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アイスが溶けるまで、異世界  作者: 黒猫と珈琲


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3/8

三日目 異世界滞在時間をアイスで延ばしてはいけません

 マリは、コンビニのアイス売り場の前で真剣に考えていた。


 昨日までとは違う。今日は目的がある。


「棒じゃなくて、カップなら……」


 マリは冷凍ケースの中を見つめる。


 昨日の苺ミルク味のアイスバーは、おしゃべりしているうちにあっという間になくなってしまった。食べても減る。食べなくても溶ける。しかも、全部なくなれば強制的に元の世界へ戻される。


 だったら。


「大きいやつにすればいいんじゃない?」


 我ながら名案だと思う。


 マリは普通のものより少し大きめのカップアイスを手に取った。バニラとチョコレートが半分ずつ入っていて、蓋もある。棒アイスよりは溶けにくそうだ。


「これなら昨日より長くいられるはず」


 満足してレジへ向かった。


 外へ出ると、今日も蝉の大合唱だった。強い日差し。むっとする熱気。じりじりと焼かれるようなアスファルト。


「こっちの夏、少しくらい向こうに分けてあげたいな」


 そんなことを呟きながら、カップアイスの蓋を開ける。一口だけ食べて、昨日と同じ角へ向かった。


 もう緊張はほとんどなかった。


 むしろ。


 今日はいるかな。


 そんなことを考えている自分に気づく。


 角を曲がる。


 景色が変わった。


 石畳。白い壁の家々。そして、日本よりもずっと穏やかな空気。


「来た」


 思わず笑う。


「今日も無事に来たね」


「わっ」


 すぐ近くから声がして、マリは肩を跳ねさせた。


 道沿いの低い石壁に寄りかかるようにして、エミールが立っている。


「びっくりした」

「ごめん」

「そこにいるなら言ってよ」

「今言ったよ」

「来る前に」

「それは難しいな」


 エミールは少し笑ってから、マリの手を見る。すぐに眉が上がった。


「……今日は大きいね」

「気づいた?」

「さすがに分かるよ」


 マリは得意げにカップを持ち上げる。


「これなら長くいられるかなって」


 エミールが黙る。


「何?」

「……君」

「うん」

「異世界滞在時間をアイスの容量で伸ばそうとしてる?」

「駄目?」

「発想が力技だね」

「でも理屈には合ってるでしょ?」

「今のところはね」

「でしょ?」


 マリは満足してアイスを一口食べた。


 今日は急がない。ゆっくり。大事に。


 エミールはそんなマリを眺めている。


「昨日、戻ってから何か変わったことはあった?」

「特にないよ。戻った場所も同じだったし、時間もほとんど経ってなかった」

「体調は?」

「普通」

「頭痛とか、目眩とかは?」

「ない」

「ならよかった」


 さらりと言われ、マリはスプーンを止めた。


「心配してたの?」

「一応ね。世界を越えてるわけだから」

「そっか」


 なんとなく嬉しい。


 でも、それを言うのも少し変な気がして、マリはまたアイスを口へ運んだ。


「今日は何するの?」

「そうだな」


 エミールは少し考えた。


「せっかく昨日より長くいられそうなら、町を見てみる?」

「いいの?」

「もちろん」

「行きたい!」


 即答すると、エミールが笑った。


「じゃあ行こうか」


 二人は並んで歩き始めた。


 昨日までは町の入口に近い道で話していただけだった。こうして中へ入ってみると、思っていたよりずっと生活感のある場所だ。


 石造りの家や小さな店が並び、軒先には野菜が置かれている。籠いっぱいのパンを運んでいる人もいれば、石畳の向こうを馬車がゆっくり通っていく。


「本当に異世界なんだ」

「三日目にして?」

「いや、分かってたけど」

「まだ疑ってた?」

「ちょっとだけ」

「慎重なのか大胆なのか分からないな」


 マリは笑った。


 通りを歩いていると、何人かがエミールに声をかけてきた。


「エミールさん」


 店先にいた年配の女性が手招きをする。


「ちょうどよかった。裏の魔法灯がまた点かなくなったの」

「昨日直したところですか?」

「そうなのよ」

「じゃあ、あとで見ます」

「お願いね」


 エミールが頷く。


 少し歩くと、今度は籠を抱えた男性に呼び止められた。


「エミール、畑の東側を見てもらえるか?」

「何かありました?」

