090 語りあい、紡ぎあう
時は流れ。
季節は春になっていた。
「こんばんは、品沢さん」
いつものように休憩室のドアを開けると、そこには幽霊、品沢が笑顔で彼女を待っていた。
「こんばんは、お嬢ちゃん。今日も夜勤、お疲れ様」
「ありがとうございます。みなさんに支えられているおかげで、今日も元気にやらせてもらってます」
そう言ってコーヒーを差し出し、ポーチを手に微笑んだ。
「早速ですけどお煙草、付き合っていただけませんか」
その言葉に笑みを浮かべ、静かにうなずく。
「ありがとう。今夜もごちそうになるよ」
今夜は暖かく、喫煙所で煙草を吸うには最高の環境だった。
品沢が座るのを見届けると、夕子はポーチから小さな缶を取り出した。
「今日はどうか、こちらを楽しんでください」
差し出された紺色の丸い缶を見て、品沢がため息を吐いた。
「これは……」
それは品沢が生前愛用していた煙草、俗に言う缶ピースだった。
「お嬢ちゃん、どうしてこれを」
驚きの表情を浮かべ、品沢が夕子を見上げる。
「石川さんから聞いていたんです。品沢さんはこの煙草が好きだったって」
「……」
その言葉に、品沢が照れくさそうに頭を掻いた。
「まいったね……石川のやつ、成仏して随分経つというのに、こんなサプライズを残していたのか」
夕子が微笑み、缶ごと品沢の前に供える。
「品沢さん。どうぞお納めください」
品沢がゆっくりと缶を手にし、中から少し短めの煙草を取り出す。
火をつけると、辺りに独特の香りが漂った。
「ああ、これは……最高だ……」
目を潤ませ、品沢が白い息を吐く。
夕子はそんな品沢を見つめ、頑張って買ってきてよかった、そう思うのだった。
あの日、千花が事故にあった日。
千花と話し終えた夕子に、品沢はあえて何も告げなかった。
彼は分かっていた。今夕子と話していたのが死者だということを。
勿論男である品沢に、幽霊となった千花は認識できない。だが夕子の言葉から、彼女が話しているのが千花だと理解していた。
しかしそれを今、伝える必要はない。彼女は千花からの言霊を受け、自分の中で消化しようとしている最中なのだ。
余計な情報を入れて、彼女の選択を妨げてはいけない。そう思っての判断だった。
そして後日、そのことに気づいた夕子は品沢に頭を下げ、涙を流したのだった。
他の幽霊たちが、夕子を励ます為に集まっていたことも知っていた。
その時も、陰から様子を伺っていた。
なんて不器用なやつらなんだ。そう苦笑した。
でも思いは確かに伝わった、そう感じていた。
お嬢ちゃんにはこれからも、人ならざる能力がある故に、たくさんの苦難が降りかかってくるだろう。
その度に悩み、苦しみ。涙することだろう。
絶望することだって、あるかもしれない。
しかし彼女の周りには今、たくさんの仲間がいる。
出会った頃には想像もつかなかった光景が今、ここにはある。
そしてそれは、これまで彼女が歩んできた軌跡があればこそ、つかめたものなのだ。
死者に慈愛の心を向け、その存在を受け入れて。
誰に対しても偏見の心を持たず、正面から向き合っていく。
だからこそ彼女は國澤や千花、和江といったかけがえのない友人と出会い、絆を深めてきたのだ。
今でも自分の考えは変わっていない。
死者は生者に対し、影響を与えてはいけない。
だが、それでも彼女を見ていると。
そういう時があってもいいのかもしれない、そんな風に思うこともあった。
もっと気楽に、肩の力を抜いて。
お互いに心地よい距離感を保ったまま、この関係を楽しんでもいいのではないか。そう思うようになってきた。
何しろわしらは、この境界線上で出会った、異質な存在なのだから。
そう思い、微笑んだ。
目の前で、幸せそうに笑う彼女。
石川の遺言じゃないが、わしも心から思う。
お嬢ちゃん。君には誰よりも幸せになってほしい。
お嬢ちゃんにはその権利がある。
これまで多くの者たちが、お嬢ちゃんと出会い幸せになっていった。
だから。
そんなお嬢ちゃんだからこそ。
誰よりも幸せになってほしい。
その姿を見守っていく。それこそが今、わしがこの世界に存在している理由なのかもしれない。
これからもお嬢ちゃんはわしらの為、心を砕いていくことだろう。
だがそれと同じくらい、わしらもお嬢ちゃんを見守っていく。
この世界、死者は無力だ。
何の影響も与えることができない存在だ。
だが。それでも。
わしらとお嬢ちゃんは、言葉を紡ぐことができる。
そして。
その言葉こそが。
わしらを繋ぐ運命の糸なんだ。
だから今日も、そしてまた次も。
こうして一緒に語り合おう。
お互いがここに存在していることを確認しあい、絆を深めていこう。
品沢が笑みを浮かべると、夕子も幸せそうに笑った。
「品沢さん。今夜もお話、聞かせてもらえますか?」




