三日目 異世界滞在時間をアイスで延ばしてはいけません
マリは、コンビニのアイス売り場の前で真剣に考えていた。
昨日までとは違う。今日は目的がある。
「棒じゃなくて、カップなら……」
マリは冷凍ケースの中を見つめる。
昨日の苺ミルク味のアイスバーは、おしゃべりしているうちにあっという間になくなってしまった。食べても減る。食べなくても溶ける。しかも、全部なくなれば強制的に元の世界へ戻される。
だったら。
「大きいやつにすればいいんじゃない?」
我ながら名案だと思う。
マリは普通のものより少し大きめのカップアイスを手に取った。バニラとチョコレートが半分ずつ入っていて、蓋もある。棒アイスよりは溶けにくそうだ。
「これなら昨日より長くいられるはず」
満足してレジへ向かった。
外へ出ると、今日も蝉の大合唱だった。強い日差し。むっとする熱気。じりじりと焼かれるようなアスファルト。
「こっちの夏、少しくらい向こうに分けてあげたいな」
そんなことを呟きながら、カップアイスの蓋を開ける。一口だけ食べて、昨日と同じ角へ向かった。
もう緊張はほとんどなかった。
むしろ。
今日はいるかな。
そんなことを考えている自分に気づく。
角を曲がる。
景色が変わった。
石畳。白い壁の家々。そして、日本よりもずっと穏やかな空気。
「来た」
思わず笑う。
「今日も無事に来たね」
「わっ」
すぐ近くから声がして、マリは肩を跳ねさせた。
道沿いの低い石壁に寄りかかるようにして、エミールが立っている。
「びっくりした」
「ごめん」
「そこにいるなら言ってよ」
「今言ったよ」
「来る前に」
「それは難しいな」
エミールは少し笑ってから、マリの手を見る。すぐに眉が上がった。
「……今日は大きいね」
「気づいた?」
「さすがに分かるよ」
マリは得意げにカップを持ち上げる。
「これなら長くいられるかなって」
エミールが黙る。
「何?」
「……君」
「うん」
「異世界滞在時間をアイスの容量で伸ばそうとしてる?」
「駄目?」
「発想が力技だね」
「でも理屈には合ってるでしょ?」
「今のところはね」
「でしょ?」
マリは満足してアイスを一口食べた。
今日は急がない。ゆっくり。大事に。
エミールはそんなマリを眺めている。
「昨日、戻ってから何か変わったことはあった?」
「特にないよ。戻った場所も同じだったし、時間もほとんど経ってなかった」
「体調は?」
「普通」
「頭痛とか、目眩とかは?」
「ない」
「ならよかった」
さらりと言われ、マリはスプーンを止めた。
「心配してたの?」
「一応ね。世界を越えてるわけだから」
「そっか」
なんとなく嬉しい。
でも、それを言うのも少し変な気がして、マリはまたアイスを口へ運んだ。
「今日は何するの?」
「そうだな」
エミールは少し考えた。
「せっかく昨日より長くいられそうなら、町を見てみる?」
「いいの?」
「もちろん」
「行きたい!」
即答すると、エミールが笑った。
「じゃあ行こうか」
二人は並んで歩き始めた。
昨日までは町の入口に近い道で話していただけだった。こうして中へ入ってみると、思っていたよりずっと生活感のある場所だ。
石造りの家や小さな店が並び、軒先には野菜が置かれている。籠いっぱいのパンを運んでいる人もいれば、石畳の向こうを馬車がゆっくり通っていく。
「本当に異世界なんだ」
「三日目にして?」
「いや、分かってたけど」
「まだ疑ってた?」
「ちょっとだけ」
「慎重なのか大胆なのか分からないな」
マリは笑った。
通りを歩いていると、何人かがエミールに声をかけてきた。
「エミールさん」
店先にいた年配の女性が手招きをする。
「ちょうどよかった。裏の魔法灯がまた点かなくなったの」
「昨日直したところですか?」
「そうなのよ」
「じゃあ、あとで見ます」
「お願いね」
エミールが頷く。
少し歩くと、今度は籠を抱えた男性に呼び止められた。
「エミール、畑の東側を見てもらえるか?」
「何かありました?」
「昨日から土の魔力が弱いみたいでな」
「分かりました。夕方に寄ります」
「助かるよ」
さらに先では、子どもが駆け寄ってくる。
