商館
ハイン商会本部へ戻ると、ハインは荷を解くより先にオルセア商会へ向かう準備を始めた。
「私も同行します」
声を掛けたのはミュレナだった。療養院で処置を受けたとはいえ、顔にはまだ疲労が残っている。それでも身なりを整え、商人として報告に立ち会うつもりらしい。
ハインは一度だけその顔色を確かめた。
「分かりました。ただし、無理はしないでください」
「はい」
「俺も同行します」
続いてガルディンが前へ出た。身体のあちこちに包帯が巻かれ、左脚もまだ完全には戻っていない。それでも鉄環護衛団の団長として立つ背筋だけは曲がっていなかった。
「鉄環護衛団の団長として、報告すべきことがあります」
「では、ガルディンさんにもお願いします」
その横でレイスが留帳を閉じる。
「俺も行く。陽剣旅団側から説明した方がいい箇所もあるだろう」
「助かります」
ハインは頷き、最後にアルドを見た。
「アルドさんたちは、ここで休んでいてください。報告は私たちで済ませてきます」
「いいのか?」
「はい」
アルドはミュレナとガルディンを順に見た。
「分かった。無理はするなよ」
「はい」
そうしてハイン、ミュレナ、レイス、ガルディンの四人は商館を出た。
◇
オルセア商会の奥室で、オラリクは最後まで口を挟まず報告を聞いていた。ハインが取引の遅延と土砂崩れ、迂回路で盗賊に襲われた経緯を話し、救助後の状況をレイスが留帳から補った。
オラリクの指が机の上で止まる。
「……なるほど。単なる遅れでは済まない状況だったようですな」
「はい」
ハインが頷く。
「盗賊団の位置と規模については、レイスさんが記録しています。早めに町側へ通していただければ、まだ追える可能性があります」
レイスは留帳から写した簡単な地図を机へ置いた。
「最後に確認したのはここです。今朝の時点で二十人ほどいました。すぐには動けない者もいましたが、こちらが離れた後に逃げる可能性はあります」
オラリクは地図を一度見ると、すぐ近くに控えていた商会員を呼んだ。
「警備隊へ回しなさい。街道沿いの村にも知らせを。迂回路へ入る商人が出ないよう注意も出してください」
「承知しました」
商会員が地図の写しを持って部屋を出ていく。それを見送ってから、オラリクはミュレナへ向き直った。
「ミュレナさん。よく戻られました」
ミュレナは深く頭を下げる。
「ご心配をおかけしました」
「命があっただけでも幸いです。荷については後でこちらでも確認しましょう。回収できるものがあるなら、人を出します」
「ありがとうございます」
今度はガルディンへ目を向けた。
「鉄環護衛団も、よく持ちこたえましたな」
「……いえ」
ガルディンの声は硬かった。
「俺たちだけでは全滅していました」
「それでも、ミュレナさんを生かして陽剣旅団が来るまで守った。それも事実でしょう」
ガルディンは返事をしなかった。膝の上へ置いた拳だけが僅かに締まる。隣でミュレナが静かに頷いた。
ハインは二人のやり取りが終わるのを待ってから口を開く。
「オラリクさん。今回の件でもう一つ、ご報告があります」
「何でしょう」
「ミュレナさんと鉄環護衛団へ、ハイン商会への参加を打診しました」
オラリクの眉が僅かに上がった。
「ほう」
「もちろん、まだお二人とも検討中です。まずは治療と休養を優先していただきます」
「なるほど」
今度はオラリクがハインを見た。
「助けた相手を保護して終わるのではなく、人材として見ましたか」
「はい。ミュレナさんが持つ東方面の知識も、鉄環護衛団の護衛としての姿勢も、これからのハイン商会に必要だと判断しました」
「面白い」
オラリクは短く言い、椅子へ少し深く座り直した。
「商会を大きくするなら、いずれ人を増やさなければならない。信頼できる商人と護衛を得られるなら、それに越したことはありません」
「ありがとうございます」
「ただし、焦りすぎてはいけませんよ」
