↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
120/165

新しい家

 幽霊は、正座していた。正確には、正座しているように見えた。膝は床についていない。床から少し浮いたまま、白っぽい小さな身体がふわふわと揺れている。手は膝の上に置かれているが、その膝も空中にあるので、正座として正しいのかはよく分からなかった。だが、本人は反省しているらしい。


「ほんとうに、ごめんなさい。反省してます」


 女の子の幽霊は、申し訳なさそうな顔でそう言った。そのまま、くるくる回った。時計の針のように、正座の姿勢のままゆっくりと回転する。アルドは眉を寄せた。


「反省してるやつの動きじゃないだろ」


「してるよぉ」


 幽霊は泣きそうな声で言いながら、またくるりと回った。アルドが、指先にほんの少しだけ魔力を込める。


「ひぃ!」


 幽霊はぴたりと止まった。両手を膝の上に置き直し、背筋を伸ばす。浮いたままだが、かなり真面目な正座になった。セレスはアルドの後ろから、それを見ていた。


「アルドが苦手になったね」


「俺は悪くない」


「うん。悪くはないけど、怖かった」


「それは悪かった」


 レイスは剣を収めていたが、まだ完全には警戒を解いていない。ハインはようやく立ち上がり、服についた埃を払っている。ノルは幽霊をじっと見ていた。エディンだけが、最初から落ち着いている。エディンは幽霊の前にしゃがんだ。


「さて、幽霊さん」


「はい」


 幽霊は小さく返事をする。


「お名前は?」


「リリン」


「リリンちゃんね」


 エディンは柔らかく笑った。


「いつからここにいるの?」


「分かんない」


「分からない?」


「うん。ずっといる気がするけど、ずっとじゃない気もする」


「そう」


 エディンは責めなかった。ただ、頷く。


「どうしてここにいるの?」


「私のお家だから」


 ハインが顔を上げた。


「あなたのお家、ですか」


「うん」


 リリンは少しだけ胸を張る。


「ここ、私のお家」


 ハインは屋敷の奥を見た。


「ある商家が、この屋敷を建てたと聞いています。もしかしたら、その家の子かもしれません」


 エディンはリリンへ視線を戻す。


「そうなの?」


「分かんない」


 リリンは首を傾げた。


「でも、お父さんとお母さんは二人とも商人さんだったの」


「こんなお屋敷を建てるくらいだから、きっとすごい人だったのねぇ」


「うん」


 リリンは笑った。その笑顔は、とても幼かった。


「でも、私が病気になっちゃって」


 その場の空気が、少しだけ止まる。リリンは、何でもないことのように続けた。


「気づいたら、ふわふわしてたの」


 誰もすぐには言葉を返せなかった。古い屋敷。小さな幽霊。病気。誰もいない部屋。それだけで、十分だった。エディンは、少しだけ目を伏せた。


「そうだったのねぇ」


 声はいつもより柔らかい。


「お父さんとお母さんは?」


「分かんない。気づいた時には、誰もいなかったの」


「そう」


 アルドが、低く言った。


「時間が経ってたのかもな」


「うん?」


 リリンが首を傾げる。アルドはそれ以上言わなかった。言っても、この子には分からないかもしれない。それに、分からなくてもよかった。リリンは自分の膝に置いた手を見つめる。