「昨日から土の魔力が弱いみたいでな」

「分かりました。夕方に寄ります」

「助かるよ」


 さらに先では、子どもが駆け寄ってくる。


「エミール!」

「どうしたの?」

「これ!」


 差し出されたのは、小さな木製の鳥だった。羽のところに淡い光が灯っている。


「動かなくなった!」

「見せて」


 エミールはしゃがみ込み、木の鳥を受け取った。指先で底の部分に触れると、ほんのり青白い光が浮かぶ。


「わ」


 マリが思わず声を上げた。


 光が小さく流れたあと、木の鳥がぱたぱたと羽を動かす。


「直った!」


 子どもが顔を輝かせた。


「今度は落とさないようにね」

「うん!」


 子どもは嬉しそうに走っていった。


 マリはその背中を見送ってから、エミールを見る。


「すごい」

「何が?」

「今の。魔法」

「簡単な魔法具だよ。接続が外れていただけ」

「私の世界だと十分すごいから」

「そう?」

「そう」


 エミールは少し照れくさそうに笑った。


「町付きの魔術師って、本当にいろんなことするんだね」

「言っただろう? 小さな町だから」

「魔物を倒したりしないの?」

「必要ならするけど、この辺りでは滅多にないよ」

「じゃあ普段は?」

「魔法灯を直したり、畑の魔力を見たり。結界を点検したり、井戸や水路に使う魔法具を調整したり」

「便利屋さんみたい」

「否定はしないよ」

「薬草の相談とかも?」

「する」

「天気も?」

「季節や天候の魔力変化は記録してる」

「本当に何でもするんだ」

「だから王都の魔術師みたいに華やかではないけどね」

「私はこっちの方が好きかも」


 何気なく言ってから、マリはエミールを見る。


 彼もこちらを見た。


「そう?」

「だって、みんなエミールのこと頼りにしてるでしょ」


 さっきから、町の人は当たり前のように彼へ声をかける。困ったことがあれば相談し、エミールも面倒そうな顔一つせず、それぞれに返事をしていた。


「毎日使うものを直してくれる人って、大事じゃない?」


 エミールは一瞬だけ黙った。


 それから、少し笑う。


「ありがとう」

「何が?」

「そう言ってもらえると、ちょっと嬉しい」

「エミールもそういうこと言うんだ」

「どういう意味?」

「もっと『仕事だから』って言うかと思った」

「仕事なのは事実だけど、褒められて嫌な気はしないよ」

「そっか」

「マリは僕を何だと思ってるの?」

「町付き魔術師」

「それは合ってる」


 二人で笑った。


 通りを抜けると、少し開けた場所に出た。小さな広場の真ん中には噴水があり、その周囲にベンチが置かれている。


「少し休む?」

「うん」


 二人は木陰のベンチに座った。


 マリはカップアイスを確認する。


「おお」

「どうしたの?」

「まだ半分以上ある」

「成功だね」

「でしょ?」

「嬉しそうだなあ」

「だって、いつも話の途中で急に帰ることになってたから」


 言ってから、少しだけ恥ずかしくなる。


 それではまるで、エミールともっと話していたかったみたいだ。


 いや。


 実際、そうなのだけれど。


 エミールは特に何も言わず、噴水へ視線を向けた。


「僕も、昨日は少し早いと思ったよ」

「え?」

「もう少し調べたいことがあったから」

「ああ。調査ね」

「……そういうことにしておく?」


 昨日と同じ言い方に、マリは思わず笑った。


「何それ」

「君が言いそうだったから」

「先に言われた」


 風が吹く。


 昨日までより、少しだけ暖かい。


 マリはふと顔を上げた。


「ねえ」

「うん?」

「こっち、今日ちょっと暖かくない?」


 エミールも空を見上げる。


「やっぱりそう思う?」

「エミールも?」

「昨日から少し気温が上がってる」

「春の終わりだからじゃないの?」

「その可能性もあるけど」


 エミールの顔が少しだけ真面目になる。


「魔力の流れも変わってるんだ」

「魔力?」

「まだ小さな変化だけどね」


 マリが来るようになったことと関係があるのだろうか。


 そんなことを考えたが、エミールはそれ以上何も言わなかった。


「昨日言ってた古い文献は?」

「少しだけ調べたよ」

「夏について何か分かった?」

「まだ何とも言えない。ただ、昔は今と季節の巡り方が違ったらしい」

「やっぱり夏があったのかな」

「その可能性はある」

「へえ……」


 この世界にも昔は夏があった。


 そう考えると、なんだか不思議だ。


 マリはアイスを一口食べた。バニラの甘さが口に広がる。


