048 想い
次の日。
スマホの着信音で目が覚めた。
「……」
目の前のモニターを見て、ここがネットカフェであることを思いだした。
そっか。私、ここに泊まってたんだ。
「……マナーにぐらいしておけよな」
隣から、言葉と同時に舌打ちが聞こえた。
「す、すいません……」
スマホを見ると、着信履歴で埋め尽くされていた。
相手は國澤。
慌てて時間を確認すると、11時をまわっていた。
「約束の時間、とっくに過ぎてるじゃない……」
そう言ってため息をつくと、また着信がなった。
「朝霧、大丈夫なのか」
電話の向こうから聞こえる、國澤の声。それは約束を違えたことへの怒りではなく、連絡がついた安堵と心配の入り混じった声だった。
夕子の目に涙が光る。
「ごめん、國澤くん……約束破っちゃって……」
「ああいや、朝霧が無事ならそれでいいんだ。何度も電話したけど反応がないし、何かあったのかと心配してたんだ」
「ごめん……本当にごめん……」
膝に顔を埋め、肩を震わせる。
この人、なんでこんなに優しいんだろう。そう思い、心が震えた。
「泣いてるのか? と言うか、大丈夫なのか」
「……大丈夫じゃ……ないかも……」
強がる余裕がなかった。また涙があふれてきた。
「どこにいるんだ? 家に行ってみたんだけど、鍵も掛かってなかったし」
「来てくれたんだ……」
「ああ、うん、ごめん……ひょっとしたら家で倒れてるのかも、そんなことを考えたら不安になって」
「……」
「悪いと思ったけど、中に入らせてもらった。そうしたらシャワーが出しっぱなしで、濡れた床に散乱してる服。もう少し連絡がつかなかったら、警察に行くことも考えてたんだ」
「ごめんね、心配かけて」
「ああいや、それは全然構わない。それより今、どこにいるんだ?」
「隣町の……ネカフェにいてるの」
「やっぱり何かあったんだな」
「……」
「朝霧。今からそっちに行くから、少し会おう」
その言葉にまた、涙があふれた。
「ありがとう。でもその……髪もぼさぼさだし、服も着の身着のままで出ちゃったから、ちょっと恥ずかしいかも」
「そんなこと気にしなくていいよ。事情は分からないけど、朝霧は今、家に戻りたくないと思ってる。そうだよな」
「うん……」
「だったら俺がそっちに行く。格好が気になるなら、一緒に買いに行こう。それからビジネスホテルの手配をしておくから、そこでシャワーを浴びて、少し落ち着くといい」
昨日のことがあって、男の口から今、「ホテル」という言葉が出てきて。本当なら怖く感じる筈だった。
だが夕子はその言葉を自然に受け入れ、うなずいていた。
「ありがとう、國澤くん……」
ホテルでシャワーを済ませ、身支度を整える。ここに来る途中でブティックに立ち寄り、國澤が服も調達してくれた。鏡に映る自分を見て、「こういうのが國澤くんの趣味なのかな」そんなことを考え、微笑んだ。
「朝霧、いいか」
ドアがノックされ、國澤の声がした。夕子がドアを開けると、コンビニの袋を持った國澤が笑顔で立っていた。
ホテルに着いてから二時間、彼は夕子が落ち着くまで、外で時間を潰してくれていたのだった。
「腹へってないか? 適当に買ってきたから、好きなもの食べてくれ」
「うん……ありがとう」
そう言って缶コーヒーを手にし、口にした。
「色々と、その……ごめんね」
「謝るのはもういいって。朝霧、今日何回謝るんだよ」
「でも……」
「朝霧が無事で、今目の前にいる。それだけで十分だ」
「だけど私、自分で誘っておきながら、約束すっぽかしちゃったし」
「それもいいって。どうせ今日は予定を入れてなかったし、問題ないよ」
そう言って夕子の頭を乱暴に撫でた。そしてすぐ、しまったという表情を浮かべ、慌てて手を引っ込めた。
「わ、悪い。失礼なこと、しちまった」
そんな國澤に苦笑し、夕子が首を振る。
「いいよ、これぐらい。気にしないで」
「ごめん。妹と同じように扱っちゃ駄目だよな」
「國澤くん、妹さんがいるの?」
「ああ。二つ違いで、去年結婚してる。最近はそうでもないけど、子供の頃はお兄ちゃん子でな、いつも俺の後ろをついてきてたんだ」
「そうなんだ、ふふっ。想像したら笑えるね」
