ける。
「第三に、第五部隊は村落封鎖と民間誘導の手順を見直す。墓地や畑など、村人が感情的に近づきやすい場所を想定しろ」
「了解した」
ベルンが短く答える。ラウラも頷いた。
「現場説明用の文言も作ります。兵の言葉ではなく、村人が受け取りやすい形にします」
「第四に、第二部隊は再調査基準を作る。国軍が見落とした場合、第二部隊が何を確認し、どの時点で第一部隊や第四部隊へ回すかを整理しろ」
「承知しました」
ヴァルムが頷く。エルヴィナが小さく付け加える。
「国軍参謀部との連携文書もこちらで調整します」
「第五に、第三部隊」
ローグレスの視線がロザリアへ向く。
「周辺村落で、墓荒らし、遺体損壊、夜間に土を掘る不審者などの噂がないか拾え」
「はいはい。梟らしく夜の噂を拾ってきますわ」
ロザリアは優雅に頭を下げた。クライスはその後ろで、淡々と記録している。
「第六に、第一部隊」
ローグレスは最後にアルドを見た。
「引き続き近郊巡回と異常個体対応。妙だと思ったら潰す前に見る。だが、危険なら迷わず討祓しろ」
「了解」
「レイス」
「はい」
「記録を続けろ。お前の留帳は、今回のような事例で役に立つ」
「承知しました」
会議は一応、方針を得た。だが、空気は収まっていない。ヴァルムはまだ苦い顔をしている。ロザリアは面白がるように周囲を眺めている。フィオナは第四部隊の調査資料へ視線を落とし、マリエルはその横で、次の申請書類を間違えないよう必死に頭の中で並べ直している。
ベルンは民間封鎖の難しさをすでに考え、ラウラは村人への説明文言を組み立てている。副隊長たちもまた、それぞれの隊の正しさと歪みを背負って立っていた。獣章会議とは、こういうものだ。同じ王都を守っている。同じ夜骸と戦っている。
それでも、見ているものが違う。正しさが違う。だから、ぶつかる。
「以上だ」
ローグレスが言う。
「各隊、動け」
椅子が引かれ、隊長たちが立ち上がる。ロザリアはすれ違いざまに、アルドへ笑いかけた。
「黒豹さんは、今日も勘が冴えているのね」
「どうも」
「その勘、いつか自分の喉元にも向くかもしれないわよ」
「何ですか、それ」
「ただの冗談」
ロザリアは笑って出ていった。クライスはその後ろで、アルドにだけ短く言った。
「聞き流してください」
それだけ言い、クライスはロザリアを追った。フィオナはレイスに近づく。
「睡眠不足の顔です」
「昨日よりは寝ました」
「量の問題ではなく質の問題です」
「医療部隊は厳しいですね」
「死なれると困りますから」
フィオナは柔らかく言い、アルドにも視線を向けた。
「あなたもです。第一部隊は、自分たちが丈夫だと思いすぎています」
「よく言われます」
「言われるだけで直さないでしょう」
「……努力します」
「努力ではなく実行してください」
マリエルが横から小さく手を上げかける。
「あ、あの、隊長。その話は、長くなりますので……」
「そうですね」
フィオナは少しだけ笑った。
「でも、長く言われたくなければ短く守ってください」
アルドとレイスは、同時に返事に詰まった。ベルンはローグレスへ一礼し、無言で部屋を出た。去り際、アルドにだけ短く言う。
「村人を下げた判断は良かった」
「ありがとうございます」
「だが、次はもっと早く下げろ。生きていれば文句は言える。死ねば何も言えん」
ラウラが静かに続けた。
「文句を言える状態で帰すのが、封鎖の成功です」
それだけ言って、二人は出ていった。ヴァルムも無言で席を離れた。エルヴィナがその後に続く。ヴァルムは白塔議室の扉へ向かって歩いていたが、出口の手前でほんの少しだけ足を止めた。振り返らない。
アルドの顔も見ない。ただ、背を向けたまま、低くぼそりと言った。
「……助かった」
アルドは一瞬、反応が遅れた。
「え?」
「二度は言わん」
ヴァルムはそのままつかつかと廊下へ出ていった。後ろにいたエルヴィナが、驚いたように目を丸くする。それからすぐに表情を整え、アルドとレイスへ小さく会釈した。
「失礼します」
そして、先を行くヴァルムを小走りで追いかけていった。アルドは扉の方を見たまま、ぽつりと言う。
「今、礼言われた?」
「言われたな」
レイスが答える。
「ヴァルムさんが?」
「ああ」
「明日は雪か?」
「ノルみたいなことを言うな」
ローグレスが小さく息を吐いた。
