盗賊狩り
盗賊の男は、ゆっくりと目を開けた。最初に見えたのは、岩肌だった。次に、土の匂い。湿った空気。酒と血と、古い木箱の匂い。そして、自分の両腕と両脚が動かないことに気づいた。
「……っ」
腕を引こうとしても、動かない。足首も同じだった。湿った土が固まり、手首と足首を岩床に縫いつけるように拘束している。口の中へ舌を回した。ない。歯の奥に隠していた小さな包みも、腰に仕込んでいた小瓶も、全部消えている。男の顔から、血の気が引いた。
「起きたか」
低い声がした。男は顔を上げる。目の前に、赤黒い髪の男がしゃがんでいた。王都討祓軍の隊服ではない。王国軍の軍服でもない。男は喉を鳴らした。
「お前ら……何もんだ」
赤黒い髪の男――アルドは、短く答えた。
「陽剣旅団だ」
「知らねぇな」
「絶賛売り出し中だ」
男は顔を歪めた。
「いきなり襲ってきやがって、何の用だ」
視線だけを動かす。仲間たちが、奥で同じように拘束されている。全員、生きている。だが、気絶したままの者もいれば、意識を取り戻しかけて怯えた目をしている者もいる。毒は、全部奪われていた。それが一番まずい。
「俺らの毒を回収したってことは、赤鎖を襲うのは一度や二度じゃねぇな」
「そうだ」
アルドはあっさり頷いた。
「俺らは赤鎖を見つけたら、手当たり次第に襲うことにしてる」
「なんだそりゃ」
男は思わず声を荒げた。
「迷惑すぎるだろ」
「お前らにだけは言われたくない」
アルドの返しに、男は一瞬詰まった。少し離れた場所では、セレスがレイスへ小声で耳打ちしていた。
「どういうこと?」
レイスはアルドたちから目を離さないまま、低く答える。
「赤鎖本体に辿り着くには、正攻法じゃ無理だ。前回の件でよく分かった」
「それじゃあ、どうするの?」
「奴らが国にやってることを、やり返す」
セレスが眉を寄せる。
「やり返す?」
「奴らから荷を奪いまくる」
「盗賊から盗むの?」
「ああ」
レイスは当然のように頷いた。
「持ち主が分かるものは返しに行く。分からないものは自分たちで使うか、金にする」
「嫌がらせするってこと?」
「そうだ。ついでに金稼ぎだ」
セレスは少しだけ目を細めた。
「うわぁ。私たちも盗賊デビューってことかぁ」
「俺たちはとっくに犯罪者だ」
レイスの声は冷静だった。だからこそ、重かった。
「もう手段は選ばない」
セレスは何も言わなかった。嫌だと言うこともできた。違う方法を探そうと言うこともできた。けれど、昨日の朝、彼女はもう選んでいる。逃げ続けるだけではなく、知るために進むと。なら、綺麗な手段だけを選び続けられるわけがない。エディンが木箱の中を覗き込みながら、ゆるく声を上げた。
「アルドちゃん、荷の中身確認したわよぉ」
アルドは盗賊から目を離さない。
「何があった」
「食料、酒、金。それと、毒ね」
男の肩が、わずかに跳ねた。アルドはそれを見逃さなかった。
「おい」
男を見る。
「この毒は自分たち用の毒か? それとも誰かに使うためのものか?」
「知らねぇよ」
男は即座に吐き捨てた。アルドは小さく息を吐いた。
「だと思ったよ」
最初から、素直に答えるとは思っていない。アルドは一歩近づいた。
「お前が知ってる、他の赤鎖の拠点を教えろ」
「知らねぇよ」
答えは同じだった。アルドの右手に、蒼い炎が灯った。男の目が見開かれる。夜明け前に見た空よりも冷たく、けれど触れれば骨まで焼くと分かる色だった。アルドはその手を、男の首へ伸ばした。
「な――」
蒼炎を纏った指が、男の首を掴む。強くは締めていない。息を止めるほどではない。だが、熱が皮膚を舐めた。
「ぎゃああああああっ!」
男が絶叫した。
「熱い! 熱い! やめろ! やめろ!」
アルドは、ゆっくり手を離した。男は咳き込みながら、首を縮める。焼けた跡は浅い。殺すためではない。壊すためでもない。答えさせるための熱だった。セレスは唇を結んだ。ノルは目を逸らさなかった。レイスは無言で見ている。エディンだけが、いつもの笑みを浮かべないまま、男の呼吸を見ていた。アルドはもう一度、同じ声で聞いた。
「お前が知ってる、他の赤鎖の拠点を教えろ」
「はぁ……はぁ……くっ……」
男は唾を吐きかけようとした。だが、喉が焼けつくように痛み、上手く吐けない。アルドは蒼い手のひらを、男の前に掲げた。
「もう一発いくか?」
男の顔が歪んだ。
「俺らを見逃してくれるなら話す」
アルドは盗賊たちの数を確認した。八人。全員、拘束済み。毒は回収済み。逃げ道も塞いでいる。
