第63話 アリスの導き
「えっと、必要なのはこれだけ?」
美香に割り当てたのは、まちカフェあおいと同じ管理棟の一角だった。
管理棟は、二十畳ほどの部屋が二つ並んだ、ログハウス風の建物だ。作り自体は簡素だが、内装にはユミが手を入れていて、全体にこざっぱりとした、おしゃれな雰囲気がある。
二つの部屋は、半分ほどを壁で仕切った形でゆるやかにつながっており、出入り口は一つだけだ。
入口を入ると、正面にカフェ用のキッチンとカウンターテーブルがあり、キッチンの脇には簡単な事務作業ができるスペースが設けられている。そこには、ノートパソコンと家庭用のプリンターが置かれていた。
美香が作ったスタジオは、同じく二十畳ほどの広さがある。
少し気取った長方形のデスクの上には、デスクトップパソコンと大型のモニター、そしてイラスト制作に必要な機材一式が並んでいる。
あとは、壁際に掲示物を貼り付けるための掲示板が設置されているだけ。全体として、驚くほど簡素な空間であり、描くためだけに用意された部屋だった。
「これで十分です」
美香は迷いなく言った。
「私は……ただの絵師ですから。描くこと以外は、本当に分からなくて……。自分で描いて、SNSにアップするだけなので。本当はスタジオ自体、必要ないんです。でも……。」
一瞬だけ言葉を区切り、視線を部屋の奥へ向ける。
「未来様との、濃厚な接点のためには、やるしかないと決意しました」
「へ、へえ……で、どうやって商売するの?
ここで、イラストを売ったりするのかな?」
「とりあえずは、このスタジオで精一杯、創作活動に励みます。未来様が、いつか見てくれる日を夢見て」
そう言って、美香は掲示板を見上げた。
「だから、飾るスペースだけは、たくさん作ってあるんです。この部屋、私の趣味で……異世界ギルド風にしてみました」
「そ、そう……」
わさびはそれ以上踏み込まず、カフェの仕事に戻るため、キッチンへ向かった。
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「わさびさ〜ん。お疲れ様です〜」
夕方4時ごろ、アリスたち女子高生が、まちカフェにやってきた。
「あ、美香さんのスタジオできたんですね〜。」
「あ〜、ホテルで聞いたんだね。美香さん、張り切って準備してたんだよ。」
美香は、ホテルアリスに滞在している。
9月末から滞在し始めて、いまは10月半ばなので、気がつけば、この町に来て、3週間ほどになる。
スタジオみかんの設立は、この短い期間に行ったことなのだが、まぁ、デスクとパソコン、掲示板だけであれば十分な時間だったようだ。
銀行員だった美香なので、設立の事務手続きなどは卒なく終わっている。
実はイレが周囲に言わなかったのだが、美香を格安でホテルアリスに滞在させようと言い出したのはアリスだった。なんでも、神様から言われたらしい。
「もちろん損はしてませんよ〜、商売人ですから〜」とアリスはイレに告げた。
「開店おめでとうございます〜。
美香さんとは、ホテルでいっぱいお話してたから、とっても嬉しいです〜。」
アリスは楽しげに話し始める。
「えっと〜、わさびさんは美香さんのイラスト見たことありますか〜?」
「うん、もちろん。とってもかわいいイラストだよね。異世界を色鉛筆で描いたような、かわいいファンタジーの画風。」
「そうなんです〜。さ〜、美香さん〜、その額に入ってるイラストを持ってきてください〜。」
アリスは、製作デスクの上にも置いてあったイラストを指差し、美香を外へと連れ出した。
わさびとユミもそれに続く。
「では始めますね〜」
アリスは外のカフェスペースのテーブルに置いたイーゼルにイラストを立てかけると、スマホで動画を撮り始めた。
しばらく、夕暮れ時のあおい庭園をバックに撮影すると録画を止めて、わさび達に見せに来た。
「ほんとは、生演奏とかを入れたいです〜。
でも、良くないですか〜?」
「確かにいいね。イラストがこの庭園と調和している感じが伝わってくると思う。」
わさびが率直な意見を述べた。
「そうなんです〜。これに音楽をつけたり、ユミさんのお花や、お食事などを添えて流したら魅入っちゃうと思いませんか〜?」
「わ、私は、ただ書くだけだから……。
そういうのを考えたことなかったので、どうしたらいいのか分からないです。」
美香は、純粋にイラストを描く。それ以外には、ほとんど興味がないようだ。
「じゃぁ、例えば、美香さんのイラストをこんな風に楽しんで発信してもいい?」
わさびが、アリスのアイデアに乗り気になって問いかける。
「ま、まぁ……。経費もかからないし、やってみても……。」
「じゃぁ、やりましょう!美香さん、スタジオのSNSアカウントは?」
カフェの中に戻り、みなで話し合いながら動画編集を完了し、スタジオみかん初仕事として、動画を1つSNSに上げた。
わさびたちにとっては、ただの一歩だった。
だが次の日の朝、その一歩が、思いもよらない速さで広がり始める。




