地下の棺
林の中に、村の形だけが残っていた。正方形に切り取られた敷地。小さな家が、ぽつぽつと並んでいる。朽ちかけた柵。細い道。だが、人の気配はない。煙もない。足音もない。誰かが生活している匂いもない。朝の光だけが、空っぽの家々を照らしていた。
「手分けしよう」
レイスが言った。
「家の中を確認する。何か残っているかもしれない」
「じゃあ、私も行く」
セレスが頷く。
「私も同行します」
ハインが言った。
「家の中なら、商人の目で見られることもあると思います」
レイスは少し考えたが、すぐに頷いた。
「分かった。俺とセレス、ハインで家を確認する」
アルドは林の方を見る。
「俺たちは外を見る。ここ、外周も気持ち悪い」
「私もそっち」
ノルが翠穿を背負い直す。エディンもゆるく頷いた。
「おねぇさんも外を見てくるわぁ。こういう場所は、外側の方が変なこともあるもの」
「ハインさん、荷は岩儡に任せて大丈夫?」
セレスが聞く。
「はい。必要最低限だけ持っていきます」
荷引き用の岩儡と、片腕の欠けた護衛用の岩儡は、敷地の入口近くに残した。護衛用の岩儡は、片腕を失っていても、どこか誇らしげに立っている。ノルがそれを見て言った。
「ちゃんと見張ってて」
岩儡は、こくりと頷いた。レイス、セレス、ハインは一番近い家へ向かった。
◇
扉に鍵はかかっていなかった。レイスが剣の柄で軽く押すと、古い木の扉は、ぎ、と音を立てて開いた。中は暗い。窓はあるが、汚れた布がかかったままで、朝の光はほとんど入っていなかった。セレスが指先に小さな水の光を灯す。室内が淡く照らされた。小さな机。椅子。粗末な寝台。棚。竈。生活に必要なものは、最低限揃っていた。だが、使われていない。机には厚い埃が積もっている。椅子の脚元には、乾いた虫の死骸が転がっている。
竈の中には古い灰が残っていたが、黒く固まり、手を近づけても熱の名残はない。寝台の布は色が抜け、触れれば崩れそうだった。
「最近使われた形跡はないな」
レイスが言う。
「うん。だいぶ長く放置されてる」
セレスは棚を開けた。中には皿が数枚。木の匙。割れた杯。どれも埃に覆われている。ハインは机の引き出しを確認しながら、首を傾げた。
「生活道具はあります。ですが、持ち出されたというより、置き捨てられた感じですね」
「逃げた跡か?」
「急いで逃げたなら、もっと乱れると思います。逆に、普通に出ていったなら、最低限の荷は持っていくはずです」
「つまり?」
セレスが聞く。ハインは部屋を見回した。
「人が暮らしていた形を、残したまま止まっています」
その言葉に、部屋の中が少しだけ冷えた。三人は隣の家も確認した。そこも同じだった。鍵はない。中には生活道具がある。埃が積もっている。最近使われた形跡はない。火の跡も古い。水瓶は空。食料も残っていない。さらに次の家も、その次の家も同じだった。小さな村の形だけがある。だが、人の営みは、ずっと前に止まっている。
◇
アルドたちは外周を見ていた。林の境目を歩く。普通の林だ。手入れが入っていない普通の林。アルドは目を閉じ、空気中に漂う微細な魔力を探った。風。葉。枝。鳥。土。虫。そして、四角い敷地。やはり違和感がある。ただ、何かが潜んでいる輪郭はない。人の形もない。夜骸らしい輪郭もない。木々は自然にそこにある。何も異常はないのに、そこだけぽっかりと形がある。
「変だな」
アルドが言う。
「うん」
ノルも目を閉じていた。
「変」
「何もないか?」
「何もない。だから変」
「それ、分かる」
アルドは林の中へ視線を向けた。
「隠れてる感じでもないんだよな」
「隠れてるなら、もっと何かある」
ノルが言った。
「気配がない。音も変。風も変。でも、敵はいない」
エディンは少し離れた木の幹に手を添えていた。指先で樹皮を撫で、上を見上げる。
「木も普通ねぇ」
「木?」
アルドが聞く。
「隠そうとするなら空間を作るために不自然なところで切られていたりするもの、でも周りの木には人の手が入ってないわねぇ」
「じゃあ、何なんだ?」
「分からないわねぇ」
エディンは微笑んだ。けれど、その目は笑っていなかった。
「だから気持ち悪いのよぉ」
三人は敷地を一周した。隠れた道はない。新しい足跡もない。人が出入りした形跡もない。林の外側にも異常は見つからなかった。だが、何もないという事実だけが、むしろこの空間の違和感をより強くしていた。
