品定め
地下空間は、あまりにも無機質だった。そこにあるのは、棺だけだった。壁という壁に、棺が納められている。一つ一つが木枠の中に押し込まれ、横にも、縦にも、奥にも、隙間なく並んでいた。祈りの場というより、保管場所だった。飾りもない。花もない。灯りを置く場所もない。祭壇もない。ただ、棺を納めるためだけに作られた空間。この広い地下を、少しでも無駄なく使うために、棺が効率的に押し込まれている。
アルドは蒼炎を掲げたまま、ゆっくりと周囲を見回した。
「……棺だらけだな」
誰もすぐには返事をしなかった。セレスは口元を押さえている。ノルは翠穿を構えたまま、壁の棺をじっと見ていた。レイスは足元と壁、天井、棺の配置を順に見ている。ハインは、声を出せないまま、息だけを小さく吐いた。エディンは少しだけ目を細めていた。いつもの柔らかな笑みはない。
「散って調べるぞ」
レイスが言った。
「棺には触りすぎるな。開けるな。外から確認するだけだ」
「分かってる」
アルドが頷く。全員がそれぞれ動き出した。アルドは蒼炎で空間を照らしながら、壁際を歩いた。棺は古い。どれも古かった。木の表面は乾ききり、細かなひびが走っている。金具は黒ずみ、ところどころ錆びていた。封に使われた布は色が抜け、触れれば崩れそうなほど脆く見える。新しいものは、一つもない。最近置かれた棺もない。地上の家々と同じだった。長い時間、誰にも触れられず、ただそこに残されている。
「こっちも古い」
ノルが言った。
「全部?」
「見える範囲は全部」
セレスも別の壁際から声を上げる。
「こっちも同じ。新しい棺はなさそう」
「こちらもです」
ハインが言う。
「埃の積もり方も、金具の傷み方も、かなり年数が経っています」
エディンは奥の壁まで歩き、棺と棺の間を覗き込んでいた。
「隠し扉も、今のところなさそうねぇ」
「他に物は?」
レイスが聞く。
「ない」
ノルが即答した。
「棺以外、何もない」
アルドも見回す。確かに、何もない。机もない。記録棚もない。祈りの道具もない。白天還教の棺が、壁を埋め尽くすように納められているだけだった。全員でくまなく探した。床を叩く。壁を調べる。棺の間に隙間がないか確認する。高い天井を見上げる。地下空間の端まで歩く。それでも、見つかるのは棺だけだった。広い。だが、空っぽだった。棺で埋め尽くされているのに、そこには生活も祈りも管理の気配もない。
「墓地みたいだな」
アルドが呟いた。
「うん」
セレスが小さく頷く。
「随分と変わってるけど」
「なんで、わざわざ隠すんだろう」
ノルが棺を見上げながら言った。
「普通に埋めちゃ駄目なのかな」
「なるほどな」
レイスが低く呟いた。彼は留帳を開き、過去の事象を辿っていた。以前の任務。共和国の動き。墓地を巡る戦闘。それらを頭の中で照らし合わせている。何かを考えている。アルドが顔を向ける。
「何か分かったのか?」
「戦争に巻き込まないためだ」
「?」
セレスが首を傾げる。レイスは留帳を閉じた。
「忘れたか? 前に墓地の防衛任務があっただろ」
その一言で、空気が変わった。アルドも、ノルも、セレスも、すぐに思い出した。墓地。戦争。そして、共和国。
「共和国は墓地を狙う、あの時も戦闘になった」
レイスは続けた。
「だから、こうして隠せば戦争に利用されることもない。死者の眠りを妨げられることもない」
ハインが小さく息を吐いた。
「死者を守るための墓地……ということですか」
「ああ」
レイスは壁一面の棺を見る。
「表に墓地を作れば、いずれ戦争に巻き込まれる。場所が知られれば、蹂躙される可能性がある。なら、村ごと偽装して、その地下に納める」
「でも、こんなにぎゅうぎゅうに納められてるのは?」
セレスが聞く。
「こういう場所を何ヶ所も作れば、敵に見つかる可能性が上がる」
レイスは答えた。
「一ヶ所に大量の棺を納められるようにすれば、数を絞れる。数を絞れば、敵にも見つかりにくい」
「防衛戦略ってことか」
アルドが言う。
「ああ」
レイスは頷いた。
「合理的だな」
「合理的……」
セレスは壁の棺を見る。そこに眠る者たちが、誰なのかは分からない。だが、誰かがこの場所を作った。死者を隠すために。戦争から遠ざけるために。ただの異常な地下空間ではなかった。だが、あまりにも無機質で、あまりにも効率的で、あまりにも静かだった。
「ってことは……」
ノルが言った。その声に、全員が同じ方向を見た。エディン。エディンは目を瞬いた。
