087 怒涛の言霊攻撃
「え……」
千花の言葉に、夕子が固まった。
「聞こえなかった? くよくよすんなって言ったのよ」
そう言って、屈託のない笑みを浮かべた。
「くよくよって……しかもそんな軽い感じで言われても……緊張して聞いた私がバカみたいじゃないですか」
「バカなんだよ、実際。だから私の言葉が響かない。理解しようともしない。でもね、今の夕子ちゃんに送るアドバイスって、突き詰めればそれなんだよ。
いい? 誰だって失敗する。後悔だっていっぱいする。後悔の中には、事あるごとに思い出して、頭を掻きむしって身悶えるようなものだってある。それが人間で、それが当たり前のことなんだ。
確かに夕子ちゃんは、介護者でありながら利用者さんに暴言を吐いた。しかもそれが、安城さんにとって最後の会話になってしまった。辛かったと思うし、自分を罪深い存在に感じたと思う。
でもね、人間なんてそんなもんなんだよ。ねえ夕子ちゃん、何をそんなに完璧にこだわってるの? 完璧になったその先に、一体何があるって言うの?」
矢継ぎ早に千花が言葉を放つ。
夕子は戸惑い、答えられなかった。
「勿論これは、夕子ちゃんのような人にだから言えるアドバイスだ。ニュースになってるような、むしゃくしゃしたとかで利用者さんに暴力を振るうような人には絶対言わない。そんな人にははっきりと、あんたは介護者以前に、人として失格だって言ってやる。転生してミミズからやり直せって言ってやる。
でも夕子ちゃん、あんたは違う。自分に厳しい夕子ちゃんは、常に自分を戒めて生きている。そして利用者さんに寄り添い、力になろうとしている。例えそれが、安城さんのような利用者に対してもね」
そう言われ、いつか必ず、安城さんを笑顔にすると誓った日のことを思い出す。
「でも残念ながら、彼女にその思いが届くことはなかった。でもそれも、人間らしくていいんじゃない? 長い人生、そういうこともあるよ。
とにかく夕子ちゃんは、今回の件でこれ以上悩まなくていい。悩んだところで多分、本当の意味での結論なんて出ないから。介護は人が相手の仕事で、この人がうまくいったからといって、別の人にも当てはまるとは限らない訳だから。
あの件を悔やみ、次に活かす為の教訓を求めるのは大いに結構。でも残念だけど、その根本には絶対たどり着けないから、そこそこでやめた方がいい。どうしてだか分かる?
それはね、もう安城さんはいないからだよ」
その言葉に、体が凍り付くような気がした。
しかし同時にそれは、真理だとも感じた。
「それにほら、思い出してみなよ。今まで夕子ちゃん、安城さんからどんな仕打ちを受けてた? 私たちだって人間だ。嫌なことを言われれば気分が悪くなるし、憎しみの心だって生まれる。当然じゃない。それすらも否定したら、介護の仕事は全部ロボットに任せるしかなくなるじゃない」
次々と放たれる言霊に、夕子が狼狽える。どう言葉を返すべきか、考えている内に次の矢が放たれる。
そんな夕子を見つめ、千花は大きく息を吐くと最後の言霊を放った。
「分かった。ここまで話したんだ、この場限りの禁断の言葉、それを夕子ちゃんに授けよう。受け止める覚悟はある?」
そう言って距離を詰めてくる。
その圧に戸惑いながら、夕子は力なくうなずいた。
千花が大きく息を吸い込む。
「さっきの話だ。介護者が利用者に暴力を振るったり、命を奪ったりする事件。よくあるよね」
「……」
「私はさっき、そんなやつはミミズからやり直せと言った。勿論本心だけど、私の中にはもうひとつ、別の思いも存在する。と言うか、多分夕子ちゃん以外の介護者なら、一度は考えたことがあると思う」
「……それってなんですか」
「やったら駄目でしょう。でも気持ちは分かるってことだよ」
「え……」
想定外の言葉に、夕子が呆然と千花を見上げる。
そんな夕子にお構いなしといった様子で、千花は続けた。
