058 届いた想い
「俺の正直な気持ち、聞いてほしい」
全身が心臓になったような感覚。大きな鼓動に支配され、顔が燃えるように熱くなった。
「俺は朝霧が好きだ。昔告白した時にも言った。でもあの時の比じゃない。俺はこれからもずっと、朝霧と歩んでいきたい。
朝霧、付き合ってほしい。友達としてでなく、一人の男として俺のこと、見てほしい」
声が震えていた。
初めての告白の時以上に。
夕子は真っ白になった頭の中で、今の状況を理解しようとした。
そして。
自分の感情を整理しようとした。
今日は日頃の感謝のつもりで彼を誘った。
でも、本当にそれだけだったの?
事実誘ってから今日まで、私はずっと浮かれていた。
職場でもあの利用者、安城さんが戸惑うほどに笑顔になっていた。
それはどうして?
勿論、相手が國澤くんだからだ。
そこまで思いを巡らせて。
自分の中で、彼の存在の大きさを自覚した。
「……」
無言で煙草をくわえる。國澤にも勧めた。
國澤は苦笑し、「こんな時でも煙草なんだな」そう言って火をつけた。
白い息がライトに照らされ、やわらかく舞う。
「でも、私らしいでしょ?」
夕子がそう言うとマスターと顔を見合わせ、國澤も笑った。
小さく息を吐き、夕子が國澤を見つめる。
「……私、かなり面倒くさいよ?」
「分かってる」
「分かってるんだ、ふふっ……でも、確かにそうだよね。これまでだって國澤くん、ずっと私に振り回されてたし」
「そうだな。連絡してきたと思ったら、とんでもない依頼だった訳だし」
「そして多分、これからもずっと、私は品沢さんたちの為に動くと思う」
「それも理解してる。そして俺は、そんな朝霧の力になりたい、そう思ってる」
「……夕子」
「え?」
「クラスメイトだし、あの頃は苗字でいいって思ってた。それにそう呼んでもらえることで、國澤くんとの間に一定の距離が保てると思ってた。でも」
煙草を消し、照れくさそうな笑みを向けた。
「彼女のことを苗字で呼ぶのって、よそよそしすぎると思わない?」
その言葉に國澤が赤面する。
「それってその、つまり……」
「もう一度言うね。私、かなり面倒くさいよ」
「ああ、分かってる」
「國澤くん。その想像、多分かなり小さいよ」
「それでいい。どんどん振り回してくれ」
「ふふっ。でも、それでもいいなら……こちらこそ、よろしくお願いします」
「朝霧……」
「夕子だってば。ゆ・う・こ」
「あ、ああ、そうだな……」
そう言って息を吐き、真顔で夕子を見つめた。
「夕子」
そう言われ、夕子は全身の血が逆流するような感覚を覚えた。
これまで自分を呼び捨てにした男は、親族を除くとただ一人。
あの兼本だった。
兼本にそう呼ばれた時、嫌悪感に身が震えた。
まるでそう、自分の所有物だと宣言されてるような気がした。
しかし今、震える声で國澤にそう呼ばれた時。
全身を歓喜が包んでいた。
私はずっと、誰かにそう呼ばれたかったんだ。
そしてそれを今、自分を大切だと言ってくれた國澤に言われたことが、何より嬉しかった。
気がつけば、瞼が濡れていた。
あの辛い思い出から数年。
私はこの瞬間を待ち望んでいたんだろうか。そう思えるほど、心が躍っていた。
あの時、國澤くんの名刺を捨てなくてよかった。
品沢さんに、保険のつもりで持っていたらいいんじゃないかと言われてよかった。
そしてあの時。
國澤くんが私を見つけ、声をかけてくれて本当によかった。
きっと勇気がいったと思う。でもその勇気を振り絞ってくれたからこそ、今があるんだ。
「ありがとう、國澤くん」
そう言って微笑むと、頬を涙が伝った。
その涙に國澤が困惑する。しかし夕子から、「この涙は大丈夫。温かい涙だから」そう言われ、安堵の息を吐いた。
マスターが、無言で二人にグラスを差し出す。そのグラスを受け取り、二人は見つめあい、グラスを重ねた。
「ありがとう、夕子。その……これからもよろしく」
「私こそ……國澤くんに再会できて、本当によかった」
そう言って微笑むと、また涙が伝った。
國澤がハンカチでそれを拭うと、歓喜に身が震えた。
そんな夕子を見つめ、國澤が意地悪そうな笑みを浮かべる。
「夕子は俺のこと、苗字のままなんだな」
「え……」
そう言われ、顔から火が出るような感覚を覚えた。
確かにそうだ。その通りだ。
でも。
男の人を名前で呼んだことなんて、今まで一度もない。
でもたった今、自分で言ったことだ。
『苗字で呼ぶのって、よそよそしすぎると思わない?』
その言葉、今すぐ取り消したいと思った。
私、なんてことを言っちゃったの?
「國澤博幸。どう呼ぶかはまかせるよ」
夕子が両手で顔を覆い狼狽える。その様子に國澤は、「ほんと、可愛いな」と赤面した。
「愛称呼びは、今のお客さんにはハードルが高いようですね。でしたら普通に、名前でいいと思いますよ」
マスターがそう言ってウインクする。助け船、だったんだろうか。
夕子は観念したように息を吐き、ジュースをひと口飲むと國澤を見つめた。
「……博幸くん」
強張った顔で。耳まで赤くして。
震える声でそう言った。
その様子に見惚れ、國澤は「あ、ああ……じゃあそれで」そうつぶやいた。
「いやいや、いいものを見させていただきました」
マスターが意地悪そうに微笑む。
「今のお二人を見て、思わず学生時代を思い出しましたよ」
マスターの言葉に赤面し、國澤が「……お子様ですいません」とうなだれた。
「いえいえ、これは最大の賛辞ですよ。お二人ともどうか、今感じてる気持ちを大切に、これからも仲良くしてください」
そう言ってもう一度ウインクした。
夕子は恥ずかしさのあまり、またも両手で顔を隠したのだった。
ずっと心に積もっていた雪が今、静かに溶けていく。
自分にこんな瞬間が訪れるなんて、思ってもなかった。
でも今自分の隣にいる男は、誰にも打ち明けなかった秘密を受け入れ、共に生きていきたいと言ってくれた。
幸せすぎて、どうにかなってしまいそうだった。
もしかして、私はこの日の為にこれまで耐えてきたのだろうか。
耐えてきたからこそ、この瞬間に身を委ねることができたのだろうか。
私はもう、一人じゃない。
これからは、彼と一緒に歩んでいくのだ。
そう思い、微笑んだ。
そして。
もう一度、頬を涙が伝った。