「何よぉ」
ノルが、すっと指を差した。
「墓荒らし」
「え?」
セレスも続いた。
「扉壊したね」
「ええ……」
アルドが腕を組む。
「蹴ってたな」
「あらぁ……」
ハインが申し訳なさそうに言った。
「墓地の上で暴れていたようなものですね」
「うぅ……」
エディンは珍しく言葉に詰まった。レイスが静かに言う。
「謝っておくか」
「……そうねぇ」
エディンは一番近くの棺へ歩いた。そっと、手を添える。大剣で扉を壊し、棚を倒し、床下扉を砕いた時の軽さは、もうなかった。彼女は目を閉じる。
「騒がせてごめんなさい」
声は柔らかかった。けれど、いつもの調子ではない。
「また隠しておくわ。ゆっくり眠ってちょうだい」
アルドも目を閉じた。レイスも。ノルも。セレスも。ハインも。地下の冷たい空気の中で、一行はしばらく黙って指を組み祈った。何年前の死者なのかも分からない。ここに納められていることが死者を敬っていることになるのか分からない。それでも、そこに眠る誰かのために。少しの間だけ、何も言わなかった。
◇
地上へ戻ると、全員で家を元に戻した。壊れた扉は完全には直せない。だが、できる限り目立たないようにする。床板を戻し、倒した本棚を起こし、隠し部屋の入口を塞ぐ。吹き飛ばした引き戸は、破片を集めて奥へ寄せた。食器棚も元の位置へ戻す。完全に元通りとはいかない。それでも、外から見ただけでは、地下への入口があるとは分からない程度には戻せた。
「……次からは、蹴る前に聞くわぁ」
エディンが小さく言った。セレスが少しだけ笑う。
「うん。次からはね」
「次があってほしくないけど」
ノルが言う。
「それもそうだな」
アルドが頷いた。家を出ると、朝の光がまぶしかった。地下の青い蒼炎の光を見続けた後だからか、木々の緑も、空の色も、少しだけ強く感じる。アルドは大きく伸びをした。
「あーー、カビ臭かった」
レイスが眉を寄せる。
「外に出ていきなり失礼だな。死者への敬意というものがないのか」
「それとこれとは別だ」
アルドは肩を回す。
「祈ったし、謝った。でもカビ臭いものはカビ臭い」
「言い方を考えろ」
「地下の空気が歴史的に重かった」
「急に取り繕うな」
ノルがぽつりと言う。
「カビ臭かった、の方が正直」
「だろ?」
「褒めてない」
セレスが苦笑する。ハインはもう一度だけ、小さな家を振り返った。
「ここは、誰かに知らせるべきでしょうか」
レイスは少し考えた。
「今はやめた方がいい」
「理由は?」
「この場所は隠されていた。隠した者の意図がある。下手に知らせれば、その意図を壊す」
「それに」
アルドが林の方を見る。
「俺たちが知らせに行ける相手もいないしな」
「そうですね……」
ハインは頷いた。陽剣旅団は、再び歩き出した。目指すのは、南東の村。地下に棺を納めた、空白の村の形だけが、林の中に残っている。誰も振り返らなかった。ただ、エディンだけが一度だけ、静かに目を伏せた。
◇
赤鎖の獅子団の拠点。その奥にある一室は、薄暗かった。石壁の部屋。窓は小さく、外からの光はほとんど入らない。壁には地図が貼られ、いくつもの赤い印が打たれている。木箱、武器、酒瓶、書類の束が雑に置かれ、床には空になった瓶がいくつか転がっていた。その部屋の中央に、一人掛けのソファーがあった。そこに、赤い長髪の女がふんぞり返っている。長い髪は、炎のように赤い。片脚を肘掛けに乗せ、背もたれに身体を預け、片手には酒瓶を持っていた。
杯など使わない。瓶のまま、喉へ流し込んでいる。目つきは鋭い。だが、だらしない座り方のせいで、どこか乱暴で、どこか王のようだった。彼女こそが、赤鎖の獅子団の団長だった。その前に、ケインが真っ直ぐ立っている。いつもの軽薄な笑みはある。だが、いつもより少しだけ薄い。首元には、まだ薄く赤い痕が残っていた。
「……と、いう感じです」
ケインは報告を締める。
「会いますか、団長」
団長は酒瓶を口から離した。赤い目が、ケインを見た。
「このソファー、座り心地いいぜ」
「はい?」
「お前も座ってみるか?」
ケインは一瞬だけ、団長を見る。それから、小さく笑った。
「いや、俺はいいっすよ。それは団長のなんで」
団長の目が細くなる。部屋の空気が、少しだけ重くなった。
「お前も……座ってみるか?」
声が低くなった。命令ではない。だが、拒否を許す声でもなかった。ケインはほんの少しだけ間を置く。
「……じゃあ、せっかくなんで」
