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想いを乗せるもの

 時は、少しだけ戻る。ハイン、レイス、セレスがオルセア商会へ向かった後。宿の寝台でしばらく惰眠を貪っていた三人は、昼前になってようやく町へ出ていた。アルド。ノル。エディン。三人とも、足取りはだらけていた。だが、その表情は悪くない。よく眠った。それだけで、身体の芯に残っていた重さが少し抜けている。アルドの両手には、串焼きが四本あった。肉の脂が炭火で焼け、香ばしい匂いを立てている。右手に二本。左手に二本。食べ歩くには少し持ちすぎだったが、本人は気にしていない。


 ノルは紙袋を抱えていた。中には、露店で買った焼き菓子、砂糖をまぶした豆菓子、薄い蜜菓子が詰まっている。袋の端から甘い匂いが漏れていた。エディンは片手に串焼きを持ち、もう片方の手で果実酒の瓶を傾けていた。瓶のまま、喉へ流し込む。昼前の大通りで、やることではない。アルドは横目で見る。


「お前、それ朝から飲むやつじゃないだろ」


「今は朝じゃないわぁ」


「昼前だ」


「ならいいじゃない」


「よくないだろ」


 エディンは瓶を離し、満足そうに息を吐いた。


「いい町ねぇ」


 アルドは串焼きにかぶりつく。


「最高だ」


 ノルは菓子袋を胸に抱きしめた。


「住みたい」


「気が早いな」


「お菓子がおいしい」


「理由が強い」


 オルセア町の通りは、朝から賑わっていた。通りの両側には露店が並び、焼いた魚、炙った肉、香草をまぶしたパン、甘い果物の煮詰めたものが売られている。鼻をくすぐる匂いが次々に変わり、そのたびに三人の視線も揺れた。特に、アルドとノルとエディンはよく揺れた。食い意地という点では、意外と相性が良かった。最初に立ち寄ったのは、鍛冶屋だった。店先には短剣や小刀、荷解き用の刃物が並んでいる。アルドは緋喰刃《ひくいじん》を持っているため買う気はなかったが、刃の厚みや柄の作りを見るのは嫌いではなかった。


「この辺、商人向けだな」


「護身用が多いわねぇ」


 エディンは大剣を背にしたまま、細い短剣を眺めている。


「エディンがそれ持つの?」


 ノルが聞いた。


「持ったら可愛いかしらぁ」


「小さい」


「それは短剣が?」


「短剣が」


「よかったわぁ」


 次に、防具屋を覗いた。革鎧や腕当て、旅人用の外套が並んでいる。ノルは軽い革手袋を少し見ていたが、翠穿《すいせん》を扱う感覚に合わないらしく、すぐに戻した。魔法書店にも入った。棚には初歩的な魔法理論の本や、商人向けの魔力測定具、旅人向けの簡単な魔法符が並んでいた。アルドは分厚い魔法理論書を一冊手に取り、数行読んで閉じた。


「眠くなる」


「アルドには早い」


 ノルが言う。


「俺を馬鹿にしてるか」


「してない。向いてない」


「それは馬鹿にしてないのか?」


「事実」


 エディンが横で笑っていた。布屋では、色鮮やかな布にセレスなら喜びそうだと話し、香料屋では、エディンが怪しい香りの小瓶を持ってアルドに近づけたため、アルドが本気で後ずさった。そうして、いくつかの店を回った後。ノルが、ふと足を止めた。小さなアクセサリー店だった。大通りから一本奥へ入った場所にある、落ち着いた店だった。木の扉の上には、小さな銀色の飾りが吊るされている。窓際には、指輪、髪飾り、首飾り、耳飾りが並んでいた。


 ノルの視線が、窓の中へ吸い寄せられる。


「入る」


「こういうの興味あったっけ」


 アルドが言う。


「見る」


 ノルは店の扉を押した。中は静かだった。外の賑わいが少し遠くなる。棚には細かな装飾品が並んでいる。高価すぎる宝石ばかりではない。旅人でも手を伸ばせるような銀細工、細い革紐に小石を合わせたもの、淡い色の小さな宝石をあしらった耳飾りもあった。


「いらっしゃいませ」


 店主は四十代ほどの女性だった。落ち着いた声で、丁寧に頭を下げる。派手な装いではないが、胸元には小さな銀の首飾りをつけている。


「何かお探しですか?」


「見る」


 ノルは短く答えた。店主は少しだけ目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。


「ええ。ゆっくりご覧ください」


 ノルは棚の前に立ち、じっと装飾品を見始めた。真剣だった。菓子を選ぶ時と同じくらい真剣だった。エディンはその様子を、少し離れて楽しそうに眺めている。アルドは店の隅に置かれていた椅子に座った。そして、欠伸をした。


