045 看取り
出勤すると、事務員たちが慌ただしく動いていた。
大晦日だからだろうか。正月の準備で忙しいからだろうか。
一瞬そんなことがよぎったが、その空気感がそれを否定していた。
これは。死の匂いだ。
夕子が直感的にそう思った。
今日夕子が担当するのは、あの安城とは別のフロアー。
そしてそこに、出勤時に感じた違和感の理由があった。
「206号室の青木万由子さん、かなり厳しい状態になってる」
申し送り。
スタッフリーダーの千花から聞いたのは、利用者の容態だった。
「今、ご家族さんがお部屋で面会されてる。21時までには帰られると思うから、連絡があったら誘導してくれるかな」
「分かりました」
「ご家族さん、かなり憔悴してる。そしてできれば、何とか年を越してほしいって思ってる」
「……」
青木万由子。
ついこの前まで、特に手のかからない利用者だった。歩行、食事、排泄も自立していて、夜間に徘徊が多い程度だった。
しかし一か月前、インフルエンザに罹ってしまった。どこから菌が入ったのか、施設総出で感染原因を究明した結果、週に二度参加しているデイサービスなのではないかという結論になった。現にその施設では他に二人、症状が出ているとのことだった。
それからが大変だった。青木を居室に隔離し、他の入居者との接触を一切断った。スタッフが居室に入る時にもマスク、ゴーグル、袖付きのエプロンを着用し、食事も使い捨て容器を使用した。感染拡大を食い止めようと、スタッフ一丸となって取り組んだ。
その結果、他に感染することもなく収束することができたのだが、青木の容態はそれから一気に悪くなっていった。
まず食事を摂らなくなった。以前は他の利用者の食事すら奪って食べようとしていたのが、感染以来食事を見ても口を開けようとしなくなった。
そしてあれほど多かった徘徊もなくなり、ベッドから動こうともせず、スタッフの声掛けにも反応しなくなっていった。
点滴措置を施し、何とか快方に向かうよう対応していたのだが、今日になって容態が急変したとのことだった。
「大晦日の夜勤ってだけでも大変なのに、こんなことになってごめんね」
千花が申し訳なさそうに頭を下げる。
「こういうのに暦は関係ないですよ。それにそういう仕事だってこと、分かってますから」
「ほんとごめんね。何かあったら何時でもいい、電話してくれていいから」
「分かりました。何事もないよう、祈っててくださいね」
そう言って真顔に戻り、青木の資料に目を通した。
21時前に、青木の家族は帰っていった。
彼らにしても、まさかこんな日にこういうことが起こるとは思ってなかったのだろう。疲れた顔をしている者、ため息をつく者。そして夕子に対し、お前たちのせいだとばかりの表情を向ける者もいた。
無理もない。ついこの前まで元気だったんだから。そう思い、夕子は真摯に対応した。
「それでその……正直、母はどれくらいもちますでしょうか」
長男の壮年が夕子に尋ねる。
「あ、いえ……そういうことは先生でないと」
「ですよね……でも、何とか三が日は頑張ってほしいです」
こんな状況になってるのに、まず自分の都合なんだ。そう思うと少し哀しくなった。
でも仕方ないか。めでたい一年の始まりに死者を見送るなんてこと、誰だってしたくないだろう。そう考えるようにして、
「何かありましたら、施設長の方から連絡させていただきますので」
そう言って頭を下げた。
22時。巡回の時間。
まず最初に青木の様子を確認し、それから他の利用者の居室に向かった。
青木は鼻に酸素チューブをしていたが、口からしか呼吸してなかった。見るからに苦しそうで、何度も何度も咳き込んでいた。
「……」
布団をめくり、足元を確認する。色がくすんでいて、明らかに酸素がまわっていないようだった。
「チアノーゼ、出てるな……」
巡回が終わると、施設長にメッセージで容態を報告する。そして詰所でコーヒーを淹れ、ようやく一息ついた。
考えてみれば今日、初めて座ったな。そんなことを思いながらコーヒーを口にすると、少しほっとした。
「奈緒ちゃんの言う通り、私も今年は色々あったな……そして最後がこれ。本当、激動の一年だったよ」
品沢に声を掛けられ、幽霊たちと触れ合う日々が始まった。
知らなかった幽霊たちのルールに驚いた。
場所の制限、異性を認識できない事実。何より彼らはこの世界に対し、何の影響も与えられないのだと知った。
そんな中、これまでに三人の成仏を手伝うことができた。
家に初めて呼んだ友達。それも幽霊だった。
宴会でみんなの喜ぶ顔が見れて、本当に嬉しかった。でもそんな中、兼本から抱かせろと言い寄られ、ショックを受けた。
奈緒ちゃんや百合子さん、女性の幽霊とも仲良くなった。
そして國澤。
かつて心に傷をもたらしたクラスメイトと再会し、新しい関係が始まった。
今思い返してみても、本当に濃密な一年だった。
職場では安城カスミに振り回され、悩まされた。そしてそれは今も変わっていない。
しかし品沢たち幽霊と関わったことで、自らが決意し、動くことで環境が少しずつ変わっていくことを知った。
事実安城も、自分が強い心で向かっていけばそこまで怖く感じなかった。
そういう意味でこの一年は、ある意味これからの自分がどう生きていくべきか、それを考えるきっかけになったとも言えた。
「煙草、吸いたいな……」
時計を見ると23時。休憩まであと二時間。
品沢たちは、今日も来てくれるだろうか。休憩室に入ったら、まず「あけましておめでとうございます」って言うべきだろうか。そんなことを思い苦笑した。
そしてできればその時に、これまでの感謝を言葉にしたい。そう思った。
0時の巡回まであと一時間。洗濯物もたたみ終わったし、あらかたの記録も書き込んだ。
通常なら、この時間は詰所でゆっくりしている。
「ゆっくりする前に青木さんの様子、見ておこう」
夕子はそうつぶやき、青木の居室へと向かった。
「……」
酸素の機械音だけが響く部屋。
ベッドに横たわる青木を見て。
夕子は脈と呼吸を確認した。
そして小さく息を吐くと手を合わせ、頭を下げた。
すぐに詰所に向かい、施設長にメッセージを送る。
『お疲れ様です。青木様、心肺停止されてます』