「その後、いろんな人が来たの。でも、ここは私のお家だから。みんな追い払ってた」


「啜り泣く声で?」


 レイスが聞く。リリンはこくりと頷いた。


「怖い思いをすると、みんな出ていくから」


「それで問題物件になったわけか」


 レイスが呟く。リリンは不安そうに顔を上げた。


「だって、誰かが住んだら、私追い出されちゃう。そしたら、どうしたらいいのか分かんない」


 声が震えていた。セレスが少しだけ前へ出る。


「リリンちゃんたち以外に、住んだ人はいるの?」


「ううん。見に来た時に追い払ってたから」


「夜だけ出るんじゃないの?」


「ううん。昼もやってたよ」


 リリンは不思議そうに言う。


「夜は誰も来ないもん」


「……そうなんだ」


 セレスは少しだけ気の抜けた顔になった。


「じゃあ、ここはリリンちゃんたちが住んでた時のままなの?」


「うん」


 リリンは屋敷の奥を見る。


「お父さんが持ってた大事そうな紙とか、高そうなお皿とかはなくなってるけど、他はそのまんまだよ」


 ハインが静かに言う。


「必要なものだけ持って、引っ越したのでしょうね」


 アルドは屋敷の天井を見上げた。


「なんでわざわざ。こんないい屋敷建てたのに」


 エディンが、リリンを見た。


「きっと、リリンちゃんと過ごした空間にいるのが辛かったんじゃないかしらぁ。いろいろ、思い出しちゃって」


 セレスは首を傾げた。


「私なら、なおさらずっといたいけど」


「差し押さえられた可能性もあるな」


 レイスが言う。


「商家なら、金や権利の問題もある」


「レイスちゃん、現実的ねぇ」


「現実の話だ」


 ハインは少しだけ目を伏せた。


「かなり昔の話のようですし、もう真相は分かりませんね」


「昔?」


 リリンがまた首を傾げる。ハインは困ったように笑う。


「リリンちゃんのお部屋はどこですか?」


「こっちだよ」


 リリンは正座をやめた。ふわりと浮き上がり、くるりと回る。


「ついてきて」


 そのまま、廊下の奥へ進んだ。足はないわけではない。けれど、歩いていない。浮いたまま、滑るように進んでいく。アルドたちは、その後に続いた。セレスは相変わらずアルドの服を掴んでいる。レイスはエディンの少し後ろを歩いている。


「レイス」


「なんだ」


「まだ怖いのか」


「警戒しているだけだ」


 ノルが短く言う。


「怖いんだ」


「ノル」


「はーい」


 返事だけして、ノルは引かなかった。やがて、リリンは一つの部屋の前で止まった。


「ここ」


 扉は古びていた。だが、他の部屋より少しだけ装飾がある。小さな花の模様が彫られており、子供部屋だったことが分かる。ハインが扉を開けた。埃が舞う。中は、かわいらしい部屋だった。古い家具。小さな机。子供用の寝台。色褪せた布のぬいぐるみ。壁には、すっかり薄くなった飾り布が掛かっている。どれも埃に覆われていたが、丁寧に揃えられているようにも見えた。セレスが小さく息を吐く。


「……かわいい部屋」


「でしょ」


 リリンは少し得意げだった。ノルが机の上を見た。


「写真」


 そこには、一枚の写真が置かれていた。古いものだった。今の写真よりも像が粗く、輪郭も少しぼやけている。だが、そこに写っているものは分かった。屋敷を背景にした家族写真。ぬいぐるみを抱いて嬉しそうにしている女の子。その女の子の頭を撫でている少年。そして、二人を抱き寄せる夫婦。ハインが写真をそっと持ち上げる。


「だいぶ荒いですね」


「昔のだからな」


 レイスが言う。リリンが写真の中を指差した。


「これが私で、これがお父さんとお母さん」


「この子は?」


 セレスが少年を指す。


「お兄ちゃん」


 リリンは嬉しそうに言った。


「いつも遊んでくれたの」


 部屋の中が、静かになった。写真の中の家族は、幸せそうだった。屋敷を建てたばかりなのかもしれない。女の子は誇らしげで、少年は照れたように笑っていて、夫婦は二人を包むように抱いている。


「幸せそう」


 セレスが呟いた。


「ね」


 リリンが笑う。ハインは写真を元の場所へ戻した。それから、リリンへ向き直る。


「リリンちゃん」


「なぁに?」


「私、この屋敷を私の商会として使いたいんです」


 リリンの表情が、変わった。


「え……」


「使ってもいいですか?」


 リリンは、ふわふわと揺れながら固まった。さっきまでの軽さが消える。


「……私、どうすればいいの……」


 小さな声だった。誰もすぐには答えられなかった。屋敷を使う。それは、リリンの家に誰かが入るということだ。ここにいたいと願う幽霊を、どう扱えばいいのか。追い払うのか。説得するのか。どこかへ連れていくのか。誰も答えを持っていなかった。けれど、ハインは迷わなかった。


