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アイスが溶けるまで、異世界  作者: 黒猫と珈琲


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2/8

二日目 今日もアイスを持ってきました

 翌日。


 マリは、昨日と同じコンビニのアイス売り場の前に立っていた。


「……どれにしよう」


 昨日のことが夢だった可能性は、まだ捨てきれていない。家に帰ってから何度考えても、あまりにも現実離れしていた。


 アイスを食べながら角を曲がったら異世界。そこで魔術師に会って、アイスが溶けたら元の世界へ戻ってきた。


 そんな話を誰かから聞いたら、たぶん最初に熱中症を疑う。


 けれど。


「夢にしては、エミールの顔まではっきり覚えてるんだよね」


 あの涼しい空気も、石畳も、見知らぬ町も、青緑色の瞳も。夢だったと言い切るには、妙に鮮明だった。


 だから、確かめることにした。


 昨日と同じ時間。昨日と同じコンビニ。


 そして、アイス。


「ソーダ味だと昨日と同じだし……」


 少し迷って、苺ミルク味のアイスバーを手に取る。白と淡い桃色の二層になっているものだ。


「これでいいかな」


 誰に確認するでもなく呟いて、レジへ向かった。


 コンビニを出ると、今日も暑い。じーじーと蝉が鳴き、日差しは容赦なくアスファルトを照らしている。


「昨日より暑くない?」


 そんな気さえする。


 マリは昨日と同じようにその場でアイスの袋を開け、冷たい苺ミルク味を一口齧った。


「おいしい」


 やっぱり、暑い日のアイスは最高だ。


 ――と、そこで思う。


「でも、全部食べたら駄目なんだよね」


 昨日の仮説が正しければ、アイスが溶けきった瞬間にこちらへ戻ってくる。つまり、異世界にいる間はなるべくゆっくり食べた方がいい。


 マリはアイスを見つめた。


「……ゆっくり食べるって、難しいな」


 何しろ暑い。食べなくても勝手に溶ける。


 それでも昨日より慎重に歩きながら、例の角へ向かった。


 近づくにつれて、少し緊張してくる。


 本当にまた行けるだろうか。もし何も起きなかったら、昨日のことはやっぱり夢だったのかもしれない。


「まあ、その時は普通に帰ればいいか」


 苺ミルク味のアイスを一口齧る。


 角を曲がる。


 そして。


「……あ」


 アスファルトが消れた。


 代わりに現れたのは石畳。白や薄茶色の壁をした家々。そして、少し涼しい風。


 昨日と同じ町だった。


「来た……」


 本当に。


 胸の奥が、少しだけ弾んだ。


 その時。


「本当に来た」


 聞き覚えのある声がした。


 マリが顔を上げる。


 道の少し先に、エミールが立っていた。


 昨日と同じ淡い金茶色の髪。今日は生成り色のシャツに、薄い茶色の上着を羽織っている。


「エミール」


 思わず笑う。


 エミールもこちらへ歩いてきた。


「こんにちは、マリ」

「こんにちは」

「昨日、突然消えたから驚いたよ」

「あれ、私も驚いた」

「だろうね」


 エミールの視線が、すぐにマリの手へ落ちる。


「今日は違うね」

「何が?」

「それ」


 アイスだった。


「分かるんだ」

「昨日は青かったから」

「今日は苺ミルク」

「イチゴミルク」

「苺って分かる?」

「苺は分かるよ」

「あ、苺はあるんだ」


 マリは少し笑って、それからエミールを見た。


「待ってた?」

「調査のためにね」


 即答だった。


「ふーん」

「何?」

「別に」

「その顔は何か言いたそうだね」

「昨日一回会っただけなのに、本当に同じ場所で待ってるんだなって」

「君がまた来る可能性はあったから」

「調査のために?」

「そう」

「ふーん」

「だから、その反応は何?」


 マリは笑った。エミールも、少し困ったように息を吐く。


「それより、昨日はどこへ戻ったの?」

「家の近く。こっちに来る前に歩いてた道」

「時間は?」

「たぶん、ほとんど経ってなかったと思う」

「なるほど」


 エミールは少し考え込む。昨日よりも、魔術師らしい顔だ。


「消える直前、何か変わったことは?」

「アイスがなくなった」

「それだけ?」

