054 懺悔
「その時のこと、百合子さんは『まさに天国から地獄だったよ』そう笑って話してくれました。ずっと好きだった人ともうすぐ結ばれる、そんな幸せの絶頂が絶望に変わったんだからって」
夕子の物言いに、百合子が微笑む。
「でも……百合子さんは亡くなってからも、中川さんのことを忘れられずにいました。自分がいなくなって、きっと彼は寂しい思いをしている。自分にはもう、何もできないのかもしれない。でも、彼の幸せを見守るくらいならできる。このまま消えたくない、彼の傍にいたい。そう強く願いました。そして」
そう言ってひと呼吸入れた。
「気が付けば、この世界に戻っていたんです。幽霊として」
「……」
中川がうなだれる。中川の手を握る敦子の手も震えていた。
「でも……みなさんが想像してるより、幽霊さんにできることは少ないんです。と言うか、ほとんど何もできないんです。認識もされないし、物理的な干渉もできない。行動範囲も限られている。そんな現実に、百合子さんは落胆しました。
でも、それでも百合子さんはその現実を受け入れて、中川さんの幸せを見守っていこう、そう誓ったんだそうです」
夕子が目を伏せる。
「だけどしばらくして、中川さんは隣町へと引っ越ししていった。そこは百合子さんにとって、決してたどり着けない場所。中川さんを見守っていく、その願いすら打ち砕かれたんです」
見ると、敦子の目が真っ赤になっていた。
「ほどなくして、敦子さんも実家を出ることになって。百合子さんは絶望しました」
「夕子さん」
声に振り返ると、百合子が囁くように言った。
「何か書くものをいただけませんか? 私も、その……にゃーちゃんと話せればなって思って」
夕子はうなずくと立ち上がり、メモとペンを持って百合子の前に差し出した。
そして手を合わせ、「どうぞお納めください」そうつぶやくと、またしても彼らの目に、とんでもない光景が映し出された。
ペンが宙に浮き、メモに文字が書かれていく。
敦子も中川も、そして國澤も息を飲み、その光景を見つめた。
やがて書き終えた百合子がメモを手にし、敦子に向けて差し出した。
――にゃーちゃんは今、幸せ?――
そう書かれたメモを、瞬きもせず見つめる。
そして両眼に大粒の涙を浮かべ、嗚咽した。
「ごめん……ごめん、お姉ちゃん……」
そんな敦子を、穏やかに微笑み百合子が見つめる。
その時だった。
中川が勢いよく立ち上がり、床に頭をこすりつけて叫んだ。
「百合子……すまなかった!」
突然の中川の行動に、夕子も敦子も困惑の表情を浮かべる。
そして敦子は中川の肩に手をやり、大きく首を振った。
「違う、違うのお姉ちゃん。私が悪いの!」
「敦子は何も悪くない! 全部、弱い俺が悪いんだ!」
二人が自身を責める。そんな二人を穏やかに見つめ、百合子は再びメモにペンを走らせた。
――誰も悪くないよ。そういう意味では、突然死んじゃった私こそが、一番悪いんだから――
そのメモに大きく首を振る。
そんな二人をどうにかなだめ、とにかく座ってくださいと夕子が促した。
しばらくして、少し落ち着きを取り戻した中川が咳払いし、頭を下げた。
「……醜態をさらしました、すいません」
「いえ、大丈夫ですよ。ただ、百合子さんはこういう状況を望んでる訳ではありません。そんなことの為にお二人を呼んだのではない、そうおっしゃってます」
「……」
「でも……折角なので、伝えたいことがあるならこの際です、お互い打ち明けてみませんか? 百合子さんの為にも、そして何より、お二人の為にも」
夕子の言葉に百合子が微笑み、「ありがとう」と囁く。
敦子と中川は顔を見合わせ、何かを決意したようにうなずくと、百合子が座っているであろう席に視線を向けた。
* * *
「あの時……お姉ちゃんが死んでから幸くん、抜け殻みたいになってたの」
――うん、知ってるよ――
「ほんと、このままお姉ちゃんのところに行ってしまうんじゃないか、そう思うぐらい弱り切ってたの」
――そうだね。見てて本当、辛かった――
「そんな時、幸くんのご両親が、このままじゃいけない、何とかしないとって相談してね。お姉ちゃんとの思い出が詰まったこの街から離れた方がいいって言ったの。でもまさか、それがお姉ちゃんとの間を引き裂くことになるだなんて知らなくて……ごめんなさい」
――間違ってなかったと思うよ――
「それで私、ずっと幸くんのことが気がかりで、休みのたびに家に行ったの。でも幸くん、全然元気にならなくて」
――この人、実は弱いもんね――
「ある時私、彼の頬を引っぱたいたの。いつまでそうやっていじけてるつもり? そんな姿、お姉ちゃんに胸を張って見せられるのって」
――にゃーちゃん、昔から熱いからね――
「それでその時、私の想いを伝えてしまって……私はお姉ちゃんの代わりになんてなれない。でも、それでも私は、幸くんのことを支えたいって」
――やっと言えたんだ。ごめんね、私のせいでずっと、にゃーちゃんは我慢してたんだもんね――
「……それから私たちは、お姉ちゃんのことを一緒に背負うって決めたの。お姉ちゃんは私たちにとって、誰よりも大切な人。その思いを胸に、お姉ちゃんの分まで生きていこうって誓ったの」
* * *
敦子が大きくうなだれる。
中川もテーブルに大粒の涙を落とし、肩を震わせた。
そんな二人を見て。百合子は穏やかに微笑んだ。
そしてメモを差し出す。
――二人は今、幸せ?――
そのメモを見て。
二人の感情が爆発する。
声を上げ、涙を流し。
何度も何度もうなずいた。
そして何度も「ごめんなさい」、そう叫んだ。