「エミール!」
「どうしたの?」
「これ!」
差し出されたのは、小さな木製の鳥だった。羽のところに淡い光が灯っている。
「動かなくなった!」
「見せて」
エミールはしゃがみ込み、木の鳥を受け取った。指先で底の部分に触れると、ほんのり青白い光が浮かぶ。
「わ」
マリが思わず声を上げた。
光が小さく流れたあと、木の鳥がぱたぱたと羽を動かす。
「直った!」
子どもが顔を輝かせた。
「今度は落とさないようにね」
「うん!」
子どもは嬉しそうに走っていった。
マリはその背中を見送ってから、エミールを見る。
「すごい」
「何が?」
「今の。魔法」
「簡単な魔法具だよ。接続が外れていただけ」
「私の世界だと十分すごいから」
「そう?」
「そう」
エミールは少し照れくさそうに笑った。
「町付きの魔術師って、本当にいろんなことするんだね」
「言っただろう? 小さな町だから」
「魔物を倒したりしないの?」
「必要ならするけど、この辺りでは滅多にないよ」
「じゃあ普段は?」
「魔法灯を直したり、畑の魔力を見たり。結界を点検したり、井戸や水路に使う魔法具を調整したり」
「便利屋さんみたい」
「否定はしないよ」
「薬草の相談とかも?」
「する」
「天気も?」
「季節や天候の魔力変化は記録してる」
「本当に何でもするんだ」
「だから王都の魔術師みたいに華やかではないけどね」
「私はこっちの方が好きかも」
何気なく言ってから、マリはエミールを見る。
彼もこちらを見た。
「そう?」
「だって、みんなエミールのこと頼りにしてるでしょ」
さっきから、町の人は当たり前のように彼へ声をかける。困ったことがあれば相談し、エミールも面倒そうな顔一つせず、それぞれに返事をしていた。
「毎日使うものを直してくれる人って、大事じゃない?」
エミールは一瞬だけ黙った。
それから、少し笑う。
「ありがとう」
「何が?」
「そう言ってもらえると、ちょっと嬉しい」
「エミールもそういうこと言うんだ」
「どういう意味?」
「もっと『仕事だから』って言うかと思った」
「仕事なのは事実だけど、褒められて嫌な気はしないよ」
「そっか」
「マリは僕を何だと思ってるの?」
「町付き魔術師」
「それは合ってる」
二人で笑った。
通りを抜けると、少し開けた場所に出た。小さな広場の真ん中には噴水があり、その周囲にベンチが置かれている。
「少し休む?」
「うん」
二人は木陰のベンチに座った。
マリはカップアイスを確認する。
「おお」
「どうしたの?」
「まだ半分以上ある」
「成功だね」
「でしょ?」
「嬉しそうだなあ」
「だって、いつも話の途中で急に帰ることになってたから」
言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。
それではまるで、エミールともっと話していたかったみたいだ。
いや。
実際、そうなのだけれど。
エミールは特に何も言わず、噴水へ視線を向けた。
「僕も、昨日は少し早いと思ったよ」
「え?」
「もう少し調べたいことがあったから」
「ああ。調査ね」
「……そういうことにしておく?」
昨日と同じ言い方に、マリは思わず笑った。
「何それ」
「君が言いそうだったから」
「先に言われた」
風が吹く。
昨日までより、少しだけ暖かい。
マリはふと顔を上げた。
「ねえ」
「うん?」
「こっち、今日ちょっと暖かくない?」
エミールも空を見上げる。
「やっぱりそう思う?」
「エミールも?」
「昨日から少し気温が上がってる」
「春の終わりだからじゃないの?」
「その可能性もあるけど」
エミールの顔が少しだけ真面目になる。
「魔力の流れも変わってるんだ」
「魔力?」
「まだ小さな変化だけどね」
マリが来るようになったことと関係があるのだろうか。
そんなことを考えたが、エミールはそれ以上何も言わなかった。
「昨日言ってた古い文献は?」
「少しだけ調べたよ」
「夏について何か分かった?」
「まだ何とも言えない。ただ、昔は今と季節の巡り方が違ったらしい」
「やっぱり夏があったのかな」
「その可能性はある」
「へえ……」
この世界にも昔は夏があった。