「心得ています」
ハインが頭を下げる。依頼料の支払いを確認し、盗賊団の情報をどこまで共有するか決める。残された荷の回収手配と、土砂崩れで塞がれた街道についても担当を割り振った。
オラリクが一つ話を聞けば、その場で次に動く相手を決める。書類が一枚処理されるたび、別の商会員が部屋を出ていった。ミュレナはそのやり取りを黙って見ていた。
そして時折、ハインへ目を向ける。ハインも分からないことは確認し、必要な条件は譲らず、オラリクと一つずつ話を詰めていた。
◇
オルセア商会を出る頃には、通りの店々が片づけを始めていた。軒先の商品が仕舞われ、荷車を引く音に店主たちの声が重なる。ハインは少し歩いたところで、隣の二人へ顔を向けた。
「お二人は、オルセアに決まった拠点がありますか?」
「いえ」
ミュレナが答える。
「普段は宿を使っています。荷や商談の都合で、泊まる場所もよく変わりますから」
「我々も同じです」
ガルディンも続いた。
「依頼中は宿を取っています。決まった拠点はありません」
「そうですか」
ハインは数歩だけ考えながら歩き、すぐに口を開いた。
「では、今夜は私の商会本部へ来てください」
ミュレナが目を丸くする。
「よろしいのですか?」
「はい。まだ全ての部屋が整ったわけではありませんが、寝る場所はあります。食事も用意できますし、療養院に残っている皆さんの分も届けます」
「そこまでしていただくわけには……」
ガルディンが言いかける。
「もしハイン商会への参加を考えていただけるなら、実際にそこで過ごしてみた方が判断しやすいと思います」
ハインは歩調を変えなかった。
「皆さんが働くことになるかもしれない場所ですから」
隣を歩いていたレイスが小さく息を漏らす。
「ハインらしいな」
「そうでしょうか」
「ああ。ちゃんと勧誘になってる」
ハインは少しだけ困った顔をした。
「別に騙しているわけではありませんよ」
「分かってる」
ミュレナは二人のやり取りを見てから、ガルディンと顔を合わせた。
「では、お言葉に甘えさせてください」
「ありがとうございます」
◇
その夜、ハイン商会本部の広間では大きな机を囲んで食事を取っていた。アルドたちにミュレナとガルディン、動ける鉄環護衛団の面々まで加われば、以前は広く感じた部屋もずいぶん狭くなる。
療養院に残った者たちの分は、ベリタが食事を手配して届けていた。入口ではたまとまるが並び、時折小さく「コォ」と鳴く。その頭上をリリンがふわふわ漂っていた。
初めて目にしたミュレナとガルディンはさすがに動きを止めたが、今度はベリタが一歩前へ出た。
「リリンさんです。ここの……ええと、住人です」
「住人?」
ミュレナが聞き返す。
「はい。怖くありません。最初はわたくしも泡を吹いて倒れましたが、慣れれば大丈夫です」
「その説明、大丈夫なのか?」
アルドが口を挟む。リリンはベリタの目の前まで降りてきた。
「ベリタ、もうこわくない?」
「はい。もう大丈夫です。たぶん」
「たぶん?」
ノルが即座に拾った。ベリタの手が一瞬止まる。
「……大丈夫です」
「今、言い直した」
「ノルさん」
ミュレナが小さく吹き出した。ガルディンたちも、ようやく肩から力を抜く。食事が進めば、今度は鉄環護衛団の方から視線が飛ぶようになった。
フェルクはノルの翠穿が気になるらしく、何度もそちらを見ている。リセアはレイスが食事の合間にも留帳へ何か書き込むたび、手元へ視線を寄せていた。ダルノはとうとう我慢できなくなったらしい。
「あの、アルドさん」
「ん?」
「昨日の盗賊の時なんですが――」
「ダルノ」
ガルディンが止める。
「食事中だ」
「……はい」
「後で聞けばいいだろ」
「はい」
返事をしながらも、ダルノの目はまだアルドへ向いている。エディンがそれを見て笑った。
「いいわねぇ。賑やかで」
「そうね」
