071 自責の念 そして感謝
「現に今だって、お嬢ちゃんはわし以上に苦しんでいる。こんな大仕事をやってのけたというのに、達成感すら感じていない。それはある意味、不幸なことだと思うよ」
「でもそれは、私一人の力じゃありません。國澤くんや和江さん、みんなの力があったからこそ、成し得たことなんです」
「お嬢ちゃんの勇気がなかったら、今言った人たちの協力はなかったんじゃないかな」
そう言われ、はっとする。
「お嬢ちゃん。謙虚に生きることは、確かに美徳かもしれない。だが必要以上に謙虚になり、自身のことをないがしろにするのは、見ていて辛いものなんだよ」
品沢の言葉に、夕子は何も言えなくなってしまった。
「お嬢ちゃんにとっての心残り。それは、最後に石川と言葉を交わせなかったことだよね」
「はい……」
「石川からの伝言だ。聞いてくれるかな」
二本目の煙草に火をつける。
夕子は顔を上げ、目を見開いた。
「伝言って……石川さん、私に何か言ってくれてたんですか」
煙を吐き、小さくうなずく。
「やつにとってもあの日は、どんな結末になるのか予想がつかなかったようだ。何しろ宮田ってやつも幽霊になっていて、そしてその嫁が、お嬢ちゃんと同じわしらを認識できる能力を持っていた。何と言うか、とにかく滅茶苦茶な状況だったんだ。
そんな中、宮田は成仏した。それは石川の依頼が、無事達成したということだ。それなのに昨日、お嬢ちゃんの家で宮田の妻、石川の妻が顔を合わすことになった。
この後どんな展開になるのか分からず、石川も困惑していた。無事成仏できるにしても、それがどういう形で成されるのか、全く想像できなかったんだ。だからあの日、お嬢ちゃんの家に向かう道中で、やつはわしに言ったんだ」
「石川さんは、何て……」
「わしに対して、これまで世話になりました、ありがとうございました、そう真面目くさい顔で言っていた。そしてお嬢ちゃん、あんたに対しては、どうか幸せになってほしいと伝えてくれ、そう言っていた」
「……」
いつも石川が言ってくれていた言葉。そこに込められた石川の思いに、夕子の胸は温かくなった。
しかし品沢の次の言葉に、夕子は感情を抑えられなくなった。
「それもただの幸せじゃないよ。その言葉の上には、こんな言葉が乗っかってたんだ。『誰よりも』とね」
「え……」
「石川のお嬢ちゃんへのメッセージ。それは、この世界の誰よりも幸せになってほしいというものだった。お嬢ちゃんにはその権利がある、自信を持ってほしい、そう言っていた」
「……」
「いいかい? お嬢ちゃんは石川のことを気に入ってくれていた。昨日も言っていたね、まるで自分の兄のように思っていたと。その兄貴からの言葉なんだ。
お嬢ちゃん。誰よりも幸せになるんだよ」
その言葉に。また夕子の瞳から、大粒の涙が生まれてはこぼれ落ちた。
そんな夕子を笑顔で見つめ、品沢は続けた。
「そしてこうも言っていた。ひょっとしたら自分は、品沢さんや夕子さんに何も言えずに消えてしまうかもしれません。現に今、自分の中で成仏する準備ができているような感覚があるんです。例え妻と会わなくても、時間が経てばこのまま消えていくんだと思います。だって僕の未練はもう、なくなったのですからってね」
そう言われ。
あの時、石川が光の粒に包まれていった時のことを思い返した。
あの時私は神様に対し、なんて非情なんだと思っていた。
もう少し待ってくれてもいいじゃない。どうしてあなたは、こんな理不尽を私たちに押し付けるんですか。そう憤っていた。
だが、今の言葉を聞いて。それが間違いじゃないのかと思った。
確かにそうだ。美香さんからのメッセージを受け取り、宮田さんは成仏できた。和江さんも美香さんの謝罪を受け入れ、再会することを楽しみにしてると言った。
そういう意味では、石川さんからの依頼はもう達成できていた。それを伝えたことで、その場で石川さんが成仏したとしてもおかしくなかった。
しかしそれから数日。私の家で美香さんたちと会うその日まで、石川さんは存在していた。
ひょっとしたらこれは、神様が石川さんの為、存在する時間を残してくれたからじゃないのだろうか。
そう思うと、急に自分が浅はかに思えてきた。
