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幽霊さん。今日もお話聞かせてください  作者: 栗須帳(くりす・とばり)
第8章 生きる意味、死の意味

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089 メメント・モリ

 


 千花(ちか)の夫が天井を見つめ、彼女との最後のやり取りを語った。


「あの日の夜、確か0時ぐらいだったと思います。突然布団をはがして、妻が叫んだんです。『ぬおおおおっ!』って」


 千花さん、家でもそんな感じだったんだ。そう思い、夕子が微笑む。


「私が『どうした! 何があった!』って聞くと、『スマホ、スマホだよ! ロッカーに忘れてたよ!』ってまた叫んだんです。

 こんな時間だし、もう明日でいいじゃないかと言ったんですが、妻は今すぐ取ってくる、そう言って着替えだしたんです。

 こんな時間に寒い中、一人で夜道を走っていく。私は心配になり、もう一度明日にしろよと説得したんです。でもその時、妻が言ったんです。『時間もちょうどいいし、夕子ちゃんと少し話してくるよ』って」


「……」


 千花さんは自分と話す為、あんな時間に施設に来たんだ。

 スマホの話を聞いて、こんな時間まで気づかない程度だったんだから、出勤してから回収でもいいじゃない、そう思っていた。しかしそうではなかったんだ。

 スマホはあくまで口実で、自分と話す為に来てくれたんだ。そう思い、胸が熱くなるのを感じた。


「で、自転車にまたがって敬礼して、『それではちょっくら行ってきます! お父さん、後のことはよろしく!』そう言って施設に向かったんです」




 ……え? 自転車?




 夕子が違和感を覚えた。


 あの時千花さんは、自転車で来るつもりだったのに、気がつけば全速力で走っていたと言っていた。そう聞いて、本当におっちょこちょいな人だなと思っていた。

 でも今、旦那さんは言った。自転車にまたがり、走っていったと。

 どういうこと?


 そして次の言葉に、夕子はますます混乱した。


「で、向かっている途中で車にはねられて。本当、最後まで暴走女子でしたよ、彼女は」


 そう言って乾いた笑い声をあげた。


「……す、すいません、その……千花さんが事故にあわれたのって、何時頃だったんですか」


「警察の話だと、0時20分ぐらいだったそうですよ。結局スマホも回収できず、さぞかし心残りだったと思います。でもまあ、そういうところも彼女らしい、そんな風に思ってます」




 その言葉に。

 夕子の中にあった違和感が、全て一本の線でつながった気がした。




 千花さんは確かに、スマホをゲットできたと言っていた。しかし朝、施設長が合鍵でロッカーを開けると、中にスマホが入っていた。

 千花さんが施設に着いたのは1時、自分の休憩時間の時だった。顔色は悪く、いつもと違う雰囲気だった。しかし、ここまで全力疾走したからだね、そう言った彼女の言葉を疑うことなく受け入れていた。

 でも違っていたんだ。

 どうしてこんな単純なこと、気づかなかったんだろう。


 私は生者と死者の境界線上で生きる、特異な存在。

 どちらの存在も認識できる。

 そして死者には死者独特の雰囲気があり、生者と見間違えることなど決してないのだ。

 あの時千花さんに対して感じた違和感。それは、千花さんがすでに死者だったからなのだ。

 でも、まさか彼女が死者な訳がないとの先入観が、自分の認識を捻じ曲げていたんだ。

 そして。

 彼女が施設を去ってすぐ、窓の外が光ったこと。

 その意味を理解した瞬間、頬に涙が伝った。


「……朝霧さん? 大丈夫ですか?」


 夕子の様子に、千花の夫が声をかける。


「は、はい、大丈夫です……千花さんには本当、最後までお世話になりっぱなしで……私は本当にめぐまれていたと思います。こんな立派な先輩に愛されて、本当に幸せでした……」


「ありがとうございます。今の言葉を聞いて、千花も喜んでいると思います」





 帰り道。

 何があったのかを國澤に説明した。


 千花は施設に向かう道中で事故にあい、絶命した。

 しかし彼女には後悔があった。

 この世界にとどまりたいと思う未練があった。

 彼女の魂は幽霊となり、施設へと向かった。


 彼女の未練。

 それは夕子に、あの言葉を伝えることだった。


「くよくよすんな」


 そのひと言の為だけに、彼女は戻ってきたのだ。

 そして。

 私にその言葉を伝えて。

 彼女は成仏したんだ。

 生者の手を借りることもなく、自分一人の力で全てを成し遂げたんだ。

 そう思うと、体の震えが止まらなかった。


 彼女は世界の摂理を嘲笑うように傍若無人に振舞い、そして嵐のように去っていったんだ。

 なんてすごい人だったんだろう。

 そして。

 そんな人が叶えたかった未練が、自分を励ますことだったんだと知って。

 涙が止まらなかった。

 今すぐ会って謝罪したい。

 どうしようもない後輩で、申し訳ありませんでしたと。

 今すぐ会ってお礼が言いたい。

 こんな私を見守ってくれて、ありがとうございましたと。

 でも、全てが遅すぎる。

 彼女は本懐を遂げ、輪廻の世界へと旅立っていったんだ。


 あの日、千花が最後に言った言葉を國澤に伝える。


「千花さん、私にこう言ったの。『人はなんで生きるんだと思う?』って」


「……」


「私もどう答えたらいいのか分からなくて、今の博幸くんみたいに固まったの。そうしたら千花さん、笑いながら言ったんだ。『よりよき死を迎える為なんだ』って」


「よりよき……死……」


「うん、そう。人、と言うか、この世界に生きるもの全て、例外なくいつか死を迎える。それはどれだけの財を持っていようとも、絶対的な権力を誇示していようとも。どんなイケメンにだって訪れる、究極の平等なんだ。そう笑って言ったの」