「一緒に住みましょう」


 リリンが顔を上げる。


「え?」


「出ていく必要はありません」


 ハインは穏やかに言った。


「この部屋も、リリンちゃんの部屋のままにしましょう」


「……いいの?」


「もちろんです」


 リリンの目が大きくなる。


「私、ここにいていいの?」


「はい。ただし」


 ハインは少しだけ人差し指を立てた。


「お客さんを驚かしたり、怖がらせたりするのはやめてくださいね」


 リリンは何度も頷いた。


「分かった!」


 アルドが頭を掻く。


「幽霊が住んでる商会か」


 レイスが腕を組む。


「評判が落ちるんじゃないか」


「怖がらせないなら、逆に珍しくて話題になるんじゃない?」


 セレスが言った。


「リリンちゃん、かわいいしね」


「うん。かわいい」


 ノルも頷く。リリンは嬉しそうにくるくる回った。


「かわいい?」


「かわいい」


「ほんと?」


「うん」


 リリンはさらにくるくる回る。レイスはそれを見て、少しだけ目を細めた。


「反省の正座はどうした」


「あ」


 リリンは慌てて空中で正座した。エディンが笑う。


「いいじゃない。嬉しい時は回っても」


「本当?」


「ええ。ただし、人を怖がらせない時だけねぇ」


「分かった!」


 ハインは部屋を見回した。


「では、一度宿へ戻りましょう。明日、オラリクさんへ報告します」


 リリンの顔が、不安そうになる。


「行っちゃうの?」


「また戻ってきますよ」


「本当に?」


「本当です」


 ハインは微笑む。


「待っていてください」


 リリンは少し迷った後、大きく頷いた。


「分かった!」


         ◇


 翌日。ハインとレイスは、再びオルセア商会を訪れた。応接室で、オラリクは二人の報告を静かに聞いていた。ハインが一通り話し終える。


「……ということでした」


 オラリクは、しばらく黙っていた。茶にも手をつけない。やがて、静かに口を開く。


「そうでしたか。リリン、ですか」


 ハインが顔を上げる。


「聞き覚えが?」


「恐らく、私の曾祖叔母にあたる人です」


 ハインは瞬きをした。


「そう……え?」


「私の曾祖父の妹さんです」


 レイスも、少しだけ眉を動かした。


「だいぶ昔の人ですね」


「ええ」


 オラリクは頷く。


「幼い時に病で亡くなったと聞いたことがあります。古い家の話です。私も名前だけしか知りませんでした」


 ハインは、屋敷で見た写真を思い出していた。ぬいぐるみを抱いて笑う女の子。その隣にいた少年。あの少年が、オラリクの曾祖父なのだろう。


「オラリクさんの血縁者の屋敷だったから、取り壊されずに残っていたのですね」


「ええ」


 オラリクは苦笑した。


「取り壊して有効活用することも考えました。ですが、どうにも……申し訳ない気がしましてな」


「申し訳ない、ですか」


「ただの古い建物なら、壊していたでしょう。ですが、あそこは曾祖父の家であり、その妹が亡くなった屋敷でもある。幽霊の話があっても、どうしても壊す気になれませんでした、もしかしたら、とも思いまして」


 オラリクは茶を一口飲んだ。


「どうにもならなければ、私が隠居した後に、怯えながら住もうかとも思っていました」


 レイスが思わず苦笑する。


「怯えながらですか」


「ええ。私はあまり、そういうものが得意ではありませんので」


「得意な者の方が少ないと思います」


「確かに」


 オラリクは柔らかく笑う。


「しかし、本当にリリンさんがいるままでよろしいのですか?」


「はい」


 ハインはすぐに答えた。


「むしろ、そんな大切なお屋敷を借りさせていただいて、本当に良いのでしょうか」


「もちろんです」


 オラリクははっきり頷いた。


「有効活用してください。中は古く、汚れたままですが、建物自体は定期的に確認し、最低限の手入れはしています。ご安心ください」


「では、ありがたく使わせていただきます」


 ハインは深く頭を下げた。レイスも静かに礼をした。


「条件については、昨日の通りでよろしいでしょうか」


 オラリクが問う。ハインは顔を上げる。


「はい。オルセア商会からの護衛依頼については、優先して相談に乗ります。希少品を仕入れた場合も、まずオルセア商会へ持ち込みます」


「家賃は月五十万セリオで」


「はい」


「契約書を用意しましょう」


 オラリクは少しだけ目を細める。


「ハインさん」


「はい」


「あの屋敷を、よろしくお願いします」


 ハインは真っ直ぐ頷いた。


「必ず、大切に使います」


         ◇


 その日の昼前。陽剣旅団は、再び屋敷へ向かった。門を開けると、すぐに白い影が飛んでくる。


「本当に戻ってきた!」


 リリンだった。嬉しそうに空中でくるくる回り、そのままハインの周りを一周する。ハインは少しだけ笑った。


「ただいま、リリンちゃん」


「おかえり!」


 その言葉に、ハインは一瞬だけ目を細めた。屋敷は、昨日見た時と変わらず埃まみれだった。広い玄関。長い廊下。使われていない部屋。倉庫。商談室にできそうな広間。宿泊用に使えそうな部屋。すべてが広い。そして、すべてが汚れている。アルドは腕を組んだ。


