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3 のっぴきならない事情

 人の噂なんてのは、とかくあてにならんものである。

 例の普遍の理。

 そのもう一つの証とでもいうべきか。


『かの国の歴代の王たちは光輝く美しさを持つという。

 そして今上の妃も王に負けず劣らずまばゆいばかりの美貌である。

 したがって彼らの子もまた玉のように美しいという』



**************************************



「一応も依頼の内容を確認をしておくと――」


 あの晩餐会の日から三日を数えた夜のこと。

 隣国の宿の一室で男が言った。

 黒に近いこげ茶色の髪の毛に意志の強そうな眉毛、すっと通ったまっすぐな鼻筋。唇はやや薄く、頬から顎のラインは幾分ごつごつとしている。加えて浅黒い肌に、無造作に伸びた髪の毛、そして何より黄金色の瞳が男の容姿を際立たせている。つまりいわゆる美男である。


「――俺はあんたたち二人を魔女の里まで連れて行けばいいんだな?」

「そのとおり」


 男のものよりも幾分高い声がそれに答えた。

 魔女の里といえば、晩餐会でご婦人方の噂話にも登場していた場所だ。姿を変える魔法が云々とかいう話だったはずだ。


「期限は六月(むつき)

「そうじゃ」

「期限内に送り届けることができれば、すでに受け取った前金に加えて、倍額の成功報酬」

「相違ない」

「互いに秘密は厳守」

「左様」

「で、あんたらは表向き何者かに誘拐されたことになってると」

「まさしく。城には身代金を要求する紙切れを残してきた。その身代金がそなたの成功報酬に宛てられる」


 テンポよく会話が続き、男は満足げにうなずいた。


「うっし、条件の確認は以上だ」


 そう言ってポンとひとつ手を叩いてから正面に座る二人の人物を交互に見つめ、男は微妙な表情をする。

 部屋には三人。

 男と、老齢の女と、もう一人。

 さきほどから男と会話をしているのは老齢の女ではなく、もう一人の方だ。


「何か言いたげな顔をしておるな」


 その「もう一人の方」から問われ、男は片方の眉毛を持ち上げた。


「あー……一個聞いていいか?」

「かまわぬ。申してみよ」


 その言葉に押されるように男が口を開いた。

 そして、言った。


「あんたそのフォルム、どうしちゃったの」


 途端に、老齢の女が椅子を弾き飛ばしながら立ち上がった。


「無礼者ぉっ」


 老齢の女の記念すべき第一声がこれである。細身の体をシンプルなワンピースで包み、ひっつめた髪の毛は大方白い。そして顔には幾筋もの深い皺が刻まれているが、動きの俊敏さはなかなかのもの。

 そんな女を宥めるように、「もう一人の方」が穏やかに言った。


「ばぁや、よい」

「しかしっ……」

「そう興奮しては体に毒じゃ。ほれ、座るがよい」


 倒れてしまった椅子を元に戻して老齢の女を座らせてから、「もう一人の方」はまっすぐに男を見つめた。


「どうしたのかと問われれば、答えは一つ」


 その低く押し殺したような声に、男はごくりと唾を呑んだ。



「太ったのじゃ」


 答えた人物は、なるほどたしかに丸々と太っていた。

 ふくよかな人を指して「丸い」と表現することもある。だが、この場合は違う。完全に球体なのだ。

 体をすっぽりと覆う長いローブを身に着けているが、あわれローブは胴回りが左右に引っ張られてパッツンパッツンで、ボタンが今にもはじけ飛びそうだ。

 球体はもう一度ゆっくりと繰り返した。


「太った。ただそれだけのことじゃ」

「なるほど」


 男が問いたかったのは「なぜ丸いのか」ではなく「なぜ太ったのか」という点だったに違いない。でも、あまりにも堂々とした答えに返す言葉が見つからなかったのだろう。男はとりあえずといった感じで頷いて見せた。