「アルドちゃん、興味なさそうねぇ」


「俺が耳飾り見てもな」


「似合うかもしれないわよぉ」


「絶対いらねぇ」


 店主はノルの横へ立ち、いくつか品を示した。


「こちらは軽いものです。旅の方にも人気がありますよ。こちらは銀ですが、変色しにくいよう処理してあります。耳飾りなら、このあたりは控えめで使いやすいですね」


 ノルは一つ一つを見る。


「紫」


「紫がお好きですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「まだ分からない」


 店主は柔らかく笑った。


「好きかどうかを探すのも、楽しいものですよ」


 その言葉に、ノルは少しだけ首を傾げた。エディンはその様子を見て、目を細める。店主が、今度はエディンへ視線を向けた。


「お連れ様も、何かご覧になりますか? 髪飾りや腕飾りもございます」


「あらぁ、ありがとう」


 エディンは左手を少し上げた。そこには、ブレスレットがあった。派手なものではない。けれど、彼女がいつも身につけているものだった。


「おねぇさんは間に合ってるの」


 店主はそのブレスレットに目を留めた。


「素敵なブレスレットですね」


「そうでしょう」


 エディンは笑う。いつものように柔らかく。けれど、その指先は、そっとブレスレットを撫でていた。


「贈り物ですか?」


 店主が尋ねる。エディンは、ほんの少しだけ間を置いた。それから、笑ったまま答える。


「弟からの贈り物なの」


 アルドは、椅子に座ったまま何も言わなかった。ノルも棚の前で、そっと目を伏せた。エディンはブレスレットを撫でる。


「だから、おねぇさんはこれで十分。今後一生、これ以外で自分を飾りつけるつもりはないわぁ」


 声は軽かった。けれど、どこか悲しそうだった。店主は、エディンの表情を見た。詳しいことは聞かなかった。ただ、静かに微笑む。


「それほど大切にされているなら、贈った方も幸せでしょうね」


 エディンは答えなかった。店主は続ける。


「アクセサリーというのは、想いを乗せるものなんです」


 ノルが顔を上げた。アルドも、欠伸しかけていた口を閉じる。


「金や銀や宝石に価値があるのはもちろんです。でも、それだけではありません。人は、自分の人生の一部を想いとして乗せ、大切な人へ渡します」


 店主は、自分の胸元の首飾りに指を添えた。


「受け取った人は、その想いと共に生きる。贈った人が遠くへ行っても、年老いて亡くなっても、誰かに受け継がれる限り、その想いは生き続けます」


 エディンの笑みが、少しだけ崩れた。


「だから人は、大切な人にアクセサリーを贈るんです」


 店主は、自分の首飾りから指を離した。エディンはブレスレットを胸元へ寄せた。指が震えていた。一粒、涙が落ちる。それでも、エディンは笑おうとした。だが、できなかった。膝から力が抜けるように、その場に崩れた。


「エディン」


 初めて見る光景にアルドが立ち上がる。ノルもすぐに近寄った。エディンはブレスレットを両手で包むようにして、声もなく泣いていた。店主は慌てなかった。静かに、腰を落とす。


「とても素敵なブレスレットです」


 優しい声だった。


「これからも、大切にしてください」


 エディンは涙を拭えないまま、店主を見る。


「そして、あなたもまた、いつの日かそのブレスレットに想いを乗せて、大切な人に贈るといいと思いますよ」


 エディンの喉が、小さく震えた。しばらくして、彼女は涙を拭った。


「……ええ」


 声は掠れていた。それでも、確かに笑った。


「そうするわ。ありがとう」


 店主は、ただ微笑んだ。エディンはゆっくり立ち上がった。まだ目元は赤い。それでも、背筋は伸びていた。彼女は棚へ歩き、ノルが見ていた耳飾りを手に取った。紫色の小さな宝石があしらわれた、控えめなイヤリングだった。華美ではない。だが、光を受けると、宝石の奥に深い色が揺れる。


