三ヶ月の空白
翌朝、ハイン商会の商館二階にある執務室には陽剣旅団が揃っていた。机の中央には東方面の地図と数枚の書類。その脇には、昨日オラリクから預かってきたという封書の写しが置かれている。
ハインの隣にはミュレナも座っていた。
「ミュレナさんも同席するのか?」
アルドが聞く。
「はい。今回の依頼は東方面に関わるものです。今後のためにも、ミュレナさんには立ち会っていただきます」
「よろしくお願いします」
ミュレナが軽く頭を下げる。レイスはすでに留帳を開いていた。
「昨日、オラリクさんが言っていた厄介な依頼だな」
「ええ」
「依頼内容は、行方不明者の捜索です」
アルドの腕が止まった。
「また行方不明か」
「はい。ただ、今回はミュレナさんの時とは事情が違います」
ハインは地図の東側へ指を置いた。
「三ヶ月ほど前から、東にある複数の村や町で行方不明者が出続けています」
「三ヶ月?」
レイスの筆先が止まる。
「随分前からだな」
「最初は別々の出来事として扱われていたそうです。旅人が戻らない。商人が予定の町へ着かない。村の者が隣町へ出たまま帰らない。どれも、それだけなら珍しくない話です」
ハインは机の上から一枚の紙を取った。
「ですが、オルセア商会は東方面との取引が多い。同じような話が複数の土地から入ってくることに気づき、情報をまとめて国軍へ報告しました」
「国軍も動いたのか」
「はい」
「それで?」
アルドの問いに、ハインは首を横に振った。
「何も見つかっていません」
レイスが顔を上げる。
「何も?」
「行方不明者も、犯人も、原因に繋がる手がかりもです」
「国軍が三ヶ月調べて?」
セレスが聞き返した。
「はい」
レイスは要点を留帳へ書き留め、顔を上げた。
「続けてくれ」
「三日前、オルセア商会へ国軍から書簡が届きました」
ハインは机上の封書の写しをレイスの方へ滑らせた。
「調査人員を縮小するそうです」
アルドの眉が寄る。
「それ、諦めるってことか?」
「書面には、調査そのものを打ち切るとは書かれていません」
レイスが写しへ目を通す。
「だが、大規模な調査は終わりか」
「そういうことだと思います」
ハインは頷いた。
「三ヶ月間、人員を割いても手がかりがない。国軍には戦争だけでなく、治安維持や盗賊対策、補給路の警備もあります。これ以上同じ規模で続けるのは難しいと判断したのでしょう」
「でも、人はまだ見つかってねぇんだろ」
アルドは書面ではなく、机に広げられた東の地図を見ていた。
「はい」
「それで終わりにはしたくないってのが、オラリクさんか」
「ええ。行方不明者にはオラリクさんの顧客や、その知人も含まれているそうです」
ミュレナが地図へ目を落とす。
「東は商人同士の繋がりも強いから。直接取引していなくても、顔くらい知っている人は多い」
ハインが頷く。
「国軍が人員を減らすなら、自分たちにできることを探したい。オラリクさんはそう仰っていました」
「それで俺たちに回ってきたのか」
「はい。一縷の望みに賭けたい、と」
アルドは腕を組み直した。三ヶ月も国軍が追って何も掴めなかった案件だ。数日歩いて終わるような依頼ではない。
レイスも同じところを見ていたらしい。
「時間をかけても構わない依頼なんだな?」
「はい。むしろ長期になる前提です」
「期限は?」
「ありません。ただし、三ヶ月以内に解決した場合は報酬を増額するとのことです」
「三ヶ月以内か」
レイスが留帳へ書き加える。
「報酬はいくらだ?」
アルドが聞いた。
「陽剣旅団への報酬は五十万セリオです」
ノルが顔を上げた。
「大きい」
「かなり大きいわね」
セレスも書類を見る。エディンはハインへ顔を向けた。
「ハインちゃんの取り分はぁ?」
「内緒です」
「あら」
アルドも振り向く。
「内緒なのか?」
「内緒です」
同じ調子で返され、アルドはレイスを見る。
「なんで隠すんだ?」
「知らん。ただ、そういう顔をしている時のハインは、だいたい俺たちに都合の悪い金額ではない」
「さて、どうでしょう」
ハインは答えず、机の下から布袋を取り出した。置いた拍子に中で硬貨が触れ合う。
「前金です」
「いくら入ってる?」
「二十万セリオです。依頼を受けていただけるなら先にお渡しします。解決後、残りの三十万セリオが支払われます」