団長は無言で立ち上がった。ケインはソファーへ近づき、そこに腰を下ろす。深く沈む革張りの椅子。たしかに、座り心地はよかった。ケインは肘掛けに右腕を置く。
「座り心地いいだろ」
団長が言った。
「ええ、最高で――」
言い終わる前に、団長の足がケインの右腕を踏みつけた。骨が軋む音がした。
「っ」
ケインの顔が歪む。次の瞬間、団長の手がケインの首を掴んだ。片手で。そのまま、ソファーの背へ押しつけるように締め上げる。
「俺のもん奪った連中相手に、負けて」
団長の声が低く落ちた。
「情報吐いて」
指に力が入る。
「五体満足で戻ってきて」
ケインの喉が詰まる。
「挙げ句、俺に会ってみねぇかだと?」
団長の顔が、ケインのすぐ近くにあった。
「ああ?」
「ぐっ……」
ケインは団長の手首に手をかけた。だが、抵抗は弱い。抜け出そうとすればできるかもしれない。少なくとも、全力なら何かはできる。それでも、しない。これは罰だ。失敗した幹部への、団長からの罰。
「舐めてんのか!テメェ!」
団長の目がさらに鋭くなる。
「ああ!?」
「がっ……かっ……」
ケインの呼吸が詰まる。喉から、空気にならない音が漏れた。団長の手は緩まない。だが、その目はケインから逸れていなかった。ただ怒りに任せているだけではない。落ちる寸前を、見ているようだった。
「姉貴」
部屋の隅から、男の声がした。団長と同じ赤髪の男が、壁際に立っていた。長髪ではない。短く整えられた赤い髪。顔立ちは団長に似ているが、目の温度はまるで違う。静かで、冷たい。
「ケインは話の途中だったぞ」
「うるせぇ!」
団長が怒鳴る。
「てめぇは黙ってろ!」
「すみま……」
ケインがかすれた声を出す。だが、すぐに喉が詰まった。団長はさらに顔を寄せる。
「俺のメンツはどうなるんだ? あ?」
ケインの指先から、少しずつ力が抜けていく。
「幹部があっさり負けやがって!」
部屋の空気が重くなる。ケインの目の焦点が、ほんの少しだけ揺らいだ。その瞬間、赤髪の男が動いた。団長の手首を掴む。力ずくで引き剥がした。
「姉貴、そこまでだ」
団長の手が外れる。ケインは前へ倒れ込み、激しく咳き込んだ。
「げほっ、がっ……はっ……!」
団長は赤髪の男を睨んだ。
「何止めてんだ、お前!」
「ケインは俺の右腕だ。死なれちゃ困る」
「そこまでしねぇよ、俺はそんなバカじゃねぇ」
「わかってる」
赤髪の男は淡々と言った。
「でも、人の強さを姉貴基準にするな」
団長は舌打ちした。赤髪の男は近くの水差しを取り、器に水を注いだ。それをケインへ差し出す。
「大丈夫か、ケイン」
ケインは喉を押さえながら、水を受け取った。まだ呼吸は乱れている。
「……うす」
水を飲む。喉が痛むのか、顔をしかめた。それでも、姿勢を正そうとする。赤髪の男は団長へ視線を向けた。
「話の続きを」
団長はソファーの前に立ったまま、酒瓶を拾った。瓶の口から酒を飲む。乱暴に喉へ流し込んでから、ケインを見る。
「言え」
ケインは息を整えた。
「奴ら、陽剣旅団は強い」
声はまだ少しかすれていた。だが、言葉ははっきりしていた。
「それに、国に追われてます。あいつらは使える」
団長の眉が動く。ケインは続ける。
「仲間にはならねぇと思います。目的も違う。王国を潰したいってより、王国を変えたい側です」
「つまんねぇな、優等生野郎共が」
団長が吐き捨てる。
「ですが、情報源の一つとして繋がりを持っておけば、俺らの目的に一歩近づくはずです」
赤髪の男が口を開く。
「奴らの情報は役に立つと?」
「ええ」
ケインは頷いた。
「奴らは何か、どでかいもんを知った。だから国に追われてるはずです」
部屋の空気が、わずかに変わる。団長が、ぴくりと反応した。ケインは見逃さなかった。
「それを知れば、国に揺らぎを作れるかもしれない」
赤髪の男の目が細くなる。
「武器になるのか」
「間違いなく」
ケインは即答した。
「あいつら自身も強い。特に、アルドって赤黒い髪の男は、団長が気に入ると思います」
団長が酒瓶を下ろす。
「俺が気に入ると言ったな」
「はい」
「そうか……」
団長はしばらく黙った。部屋の中に、静寂が落ちる。赤髪の男は考えを巡らせるように目を伏せている。ケインは立ったまま、団長の反応を待った。団長は、やがて口元を吊り上げた。不敵に。獲物を見つけた獣のように。
「まずは、品定めだ」
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