「ヴァルムなりの最大限だ。受け取っておけ」
「……はい」
最後に残ったのは、ローグレスとアルド、レイス、そして記録をまとめるジークだけだった。ローグレスは深く息を吐いた。
「疲れた」
「ローグさんがそれ言うの珍しいですね」
「珍しくない。口に出さないだけだ」
「じゃあ、今日は飲みに来ます?」
アルドは何気なく言った。会議の後の勢いから来た冗談のつもりだった。ローグレスは書類を整える手を止めた。レイスもわずかに目を上げる。
「……煤鳩亭か」
「え、ええ。どうせ第一部隊は行きます。ポテチ村の話でバルトがまだ騒ぐと思うんで」
「騒ぐのか」
「騒ぎます」
「そうか」
ローグレスは少しだけ黙った。そして、机の上の書類を見た。いつもなら、そこで断る。そういう空気だった。
だが。
「一杯だけなら」
ローグレスは言った。アルドは目を丸くした。
「本当に?」
「誘ったのはお前だろう」
「いや、そうですけど」
レイスが静かに言った。
「皆、喜びます」
「バルトは騒ぐな」
「「騒ぎます」」
アルドとレイスの声が揃った。ローグレスは少しだけ笑った。
「だろうな」
壁際で、ジークが紙を揃える音がした。
「では、午後の面談予定を少し後ろへずらしておきます」
「頼む」
「承知しました」
ジークは一礼した。
◇
煤鳩亭の扉を開けた瞬間、バルトの声が飛んできた。
「カシラ! 遅ぇぞ! 芋の話はもう三周目だ!」
「三周するな」
アルドが返す。奥の丸テーブルには、第一部隊の面々がすでに集まっていた。バルトは山盛りの揚げ芋を前にしている。ルカは呆れ顔。ノルは一枚つまみながら無表情。ルシアンとセレスは並んで座り、ゴードは黙々と水を飲んでいる。エディンはいつものように杯を揺らしていた。ミナがアルドたちに気づき、ぱっと笑う。
「あっ、黒豹さん。お帰りなさい」
そして、アルドの後ろを見て固まった。
「……ローグレス様?」
店内が少し静かになる。煤鳩亭の客たちも、厨房のドランも、丸テーブルの第一部隊も、一斉に入口を見た。ローグレスは少し居心地悪そうに立っていた。
「邪魔する」
低い声。それだけで、バルトが椅子を蹴る勢いで立ち上がった。
「ローグレスの旦那!」
「声が大きい」
レイスが言う。
「旦那が来たんだぞ! 大きくもなるだろ!」
「ならなくていい」
ルカが小声で言った。
「本当に来てくれたんですね」
「アルドに誘われた」
ローグレスが答える。ルシアンが嬉しそうに立ち上がった。
「ローグレスさん、こちらへ。席、空けますね」
「すまない」
セレスがにやりと笑う。
「珍しい日ね」
「明日は雪?」
ノルが言う。
「雨上がりでもないのに雪は降らねぇだろ」
バルトが返す。
「比喩」
「分かってるわ!」
ローグレスが席につくと、ミナが緊張した顔で近づいてきた。
「ご、ご注文は」
「普通のでいい」
「普通……」
ミナが困る。ドランが厨房から顔を出した。
「ミナ、いい酒を出せ」
「お父さん、普通って」
「こういう時の普通は、いいやつだ」
「分かった!」
ローグレスが少しだけ苦笑する。
「気を遣わせたな」
「気を遣わせてくださいよ」
ドランはぶっきらぼうに言った。
「黒豹さん達の親玉が来たんだ。変なものは出せねぇ」
「親玉……」
ローグレスが小さく呟く。アルドが笑う。
「民間的には間違ってないですね」
「間違っている」
レイスが即座に言った。
「総隊長だ」
「はいはい」
バルトが杯を持ち上げる。
「よし! 今日は旦那の参加を祝って――」
「バルトさん」
レイスの声が冷える。
「全員に奢る、などとは言わないでください」
バルトは口を閉じた。煤鳩亭の常連客たちが笑う。
「前科があるからな!」
「黒豹の大男、今日は奢らないのか?」
「奢らねぇ! 今日は俺様も守りに入る!」
「守りに入るな、食べる量を減らしてください」
レイスが言う。ローグレスがそのやり取りを見て、少しだけ口元が緩む。最初は固かった肩が、ほんのわずかに下りる。ミナが酒と料理を運んできた。ローグレスの前に置かれた杯には、琥珀色の酒が少しだけ注がれている。
「一杯だけですよ」
レイスが言う。
「お前は俺の副官か」
ローグレスが聞く。
「健康管理の観点からです」
「第四部隊のようなことを言う」
「今日言われましたので」
ローグレスは小さく笑い、杯を持った。アルドも杯を掲げる。