「一口食べる?」

「今日はいいの?」

「たくさんあるから」

「容量を増やした意味がなくならない?」

「一口くらい平気」

「じゃあ遠慮なく」


 マリはコンビニでもらった新しいスプーンを取り出した。


「はい」


 チョコレートの方を少しすくって渡す。


 エミールが受け取った。


「今日は茶色だね」

「チョコレート」

「それも初めて聞く」

「甘いよ」


 エミールが口に入れる。


 少しだけ目を見開いた。


「昨日より濃厚な味だね」

「でしょ?」

「こっちの方が好きかも」

「ほんと?」


 その瞬間、マリはなぜか妙に嬉しくなった。


「じゃあ次、チョコ系にしようかな」

「次?」

「……あ」


 口にしてから気づいた。


 もう明日のアイスを考えている。


 エミールも気づいたらしく、少し笑った。


「明日も来るつもりなんだ」

「駄目?」

「そんなこと言ってないよ」

「じゃあ来る」

「うん」


 あっさり答えられる。


 それが自然になりつつあることが、マリには少し嬉しかった。


 その後、エミールは町の外れまで案内してくれた。家々が少なくなり、道の脇には畑や草地が増えていく。


「ここから先はあまり何もないよ」

「でも気持ちいい」


 町中より風がよく通る。


 マリは空を見上げた。


 青い。


 けれど、日本の夏空とは少し違う。薄く、柔らかな青だ。


「あれ?」


 ふと、道の脇に色が見えた。


「どうしたの?」

「あそこ」


 マリは草地へ近づいた。


 緑の中に、一輪だけ花が咲いている。鮮やかな橙色。周囲の淡い色の花とはまるで違い、そこだけ光を集めたように強い色をしていた。


「きれい」


 しゃがみ込む。


「これ、何ていう花?」


 返事がない。


 マリが振り返ると、エミールが花を見つめていた。


「エミール?」

「……知らない」

「え?」

「この辺りでは見たことがない」


 町付きの魔術師で、薬草の相談も受けるエミールが知らない。


「珍しい花?」

「少なくとも、僕は初めて見る」


 エミールもしゃがみ込む。


 花には触れず、少し近づいて観察した。


「魔力がある」

「危ない?」

「いや。そういう感じじゃない」


 エミールが眉を寄せる。


「ただ……妙に強い」

「強い?」

「生命力というか」


 風が吹く。


 橙色の花が揺れた。


 その色を見て、マリは何となく思う。


「夏っぽい」

「またそれ?」

「だって、夏っぽいんだもん」

「便利な言葉だね、夏」

「そのうちエミールも分かるよ」


 何気なく言う。


 エミールは花を見たまま、少し笑った。


「そうかな」

「たぶん」


 マリも笑った。


 その時。


「あ」


 手元を見る。


 カップの中のアイスが、かなり柔らかくなっていた。


「結構溶けてる」

「長くはいられたけど、無限ではなさそうだね」

「そりゃそうか」

「次はもっと大きいものを持ってきたりしないでよ」

「……」

「今、考えた?」

「ちょっとだけ」

「マリ」

「冗談だって」

「本当に?」

「たぶん」

「その『たぶん』が怖いなあ」


 最後のアイスを食べる。少し溶けたバニラとチョコレートが混ざっていた。


「じゃあ、また明日」

「うん」


 エミールは一度、道端の花を見る。


「僕はこれを少し調べてみるよ」

「分かった。名前分かったら教えて」

「もちろん」


 カップの底に残ったアイスが、最後の一滴になる。


 ぽたり。


 景色が揺れた。


 石畳も、草原も、橙色の花も、エミールの姿も薄れていく。


「また明日、エミール」

「また明日、マリ」


 次の瞬間。


 じーじーじーじー。


 いつもの蝉の声。


 強い日差し。


 マリは住宅街に立っていた。


 空になったカップを手にしたまま、少しだけ考える。


 今日見た、あの花。


 昨日までなかったはずの、鮮やかな色。


「……夏っぽかったな」


 呟いてから歩き出す。


 明日のアイスは、何にしよう。


 エミールはチョコレートが好きらしい。


 そこまで考えて。


「……あれ?」


 マリは足を止めた。


 いつから私は、自分が食べたい味じゃなくて、エミールが好きそうな味を考えるようになったんだろう。


 けれど答えは出ないまま。


 じりじりと暑い夏の道を、マリは家へ向かって歩いていった。


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