◇
全員は、敷地の中で一番広い家に集まった。家といっても、大きいわけではない。他より少しだけ部屋が広く、中央に木の机があるだけだ。埃を払ってから、皆はその机を囲むように座った。ハインは簡単に家の調査結果をまとめる。
「どの家も、長く使われていませんでした。鍵はかかっておらず、生活道具は残っています。ただ、人が最近出入りした形跡はありません」
「外も同じ」
ノルが言った。
「何もない」
「でも、何もないのが変なんだよな」
アルドは腕を組む。レイスは机の上に指を置いた。
「この場所には、明らかに人の手が入っている。正方形に切り開かれた敷地。家の配置。生活の痕跡。偶然できた場所ではない」
「誰かが隠していた?」
セレスが言う。
「その可能性はある」
レイスは答える。
「だが、隠すにしては雑だ」
ハインが頷く。
「普通、本気で隠すなら、家を残したままにしません。遠目からでも不自然ですし、見つけた者が必ず調べます」
「じゃあ、隠してない?」
ノルが聞く。
「いや」
レイスは少し考える。
「隠していないのではなく、隠し方が奇妙なんだ」
「隠してるものが、家じゃないってことかしらぁ」
エディンが言った。その一言に、全員が少しだけ黙る。隠しているもの。家ではない。敷地でもない。なら、何を。アルドは机を見つめていた。木目。埃。古い傷。指先で軽く叩く。音は普通だった。床も壁も天井も、見た限りでは普通だ。それでも、何かが引っかかっている。感知。空間。違和感。林の中なのに、林じゃない場所。そこで、ふと記憶が繋がった。
「あ」
アルドが声を漏らした。全員の視線が向く。
「何か分かった?」
セレスが聞く。
「いや、分かったというか」
アルドはエディンを見た。
「前にエディンに言われたことを思い出した」
「あらぁ?」
「感知する時は、ちゃんと上も見ろって。空間を見るんだって」
エディンは少しだけ目を細めた。
「言ったわねぇ」
「上を見るなら」
アルドは足元を見た。
「下も見るべきだ」
空気が止まった。ノルがすぐに床を見る。
「地面の下?」
「ああ」
アルドは目を閉じた。意識を沈める。空気ではない。今度は地面。足裏から、土の中へ感知を落とす。普通の土。根。石。湿った層。虫の小さな動き。そのさらに下。魔力の流れが、不自然に止まった。アルドは眉を寄せる。
「……ある」
ノルも目を閉じていた。翠穿を抱えたまま、同じように意識を地面へ落とす。彼女の感知は細かい。土の粒。木の根。石の隙間。その下。そこに、何かがある。ただの地面ではない。大きい。広い。この敷地の下、ほとんど全てに広がっている。
「箱」
ノルが言った。
「大きな、箱みたいなものがある」
「俺もそう感じる」
アルドは目を開けた。
「この下、全部だ。村ひとつ分の敷地の下に、何かがある」
「地下施設……?」
セレスの声が小さくなる。レイスも床を見る。
「感知できるのか」
「外側だけだ」
アルドは首を横に振った。
「中までは分からない。魔力が通る隙間がない」
「完全に密閉されてる感じ」
ノルが続ける。
「箱の中が見えない。空気の流れも、魔力の流れも、入らない」
エディンが静かに目を閉じた。笑みが消える。しばらく、何も言わなかった。皆が黙って見守る。やがて、エディンは目を開けた。
「駄目ねぇ」
「エディンでも?」
「ええ。外側はある。下に大きなものがある。それは分かるわぁ。でも、中は見えない」
エディンは足元を見た。
「中を見せる気がない作りねぇ」
「入口を探すぞ」
レイスが即座に言った。
「下へ続く道がどこかにあるはずだ」
「家の中をもう一度調べよう」
セレスも頷く。
「感知も使って、壁も床も棚も全部見る」
「一軒ずつだな」
アルドが言う。
「徹底的に探す」
◇
一行は家を一軒ずつ調べ直した。最初に見た時よりも、はるかに細かく。床板を叩く。壁の裏を探る。棚を動かす。竈の灰を掻き出す。寝台をひっくり返す。石の継ぎ目を見る。アルドとノルは感知を地面へ向けたまま、空間の切れ目を探した。レイスは壁や床の構造を見た。セレスは大地の魔力を流し、異物のある場所を探った。エディンは家の中を眺め、隠す者の気持ちを読むように、ゆっくり歩いた。ハインは棚や引き出し、道具の置き方を見ていた。