「じゃあ受ける」
「待て、アルド」
伸ばしかけた手をレイスに止められた。
「なんだよ」
「まだ一つ確認してない」
レイスはハインを見る。
「行方不明者の生死は、依頼達成の条件に入っているか?」
布袋へ向いていたアルドの目がハインへ戻る。セレスも黙った。ハインは少し間を置いて答えた。
「いいえ」
「……そうか」
「行方不明者が生存していても、亡くなっていても、原因を突き止め、可能な限り今後の被害を止めることができれば依頼達成とみなされます」
「最初から全員生存は難しいと見てるんだな」
「はい」
アルドは布袋から手を離した。
「分かった」
一度だけ地図を見る。
「それでも受ける」
今度はレイスも止めなかった。
「俺も異論はない」
「私も」
セレスが頷く。
「うん」
ノルも続いた。
「おねぇさんもいいわよぉ」
「ありがとうございます」
ハインは頭を下げ、地図を机の中央へ寄せた。
「まず向かっていただきたいのは、コンデンス村です」
「ここか」
レイスが地図上の村を指す。
「はい。行方不明者の情報が比較的多く集まっている村の一つです。周辺の町や村へも行きやすいので、最初の調査拠点として使えます」
「俺たちは二日後にオルセアを出る予定だったな」
アルドが言う。赤鎖との交渉に返事がなければ、二日後から再び拠点潰しを始める予定だった。
「準備、間に合うか?」
「間に合わせます」
ハインは迷わず答えた。
「地図、確認されている行方不明者の一覧、国軍が調査した範囲。それから周辺の商人への紹介状も用意します」
レイスが頷く。
「それだけあれば十分だ」
「じゃあ二日後だ」
アルドは布袋を自分の方へ引いた。
「依頼、受ける」
「よろしくお願いします」
◇
二日後。陽剣旅団は朝から商館の前へ集まっていた。旅装を整えた五人の前では、たまとまるが並んでいる。
「コォ」
「コォ」
「留守番頼んだぞ」
アルドが手を上げると、たまとまるは二体揃って胸を張るように身体を揺らした。
「コォ!」
「コォ!」
扉の内側にはベリタが立ち、その肩越しからリリンが顔を出している。
「いってらっしゃーい!」
「行ってくるね」
セレスが手を振ると、リリンも両手を大きく振り返した。ハインとミュレナは商館の外まで見送りに出ていた。
「コンデンス村に着いたら、まず村長を訪ねてください。紹介状はレイスさんにお渡ししてあります」
「ああ。行方不明者の一覧も入ってる」
レイスが鞄を軽く叩く。
「……かなり多いな」
「はい」
ハインは手元に残した控えへ目を落とした。
「名前まで確認できた方だけです。旅人や流れの商人など、身元が分からない方を含めれば増える可能性があります」
「東方面は人の出入りが多いから」
ミュレナが続ける。
「商人も農民も旅人も国軍も通る。誰がどこへ向かったのか、後から追えないことも珍しくない」
「人が多いから、消えても分かりにくいってことか」
レイスに言われ、ミュレナは頷いた。
「うん。でも、誰かにとっては帰ってくるはずの人だから」
アルドは短く頷いた。
「分かった。見てくる」
「お願いします」
ハインが頭を下げる。五人は商館を背に、東へ向かった。
◇
オルセアを離れても、街道の人通りは途切れなかった。荷馬車が行き交い、旅人が歩き、道沿いの畑では農民が手を動かしている。遠くには集落の屋根も見えた。
前回ミュレナを探した古い迂回路とは違う。普通に人が使っている道だった。
「こういう道で人が消えるって、逆に面倒だな」
アルドが行き交う人々を見ながら言った。
「ああ。誰もいない場所なら範囲を絞れるが、ここは行き先が多すぎる」
レイスは歩きながら地図を見る。
「盗賊じゃないの?」
ノルが聞いた。
「最初に疑うなら盗賊だ。ただ、三ヶ月続いて複数の村や町から人が消えている。それを国軍が調べても何も出ていない」
「盗賊なら、奪った物もあるものね」
セレスが言う。
「そうだ。荷を奪えばどこかへ運ぶ。売れば噂も立つ。人数が多ければ食料も必要になる。何かしら残るはずだ」
「でも、見つかってない」
「国軍が掴める範囲ではな」
エディンが街道脇へ目を向ける。
「人だけなら、人攫いってこともあるかしらぁ」
「それも残る。労働力として売る、身代金を取る、別の土地へ運ぶ。ただ、その場合も人数が増えれば移動経路が必要になる」