「店主さん」


「はい」


「あなたには、いい話を聞かせてもらったわぁ」


 エディンはイヤリングをそっと持つ。


「これはそのお礼。おいくらかしらぁ」


「八万セリオです」


 アルドの眉が動いた。


「高っ」


 ノルも目を丸くする。だが、エディンは驚かなかった。


「あら、こんなに綺麗なのに安いのねぇ。本当にいいお店だわぁ」


 アルドは顔をしかめる。


「金銭感覚どうなってんだ」


「大人のアクセサリーはこれくらいするの」


「大人って怖ぇな」


 店主は少しだけ笑った。


「ありがとうございます。今、お包みしますね」


「いえ、このままでいいわぁ」


「このままで?」


「ええ」


「分かりました」


 店主は値札を外し、丁寧にイヤリングをエディンへ渡した。


「ありがとぉ」


 エディンはイヤリングを受け取ると、ノルの方を向いた。


「これ、おねぇさんからノルちゃんへの贈り物よぉ」


 ノルは固まった。


「いいの?」


「ええ、もちろん」


「高い」


「おねぇさんは大人だから」


「さっきアルドが大人って怖いって言ってた」


「アルドちゃんの感想は今関係ないわぁ」


 エディンは小さく笑った。それから、イヤリングを両手で包む。目を閉じる。次の瞬間。店内の空気が、重く沈んだ。ドン足元が小さく揺れる。棚に並んだ細い鎖が、かすかに鳴った。店主が息を呑む。アルドは反射的に腰に手を構えるが、手は柄を握ることなく元の位置に戻る。ノルは、その場で動かないまま、驚いた表情でエディンの両手を見ていた。エディンの魔力が、両手の中へ流れ込んでいく。激しくはない。けれど、深い。


 静かな湖の底へ、巨大なものが沈んでいくような重さだった。やがて、エディンはゆっくり息を吐いた。そして、両手を開く。イヤリングの小さな宝石が、眩しいほど強く輝いていた。紫の光。だが、ただの紫ではない。エディンの魔力が混ざり、宝石の奥で、深く、濃く、ゆっくりと揺れている。店内に薄い紫の影を落とし、ノルの瞳にも同じ色が映る。


 やがて、光は少しずつ弱まり、宝石はゆっくりと元の控えめな紫色へ戻っていった。エディンはそれを見つめる。


「本当に、いいイヤリング」


 そう呟いて、ノルの前へ立った。


「つけてもいい?」


 ノルは小さく頷いた。


「うん」


 エディンは、ノルの右耳へイヤリングをつけた。銀の金具が、細い耳元で静かに光る。紫の小さな宝石が、ノルの白い肌と綺麗な黒髪のそばで、控えめに揺れた。


「似合う?」


 ノルが聞いた。エディンは目元を緩める。


「ええ、とても」


 ノルはイヤリングへ指先を伸ばしかけ、途中で止めた。


「何したの?」


「ノルちゃんを守ってくれるように、想いを乗せたのよぉ」


 アルドがぼそりと言った。


「明らかに物理的に何か乗せてたけどな」


「細かいことは気にしないのぉ」


「今のを細かいで済ませるのか」


 ノルはイヤリングにそっと触れた。顔はいつも通りに見える。だが、口元がほんの少し緩んでいた。


「なんでもいいよ」


 ノルは言った。


「嬉しい」


 エディンはいつものように笑う。


「それならよかったわぁ」


 店主は、その光景を静かに見ていた。


「大切にしてくださいね」


 ノルは頷く。


「する」


「とても似合っていますよ」


「ありがとう」


 ノルは満足そうに頷いた。


「ありがとう」


 店を出る時、エディンはもう一度だけ店主へ頭を下げた。


「本当に、ありがとう」


「こちらこそ。良いものを見せていただきました」


 外へ出ると、オルセア町の賑わいが戻ってきた。人の声。車輪の音。露店の匂い。ノルは歩きながら、何度も右耳に触れそうになっては、途中で手を止めていた。アルドはそれを見て、少し笑う。


「気に入ったんだな」


「うん」


「よかったな」


「うん」


 エディンは果実酒の瓶を軽く振る。


「お祝いにもう一本買いましょうかぁ」


「もう飲むな」


「アルドちゃん、堅いわねぇ」


「昼だって言ってるだろ」


「昼だからいいのよぉ」


 ノルが言う。


「私も甘いの買う」


「お前はもう大量に持ってるだろ」


「祝いだから」


「何の理屈だ」


「イヤリング祝い」


「なるほどな」


「納得するの?」


 エディンが笑った。三人は、再び通りを歩き出した。だらけた足取りは変わらない。だが、ノルの右耳には、小さな紫の光が揺れていた。


         ◇


 宿へ戻ると、ハインたちはすでに帰っていた。部屋には、レイス、セレス、ハインの三人がいた。机の上には、いくつかの布袋が置かれている。ハインが中身を整理している横で、セレスはどこか疲れた顔をしていた。