「何ヶ所知ってる」
「五だ」
「なら、一ヶ所教える度に一人解放する」
男の顔が変わった。
「なっ……ふざけんな! 三人見捨てろってことか!」
「八ヶ所教えろ」
「だから五だって言ってんだろ!」
「ああ、そうそう」
アルドは男を見下ろした。
「嘘は分かるからな?」
男の目が揺れる。横から、エディンが柔らかく言った。
「そうよぉ。分かるわよぉ」
いつもの甘い声だった。けれど、男の背筋が冷たくなる。
「五が嘘なのもねぇ」
「クソッ……」
アルドは手を下ろさない。
「八ヶ所教えろ」
沈黙。男の喉が、何度も動いた。周りで拘束された仲間たちが、怯えた目で男を見る。誰かが小さく呻いた。誰も助けられない。誰も毒を飲めない。男は奥歯を噛みしめた。
「……知ってるのは、七ヶ所だ」
アルドはエディンを見た。エディンは男の目を覗き込むようにして、少しだけ首を傾ける。
「……本当みたいねぇ」
男の顔が引きつる。
「ほんとに分かんのかよ。気色悪ぃ……」
「なら、残りの一ヶ所は可能性が高い場所で勘弁してやる」
アルドは男の前にしゃがみ直した。
「お前が選ぶなら、拠点にする場所を教えろ」
男は黙った。黙ったまま、アルドの右手を見る。蒼い炎は、まだ消えていない。ゆらりと揺れ、男の頬を青く照らしている。
「……分かったよ」
アルドは立ち上がる。
「レイス」
「準備できてる」
レイスはすでに地図を広げていた。ハインが荷から取り出した、周辺の街道と村、山道を記した簡易地図だ。アルドは男へ視線を戻す。
「よし、言え」
男は一ヶ所ずつ吐いた。山の名前。川の曲がり角。古い炭焼き小屋。使われなくなった祠。廃れた狩猟小屋。崩れた橋の近く。谷沿いの洞穴。そして、最後に可能性が高い場所として、街道から外れた林道の奥にある荷置き場を挙げた。レイスは一つずつ地図へ印をつけていく。時折、場所を聞き返し、距離を確認し、周辺の特徴を加えた。男が曖昧に誤魔化そうとすると、エディンが穏やかに笑う。それだけで、男は言い直した。
やがて、レイスが筆を止めた。
「終わりだ」
「よし」
アルドは振り返る。
「セレス、荷を運んでくれ」
「分かった」
セレスは地面に片手をついた。
「大地参式 岩儡生成」
土が盛り上がる。荷車を引くための、大きめの土人形が一体生まれた。岩丸より少し小さい。けれど、荷を引くには十分な大きさだった。そのままセレスは、盗賊の横穴に積まれていた木箱や袋を確認していく。食料。酒。金。布。道具。そして、毒。持ち主の印があるものは分ける。ないものは別に積む。ハインはその仕分けを見ながら、商人の目で内容を確認していた。
「これは村の納品印があります。返せるかもしれません」
「これは?」
「印がありません。売るならこちらですね」
「こっちの酒は?」
「……おそらく盗品ですが、持ち主は分かりません」
「なら売る」
アルドの声に、拘束された男が叫んだ。
「おい! 何持ってこうとしてんだ!」
アルドは振り返る。
「は?」
「それは俺らの荷だ!」
「盗んだもんだろ」
アルドは当たり前のように言った。
「それを俺らがどうしようと、俺らの勝手だ」
「それは上に渡す荷だ!」
「だからなんだ?」
男は歯を剥き出しにした。
「お前ら、殺されるぞ」
空気が、少しだけ冷えた。赤鎖本体。末端とは違う、あの四人。アルドたちは、その強さを知っている。知った上で、アルドは笑った。挑発ではない。開き直りでもない。覚悟した者の笑みだった。
「受け取りに来る奴に伝えろ」
男の目が揺れる。
「俺たちは陽剣旅団。お前ら赤鎖の幹部と話がしたい」
アルドは一歩、男へ近づいた。
「話でも、殺し合いでも受けて立つ。接触してこい」
男は黙る。
「接触してくるまで、永遠に嫌がらせを続けるってな」
男の口が、わずかに開いた。怯えではない。呆れだった。
「お前ら……俺らより頭ぶっ飛んでんな……」
アルドは肩をすくめた。
「褒め言葉として受け取っておこう」
それから、視線をエディンへ向ける。
「エディン」
「はぁい」
エディンは男の前にしゃがんだ。男は本能的に身を引こうとしたが、拘束されているため動けない。エディンは男へ意識を向けた。
「ま、待て」
男の声が上ずる。
「一体、何――」
空気中の微細な魔力へ、エディンの魔力が触れる。ほんの一瞬、冷たい圧が男だけを押さえつけた。男の息が詰まり、目の焦点が外れる。次の瞬間、その頭ががくりと落ちた。意識を失っていた。アルドはその様子を見て、少しだけ顔をしかめた。
「それ、俺にもやったやつか?」