セレスは空いた皿を寄せ、代わりに料理の残っている皿を中央へ動かした。
「この屋敷、最初に来た時とは全然違うわ」
「ああ」
アルドも食卓を見回す。食器の触れる音があり、誰かの話に別の誰かが返す。入口にはたまとまるがいて、頭上にはリリンがいる。
あれだけ何もなかった屋敷に、人がいる。
「ほら、リリン。そこ飛ぶなら皿に髪入れるなよ」
「はーい!」
「幽霊の髪って入るの?」
ノルが聞く。
「……さあ」
セレスもリリンを見る。リリン自身は気にせず、別の席へ飛んでいった。
誰も答えを出さないまま食事は続いた。
◇
一週間後。ハイン商会の本館では補修の音がほとんど聞こえなくなっていた。
割れていた窓は全て入れ替えられ、壁や床の傷も直されている。廊下を歩いても、以前のように床板が大きく軋むことはない。一階の受付にはベリタが座り、運び込まれた帳簿や依頼書を整理していた。
その横をリリンが紙を一枚抱えて飛んでいる。
「ベリタ、これどこ?」
「それは奥の棚です」
「はーい!」
「ありがとうございます」
リリンが棚へ向かう間にも、入口ではたまとまるが来客を迎える。
「コォォ!」
「コォォ!」
以前よりずっと抑えられた声で知らせ、二体揃って扉を開ける。客が入れば短い腕で受付を示し、そのままベリタのところまで案内していた。最初は誰もが足を止めた光景も、商館では少しずつ日常になっていた。
別館の補修も終わっている。元からあった部屋をさらに仕切り、簡易な寝台と棚を入れたことで、護衛団が待機できる部屋も増えた。その日の昼、ハインはアルドを本館二階の執務室へ呼んだ。
大きな机と書類棚、その少し離れた位置には来客用の机と椅子が置かれている。窓の外には裏庭が広がり、その向こうに補修を終えた別館が見えた。
「話って何だ?」
アルドが椅子へ座る。ハインは机の上に数枚の書類を置いた。
「いくつか報告と、お願いがあります」
「分かった」
アルドも少しだけ座り直した。
「まず別館ですが、今後はハイン商会が抱える護衛団の駐在場所として使います。そのため、今回の補修に合わせて部屋数を増やしました」
「護衛団用か」
「はい。専属契約を結んだ護衛団が依頼へ出ていない時、商館の近くで待機できた方が動きやすいので」
「なるほどな」
ハインは窓の向こうへ目を向ける。
「それと、別館の二階ですが」
机の引き出しを開け、小さな鍵を二つ取り出した。
「丸ごと陽剣旅団専用として運用します」
アルドの視線が鍵へ落ちる。
「俺たち専用?」
「はい。二階へ上がる階段の前に鍵付きの扉を設置しました。鍵は全部で三つです。一つは私が管理します。残り二つは、皆さんで持っていてください」
ハインが差し出した鍵を、アルドは掌へ受け取った。
「いいのか?」
「もちろんです」
ハインは迷わず答えた。
「陽剣旅団には、外部の人と関わらずに休める場所が必要です。荷物を置く場所も、皆さんだけで相談する場所も、外から聞かれたくない話をする場所も必要でしょう」
アルドは掌の鍵を見た。
「日々の軽い清掃は、手が空いた時にベリタだけが行います。点検などで外部の業者を入れる場合は、必ず私が立ち会います」
「本館並みの警戒だな」
「下手をすれば、それ以上ですね」
アルドは鍵を指先で一度転がした。
「ありがとう、ハイン」
「こちらこそです」
ハインはもう一枚の書類へ手を伸ばした。
「次に、お願いがあります」
「お願い?」
「皆さんは今後、月酔いの治療法を探すために各地を回ることになりますよね」
「ああ」
「その途中で、私の仲間にできそうな商人や、信用できる腕のいい人、護衛団を見つけたら、できる範囲で声を掛けていただけませんか」
アルドが少し目を丸くする。
「スカウトってことか?」
「はい」
ハインは頷いた。
「ハイン商会を大きくするには人が必要です。ただ人数を増やせばいいわけではありません。今回のミュレナさんや鉄環護衛団のように、信用できる人を増やしたいんです」