「たぶん」

「昨日持っていた青いものが全部なくなった瞬間に?」

「うん」


 エミールはマリの手のアイスを見る。


「じゃあ、それが関係している可能性は高そうだね」

「私もそう思った。だから今日も買ってきたの」

「ずいぶん行動が早いね」

「気になるでしょ?」

「普通はもう少し怖がるものじゃない?」

「昨日、何もされなかったし」

「それだけで安心していいのかな」

「エミールいるし」


 何気なく言った。


 エミールが一瞬だけ黙る。


「……昨日会ったばかりの人を、そんなに信用していいの?」

「だって町の魔術師なんでしょ?」

「そうだけど」

「それに、悪い人っぽくない」

「判断が早いなあ」

「違う?」

「自分で悪い人だとは言わないよ」

「ほら」

「何が『ほら』なのか分からない」


 そんなやり取りをしながら、二人は道の端へ寄った。


 マリはふと、手にしているアイスを見る。表面が少し柔らかくなっている。


「……食べる?」


 エミールを見る。


「僕が?」

「うん」

「いいの?」

「昨日から気になってたでしょ」

「そんなに顔に出てた?」

「かなり」

「それはちょっと恥ずかしいな」


 エミールは苦笑した。


 マリはアイスを見つめる。棒アイスをどう分ければいいだろう。


「一口なら、この辺から齧る?」

「君が食べかけだけど」

「嫌ならやめる」

「嫌とは言ってないよ」


 エミールが少し迷ったあと、身をかがめた。


「じゃあ、一口だけ」

「どうぞ」


 マリが差し出す。エミールが端を少し齧った。


 しゃり、と小さな音がする。


「……冷たい」

「うん」

「すごく冷たい」

「アイスだからね」

「それは昨日聞いた」


 エミールは口の中の冷たさを確かめるように、ゆっくり飲み込んだ。


「甘い」

「苺ミルクだから」

「冷たくて、甘くて、柔らかいのに少ししゃりっとする」

「感想が細かい」

「初めて食べるからね」


 エミールはもう一度アイスを見る。


「不思議だね」

「おいしい?」

「うん」


 素直な返事だった。


 マリはなぜか少し嬉しくなる。


「よかった」

「君が作ったわけじゃないよね?」

「そうだけど」

「どうして嬉しそうなの?」

「勧めたものがおいしいって言われたら嬉しいでしょ」

「そういうものか」

「そういうもの」


 マリも一口齧る。


 昨日より、ほんの少し日差しが明るい気がした。けれど、日本の夏ほどではない。風はまだ涼しい。


「そういえば」


 マリは辺りを見回した。


「こっちって、今何月なの?」

「何月?」

「季節は?」

「今なら春の終わりくらいかな」

「春?」

「うん」

「じゃあ、もうすぐ夏が来る?」


 エミールが首を傾げる。


「夏?」


 マリも首を傾げた。


「……夏」

「それは何?」

「え?」


 今度はマリが止まる番だった。


「夏、知らないの?」

「聞いたことがない」

「嘘でしょ」

「嘘をつく理由がないよ」


 エミールは本当に分からない顔をしている。


 マリは辺りを見回した。そういえば昨日から、妙に涼しいと思っていた。


 蝉もいない。入道雲もない。真夏らしい強い日差しもない。


「じゃあ、このあと暑くならないの?」

「多少暖かくなることはあるけど、今より極端に暑くなることはないかな。そのあとは秋になる」

「春の次が秋?」

「そうだよ」

「冬の次は?」

「春」

「夏がない……」

「だから、その夏というのは何?」


 マリは考えた。


 夏。


 説明しろと言われると、意外と難しい。


「暑い季節」

「暑い?」

「すごく暑い」

「どのくらい?」

「外に出た瞬間、帰りたくなるくらい」

「それは嫌だね」

「嫌だけど、夏なの」

「すでによく分からない」

「あと、海」

「海ならあるよ」

「夏になると海へ行くの」

「今でも行けると思うけど」

「そうなんだけど、夏の海は違うの」


 エミールの眉が少し上がる。


「どう違うの?」

「……夏っぽい」

「説明になってないね」

「じゃあスイカ」

「それは?」

「大きくて丸くて、外が緑で、中が赤くて、甘い果物」

「へえ」

「冷やして食べるとおいしい」

「それは少し興味ある」

「花火もある」

「花火?」