「石川にとってお嬢ちゃんは、誰よりも感謝すべき存在だったんだ。だから当然、最後にお嬢ちゃんに声をかけるつもりだった。だが、まもなく旅立っていくことを自覚していたやつは、それができないかもしれない、そう危惧しわしに託していたんだ。
もう一度言うよ、お嬢ちゃん。石川の最後の言葉だ。『夕子さん。誰よりも、誰よりも幸せになってください。誰よりも優しいあなたには、そうなる権利があるんです』」
そう言って微笑んだ。
夕子は何も言えず、肩を震わせた。
自分の知らないところで、石川さんは覚悟を決め、色々と考えてくれていた。品沢さんだってそうだ。
それなのに私は、ただ目の前の光景だけを信じ、理不尽だと思っていた。石川さんと最後の言葉を交わせなかったことで、神様に対しても不遜な感情を抱いていた。
なんて浅はかなんだろう。
そう思い、唇を噛んだ。
そして。
それに気づかせてくれた石川、品沢に対し、感謝の念が渦巻いていったのだった。
「落ち着いたかい?」
しばらくして、品沢がそう声をかけた。
夕子は涙を拭い、顔を上げ。微笑んだ。
「はい。色々とご心配をおかけして、本当にすいませんでした」
言葉と同時にまた、涙がこぼれた。
だが、この涙は違う。
優しく温かい涙だ。そう品沢は思った。
「みっともない姿をお見せして、申し訳ありませんでした」
その言葉に微笑み、笑い声を上げた。
「いやいや、こういうお嬢ちゃんが見れて、わしは嬉しいよ」
「何ですかそれ、ふふっ」
「それにまあ、こうなると思っていたからね。他の連中には遠慮してもらったんだ」
どこまでも自分を守ろうとしてくれる品沢に、再び敬意が芽生える。
夕子は微笑み、もうひとつ気になっていたことを聞いた。
「それはそうと品沢さん。博幸く……國澤くんとあの時、何の話をされてたんですか」
そう言って、品沢との距離を縮めてきた。
「ああ、うん、ははっ……大したことじゃないさ。ただ単に、いつもお世話になってます、そう挨拶されただけだよ」
「本当ですか?」
怪訝そうに品沢を見つめ、言葉を引き出そうとする。
そんな夕子に困惑し、品沢は視線をそらして煙を吐いた。
「本当だよ。今更お嬢ちゃんに隠しごとなんて、しても仕方ないだろう」
「じゃあ、奈緒ちゃんたちのことは分かりますか」
「それこそ分からないさ。何しろわしらは、彼女たちを認識できないんだからね」
「それはそうなんですけど……でも本当、何だったのかなって思って。國澤くんに聞いても、ただの挨拶だってしか言ってくれないし」
そう言って唇を尖らせた。
そんな夕子を見て、品沢は苦笑した。
そして思った。
石川。今のお嬢ちゃんの顔、見てるか?
こんな無防備な顔を見せてくれるぐらい、お嬢ちゃんは変わったんだぞ。
お前が願ったお嬢ちゃんの幸せ、それは案外すぐなのかもしれない。
だから……安心していいぞ。
夜空の星を仰ぎ、品沢が微笑んだ。
あの日。
石川が成仏した後で。
國澤が夕子に聞いてきた。
「夕子、その……今回見届け人として、ここに品沢さんがいるんだよな」
「うん。どうしてもって言われてね」
「品沢さんはこの街の幽霊を束ねる、ある意味長的な存在で」
「うん、そう。その認識で間違ってないよ」
「その……今、どこにいるのかな」
「クローゼットの辺りだけど」
「分かった。ありがとう」
そう言って微笑み、國澤はクローゼットに向かった。
そして立ち止まると声を潜め、何かをつぶやいていた。
その言葉を聞いて。
品沢がうなずいているのが見えた。
「あ……奈緒ちゃん、百合子さん」
美香と和江を見送る為に外に出ると、奈緒と百合子が心配そうに立っていた。
夕子の言葉に、また國澤が反応する。
「それって、女性の幽霊だよな」
「うん。多分今回のことが心配で、様子を見に来てくれたんだと思う」
「ちなみに今、二人はどの辺りにいるんだ?」
「あの電柱の辺りだけど……どうしたの博幸くん。何かあったの?」
夕子が不安そうな視線を送る。
そんな夕子の頭を撫で、國澤が微笑んだ。
「なんでもないよ。いつも夕子がお世話になってる、そのお礼を言いたいだけなんだ。俺は夕子と違って、幽霊を認識することができないんだ。こういう機会、逃したくないんだよ」
そう言って電柱に向かい、何やら囁いていた。
そして話を聞き終わった奈緒と百合子がにっこり微笑み、力強くうなずくのが見えた。
そんな國澤の行動に、夕子が首を傾げた。
どういうこと?
博幸くん、何を考えてるの?