「気持ちは分かるって言ったのよ。なんでか分かる? それぐらい、私たちの仕事は過酷なんだってことよ。下の世話とか食事介助とか、そういうことを言ってるんじゃない。毎日毎日不規則なシフトをこなし、その上賃金は全然上がらない。利用者の中には苦手な人も当然いて、その人から受けるストレスは半端なものじゃない。ご家族の中にだって、無茶な要求をしてきたり暴言を吐く人だっている。そりゃあ、やってられるかよって気持ちにもなるよ。だって私たちも人間なんだから。
夕子ちゃんだって経験あるでしょ? 利用者さんから暴力を受けたこと。でも世間はそんな私たちを見て、仕事なんだから仕方ないだろう、好きでその仕事をやってるんだろう、そんな言葉を平然と吐き捨ててくる。でも私たちが利用者に反撃したら、最低な人間と蔑み石を投げてくる。ふざけんなって思わない?」
千花の言葉が止まらない。その過激な言葉の数々に、夕子は息を飲み見つめることしかできなかった。
「だから言ったの、気持ちは分かるってね。でも忘れちゃ駄目だよ? 気持ちは分かる。でもやってしまったら駄目でしょうってところ」
そう言ってひと息つき、微笑んだ。
「でも夕子ちゃんは、安城さんの件でこんなに苦しんでいる。人生を終わらせようか、そこまで思い詰めてしまった。でもね、夕子ちゃん。私たちはただの人間なんだ。そこまで悩む必要はないんだよ。
夕子ちゃんの考えだと、聖人君子以外は介護に携わるなってことになってしまう。そんな人間いると思う? いる訳ないじゃん」
「……」
「いい? 私たちも生きている、感情を持った人間なの。あの時夕子ちゃんが言った言葉は、ある意味人として当然の反撃なんだ。私に言わせれば、よくそれだけで済ませたなって感心するぐらいだよ。私だったらもっときつい言葉を投げてた筈だ。
それがたまたま、安城さんの最後の会話になってしまった。でも、それって言ってみれば結果論でしょ?」
奈緒ちゃんと同じことを言ってくれる、そう思った。
「で、長々とリーダーらしからぬ暴言を垂れ流した訳なんだけど。それを総括したらね、最初の言葉に戻るの。『くよくよすんな』ってね」
そう言って、にんまりと笑った。
その笑顔を見て。
体の力が一気に抜けていくような気がした。
そして。
気がつけば笑っていた。
「全く……スタッフリーダーのありがたいご指南を期待してたのに、ふふっ、なんですかそれ。結論がくよくよするなって」
「あはははっ。でもそう思わない?」
「悔しいですけど、ふふっ……思いました」
「よーし、説得完了―っ!」
千花が拳を握り、腕を上げて叫んだ。
「私の話はこんなものかな。この話を聞いた上で、それでも夕子ちゃんが介護を辞めるとか、この施設を辞めると決めるのなら構わない。だってそれは、夕子ちゃんの選択だからね。
自分の中でしっかり消化して、結論を出すといいよ。でもまあ、もしそうなるとしても、夕子ちゃんとはこれからも仲良くしていきたいって思ってるけどね」
そう言って微笑み、壁にかかる時計に視線を送った。
「ってヤバっ、もう2時過ぎてるじゃん! 明日も日勤なのに、起きれる自信ないよ」
「頑張って起きてくださいね、リーダー」
「あはははははっ。じゃあそろそろ帰るね。また明日、と言うか今日だね、一緒に頑張ろう」
「一緒に働けるのは1時間だけですけどね。私は定時で消えますので」
「何なら残業、してくれてもいいんだよ。明日のシフトもやばいことになってるんだから」
「すいません、彼と約束があるもので」
そんな言葉を交わしながら、お互い笑いあった。
「じゃあこれで。夜勤、頑張ってね」
「ありがとうございます。千花さんも、気をつけて帰ってくださいね」
「モチのロンよ。速攻で帰って寝ないとね」
「気をつけてって言ったの、聞こえました?」
「分かりましたお母さん! それでは失礼します!」
そう言って大袈裟に敬礼し、千花が走っていった。
夕子が微笑み、ホールの電気を消す。
その時、窓の外が一瞬光ったような気がした。
振り向くと、一台の車が通り過ぎていくのが見えた。
「……品沢さん、待ってくれてるかな。あまり時間がないけど、煙草付き合ってほしいな」
そうつぶやき、微笑み。
夕子は休憩室に向かった。
その足取りは、嘘のように軽くなっていた。




