第65話 なつみかんの秋
コンコンコン
「美香さん、大丈夫?」
わさびは、美香の部屋のドアをノックして声をかけた。
……。
返事はない。
すでに10:00を回っているため、周囲の部屋の宿泊客はチェックアウトし清掃が始まっている。
「何度もアリスちゃんが呼びに来てるんだけど、美香ちゃん返事がないのさ。大丈夫かね〜。」
パートに来ている遠藤のおばちゃんが、心配そうにわさびに近づいてきた。
「今日は、一度も顔を見てないんですか?」
わさびは内心の焦りを抑えながら、おばちゃんにたずねる。
「朝食の時に、血相変えてアリスちゃんと話してたんだけどねぇ。慌てて部屋に戻ってそれっきりだよ。」
それを聞いてから、わさびはふたたびドアをノックする。もう周囲の部屋に気を使う必要もない。
少し激しめにノックを続けた。
「美香さん、開けてください。バズって混乱してるんですよね?私たちも動画上げるの一緒にやったんだから、美香さん一人のせいじゃないですよ。一緒に解決しましょ。ね?」
わさびは、ドアをノックし続けながら語りかけたが、一向に返事がない。
どうしよう……。
とにかく美香さんと話をしないと。あと、アリスちゃんが「あおい庭園に行くための宿泊予約で満室」って言ってたな。ユミちゃん大丈夫かな。
あおい庭園は、イレさんがいるから大丈夫か。
もう、ヨウ、なんでいないのよ。
本当に、内心では自分の方が泣きたい気分だと、わさびは思う。
ドンドン……。
まだ返事はない。
さすがに、これは警察沙汰か?わさびがそう思った瞬間。
「まぁ、もう少し待つんじゃ。」
わさびの思考の隙間に、聞き覚えのある声が入り込んできた。
わさびがこの町にくるきっかけになった神じいさんの声だ。周囲を見渡すとアリスの姿が見えた。
彼女にも同じ声が聞こえているのかもしれない。
何かを分かっているような顔でわさびを見つめている。
その時だった。
ガチャっ。
一瞬、部屋の奥から湿った空気が流れ出た。
そして、その中から……、なぜか夏海が現れた。
「え?夏海?」
「さ、中に入るっす。」
夏海がわさびとアリスを部屋の中に招き入れた。
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「夏海、どういうこと?」
わさびには理由が分からないこの状況。
「自分だってよく分からないっす。さっき、アリスちゃんから電話をもらって、飛んで来たんす。事情を聞いたら心配になったから、2階のベランダによじ登って部屋に入ってしまったっす。」
たしかに、ホテルアリスとお好み焼き「てっぱん」は目と鼻の先だ。夏海の運動能力を持ってすれば、ものの5分でベランダから侵入も可能なのだろう。
「……。とにかく、美香さんは?」
「あ〜、美香さんっすか。ベッドで放心状態で布団にくるまってるっす。ま、美香さんは大丈夫っすよ。そのうち落ち着きますから。」
夏海は、やけに分かった感じで語りつつ、わさびに小さく耳打ちする。
「それよりもヤバいのは、あおい庭園っす。これから人が殺到するっすよ……。」
「やっぱり……。」
動揺するわさびに夏海が続ける。
「でも、チャンスっす。やっちゃいましょ〜。
さてと……。」
夏海は、すたすたとベッドの前に行き、美香の布団を剥ぎ取って元気に告げる。
「さぁ、美香さん。これからが楽しい時間っす!!張り切っていきましょ〜。」
布団を剥ぎ取られた美香は、スマホを抱えた指先だけが、止まらずに震えていた。