「俺たちに人を見る目があるかは分からないぞ」
「大丈夫です」
ハインはすぐに返した。
「アルドさんは、自分が思っているより人を見ています。少なくとも今回、ミュレナさんと鉄環護衛団を連れてきた判断は正しかったと思います」
「そうか」
「はい。無理に勧誘していただく必要はありません。この人は、と思う相手がいたらハイン商会の名前を出していただく。それくらいで構いません」
「分かった。覚えとく」
「お願いします」
そこでハインは手元の書類を一度揃えた。
「そして最後に、少し情けない報告です」
「情けない?」
「お金が減ってきました」
アルドが瞬きをする。
「金?」
「はい」
ハインは少しだけ困った顔をした。
「本館の補修に別館の改修、部屋数を増やして、カリオスから人を移して、備品も揃えました。必要な初期投資ではあったんですが……さすがに少し突っ込みすぎました」
「大丈夫なのか?」
「首が回らなくなるほどではありません。ただ、やりすぎたのは確かです」
ハインは机の上へ視線を落とす。
「浮かれていたみたいです」
アルドは数秒その顔を見てから、吹き出した。
「ハインでも浮かれるんだな」
「私も人間ですから」
「そうだな」
アルドは笑いながら、さっき渡された鍵を握った。新しい本館。護衛団の待機所。
自分たち専用の二階。
「なら、俺たちも貢献しないとな」
「ありがとうございます」
ハインの声が少しだけ真面目に戻る。
「そのことなんだけどな」
「はい」
「俺たちは、三日後にオルセアを出る」
ハインの表情が変わった。
「もしかして、赤鎖ですか?」
「ああ」
アルドは椅子へ背を預けた。
「ケインにもケリーにも、団長と話したいって伝えさせた。でも返事も接触もない」
それだけ待っても何もない。
「俺たちは、交渉は決裂したと判断する」
「では、拠点潰しを再開するのですね」
「ああ。しばらくオルセアを離れる」
ハインはすぐには返さなかった。机へ目を落とし、何かを順番に確認するように数秒黙る。
「分かりました」
「ただ、俺たちが受けられそうな依頼があれば、ハインの判断で受けてくれていい」
「よろしいのですか?」
「ああ。赤鎖を追いながらでもできる依頼ならやる。夜骸の討祓でも捜索でも、俺たちにできることなら何でもいい」
そこでアルドは少し考えた。
「ただ、道中で赤鎖に襲われるのは確実だから、護衛依頼は避けた方がいいだろうな」
「そうですね。依頼人を巻き込む可能性があります」
「そこも含めて、ハインが必要だと思ったなら受けてきてくれ」
ハインがアルドを見る。
「信頼していただけるのは嬉しいですが、責任重大ですね」
アルドは置かれていた茶を一口飲んだ。
「まあ、ハインならそこら辺含めて適切に判断してくれるだろ」
「……分かりました」
ハインは小さく笑った。
「慎重に判断します」
その時、執務室の扉が叩かれた。
「ハインさん。ミュレナさんとガルディンさんがお見えです」
ベリタの声だった。ハインとアルドが顔を合わせる。
「どうぞ」
扉が開き、ミュレナとガルディンが入ってきた。一週間前には包帯と疲労が目立っていた二人も、今は随分顔色が戻っている。ミュレナが机の前へ立った。
「ハインさん。お話があります」
「はい」
その隣でガルディンも姿勢を正す。ミュレナは一度息を整え、はっきりと言った。
「ハイン商会に入らせてください」
続けて、ガルディンが頭を下げる。
「鉄環護衛団として、ハイン商会と正式に専属契約を結びたいと思います」
ハインは二人を見た。
「ありがとうございます」
椅子から立ち、深く頭を下げる。
「お二人を歓迎します」
「良かったな、ハイン」
アルドが笑う。
「はい」
ハインも顔を上げた。
「ミュレナさんの参画については、オラリクさんにも直接報告しておく必要があります。ミュレナさん、同行をお願いできますか」