「似たようなものよぉ」
エディンはいつもの笑みに戻った。
「おねぇさん、優しかったでしょ?」
「優しさの意味を考え直した方がいいな」
「あらぁ」
レイスは地図を畳みながら言った。
「拘束はどうする」
セレスが盗賊たちを見る。
「半日くらいで崩れるくらいにしておく。起きてすぐ動けるほど弱くはしないけど、死ぬほど強くもない」
「それでいい」
アルドは横穴の入口へ向かった。
「行くぞ」
荷が積まれていく。盗賊たちは拘束されたまま残された。毒はすべて奪った。命は取らない。だが、荷は持っていく。そして、伝言は残す。陽剣旅団は、赤鎖を狩る。
◇
それから三日間、陽剣旅団は同じことを繰り返した。まず、最初の男から聞き出した拠点へ向かう。エディンが気配を読む。アルドが遠くから大まかな位置を掴む。ノルが逃走経路と見張りを潰す。レイスが制圧順を決める。セレスが足場と拘束を作る。ハインは荷と印を確認する。そして、アルドが尋問する。殺さない。だが、逃がさない。毒を飲ませない。荷を奪う。情報を奪う。伝言を残す。一ヶ所目。山肌の横穴。
荷は木箱二つ分。得た情報は、別の荷置き場が一つ。二ヶ所目。炭焼き小屋の跡。末端の盗賊が五人。隠していた金と食料を回収。得た情報は、古い祠の裏にある連絡地点。三ヶ所目。谷沿いの洞穴。逃げようとした男の足元を、セレスの土が呑んだ。ノルの空弾が、毒へ伸びた手を弾いた。レイスが地図へ印を加える。四ヶ所目。崩れた橋の近く。ここには盗賊より荷の方が多かった。酒樽。布。金属工具。村の焼印が入った木箱。
ハインの顔が、この辺りから完全に商人になっていった。五ヶ所目。狩猟小屋。赤鎖は三人だけだった。だが、持っていた情報は多かった。レイスは話を聞きながら、赤鎖の運搬線が街道の裏を網のように走っていることに気づき始めた。六ヶ所目。林道の奥の荷置き場。そこでは、受け取りに来た者たちと鉢合わせた。末端ではなかった。だが、本体の四人ほどでもない。アルドは蒼炎を見せ、レイスは逃げ道を塞ぎ、エディンが一人の意識を落とした。
戦闘は長引かなかった。七ヶ所目。小さな廃村の倉。ここで、彼らはさらに新しい拠点の情報をまとめて手に入れた。盗賊たちは最初こそ怒鳴り、脅し、黙ろうとした。だが、陽剣旅団は毎回同じことをした。毒を奪う。逃げ道を塞ぐ。荷を奪う。命は取らない。そして、伝言を残す。陽剣旅団は、赤鎖の幹部と話がしたい。話でも殺し合いでも受けて立つ。接触してくるまで、嫌がらせを続ける。三日目の昼過ぎ。陽剣旅団の後ろには、荷車が増えていた。
岩儡も増えていた。道を進むその姿は、もはや旅人の一団ではなかった。土でできた荷引きが何体も並び、その後ろに木箱が積まれている。木箱、十五個分。食料。酒。布。工具。金。毒。持ち主の分かるものは分けてある。分からないものは、売るしかない。新たに得た拠点情報は十三ヶ所。地図には、レイスの印が増えすぎていた。ハインは荷車の列を見て、半ば呆然と呟いた。
「この量は……さすがに……」
「ああ」
レイスも疲れた顔で頷いた。
「多すぎる」
アルドは木箱を見上げた。
「あいつら、どんだけ奪ってんだよ」
ノルが淡々と言う。
「さすが悪名轟く盗賊団」
「驚きねぇ」
エディンも感心したように頷く。
「感心してる場合じゃないわよ」
セレスが少し怒った声を出した。
「どれだけ岩儡を作ればいいのよ。荷車を引く用のを作るのは大変なんだけど!」
彼女の後ろでは、土でできた荷引きたちが、どこか申し訳なさそうに肩をすぼめていた。アルドが苦笑する。
「まあまあ。ここまでになるとは思わなかったんだ」
「確かに思ってなかった顔だね」
「思ってなかった」
レイスは地図を畳み、ハインを見る。
「ハイン、村にはそろそろ着きそうか?」
「ええ。寄り道しているので遅れていますが、今日中には着きそうです」
「よし」
アルドは荷車の列を見る。
「そこで全部売りさばくぞ」
ノルがぼそりと言った。
「レイス、盗賊みたい」
「もう、ほぼ盗賊だ」
レイスは否定しなかった。
「盗賊専門のな」
セレスがため息をつく。エディンが笑う。アルドは前を見た。赤鎖は、まだこちらを見ていない。あるいは、もう見ているかもしれない。どちらでもいい。見ていないなら、見るまで奪う。見ているなら、出てくるまで奪う。それが、陽剣旅団の最初の方針だった。大量の積荷を運びながら、一行は次の村へ向かった。
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