「夜に空で、どーんって光るの」

「魔法?」

「魔法じゃない」

「魔法じゃないのに空で光る?」

「そう」

「危なくない?」

「ちゃんとやれば大丈夫」

「君の世界、思ったより大胆だね」

「あと夕立」

「雨?」

「急にすごい雨が降るの。さっきまで晴れてたのに」

「それは困らない?」

「困る」

「夏のいいところを説明してるんじゃないの?」

「そうだった」


 エミールが笑う。マリもつられて笑った。


「じゃあ、蝉」

「それは?」

「虫」

「どんな?」

「すごくうるさい虫」

「…………」

「何その顔」

「そんなものが、なぜ夏の思い出になるの?」

「うるさいけど、夏だから」

「君の夏の説明、時々すごく曖昧だね」

「しょうがないでしょ。ずっと普通にあるものだったんだから」


 そう言ってから、マリは少しだけ考えた。


 夏は、毎年来るものだった。暑くて、汗をかいて、蝉がうるさくて、早く涼しくなればいいのにと思う。


 なくなることなんて、考えたこともなかった。


「でも、ないのは変な感じ」

「僕からすると、ある方が変な感じだけどね」

「そっか」

「うん」


 二人の常識が、まるで違う。


 それが少し面白かった。


 エミールはふと空を見上げた。


「ただ」

「何?」

「昔の記録で、今とは違う季節があったような記述を見たことはある」

「夏?」

「名前までは覚えてない。古い文献だから、今度調べてみるよ」

「ほんと?」

「町の季節や天候を記録するのも僕の仕事だからね」

「町の魔術師って何でもするんだね」

「小さな町だから」

「大変そう」

「慣れてるよ」


 穏やかに言う。


 その横顔を見ながら、マリは昨日より少しだけエミールのことを知った気がした。


 魔術師で、異世界の人。


 それだけではなく、ちゃんとこの町で働いて、暮らしている人なのだ。


「あ」


 その時、エミールが言った。


「マリ」

「何?」

「また小さくなってる」

「え?」


 見る。


 苺ミルク味のアイスは、もう三分の一ほどしか残っていなかった。


「うそ、早くない?」

「話してたからじゃない?」

「もっとゆっくり食べるつもりだったのに」

「食べなくても溶けるんだろう?」

「そうなんだよね」

「やっぱり不便な食べ物だ」

「でもおいしかったでしょ」

「それは認める」


 エミールが笑う。マリも笑った。


 けれど、昨日のことを思い出すと、少しだけ惜しくなる。


 これがなくなったら帰る。


「ねえ」

「うん?」


「明日も来てもいい?」


 聞いてから、自分でも少し驚いた。


 まだ二日目なのに。


 けれど、エミールはすぐに答えた。


「もちろん」


「調査のため?」


 昨日の仕返しのつもりで聞く。


 エミールは一瞬だけ黙った。


「……まあ、それもあるね」

「それも?」

「原因が分からないままなのは困るから」

「ふーん」

「またその顔」

「何でもない」


 少しだけ笑って、残ったアイスを齧る。


 甘い苺の味。冷たいミルクの味。


 そして最後に、棒の根元へ残った雫。


「あ」

「そろそろ?」

「たぶん」


 エミールが少しだけ真面目な顔になる。


「戻ったら、何か変わったことがないか確認してみて」

「分かった」

「それと――」

「うん?」


「明日も同じ時間?」


 マリは目を瞬いた。


 それから笑う。


「たぶん」

「じゃあ、その頃にこの辺りにいるよ」

「調査のために?」

「……そういうことにしておいて」


 ぽたり。


 最後の雫が落ちた。


 景色が揺れる。


「また明日、エミール」

「うん。また明日、マリ」


 次の瞬間。


 じーじーじーじー。


 蝉の声が戻ってきた。


 熱気。アスファルト。見慣れた住宅街。


 マリは手の中の棒を見つめる。昨日と同じ。本当に、アイスがなくなると帰ってくる。


「……やっぱり夢じゃないんだ」


 そして。


 明日も、エミールが待っている。


 そう思ったら、家へ向かう足取りが少し軽くなった。


「次は何味にしようかな」


 家に着くより先に、もう明日のアイスを考えていた。


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