006 自分より不幸な人たち
夕子が勤めるこの施設はグループホームで、1フロアーに9人の利用者が生活している。
3階建てで1階が事務所。2階と3階が居住スペースになっていて、満床で18人が利用出来る。
グループホームの本来の趣旨は、認知症を患い、社会生活が困難になった高齢者が、スタッフと共に掃除や洗濯、料理をこなしながら共同で生活をするというものだ。
しかし現実問題として、スタッフの手助けがあれば生活出来るレベルであれば、こういう施設を利用することはあまりない。家族で見守ることが十分可能だからだ。月10万円単位の金額を払い続けるメリットがあまりない。
結果として、家族で面倒を見切れない、そういう利用者が多く入居してくる。重度な認知症、暴言暴力の絶えない人。徘徊の多い人、異食を繰り返す人、排泄の管理が出来ない人。必然的にそういう人が集まってくる。
その結果、全ての作業をスタッフが請け負い、利用者は施錠された建物の中で、監視された生活を強いられることになる。
料理どころか、火を使うことも、刃物を管理することも出来ない。目を離せば徘徊し、他の利用者の部屋に入っていく。おぼつかない足取りで歩き、転倒する。排泄物を手にし、壁になすりつける。そういう利用者たちを数少ないスタッフが支え、事故のない一日を目標に業務に励む。それが多くのグループホームの現実だった。
夕子の勤めるここ、グループホーム「ゆめ」もその例に漏れず、ここに入居している利用者のほとんどは、重度の認知症を患っていた。
しかも昨今は施設の数が増え、どこも利用者の確保に奔走している。空き部屋があると、それだけで施設の赤字が増えていく。必然的に施設側としては、どんな条件の利用者でも受け入れようとしていく。
本来であれば、援助することで自立出来る人、そういう前提があったはずなのに。いつの間にか、その文言は意味を成さなくなっていた。
夕子の今夜の担当フロアーは、利用者9人の内4人が車椅子生活者。そして夜間、おむつを使用している利用者が6人もいた。
「ここって、ほぼほぼ特養(特別養護老人ホーム)だよね」
先輩の千花が、そう言って笑っていた。
夕子も同意だった。しかし彼女は、そのことに対しては特に何も感じていなかった。
彼女は過去に、特養にも勤めていたことがある。その時に比べれば、3時間おきに僅か6人のおむつを交換することぐらい、どうということはなかったのだ。
それよりも彼女にとってストレスだったのは、利用者とのコミュニケーションだった。
認知症を患ったことで、性格が荒々しく変化することも多い。そういう人とのコミュニケーションには、正直心が折れそうになった。
ある時品沢が聞いてきた。
「確かにお嬢ちゃん、人と関わることがそんなに得意には見えないな。それなのにどうして、こんな仕事を選んだんだい? これに比べたら、他の仕事での人間関係なんて、大した苦ではないだろうに」
暴言を吐かれ、言われのない非難を受けて。犯罪者や仇のように罵られることもある。夕子のようなタイプの人間が、そんな人たちを援助する仕事を選ぶ理由が、品沢には分からなかった。
その時夕子は言った。
「……自分より不幸な人を見て、自分の心を安定させているんです」
その言葉は、品沢の心に重く響いた。
しかし品沢はそれ以上に、その時の夕子の表情に違和感を覚えた。
唇を微かに歪め、自虐的な笑みを浮かべる夕子に。
その時品沢の中に、この子はどんな過去を背負っているのだろう。そしてそれを知り、理解してあげたい、そんな気持ちが沸き上がってきた。
彼女が放った言葉は、ある意味真実なのかもしれない。
異能の力を持つ彼女は、誰にも理解されない存在。それは彼女にとって、生まれた時から縛り付けられた鎖のようなものだったのだろう。そんな自分を俯瞰し、不幸な存在だと思うことは何も間違っていない。
そんな彼女が、自分以上に不幸な存在と触れ合い、彼らの生活の援助をする。確かにそれは彼女の言う通り、彼女の心を安定させる一助となっているのかもしれない。
だが、これまでの彼女を見て、品沢は確信していた。彼女は本当に心から、彼ら利用者に寄り添い、生きる希望を感じられるよう心を配っている。
もし仮に、彼女の言っている言葉が真実なら。彼女の行動全てが偽善ということになる。それどころか、悪と言っても差し支えないかもしれない。
しかし、本当にそう思っている人間が、そのことを素直に告白するだろうか。いや、しない。
例え幽霊相手にとはいえ、そんなことを告白などしないだろう。何のメリットもない。
あの言葉こそが実は、彼女の誠実さなのだ。間違っても「世話をしてやっている」といった傲慢な考えに陥らない為に、自らを貶め戒める為に心に打ち込んだ楔なんだ、そう感じたのだった。
事実彼女はいつも、誰に対しても誠実に、真摯に向き合っている。
彼女と触れ合うことで、これからも利用者たちは、安心して生活していくことだろう。
そんな彼女だからこそ、初めて見た時から気になっていた。そしてあの日、声をかけたんだ。そう品沢は思っていた。
しかしそんな彼女の環境が、1か月ほど前から大きく変わった。
新しく入ってきた利用者、安城カスミによって。