「ははっ。まあでも、少し元気になったみたいでよかったよ」
「……何も聞いてこないんだね」
「朝霧が話したいのなら、俺はいつでも聞くつもりだ。でも言いたくないのなら、無理強いはしない」
その言葉に國澤らしさを感じた。
「じゃあ、聞いてくれる?」
「ああ。朝霧がいいのなら」
夕子は小さく息を吐き、昨日の出来事を話した。
「……大変だったんだな」
話を聞き終えた國澤が窓辺に立ち、景色を見下ろした。
「うん……でもね、考えてみたらこれ、全部自業自得なんだよね」
そう言って自虐的に微笑む。
「確かにな。再会してから俺は、朝霧の新しい顔をいっぱい見てきたつもりだ。その中で一番驚いたのは、朝霧が死者を生者より信用してるって感じたことだった」
「……」
「俺の知ってる朝霧は、誰に対しても壁を作っていた。その理由が幽霊が見えることだと教えてもらって、妙に納得してしまったんだ。
でも、心を閉ざす原因になったにも関わらず、朝霧は死者に対して絶対的な信頼を持っているように感じたんだ。そのことにある意味、違和感を感じてた」
「どうして? 私が知ってる幽霊さんは、いい人ばかりだよ?」
「朝霧は人が死ぬことで、まるで善人に生まれ変わるみたいな幻想を持ってるんじゃないかな。でもな、朝霧。忘れてるのかもしれないけど、死者もかつてはただの人間だったんだ。善の心もあれば悪意も持つ、欲望にまみれた存在だったんだ」
「……」
國澤の言葉に、夕子は何も言えなくなった。
昨日の兼本の行動を思い出せば、その通りだと納得せざるを得なくなっていた。
「勿論、いい人もたくさんいるんだろう。人付き合いの苦手な朝霧が、自分から交流してるんだからな。だからこそ昨日のことは、辛かったと思う」
「うん……正直言ってね、男の人にあんな感情をぶつけられたのは初めてだったし、何もされないって分かってても怖かった。でも、それ以上にショックだった」
「……」
「これまで私が感じていた、幽霊さんたちへの感情。それが昨日のことで、全部崩れていくようにも感じたの」
「でも朝霧のことだ。これからも彼らと付き合うつもりなんだろ?」
「そうだと思う。でも……どうしたらいいのか、分からなくなってるのも本当なんだ」
「彼らは移動範囲を限定されている。この街にいれば、昨日のやつは接触できないんだよな」
「うん……だから私、引っ越しした方がいいのかなって思ってる」
「朝霧がそのつもりなら、一緒に探してやるよ。それぐらいの手間、大したことないからな」
「……ありがとう」
「とりあえず、今日はこの部屋に泊まるといいよ。何なら家が決まるまで、ずっといても構わない。料金のことは心配しなくていいから」
「そんな、自分で払うからいいよ」
「これぐらいさせてくれ。大丈夫、別に見返りなんて求めてないから」
「……」
國澤の顔を見て。その全てに嘘がないと感じた。
でもどうして、彼はここまで自分を気にしてくれるのだろう。そう思い、胸が温かくなるのを感じた。
「あ……そうだ」
思い出したようにポーチを手にし、中からラッピングした箱を取り出す。
「あ、あのね、國澤くん。元々今日誘ったのは、國澤くんにこれを渡したいって思ったからなの」
震える手で國澤に差し出す。國澤は「いいのか?」そう言って受け取り、箱を開けた。
「その……今日はバレンタインだから、日頃のお礼にと思って」
どう言おうか、何度も何度も頭の中で会議した。そしてこう伝えよう、そう決めた言葉があった。
しかし國澤を前にして、その全てが消し飛んでいた。
「ありがとう、朝霧」
照れくさそうに笑った國澤が、そう言ってチョコをつまみ口に入れた。
「手作りなのか?」
「う、うん……初めてだったから、ちょっと自信ないんだけど」
「うまいよ。朝霧も食ってみろよ」
そう言ってひとつつまみ、夕子の口に放り込んだ。
「ちょっと……甘すぎたかな」
「ははっ。俺は甘党だから、これぐらいで丁度いいよ」
そう言った國澤の笑顔がまぶしすぎて、夕子は思わずうつむいた。
「ありがとう。朝霧のおかげで、最高の一日になったよ」
それは私の方だよ。
あなたのおかげで私、辛かった昨日の記憶が薄らいできたんだから。
そう思い、夕子が微笑んだ。




