086 深夜の懇談会
幽霊たちの激励を受けて。
絶望の中に希望を見出したような気がした。
彼らの叫びが、夕子の心を貫いた瞬間だった。
自己問答の日々が続いた。
自身を否定する気持ちと、肯定する気持ち。
その狭間でもがき、苦しんだ。
そしてこの日。
夕子は長いトンネルの中、光を見つけた。
「お疲れ」
ある夜勤の夜。
休憩の為一階に降りた夕子に、千花が声をかけてきた。
「千花さん? なんでこんな時間に」
ありえない来訪者に、夕子が驚く。時計は深夜1時をまわっていた。
「あはははははっ、そりゃあ驚くよね、ごめんごめん。実はさ、ロッカーにスマホ忘れてたのを思い出してね、そしたら気になって気になって。旦那は明日でいいじゃないかって言ったんだけど、私は暴走機関車だから。速攻で着替えて、自転車で行ってくるって言ったんだ。旦那、笑ってたよ。
でも暴走しすぎたのかな、気がついたら自転車にも乗らず走っててね、10分かけてここまで来たんだ」
「こんな時間に走ってきたって……ほんと、千花さんって無鉄砲ですよね」
「あはははははっ、言うな言うな」
「こんな時間だし、幽霊さんかと思いましたよ」
「おっと、怖い話はそこまでだ。私、そういうのは苦手だからね」
「ふふっ、そうでしたね。でも……幽霊さんって、実は優しいのかもしれませんよ」
「幽霊にもさん付けって、ほんと、夕子ちゃんは真面目だよね」
そう言って微笑んだ。
「でもよかった、夜勤が夕子ちゃんで。休憩時間だよね、少しお話ししない?」
そう言われ、品沢のことが少し気になった。しかし断るのも変だと思い、うなずいた。
夕子はホールの電気をつけ、千花と並んで座った。
「それにしても千花さん、顔色悪くないですか」
「そう? でもまあそっか。何しろここまで、全速力で走ってきたんだからね」
「本当、不思議な管理者さんですよ」
「あはははははっ。みなさんに支えられてこそのリーダーですから」
そう言って何度か咳払いをし、息を整えた。
そして少し真顔になり、口を開いた。
「最近どう? 少しは落ち着いた?」
そうだよね。当然その話だよね。
そう思い、苦笑いを浮かべた。
「その顔も、そろそろ見飽きたかな」
「え……」
千花の言葉に、夕子が思わず声を漏らす。
「確かに夕子ちゃん、年明けぐらいから少しずつ元気になってきた。家でのあんたを見た私に言わせれば、びっくりするぐらいの変化だ。でもね、それと同時に夕子ちゃん、そういう作り笑いをするようになったんだよ」
「……」
「その顔、ここに来た頃によく見てた。それを見ててね、ああ、この子は多分、世の中の汚いものをたくさん見てきたんだろうなって思ったもんだ」
「そんなこと、思ってたんですか」
「でもそれが、半年ぐらい経ってからかな。少しずつ自然な笑顔になっていったんだ。それを初めて見た時は、お姉さん嬉しくて泣いちゃいそうだったんだから」
品沢さんと出会った頃だ。そう思い微笑んだ。
「ようやく夕子ちゃんが、人間らしい表情を見せるようになった。これはひょっとしたら、いい男でもできたんじゃないかい? そう思って観察してたんだけど、その存在を確信するのに一年ぐらいかかった。もし隠してたんなら夕子ちゃん、中々の役者だよ」
國澤との出会いは、確かに一年ほど前になる。そう思うと、千花の洞察力に少し身震いがした。
「だけど去年、あんなことがあって。多分夕子ちゃんの中で、これまで積み上げてきたものが全部崩れていったんだと思う」
何も隠すことができないな。まさにその通りです、そう思った。
「で、夕子ちゃんは今、こう思ってる。こんな自分がこれからも、介護の仕事を続けてもいいんだろうか。と言うか、その資格はあるんだろうかと」
「千花さん、その……頭の中を覗かれてるみたいで、ちょっと怖いです」
「見るまでもないよ。夕子ちゃんは分かりやすいからね。それでまあ、どんな結論を出すのかなって見てたんだけど、真面目なあんたはその問題とずっと向き合い、葛藤していた。
前にも言ったと思うけど、私は基本、辞めていく人を引き留めたりしない。まあ、人手不足で厳しくなるってのは事実だけど、それでも嫌々続けられても困る職種だからね。何と言っても、私たちが相手にしてるのは人間なんだから」
「……その通りです」
「それにね、こっちの都合でその人の可能性を狭めるのは違うと思ってる。だから私は、例え大好きな夕子ちゃんであったとしても、辞めると決めたら止めはしない。だって、夕子ちゃんの人生は夕子ちゃんのものなんだから」
その言葉に心が満たされ、笑みが浮かぶ。
「夕子ちゃんが悩んでる理由は、安城さんの一件が大きいよね」
「そう、ですね……はい、間違いないです」
「そこから色々考えていって、最終的に自分を否定するところにまで行きついてしまった。あの時の夕子ちゃんを見て、下手したらこの子、何かの弾みで自殺しちゃうんじゃないかとまで思ったよ」
「……千花さんは誤魔化せませんね」
「だからあの時、彼氏さんには伝えておいた。しばらく目を離さない方がいいって」
「……」
「で、彼氏さんのおかげなのかは分からないけど、何とか最悪の状態からは抜け出せたように見えた。まあそれでも、自分の存在を消し去りたいって願望は、それなりに継続中みたいだけどね」
そう言って意地悪そうに微笑んだ。
「で、ここからが本題。流石の私も、夕子ちゃんの生死までは責任とれない。と言うか、私とはここでしか会わない訳だし、見守り続けることはできない。だからそれは彼氏くんに任せる。後は知らない。
だけど安城さんの件については、それなりに力になれると思ってる。だからこんな機会だ、それを伝授しようと思う。どうかな」
そう言って咳払いし、夕子に向き直った。
「……聞かせてもらえますか」
夕子が真顔で答える。
そんな夕子を見つめ、千花が笑顔で言った。
「くよくよすんな」