だが、何も見つからない。一軒目。二軒目。三軒目。どこにも地下へ続く階段はない。床下も浅い。壁裏も普通だ。大きな地下施設があると分かっているのに、入口だけが見つからない。最後に、一番小さな家へ入った。他の家より狭い。寝台もない。小さな机と、棚と、食器棚。それだけだった。
「ここは倉庫か何かか?」
アルドが言う。
「いえ、食器があります。簡易的な休憩場所かもしれません」
ハインが食器棚を開く。皿が並んでいる。埃を被った杯。欠けた器。古い木の盆。セレスは床に手を当て、眉を寄せた。
「ん……?」
「どうした?」
レイスが聞く。
「ここ、食器棚がずらされた跡がある、薄いけど」
セレスは食器棚を見る。
「多分食器棚の奥に、空間がある」
「奥?」
アルドが近づく。ノルも目を閉じた。
「ある。薄いけど、壁の向こうが空いてる」
「隠し部屋か」
レイスが言った。
「食器を出しましょう」
ハインがすぐに動いた。全員で食器を床へ下ろす。埃が舞う。中身を空にしてから、アルドとレイスが食器棚を両側から掴んだ。
「重いな」
「中身は出したはずだが」
「棚そのものが重い」
二人で力を入れる。ぎぎ、と床が鳴った。食器棚が少しずつ横へずれる。その奥に、細い引き戸が現れた。壁と同じ色で塗られていたため、普通に見ただけでは分からない。だが、確かに扉だった。
「見つけた」
セレスが小さく言う。アルドは引き戸に手をかけた。動かない。
「鍵がかかってる」
「鍵穴は?」
レイスが覗き込む。
「あるな。古いが、壊れてはいない」
「どう開ける?」
アルドが聞く。
「鍵がない以上、こじ開けるしかない。ただ、壊し方によっては奥の構造を傷つける可能性がある」
「じゃあ、丁寧にやるか」
「待て。こういう扉は、罠がある可能性も――」
「はぁい、どいてぇ」
エディンの声がした。アルドとレイスが振り向く。エディンが、にこやかに歩いてきていた。
「エディン?」
「ちょっと下がってねぇ」
「いや、今どう開けるかを――」
エディンは片足を上げた。次の瞬間。強烈な蹴りが、引き戸を吹き飛ばした。轟音。木片が奥へ飛び散る。鍵どころか、戸そのものが枠ごと外れ、隠し部屋の奥へ転がっていった。全員が固まった。アルドも、レイスも、セレスも、ノルも、ハインも。エディンだけが、何でもない顔で足を下ろした。
「今更何言ってるのぉ」
エディンは微笑む。
「これが一番手っ取り早いわぁ」
「……そうだった」
セレスがぽつりと言った。
「私たち、犯罪者だった」
「その納得でいいのか?」
レイスが言う。
「でも、正規の調査じゃないし」
ノルが真顔で言った。
「たしかに」
アルドが頷く。
「変に納得するな」
レイスがため息をついた。だが、否定しきれない顔だった。エディンを先頭に、全員は奥へ入った。そこは小さな部屋だった。外から見えないように作られた、狭い隠し部屋。壁際には本棚。中央には小さな机。椅子が一脚。窓はない。空気はひどく淀んでいた。長く閉じられていた場所の匂いがする。
「書斎か?」
アルドが言う。
「隠し部屋の書斎……でしょうか」
ハインは机へ近づいた。引き出しを開ける。中には古い紙片が数枚。だが、湿気で文字は滲み、読める状態ではなかった。セレスは床を叩く。レイスは壁を調べる。ノルは本棚の前に立ち、本を一冊ずつ抜いた。アルドも机の下や椅子の脚を確認する。だが、特に異常は見つからない。本棚の本も古い。内容は、農具の手入れ、薬草の簡単な知識、村の記録らしきもの、祈りに関する薄い冊子。どれも、地下の巨大な箱に繋がるようなものではない。
「何もないな」
アルドが言った。
「床も普通だよ」
セレスも首を横に振る。
「壁もおかしいところはない」
レイスが言う。ハインは机の紙片を慎重に戻した。
「秘密の部屋を隠していただけ、でしょうか」
「考えすぎだったかな」
セレスが呟く。その時、エディンが静かに言った。
「人はねぇ」
全員が彼女を見る。エディンは本棚の前に立っていた。いつもの柔らかな声。だが、表情は真面目だった。
「隠されていたものを自力で見つけると、それに満足して捜索をやめるものなのよねぇ」
そう言いながら、エディンは本棚の本を一冊ずつどかしていた。
「今のみんなみたいにねぇ」
アルドの目が細くなる。
「まだ何かあるのか?」
「さあ」