「はい」
「ガルディンさんたちは別館へ移っていただくことになります。皆さんにも荷物を整理するようお伝えください」
「分かりました」
ガルディンは頷き、そこで少しだけ動きを止めた。
「アルドさん」
「なんだ?」
「一つ、お願いがあります」
ハインとミュレナもそちらを見る。
「手合わせをお願いできないでしょうか」
ガルディンの表情は真剣だった。
「俺たちは、あなた方との差を思い知らされました。ですが、ただ驚いて終わりたくありません。少しでも何か掴みたいんです」
アルドはしばらくその顔を見る。
「いいぞ」
「ありがとうございます」
「ただし、無理はするなよ。手合わせだからな」
「承知しています」
ハインは二人を見てから立ち上がった。
「では、私はミュレナさんとオルセア商会へ行ってきます。アルドさん、ガルディンさんたちをお願いします」
「ああ」
◇
「ハイン商会に、ですか」
オラリクが聞き返す。
「はい」
向かいに座ったミュレナは真っ直ぐ頷いた。
「東方面担当として、力を尽くしたいと思っています」
オラリクは少し考えた後、穏やかに頷く。
「良い選択だと思います。ハイン殿の商会は、これから伸びるでしょう。あなたの知識も活きる」
「ありがとうございます」
ハインも頭を下げた。
「鉄環護衛団とも正式に専属契約する予定です」
「護衛団を得て、商人を得て、商館も整った。ずいぶん早いですな」
「少し急ぎすぎた自覚はあります」
ハインが苦笑する。
「資金もかなり減りました」
オラリクの口元が緩んだ。
「資金を使うべき時に思い切って使うのは悪いことではありません。ただし――」
「次は稼がなければならない、ですね」
「その通りです」
ハインも笑った。
「その件ですが、陽剣旅団へお願いできそうな依頼があれば伺いたいと思っていました」
オラリクの指が机の上で組まれる。返事はすぐには来なかった。
「……あります」
ハインの顔から笑みが消える。
「ただ、少々……いえ、かなり厄介な話です。今すぐ動くべきかどうかも含め、まだ確認しているところでしてな」
「内容を伺っても?」
オラリクは机の上に置かれた一枚の書類へ目を落とした。
「まずは、情報を整理しましょう」
◇
同じ頃。ハイン商会の裏庭には、鉄環護衛団八人が武器を持って並んでいた。
ガルディンは大盾と片手剣。ヴァルドスは槍、エルディオは盾を構え、ダルノは重い剣を握っている。
フェルクは弓を置いて短剣を持ち、ティナラは短槍。リセアも投げナイフではなく短剣を選び、ネリカは小さな杖を両手で握っていた。その正面にアルドが立つ。
緋喰刃は持っていない。右手にも蒼炎はない。裏庭の端では、エディンとノルが様子を見ていた。
「本当に全員でいいんですか?」
ガルディンが確認する。
「いいぞ」
アルドは軽く肩を回した。
「俺は武器も魔法も使わない」
八人の視線が変わる。一週間前、目の前の男が盗賊団を戦う前に崩したところを見ている。今度は自分たちが、その差を確かめる側だった。
エディンが片手を上げた。
「怪我だけはしないようにねぇ」
「はい」
ガルディンが盾を構える。
「それじゃあ、始め」
声が落ちると同時にヴァルドスの槍が走った。正面へ伸びた穂先を、アルドは半歩だけ横へずれて外す。その先へ踏み込もうとしたところへティナラの短槍が横から迫ったが、身体を沈めて潜ると、続けて振り下ろされたダルノの重い剣まで同じ動きで抜けた。
剣が土を叩く。
「速い……!」
フェルクの声が漏れた時には、アルドがその懐にいた。
「グサッ」
「え――」
指先で肩を軽く押され、フェルクが一歩よろめく。
「今ので刺されたな」
その背後へリセアが回ろうとした。アルドは振り返らない。
ただ足を一つずらして進路を塞ぐ。止まったリセアの手首をそのまま掴んだ。
「はい、手首切れた」