「さっそく掃除しないとな」


「でも、大変ねぇ、これは……」


 エディンが天井の蜘蛛の巣を見上げる。ハインはすぐに首を横に振った。


「いえ、皆さんに手伝わせるわけにはいきません。商会の者たちを呼び、時間をかけて少しずつ――」


「ふっふっふっ」


 セレスが笑った。全員の視線が集まる。


「セレスさん?」


 ハインが少し不安そうに呼ぶ。セレスは胸を張った。


「私、昨日寝ながら考えたの」


「何を」


 アルドが聞く。


「最強の掃除魔法!」


 沈黙。レイスが眉を寄せる。


「なんだそれは」


「私は使えないけどね!」


「使えないのかよ」


 アルドが即座に言った。セレスはアルドとエディンを指差す。


「ここからは、アルドとエディンの仕事よ!」


「俺?」


「おねぇさんの?」


 アルドとエディンが同時に首を傾げる。セレスは二人を手招きした。


「ちょっと耳貸して」


 二人が身をかがめる。セレスは小声で、何やら説明を始めた。アルドの表情が変わる。エディンの口元が少しずつ上がる。やがて、二人は同時に吹き出した。


「そんな高度な魔力制御を掃除に使うのか」


「聞いたことないわねぇ」


「でも、あっという間に綺麗になりそうじゃない?」


 セレスは得意げだった。アルドは肩を震わせながら頷く。


「ああ。この広さでも、数時間で終わるな」


「ええ。問題ないわぁ」


 ハインが目を瞬かせる。


「何をするつもりですか?」


「ハインさん、二人を見ててね!」


 セレスは楽しそうに言った。アルドとエディンは、広い廊下の中央に並んだ。まず、アルドが両手を掲げる。水が集まった。大きな水の玉。ただの水ではない。その内側に火炎の魔力が混ざり、温められた水が激しく乱回転している。表面は丸いままなのに、中では渦が幾重にも重なり、汚れを巻き込むためだけに作られたような、妙な迫力があった。次に、エディンが片手を上げる。風が集まった。大きな空気の玉。その内側に火炎の魔力が混ざり、温められた風が勢いよく回っている。触れれば熱いが、燃やすほどではない。乾かすための熱。吹き飛ばすための風。


 レイスが顔をしかめた。


「複合魔法は、討祓軍でも使える者が限られる高等技術だぞ」


 ノルがぽつりと言う。


「それでお掃除してる」


 ハインは頭を押さえた。


「何してるんですか……皆さん……」


「いいじゃねぇか」


 アルドは水の玉を制御しながら言う。


「これで早く終わる」


 エディンも笑う。


「同じ要領で、布団とかも洗えるわねぇ」


「それいい!」


 セレスの目が輝いた。


「採用!」


「採用するな」


 レイスが疲れた声を出す。セレスは二人に指示を出した。


「まず、アルドの玉を壁に擦りつけながら、ゆっくり移動させる。その後をエディンの玉について行かせれば、アルドが汚れを取って、エディンが乾かせるっていう戦法よ!」


「戦法なのか」


「戦法よ」


「敵は汚れか」


「そう!」


 アルドは少し笑い、温水の玉を壁へ近づけた。ごう、と水が回る。壁にこびりついた埃と汚れが、渦に吸われるように剥がれていく。温水の玉は汚れを巻き込みながら進み、その後ろをエディンの熱風の玉が追う。汚れた壁が、一瞬で綺麗になった。その後、湿った壁が、一瞬で乾いた。古い木目が、はっきりと現れる。リリンが目を輝かせた。


「すごぉい!」


 手を叩きながら、くるくる回る。


「あっという間に綺麗になった!」


「本当に一瞬ですね……」


 ハインが呆然と呟く。セレスは得意げに頷いた。


「でしょ?」


 レイスはため息を吐いた。


「まあ、二人がいいなら俺はいい」


 それから、すぐに切り替える。


「ノル、ハイン。俺たちは家具と食器の整理だ」


「分かった」


「承知しました」


「セレスは、二人の動きの調整を見ろ。水で傷みそうなものは事前にどかせ」


「任せて」


 そこから、屋敷の掃除が始まった。アルドの温水の玉が壁を洗う。エディンの熱風の玉が乾かす。セレスが棚や布の状態を見て、水を当てる場所を選ぶ。レイスとノルとハインは、家具を動かし、使えるものと使えないものを分けていく。リリンは、くるくる回りながら案内役をした。