「それがどうかしたか」

「いや……だってな、悲愴な顔で頼まれたんだよ。あんたらを魔女の里に連れて行ってやってほしいって」

「そうであったか」

「だからまぁ、のっぴきならない事情でもあるんだと思ったわけだ」

「その通り。事情があってのことだ」

「まぁそりゃあ、事情っちゃあ事情なんだろうけどさ……」


 そう言って男は球体を見つめた。


「俺としては、人助けになるならと思って引き受けたんだよ」


 男が言うが早いか、老齢の女がフンと鼻を鳴らす。


「盗人が人助けなんて、ちゃんちゃらおかしいったら」


 さきほどの「無礼者ぉっ」という一声以降黙って男をじっとりと睨みつけていたところからしても、この老婆が男に対して抱いている印象は相当悪いのだろう。


「笑止千万、滑稽至極。へそで茶がわくってもんですよ」


 ハン、ともフン、ともつかない音を漏らしながら老婆は付け加え、男からプーイと視線を逸らした。


「オイこら、ばばぁ」


 言い返そうとした男を遮って、球体が声をかけた。


「これ。この者は『ばばぁ』ではない、『ばぁや』じゃ」

「おんなじだろ」

「同じではない。年嵩の者には敬意を払うようにと教わらなんだか。長く生きておるというだけで尊敬に値するのじゃ。自分より多くのことを経験しておるという何よりの証なのだからな」


 その言葉を受けた男はわざとらしくめんどくさそうな表情を作り、これ見よがしに耳をほじってみせた。


「おーおー、説教くせぇお姫さんだなぁオイ」


 その瞬間、老婆と球体が目を剥いた。

 そして部屋に沈黙が落ちる。木造二階建ての小さな宿は、部屋数も少なく、内装も薄汚れている。窓の外では叩きつけるような雨が降り、ガタガタと音を立てて風が吹き抜けてゆく。できるだけ遠くまで移動してから宿をとる予定が、この場所で安宿に泊まらなくてはならなくなったのは、そんな天気のせいだった。


「……いま……なんと?」


 長い長い沈黙の後、口を開いたのは球体だった。


「ん?」

「なぜ……我のことを」

「姫さんって呼んだかって? だって、そうだろ?」

「……どうしてわかったのじゃ」

「隠す気あったのか?」

「隠す……というほどではないが……」


 球体は青みがかった灰色の瞳を揺らした。


「簡単だよ。依頼に来たのが見るからに身分の高い人って感じだった。だからこっそり後を尾けたら城に入って行った」

「なんと。尾行を」

「まぁ、姿を見られずに仕事をするのが俺の本業だからな。尾行なんて朝飯前よ」

「そうであったか」

「お忍びで来たから顔は隠してたけど、あんなに綺麗な目をした人はそうそういない。それで、王城に出入りできる人間を片っ端から調べたら、王妃に行き当たった」

「なるほど。それで?」

「依頼人が王妃ってことは罠の可能性もあるからかなり警戒はしたが、最終的に問題はなさそうだと判断した。で、王妃が直々にあれほど必死に頼むってことは、よっぽどの人物が関わってるって考えるのが自然だ。王様はもうとっくに死んでるはずだから、それなら子だろうってな」

「ほほう」

「それに、あんたら王城の一番奥の部屋にいただろ。あんな部屋を使えるってことは王家に縁のある人間とみて間違いない。あの国じゃ王の子は成人まで公の場に姿を現さないって聞いたから、晩餐会にも出ずに部屋にこもってるってことは、お姫さんだろうなと。あとあんたさ、王妃にそっくりだし」


 事も無げに言って見せた男に、球体と老婆は顔を見合わせた。

 男はそんな二人の様子に気づく気配もなく、精悍な顔立ちに似合わない間の抜けた顔で大きな欠伸をし、目元に浮かんだ涙を手の甲で拭った。


「そっくり……じゃと?」

「そう、あー……フォルムはだいぶ違うけどな? 目元がそっくりだ」


 まばゆいばかりの美貌を持つ王妃と、その子である球体と。

 似ていないところを挙げた方が多いであろうその二人の共通点をいとも簡単に挙げながら、男は腕をぐんと持ち上げて伸びをした。そして言う。


「とにかく、はるばる魔女の里に出かけて行ってまで姿を変えたい理由がまさかのダイエットってのはちょっと想定外だった。まぁ、あんだがどんな理由で姿を変えたいと思おうが、あんたの勝手なんだけどさ」

