剣より、魔法の方が
朝の鐘が遠くで鳴っていた。
ヴァルディア邸の窓から差し込む光は柔らかく、白いカーテンを淡く揺らしている。
そんな穏やかな朝。
本来なら優雅に目覚めるはずの貴族令嬢は、毛布に埋まりながら難しい顔をしていた。
「……おかしい」
ベッドの上。
フィア・ヴァルディアは、一冊の魔導書を睨んでいた。
開かれているページには、火属性の初級魔法陣。
王国では一般的な術式だ。
けれどフィアは納得していなかった。
「絶対これ、無駄あるよね……?」
魔法陣へ指を滑らせる。
複雑に絡み合う線。
意味不明な装飾。
繋がりの悪い文字列。
昨夜からずっと見ているが、やっぱり気になる。
「お嬢様」
静かな声と共に、部屋の扉が開いた。
エマだった。
朝日に透ける緑色の髪を揺らしながら、呆れた顔でベッドを見る。
「起きた瞬間から本を読まないでください」
「読んでないよ?」
「睨んでいます」
「考えてるの」
「それでもだめです」
エマは慣れた手つきでカーテンを開けた。
朝日が部屋いっぱいに広がる。
フィアは少しだけ目を細めた。
「……まぶしい」
「健康的で良いことです」
「魔導灯でいいのに」
「朝くらい太陽を浴びてください」
エマは机の上に置かれた紙束を見る。
そこには大量の書き写し途中の魔法陣が散乱していた。
しかも途中で線を消した跡まである。
「また術式を書き直していたんですか」
「うん」
「その魔法陣、王国式の正式術式ですよね?」
「でも変」
「正式術式ですよ?」
「だから変なの」
フィアはむくりと起き上がる。
「このへん、同じの二回書いてるみたいに見える」
紙を指差す。
「この文字、形ちょっと違うのに並び方同じだし」
「……わかるんです?」
「なんとなく?」
なんとなくで理解してほしくなかった。
エマは深く息を吐く。
フィアは昔からこうだ。感覚で異常なことを言う。
しかも本人に自覚がない。
「お嬢様」
「なに?」
「普通の方は、魔法陣を見て“なんとなく違和感がある”などわかりません」
「そうなの?」
「そうです」
フィアは少しだけ首を傾げた。
だがすぐに興味を失ったように本へ視線を戻す。
「でもこれ、もっとすっきりできそうなんだよね」
「すっきり?」
「うん」
フィアは紙へ視線を落としたまま、魔法陣の線を指先でなぞる。
「なんか、ごちゃごちゃしてる」
その言葉に、エマは少しだけ黙った。
フィアは魔法を“模様”として見ていない。
もっと別の何かとして見ている。
だが、それが何なのか。
本人すらまだ理解していなかった。
「それより朝食です」
「んー」
「今日は剣術訓練がありますよ」
その瞬間。
フィアの顔が露骨に曇った。
「……休んじゃだめ?」
「駄目です」
「でも剣つまんない」
「旦那様が聞いたら悲しみます」
「だって次どう来るかわかっちゃうし」
「普通はわかりません」
「みんな、振る前に少し動くんだよ」
「少し?」
「肩とか、足とか、視線とか」
エマは黙る。
フィアは本当に不思議そうな顔をしていた。
「だから次どこ来るかわかっちゃう」
「お嬢様の“普通”を基準にしないでください」
「でも魔法は違うよ?」
「違う?」
その瞬間だった。
フィアの紫色の瞳が、ぱっと輝く。
「知らないのいっぱいあるもん」
即答だった。
魔法陣。異国術式。
属性変換。契約文字。
知らないことが山ほどある。
だから楽しい。
「昨日の本も面白かったなぁ……」
「異国の魔導書ですか?」
「うん」
フィアは楽しそうに笑う。
「王国式と文字の並び違うんだよ」
「お嬢様しかそんなところ見ていません」
「でも絶対意味ある」
エマは小さく息を吐いた。
そして思う。
たぶんこの子は。
本当に魔法そのものが好きなのだ。
強くなるためでも、褒められるためでもない。
ただ、知らないものを知りたい。
それだけ。
「……本当に変わったお嬢様です」
「そう?」
「ええ」
エマはそう言いながら、机に散らばった紙を片付け始める。
その中の一枚を見て、手が止まった。
そこには王国式魔法陣。
そしてその横に、フィアが勝手に書き直した別構造。
元の術式よりも、不思議なほど線が綺麗にまとまっていた。
「……お嬢様」
「なに?」
「この術式」
「うん?」
「最後の契約文字、まだ書いてませんよね?」
「まだ試作だから」
契約文字。魔法陣最後の一文字。
それを書いた瞬間、術式は“術者の魔法”として完成する。
つまりこれはまだ未完成。
今はただの設計図。
フィアはころころとペンを回しながら笑った。
「完成したらどうなるかな」
その笑顔は、
新しいおもちゃを見つけた子供そのものだった。
けれどエマは知っている。
この少女は、いつか本当にやってしまう。
誰も知らない魔法を。
誰も考えなかった形を。
いつかきっと、楽しそうに作ってしまうのだと。
読んでいただきありがとうございます。
更新は火・金の20時予定です。
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