055 ささやかな幸せ
今回の依頼、何とかこなすことができたのだろうか。
そう思いながら、再び紅茶を差し出す。
「あの……夕子さん。最後にひとつ、にゃーちゃんたちに聞きたいことがあるんですけど」
「分かりました。敦子さん、中川さん。百合子さんが、最後にお二人に聞きたいことがあるそうです」
そう言われ、二人が真顔でうなずく。
「お二人の赤ちゃん、名前はなんていうんですか」
その問いに。
二人は顔を見合わせて微笑み、声を合わせて言った。
「百合子です」
「え……それってその、つまり」
「はい、二人で決めました。同じことを考えてたみたいで、一緒に笑いました」
「……」
見ると、百合子が肩を震わせていた。
大きな瞳に涙が光る。
そんな百合子を見つめ、夕子の胸にも熱いものがこみ上げてきた。
「今日は本当にありがとうございました」
玄関で敦子が振り返り、頭を下げる。
「こちらこそ、こんな話を信じてくれて、本当にありがとうございました」
「私、朝霧さんが羨ましいです」
「羨ましい、ですか?」
「はい。だって朝霧さんはこれからも、お姉ちゃんと会える訳ですから」
その言葉に、國澤の表情が強張った。
死者が見えるという、異能の力。
そのせいで彼女はこれまで、誰よりも不幸な存在だったのだ。
勿論、そのおかげでこうして死者たちと触れ合い、自分たちにはできない経験をしている。
しかしだからと言って、それを羨ましいと言うのは不躾すぎる。ある意味それは、彼女にとって地雷なのだから。そう思った。
恐る恐る夕子を見つめる。そして驚いた。
夕子は満面の笑みを浮かべ、うなずいていた。
「はい。こうして百合子さんたちとお話しできて、私も嬉しいです」
その笑顔を見て。
國澤の胸が熱くなった。
彼女は本当に強い。そして、誰よりも優しい心を持っている。
人を信じられなくなった原因、それすらも受け入れ、今こうして笑っている。
そんな女性と今、俺は共に行動している。そう思うと身震いがした。
駄目だ、もっと頑張らないと。そう強く思った。
「それでその、朝霧さん。実は最後にひとつ、お願いがあるんですけど」
敦子の言葉にうなずく。
「朝霧さんがお供えすれば、お姉ちゃんは触れることができるんですよね」
「そうですね。何か渡したいものでもあるんですか?」
「いえ、その……私をお供えすることって、できないでしょうか」
「え……」
脳裏にあのレイプ魔、兼本の顔が浮かんだ。
『どうぞ私をお納めください、そう言ってくれよ。そうしたら俺は、お前を抱くことができるんだ』
あの時のことを思い出し、足が震える。
そんな夕子を案じ、國澤が支えた。
「ごめんなさい、その……駄目だったでしょうか」
敦子の言葉に首を振り、深呼吸する。
大丈夫。今そう言ってるのは敦子さんで、やましい気持ちで言ってるんじゃない。
姉と触れ合いたい、純粋にそう望んでいるだけなのだ。
そう思い、もう一度息を吐き。うなずいた。
「じゃあ敦子さん、こう言ってもらえますか? どうぞ私をお納めくださいって」
夕子の促しに笑顔で返し、敦子がうなずいた。
「お姉ちゃん……どうぞ私をお納めください」
百合子が前に進み、敦子を抱きしめようとする。
しかし。
体はすり抜け、彼女に触れることができなかった。
「嘘……」
夕子が。そして百合子が、敦子が。困惑の表情を浮かべる。
「あ、あの……朝霧さん、駄目だったんでしょうか」
その言葉に我に返り、夕子が伏し目がちにつぶやいた。
「……実は私も、そういうお供えをしたことはないんです。だから今、かなり驚いてます。生者をお供えすることは、できないみたいですね」
「そう、ですか……残念です。久しぶりにお姉ちゃんに触れたかったんですけどね。あははっ」
そう力なく笑う。そして手に持つメモを、愛おしそうに見つめた。
「でも今日、お姉ちゃんからこれをもらえましたから。ありがとう、お姉ちゃん。このメモ、一生の宝物にするね」
敦子がそう言うと、百合子も笑みを浮かべ、うなずいた。
「生者はお供えできない……ある意味、今日一番驚いたかも」
中川夫妻、そして國澤が帰った後。
百合子と堤防に向かいながら、夕子がつぶやいた。
「そのようですね。でもよかったですね、夕子さん。その、兼本って男でしたっけ。彼の思惑はただの妄想だったってことですから」
「そうですね。でも、あんな願望を持つ人はそうそういないと思いますし、できれば私は、百合子さんと敦子さんが触れ合うのを見たかったです」
「ふふっ、ありがとうございます。本当、夕子さんは優しいですね」
「夕子さーん、百合子さーん」
堤防で待っていた奈緒が、そう言って二人に手を振る。
「ごめんね奈緒ちゃん、こんな時間になっちゃって。ずっと待ってたんだよね」
「あはははっ、全然構いませんよ。なにしろ私は幽霊、時間はたっぷりありますから」
そう言って百合子に視線を送る。
「どうでした? 百合子さんの願い、全部叶いました?」
奈緒の笑顔に照れくさそうに微笑み、百合子は奈緒を抱き寄せた。
「……百合子さん?」
「ありがとう、奈緒ちゃん。奈緒ちゃんが私のことを思って、喧嘩までして用意してくれた今日という日。うん、全部叶ったよ。奈緒ちゃんのおかげ」
「それはよかったです。そういえば百合子さんの顔、少し晴れ晴れとしてる感じがします」
そう言って力強く抱きしめた。
「でも……やっぱり成仏、できなかったんですね」
「そうね。私がこの世界にとどまった理由、それはあの人を見守ることだから。私はこれからもずっと、この世界にとどまり続けるんだと思う」
「私のせいで失望させちゃいましたよね。ごめんなさい」
「そんなことないよ。奈緒ちゃんが言ってくれたから、そして夕子さんが協力してくれたから。私は今、とっても幸せなの」
「百合子さん……」
「だから奈緒ちゃん、ありがとう。それから、これからもよろしくね」
そう言って微笑むと、奈緒は嬉しそうに百合子を抱きしめた。
そんな二人を見て。
確かに成仏はできなかった。でも、心が満ち足りている。
敦子も中川も笑っていた。國澤も笑っていた。
奈緒も百合子も、そして自分自身も笑っている。
ささやかな幸せ。でもそれが大切なんだと感じられた。
そう思い、夕子も嬉しそうにうなずいた。
「奈緒ちゃん、百合子さん。これからも、どうかよろしくね」