「そこは昔、お母さんが使ってた棚!」


「こっちはお父さんのお部屋!」


「その椅子、私がよく登って怒られた!」


 ハインはその一つ一つを、丁寧に聞いていた。時々、手を止めて頷く。リリンが嬉しそうに笑うたび、屋敷の空気が少しずつ軽くなっていく気がした。昼過ぎには、広間が見違えるほど綺麗になっていた。夕暮れ頃には、一階にある部屋と廊下の全てが整った。床は磨かれ、壁は乾き、埃の匂いは薄れている。窓から差し込む夕陽が、古い木の床を柔らかく照らしていた。


「すごぉい!」


 リリンが歓声を上げる。


「綺麗!」


「ああ」


 アルドは額の汗を拭った。


「空気がうまく感じる」


「頑張った甲斐があったわぁ」


 エディンも軽く肩を回す。ノルが短く言う。


「おつかれ」


「お前もな」


 レイスは部屋を見回した。


「後は、壊れた窓や破損している部分を直せば、問題なく使えるな」


 ハインは、まだ信じられないように部屋を見ていた。


「何か月もかけるつもりだったのですが……本当に数時間で……」


「陽剣旅団だからな」


 アルドが軽く言う。


「掃除に誇ることなのか」


 レイスが言った。


「誇っていいよ」


 ノルが言う。


「最強の掃除戦法だった」


「依頼内容に掃除入れるのもありだな」


 その時、セレスが扉を開けて入ってきた。


「みんな! ご飯の材料買ってきたよ!」


 いつの間にか、セレスは買い出しに出掛けていた。野菜。肉。魚。香草。袋がいくつも並んでいる。


「今夜は私が作るね!」


 アルドの顔が明るくなる。


「お、久々のセレスの飯か。楽しみだ」


「最高ねぇ」


 エディンも笑う。


「宿のご飯も良いけど、セレスちゃんのご飯は別格だものぉ」


 ノルが頷く。


「食べる」


「それは分かってる」


 セレスは少しだけ照れたように笑った。だが、その前に、彼女は外へ出た。屋敷の入口前。土の上に両手をつく。魔力が流れ込む。大地が小さく震えた。土と石が集まり、丸っこい小さな岩儡《がんらい》が二体、ゆっくりと形を取っていく。大きさは人の胸の高さほど。ずんぐりとした身体。短い手足。丸い頭。かつて空き家の護衛に使ったものに似ていた。だが、今回は少し違う。セレスはかなりの魔力を練り込んでいた。