「村とか町の中に仲間がいたら?」
アルドが聞いた。
「その可能性もある」
「最悪だな」
「ああ」
レイスは地図を畳んだ。
「それと、消えた場所が道中とは限らない」
「どういうこと?」
セレスが聞く。
「出発した人間が目的地へ着かなければ、普通は途中で何かあったと考える。だが途中の村へ普通に着いて、宿や取引先を出た後で消えた可能性もある」
「宿、倉庫、酒場、知り合いの家……」
「いくらでもある」
ノルが菓子を一つ口へ入れた。
「人が多いほど紛れる」
「そういうことだ」
アルドは少し先まで歩いてから聞いた。
「夜骸は?」
レイスの返事が僅かに遅れた。
「可能性はある。ただ、普通の夜骸なら被害の出方が妙だ」
「死体とか襲われた跡が残る?」
「それもある。目撃も出るはずだ。三ヶ月も同じ地域で、人だけが消え続けるというのは不自然だ」
「知性持ちなら?」
セレスが聞く。
「ないとは言えない」
「ただ、今の時点で夜骸へ絞るのは早い」
レイスは続けた。
「盗賊、人攫い、内部の協力者、事故、夜骸。何も切れない。まず誰が、いつ、どこからどこへ向かって消えたのかを並べる」
「共通点探しか」
「ああ」
ノルが菓子を噛みながら言った。
「消える人の種類も」
「種類?」
「商人、旅人、村人、兵士。男、女。大人、子ども。荷物持ってたかとか」
レイスがノルを見る。
「そうだな。それも必要だ」
「おお。ノルがすげぇ考えてる」
アルドが感心すると、ノルは菓子袋の口を閉じた。
「失礼」
「褒めただろ」
「褒め方が雑」
セレスの口元が緩んだところで、前方から声が飛んできた。
「おーい! 誰か手を貸してくれ!」
街道の端で荷馬車が傾いていた。片側の車輪が深い溝へ落ち、荷台に積まれた木箱も斜めになっている。商人らしい中年の男が車輪を押していたが、荷を載せたままではびくともしない。
繋がれた馬も落ち着かず、何度も地面を掻いていた。
「手伝うか」
「うん」
ノルがすぐ答える。
「急ぎではあるが、放っていくほどでもないな」
レイスも荷馬車へ向かった。
「大丈夫か?」
アルドが声を掛けると、商人が汗を拭いながら顔を上げた。
「ああ、助かった! 車輪が落ちちまってな。荷を下ろせば出せそうなんだが、一人じゃ時間がかかって」
「馬を少し下げて。無理に引かせないで」
セレスが手綱へ回る。レイスはしゃがみ、車輪と溝を確かめた。
「このまま引くと軸を傷める。先に荷台を上げよう。アルド、エディン」
「分かった」
「はぁい」
二人が傾いた荷台へ手を掛ける。
「上げるぞ」
木箱を積んだままの荷台が持ち上がり、商人の目が大きくなった。
「えっ、ちょっ……そのまま持つのか!?」
「ノル、下に噛ませる物」
「これ」
ノルが道端から平たい石を拾い、車輪の下へ滑り込ませる。セレスは馬の首筋を撫でながら手綱を押さえた。
「大丈夫。ゆっくりね」
「そのまま少し前へ」
レイスの指示に合わせて商人が馬を引く。車輪が石へ乗り、溝の縁を越えた。荷台が元の高さへ戻る。
「よし」
アルドとエディンが手を離した。商人は車輪と二人を見比べ、それから慌てて頭を下げた。
「ありがとう! 本当に助かった。このまま日が傾いたらどうしようかと思ってたんだ」
「この先も道の端は柔らかい。荷を片側へ寄せすぎない方がいい」
レイスが立ち上がる。
「あと、ここ」
セレスが荷を縛る縄を一本持ち上げた。
「緩んでるわ。先に締め直して」
「あ、本当だ……何から何まで悪いな」
「いいって」
アルドが手を振る。
「気をつけて行けよ」
「せめて礼をさせてくれ」
「なら」
アルドは少し考えた。
「俺たちはハイン商会の陽剣旅団だ。誰かが仕事や護衛で困ってたら、ハイン商会ってところがあるって教えてやってくれ。それでいい」
「ハイン商会だな! 分かった。知り合いにも話しておくよ!」
「ああ。頼んだ」
何度も礼を言う商人を残し、五人はまた街道を進み始めた。少し離れたところで、アルドが振り返る。
「この方法、使えるな」
「みんな得するね。お金もかからないし」
セレスが答える。
「人助けだし、気分もいい」
ノルが口元を緩めた。
「よく考えたわねぇ」
エディンも笑う。レイスだけが少し後ろを見た。
「……行方不明の話も聞けばよかったな」
「あ」