「戻ったぞ」


 アルドが言う。セレスが顔を上げる。


「おかえり。遅かったね」


「町が広い」


「楽しかった?」


「まあな」


 ノルが一歩前へ出た。セレスの視線が、すぐに右耳で止まる。


「あれ」


 ノルの顔が、ほんの少しだけ得意げになった。


「気づいた?」


「気づくよ。イヤリング?」


「うん」


「すごく似合ってる」


 ノルは一瞬で、かなり満足そうな顔になった。


「エディンにもらった」


「え、エディンが?」


 セレスがエディンを見る。エディンは微笑む。


「似合うでしょう?」


「うん。すごく似合う」


 セレスはノルの耳元を覗き込む。


「綺麗な紫」


「エディンが想いを乗せた」


「想い?」


 セレスが目を瞬かせる。アルドが横から言う。


「想いっていうか、魔力っていうか」


「細かいことは気にしないのぉ」


「いやでも、セレス一人分くらいの魔力がーー」


「気にしないのぉ」


 エディンがすぐに遮る。ノルはイヤリングに触れないよう、少しだけ首を傾けた。


「守ってくれるらしい」


「いいね」


 セレスは笑った。


「ノルに似合ってる」


 ノルは小さく頷く。


「うん」


 レイスも視線を向けた。


「邪魔にならないのか」


「全然」


「ならいい」


「似合う?」


「……悪くない」


 ノルの目が少し細くなる。


「素直じゃない」


「評価はした」


「エディンはとてもって言った」


「なら、それで十分だろ」


 エディンがくすくす笑った。その後、夕食を取った。オルセア町の宿は食事も悪くなかった。焼いた魚、厚めのパン、香草を入れたスープ。ノルは食後にも菓子袋を開けようとして、セレスに止められていた。


「それ、全部食べる気?」


「少し」


「ノルの少しは信用できない」


「セレスも食べる?」


「……少しだけ」


「同罪」


「今の誘導ずるい」


 久しぶりに、穏やかな食卓だった。食事を終えると、全員が同じ部屋に集まった。ハインは机の上に布袋を置いた。その音だけで、セレスの肩が少し跳ねる。


「またお金?」


「はい」


 ハインは少し困ったように笑った。


「ですが、これは皆さんのものです」


 アルドが眉を上げる。


「俺たちの?」


「はい」


 ハインは布袋をアルドたちの前へ置いた。


「約束していた後払い分の報酬です。百万セリオ」


 部屋が静かになった。アルドは袋を見る。ノルも見る。セレスは見たくなさそうに少し目を逸らした。エディンは口元に手を当てる。


「随分、重い報酬ねぇ」


「皆さんには、それだけの働きをしていただきました」


 ハインは丁寧に頭を下げた。


「これで、私からの依頼は完了です」


 その言葉は、金額よりも重かった。アルドは袋から視線を上げる。


「カリオスまで送らなくていいのか」


「はい」


 ハインは静かに頷いた。


「私は、ここに残ります」


 セレスが目を丸くする。


「ここに?」


「はい。カリオスの商館は支店にします。そして、ここオルセア町に、ハイン商会の本部を作ります」


 誰もすぐには言葉を返せなかった。オルセア町。南の交易地点。海の荷と内陸の荷が集まる、大きな町。そこに、ハイン商会の本部を作る。それは、ただの移動ではなかった。ハイン商会そのものを変える選択だった。


「商会を大きくするって」


 セレスが言う。


「そういうことだったんだ」


「はい」


 ハインは微笑む。


「カリオスにいたままでは、できることに限りがあります。ですが、オルセアなら違う。海の荷も、山の荷も、人も情報も集まります。ここに拠点を持てれば、ハイン商会はもっと広く動ける」


 レイスが腕を組む。


「明日、オラリク代表に相談したいことというのは、そのことか」


「はい。オルセア商会の流通網に入るには、正式な許可と信頼が必要です。今回の取引は、その足がかりになりました、それに相応しい建物があれば借りる必要がありますし、なければ作る必要があります」