力を込めたわけでもないのに、短剣が指から落ちる。リセアが体勢を戻す前にアルドはもう離れていた。
「エルディオ!」
「了解!」
エルディオが盾を前へ出して突っ込み、ガルディンも反対側から踏み込む。二枚の盾で挟む。アルドは下がらなかった。
エルディオの盾へ片手を添え、突進する力を横へずらす。
「うわっ!」
止まりきれなかったエルディオの身体がガルディンの進路へ流れ、二人が互いを避けるために一瞬だけ足を止めた。その隙間をヴァルドスの槍が抜ける。
今度は先ほどより鋭い。アルドは穂先を避けるのではなく、柄を横から軽く叩いた。槍が逸れたところへ足を掛ける。
「くっ!」
ヴァルドスが膝をつく。間を空けずティナラとダルノが左右から入った。短槍と重い剣。
アルドが一歩だけ後ろへ下がると、短槍は僅かに届かず、重い剣はティナラが邪魔になって振り切れない。二人が立て直すより先に、ティナラの肩へ手を置き、ダルノの剣腕を取る。
揃って動きが止まった。
「……これで二人」
残ったガルディンの後ろで、ネリカが杖を握ったまま足を迷わせている。アルドはそちらを見た。
「支援役なら、無理に前へ出なくていい」
「え?」
「前が崩れた時、自分まで一緒に出たら全員いなくなるだろ。何ができるか考えた方がいい」
「……はい!」
ネリカの返事を聞き、アルドはガルディンへ向き直った。仲間は全員止められた。
それでもガルディンは盾を下ろさない。
「はあっ!」
大盾を前へ突き出し、片手剣を低く構えて踏み込んだ。今までの誰より正面から来る。アルドは受け止めず、盾の端へ手を添えた。
ガルディンの力が僅かに横へ流れる。盾の内側が開いた。そこへ入り、剣腕を押さえる。
「ボカン」
空いた手で胸元を軽く押した。ガルディンの背中が土へ落ちる。見上げた空の端に、アルドの顔があった。
「終わりだな」
裏庭を見れば、鉄環護衛団は全員が膝をつくか地面へ転がっている。アルドだけは息も乱していなかった。ノルが菓子を一つ口へ放り込む。
「終わったね」
「そうねぇ」
エディンは倒れた八人を見回した。
「でも、悪くなかったわよぉ」
アルドはガルディンへ手を差し出す。
「大丈夫か?」
「……はい」
ガルディンはその手を掴んで起き上がった。
「何か掴めたか?」
聞かれ、ガルディンはすぐには答えなかった。仲間を見る。
盾の突進を流されたエルディオ。槍を逸らされたヴァルドス。間合いを外されたティナラとダルノ。
自分も同じだった。何をすれば届いたのか、その答えすら見えない。
「正直に言えば……何も掴めませんでした」
「そうか」
「ですが」
ガルディンはアルドへ顔を戻した。
「何もできなかったことも含めて、俺たちには必要だったと思います」
深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
その声を聞き、他の団員たちも立ち上がった。
「ありがとうございました!」
八人分の声が裏庭へ響く。アルドは少し困ったように頭を掻いた。
「礼を言われるほどのことはしてないけどな」
「いいわねぇ」
エディンが言った。
「何がだ?」
「悔しがれるってことは、まだ伸びるわぁ」
鉄環護衛団へ向けられた笑みは柔らかかった。ノルも一度だけ頷く。
「悪くない」
ガルディンはもう一度頭を下げた。その横でヴァルドスが落とした槍を拾い、リセアも短剣の土を払う。フェルクは自分の肩を触った。
「……グサッ、か」
「フェルク」
「分かってる」
ガルディンに呼ばれ、フェルクも短剣を拾いに行く。
誰もすぐに裏庭を離れなかった。
倒された場所を見て、互いの動きを確かめ、さっき何をされたのかを話し始める。別館には、もう彼らの荷を置く部屋がある。その向こうの本館では、新しい商人を迎えるための話が続いていた。
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