アルドの足が僅かに止まる。
「戻る?」
ノルが聞いた。
「いや。向こうは逆方向だ。コンデンス村で商人にも聞き込みをしよう」
「そうだな」
今度こそ全員で前を向いた。
◇
昼を過ぎた頃、道端に座り込む若い男を見つけた。小さな荷物を横へ置き、片方の足首を押さえている。
「怪我か?」
アルドが近づくと、男は少し警戒した顔をした。
「石に足を取られて……立てないほどじゃないと思ったんですけど、痛くて」
「見せて」
セレスがその前へしゃがむ。男が足を出すと、足首はすでに腫れ始めていた。
「捻ってるわね。骨は大丈夫そうだけど、長く歩くのはやめた方がいい」
セレスは治療道具から布を取り、足首が動きすぎないよう固定していく。
「近くまで送るか?」
アルドが聞いた。
「少し先の茶屋で連れと待ち合わせていて……そこまで行ければ」
ノルはすでに街道の先へ感知を伸ばしていた。
「建物ある。人が三人。近いよ」
「じゃあそこまでだな」
アルドが男の荷物を持ち、その肩を支える。反対側にはセレスが入った。
「すみません……」
「困った時は仕方ないわ」
歩幅を男へ合わせ、小さな茶屋まで連れていった。待っていた二人が慌てて駆け寄ってくる。事情を説明し、何度も礼を言われたところでアルドがまたハイン商会の名前を出した。
「何か仕事で困ったら、ハイン商会をよろしくな」
「はい。覚えておきます。本当にありがとうございました」
今度はレイスも忘れなかった。
「一つ聞いていいか」
「はい?」
「この辺りで人が消えているって話を聞いたことは?」
若い男と連れの二人が顔を見合わせる。
「噂くらいなら……東の方で人が帰ってこないとか。でも、詳しくは知らないです」
「そうか。ありがとう」
今度こそ用件を終え、五人は茶屋を離れた。
◇
夕方が近づくにつれ、街道の片側へ森が迫ってきた。
それでも人通りはある。
荷馬車とすれ違い、旅人が歩き、少し先には別の商人の姿も見える。
「こうして歩いてると、本当に普通の道なんだよな」
アルドが森の方を見る。
「普通の道よ」
セレスが答えた。
「人が通って、荷馬車が走って、茶屋があって、村へ続いてる」
「だから厄介なんだ」
レイスが周囲を見る。
「最初から危険な場所なら、通る側も警戒する。ここではそれがない」
「そんなところで人が消えてるかもしれないのねぇ」
エディンも森へ目を向けた。ノルは黙って感知を広げている。
木々。岩。街道を歩く人。荷馬車。森を動く小さな獣。
アルドの感知はノルほど細かく輪郭を拾えない。その代わり、より遠くへ届く。歩きながら意識の端へ流していた反応の一つに、アルドが引っかかった。
足が止まる。
「アルド?」
セレスも止まった。アルドは森の奥を見る。
「人が集まってる」
レイスがすぐに地図を閉じた。
「どこだ?」
「街道から少し入ったところ。十人以上……まだ奥にもいるかもしれない」
休憩や野営なら、それだけの人数が森へ入ることもある。だが、街道からわざわざ外れて固まる理由は確かめておきたい。
「見に行くか」
「ああ」
五人は街道を外れた。木々の中へ入れば、往来の声はすぐ背後へ遠ざかる。ノルが先へ意識を伸ばした。
「この先。十五人くらい見える。奥にもいる」
足音を抑えて進む。やがて木々の隙間から、小さな荷置き場が見えた。
木箱がいくつも積まれ、その周囲に粗い服の男たちがいる。武器を腰へ差し、見張りらしい男も立っていた。その腰から、赤い短鎖が下がっている。
「赤鎖だ」
アルドが声を落とした。
「こんな所で何してるんだ?」
レイスは積まれた木箱へ目を向ける。
「聞く必要があるな」
「普通に聞く?」
ノルが囁く。
「逃げられたら面倒だ」
アルドの手が緋喰刃へ伸びた。
「数は?」
「見えるのが十五。奥にも何人かいる」
「十分だ」
セレスも流涙へ手を掛ける。レイスが声を落とした。
「生け捕りを残せ。今調べてる失踪と関係がある可能性もある」
「ああ」
アルドが一歩前へ出た。森の中で、見張りの一人がこちらを向く。目が合った。
「なっ――」
男の手が腰へ動くより早く、アルドは地面を蹴った。
「突っ込むぞ」
陽剣旅団が森の奥へ飛び込んだ。
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