049 告発
翌日。
ホテルで目覚めた夕子は、体を動かすことができなかった。
昨日國澤と話し、少し落ち着いたと思っていた。しかし彼が去り、部屋で一人になるとまた、あの恐怖が蘇ってきた。
舐めまわすような、兼本の視線。
兼本によって弄ばれる自分を想像し、布団にくるまり身を震わせた。
「……」
夕子は施設に連絡し、発熱で休むことを告げたのだった。
「お嬢ちゃん、もう大丈夫なのかい?」
次の出勤日。
休憩室では、品沢と石川が待っていた。
「あ、はい、その……急に休んでしまって、申し訳ありませんでした」
「ああいや、別に責めてる訳じゃないんだよ。ただなんというか、最近風邪も流行ってるみたいだし、大丈夫だったのか心配でね」
「僕もです。夕子さん、いつも頑張りすぎてますからね。無理せず、辛い時は休んでくださいね」
二人の言葉に照れくさそうに微笑み、コーヒーを差し出す。
「なにしろお嬢ちゃんは、わしらにとっての女神なんだ。無理だけはしないでほしい」
「なんですかそれ、女神って」
「いやいや、これはわしじゃなく、他のやつらが勝手に言い出してることなんだ。やつらにとってお嬢ちゃんは、いつの間にかそういう立ち位置になってるみたいなんだよ」
「……それ、できればやめてほしいですね。ふふっ」
「はははっ。でもまあ、お嬢ちゃんはわしらにとって、それくらい大切な仲間なんだ。だからね、お嬢ちゃん。わしらにできることは限られてるが、何かあったらいつでも話してほしいんだ」
嘘がばれている。そう夕子が感じ、表情を強張らせた。
「何か……あったのかい?」
その言葉に顔を上げる。
そんな夕子を見つめ、品沢は穏やかに微笑んだ。
「過酷な仕事。利用者からの暴言、死。そういうことにも歯を食いしばり、頑張っているお嬢ちゃんだ。勿論こういう仕事だ、熱が出れば休まなくてはいけないのは知っている。だが……すまない、それが本当のように思えないんだよ」
「夕子さん、どうか品沢さんのこと、怒らないであげてください。品沢さんは勿論、僕も同じことを考えてました。それにこの部屋に入ってきた時の夕子さん、僕たちに対して身構えているように感じました。あとその、目が少し腫れているような気がして」
恐縮気味に石川が話す。それを聞いて、これ以上誤魔化してはいけないような気がした。
彼らの同胞である兼本を糾弾することは、正直気が進まなかった。できるものなら穏便に済ませたい。
しかしここ数日、あの時のことを思い出すと恐怖で身がすくみ、眠りにつくことができなくなっていた。
それにどれだけ自分を納得させたとしても、また彼はやってくる。自分の努力だけでは解決できない事案であることを、夕子は痛感していた。
転職や引っ越しも考えた。だがそれは、彼から逃げることを意味する。それに品沢たちとの縁を、こんなことで失いたくはない。
しかしその結論は、この街に居続けるということになる。そうすれば当然、これからも兼本と顔を合わせる機会がある。その度に胸をえぐられるような感覚に陥るのはごめんだ、そう強く思った。
夕子は深いため息を吐き、二人に向き直った。
「品沢さん、石川さん。色々と気を使ってくださりありがとうございます。では私の話、聞いてもらえますか」
その真っ直ぐな瞳に圧倒された二人だったが、やがて微笑みうなずいた。
「……」
夕子が話し終えると、石川は肩を震わせた。
品沢は煙草を口にし、眉間に深い皺を刻んだ。
「これが先日、家であった出来事です」
そう言って白い息を吐く。
「……すまなかったね、お嬢ちゃん」
驚くほどに低い声で、品沢がつぶやく。
「いえ……品沢さんが言った通り、何の警戒心も持たず家に招待した私にも、落ち度があったんです」
「そんなこと!」
拳を握り、石川が叫ぶ。
「……夕子さんは僕たちの為に、あのような場を設けてくれたんです。勿論、警戒心は必要です。でも夕子さんはそれ以上に、僕たちのことを信用してくれてたんです。それなのにあいつは、そんな夕子さんの思いを踏みにじって」
「落ち着け石川」
「これが落ち着いていられますか! その時の夕子さんの絶望を考えたら、僕は、僕は……」
「今ここでお前がどれだけ叫ぼうと、状況は何も変わらない。それに今回のことは、わしらの生活にも大きな影響を与える一大事なんだ。
もしこの一件でお嬢ちゃんが街を離れ、そしてわしら死者に対して距離を取ると決めてしまったら、わしらに残されるのは、かつての無為な日々だけになってしまうんだ」
「……」
「勿論、今言ってるのはわしらの都合だ。わしはそれ以上に、傷ついてしまったお嬢ちゃんの心が心配だ。もしわしらとの縁を断ち切られたとしても、それはわしらの自業自得だ。受け入れて然るべき報いなんだ。だが、それからお嬢ちゃんが傷を背負ったまま生きていく、それだけは何としても避けなければいけないんだ」
「品沢さん。私も色々考えました。転職、引っ越しという選択も含めてです。でもそれだと、私はただ彼から逃げるだけになってしまう、そう思ったんです。それに……私はこれからも、品沢さんたちと懇意にさせてもらいたいんです」
その言葉に、石川の目が真っ赤になった。「すいません、ありがとうございます」そう言って何度も頭を下げ、涙を拭った。
「とにかくだ。すまなかったね、お嬢ちゃん。この街のまとめ役として今回の件、心からお詫びします」
そう言って、品沢が深々と頭を下げた。
「そして……よく打ち明けてくれたね、ありがとう。お嬢ちゃんが黙っていたら、わしらは間違いなく、取り返しのつかない状況に陥っていたと思う。お嬢ちゃんが勇気をもって告発してくれた。そのおかげでわしらは、次の手を打つことができる」
「それって……彼に対して何かするってことですか」
夕子の瞳に不安が宿る。
そんな夕子に微笑み、品沢が続けた。
「生者であれ死者であれ、そこで生活する以上、守らなくてはいけないものがある。そしてやつはそれを破った。だから……
やつはわしらの掟の元、裁くことにする」
その目に夕子がぞっとした。
いつもと違う冷徹な瞳に、これ以上踏み込んではいけないんだと思わされた。
「ここからはわしらの問題だ。お嬢ちゃんは気にせず、そして……できればこれからも、仲良くしてくれると嬉しいよ」
そう言った品沢は、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。