そう考えると、なんだか不思議だ。
マリはアイスを一口食べた。バニラの甘さが口に広がる。
「一口食べる?」
「今日はいいの?」
「たくさんあるから」
「容量を増やした意味がなくならない?」
「一口くらい平気」
「じゃあ遠慮なく」
マリはコンビニでもらった新しいスプーンを取り出した。
「はい」
チョコレートの方を少しすくって渡す。
エミールが受け取った。
「今日は茶色だね」
「チョコレート」
「それも初めて聞く」
「甘いよ」
エミールが口に入れる。
少しだけ目を見開いた。
「昨日より濃厚な味だね」
「でしょ?」
「こっちの方が好きかも」
「ほんと?」
その瞬間、マリはなぜか妙に嬉しくなった。
「じゃあ次、チョコ系にしようかな」
「次?」
「……あ」
口にしてから気づいた。
もう明日のアイスを考えている。
エミールも気づいたらしく、少し笑った。
「明日も来るつもりなんだ」
「駄目?」
「そんなこと言ってないよ」
「じゃあ来る」
「うん」
あっさり答えられる。
それが自然になりつつあることが、マリには少し嬉しかった。
その後、エミールは町の外れまで案内してくれた。家々が少なくなり、道の脇には畑や草地が増えていく。
「ここから先はあまり何もないよ」
「でも気持ちいい」
町中より風がよく通る。
マリは空を見上げた。
青い。
けれど、日本の夏空とは少し違う。薄く、柔らかな青だ。
「あれ?」
ふと、道の脇に色が見えた。
「どうしたの?」
「あそこ」
マリは草地へ近づいた。
緑の中に、一輪だけ花が咲いている。鮮やかな橙色。周囲の淡い色の花とはまるで違い、そこだけ光を集めたように強い色をしていた。
「きれい」
しゃがみ込む。
「これ、何ていう花?」
返事がない。
マリが振り返ると、エミールが花を見つめていた。
「エミール?」
「……知らない」
「え?」
「この辺りでは見たことがない」
町付きの魔術師で、薬草の相談も受けるエミールが知らない。
「珍しい花?」
「少なくとも、僕は初めて見る」
エミールもしゃがみ込む。
花には触れず、少し近づいて観察した。
「魔力がある」
「危ない?」
「いや。そういう感じじゃない」
エミールが眉を寄せる。
「ただ……妙に強い」
「強い?」
「生命力というか」
風が吹く。
橙色の花が揺れた。
その色を見て、マリは何となく思う。
「夏っぽい」
「またそれ?」
「だって、夏っぽいんだもん」
「便利な言葉だね、夏」
「そのうちエミールも分かるよ」
何気なく言う。
エミールは花を見たまま、少し笑った。
「そうかな」
「たぶん」
マリも笑った。
その時。
「あ」
手元を見る。
カップの中のアイスが、かなり柔らかくなっていた。
「結構溶けてる」
「長くはいられたけど、無限ではなさそうだね」
「そりゃそうか」
「次はもっと大きいものを持ってきたりしないでよ」
「……」
「今、考えた?」
「ちょっとだけ」
「マリ」
「冗談だって」
「本当に?」
「たぶん」
「その『たぶん』が怖いなあ」
最後のアイスを食べる。少し溶けたバニラとチョコレートが混ざっていた。
「じゃあ、また明日」
「うん」
エミールは一度、道端の花を見る。
「僕はこれを少し調べてみるよ」
「分かった。名前分かったら教えて」
「もちろん」
カップの底に残ったアイスが、最後の一滴になる。
ぽたり。
景色が揺れた。
石畳も、草原も、橙色の花も、エミールの姿も薄れていく。
「また明日、エミール」
「また明日、マリ」
次の瞬間。
じーじーじーじー。
いつもの蝉の声。
強い日差し。
マリは住宅街に立っていた。
空になったカップを手にしたまま、少しだけ考える。
今日見た、あの花。
昨日までなかったはずの、鮮やかな色。
「……夏っぽかったな」
呟いてから歩き出す。
明日のアイスは、何にしよう。
エミールはチョコレートが好きらしい。
そこまで考えて。
「……あれ?」
マリは足を止めた。
いつから私は、自分が食べたい味じゃなくて、エミールが好きそうな味を考えるようになったんだろう。
けれど答えは出ないまま。
じりじりと暑い夏の道を、マリは家へ向かって歩いていった。