「……それならばよいではないか」

「俺はもっと悲劇的なやつを想定してたんだよ」

「たとえばどんな」

「魔法でカエルやら野獣に変えられちまった王子さまとか、塔に幽閉されたか弱いお姫さまとか、キャベツ食ったらロバになったとか、兄貴を渡り鳥に変えられたとか、色々あるだろ」

「盗人のくせに、やけにメルヘンな嗜好をしておいでで」


 またフンと鼻を鳴らして、老婆が言う。


「おいコラば……」

「ばぁやじゃ」


 先手を打たれ、男は喉の奥で「ぐぬぅ」と音を立てた。こげ茶の髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜ、頬にかかった髪の隙間から球体を見据える。


「……しゃあないだろ。あっちこっち旅してると、その手の話をそこらで耳にするんだよ。アホな王様のせいで王子が鳥になっちまって、お姫さんがそれを助けるとかさ」


 いろんな土地の風習や文化を盛り込みつつも、おとぎ話というのは大抵どれも似たり寄ったりで、心根のよいキレイなお姫様と意地の悪い魔女とかっこいい王子様が出てくるものと相場が決まっている。動物に変えられた王子様やらお姫さまだって、最後には「ありのままを愛してくれた人」とやらと結ばれて元の姿に戻ることになる。戻るからいいが、そのままの姿だったら「子はどちらに似るのか」とか、「そもそも子はできるのか」とか、問題は山積みである。


「鳥に、のう」

「そう。で、あんたにも兄貴がいるだろ? だから、もしかしてその兄貴が鳥になっちまったのかな、とか思ったわけさ」


 球体と老婆はちらと視線を交わし、互いに頷き合った。


「……なるほど」

「どんなに探しても『最近王子を見た』って奴に行き当らなかったしな。鳥になってても不思議はねぇなと」

「鳥になってはおらぬ」

「そうか」

「そなたも言っておったとおり、我ら王族は幼少期のわずかな期間をのぞけば公に姿を現すことはない。だから、最近王子を見た者がおらぬのも仕方あるまい」


 小さな小さな国だから、外に話が漏れにくい。その上、山の神の加護を受けているという王族は何かとベールに包まれた不思議な存在だった。だから、光り輝くような王だとか、美貌の王妃とか、王子もまた息を呑むほどに美しいらしいとかいう話がまことしやかに囁かれるのである。

 王女の噂がとんと聞かれないのは、その容姿ゆえ噂するのが憚られたからか。光り輝く王に王妃に王子ときて、そこに当然のようにこのお姫さまを連ねるのは、たしかに少々無理がある。かと言って「ちょい輝き気味の」などという中途半端な噂をするのもわざとらしく、「ほの暗い」までいってしまえば立派な悪口だ。