「確かにそうだな。どれだけ科学が発展しても、最終的に死ぬってのだけは克服できてないからな」


「じゃあなんで、人は生きるの? どれだけ頑張ったところで、いつか必ず死ぬって分かってるのに。それなのに、どうして歯を食いしばって生きてるの? そう聞かれてね、分からないって思ったの。

 でもね、千花さんは違った。それはよりよき死を迎えたいって、魂に刻まれてるからなんだって」


「……」


「勿論そうは言っても、誰もがいい最後を迎えられる訳じゃない。ある日突然通り魔に殺される、みたいな理不尽だって存在する。事故だってあるし、不治の病に侵されることだってある。でもね、だから頑張っても無駄、そう諦めて好き勝手に生きるのも違うと思う。そういうことも確かにある。でもそうだとしても、私たちはよりよき死を迎えることを願い、頑張って日々を生きるべきなんだって」


 現にその話をしていた時の千花さんは、事故で短い生涯を終えていた。夫と幼い子供を残し、さぞ無念だったと思う。

 そんな千花さんの言葉だからこそ、魂に響くと思った。


「メメント・モリだな」


 煙草をくわえ、國澤がつぶやいた。


「メメント・モリ?」


「ああ。ラテン語で、死を忘れるなって意味らしい」


「……」


「濱口さんの言う通り、俺たちの人生には必ず死という結末が待っている。それだけは、どれだけ努力しても(あらが)えない運命だ」


「そう……だよね」


「でも慌ただしい日々の中で、そのことをつい忘れてしまう。自分だけは死なない、みたいな根拠のない自信を持ってるやつだっている」


「確かに……そうだよね。ニュースで誰かが亡くなったって聞いても、それがいつか自分にも来ることだとは思わないし」


「施設で働いている夕子ですらそうなんだ。ましてや夕子は、その死を経験した品沢さんたちとも交流してる。それなのにそういう話題になった時、どこか他人事みたいにとらえてる自分がいると思うんだ」


「そうだね……現に今、千花さんとお別れしたばかりなのに、それでも自分にはまだまだ先の話、そんな風に思ってるところがあると思う。ひょっとしたら近い将来、経験するかもしれないのに」


「だからこんな言葉が時代を越えて、ずっと残り続けているんだと思う。最後を迎えるその時、後悔しない為に」


「……」


 そう言われ。

 改めてあの夜、千花と話したことを思い返した。

 ひと言ひと言が全て、彼女の遺言だったんだ。

 私にはその全てを受け止め、これからの人生を歩む責任がある。

 彼女が命を懸けて伝えてくれた言霊(ことだま)を胸に、生きていく責務があるんだ。

 そう思い。涙を拭い。

 國澤を見つめ、微笑んだ。


「博幸くん、今までごめんね。時間がかかったけど、もう大丈夫だと思う。私、やっと前を向けるよ」


「よかったな、夕子。濱口さんのおかげだな」


「勿論、千花さんのおかげでもあるよ。でもね、それだけじゃない。品沢さんや奈緒ちゃん、百合子さん。そして博幸くんが支えてくれたから、私は今、こうして生きている。笑っているの」


「そうか」


「うん、そう。だからね、博幸くん。これからも私のこと、諦めないでいてくれる?」


「夕子は本当、面倒くさい女だからな」


「え?」


 一瞬、怒っているのかと思った。

 しかし國澤はすぐに微笑み、煙草をくわえて続けた。


「俺が告白した時、夕子が言った言葉だろ? 私、かなり面倒くさいよって」


「ああ、うん、確かにそう言った」


「本当、その通りだったよ。でも」


 夕子の頭を乱暴に撫でる。


「そんな夕子だからこそ、俺は好きになったんだ。そして、一生隣で見守っていきたいと思ったんだ」


 その言葉に頬を染め、微笑む。


「だから夕子。俺の方こそ、これからもよろしくな。こんな頼りない男だけど、もし次に何かあった時は、今回より力になれるよう頑張るよ」


「今のままでいいよ。と言うか、博幸くんは今のままがいい」


 そう言って笑った。


「それで? 夕子は今回の件、どう決着をつけたんだ?」


「決着って言うか、落としどころかな。もうしばらく、この仕事を続けてみようと思う。あの施設でね」


「そうか」


「今までより肩の力を抜いて、身の丈にあった頑張りでやっていきたい。そしてもし、いつか辞めようかなって思った時に、また悩みたいと思う。そしてその時は博幸くんと、一緒に結論を出したい」


「分かった。夕子がそう決めたのならそれでいい。俺はこれからもずっと、夕子を応援し続けるって決めてるからな」


 そう言って笑顔を向けた。


 その笑顔を見て。

 夕子も幸せそうに微笑んだ。




次回、最終話になります。

よろしくお願いいたしますm(_ _)m

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