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私立叢雲学園怪奇事件簿【第三部 朱雀編】  作者: 来栖らいか
【第五章】継承者
20/27

〔2〕-2

 享一郞の一家が暮らすサウス・レイクランド地区には、観光名所となっている大きな湖の他に、地元の人々が憩いの場にしている小さな湖がある。冬場は厚い氷に覆われ、老若男女問わずスケートを楽しむ場所だ。

 学校や自宅近くに友人が増えた享一郞も、冬休みに入ると毎日のように湖を訪れ遊ぶようになった。

 その日は、クリスマス・イブだった。

 いつものように早めの昼食を取り、妹の友梨愛を連れた享一郞が湖に着くと学校の友人達がアイスホッケーをしようと言い出した。誘われて片方のチームメンバーに加わりゲームに興じるうち、気が付けば近くでスケートをしていたはずの友梨愛が見当たらない。

 英国の冬は日暮れが早い。

 まだ十五時を過ぎたばかりなのに周辺の森からは暗闇が忍びより、スケートをしていた人達は湖に突きだした桟橋やデッキに戻って帰り仕度を始めている。

 享一郞は友人達に別れを告げ、必死で妹を捜し回った。

 湖周辺を廻る遊歩道に街灯が灯り、足下の地を這うように密集した雑草は霜で白く変わる。

 まさか、誘拐? 

 英国では地方の小さな町でも誘拐事件があるから気をつけろと祖父に言われていたのに……。

 それとも氷の割れ目に落ちた?

 いや、氷の薄い所は縄で囲ってあり、近付いてはいけないと厳しく言われているから大丈夫なはず……。

 人影は次々と減っていき、気温が下がっていく。心細くなりながら、一度探したボートハウスを、もう一度確認してみようと来た道を戻り始めたとき。

「キョーイチロー!」

 聞き慣れた声に名を呼ばれ振り向いた享一郞は、ボートハウス裏手の駐車場から走ってくるウィリアムの姿を見つけた。

 クリスマスで早く店を閉めたので享一郞と妹に焼き菓子をプレゼントするため家を訪れた所、母親が二人の帰りが遅い事を心配していたため迎えに来たという。

 張り詰めていた気が緩みそうになるのを必死に堪え、妹が見つからないと訴えるとウィリアムは「一緒に探そう。大丈夫、必ず見つける」と言って微笑んだ。

 年上の逞しい青年に励まされ、一気に焦りと不安が払拭された享一郞に責任感が湧き上がる。

 暗くなってきたため二人は互いの姿が確認できる距離で移動しながら、視力の良い享一郞は湖を、背の高いウィリアムがライトを掲げながら森の方を探すことになった。

「友梨愛!」

「リーリアー!」

 享一郞が家族で呼ぶ名を、ウィリアムが愛称で叫びながら湖のまわりを探し回る。すると間もなく、湖に繋がる川の橋の上に、妹の小さな姿を見つけることが出来た。享一郞も一度探した場所だが、立木や雑草の影になっていた上に風の流れで声が届かなかったらしい。