エディンは最後の一冊を床へ置いた。本棚は空になった。
「でも、隠し部屋の中に、ただの本棚があるだけなんてつまらないでしょう?」
「つまらないで決めるな」
レイスが言う。
「あらぁ、大事よぉ」
エディンは本棚の側面に手をかけた。そして、力を入れる。ぎし、と木が鳴った。次の瞬間、本棚が前へ倒れた。大きな音を立てて床へ倒れ込む。埃が舞う。全員が身構えた。だが、壁には何もない。
「……何もないよ?」
ノルが言う。空になった壁。古い木の板。ただそれだけだった。エディンは答えず、本棚が置かれていた床へしゃがんだ。指先で、軽く床板を撫でる。とん、と叩く。また別の場所を叩く。音が違った。ほんのわずかに。エディンが微笑む。
「見つけた」
アルドが近づく。
「床か」
「ええ」
レイスとセレスもしゃがむ。床板の継ぎ目を探ると、一枚だけ、ごく細く浮いている板があった。セレスが短剣の先を差し込み、持ち上げる。床板が外れた。その下に、金属の取っ手があった。床下扉。さらに地下へ続く、本当の入口。ハインが息を呑む。
「隠し部屋の下に、さらに隠された扉……」
「これが、本当の秘密ねぇ」
エディンが言った。アルドは取っ手を掴んだ。
「鍵は?」
「かかってる」
ノルが覗き込みながら言う。
「またか」
アルドが言う。レイスは扉の縁を確認する。
「これはさっきより頑丈だな。無理に壊すと、下に落ちる可能性が――」
「はぁい」
エディンが大剣を手にした。レイスが顔を上げる。
「待て」
「待たないわぁ」
エディンは大剣を振り上げた。狭い部屋の中で、ありえないほど正確に刃を落とす。金属音。床下扉の鍵部分が砕けた。さらにもう一撃。扉そのものが中央から割れ、下へ落ちた。暗闇の中へ、木片と金属片が落ちていく。すぐには音がしなかった。一拍。二拍。さらに少し。やがて、ずっと下の方で、残骸が砕ける音が響いた。乾いた音が、暗い穴の奥から遅れて戻ってくる。全員が、穴を見下ろした。
「深いね」
ノルが言った。
「かなりな」
アルドは喉を鳴らす。床下扉の下には、縦穴があった。壁に古い鉄の梯子が打ち込まれている。だが、下は真っ暗で、底は見えない。冷たい空気が上がってくる。湿っていない。むしろ、乾いている。閉じ込められていた空気の匂いがした。
「行くぞ」
アルドが言った。
「順番は?」
レイスが聞く。
「俺が先に行く。次にレイス、ノル、セレス、ハイン、エディン」
「最後はおねぇさんなのねぇ」
「何かあった時、上から支えられるだろ」
「あら、頼られてるわねぇ」
「そういうことだ」
ハインは少し青ざめながらも、頷いた。
「行けます」
「無理するなよ」
アルドが言う。
「無理はしません。ですが、ここまで来て待っているのも危険です」
「分かった」
アルドは梯子に足をかけた。鉄は冷たい。古いが、意外としっかりしている。ゆっくり下りる。一段。また一段。暗闇が身体を飲み込んでいく。上から仲間の気配が続く。梯子の音。衣擦れ。息遣い。深い。かなり深い。やがて、足が固い床へ触れた。
「着いた」
アルドは上へ声をかける。全員が降りてくるのを待つ。最後にエディンが着地すると、地下は完全な闇に包まれた。何も見えない。音だけが、遠くへ吸い込まれていく。
「照らす」
アルドは右手を上げた。指先に蒼炎が灯る。小さな青い火。それだけで、闇が押しのけられた。光が、ゆっくりと広がる。そして、全員が息を止めた。そこは、巨大な地下空間だった。天井は高い。壁は遠い。蒼炎の光が届く範囲だけでも、家の地下とは思えないほど広い。壁一面に、棺が納められていた。右にも。左にも。奥にも。一つ一つが枠に納められ、所狭しと並ぶ棺。白天還教の棺。どれもが古い。数えきれない。
壁そのものが、棺でできているようだった。それ以外には、何もない。机もない。祭壇もない。道具もない。ただ、棺だけがある。蒼炎の青い光が、棺の縁を照らしている。その光のせいで、地下空間全体が冷たく沈んで見えた。セレスが口元を押さえる。ノルは翠穿を構えたまま、動かない。レイスの表情が険しくなる。ハインは声も出せず、ただ壁を見上げていた。エディンでさえ、しばらく何も言わなかった。アルドは、蒼炎を掲げたまま呟いた。
「なんだ……ここ……」
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