「じゃあ、ポテチ村の無事と、獣章会議が死人なしで終わったことに」
「会議で死人が出たら困る」
レイスが言う。
「でも出そうな空気はあっただろ」
「否定はしない」
ローグレスも杯を上げた。
「全員、よくやった」
その一言で、第一部隊の空気が少しだけ変わった。バルトが照れくさそうに笑う。ルカは背筋を伸ばす。ノルは目を逸らす。ルシアンは嬉しそうに微笑む。
セレスは照れ隠しのように杯を揺らす。ゴードは静かに頷く。エディンは、いつもの柔らかい笑みでローグレスを見ていた。杯が軽く触れ合う。小さな音が、煤鳩亭の喧騒に溶けた。
◇
酒が進むにつれて、ローグレスは少しずつ口数が増えた。多弁になるわけではない。ただ、バルトの芋談義に短く相槌を打ち、ルカの冗談にわずかに笑い、ノルの雑な一言に目元を緩める程度だ。それでも、第一部隊には十分だった。
「旦那、聞いてくれよ!」
バルトが身を乗り出す。
「ポテチ村の芋はな、薄く切って揚げると最高なんだ!」
「それは三回聞いたぞ」
ローグレスが言う。
「四回目は細部が違う!」
「盛るな」
「旦那まで!?」
ルカが笑った。
「ローグレス様、順応早いですね」
「第一部隊の報告を長く聞いていれば慣れる」
「それ、主にバルトさんのせいでは?」
「間違ってはいないな」
「旦那!」
店内に笑いが起きる。レイスは最初、会計とローグレスの酒量を気にしていたが、やがて諦めたように茶を飲んでいた。ルシアンがローグレスに小さく言う。
「来てくれて嬉しいです」
「そうか」
「はい。皆も嬉しそう」
ローグレスは丸テーブルを見渡した。アルドが笑い、バルトが騒ぎ、ルカが刺し、ノルがぼそっと言い、セレスが肩を揺らし、ゴードが黙って皿を支え、エディンが杯を揺らしている。そしてレイスが、小言を言いながらもその輪の中にいる。
「……こうしてお前たちが騒いでいるのを見ると、少し安心する」
ローグレスは静かに言った。騒がしかった卓が、少しだけ静かになった。アルドがローグレスを見る。
「安心?」
「ああ」
ローグレスは杯の中を見た。
「無事に戻った者は騒げる。騒げるうちは、まだ大丈夫だと思える」
その言葉は重かった。けれど、押しつけるような重さではない。何人も送り出し、何人も帰らぬ者を数えた人間の声だった。バルトが小さく頭を掻いた。
「……じゃあ俺様、もっと騒いだ方がいいか?」
「今以上はやめてください、本当に」
レイスが即答した。ローグレスが笑った。声を出して、少しだけ。その笑いに、第一部隊の面々は一瞬だけ目を丸くした。アルドは嬉しくなって、杯を掲げた。
「じゃあ、また来てくださいよ」
ローグレスは逃げなかった。今度は、前よりも自然に頷いた。
「ああ。また誘え」
前に総隊長室で聞いた時より、少しだけ柔らかい声だった。ルシアンが嬉しそうに笑う。バルトが拳を握る。
「よし! 次は旦那にポテチ芋の素晴らしさをもっと――」
「いや、もう十分だ」
ローグレスが言う。
「旦那ぁ!」
「俺も十分です」
レイスが続ける。
「レイスまで!」
ノルが揚げ芋をつまみながら、ぼそりと言った。
「燃費悪すぎ」
「ここでそれか!」
笑い声がまた弾けた。煤鳩亭の窓の外では、夜が深くなっていた。王都の上には月がある。白く、冷たく、どの村にも、どの墓地にも、どの畑にも同じように降り注ぐ月。だが、煤鳩亭の中は温かかった。
ローグレスはその温かさの中で、ほんの少しだけ肩の力を抜いていた。アルドはそれを見て、また誘おうと思った。何度でも。この人が断っても。また誘えと言ったのだから。
レイスはその横で、留帳を開いた。短く書く。獣章会議。カワ村・ポテチ村報告共有。第四部隊、カワ村回収物の一次調査報告。
第二部隊、再調査基準見直し。第三部隊、周辺村落の噂収集。第五部隊、村落封鎖手順見直し。ヴァルム隊長、礼を言う。ローグ様、煤鳩亭参加。
バルトさん、芋の話四周目。ローグ様、また誘えと言う。少し考えて、最後に一行足した。今日の会議は疲れたが、悪い日ではなかった。文字が留帳へ消える。レイスはそれを見届けてから、帳面を閉じた。
その音は、酒場の喧騒に紛れて、誰にも聞こえなかった。
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次回も明日20時頃更新予定です。