「簡単ではなさそうだな」


「簡単ではありません」


 ハインは即答した。


「ですが、不可能ではありません。今日の取引で、少なくとも話を聞いてもらえるところまでは来ました」


 ノルが短く聞く。


「ここに残るなら、旅は?」


「皆さんとは、ここで一度別れることになります」


 ハインの声は穏やかだった。だが、少しだけ寂しさが混じっていた。


「ですが、縁を切るつもりはありません。むしろ、ここから深く繋げます」


「繋げる?」


 アルドが聞く。


「はい。陽剣旅団への依頼は、私が窓口になります。オルセアに本部を置ければ、商人からの依頼を集め、皆さんへ届けることができます。必要な情報も、荷も、人の流れも、今よりずっと集めやすくなる」


 レイスの目が少し鋭くなる。


「情報拠点にもなる、ということか」


「その通りです」


「赤鎖の情報も」


「集めます」


「灰冠は」


 部屋の空気が少しだけ重くなる。ハインは首を横に振った。


「そっちは流石に難しいでしょうね、そもそも、私が存在を知りながら見逃されたのもルシアンさんのおかげです。ここで私が扱えば流石に許されません」


「そうだな、すまない、愚問だった」


「私は今日限りで灰冠の存在を忘れることにします」


「わかった、それがいい」


 アルドは黙っていた。ハインがここに残る。それは、寂しい。けれど、必要なことだとも分かった。ハイン商会の発展のためだけではない。陽剣旅団が国中を回るなら、どこかに情報と依頼を受ける場所がいる。誰かが、道を繋ぐ必要がある。ハインは、その役を自分で選んだのだ。


「ハインさんは」


 セレスが言った。


「一緒に来ないんだね」


 ハインはセレスを見る。少しだけ、申し訳なさそうに笑った。


「はい。私はここで戦います」


「戦う?」


「商人として」


 セレスはしばらくハインを見ていた。そして、小さく頷いた。


「そっか」


 エディンが椅子にもたれたまま、柔らかく言う。


「商人さんの戦いねぇ」


「はい」


「なら、頑張らないとねぇ」


「もちろんです」


 ノルは菓子袋を抱えたまま言う。


「ハインがここにいるなら、戻る場所ができる」


 その言葉に、アルドは少しだけ目を動かした。戻る場所。逃亡者には、遠い言葉だった。それでも、今は少しだけ近く聞こえた。


「そうだな」


 アルドは言った。


「戻る場所があるのは悪くない」


 ハインは深く頭を下げた。


「そう言っていただけると、嬉しいです。ここは」


 ハインは続ける。


「これからの、皆さんの拠点です」


 レイスが現実的に聞く。


「明日の相談には、俺も行った方がいいか」


「お願いできますか」


 ハインはすぐに答えた。


「陽剣旅団との関係性について、代表から質問が出ると思います。私だけで説明するより、レイスさんに同席していただいた方が説得力があります」


「分かった」


「ありがとうございます」


 アルドが袋を見る。


「で、この百万セリオはどうする」


「皆さんの報酬です。分配はお任せします」


「レイス」


「俺を見るな」


「お前が管理しろ」


「なぜ俺だ」


「一番まともそうだから」


 レイスは少し嫌そうな顔をした。


「金の管理は面倒だ、減ったとはいえただでさえもう百万セリオ近く持ってるんだ」


「でもできるでしょ」


 セレスが言う。


「できるが、やりたいとは言っていない」


「じゃあレイスだね」


 ノルが言う。


「どういう理屈だ」


「できる人がやる」


「お前たちは本当に雑だな」


 エディンが笑う。


「おねぇさんは使う専門がいいわぁ」


「論外だ」


 レイスが即答した。エディンは肩をすくめる。


「残念ねぇ」


 少しだけ笑いが戻った。ハインも笑っていた。それを見て、アルドは少し安心した。依頼は終わる。旅の形は変わる。ハインはここに残る。だが、別れではない。ここから、また繋がる。


「うまくいくといいな」


 アルドが言った。ハインはまっすぐ頷く。


「うまくいかせます」


 その声には、商人の覚悟があった。オルセア町の夜は、賑やかだった。窓の外では、人の声がまだ遠く聞こえている。天祈塔は、夜の町の中央に静かに立っている。守られた町。荷が集まる町。そして、ハインが新しい戦いを始める町。陽剣旅団は、その夜、少しだけ長く話した。報酬の分け方。明日の予定。オルセア商会との相談。話が途切れた頃には、窓の外の人声もだいぶ少なくなっていた。


お読みいただきありがとうございます。

引き続き毎日20時頃更新です。

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