 ウィリアムがライトを向け、享一郞が大きな声で名を呼ぶと橋にしゃがみ込んでいた妹の友梨愛はウサギのように飛び跳ねた。

「お兄ちゃんっ! あっ!」

 一瞬の出来事だった。

 急に立ち上がった場所は日中、立木の影になり凍っていたのだ。

 足を滑らせた友梨愛は、あっという間に粗末な手摺りの隙間を通り抜け氷の張った川に落ちてしまった。

 湖とは違い、流れがある川の氷は薄い。

 ピシリと鋭い音が響き、水飛沫が上がった。

 助けを求め、水面に突き出された小さな白い手がゆっくりと沈んでいく。

「マズい! 湖に流されたら助けられない!」

 目の前の光景に硬直した享一郞の横を素早く駆け抜け、ウィリアムは厚い氷に覆われた湖に降り立ち友梨愛を追いかけた。

 氷の下、友梨愛の赤いコートが流されながら揺らめいている。

 ウィリアムは肘や足で氷を割ろうと試みるが、ヒビも入らない。

「くそっ……! オレはボートハウスからアイスドリルとハンマーを取ってくる! キョーイチローは急いでレスキューを呼べ!」

 遊歩道で呆然と立ち尽くしていた享一郞は、その手に携帯電話が押しつけられて我に返った。

「ダメだウィルっ、間に合わない! 僕が氷を溶かすから友梨愛を引き上げてっ!」

 ボートハウスに向いかけたウィリアムは、享一郞の叫びを背に聞くと踵を返し、氷の下に見える友梨愛の元に駆け戻った。

 この時、なぜウィリアムは即座に享一郞に従ったのか、疑問を抱く暇は無かった。

 急ぎウィリアムの横に立った享一郞は、氷の下にある赤いコートに焦点を合わせ手を置く。

 父や母、祖父からも「人前で決して使ってはいけない」と戒められたこの力を、いま使わずにいつ使うのか。

「おそらく氷の厚さは二十センチほどだ、直径五十センチ位を溶かしてくれ。穴が空いたらオレが引き上げる!」

 無言で頷き享一郞は意識を集中させた。

 掌に熱を感じる。

 じわり、と氷が融け始め水に変わり、急激に白い蒸気となって勢いよく上昇した。分厚い氷に空けられた穴は次第に大きくなり、その広がりに合わせ後退する享一郞の肩にウィリアムが手を置いた。

「凄い熱量だな……よしっ、もういいキョーイチロー。後は俺に任せろ!」

 上着を脱いで氷の上に腹ばいになったウィリアムは、頭から上半身を水に潜らせ右手を伸ばす。

 固唾を呑んで見守る享一郞の目の前でウィリアムはコートを引っ張り、友梨愛の身体を胸に抱えると渾身の力で引き上げを試みた。

 十一歳の友梨愛の体重は、小柄とは言え三十六キロある。水を含んだ着衣が重量を増し、大人一人で引き上げるのは難しい。しかしウィリアムは左手を支柱に自身の身体を捻り、友梨愛の頭を水上に引きずり出す。

 頭と肩が見えてからは享一郞も腕や着衣を掴み、一緒に氷の上に引き上げたものの真っ白な顔に生気は無い。人工呼吸と心臓マッサージを続けるウィリアムに望みを繋ぎ、レスキューに掛けた電話が繋がったとき。

「呼吸が戻った!」

 心強い声が友梨愛の生還を告げた。

 激しく咳き込む友梨愛のコートを脱がせたウィリアムは、自分の上着で包み込んで抱きかかえると享一郞から電話を受け取りボートハウスに急いだ。

 ボートハウスに駆け込みストーブに火を起こした所までは覚えている。

 だが、その後の記憶は曖昧だった。

 自分がアイスホッケーに夢中になり、友梨愛を危険な目に遭わせてしまった。

 大切な妹の死を覚悟した瞬間、全身を襲った恐怖と後悔。

 偶然、ウィリアムが探しに来てくれたおかげで最悪の事態を免れたが、もしも自分一人だったら……。

 気が付いたときはレスキュー車両の中で、友梨愛の冷たい手を握りしめていた。

 弱々しく握り返された途端、とめどもなく涙がこぼれ出し声を上げて泣いた。

 ひとしきり後悔し、泣いてからは少し落ち着きを取り戻し、病院で待ち構えていた母と祖父にウィリアムの助けを受けながらも自ら状況を話すことが出来た。

 一つだけ、事実を隠して……。

 後から解ったことだがウィリアムは、レスキュー隊員や救急病院の医師、そして享一郞の家族に「リーリア(友梨愛)は、川に掛かった橋から氷で足を滑らせ落ちたが浅瀬だったので自分が水に入り助け出した。ずぶ濡れのボトムスは凍傷を防ぐため、ボートハウスにあった作業着に履き替えた」と、説明していた。

 本当の事を、氷を溶かした享一郞の力を誰かに話さないで欲しいと頼んだわけでは無い。ウィリアムが独自に、話さない方がいいと判断したのだろう。

 ウィリアムの気遣いは、享一郞にとって大いに助かった。

 助かりはしたが、時間が経つにつれ不安が増大していく。

 なぜ、即座にウィリアムは享一郞の言葉に従ったのか? 

 なぜ、氷を溶かす範囲を指示できたのか?

 なぜ、事実を隠し享一郞を庇ったのか……?

 答えが出たのは、救急病院に五日間入院していた友梨愛が退院した翌日だった。

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