第69話 いいことばかりじゃないよね
スタジオみかんバズり事件以来、青空商店街には観光客が絶えなくなっている。
とはいえ、往来が人で溢れ、交通渋滞が起き、バスが来ず、ゴミ問題に頭を悩ませる……そんなオーバーツーリズムが起きているわけではない。
ただ一つ、キャパの小さなホテルアリスは大変そうだが、農家のおばちゃんたちがパートに来てくれているおかげで、なんとか回っている。
確実に人は来ている。
客足の中心はあおい庭園だが、それぞれの店はまちカフェに飲食を提供しているし、最近は「ブンチン堂」などからの委託販売も始まった。
町は、確実に潤い始めている。
そして、活気という熱が、じわじわと充満し始めていた。
「ここからが勝負どころよね。」
わさびは今日の売り上げの計算を終えると、ビーズクッションに身をうずめ、天井を見上げながら夏海に話しかけた。
「そうっすね。でも……難しいっす。」
バズり事件の日、爆速スタートダッシュを決めた娘も、今は同じようにビーズクッションに沈み込んで減速気味だ。
「なんていうか、一捻り足りない気がするっす。
なんか、もうちょっと、“どかーん”っていうのが。」
「夏海はいつも、何言ってるか分かんないよ。
でも、いつも一生懸命働いてくれてありがとね。」
「へへへ。夢中で楽しんでるだけっすよ。」
バズり事件を受け、イレは夏海を即座にまちカフェ担当に任命した。
てっぱんは、親父さん一人では回らないため、ホテルアリスと同様に農家のおばちゃんたちにパートとして応援を頼んでいる。
親父さんは「早く帰って来い」と、珍しく泣き言を言っていた。
確かに、この2人ほどの働き者は中々いないだろう。てっぱんにも観光客が訪れ、大忙しなのだ。
「わさびさん、今日の騒ぎのこと聞いたっすか?」
「え?なに?なにかあったの?」
「やっぱり知らなかったっすか……。
実は、今日、変なやつが来て美香のイラストを持ち出して行ったっす。」
「え!?泥棒?」
「いや、泥棒よりひどいっす。
そいつ動画配信者らしいっすけど、美香の絵を勝手に庭に飾って、『俺もやってみた〜〜〜』って……
動画撮影が始まったっすよ。しかも生配信っすよ。
で、イラストに葉っぱをかけたり、土をのせたり……。ひどいもんだったっす。」
「そんなこと、なんで私知らないんだろう。」
「ちょうどわさびさんは、ぶどう用の冷蔵庫の返品とかやって業者対応してた時間っすよ。」
「あ〜、あの時か。確かに庭にはいなかったね。でも、美香さんも教えてくれたら良かったのに。」
わさびがぼんやりとつぶやく。
「美香はあれで、わさびさんに恩義を感じてるっすよ。だから、心配させたくなかったと思うっす。
……。あいつ、最後には、『どうせプリントした絵だから汚れたっていいっしょ、いくら?』っすよ。
ぶん殴りそうになったっす。
美香は笑ってたけど、指先が震えていたっす。」
「殴ってもいいのよ、そんなやつ。」
「うえ〜!?わさびさんもパンチ効いてるっす。
ヨウさん、早く帰ってきてくれっす。」
……。
わさびと夏海は、冗談を言い合いながらも、どこかしら不安感が漂う室内で寝そべっていた。
その時……、
ガチャガチャ、ガチャ。
玄関の扉が開く音がした。
わさびと夏海は目を合わせた。緊張が走る。
反射的に夏海が起き上がり、フライパンを取りに行こうと足を踏み出したあたりで、玄関から声が聞こえた。
「ただいま〜。」
ヨウの声が夜の社宅の室内に響く。
わさびは何も言わなかったが、彼女の緊張が解けているのが夏海には分かった。
家の中の空気が、一気に柔らかくなった。