「……それで? 我々の事情がメルヘンでなかったことが不満というわけか」

「いやまぁ俺としては金さえもらえりゃ文句はないけどな。破格の報酬だし」

「それなら問題なかろう」

「ただ、姿を変える必要、あんのかなと思ってさ」


 球体は再び目を剥き、老婆と顔を見合わせてからゆっくりと言った。


「そなた……目は?」

「この会話の流れで見えてないわけはねぇだろうよ」

「視界にその……歪みを来しておる可能性は?」

「ちゃんと見えてるっての。だからフォルムの話になったんだろうが」

「そうか」

「魔法なんかに頼ってまで痩せる必要、あるか? 飢えてギスギスよりなんぼかマシだろう」


 球体は老婆を見た。

 老婆も球体を見た。

 それから球体は男を見た。


「そなたは……」

「なんだ」

「いや」


 そう言ってから、球体は老婆に「婆や」と声を掛けた。


「なんでしょう」

「すまぬが、足首を」

「あれを……お見せになるのですか?」

「その方が、話が早かろう」

「盗人に、でございますか?」

「そうじゃ」


 球体の言葉に老婆は渋々といった表情で頷き、球体のローブの足元をそっとめくり上げた。

 球体の足首が露わになる。


「これを見よ」


 言われた男は眉根を寄せた。


「ここに蛇がおるのが見えるか」

「……………………………………すまん、見えない」

「これじゃ」

「どれだ」


 男はよく見ようと徐々に近寄って行く。


「ほれ、ここに蛇の頭があるであろう」

「ああ…………苦しそうに見えるのは、気のせいか」

「気のせいではない」

「えーっと、どれから聞けばいい? なんで足首に蛇を飼ってるんだっていうのと、何でこの蛇がこんなに苦しそうにしてるんだっていうのと、あんた足首に手が届かないのかっていうの」

「最後の質問の答えなど、言わずもがなであろう。腹が邪魔で手が届かぬし、自分の足首を見るのもひと苦労じゃ」

「靴、どうやって履くんだよ」

「足を入れる」

「なるほど」


 球体は足首をくいくいと動かした。


「足首に蛇を飼っておるのは、我ら王族の証なのじゃ」

「へぇ」

「成人のときに、この蛇が我らの体を這いのぼる」


 男はぶるっと体を震わせた。


「ちょい待ち。這いのぼるってなんだ」

「言葉の意味、そのままじゃ。それが我らの成人の儀式なのじゃ。この蛇は山の神からの加護の証でな。足首から頭までを這いのぼったのち、頭の上で王冠へと姿を変える」

「山の神すげぇな……」

「左様」

「で、そんな大切な蛇様がアップアップしてんのはなんでだ」

「これか。見たままよ。気の毒に、肉に埋もれてのう」


 足首からはたしかに蛇の頭の先と見えなくもないものが覗いているが、体のほとんどの部分は足首の中に埋没してしまっている。


「……山の神様の使いをそんな風に扱っていいのか……」

「よいわけがなかろう」

「だよな」

「おまけに、このままで果たして体を這いのぼることができるのかも疑問でのう。ゆえに、魔女の里へ行きたいと言っておるのじゃ。わかったであろう。そなたの言う『のっぴきならない事情』というものが」

「おう。よくわかった」


 男は球体の足元にしゃがみこんだまま、納得した様子で頷いた。


「お前、あと六月で楽になるから頑張れよ」

「触れぬ方がよいぞ。噛みついたら離さぬからな」

「えっ」

「加護、と言ったであろう。王の子へと害なすものはこの蛇が丸呑みにするのじゃ」

「山の神様すげぇな……」

「さきほども同じ言葉を聞いたように思うぞ」

「語彙が少ないのでございましょう。何せコソ泥でございますからね」

「ば」


 男の言葉を手で制し、球体は灰色の瞳を老婆に向けた。


「ばぁや、この者の職業は盗人だが、今は協力者じゃ。この者の力添えなくば、魔女の里までたどり着くことはできぬであろう。仲良くしてくれぬか」

「……努力は、してみます」

「頼む」


 灰色の瞳が満足げに輝いてからするりと男の方へと向き直る。


「のう、盗人よ。我からもひとつ尋ねてよいか」

「何だ」

「それはそなたの(まこと)の姿か」


 問われた男は眉を持ち上げた。


「どういう意味だ」

「そなたの噂はよう耳にするが、見た目に関する噂はどれも異なっておる。それほど慎重に真の姿を隠して生活していながら、我々にそれを容易に晒すとは思えぬ。しかし、変装にしては随分と自然に見えるのでな」

「なるほどね」

「それで?」

「どうだろうな。真の姿なんて自分でもよくわかんねぇし」



「それでは、女子(おなご)の姿に化けるのはそなたの趣味か」



 盗人はぎくり、肩を揺らした。

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