 ハインが見守る。


「前のものですね」


「ふぅ……ええ。でも、前のと違って、私へ信号が送られることはないよ」


「信号が?」


「壊れたり、異常があった時に分かるようにはしてない。その分、ちょっと硬くて、持続時間が長くて……」


 セレスは少しだけ胸を張る。


「鳴けるようになってるよ」


 アルドが眉を上げた。


「鳴ける?」


「やってみて」


 二体の岩儡が同時に顔を上げた。


「コォォォォォ!」


 低いような、高いような、不思議な音が響いた。全員が黙る。ノルが言った。


「鳴いた」


「鳴いたな」


 レイスが返す。リリンは目を輝かせていた。


「かわいい!」


 セレスはさらに指示する。


「次は動いて」


 二体の岩儡は、どたどたと走り出した。入口の前を一周し、庭を回り、戻ってくる。最後に、二体そろって胸を張り、片腕を上げてポーズを決めた。アルドが少し笑う。


「機動力いいな」


「かわいい!」


 リリンがハインの周りをくるくる回る。


「ね! ハイン!」


「ええ、リリンちゃん。かわいいですね」


 セレスは二体を指差した。


「常にこの二体を扉の前に座らせておけば、護衛にもなるし、来客があった時に扉を開けて受付に案内もできるよ」


「それは、とても便利ですね」


 ハインは本気で感心していた。リリンが二体の前に浮かぶ。


「よろしくね! たまとまる!」


 二体の岩儡は、リリンに向かって同時に胸を叩いた。どん、どん。セレスが笑う。


「名前、決まったね」


「たまとまる」


 ノルが繰り返す。


「丸いから?」


「うん!」


 リリンは嬉しそうだった。ハインがセレスを見る。


「セレスさん、この二体はどれほど持つのですか?」


「三か月くらい持つよ」


「三か月も」


「主人はハインさんにしてあるから、好きに使って」


 ハインは驚いたように二体を見た。それから、丁寧に頭を下げる。


「ありがとうございます。よろしくお願いします。たまさん、まるさん」


 二体の岩儡は、今度はハインに向かって胸を叩いた。どん、どん。アルドは腕を組む。


「なんか頼もしいな」


「門番みたい」


 ノルが言う。


「鳴く門番」


「珍しいわねぇ」


 エディンが笑う。


「でも、ハインちゃんの商会にはぴったりかもしれないわぁ」


「幽霊とヘンテコな岩人形がいる商会か、面白すぎるな」


「しばらくはお客様より見物人が多そうですね」


         ◇


 その夜。屋敷では、セレスの料理が振る舞われた。まだ完全に整った台所ではない。それでも、セレスは手際よく火を使い、鍋を使い、肉と野菜を煮込み、魚に香草をまぶして焼いた。ハインは何度も手伝おうとしたが、そのたびにセレスに押し返された。


「今日は食べる係でいいよ」


「ですが」


「本部祝い」


「……では、甘えます」


 長い食卓に、料理が並んだ。アルドは最初の一口で目を細めた。


「うまい」


「早い」


 セレスが言う。


「ちゃんと噛んで」


「噛んでる」


「噛んでない」


 ノルも静かに食べていた。


「おいしい」


「ありがとう」


 エディンは頬に手を添える。


「やっぱりセレスちゃんのご飯は落ち着くわぁ」


 レイスも短く言う。


「うまい」


「レイスが言うと本当においしいって感じする」


 セレスが笑った。


「俺は普段から嘘を言っていない」


「知ってる」


 ハインは食卓を見回していた。アルド。レイス。ノル。セレス。エディン。そして、食卓の後ろでくるくる回るリリン。リリンは食べられない。それでも、ハインの後ろで楽しそうにしていた。


「リリンちゃん、楽しいですか?」


「うん!」


 リリンは笑う。


「みんながいるの、すっごく久しぶり!」


 その一言に、少しだけ胸が詰まった。けれど、誰も湿っぽくはしなかった。アルドが肉を皿に取る。


「じゃあ、これから賑やかになるな」


「なる?」


「ああ。ハイン商会の本部になるんだろ。人も荷も来る」


「怖くしちゃ駄目?」


「駄目」


「でも、悪い人が来たら?」


 セレスが答える。


「その時は、たまとまるに鳴いてもらって」


「コォォォォォって?」


「そう」


 リリンは嬉しそうに頷いた。


「分かった!」


 食事が終わると、順番に風呂へ入った。古い屋敷の浴室は、使えるようにするまで少し手間がかかったが、アルドとエディンの掃除魔法のおかげで、最低限は整っていた。布団も洗った。アルドの温水の玉と、エディンの熱風の玉で。レイスは最後まで納得していない顔をしていたが、乾いた布団を見て、何も言わなくなった。夜。皆が、それぞれの寝台に横になった。まだ完全な家ではない。壊れた窓もある。修理しなければならない場所もある。


 荷も家具も足りない。けれど、屋敷はもう、空っぽではなかった。リリンは廊下で、たまとまるの間に浮いている。二体は本来、外で見張りをする役割だったが、リリンが許さなかった。ハインは寝台に横になり、天井を見ていた。自分の商会の本部。陽剣旅団の戻る場所。リリンの家。それらが、同じ屋敷になろうとしている。アルドは隣の寝台で、目を閉じたまま言った。


「ハイン」


「はい」


「いい家になりそうだな」


 ハインは少しだけ笑った。


「はい」


 声は静かだった。


「必ず、そうします」


 窓の外には、オルセア町の夜が広がっている。遠くで人の声が聞こえた。天祈塔は、町の中央で静かに立っているのだろう。そして、この屋敷の中には、もう啜り泣く声はなかった。代わりに、小さな幽霊の楽しそうな声と、丸い岩儡が時々鳴らす低い音がある。そうして、陽剣旅団は新しい家で眠りについた。

お読みいただきありがとうございます。

引き続き毎日20時頃更新です。

続きが気になる!と思ってくださった方は、ぜひ【★評価】や【ブックマーク】で応援をよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。